笑え!
  ’00新人シナリオコンクール応募作品(二次選考落選)

 

 応募専用の原稿用紙を買わされる特異な公募。
用紙が高いのにプリンターに紙が食い込んで質実ともに非常にロスが多かった。
夫婦喧嘩を喋る鏡が解決する話。意味不明だがある程度の「世界」は作れた。
拙作にしては強いテーマ性を持っているので描いてて楽しかった。
でも、楽しいだけじゃいけない、もっと苦しまなければと思う今日この頃。

 

  人 物
 荻原哲人(35)会社員
 (鏡)
 荻原香織(33)その妻
 荻原タケシ(5)その子
 山口響子(38)香織の友人
 山口竜彦(40)響子の夫
 山口ツトム(5)響子の子
 石和佐和(23)ホステス
 貝原順也(29)荻原の後輩
 木下晴彦(45)荻原の上司
 橋詰輝夫(55)荻原の上司
 菅平鬼怒子(44)東京電素工業課長
 フランツ(40)エクセレント社課長 
 ローズ(36)フランツの部下
 大沢(40)警備員
 嶋田(20)警備員
 松山(28)
 キャバクラ店長
 その他

 

  あらすじ
「笑えばいいことあるさ」
 これは笑顔の力、その重要さを思い知った一人の男の物語。
 
 荻原哲人は会社員。妻子あり。一見普通の家庭のようだが先日、ちょっとすった
もんだがあった。原因は些細なことだったのだが妻は夫と子供を置いて家を
飛び出してしまう。
 哲人は精神的ショックで仕事が手につかなくなり営業を外されて途方に暮れる毎日。
だがその時に不思議なことが起こる。鏡の中の自分が話し掛けて来るのだ。
 鏡の中の哲人は難しいことや意味不明なことを語るが一貫してることは
「笑え」ということ。
「笑えばいいことあるさ」
 その言葉通りに笑顔を絶やさなかった哲人は仕事も復調し、好意を寄せてくれる
女性も現れる。
「これで幸せになれる」
 そう思った哲人だったが鏡の中の私はそうではなかった。
「お前一人が幸せになっても意味ないんだからな」
 五歳になる息子は父親の新恋人出現にも喜ぶが、実は両親の仲直りを最も強く
願う人物でもあった。
 息子のそんな気持ちを知ったとき、哲人は自分にとって、息子にとっての本当の
幸せとは何かを知り妻を捜し始める。
 
 妻、香織は家を飛び出して友人のところに身を寄せていた。だが長居出来る
場所ではないことはわかっていた。香織はそれまで働いた給料をそっくりそのまま
置いて出ていく。あては…哲人しかいないのだが。
 
 哲人と香織は再会した。二人には大きなためらいがあったがその二人の交わした
笑顔が全てを吹き飛ばした。
「笑えばいいことあるさ」
 これからも苦難が決してないとはいえない人生。辛い時こそ笑って乗り切ろうと
決心した哲人であった。
 不況がなんだ。
 リストラがなんだ。
 笑ってりゃいいことあるんだから。
 きっと。

 

○××神社・境内
   観光スポットの一つ。観光客らで賑わっている。そして幼稚園児と
      その父母の一行が歩いている。その中に荻原タケシと香織、
   山口ツトムと響子の姿も。
   だが香織だけがけだるそうに歩いている。
   やがて自由時間になりそれぞれが散らばる。香織は椅子に座って煙草を一服。
   タケシは売店の方に走り何やら物色している。
○同・売店
   御守を物色するタケシ。
タケシ「これ下さい」
   売店の女性は御守を包みながら、
女性「(ニヤニヤ)がんばってよ。坊や」
タケシ「?」
女性「これ、すっごく効くから」
タケシ「(笑顔で頷く)」
 
○走るバス
   野原に囲まれた道を走るバス。
   車内から子供達の歌声が聞こえてくる。
 
○同・車内
   座席には園児と父兄たち。
   タケシとツトムが並んで座っている。 
   後方の座席には香織と響子。響子は寝息を立て、
   香織は物憂げに窓の外を見ている。
   タケシは御守の包みを握り締めている。
ツトム「おい」
タケシ「…」
ツトム「おい」
タケシ「?」
ツトム「その後どうなんだよ」
タケシ「何が?」
ツトム「何が、ってお前ん家のことだよ」
タケシ「ああ、いつもとおんなじ。パパとママ殆ど口利かないしさ」
ツトム「そっか。そういうのを『家庭不和』って言うらしいんだよ」
タケシ「カテイフワ?」
ツトム「うん。こないだテレビの相談コーナーで言ってた。ちょうどタケシん家
 みたいだな、って思ってさ」
タケシ「ふぅん。そっかぁ」
ツトム「何でも父親と母親がちゃんと機能していないから起こるらしいぞ」
タケシ「キノウ、って?」
ツトム「役割を果たすみたいな感じかな」
タケシ「ふぅん。ツトムくんってものしりだね。でもさ…」
ツトム「ん?」
タケシ「うちとツトムの家ってどう違うの?ツトムん家はカテイフワじゃないの?」
ツトム「うん違うと思う」
タケシ「何?何がどう違うの?」
ツトム「言えないよ」
タケシ「どうして?ねえ、どうして?教えてよ!」
ツトム「分かった分かった」
   ツトム、周囲を確認して、
ツトム「チューだよ。俺ん家のパパとママは仲がいいんだ。しょっちゅうチューしてる」
タケシ「うちだってさ!…ないや。あ、そうだずーっと前、夜起きたときに犬みたいに
 …(頭を振る)あれも夢だ、絶対」
ツトム「?」
   ツトム、タケシの手を見て、
ツトム「お前、何持ってんだ?」
タケシ「何でもないよ」
ツトム「見せろよ。さっきこっそり何か買ってただろ?俺、ちゃんと見てたんだから」
タケシ「ダメだってば」
ツトム「(奪い)何だこりゃ?」
   『縁結びの御守』
タケシ「うちのパパとママがさ…」
ツトム「(笑う)」
タケシ「何がおかしいの?」
ツトム「バッカだなあ。そういう時は家内安全って御守を買うんだぞ」
タケシ「いいじゃんか、別に」
ツトム「ダメだよ」
タケシ「いいんだよ!」
   タケシ、ツトムと取っ組み合いのケンカ。周りの父兄や先生が止めに入る。
 
○荻原家・全景
   住宅街の一軒家。
 
○同・居間
   朝の食事風景。荻原哲人、香織、タケシ、それぞれバラバラなものを
   食べている。タケシは額に絆創膏。
   周囲の冷めた雰囲気を察してかタケシの表情も暗い。
荻原「おい、タケシ、どうしたんだ?ケンカしたのか?」
タケシ「(頷く)」
荻原「お、なかなかやるなあ。相手は、あの花屋の子か?」
タケシ「(頷く)」
香織「ったく、誰に似たのかしら」
荻原「…そっか、いいぞ、ケンカはな、ネチネチやるんじゃなくてカラッと」
香織「実践して欲しいわね、そういうの」
荻原「…」
香織「タケシ、ああいうのはやめてよね。みっともないんだから」
タケシ「…」
荻原「…行ってくる」
   荻原食器を洗って出ていく。
   香織はテレビを観ている。
タケシ「…」
 
○ダイヤモンド商事・全景(夜)
   オフィス街の中層ビル。
   窓の一箇所だけ明かりが見える。
 
○同社・警備室(夜)
   地下の一室。
   時計は零時を回っている。
   嶋田が戻ってくる。
   大沢はお茶を飲んでいる。
大沢「どうだった」
嶋田「(頭を振る)」
大沢「そうか」
嶋田「ったく、毎晩毎晩あそこまでよくやるよ。俺には経験ないけどサラリーマンって
 そんなに楽しいもんなんすかね」
大沢「まあそんなに熱くなるな。確かに、あのあんちゃんの年頃が仕事が一番、
 面白いんだよ。ある程度責任が与えられて、それでもある程度は自由に動き
 回れる。一番燃える頃さ」
嶋田「おっちゃん」
大沢「俺もそうだったよ。でもな、落とし穴もある」
嶋田「落とし穴?」
大沢「家庭を顧みないんだよ。特にああいうタイプはな。お前も気をつけろ」
嶋田「俺は大丈夫っすよ!」
大沢「(笑う)どうかな」
 
○同社・営業第一課(夜)
   机に向かう荻原。机上には資料などが散乱し、それでもスペースを作っては
   新たなファイルを広げ、熱心に見入りながらデータをパソコンに打ち込んでいく。
荻原「(ため息)」
 
○荻原家・全景(夜)
 
○同家・居間(夜)
   くわえ煙草のまま電話線を繋いだノートパソコンに見入っている香織。
   パジャマ姿のタケシ。御守を握り締めている。
タケシ「ママ」
   机上にはみかん。
タケシ「あのさ、ツトム君がママの焼きそばおいしかったって言ってたよ」
香織「そう」
タケシ「また作って…」
香織「もう寝なさい」
タケシ「パパは?」
香織「(ため息)さあね」
タケシ「…ねえママ、ママはパパのこと」
香織「寝なさい!」
タケシ「…」
 
○同家・子供部屋(夜)
   タケシ、御守を投げ捨てて布団に潜り込む。
 
○同家・居間(夜)
   パソコンに向かう香織。
香織「(ため息)マッチョ君、そんなこといっちゃって。うまいんだから」

 

    パソコンの画面。
マッチョ>みかんさん、実はキレイな人でしょ?
みかん>どうして?
マッチョ>文字だけでも分かるんだよ、そういうのは。みかんさんは絶対きれいな人
みかん>そんなことないってば。マッチョ君だってかっこいいじゃん
マッチョ>だったらいいんだけどね、彼女に逃げられないし
 
香織「え?」
 
マッチョ>逃げられたんだ、今日
みかん>え?仲がいいって言ってたじゃん
マッチョ>それが分からない。どうすればいいのか分からないよ
 
香織「おいおい」
 
みかん>元気出しなよ
マッチョ>女ってみんなそうなの?
みかん>違うってば
マッチョ>みかんさんもきっとそうなんだ
みかん>違うってば
マッチョ>どうすればいいんだよ
みかん>元気出しなよ
マッチョ>このままじゃ女性不信になっちゃうよ
みかん>元気出しなよ
マッチョ>じゃあ、慰めてよ
みかん>いいよ
マッチョ>逢ってくれる?
 
