エッセイ集

ヤマザクラとソメイヨシノ

1999年4月


 4月のはじめ,里山はサクラで彩られる.サクラといえば吉野のサクラである.いまでも園芸店に行くと「吉野ざくら」というラベルをつけたものを売っている.これはヤマザクラである.つまり,昔はサクラといえばヤマザクラのことだったらしい.それが明治のころからソメイヨシノが一般的となる.巣鴨の染井が発祥の地とされるこのサクラは葉がでる前に一斉に花が咲くため,ご存じのとおり豪華絢爛を極め,少なくとも関東地方ではサクラといえばこのソメイヨシノを指すことが多い.4月はじめに満開となるため,小学校や中学校の入学式を彩るには格好のものとなる.そのためにサクラと学校とは日本人の深層心理に切り離せないものとして刷り込まれている.

 たしかにソメイヨシノは美しい.葉が出る前に一斉に花が咲き,絢爛とした満開の美しさをみせたあと,また一斉に花が散る.なんとも言えないおもむきがそこに見られる.葉が出る前に花が咲くのは,ソメイヨシノのほかにもヒガンザクラやオオシマザクラがあり,この後者から品種改良されたものにサトザクラがあるという.一説には,花が葉に先立って開くサクラをまとめてサトザクラというらしく,これに対して花が葉とと同時に咲いてくるのをヤマザクラという.

 牧野新日本植物図鑑によると,ヤマザクラの仲間としてはヤマザクラ,ケヤマザクラ,オオヤマザクラの3種がある.ヤマザクラは本州中部以南の山地,ケヤマザクラは北海道から九州までの山地,そしてオオヤマザクラは本州中部以北の山地に,それぞれ分布するという.とすると,ここ関東平野に普通にみられる「ヤマザクラ」はヤマザクラとケヤマザクラのいずれかということになる.オオヤマザクラは別名をエゾヤマザクラといい,北海道の優占種であるので,関東地方の「ヤマザクラ」はこれではないだろう.ヤマザクラとケヤマザクラの違いは,垂直分布で後者が前者の上に位置するというが,時には混生するばあいもあるらしい.ヤマザクラの若葉は通常赤褐色であり,ケヤマザクラの若葉は赤みを帯びずに緑色であるという.
 
 正確な名前を知ることは,これが意外と難しく,図鑑と現物と首っ引きで比較検討しても,よほどの特徴でもないと素人には自信をもって名前を特定することは困難である.常に,「多分・・・」という枕ことばを使いながら植物の名前をいうことになる.ということで,正確な名前はひとまず横に置いておき,このあたりの里山のサクラは多分「ヤマザクラ」である,ということにしている.

 その「ヤマザクラ」だが,ソメイヨシノと比べるとこれがまた素晴らしくおもむきがあるのである.葉と一緒に咲き出すその花の風情が楚々としている.花の色と葉の色が木の一本一本で微妙に違っており,一つ一つ眺めていくとその変化の多様さに驚く.そして木ごとの個性をもった美しさに惹かれるのである.花の色はピンクから白までだが,葉の色の変異が大きく,赤みかかった茶色から透き通るように薄い緑まで,連続的な変化を見せている.花の色と葉の色との組み合わせで,変化は一層複雑になる.そして,極めつきは開花の時期である.まさに満開のサクラのすぐ横に,まったく花の開いてないサクラがある.つまり,里山全体を眺めると,かなり長い期間にかけてサクラの木とその花の咲き方の微妙な移り変わりが楽しめることになる.

 4月の上旬は,「ヤマザクラ」のまさに見頃であり,里山の植物たちの活躍するシーズンの始まりという雰囲気が漂っている.里山の優占種であるコナラ,これもまた個体変異が激しく,サクラのこの時期,気の早いコナラはもうしっかりとその新芽を開き始めているが,おおかたのコナラはまだ遠目にはピンクがかった茶色の小枝しか見せてない.しかし,雑木林の若葉の季節も,もうすぐ其処まで来たという感じである.



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