「伝真言院両界曼荼羅」の概要
本図は胎蔵界・金剛界の両図とも、縦約185cm、横約164cmで、現存する彩色の両界曼荼羅としては最古のものです。
曼荼羅は、長安の恵果に学んだ空海が日本へもたらしましたが、空海請来の曼荼羅群(「根本曼荼羅」)は現存しません。
その系譜を継ぐ「高雄曼荼羅」などの曼荼羅群は「現図曼荼羅」と呼ばれます。本図「伝真言院両界曼荼羅」は、これらとは異なる系統のもので、
きわめて異国的な趣をもっており、9世紀後半ごろに「現図曼荼羅」とは別系統の曼荼羅をもとに描かれたか、あるいは中国からもたらされたか、
と考えられています。残念ながら、まだ美術史・宗教史の研究のなかで、決着はついていません。
本図は、東寺の西院(もと空海の住坊があった御影堂など、境内西南部の一画)に伝えられ、昭和9年(1934年)に発見されました。永らく眠っていた
ため、極彩色の仏像群がきわめて鮮明に残されていました。(現在は修復の結果、かえって色彩があせた状態になっています)
図像の描き方は、胎蔵界が円、金剛界が方形を基本とするといわれますが、逆に胎蔵界はピラミッドを積み上げたような構造を持ち、金剛界は中心
から円を描くように周囲へめぐる構造を持ちます。
仏教、ことに密教の真髄を表し、即身仏の思想が地図のように展開されていますが、いっぽうでアジア各地の民族の思想や信仰が取り入れられ、
総合された図像でもあります。このように、美しい彩色によって躍動する仏や神々を配置し、建築的な構造とシンフォニーのような音楽性を平面上に
展開したものともいえましょう。
「伝真言院」とは、平安時代、宮中の真言院で正月に催された「後七日御修法」のさい、御法壇の左右(東西)に掛けられた両界曼荼羅という
伝承から名づけられたものです。しかし、その大きさなど、後七日御修法に使用するには小規模な曼荼羅で、また研究の結果、真言院が
火災で焼失したさい、それまで使用されていた両界曼荼羅も失われ、臨時にこの曼荼羅が東寺から貸し出されたとの記録が明らかにされ、
現在では「西院曼荼羅」あるいは「西院本曼荼羅」と呼ばれることが一般的になりつつあります。
ただし、国宝の登録名としては「伝真言院両界曼荼羅」となったままですので、本書でもこの名称を踏襲いたしました。