香織「え?」
 
みかん>え?
マッチョ>今度、オフ会があるんだ。それに来てくれる?二人きりじゃないから
 大丈夫。安心して。
みかん>いつ?
マッチョ>明日
 
香織「え?明日?」
 
みかん>明日?
マッチョ>そう、ハチ公前に一時。赤いバラ持って待ってるから
 
   荻原が帰宅。
荻原「ただいま」
   慌ててパソコンの電源を切る香織。
荻原「何だ?」
香織「何でも」
荻原「電話、ずっと話し中だったぞ」
香織「別にいいでしょ」
荻原「そんな答えかたないだろ。もしも、もしも俺が帰りに事故に逢ったらどうする
 んだ。連絡つかないだろ」
香織「あなたは強運だからそんなことないって」
   香織、ラップに包まれた夕飯を出す。
荻原「ほら見ろ、今日は寒いから帰ったらすぐに温かい飯が食えるようにって
 電話したんだ。だけど電話は繋がらないし」
香織「勝手な人」
   香織、部屋を出ようとする。
荻原「おい、勺ぐらいやれよ」
香織「勝手にどうぞ」
荻原「俺は疲れてるんだぞ」
香織「あ、そう」
荻原「遊んで行ってるんじゃないんだぞ、仕事してんだぞ」
香織「だからどうしたの?仕事すればえらいの?いいね、男って家の事も考えず、
 ただただ仕事だけすればそれでえらいんだから。いいわね、うらやましいわ」
荻原「お前のためにやってるんだぞ」
香織「結構です!」
   部屋を出ていく香織。
 
○同家・全景
 
○同家・居間
   新聞を読んでいる荻原。
   荻原の目を盗むように歩く香織。
   荻原は見て見ぬふり。
   香織が出かけるとそっと立ち上がる。
 
○住宅街
   香織の後を電信柱に隠れるように尾行する荻原。
 
○渋谷駅・ホーム
   香織が滑り込んできた電車に乗る。物陰に隠れていた荻原も別車両に。
 
○渋谷・ハチ公前
   混雑。
   香織がやってきて周囲を見渡す。
香織「バラの花、バラの花…」
   だが、バラの花を持っているのはやせ細ったサラリーマン風の男、松山だけ。
   香織、松山に歩み寄り、
香織「あの…、マッチョ君の…」
松山「ええ、そうです」
   松山は異様に暗い。
香織「やっぱり。マッチョ君、バラの花持ってるって言ってたけどオフ会の目印
 だったんだ。他には?」
   香織が周囲を見渡すといきなり肩をつかまれる。
   荻原。
香織「あなた!」
荻原「何だよ、お前、こんなところで何してんだよ」
香織「あなたこそ何よ」
荻原「俺はお前に聞いてんだ、え?この男と何しようとしてんだ」
香織「何だっていいじゃない。彼はただのお友達よ」
荻原「彼って言ったな、お前、この男のこと、彼って言ったな」
香織「バカ、誤解するのもいい加減にしてよ。私はね、オフ会に行くの」
荻原「オフ会?」
香織「そうよ、ネット仲間の集まり。別にやましいことをするわけじゃないし、
 いいじゃない」
荻原「お前!そんな仮面舞踏会みたいなまねしやがって」
香織「たまには息抜きさせてよ」
荻原「息抜きだと?俺はなあ、汗水たらして」
香織「あなたは仕事が恋人なのよ。じゃないとあんなに働かないでしょ。バカみたいに」
荻原「何だと!」
松山「行きましょうか、みかんさん。時間ですよ」
香織「(頷く)」
荻原「待て!」
   荻原が香織の肩を掴もうとするとはじき飛ばされる。松山の鉄拳。
香織「?」
松山「こんな男、ほっときましょう」
   松山は香織は少し進んで路駐してあるRV車のところへ。
松山「さあ、乗ってください」
香織「待って。あなたがマッチョ君?」
松山「はい」
香織「ちょ、ちょっと、あとの人は?」
松山「ドタキャンが多くて今日は二人だけになりました。さ、乗ってください」
   荻原が血を流しながら歩いてくる。
荻原「待て!香織!待て!」
   躊躇している様子の香織だが、思いきって車に乗り込む。
   走りだす車。
荻原「おぼえてろ!」
   荻原はその場に崩れる。
   そこに軽トラックが横付け「山口生花店」とある。
   車から降りてくる山口竜彦、荻原に駆け寄ってくる。
山口「テッちゃん!テッちゃん!」
 
○荻原家・全景(夕)
 
○同家・キッチン(夕)
   インスタントやきそばを調理して皿に盛る荻原。食卓にはタケシ。
タケシ「ねえ、ママは?」
荻原「ほらタケシ、出来上がりだ」
タケシ「どこ行ったの?」
荻原「ちゃんと残さず食うんだぞ」
タケシ「ねえ、ママは?」
荻原「いいから食べなさい」
   タケシ、一口麺をすするが、
タケシ「げっ、まず…」
荻原「好き嫌いせずにちゃんと食べなさい」
タケシ「ねえ、ママはどこ行ったの?ねえ、教えてよパパ!」
荻原「いいから食えよ!」
   タケシ、泣きだす。
   荻原、苦悩の表情。
 
○カラオケボックス・全景
   駐車場に松山のRV車。
 
○同・客室内
   一昔前のフォークソングを熱唱する松山。それを気分悪そうに聞き入る香織。
   松山、歌い終わると、
松山「みかんさんも歌いなよ」
香織「うん」
   といいつつ香織が曲を選んでいると、
松山「じゃあ、その間にもう一曲」
   松山は決してマイクを離さない。
 
○荻原家・前(夜)
   RV車が停車。
 
○RV車(夜)
   香織、降り際に、
香織「じゃあ、ありがとね。またネットで逢いましょ」
   松山、唾を飲み込んで、
松山「う、うん」
   松山、香織に抱きつこうとするのを払うようにして出ていく。
香織「じゃあね」
 
○荻原家・玄関(夜)
   そっと入ってくる香織。
 
○同家・寝室(夜)
   タケシが眠っている。
   時計は午前一時をまわっている。
   部屋の脇にはトランク。
   タケシの寝顔を見てホッとする香織だが中から荻原。
荻原「起こすなよ。今さっき寝ついたとこだから」
香織「…」
荻原「どういうつもりだ」
香織「…」
荻原「お前のやったこと、どういうことだか分かってるんだろうな」
香織「…」
荻原「あんな男のどこがいいのか。このふしだらなやつめ」
香織「やましいことはしてないよ。今までカラオケボックスであの男の曲を
 さんざん聞かされて…」
荻原「もういい」
香織「あなたが信じてくれるわけないか」
   暫しの沈黙。
荻原「出てってくれ。荷物はまとめてある」
香織「え?」
荻原「ああいうのはもう許せない」
   香織、暫く考えて、
香織「そっか」
   香織、寝室の中に入っていこうとするが、
荻原「触るな」
   香織の動きが止まる。
荻原「タケシは春から小学生だ。女親とはいえお前に引き摺りまわされるのも
 可愛そうだしな。お前のことは俺から適当に言っておくから安心しろ」
香織「…適当に、ね」
   香織、荷物を持って出ていく。
   玄関のドアが閉じられる音。
   荻原、トボトボと歩いていく。
 
○同家・前(夜)
   トランクを持った香織が出てくる。
   門の前にはRV車。運転席で松山がにこやかに手を振っている。
 
○RV車(夜)
   助手席に香織が座る。
松山「やっぱり戻ってきてくれたんだ」
   香織、呆れている。
松山「どうする?何か食べる?それとももう一軒行く?」
香織「車を出して」
松山「じゃあね、どこにしようかな…」
香織「いいから!出して!」
 
○荻原家・居間(夜)
   缶ビールを一気飲みする荻原。缶を投げ捨て次のを手にする。
   部屋の壁には鏡。
   荻原、鏡に映った自分の顔を見る。
   情けない顔。
荻原「くそっ…」
   荻原の表情が段々と怒りに満ちてくる。
   そして、握り締めた缶からビールが溢れだす。
荻原「くそーっ!」
   鏡に缶を投げつける荻原、鏡は粉々に砕け、その一枚一枚に荻原の顔が映る。    怒った顔、悲しい顔、笑顔。しかし笑顔の映った鏡だけが消え情けない顔の
   荻原が映った鏡だけが辺りに散らばる。
 
○メインタイトル
 
○東京電素工業・全景
 
○同社・会議室
   貝原順也、木下晴彦。そして恰幅のいい菅平鬼怒子。
鬼怒子「ダメだわ、こりゃ」
   目を通していた書類を机の上に放り投げる鬼怒子。
鬼怒子「もっと安くならないの?こういうのはコストダウンのうちに入らないわよ」
木下「そう言われても、我々は…」
鬼怒子「やりようならいくらでもあるでしょ。設計を変えたりとか。設変の費用は
 ちゃんと払うって言ってるじゃない。結果的に単価を下げればいいんだから」
貝原「そうはおっしゃいますが…」
木下「わが社は直接工場を持っていないものでそこまでは口出し出来ないんです」
鬼怒子「板ばさみなのは分かるけどそれは言い訳よ。私だって仕事に家事に
 育児に挟まってぎゅうぎゅう。身も細りそうな思いで日々過ごしてるのよ」
   貝原と木下、目を合わせる。
鬼怒子「ちょっと、辛気臭い顔してるんじゃないわよ。こういう部品を売り込む会社は
 他にも沢山あるんだから安心してちゃダメよ。ダマってて済む問題じゃないん
 だから。世の中、弱肉強食の世界なのよ。そういうのはあなた方のほうがよく
 ご存知のはず」
   俯く貝原、木下。
鬼怒子「ちょっと、元気だしてよ。いい?今の時代、女が度胸、男は愛嬌なのよ。
 スマイル、スマイル。愛嬌がなきゃ男の価値なんかないんだから。ほら、
 笑って、笑って」
   無理矢理笑みを浮かべる貝原、木下。
鬼怒子「ったく、何なのよその顔は。歯がヤニだらけじゃない。顔は脂ぎってて。
 レディー相手に商売してるのに自覚がないのよ。自覚が」
   貝原と木下、目を合わせる。
鬼怒子「何?」
貝原・木下「いえ」
 
