旅日記

別所の湯

2001年10月


 小諸から上田をとおり、長野へと向かう千曲川沿いの道は、北国街道である。今では国道18号線といったほうがとおりがよい。でも、やはり北国街道といったほうが、はるかに情緒がある。昔の街道の面影を残す海野宿をすぎてから北国街道に別れ、左手、千曲川の支流である依田川沿いに南に向かう。これは戦国時代には丸子氏の勢力であった丸子の宿を通る街道であるが、今風にいえば国道152号線である。丸子から右に折れ東へと向かうと、そこはもう遥かに低い山なみを目指すのどかな一本道となる。
 
 この道の行き着くところが、あの有名な別所温泉である。ここは、霧が峰から美ヶ原、二ツ石峰、十観山、大沢山へとつながる2,000メートルから1,400メートルの稜線に抱かれた山の間のひなびた温泉地である。別所温泉の安楽時などが開かれたのは古く奈良時代に行基によるといわれるが、周辺の寺社が再興され、これらが本格的に整備されたのは鎌倉時代の北条時頼によるらしい。北向観音、安楽寺、そして常楽寺をはじめとした数多くの寺社が見られることから、ここ別所温泉の地を信州の鎌倉ともいうそうである。



 わたしがこの別所温泉という名前を初めて知ったのは、池上正太郎氏の力作「真田太平記」だった。戦国時代の終わり、例の関が原の合戦のころ、ここ別所の湯は真田一族の支配するところとなり、真田昌幸、幸村父子とその一族郎党がこの出湯を重用したとされる。「真田太平記」では、この物語りの影の主人公である女忍びのお江と若かりし日の幸村が結ばれるのが、この別所の湯である。
 
 温泉地の例に漏れず、ここも多くの温泉宿が目に付くが、いわゆる日帰り温泉もいくつかある。そのうちの一つに「石の湯」というのがあり、これが「真田幸村公 隠しの湯」ととされている。写真で見るとおり、最近改築されたらしく、木の香も新しい門構えであった。入浴料は200円で、この手の温泉としては抜群に安いほうである。風呂はたしかに石、岩を組み合わせたつくりになっており、「石の湯」の名前のとおりであったが、いかんせん狭い。しかも内湯となっており、あまりにも近代的にできすぎていて、昔の時代の面影を残すものはなに一つない。

 「真田太平記」を読んで勝手に想像していた風呂は、もう少し広くて、屋根はあるものの周囲の風景が眺められるような薄暗い感じの風呂である。現存の「隠し湯」では、どうにも風情がない。幸村とお江の恋の物語りにしっくりするのは、あの、みちのくのランプの宿で有名な青荷温泉の岩風呂かもしれない。



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