ツーリングをやっている人なら誰もがあこがれるのが北海道。
96年ののゴールデンウィークは95年のように長くはなかったが、2日間の有給をつかえば10連休にできる。
しかし、迷っていた。
憧れであると同時に大きすぎる大地に怖さを感じていたのである。
果たして、北海道はボクを受け入れてくれるだろうか?
揺れる心の内を小西さん(会社の同僚)に話し相談すると、
「四国を走れたんやったら北海道も走れるよ。
大丈夫や、行け行け!今のうちに行っとかな後悔するぞ。」
その言葉を聞いて吹っ切れた。
時間をもてあそばしていた大学時代、夏休みを利用して友達は北海道へ行っていたとき、バイトに明け暮れていたボクは後悔していたっけ。
早速フェリーの往復券を購入し、道南一周のスケジュールを立てた。
あこがれへの第一歩である。
そして、それはボクの人生にも影響する旅の出発でもあった。

1996年4月26日(金)
会社を17時に終えて寮に帰り、風呂に入った。
18時半に小西さんが迎えに来てくれる予定だ。
小西さんは体の調子さえ良ければ自分の足でいろんなところへ行きたいにちがいない。
しかし、肝臓に慢性の病気を抱えていて、願いがなかなか叶わないことを自分自身でよく知っている。
だから、ボクのように冒険する人間をよく理解し、応援してくれるのだ。
四国一周の時も支援してくれたたし、今回の北海道ツーリングにしてもフェリーの出る舞鶴港までわざわざ送ってくれると言うのだ。
小西さんは予定より20分ほど早くグランヴィア号で寮に来てくれた。
大きなワンボックス車なので自転車の積み込みも楽だ。
4月末だというのに亀岡に抜ける山道の桜が満開なのに驚いた。
21:20、約3時間で舞鶴港に到着した。
クーポンを乗船券に変えてすぐにフェリー(らいらっく号)に乗り込んだ。
2等は結構広く、思ったほど混んではいなかった。
ライダーたちがいっぱいいて騒いでいたが気にはならなかった。
船内を見て回ると、風呂がついていてAM1:00まで入浴可だったが、寮で入ってきたので使うことはなかった。
ジュースの自販機は110円と良心的。
ビールは350mlが280円、500mlが380円でこちらもまあまあ良心的だ。
23:30に出港し、ボクは24:30には就寝。
1996年4月27日(土)
今日は一日中船の上での生活。
昨夜は熟睡できず夜中に何度か目が覚めたが、ちゃんと起床したのは8:00。
洗顔後、朝食を取りに行った。
カフェテリア形式で好きな皿を取ってレジで精算する。
鮭の塩焼き、目玉焼き、納豆、ご飯、みそ汁で900円となった。
ちょっと高くついてしまったので、カフェテリア形式によくあるおかずのとりすぎに注意しなければならない。
一日中することがなくて船内をうろつきまわるが、あまり落ち着ける場所がない。
外に出て海を見ていたかったが天気が悪くて寒いので外にはいられない。
麻雀卓もあったが、いかんせん一人ではどうすることもできない。
ラウンジがまだ落ち着ける場所ではあった。
昼食は食堂でラーメン一品で済ませ580円(それでも大きい出費)。
14時半からラウンジでカリオストロの城のビデオ上映があり、16時まで時間をつぶす。
あまりにも退屈なので17時半から早めの夕食をとる。
さんま塩焼き、鮭ザンギ、石狩汁とご飯で1000円。
夜はラウンジでビールを飲みながら、釣りバカ日誌を見る。
2等のざこね部屋に戻って寝ようとしたが、昨日のおじさんライダーたちがまたしゃべっている。
「食堂であんな高いもの食うなんてばからしい、カップラーメンを持ち込めば十分だ」
なるほどその通りかもしれない。