○同社・正門
   肩を落とす貝原、木下。
貝原「噂どおり名うての担当でしたね。さすが業者キラーの異名を取るだけのことは
 あります」
木下「別名、ミス・コストカッター。関心してる場合じゃないぞ。対策を考えなきゃ
 本当に切られる」
貝原「大幅なコストダウンをやりましょう。工場側に大胆なリストラを促すとか」
木下「口じゃ何とでも言えるんだけどな。結局は消費者に一番近い会社が
 強いんだよ。我々中間に入る会社ってのはな、コストダウンという名のもとに
 お互い身をすり減らしてるだけ」
貝原「じゃあ…」
木下「笑顔の練習でもしとけ」
木下「(立ち止まり)電話、持ってるか?」
貝原「ええ」
   貝原、携帯電話を渡す。
   木下は慣れない手つきで操作。
貝原「会社にですか?」
木下「今日は荻原の初日だからな」
貝原「ああ、荻原さんですか」
木下「受け入れる経理課のほうも心配だろうけど送り出すほうもそれなりに
 心配だからな、これも親心」
貝原「荻原さん、私が入った頃はバリバリにやってたのに。人ってあんなに
 変わっちゃうもんなんですね。でもどうして…」
木下「かみさんに逃げられたんだよ」
貝原「え?」
木下「あいつ、仕事に熱入れすぎてたからな。家庭を顧みないサラリーマンの
 なれの果てだ。明日はわが身、くわばらくわばら。お前も気をつけろよ」
貝原「はあ…」
木下「その上タイミングよくデカい顧客にフラれて。最悪の盆と正月が一緒に
 来たようなもんだからな。ああなるのも仕方ないさ …あ、もしもし木下だが」
 
○ダイヤモンド商事・全景
 
○同社・営業第一課
   社員はまばら。
   女性社員がマニキュアを塗りながらけだるそうな声で通話。
社員「荻原さんですかぁ?まだ来てませんよぉ。連絡もないし」
 
○荻原家・前
タケシ(声)「パパーっ!」
 
○同・子供部屋
   タケシ、苦労して洋服を着る。
タケシ(声)「パパーっ!朝ごはん作って!」
   ポケットの中に御守を発見。
   タケシ、御守を握り締めて、
タケシ「ママが帰ってきますように…ママが帰って来ますように…」
   タケシ、立ち上がり、
タケシ「パパーっ!」
   握られた御守が僅かに光る。
 
○同・洗面所
   洗面器に顔をつけている荻原、口からあぶく。その量は少しづつ増えて、
荻原「ぷはーっ」
タケシ(声)「パパ、パパ、早く」
   荻原、鏡を見る。情けない表情。笑おうにも上手く笑えない。
タケシ(声)「パパーっ!」
   荻原、去る。
   ところが鏡の中には荻原の残像。
 
○同家・キッチン
   制服姿のタケシが食卓に座っている。
   即席焼きそばを皿に盛る荻原。
荻原「お待たせ」
タケシ「(麺をすすり)おいしくない」
荻原「好き嫌いはいけないぞ」
タケシ「ママの焼きそばが食べたい。ママのじゃないとやだ」
荻原「タケシ」
タケシ「ママのじゃないとやだ、やだ」
荻原「タケシ、ママのことはもう言うな」
タケシ「だって」
荻原「焼きそば、今パパは修行中だ。忍者だって修行しないと忍術使えないだろ?」
タケシ「(渋々頷く)」
荻原「そのうちママに負けないようなおいしいの作ってやるから、ママのことは
 もう言うな」
タケシ「ママ、どこ行ったの?」
萩原「ああ、ママはお出かけ中だ」
タケシ「もうずっと帰って来ないよ。ねえ、どこ行ったの、ねえ」
萩原「ママは遠くの方にいった」
タケシ「遠くのほう?」
萩原「ああ」
タケシ「大宮とか?」
萩原「もっと遠くだ」
タケシ「日光?」
萩原「う〜ん、もっともっと遠く」
タケシ「M78星雲?」
萩原「うん、その辺だ。だから気にするな」
タケシ「…ママ、死んじゃったの?」
萩原「変なことを言うな」
タケシ「パパが行き先をあやふやに言ったときは死んだ線を疑えって」
萩原「誰が」
タケシ「ツトムくん」
萩原「お前、花屋のガキにも話したのか」
タケシ「うん」
   萩原、頭を抱えて、
萩原「ママはちゃんと生きてるよ」
タケシ「じゃあ、なんでどっかに行っちゃったの?ねえ、ねえ!」
萩原「分かった分かった。ママはな、悪い男の人にだまされて…」
ツトム(声)「ターケーシーくん」
タケシ「ツトムくんだ!いってきまーす!」
   ツトム、去る。
   ツトムの御守が光る。
タケシ「ん?」
   タケシは一瞬立ち止まるもそのまま走り去る。
荻原「く、くそっ、あいつめ」
   荻原嗚咽を漏らし走り去る。
 
○同家・洗面所
   顔を洗う荻原、鏡に映る自分を見つめる。情けない表情。
   顔をしかめ、頬を叩いて出ていく荻原。だが荻原が消えた後も鏡には
   残像が残る。
荻原「!」
   鏡の中の荻原が喋りだす。
鏡「あ〜あ、やっちゃった」
荻原「?」
鏡「驚かれても困るんだけどなあ」
荻原「お、お前は誰だ」
鏡「分かんない?この前歯の隙間。荒れ放題の唇。目の下のホクロ」
荻原「俺じゃないか。何だ…俺が写ってるだけじゃないか。驚かせるなよ…あ!
 俺が喋ってるじゃないか。俺は喋ってないのに俺が喋ってる…」
鏡「勝手に混乱しないでくれる?タネまいといてそりゃないんじゃない?」
荻原「タネ、何だそりゃ、タネって言われても俺は手品なんかできないし。え?
 なんで手品?」
鏡「だから!あんまり混乱しないでくれる?いい?あんたが鏡の前でこーんな
 顔してたからいけないの」
   鏡の顔、悲しそう。
鏡「んでもって鏡にこの顔が乗り移っちゃったわけ」
荻原「じゃあ、幽霊…」
鏡「化け物扱いは困るんだけどなあ…あんたがそれで納得するんなら、
 いいよいいよ、特別」
   荻原、手で顔を覆い悲鳴を上げる。
   隣の部屋から電話の呼出音。
   荻原、恐る恐る手をどけると鏡はもとのまま。
荻原「(呆気にとられる)」
 
○ダイヤモンド商事・全景
 
○同社・経理課
   荻原が雨だれ式にパソコンのキーボードを叩く。あまりにものろい。
   男性社員A。
社員A「ちょっと、萩原さん、時間かかり過ぎですよ。ナメクジの世界旅行じゃないん
 ですから」
荻原「あ、ああ、そう言われても」
社員A「ったく、しょうがないですね。荻原さん、バリバリの営業マンって聞いてたから
 パソコンなんかもちゃんと使えるのかと思いましたよ」
荻原「パソコン使わなくても営業はで、き、る、の、よし…次は…」
   荻原、指を迷わせている。
   暫くするとモニターの画面が切り替わる。画面上に舞う花びら。
荻原「うぁ…何だこりゃ」
社員A「こんなんも知らないんですか?これはスクリーンセーバーって言うんです。
 ほら、ずっと同じ絵だと画面が焼き付いちゃう、画面焼けって現象が起こるから、
 それの予防」
荻原「何だ、早く教えてくれよ」
社員A「荻原さん、何にも知らないんですね。今時パソコンくらい出来ないと。
 今やインターネットで結婚相手とか見つかる時代ですよ」
   荻原の表情が次第に暗くなる。
社員A「ネット上の掲示板とか、チャットを通じて恋人になるケースなんかざら
 なんですから」
荻原「もう!勘弁してくれよ!」
   嗚咽を漏らしながら走り去る荻原。
   社員Aが呆気にとられていると周囲の社員らが、
社員B「それ、タイムリーすぎるよ」
社員A「え?」
社員C「あいつのかみさん、ネットで知り合った男とかけおちしたんだぜ」
社員A「え?」
社員B「かわいそうに、顔面デッドボール」
 
○同社・洗面所
   顔を洗う荻原。ひどく悲しげな表情。
荻原「ちくしょう…ちくしょう!」
   と、鏡の自分が勝手に喋りはじめる。
鏡「あ〜あ」
荻原「あ!」
鏡「またやっちゃったな。あんたここでもいつもこ〜んな顔してるだろ」
   鏡の顔、悲しげな表情。
鏡「この鏡にも乗り移っちゃったの。これ二ヶ所じゃとどまらないな。増殖しまくり。
 まさに種馬状態…」
荻原「画面焼けだ!」
鏡「は?」
荻原「画面焼け、あんた、それで現れたんだろ?」
鏡「まあ、そう考えてもいいけどさ」
   荻原、顔を移動させまくる。
鏡「何やってんだ」
荻原「顔を動かして顔が鏡に焼きつかないようにする。これ、人間スクリーンセーバー」
鏡「ばーか。そんなことをしても無駄。俺を消す方法は、いいか、よーく考えてみろよ。
 まず、俺の顔が鉛筆で書かれていたとする。そうすると消すにはどうすればいい?」
荻原「消しゴム、使えばいいんだろ」
鏡「そう。じゃあ、あんたの悲しい悲しいこーんな顔を消すにはどうすればいい?」
荻原「消しゴム!じゃあ消えないなあ…」
鏡「塩辛い食べ物を甘くするには砂糖、白い色を暗くするには黒い絵の具」
荻原「笑え…ってこと?」
鏡「正解。笑え。笑えば俺は消えられる」
荻原「(笑顔。しかし固い)」
鏡「ダメダメ、そんなんじゃ。もっと心から笑って。ほら、モア、スマイル!」
荻原「(笑顔)」
鏡「モア、スマイルスマイル!」
荻原「(満面の笑顔)」
鏡「いいぞ、いいぞ、その調子!」
荻原「(笑顔!)」
鏡「よし、そこでウィットな会話でもしようものなら…」
荻原「う、ウィット?」
鏡「ジョークだよ。軽いジョーク」
荻原「(思案)ふ、ふとんが…」
鏡「(呆れる)吹っ飛んだ。バーカ」
荻原「?」
鏡「それはダジャレ。センスねえなあ(ため息)」
荻原「…」
   突然、背後から他の社員がやってくる。
   社員、不審そう。
   鏡はもとに戻っている。
   荻原、バツが悪そうに出ていく。
 
