エッセイ集

薪ストーブのある生活

2008年2月


 今年の冬は、ばかに寒い。ここ数年、暖冬が続いたせいかもしれないが、久し振りの寒さはこたえる。先日は東京にも大雪が降り、交通がかなり乱れたという。都心の交通網は雪が積もると、いつも大騒ぎになるのだが、雪国の人からみると笑止千万だろう。幸か不幸か、わが家のある地域では、今年もいまのところ雪は全く降らない。この里山のある地帯は、海と湖に挟まれているせいか、冬は暖かく、夏は涼しい。先日、東京に雪が積もったときにも、ここではほんの一瞬だけ白いものが降ったかどうか・・・というだけだった。それでも、今年の冬は寒く、新しく作った庭園用水道管の蛇口も、早朝にはしばしば凍結していた。わが家の薪ストーブも、このところ、まさに大繁盛である。

 この里山の田舎暮らしも、家をつくってから今年で18年目、永住を始めてからでも10年になろうとしている。10年ひと昔・・・というが、薪ストーブと暮らす生活も、いまや完全に定着してきた。当初は、ストーブのメンテナンスが大変ではないか・・・と、心配をしていて、例の吊り下げ式半自動煙突掃除装置などを取り付けたりしたのだが、これはまったく無駄だった。無駄というよりも、むしろ不必要であった。それというのも、わが家の薪ストーブは、薪を多めに入れて景気よく燃やすと、煙突の内壁についていた煤が風圧で剥がれて飛んでいってしまうのである。要するに、激しく燃える勢いで煙突の内部が掃除されてしまうということのようである。もっとも、この煙突がストーブ本体から垂直に立っていることと、燃焼のための空気を部屋の床下から取り入れるストーブの構造がよかったのかもしれない。結局のところ、この自動煙突掃除装置は、ほんの数回使用しただけで取り外すことになった。その理由は、煙突内部をブラシで掃除する必要がほとんどないこと、このブラシが常に煙にさらされるために耐久性に問題があること、そして余計なものを煙突の出口につけておくと、排気上昇気流の流れを遮ってしまうので、むしろ煙突内部の汚れを促すだろう・・・ということである。
 
 写真にある薪ストーブは、わが家で18年間活躍しているスウェーデンのハンドール社製、モデル2である。この型のものは見たとおり部屋のコーナーに置くとおさまりがよい形をしている。前側の開口部は、やたらと大きくて、その全面が観音開きになるので、薪を入れたり、メンテするときには大変使い勝手がよい。空気は床下から取り入れているので、せっかく暖めた室内の空気を吸い込んで戸外に捨てるというような効率の悪いことはしないですむ。

 左の写真は、まさに日常そのものの乱雑なストーブ周りの姿である。ストーブの前には焚きつけの山、手前の右手の大きな籠は太い薪を入れておくのだが、今は空っぽになっている。太い薪は手前にあるキャンバス生地の手提げ袋に入った状態である。薪は薪小屋から居間の前のベランダの軒下に運んでおき、そこから少しずつこの手提げ袋で室内に持ち込んでいる。冬の日の朝晩は、このストーブの前の羊の毛皮に胡坐をかき、薪を燃やすのがわたしの日課となる。わが家の愛すべきこのハンドール君も、20年近く働きつづけていると、右の写真でわかるように、その姿もかなりくたびれて見える。しかし、機能としては新品同様でしっかりと働いてくれているのが頼もしい。

 「薪ストーブのある生活」というと、いかにも優雅な感じもするのだが、実はそう優雅でもない。なにしろ薪の調達がらみの重労働はさておくとしても、毎日薪の束を室内に持ち込むことで起こる、ちょっとしたことが、人によっては結構気になるのである。その一つは、薪とともに持ち込まれる埃や小さなゴミが結構多いことである。その対策は、上の写真に見えるように電気掃除機を近くに置いてこまめに掃除をするしかない。そして、もうひとつが薪の束とともに持ち込まれる越冬中の小さなお客さまたちである。その常連はカメムシ類とクモ類であるが、今年はどうゆうわけか小さなハエの仲間が多かった。これらは通常人畜無害であるので、部屋が暖かくなってから、静かにガラス戸をあけて、そのままお引き取りを願っている。