でも、それよりもばからしいのは何もできない今日一日の時間をつぶしてしまうことだ。
せっかくの休みがもったいない(この当時はまだ飛行機輪行できることを知らなかった)。
消灯時間を過ぎても聞こえてくるおじさんたちのオヤジギャグはどうしても笑えるものではなく、早く寝て欲しかった。
1996年4月28日(日)
AM3:00、気の早いライダーたちの話し声で目が覚めた。
予定通り、らいらっく号は4時少し前に小樽港に入港した。
バイクや自転車はフェリーに乗るときは一番先だったがフェリーから降りるときは一番最後にされた。
それでも、4:02には小樽の地に降り立った。
初めて踏みしめる北海道の大地だ。
この時間まだ真っ暗ではあったが、信じられない光景を目にする。
小樽の山が白い雪で覆われていたのである。
入港直前おじさんライダーが
「あれっ!今年はあんまり白くないな」
と言っていたのを聞いたが、てっきりオヤジギャグ的冗談だと思っていたが本当だった。
体感的寒さはあまり感じなかったが、ふるえるのは武者震いだろうか。
靴をレーサーシューズにはきかえ、ホットコーヒーを飲んだ後すぐに出発することにした。
10mほど進んでサイクルコンピュータが作動していないことに気づく。
前輪が逆向きに取り付けられていた。
舞鶴で緊張のあまり間違って取り付けてしまったようだった。
R5に出てから西へ進路を取る。
港からほんの少しはずれるとそこはもう郊外となり、いきなり軽いのぼり坂が現れたが、足慣らしと寒さ防ぎにちょうど良い勾配でほんのりと汗もかいた。
しかし、その後のダウンヒルですぐにからだが冷え込む。
5:18にセブンイレブンでおにぎり2個の朝食をとる。
R5が海沿いとなってすぐにあったトンネルは工事中で、信号待ちをしていたら、工事のおじさんが
「自転車はこっちからいっていいよ」
と工事中の車線を示したので、指示通り行こうとした。
ところが、その時なぜかサドルが回ってしまい、止まって治そうか?と思ったが、工事を妨げてはいけないのでトンネルを出てからにしようと考え直した。
しかし、トンネル内を走っている最中にサドルがストンと沈み込んでしまった。
出発前の点検不良だった。
余市町へ向かうR5は豊平トンネルの崩落事故現場の景色とよく似ていて、いい気分がしなかった。
余市市街ではその雰囲気は一変し、スペースシャトルに乗った毛利さんのふるさとという看板をあちこちで見かけた。
明るくなってきて仁木町に入ると峠道となった。
濃霧の中を登る感覚は、足摺岬のイヤなスカイラインを思い出させる。
峠の前までは寒くてホットコーヒーが飲みたかったが、登っているうちに体が温まってきた。
海沿いのR5の景色はどこにでもありそうなものだったが、少し内陸に入ると北海道の雄大さが感じられる景色となった。
道南では地平線とまではいかないが、広大な土地と酪農用の建物(サイロ)がいかにも北海道らしい。
見晴らしのいい跨線橋の上にとまって写真を撮ることにした。
そこにはR5の国道標識があり、そのポールに自転車を立てかけ写真を撮った。
写真を撮るときに、国道標識を1号線から順番に集めたらおもしろいだろうな、と思った。
これがのちの国道制覇へのきっかけとなる。

国道5号線の標識とイチゴジャム号
(光が入って見にくいのが難)
峠を下り、共和町に入るとR5と別れ、R276へと進む。
R276の写真もとってみた。

続いて岩内町からはR229を進む。
R229の写真も当然撮ってやろうと考えたが、どうせならいろんな構図で写真を撮ろうと、いい景色がバックになるように気に入ったものを探した。