○山口生花店・全景
 
○同・店内
   響子が作業をしている。
   そこに一人の客。
響子「いらっしゃ…香織!」
   入ってきたのは香織。
   香織は片手を上げて合図。
響子「ちょっとあんた、今まで何してたのよ。駅前であんな派手なことしでかして」
香織「バレてたか」
響子「うちの人がテッちゃんの介抱したんだからね。で、どうなったのよ」
香織「何が?」
響子「男よ。かけおちした男」
   香織、笑いながら、
香織「(笑い)かけおち?冗談じゃないよ。あんなカラオケ男と寝るくらいなら
 死んだほうがマシ」
響子「そんあこと言って。私は信じないからね」
香織「駅まで送ってもらっておしまい。あと は実家にこもってテツは海外出張だの
 いろいろ嘘でつないで…で、もうネタがなくなっちゃったから」
響子「だったら早く戻りなさい。そういうのは湯気が出てるうちに謝れば随分違うわよ」
香織「ねえ」
響子「タケシ君も本当のこと知らないみたいだし今のうち」
香織「あのさ」
響子「ダメ。道草食ってるヒマあったらさっさと帰りなさいってば」
   店の奥から山口。
山口「いいじゃないか」
響子「あなた」
山口「物事には冷却期間ってのが必要な時もあるし。いきなり家に帰るよりは
 一週間ぐらい様子見た方がいいんじゃないの。ほら、うちも連休後から忙しくなる
 からちょっとだけ手伝ってもらおうよ」
香織「(笑顔)ありがとうございます」
山口「香織ちゃん、笑ってる場合じゃないんだよ。その代わり、一週間でちゃんと
 話をつけること、いいね」
   香織、渋々頷く。
   そこにランドセルを背負ったツトムが帰ってくる。
ツトム「ただいま!」
香織「!(顔を背ける)」
響子「おかえり。学校どうだった?」
ツトム「後で。これからタケシ君と遊ぶんだ。あれ、このおばちゃん誰?」
香織「おばちゃん…」
響子「あら、ツトムには教えてなかったかsiら。母の日が近いから少しだけ
 手伝ってもらうのよ…山田さん。住み込みでね」
香織「(顔を隠して)よ、よろしくね」
ツトム「(怪訝)ふーん」
   ツトムはランドセルを放り投げて走り去る。
   背中越しにツトムを見送る香織。
 
○荻原家・全景(夕)
タケシ(声)「ただいま!」
 
○同家・キッチン(夕)
   鍋をボーッと見つめる荻原。
   タケシが入ってくる。
荻原「おかえり」
タケシ「やきそば?」
   タケシ、背伸びして鍋の中を覗き込む。
   湯の中で麺が踊っている。
タケシ「ちぇっ、うどんかあ」
   タケシ、去る。
荻原「あ、待て、タケシ、すぐご飯だぞ」
   電話が鳴る。荻原受話器を取る。
   相手は香織の母。
荻原「もしもし。あ、お義母さん」
母(声)「こんばんは。お元気」
荻原「はい。お母さんこそ」
母(声)「ありがとね」
荻原・母(声)「ところで…」
   荻原、沈黙。
母(声)「いいかしら?海外出張、どうでした?」
荻原「え?」
母(声)「香織がそう言ってたから。あら、哲人さんが出張するから帰って来たって
 言ってたけど。香織」
荻原「え?ええ、まあ。あ、そうですね。海外出張だったんですよ」
母(声)「それならいいんだけどね、何か香織、とても落ち込んでたから」
荻原「ああ、きっと寂しかったんだな」
母(声)「そうね。相変わらず仲がいいのね。じゃあ香織に代わってくださる?」
荻原「え?」
母(声)「香織。まだ帰ってないの?」
荻原「あ、ああ、帰ってきて、また外出したみたいです。帰ったら電話するよう
 言っときます」
母(声)「よろしくね」
   受話器を置く荻原、自然と笑みがこぼれる。
   冷蔵庫の扉にくっついている小さな鏡。
鏡「ほーらその顔その顔。なかなかいいよぉ」
荻原「お前」
鏡「どうやら鏡なら全部大丈夫なようだ。これで四六時中監視出来るな」
荻原「やめてくれよ。ちゃんと笑ってるだろ」
鏡「ただ笑うだけじゃだめだって言ってるだろ?心で笑うんだ。さっきのお前の顔、
 なかなかよかったぞ。今のはかみさんが男とかけおちしてなかったからホッとした
 顔か?」
荻原「そんなんじゃない」
鏡「うそつけ」
荻原「うるさいなあ」
鏡「探しに行かなくていいのか?」
荻原「何を」
鏡「かみさんだよ。すみませんでしたって舌出してヘーコラ帰ってくる女じゃないだろ」
荻原「ほっときゃいいんだよ」
鏡「だったら帰ってこないぜ、絶対に。大体あんたにだって責任があるんだから…」
荻原「うるさいなあ。俺は許せないの、ああいう女は」
鏡「そういうところがバカなんだよなあ。自分のものさしで物事を全部測れるもんじゃ
 ないんだぞ」
荻原「うるさいんだよ」
   荻原、鏡を叩き割る。
荻原「…」
 
○電話ボックス(夜)
   誰もいない空間。
   ゆっくりと扉が開き香織が入ってくる。
   (香織はツトムに気付かれないように派手なメガネと付け毛で変装)
   香織、テレホンカードを入れボタンを押すが途中で手が止まる。
   暫くして再び受話器を上げボタンを押すが最後の一つが押せない。
   フックを下げる。
   ピピーッ、ピピーッ、ピピーッ。
   香織、ため息。
 
○荻原家・寝室(夜)
   布団に入る荻原。タケシは眠っている。
   荻原は目を見開いたまま。
   時計を見る荻原。深夜二時を回っているのが分かると表情を険しくして
   布団に潜り込む。
   時計の秒針だけが響く。
 
○ダイヤモンド商事・全景
 
○同社・洗面所
   顔を洗う荻原。髪までずぶ濡れ。情けない顔。
   鏡。
鏡「おいおい、なんだよその顔は」
荻原「うるさいなあ」
鏡「せっかくいい線行ってたのによ、まーたふりだしに戻ってら。だから捜しに
 行けって言ったのによ」
荻原「何であんたに言われなきゃなんないんだよ。まったく、さっさと消えちまえ」
鏡「だったら笑いなよ。笑えばいいんだよ。心から笑えば俺は消えれるんだからさ。
 ほら、さっさと笑えよ、ほら!」
   荻原、うまく笑えない。
荻原「いいんだよ、俺なんか。ほっといてくれ」
鏡「ったくよ、一人になるとグチグチ文句たれるくせによ。ほら、五木ひろしなんかは
  疲れてても辛くても絶対弱音吐かないって言うぜ」
荻原「俺は演歌歌手じゃない」
鏡「とにかく笑やぁいいんだよ。ほら、笑う門には…って言うだろ?人間、笑うと
 いいことがあるんだよ。医学的にも血流が良くなったり、幸せだって錯覚まで
 するんだぜ」
   荻原、全く聞き入ることなく手を洗っている。
鏡「この野郎!」
荻原「あ…」
   荻原の顔が笑っている。満面の笑み。
荻原「おい、何やったんだ?」
鏡「お前の顔を笑顔で固定した。心からでなくとも笑うとどういうことになるか
 思い知れ」
   鏡、消える。もとの荻原に。
荻原「おい待ってくれよ、困るよこんなの!」
   荻原は笑顔のまま。
 
○同社・会議室・前
   「営業戦略会議」とある。
 
○同・中
   貝原、木下ら数人の社員がいる。正面に橋詰輝夫。
橋詰「では、第三四半期の東京電素工業向け強磁界スイッチの出荷状況に
 ついて、木下くん。木下くん」
   木下、手鏡で笑顔の練習。
橋詰「木下くん!」
 
○同社・廊下
   貝原と木下が歩いている。二人とも疲れ果てた表情。
   背後から橋詰。
橋詰「木下くん!」
木下「本部長」
橋詰「どうしたんだ。君たち最近おかしいぞ。さっきの報告も全く形になって
 いなかったじゃないか」
   目を合わせる木下、貝原。
木下「それが…」
橋詰「電素向け部品のコストダウンの件か?二割引いてもまだダメなのか?」
貝原「こういうのはコストダウンじゃないって言うんです」
木下「(ため息)」
橋詰「何か方策はないのか?工場側にコストダウンを迫るとか」
木下「それも要求しました。設計変更、歩留まりの改善。送料の節約のため
 工場からの直送、が出来るようにもしました」
橋詰「上等じゃないか。それだけのことをすれば…」
貝原「ダメだと思いますよ」
橋詰「それでもダメなのか?他に方法があるだろ。考えてみろ」
   木下、貝原、目を合わせ、
木下「あります、多分」
橋詰「何だ?ロボットを使って人件費を削るか?」
木下「笑うんです」
橋詰「笑う?」
貝原「我々は電素に行くたびに菅平さんから笑え、笑えって怒られるんです」
橋詰「だったら笑えばいいだろ。笑って済むんなら全く問題ないじゃないか」
   木下、貝原、表情を暗くする。
橋詰「ダメなのか?」
貝原「我々より般若のほうがよっぽど笑ってると」
   部長、大笑い。
橋詰「失礼。だったら笑顔の素敵なやつを回せばいいだろ?ミス・コストカッターの
 お眼鏡に叶うような」
木下「それが…」
貝原「独自にリストアップをしては見たんですが…」
橋詰「そうか…」
   橋詰も笑ってみる。
   と、三人の目の前を通り過ぎる荻原、荻原の顔は笑ったまま固まっている。
橋詰「彼はダメなのか?」
木下「はぁ…」
   ポカンと口を開ける木下、貝原。
 
○東京電素工業・全景
 
○同社・社員食堂
   打ち合わせする社員、取引先の人々。
   一隅の机に木下、貝原と荻原。荻原は笑顔を絶やせない。
木下「いいか、仕事の件ではお前は絶対喋るな。天気がいいですね、とか
 日常会話だけ口を挟むんだ」
荻原「はい」
   一同、緊張する。鬼怒子の入場。
   鬼怒子、荻原の笑顔を見るなり表情を明るくして、
鬼怒子「まあっ!」
 
○山口生花店・前
   香織が戻ってくる。店の前には小さな自転車が二台。一台のフレームに
   名前「荻原タケシ」
香織「タケシ…」
 
○山口家・居間
   生花店の裏側。
   タケシとツトムが遊んでいる。
   物陰から覗いているのは香織。
   香織、目を細くしている。
   香織の背後から響子。
香織「きゃっ」
響子「出てって、抱きしめてあげればいいのに」
   香織、ゆっくりと頭を振る。
響子「もっと素直になりなさいよ」
香織「あの子にあわす顔ないもん。形はどうでも男と出てったのは
 間違いないんだし」
響子「タケシ君、まだ知らないんじゃないのかな。テッちゃんだってそれくらい
 気を遣うでしょ」
香織「どうだかね」
   香織、その場から去る。
 
