エッセイ集
2008年2月
中国の食品メーカーで製造した冷凍食品の餃子に、日本では使用が許可されていない毒性の高いメタミドフォスという農薬が混入しており、これを食べた人が中毒を起こして病院に駆け込む・・・・という事件が明るみにでてから、かなりの日時がたった。最初の事例は千葉県で起きたものであるが、その後全国で同じような事例が見つかり、農薬の種類もジクロルボス、パラチオン、パラチオンメチルなどが追加、検出されている。
日本の警察などの捜査によると、これらの農薬は餃子そのもののほかに、これを収納していた無傷の袋の内側からも検出された事例があるということから、餃子を製造している食品メーカーの製造・包装段階で混入された可能性が高いというのが日本側の見解である。中国でも独自の捜査がなされており、当該工場の従業員の取り調べなどから、工場内での人為的な農薬混入はなかったとの結論がなされた。農薬混入は工場出荷以降の流通過程で起こされたものと考えられるという見解である。つまり、日本側と中国側の見解はまっこうからぶつかったまま、ということになった。この事件の決着は、おそらく当分はつかないことになりそうである。とくに、中国にとってはオリンピックを控えて自国の食品の製造管理の問題点をあからさまにするわけにもゆかないということか・・・・・。
この事件以降、わが国では中国産と明記された食料品への買い控えが進んでいるという。わが家の場合は、冷凍食品や加工食品のたぐいは、ほとんど買うことがないのだが、それでもスーパーなどの買い物では、いちいちラベルを仔細に眺めて、原産地チェックを最近は一段と力をいれてやってしまうようになった。そして、「中国」という活字があると即座にそれをもとの棚に戻す・・・・というありさまである。おそらく当分の間は中国産の食品は敬遠することになるのだろう。こうして、食品の原産地が気になりだすと、わたしたちが口にする食品の、いかに多くが外国産であるか・・・・ということに今更ながら愕然とするわけである。
それは当然のことだろう。なにしろ日本という国は、食糧の半分以上を完全に外国におんぶしている国なのだから。
食糧自給率という言葉がある。これはすべての食糧のうち自分の国で自前で作っている食糧の割合がどのくらいかを示すものであり、普通はカロリーべースで表記する。農林水産省の統計によると、日本の食糧自給率は、1961年(昭和36年)では78%だったのだが、その後どんどん低下し、1998年(平成10年)には40%になり、2006年(平成18年)にはついに39%まで下がってしまった。これは、いわゆる先進国のなかでは最低である。このような状態であるから、わたしたちが日ごろ食べている食品の6割は外国産であり、その食品がどんな状態のものであるのかは、それを作っている国の人に聞いてみなくては全然わからないということになる。そして、その国の食糧生産がなにかの理由で減少することがあれば、当然わが国への輸出はカットされることになる。つまり、食糧の大半を外国に頼っているという今の状況は、きわめて異常であり、危険であるということを日本人はしっかりと自覚しておくことが必要である。
食に関する官庁の役人や昨今の政治家連中に期待することは、これまでのていたらくを見ているかぎりは全く無理と考えたほうがよい。日本が進んできた道は、簡単にいえば工業製品の輸出拡大を外国からの安い食糧の輸入拡大とリンクさせて、歪んだかたちでの経済成長を進めてきたということである。こうした経済成長は健康的とはいえない。世界の食糧生産量は、決して地球の上に暮らしている人類と家畜にとっては十分ではなくなりつつある。工業製品を売った金で食糧を安く買うことができるのは、そうは長く続かないのである。このところの石油価格の高騰で、穀物を原料としたバイオエタノールを生産するなどという馬鹿なことが進められているのだが、食糧を燃料に転用するような余裕は今の人類にはもはや全くないといってもよい。
ともかく近頃の国際情勢をみるかぎりでは、日本が6割以上も不足している食糧を、いつでも外国から譲ってもらえるという保証は全くないということを自覚し、そのときにどうするかということを今から考えておく必要がある。
戦後の食糧難の時代を生きた経験がある高齢者であれば、その答えはすぐに見つかるはずである。あのとき、都会には何も食べるものがなかった。そして、食糧を分けてもらうために歩き回った農村という環境を、都会人はすごくうらやましく思ったものである。ところが、今ではその農村には食糧生産という農業の仕事を継いでくれる若者がいないという。若者はみんな農業を捨てて都会に行ってサラリーマンンになってしまうという。こうした現状を続ける限り、日本という国の食糧自給率が向上することはありえない。都会に住むヒトが、こうしたことに思いをよせつつ、日々食べる食材のうち、できるだけ多くの食材を日本産のものでまかなうように努力することが大切なのである。安いもの、便利なもの、かっこいいもの、などへの欲求をいまいちど見直すことが必要だろう。
今回の餃子事件は、こうした日本人の食と、その確保、ということを見直す、よいきっかけになったのかもしれない。