R229は再び海沿いのトンネルが多い道となり、海から突き出た岩々はまるで越前海岸のようだった。
本当に北海道なのか?
と錯覚していたが、山側を見れば越前海岸のそれとは全く異質の風景だった。
切り立った断崖は雷電山などいくつかの山々の裾野に当たる。
つまり人間が道路を造るために切り開いたのである。
また、その断崖からいくつもの滝が流れ落ち、海に注いでいた。
川幅1mにも満たない小さな川もたくさんあるが、一つ一つの川とそれに架かっている橋に名前の看板が立てられていた。
例えばワッカナイ川、ワッカナイ橋というような感じ。
それらの川のほとんどは、今の季節、雪解け水で増水していた。
今回、予定ルートにトンネルが多いことはわかっていたのでレッドアラートという新兵器を持ってきた。
後輪にマグネットを取り付け、誘導起電力により赤灯を点滅させて後ろから来る車に存在を知らせるというものである。
なかなか役に立ったと思っている。
さっきから腹が減っていたのだが、岩内町からずっと店がなかった。
雷電温泉の前でキャラメルを食べたが、寿都町まで行ってやっと店を見つけパンを買って食べた(9:17)。
弁慶岬には駐車場に入ってみたが、大したことなさそうな観光地だったので自転車を降りることもなく通過した。
島牧村から瀬棚町へ淡々と進んでいたが、冷たい風を受けて走ってきたせいかだんだん右膝が痛くなってきた。
13:30瀬棚町の三本杉のドライブインで昼食。
ほっけの塩焼きの焼き魚定食(800円)を食べた。
さすが北海道のほっけ、うま〜い。
イクラ丼などもあったが、夕食での楽しみに取っておこう。
北檜山町からは最後の試練ともいえる太櫓越峠(230m)がある。
大した勾配ではないと思うが、小樽から200km近く向かい風の中を走ってきた疲労と膝の痛みのため、ペダルが回せない状態に陥った。
一回踏み込むごとに膝に痛みが走り、何度か止まってマッサージをした。
何とかピークのトンネルに達してダウンヒルとなって膝への負担は軽減されたが、下りも向かい風でせっかくの位置エネルギーを有効に使えなかった。
一日目の宿泊は出発時から決めていなかった。
このあたりにはYHがないので、熊石町の国民宿舎の「ひらたない荘」に飛び込みで行ってみようと思っていた。
しかし、国民宿舎はYHほどたやすくない。
大成町の道の駅から電話すると「満室です」との返事。
現地で民宿を探すしか手がなさそうである。
熊石町には17:00頃についた。
町の人に民宿を尋ねると、きむらという民宿を教えてくれたのでいってみたが、そこも満室だった。
ゴールデンウィークは甘くはないのか?
しかし、宿を確保しないとどうにもならないので、しらみつぶしに一軒一軒あたっていこうと決めた。
まず、民宿の文字が目に付いた看板が掲げられている建物の外観は、どう見ても商店だったが、中に入って訪ねてみると「宿泊できますよ」といううれしい返事だったので、あっさりと泊めてもらうことにした。
この「民宿ささや」は商店も兼業でやっていたので、飛び込みには穴場だったかもしれない。
あれだけよそが満室だったのに、ここの宿泊客はボク一人だった。
走行距離228.8km。
風呂に入って全身セルフマッサージ、特に右膝は念入りに行った。
夕食は煮物、トロの刺身、焼き魚、明太子、手作りカニカマの吸い物と豪華だった。
翌日の支払いが心配だったが、これでなんと1泊2食で5600円だったから驚いた。
20:00には爆睡してしまった。
1996年4月29日(月)
6:30起床。
さすがによく眠れた。
起きあがるとやっぱり右膝が痛くて最悪。
朝食は、獲れたばかりのヤリイカの刺身、鮭の塩焼き、目玉焼き、ほうれん草のお浸し、みそ汁、納豆とまた豪華。
ヤリイカの刺身などは透明で新鮮さを物語っていた。
おまけにおばちゃんがおにぎりまで作って持たせてくれた。
感謝!
7:50出発。
いきなり強烈な向かい風で、なかなか前に進まない。
江差からR227の近道を進む手もあったが、予定を変更して後悔するようなことはしたくはなかったので、予定通り海沿いを進む。
上ノ国町から風はさらにきつくなった。
熊石から右は日本海の荒波、左は熊笹という景色は変わることがない。
函館のYGHに予約電話を入れて意地でも函館を目指す。
フロントギアはもはやアウターでは進まなくなり、39×19Tで20km/hに満たない速度で進む。
鼻水は垂れてくるし、何度も休憩をとりながら進んだので、出発してから4時間で63kmという超スローペース。