○同家・ベランダ(夕)
   美しい夕焼け。
   香織がいる。
   背後から響子。
響子「あのさ、お願いがあるんだけど」
   響子、皿を差し出す。やきそばが盛られている。
響子「これからあの子たちに食べてもらうんだけどいいかな。この味で」
香織「え?」
響子「ツトムがあなたの家で食べたやつ、言われるままに作ってみたんだけど。
 これでいいのかな?豚バラ使ったんだけど」
   香織、一口食べて微笑む。
響子「どう?」
香織「バッチリ」
響子「そっか、よかった」
香織「でも、欲を言えば」
響子「欲を、言えば?」
香織「もうちょっと味が濃いかも」
響子「分かった。それくらいなら手直し出来る。じゃあね、ありがと。それは
 おあがって。お口に合えば、だけど」
香織「サンキュ」
   響子、去ろうとするが、
響子「幸せだよ、香織は」
香織「え?」
響子「決して手が込んでる訳じゃないけどさ、子供がちゃんと母親の味を
 覚えててくれてるんだよ。そういうの、幸せに思わないとバチが当たるよ」
   響子、階下に。
   香織はやきそばを食べる。
   涙ぐみながら。
   夕焼けを見上げながら。
 
○ダイヤモンド商事・全景
 
○同社・営業第一課
   大勢の社員。
   電話が鳴る。木下が出る。
木下「はいダイヤモンド商事です。あ、これは菅平さん。お世話になっております。
 この間の件ですがわが社として…」
   木下、元気なく、
木下「あ、荻原ですね、少々お待ち下さい」
   別の机の男性社員、
社員「荻原さ〜ん!大吉化学の能勢さんです!」
   他の社員も次々に荻原に電話を取り次ぐ。
   荻原はてんてこ舞い。
   肩を落とす木下に橋詰。
橋詰「あの男、なかなかいいじゃないか」
木下「本部長」
橋詰「まだ決定はしていないが営業の窓口を彼に集約する話があってな」
木下「え?」
橋詰「分からんのか。あの笑顔をほっとく訳にいかんだろう」
   荻原の笑顔に見とれている女性社員。
橋詰「実務は他の人間に任せるとしてだ、ようするにわが社の顔として彼に
 頑張ってもらう、そういう方針だ」
木下「(話半分)」
   そこに貝原が通りかかる。
木下「おい」
貝原「あ、木下さん」
   木下は貝原を引っ張っていく。
 
○同社・前
   木下が貝原の腕を引っ張る。
貝原「なななな、何するんですか」
木下「安心してる場合じゃないぞ」
貝原「え?」
木下「本部長の話だと荻原を営業の窓口として集約するって話だ」
貝原「え?本当ですか?じゃあ飛び込みとかもやらなくていいわけだ」
木下「お前、脳ミソあるのか?」
貝原「え?」
   貝原は頭を振ってみる。
木下「お前の仕事は何だ?」
貝原「会社員です。一応」
木下「そうじゃなくて、どんな仕事をしてるんだ?製造とか、販売とかそういう
 分類だよ」
貝原「営業です」
木下「だろ。じゃあお前がこの会社で実績を残すには何をすればいいんだ?」
貝原「営業で数字を残す。あっ、そっか」
木下「しっかりしろよ。いいか、俺達から営業の二文字を除いたらなんにも
 残らないんだ。ただのネクタイ締めたオヤジになるんだ。例えば、タイヤの
 ない車に乗れって言われたら、お前、乗るか?」
貝原「う〜ん、車種によりますね。タイヤがなくてもフェラーリだったら一度は
 乗ってみたいですし。あ、タイヤを替えれば…」
木下「やかましい。つべこべ言わずに来い」
   木下は貝原の手を引っ張っていく。
 
○山口生花店・前
   タケシがうろうろしている。
 
○同店・中
   タケシに気づく香織。
香織「タケシ…」
   背後から響子。
響子「気づいたんじゃないの?香織のこと。行ってあげたら?」
香織「そ、そんな…行けないよ…行けるわけないじゃん」
響子「そうやって、ずっと尻込みしてちゃ何にも話が進まないんだから」
香織「…ごめん」
響子「いいよいいよ。じゃあ集金に行ってきて。ゆっくりでいいからね。
 お茶飲んで来てもいいし」
 
○同・前
   ウロウロしているタケシ。
   響子が出てくる。
響子「こんにちは。どうしたの?」
タケシ「あの…」
響子「あ、ツトムはねぇ、塾行ってるよ。もうすぐ帰ってくるんじゃないのかな?
 あ、待ってる?」
   タケシ、頭を振る。
響子「何?」
タケシ「その…焼そばの作り方、教えて」
響子「え?」
タケシ「こないだの、おいしかったから」
響子「おいしかった?」
タケシ「うん」
響子「そりゃそうだよ。あれね、タケシ君のママのをお手本にしたんだから」
タケシ「ふうん…」
   タケシ、帰ろうとする。
響子「あ、待って、ちゃんと教えてあげるよ。憶えて帰って、パパに作ってあげなよ」
タケシ「…いい。ママの話するとパパ、怒る」
響子「じゃあね、こっそり作ってパパに食べさせてあげなよ。ママの話は内緒に
 してさ」
タケシ「そうすれば、ママ帰ってくる?」
響子「え…う〜ん…」
   響子が悩んでいるとツトムが帰ってくる。
ツトム「あれ?どうしたの?」
響子「ツトム、おかえり!これからね、タケシ君に焼きそばの作り方、教えてあげる
 んだけどツトムも一緒にやらない?」
ツトム「ふ〜ん。なんか未練がましいね」
響子「ちょっとツトム!」
タケシ「ミレンガマシイって何?」
ツトム「それはね…」
響子「(慌てて)そ、そんなこといいじゃない、二人とも、ほら、こっちにおいで。
 教えてあげるから」
 
○書店・店内
   絵本のコーナーの木下と貝原。
   木下は「かわいそうなぞう」を読んで泣いている。
貝原「木下さんのやつも読んだことあります」
   貝原も「だいぞうじいさんとガン」を読んで感動している。
木下「涙なしには読めないだろ」
貝原「で?」
木下「ここ、この結末が」
貝原「で?」
木下「え?」
貝原「我々は、ここに何をしに?」
木下「そうだった」
   木下は涙を拭きながら本を持ってレジに。
木下「泣かせるんだよ。荻原を」
貝原「泣かせる?」
木下「俺達が食いっぱぐれないためにはあいつの笑顔を封じ込めることだ」
貝原「なるほど!」
木下「待てよ。これだけじゃ物足りないな。もっとワーっと泣けるやつ、ないかな」
   木下走っていく。
 
○山口生花店・前
   タケシとツトムが駆けていく。
 
○同店・中
   響子と山口。
響子「ツトム!あんまり遅くならないんだよ!」
山口「なんか、せつなくなるね」
響子「(ため息)せつないってもんじゃないよ。あの子が一番の被害者だもん。
 ったく、親はあんなにのん気にしてて重罪だわ」
山口「話進んでるの?香織ちゃん」
響子「ぜーんぜん」
山口「そうか…でもあんまり長居してもらうわけにもいかないしな。うちはもともと
 アルバイトを増やすほどの余裕はないし」
響子「そうなのよね…」
   店の陰に香織。
 
○ダイヤモンド商事・営業第一課
   荻原の携帯電話が鳴る。
女性社員(声)「荻原さん、大島薬品の下地さんからお電話です」
荻原「折り返し、折り返し」
   荻原、電話に出る。電話の裏にはタケシとのプリクラ。
荻原「もしもし、あ、タケシか。何だ?」
 
○荻原家・居間
   受話器を持っているタケシ。
タケシ「…あ、あのね、今日早く帰って来れる?ううん、外で食べるんじゃなくて
 うちで食べるの。僕が作るから」
 
○ダイヤモンド商事・営業第一課
   携帯電話の荻原。
荻原「あ〜、分かった。なるべく早く帰るから。買い物はそれから行こう。
 何作るんだ?秘密?教えてくれよ(笑顔)」
 
○書店・店内
   相変わらず本を物色している木下と貝原。
木下「あ〜、これこれ」
   木下が手にしたのは「はだしのゲン」
貝原「あ、知ってます。学級文庫とかによくありましたね。思い出しただけで
 切なくなりそうです。でも、これもイケるんですよ」
   貝原、コミックを手に取る。
木下「ドラえもん?」
貝原「てんとう虫コミックス第六巻と第七巻。必見!これは泣けます(目を潤ませる)」
木下「(思案して)そうか…それも買っちゃえ!」
 
○ダイヤモンド商事・ロビー(夕)
   携帯電話片手に駆けてくる荻原。
荻原「あ、タケシか?これから帰るからごめんな、ちょこっと遅れるから
 待っててくれるか?」
   通話を終えると橋詰が現れる。
   橋詰の横にはフランツとローズ。
橋詰「荻原くん!」
荻原「本部長」
橋詰「ちょうどいいところに居てくれた。オフィスに電話したんだけど帰ったって
 言って慌てちゃったよ」
荻原「はぁ…」
橋詰「こちら、エクセレント社のフランツ氏とローズ氏。いやあ連日の打ち合わせで
 お疲れでね。彼らは明日アメリカに帰るから君にちょっと話し相手になって
 もらえればなと思って」
荻原「ちょ、ちょっと待って下さい。私は英語が話せないんですよ」
橋詰「そんなもん関係あるか。君はその笑顔が武器だろ。じゃあ、頼むよ。
 店はここだから。話は通してある」
   橋詰はメモを渡すとニヤけながら、
橋詰「本来は銀座のクラブってとこだけど今回は先方がどうしてもカジュアルに
 ってことだから、ね。よろしく頼むよ、君はわが社の顔なんだから」
荻原「(思案して)ちょっと待って下さい」
   荻原、携帯電話を取り出すが橋詰に電池を没収される。
橋詰「ほらほら、仕事とかは忘れて、さあ、行った行った」
   橋詰、荻原の背中を押す。
荻原「ほ、本部長は行かないんですか」
橋詰「あ、俺?行きたいのはヤマヤマなんだけどね、こういうのは家庭的に
 いろいろ問題があるし」
荻原「家庭的にって、私も子供との約束が…」
橋詰「いいの、いいの。若いうちだけだよ、こういうのは。さあ、行った行った。
 あ、名刺ちゃんと交換しといてくれ。名刺と接待とサービス残業は営業マンの
 勲章なんだから」
   橋詰は荻原の背中を押す。
 
○繁華街(夜)
 