 この冬は、原油価格の高騰で、こうした薪ストーブへの注目が一気に高まってきているようである。大手のホームセンターの売り場をみると、例年になくストーブの陳列が多い。昔懐かしいダルマストーブなども、まだまだ人気があるようだが、売れ筋はどうやら大きな角型の鋳物のストーブのようである。ただ、こうした国産のストーブはそのほとんどが室内の空気を取り込むタイプである。その点では暖房効率にやや問題があるといえるだろう。薪ストーブも、実にさまざまなものがあるのだが、やはりストーブの本場である北欧諸国(アイスランド、スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、フィンランド)のものが信頼できるのだろう。しかし、よいものはやはり値段が高い。今使っているハンドールのモデル2というのは、すでに製造していないようで、最近のハンドールをインターネット調べてみると、どうやらモデル10が主流のようである。この最新型は写真で見る限り、やたらとスマートで、いかにも近代的というイメージだが、わが家のモデル2のような重厚感はまったくない。わが家としては、このモデル2をなんとしても長生きさせなければいけないようである。
 
 薪がストーブの中で赤々と燃えているのをみると、なんとも言えない落ち着いた気持ちになる。これは多分、ヒトという生きものの長い進化の過程と関係するのではないだろうか・・・というような感想を以前も述べたことがある。やはり木を燃やすということは、ヒトの心の底にある太古の経験を呼び覚ますのかもしれない。近頃はキャンプ場などでも、地面での直火は厳禁というところも多いため、焚火台などという洒落た道具を使って、その上で薪を燃やすことになるのだが、それでも焚き火をすることは、不思議と心がやすまる行為であることは間違いない。

 薪ストーブを使うことは、結構大変なことである・・・・といった意見がよく目につく。その理由としてあげられているのが、第一に薪の調達であり、第二に灰の処分であるという。

 薪の調達は、たしかに街中に住む人では業者に手配して購入するしかないだろう。ただし、それは意外と高価である。わが家の場合は里山の田舎暮らしなので、これについてはそれほどの困難はない。 しかし、この状態がいつまで続くのかは定かでない。ここ2,3年、わが家の住む地域では雑木林の伐採と宅地化の勢いがすさまじいスピードで進められている。これは、この春を目安にこの地域に市街化調整区域の線引きがなされる予定になっているのが、その理由である。そのため、不動産会社による宅地造成があちらこちらで一斉に始まった。雑木林の伐採で不要になったコナラやクヌギなどの、第一級の薪材も、結局のところは廃材業者に持ち込んで、金を払って焼却処分することになる。まったくもったいない話である。そこで、宅地造成にかかわっている業者にひと声かけて、「処分する木材は、こちらでいただく・・・・」というと、たちまちダンプで運んでくれる。運んでくれないときには、こちらから軽トラで引き取りに行くこともあるのだが、やはり「田舎暮らしの十ヶ条」にあるように軽トラは必需品である。そんなこんなで、この半年ほどで、向こう4,5年分の薪用材木を集めてしまった。ただし、これを薪までもってゆくのが大変である。

 第二の「灰の処分」についてはまったく困ることはない。むしろ、木の灰という上質の灰は最高のアルカリ性肥料である。これは落ち葉から作る堆肥に混ぜたり、畑や植木への直接の施肥に使っている。むしろ、大切な、そして貴重な資源である。

 こうしてみると、田舎暮らしのわが家にとっては、薪ストーブの効用は絶大である。二酸化炭素排出量が気になり、昨今の原油高騰が物価高に拍車をかけているなかで、暖房費についてはわが家は限りなくゼロに近い状態を保っている。そしてこれは二酸化炭素排出削減にかなり貢献しているに違いない。もうひとつの大きな効用は、薪の準備についやすためのエネルギー(体力)が、運動不足になることを確実に防いでいることである。これは、薪にする木材・丸太の収集、その玉切り、玉を木割りで割り、運こび、積み上げるなど、結構な運動量になる。こうした一連の労働は、老骨の足腰を鍛え、その体力の衰えを防ぐにはなかなか都合がよいのだろう。

 かくして、薪ストーブのある生活は、健康な田舎暮らしの一つのシンボルでもある。


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