上ノ国町の願掛け沢でおばちゃんの作ってくれたおにぎりを食べる。
ゆっくり進むことでいいこともあった。
藪の中にキタキツネを発見!
北海道ならではの感動だ。
速い速度で走っていたら見落としていただろう。
松前町のトノマ岬で何度目かの休憩しているとき、前方の建設会社の旗が追い風方向になびいているような気がした。
「まさか!?」
と思い地図を確認すると、トノマ岬で進行方向が南南東から東南東へと曲がっていた。
風は南西から吹いてきているので間違いなく向かい風は解消される。
再び出発すると、本当に追い風となり、すごく楽になった。
ここからの1時間は平均時速30km/hで走り、遅れを少し取り戻した。
福島町は北の湖だったか千代の富士だったかの出身地で、力士の絵や像がそこかしこに見られた。
福島峠を登り、知内町へとダウンヒルをこなし、青函トンネルを抜けてきたJRの高架下をくぐり木古内町へと入るとハンガーノックになった。
いい加減に素人の域を脱して食事調整くらいできるようになっておきたいものだ。
コンビニを見つけてカラアゲ弁当を食べる。
しばらく走ると海の向こうに突き出た半島が見えた。
函館山だ!
♪は〜るばる来たぜ、はっこだてぇ〜。
しかし、目的地は見えているのに近づくのには時間がかかった。
それは地図を見れば一目瞭然で、湾をぐるっと一周しないと函館には到達できないためである。
18:20に函館YGH到着。
走行距離196.9km。
函館YGHはまるでホテルのような建物で、部屋もツインルームだ。

函館YGHの部屋 まるでホテルのよう
最初はその部屋にボク一人だけだった。
ペアレントさんもGWなのに客が少ないとぼやいていた。
とりあえず風呂に入って洗濯し、夕食を食べに外へ出た。
ガイドブックに載っていた函館駅前の居酒屋「裏長屋」に行ってみた。
イクラ丼が三平汁つきで850円など安くてうまい店だった。
21時頃店を出て、函館山へ夜景を見に行く。
ところが、路面電車の終電がすでに終わっていたので歩いていく。
函館山へ登るロープウェイは、最終の一つ前の便に乗ることができた。
さすが日本三大夜景とあって美しかったが、時間がもう少し早いともっときれいだったかもしれない。
それに、風がきつくて寒かった。
函館YGHは夕食なしで5150円なので高い。
みんなが集まれるロビーなども小さくほかの客とのコミュニケーションがとれないのであまり好きにはなれなかった。
帰ってすぐに就寝したが、23時頃同室のもう一人が来た。
今頃到着したらしいが、気にしないで寝た。
1996年4月30日(火)
YGHの部屋の暖房が効きすぎてあつくて寝苦しかった。
7時頃起床して、朝食をたらふく食べたあと8:30に出発。
ところが、また右膝が痛い。
痛みは昨日までの比ではなく、平坦な道でもひとコギするたびに激痛が走る。
それでも、とりあえず、予定していた五稜郭には行くことにした。
タワーに登って五稜郭を眺めると、その死角がないと言われる稜線は美しく印象深かった。
タワーを降りてよくセルフマッサージをし、R278を進んだ。