○キャバクラ・店内(夜)
   ショータイム。
   ホールの端に石和佐和。佐和は荻原を見ている。
   店長。
店長「ダイヤモンド商事って知ってるか?彼はそこのエリート営業マンらしい。
 派手に金ばらまいてくれて助かるよ」
佐和「ふうん」
店長「それにしてすごい笑顔だ。ありゃホストでも充分イケるぞ」
   佐和、荻原に見とれている。
店長「さあ、行った行った清純派お嬢さん」
   佐和の背中を押す店長。
   荻原は笑顔でも時間を気にしている。
   荻原とフランツ、ローズは大はしゃぎ。
フランツ「ニッポンノブンカ、ダイスキ」
ローズ「オオ、アスヘノカツリョク」
荻原「…ばかじゃん。いい気になりやがって」
フランツ「ホワッツ?」
荻原「ノー、ノー。何も言ってません…このエロジジイ。日本語もろくに分かんない
 くせにうるせえんだよ」
フランツ「エロジジイ?シツレイナ!」
荻原「え?」
ローズ「ガイジン、バカニスルナ!」
荻原「日本語、分かるの?」
ローズ「オー、ソレハサクセン。ツゴウワルイトキ、ワカラナイフリデキル」
荻原「は?」
フランツ「ニホンジンノクセニ、デカイクチ タタクナ!セッタイハ、アイテニ
 キモチヨク、オウタイスルモノダ、ワラッテルダケガノウジャナインダ、オボエトケ!」
荻原「何だと!」
   荻原、上着を脱ぐ。
フランツ「オオ、ナイタカラスガ、モウ、ワロタ」
荻原「訳の分かんねえこと言ってんじゃねえよ。俺だってな、笑いたくて
 笑ってんじゃねえんだよ!」
ローズ「ニホンジン、ナンデモニコニコスル。オレタチガ、ミチヲキイテコマッテモ
 ワラウ。バカノヒトツオボエミタイニ」
フランツ「オオ、ニホンニ、コンナコトワザガアル。バカハ、シナナキャ、ナオラナイ」
   大笑いするフランツとローズ。
荻原「黙れ!」
   取っ組み合いになる荻原、フランツ、ローズ。荻原が優勢。
フランツ「コイツ、チイサイクセニツヨイ」
荻原「ケンカする時ぐらい黙れ。お前らは肉、食いすぎなんだよ」
ローズ「バカニスルナ!」
荻原「そっちこそ、バカニスルナ!」
   荻原、フランツを押さえつける。
フランツ「オオ、チカラツヨイ」
荻原「俺はな、クジラ食ってんだ。悪いか!」
   荻原、肩で息。
 
○同店・洗面所(夜)
   フランツとローズはのびている。
   鏡を前に絆創膏を貼る荻原。
   店長が顔を強張らせて、
店長「あの、穏便に済ませておきたいんですが…ここは一応、出入り禁止
 ってことで」
荻原「分かってます」
   荻原、額の血を見て慌てて顔を洗う。
   手探りで蛇口を探していると背後から佐和が水を止め、ハンカチを渡す。
荻原「あ、ありがとう」
   佐和は荻原の顔を見入っている。
荻原「何か?」
   佐和は荻原の笑顔に見とれている。
荻原「ああ、これね。でも好きで笑ってんじゃないんだ」
佐和「え?」
荻原「無理矢理笑わされてるって感じ。仕事がうまくいくのは助かるんだけどね。
 怒っても笑顔だからバカみたい」
佐和「そんなことないです。うらやましい」
荻原「君さ、なんか浮いてるね。他の女の人とはどこか雰囲気が違う」
   店長、現れ、
店長「佐和ちゃん、ホールの掃除、お願いね」
佐和「はい」
   佐和はそれでも動かない。
荻原「学生?」
佐和「(頭を振る)」
荻原「フリーター?」
佐和「(頭を振る)」
荻原「もしかして主婦?」
佐和「(笑い)社会人」
荻原「?」
佐和「ここの正社員なんです。仕事見つからなくて。でも一人暮らしだから
 とりあえず、って感じですけど」
荻原「とりあえず、キャバクラかあ…」
佐和「稼ぎよくないと干からびちゃいますから。東京だと息してるだけでも
 お金かかるし。ありがとうございました」
荻原「え?」
佐和「何か元気もらったみたいです」
荻原「そう?」
   佐和、それでも寂しげな表情。
佐和「はい」
荻原「…笑ってりゃいいことあるよ」
佐和「笑ってれば、ですか?」
荻原「(頷き)笑ってればいいことある。それにそんな暗い顔は君には似合わないし」
佐和「(礼)」
   佐和、何度も振り返りながら去る。
   鏡。
鏡「おい」
鏡「おい」
荻原「は?」
鏡「お前、いい加減にしろ。何考えてんだ」
荻原「あ?」
鏡「ったく、何だよあのセリフは『笑ってりゃいいことあるよ』って、ありゃ俺の
 ウケウリだろうが。で、その後に『そんな暗顔は君に似合わないよ』だなんて。
 お前、結婚詐欺師じゃあるまいし。何であんなムズかゆいこと言うかなあ」
荻原「そんなこと俺の勝手だろ。こんな顔にしといてさ。そりゃさ、仕事の面では
 この顔が役に立ったさ、でも考えてみろ、ずーっと笑ってんだぞ。お通夜なんか
 最悪、いくら悲しくても森進一状態」
鏡「そんなこと言って女の前じゃ色目使いやがって。いいか、あの女の前じゃ
 笑顔を見せるな」
荻原「勝手だろ?そんなの俺の」
鏡「いいから笑うな」
荻原「そんなこと言っても無理だろ?だいたいあんたがこんな顔に…」
鏡「やかましい!せっかくお前のためにやったのに。いいか?もう一度言う、
 あの女の前じゃ絶対顔を見せるな」
荻原「何でだよ!何であんたの指図を受けなきゃならないんだよ」
鏡「惚れてるんだよ!」
荻原「え?」
鏡「あの女、お前の笑顔に惚れてるんだよ」
   荻原、呆気に取られている。
鏡「あんたの役目はかみさん連れ戻して本当の笑顔も取り戻すことなんだろ?」
荻原「笑顔を取り戻すのは聞いたけど、かみさんを連れ戻す?誰がそんな
 約束した?」
鏡「お前!」
荻原「ああ、分かったよ。笑顔は取り戻してやるよ。ハッピーになってやるよ。
 あの女を落として。いいじゃん、やったろうじゃん!」
鏡「バカ!お前だけが幸せになっても意味な いんだからな」
荻原「ひょっとしてお前まで幸せにしなきゃいけないの?この俺が?確かに
あんたは俺の顔をしてるけど真っ赤な他人…」
   そこに佐和がやってくる。『鏡』は元に戻る。
佐和「あの…忘れ物です」
   佐和は携帯電話を差し出す。
佐和「でも、電池、見つからなくて」
荻原「ああ、大丈夫。没収されてるだけだから」
   佐和、電話を持ったまま荻原を見つめている。
荻原「ん?あ、番号?いいよ。教えてあげる」
   荻原、電話番号をメモして渡す。
   佐和は尚も荻原を見つめる。
荻原「ん?」
佐和「(笑顔)これ、息子さんですか?そっくりですね」
   携帯電話の裏には荻原とタケシのプリクラ。
荻原「げっ!」
   時計は零時を回っている。
佐和「あっ!ちょっと!」
店長「お客さん!」
   荻原、駆け出す。
 
○繁華街(夜)
   疾走する荻原。
 
○××駅(夜)
   荻原が駆け込んでくる。
   終電車に飛び乗る。
 
○荻原家・前(夜)
 
○同家・キッチン(夜)
   忍び足で歩いてくる荻原。
   誰もいない。
   流しには黒焦げのフライパン。
   テーブルの上には焦げた焼きそば。ラップを取り顔を近づける
   荻原だが悪臭に顔を背ける。
 
○同家・子供部屋(夜)
   荻原が顔を覗かせる。
   タケシが眠っている。
荻原「タケシ」
   返事はない。
荻原「タケシ、ごめん…今日さ…」
   荻原がタケシの頭に手を伸ばそうとすると目には涙の流れた跡。
   ハッと手を引っ込める。
   机の上の御守が僅かに光る。
 
○キッチン(夜)
   焦げた焼きそばを食べる荻原。醤油をかけたり、砂糖をまぶしたりするが
   やっぱり食べられない。
   窓ガラスに自分の顔が映り…
鏡「あ〜あ、ひどいやつ」
荻原「(無視)」
鏡「だから言っただろ?お前一人幸せになっても無駄だって。情けは人の
 ためならず。金は天下のまわりもの。愛情だって幸せだって独り占めしても
 ろくなことはないんだから」
荻原「(無視)」
鏡「今からでも遅くないんだけどな。今からでも」
荻原「うるせえな。俺の幸せなら俺が自分で見つけるよ。タケシの幸せだって
 考えてやってるんだよ」
鏡「でもあの子にとっちゃお節介かもしれないぜ」
荻原「とっとと失せろ!そういうお前自体がお節介なんだよ」
   荻原、ガラスにフォークや皿を投げつけるが、外れる。
鏡「おっとっと、これはこれは」
荻原「お前は俺の味方なのか?敵なのか?」
鏡「さあね」
荻原「消えろ!バケモノ!」
   荻原、ガラスを殴り、割る。手からは血がしたたり落ちる。
   肩で息をする荻原。
 
○ダイヤモンド商事・全景
 
○同社・営業本部
   橋詰の前の荻原。
橋詰「いったいどうなってるんだ!天下のダイヤモンドの社員がキャバクラで
 乱闘騒ぎ。マスコミが嗅ぎつけたらどうすんだ」
荻原「それは…」
橋詰「確かにあの店を勧めたのは私だ。だが乱闘しろとまでは言ってない。
 結局フランツ氏とローズ氏も店にほったらかして、お前、逃げただろう」
荻原「逃げたなんて」
橋詰「口ごたえするな!結局エクセレントとの商談もチャラ。君はもういい、
 営業を外すからもうどこでも行ってしまえ!」
荻原「(唇を噛む)」
橋詰「聞こえないのか?さっさとこの場から消えうせろ」
   荻原、土下座。
荻原「申し訳ありません…私の不徳の致すところです。ですから営業を外す、
 それだけはお許しください。お願いします」
橋詰「お前…」
荻原「これが最後のチャンスなんです。仕事に失敗して、女房にも逃げられました。
 それでもここまで這い上がって来れたんです。ここでやっと何かをつかめそう
 なんです。お願いです、いま一度、いま一度ご配慮の程を…」
橋詰「お前、ふざけてんのか」
荻原「え?」
橋詰「土下座して誤るのにニコニコしてるバカがどこにいる。病院に行け」
   橋詰、携帯電話の電池を放げつけて去る。
   物陰で木下と貝原。
   二人は『荻原を泣かせるための本』をかかえたまま。
貝原「気の毒ですね…」
   木下、本を見ながら、
木下「ああ…なんか俺たち極悪人みたいだな」
 
○同社・営業第一課
   肩を落として荷物をまとめる荻原。
   周囲の人間たちは荻原を見ながらコソコソと話。
 
○同社・前
   荻原がとぼとぼと歩いてくる。それを追いかける木下と貝原。
貝原「荻原さーん」
荻原「(聞こえない)」
木下「荻原くん、どこ行くんだ?」
荻原「帰ります」
木下「でも君、就業時間中だよ」
荻原「いいじゃないですか」
貝原「無茶すると査定下がりますよ」
木下「そうだよ荻原くん。査定が下がるじゃないか。ボーナスも下がるし、
 それじゃあ子供におもちゃなんか買ってやれないぞ」
荻原「関係ないですよ」
貝原「荻原さんの欲しがってたプレステ2も買えなくなっちゃいますよ」
荻原「…関係ないよ」
貝原「…」
木下「…」
   荻原はそのまま歩いていく。
木下「荻原くん」
荻原「商談に行ってきます」
木下「商談って」
荻原「簡単な取引きです」
木下「取引き?簡単?」
荻原「ロープと睡眠薬の購入です。簡単でしょう?」
木下「げ…」
荻原「…冗談ですよ」
   荻原去る。
貝原「あれ、冗談じゃないっぽいですよ」
木下「う〜ん」
 
○商店街
   昼下がり。
   荻原が歩いてきて雑貨屋で立ち止まり店頭のロープを眺めている。。
   尾行してきた木下と貝原。
貝原「ほらやっぱり」
木下「(思案)よし、待ち伏せだ。店から出てきたところを保護するぞ」
貝原「保護?」
木下「あんな男でも死なれちゃ寂しいだろ。店を出てきたら飲み屋でもどこでも
 引き摺りまわすんだ。とにかく一人にしないことだ」
貝原「(鼻息荒く)分かりました」
 
○雑貨店・中
   生活雑貨がずらり並ぶ店内。
   荻原はロープの太さを確かめている。次はのこぎりを物色。
   怖そうな顔の剃髪オヤジが荻原の不審な行動を監視。
   荻原の携帯電話が鳴る。
荻原「はい、もしもし…あ、君か」
 
○キャバクラ・事務室
   受話器を持っている佐和。
佐和「あ、昨日はどうもありがとうございました。ところで今晩、空いてますか?」
 
○雑貨店・中
   動揺してのこぎりを足の上に落とす荻原。足を押さえながら、
荻原「え?今晩?」
 
○キャバクラ・事務室
   受話器を置く佐和。
   店長。
店長「ほら、やったじゃん。初同伴」
   店長、佐和の肩を叩き、
店長「世の中やる気になれば結構いろいろ出来んだから。この調子で行けば、
 お給料のほうも見直してあげるからね」
佐和「(微笑む)」
 
○雑貨店・前
   木下と貝原。
   荻原が出てくる。
木下「荻原君!」
   荻原は笑顔で走っていく。
木下「貝原君、追え、追うんだ!」
貝原「はい、でも…」
木下「あいつあのまま死ぬつもりだぞ!」
貝原「何か笑ってましたよ」
木下「どういうことだ?」
   木下と貝原、店の中を覗く。
貝原「もしかしたら中にお坊さんでもいるんじゃないですか?説法聞いて
 人生観変わっちゃったとか」
木下「そんなわけないだろう」
貝原「僕の友達、それで仏門に入りましたよ。頭剃ってツルツルにして。
 蝿が滑るんですよ。まじで」」
木下「(笑い)」
貝原「ツルツルって感じで」
木下「(強張る)」
   背後に剃髪オヤジ。
 
○荻原家・洗面所
   荻原が鼻歌混じりに髪をセット。
   服装もおしゃれ。ポロシャツの襟立てたりなんかして。
   鏡。
鏡「おい」
荻原「またお前か。消えろよ、セット出来ないだろ」
鏡「凄い腰の入れようだな」
荻原「(笑い)当たり前だろ。俺はな、この愛を成就させるんだ」
鏡「恋って…バカかお前。あの子はお前を客としてしか思ってないぞ」
荻原「いいや。あの子は俺に惚れてるんだ。そうあんたも言っただろ?」
鏡「違う、お前に惚れてるんじゃない。お前の笑顔に惚れてるんだ」
荻原「だったらいいだろ。この笑顔も俺の一部」
鏡「(呆れて)潮時だな」
   鏡、割れる。
   荻原の笑顔が消える。
荻原「あれ?あれ?」
   荻原、笑おうとするが顔が強張る。
   もちろん、何も映らない。
荻原「おい、おい。俺の顔、どうなってるんだ。おい、おい!」
   鏡は現れない。
   ×   ×   ×
   居間、トイレ、キッチン。鏡が映りそうな場所を捜してまわる荻原。
   だが鏡は現れない。
荻原「…」
   電話が鳴る。
荻原「もしもし…!」
 
○電話ボックス・中
   香織が震える手で受話器を持つ。
香織「あのさ…話があるんだけど…会えないかな?これから…駅前の喫茶店で…」
 
○荻原家・居間
   荻原、ため息。
 
○電話ボックス・中
   香織。
香織「あのさ!別に忙しかったら今じゃなくてもいいし。でもさ、出来るだけ今日中に
 会ってみたいんだけど…その…時間は決めなくてもいいからさ、私取り合えず
 いるから…駅前の喫茶店に」
 
○荻原家・居間
   荻原。
荻原「…」
 
○電話ボックス・中
   香織。
香織「…忙しいんなら短くてもいいし…」
 
○荻原家・居間
   荻原、ため息。
荻原「悪いが、もう電話しないでくれ。迷惑だ」
   ガチャリ。
荻原「…」
 
○電話ボックス・中
   受話器を置き、うな垂れる香織。
 
○公園
   子供たちが楽しく遊んでいる。
   滑り台に。ブランコに。
   砂場の隅にタケシ。一人で砂山を作っては壊し、作っては壊し。
   荻原。
荻原「タケシ」
タケシ「(振り返る)」
 
○山口生花店・二階(夕)
   階段を上がってくる響子。
   部屋の前に立ち、
響子「香織」
   返事はない。
響子「あのさ…」
   響子、ドアノブを握るがためらう。
響子「あのさ、響子。どうなったのかな?テッちゃんとのこと。それが気になってね」
   返事はない。
響子「焦る必要はないってのも分かるんだけどさ。香織…ごめんね、遠まわしに
 言うのはやめるね(ため息)うちね、香織が手伝ってくれるのはうれしいん
 だけど、正直に言えば人を雇えるほど余裕はないんだ。だから…だからね…
 香織、聞いてる?」
   響子、ドアを開ける。誰もいない。
響子「香織?」
   机の上にはメモ。
   『長い間お世話になりました』
   その下には給料袋。封は開いていない。
響子「香織…」
 
○駅前(夕)
   荻原とタケシが歩いている。
タケシ「パパ、どこいくの?」
荻原「いいから」
タケシ「ねえ、教えてよ」
荻原「(ため息)たまにはこうやってお出かけするのもいいだろ」
タケシ「お出かけ?じゃあデパートとかにも行くの?外のやきそばも食べられる?」
荻原「ああ」
タケシ「(喜ぶ)」
   駅前の喫茶店を見る荻原。
 
○喫茶店・店内(夕)
   香織が座っている。
   腕時計を見る。
香織「(ため息)」
   ガラス越し、はるか向こうに荻原の姿。
   荻原は香織を見つけたようだ。
 
○同店・前(夕)
   荻原、ドアに手を伸ばすが止め、そのまま去る。
 
○駅前(夕)
   荻原とタケシ。
タケシ「どうしたの?」
荻原「(頭を振る)行こう」
   タケシの手を握る荻原。
 
○喫茶店・前(夕)
   レシートを持って出てくる香織。
   駅前の方を見るが今まで見えていたはずの荻原とタケシは
   人ごみに隠れて見えなくなっている。
   香織はそのまま歩いていく。
 
○新宿アルタ・前(夕)
   佐和が立っている。
   荻原がやってくる。
佐和「(笑顔)」
   荻原の陰にタケシ。
佐和「?」
 
○キャバクラ・店内(夜)
   賑わっている。
   だが客や店員の視線の先には…タケシ。ソファの真ん中に座りやきそばを
   もくもくと食べている。
 
○同店・事務室(夜)
   荻原。佐和と店長。
店長「困るんですよね。未成年を連れ込まれちゃ。ありゃ未成年というよりは
 ガキですがね」
荻原「…」
店長「一体どういうつもりなんですか?」
佐和「(顔を覗き込む)」
   荻原、土下座。
荻原「お願いします」
店長「そういわれてもねえ…やっぱまずいよ。ガキの頃からこんな店に出入り
 して。日本一のプレイボーイにでも仕立てる気?(腕組みして)まあそういう
 考えもアリかもな…」
荻原「お願いします」
店長「あれ?もしかしてここで働きたいの?」
荻原「お願いします」
店長「そうなら早く言えばいいのに」
荻原「違う、お願いします、佐和さん!」
佐和「私?」
荻原「お願いします。私と結婚して下さい」
店長「(ため息)お客さん、何考えてんの?そういう気持ちは分かるけどさ、
 こういう女の子はあなたとは別の世界を生きてるの。分かんないの?」
荻原「(佐和にしがみつく)」
佐和「!」
荻原「頼む、俺の女房になってくれ。タケシの母親になってくれ」
佐和「そんなこと言われても…」
荻原「すぐにとは言わない。とりあえずお付き合いから初めて」
店長「あんた大丈夫?」
荻原「生活のことはもう心配しなくていい。お金も。ほら、こんなにあるし」
   荻原、財布から札束を出し佐和に押し付ける。
   佐和、荻原にビンタ。
佐和「バカにしないで!」
荻原「?」
店長「(驚く)」
佐和「お金で物事を解決するなんて最低。私はこんな職場でもちゃんと
 命掛けて生きてるんだから。周りからいろんなこと言われても、親に勘当
 されても生きてるんだから。店長は確かにスケベでケチだけど、私はこの
 仕事に誇りを持ってるんです!」
   佐和、出ていく。
店長「(立ち上がり)そういうことだ、分かったか。(泣きながら)佐和ちゃーん!」
荻原「…」
 
○走るバス(夜)
 
○同・車内(夜)
   乗客はまばら。
   荻原とタケシが並んで座る。
荻原「…」
タケシ「パパ」
荻原「…」
タケシ「パパ、好きなんでしょ?あのお姉さん」
荻原「…ああ、でももうだめだ。タケシにかっこ悪いとこ見せちゃったな」
タケシ「でも、好きなんでしょ?」
荻原「ああ」
タケシ「だったら焦ることはないよ」
荻原「タケシ…」
   タケシはいつのまにか眠っている。
   車窓に一瞬、鏡像が映る。
鏡「息子にそんなこと言わせやがって…」
荻原「…」
   鏡、消える。
 
○走るバス(夜)
 
○同・車内(夜)
   荻原とタケシ。
荻原「…」
   タケシの寝言…
タケシ「…やきそば…食べたい…」
荻原「…」
タケシ「…食べたいよう…」
荻原「…」
タケシ「…ママ…」
荻原「!」
   バス、喫茶店の前を通過。
   荻原、タケシを抱えて立ち上がり、
荻原「すみません、すみません」
 
○停車するバス(夜)
   眠ったままのタケシを背負った荻原がが降りてくる。
   そのまま喫茶店へ。
 
○喫茶店・前(夜)
   タケシを背負った荻原。店の中を覗く。
   香織の姿はない。
 
○マンションの一室・前(夜)
   タケシを背負った荻原。 ドア越しの住人に、
荻原「すみません…他を当たってみます」
   ドアを閉める荻原。
荻原「…」
 
○山口生花店・店内(夜)
   タケシを背負った荻原。
   響子。
響子「テッちゃん!」
荻原「こんばんわ」
   響子、眠っているタケシに気づき、
響子「(小声)こんばんわ、じゃないわよ。香織は?香織には会った?」
荻原「(頭を振り)それが…」
響子「ほんとの事いうとずっとうちにいたんだけどね、ちょっとお灸据え
 すぎちゃったみたい。私もあちこち電話はしてるんだけ ど」
荻原「(礼)ありがとうございました。私も心当たりを当たってみます」
   荻原、立ち去ろうとするが、
響子「あ、これも持ってってくれる?」
   響子、封筒を渡す。
響子「香織、お給料を置いてっちゃったのよ」
荻原「?」
響子「彼女、ちゃんと働いてたのに。お礼のつもりだろうけどこっちが迷惑だわ」
荻原「…」
   荻原、立ち去ろうとすると、
響子「テッちゃん」
   荻原、振り返る。
響子「あなたたち、やっぱり変よ」
荻原「?」
響子「傍目にはどう見たってお似合いの夫婦よ。世の中そう言われてる夫婦は
 沢山いる。そりゃ仮面被ってる人が大半だけど、あなたのところは間違いない」
荻原「…」
響子「もうヤキモキさせないでよ。何よりもそのタケシくんを」
荻原「…すみません」
 
○喫茶店・前(夜)
   タケシを背負った荻原。息を切らして店の前に立つと「準備中」
   店の中では店員が後片付け。
荻原「…」

 

とほほ途方
 
○公園(夜)
   誰もいない公園。
   タケシを背負った荻原。
   額には汗。
 
○公園(回想)
   砂場でツトムたちと楽しそうに遊ぶタケシ。それをベンチに座って楽しそうに
   見つめる荻原と香織。
荻原「よし!」
   荻原、子供の輪の中に加わるが泥を掛けられてしまう。
   荻原、怒る。だが笑う。
   香織も笑っている。
 
○もとの公園(夜)
   荻原の背中のタケシが目を覚ます。
タケシ「パパ…」
荻原「ああ、起こしちゃったか」
   タケシ、流れ出る荻原の汗を見て、
タケシ「どうしたの?」
荻原「何でもないよ。ちょっと遠回りしただけ。あ、そうだ、一緒にやきそば
 作ろうか」
タケシ「うん!」
   タケシ、荻原の背中から飛び降りて駆けていく。
タケシ「パパ、競争、競争!」
荻原「よしっ、負けないぞ!」
   荻原も駆け出す。
 
○スーパーマーケット・全景(夜)
   閉店間際。
 
○同・店内(夜)
   「蛍の光」が流れている。
   カートを押しながら駆けてくる荻原とタケシ。やきそばの麺をカゴに
   放り込むと、
タケシ「あとは、肉、肉!」
   二人は精肉コーナーへ。
   トレーに載せられた肉を品定めする荻原とタケシ…だが閉店間際の為、
   品揃えは超薄。
タケシ「バラ…とか言ってたよ、ママ」
荻原「そっか、バラっていうと牛も豚もあるな…」
タケシ「どっちだろう」
荻原「そうだ」
   荻原、トレーを手にする。「牛すじブロック」
タケシ「すじって何?」
荻原「大きいからボリュームあっていいかもな。よし、今日こそママより
 おいしいの作ってやるぞ」
   はしゃぐタケシ。
 
○荻原家・全景(夜)
 
○同家・寝室(夜)
   小さなバッグに衣類を詰め込む香織。
香織「…」
   別のタンスから子供服を取り出す香織。
香織「…」
   香織、子供服の匂いを嗅ぐ。
   立ち上がろうとするが写真盾を見る。
   香織とタケシが微笑んでいる。
   香織、写真を眺める。
香織「(微笑む)」
   バッグを開ける。満杯。
香織「…」
   香織、化粧箱を出し代わりに写真盾を入れる。
   立ち上がり、出ていく。
 
○同家・前(夜)
   香織が静かに出てくる。
   ×   ×   ×
   そこに荻原とタケシ、立ち止まる。
タケシ「パパ?」
荻原「…」
   荻原は香織を見ている。
   タケシは気づいていない。
荻原「…」
鏡(声)「どうした?何を悩んでんだ?」
荻原「…」
タケシ「パパ?」
鏡(声)「そのまま一歩、踏み出せばいいんだよ」
荻原「…」
鏡(声)「それで全てが解決するんだろ?簡単なことじゃないか」
荻原「…」
鏡(声)「おい!」
荻原「(唾を飲み込む)」
   携帯電話が鳴る。
 
○居酒屋・中(夜)
   ぐでんぐでんの木下。
   貝原は携帯電話。
木下「おい!貝原!急げよ!」
貝原「分かってますよ」
木下「早くしろよ!酒がまずいんだよ!」
貝原「(受話器押さえ)静かにしてください…あ、もしもし?」
木下「(テーブルに顔を落とし)…あいつがいなきゃ寂しいんだよ…あいつが…」
 
○荻原家・前(夜)
   携帯電話を持っている荻原。
香織「(振り返り)!」
タケシ「ママ!」
荻原「…」
香織「とりあえずこれだけ持ってくから。残りは住む場所決まったらまた」
タケシ「ママ…」
香織「タケシも来る?」
タケシ「(荻原の顔を見る)」
香織「(苦笑)そっか。(荻原に礼)お世話になりました」
荻原「…ああ」
香織「(笑い)頑張ってるみたいね」
荻原「ああ、それなりにな」
香織「今夜のおかず?」
荻原「ああ」
タケシ「これから焼きそば作るんだ」
香織「(笑い)そう」
荻原「…」
香織「…」
荻原「あのさ…」
香織「?」
荻原「作るか…一緒に」
香織「…」
   香織、袋の中を覗いて、
香織「ダメじゃない。焼きそばにスジ肉じゃ」
荻原「そうなのか」
タケシ「だから言ったじゃんか」
   香織、笑う。
タケシ「僕、準備してるね」
   タケシ、ビニール袋をひったくり家の中に。
荻原「…」
香織「…ごめんなさい(嗚咽)」
荻原「…ああ、俺も悪かった」
   香織、荻原の胸の中に。
 
○同家・居間(夜)
   荻原、香織、タケシの食事風景。
   もちろん、焼きそば。
タケシ「(笑顔)やっぱりママのが一番だ」
香織「(笑顔)ほんと?ありがと」
   だが荻原の表情は暗い。
タケシ「(不安)パパ?」
香織「(不安)どうしたの?」
荻原「…」
   荻原、走り去る。
 
○同家・洗面所(夜)
   荻原、顔を洗う。
   鏡には不安そうな顔が映る。
   鏡。
鏡「どうしたんだ?」
荻原「不安なんだ…この先もこんな笑顔が続く保証もない。また悪いことが
 起こらないとも限らないし」
鏡「(ため息)ちょっとお、何でそこで後ろ向きに考えるわけ?前を見てれば
 いいんだよ。そりゃさ、またあんたのかみさんが浮気するかもしれない。
 逆もあるかもしれないし、はたまたあの子がグレるかもしれない。ただ一つ
 言えることは」
荻原「?」
鏡「先のことはわからんということだ。わかんないことを考えたって仕方ないだろ?」
荻原「…あんたは笑ってろと言うけどな。妻や子供の不安そうな顔を見ると
 耐えられなくなる。さっきもそうだった」
鏡「(ため息)いいか、よく聞けよ。相手の顔ってのはな。自分の心の鑑なんだ。
 自分が不安に思ってれば相手もそんな顔になる。イヤだなと思うヤツの前では
 自然と相手がイヤがる顔になってるんだよ。だから、相手を笑わそうと
 思ったらどうすればいい?」
荻原「…笑えばいい、のか?」
鏡「(頷く)よくおぼえとけ。これで最後だ。笑え。笑ってればいいことがある」
荻原「(頷く)」
   荻原、出ていく。
 
○同家・居間(夜)
   香織とタケシ。
   荻原が戻ってくる。
タケシ「(不安)パパ?」
荻原「…」
香織「(不安)どうかしたの?」
荻原「…」
   暫しの沈黙。
荻原「…ううん、何でも」
   荻原、笑顔を作る。
荻原「何でもないよ」
タケシ「(笑顔)パパ、焼きそば冷めちゃうよ」
香織「(笑顔)よかった。おなか壊しちゃったのかと心配しちゃった」
荻原「(満面の笑顔)」
   笑顔に包まれる食卓。
   隅っこの小さな鏡。
   鏡はスーッと消える。
 
○同家・子供部屋(夜)
   誰もいない。
   机の上の御守が僅かに光る。
 
○荻原家・前(夜)
   笑い声が聞こえてくる。
 
             ―完―
※2000/2001Y.M:この作品の無断転載等を禁じます。

 

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