戸井町までの40kmは昨日なみの向かい風であったが、一生懸命走るうち膝の痛みをいつの間にか忘れてしまっていた。
膝の痛みの代わりに再び向かい風を敵に回したボクだったが、とにかく
「ペースを乱さず走る」
ということを昨日の段階で学習したので、目の前に見える岬の一つ一つを近い目標としてクリアすることを心がけた。
当初の予定ではこの日は洞爺湖畔の昭和新山YHで一泊するくつもりだったが、膝の状態を考慮して、それより近いイクサンダー大沼YHに変更した。
この変更はのちの人生に大きな影響を与えることになる。
北海道3日目にしてはじめてサイクリストとすれ違った。
あいさつをしようと思ったが、追い風に乗ってものすごいスピードで駆け抜けていった。
走りのスタイルからたぶん競輪選手だろうと思った。
その後も同じような人とすれ違ったので、よく見てみるとやはりピストレーサーに乗っていた。
恵山町のセブンイレブンで昼食をとっていると、競輪選手が二人休憩していたので思い切って話しかけてみた。
いつも山を登る練習をして降りてきたあとはこの道を追い風に乗ってスピードの練習をするそうだ。
今の競輪はスピードの時代だから距離を乗る練習よりはダッシュの練習をしているらしい。
競輪選手と話をしたのは初めてだったので元気が出てきた。
二人の名前は聞かなかったが、ジャージの刺繍から伊藤さんと平塚さんと思われる(それとも伊東、平塚の競輪場を表しているのだろうか?)。
椴法華村から進行方向が変わり風向きも追い風になった。
南茅部町の風景は福井の越前町とよく似た印象だった。
鹿部町には珍しい間欠泉があって5〜7分おきに噴射すると地図に書いてあった。
国道沿いにあったので立ち寄ってみる。
間欠泉の持ち主(地主)は80歳のおばあさんで管理できないから町が管理しているらしい。
間欠泉は3から4mくらい吹き上がり、生まれてはじめて見たので感動した。

鹿部町の間欠泉(お湯が白く吹き出ている)
鹿部町から駒ヶ岳が見え始めた。
駒ヶ岳は山頂を二つ持つ楕円形をしているので、見る角度によっていろんな形に変化する。
二つの山頂が一番離れて見えるときは裾が広がった平べったい感じだし、砂原町、森町と進むにつれ、二つの山頂がだんだんと近づいていって、しまいには重なって一つの大きな山になってしまう。
さらに進むと再び山頂が二つに別れはじめ、はじめに見たのと反対側が見える。
宮ちゃん(友達のサイクリスト、ちなみにおじさん)が
「駒ヶ岳は何回見ても飽きへん」
と言っていたのを思い出す。
森町から再びR5に戻り、いったん南下して17:55にイクサンダー大沼YHに到着。
走行距離141.4km。

駒ヶ岳(二つの山頂が離れている)

駒ヶ岳(二つの山頂が接近)

駒ヶ岳(山頂は一つに)
YHの玄関で外国人の女の子3人とすれちがった。
今日の宿泊は男5人と女5人である。
女の人はこの外人3人のほかは夫婦できた奥さんともう一人はまだ到着していない人だった。
男はボクと夫婦の旦那さんと、年輩のおじいさん、カローラで来た人と、栃木から来た人だった。
夕食と入浴を済ませ、ロビーでみなさんと話をしていると、女の子が一人遅れて到着した。
見た瞬間は
「おっ!かわいい」
と思ったが、北海道について以来見るもの全てが新鮮でこれも北海道マジックかもしれないと冷静に思い直した。(これがなっぱとのはじめての出会い)。
ボクはいったん部屋に戻り再びロビーに行くと、
「え〜誰も行かないの?」
とその娘は渋い顔をしていた。
さきほど遅れて到着した女の子だ。
ボクはそばにいたペアレントさんに
「どこか行くんですか?」
と訪ねると、
「彼女が露天風呂に行きたいらしいけど、ほかにだれも行かないみたい。一人で行くって言ってるよ」
と返事が返ってきた。
ボクは北海道に来てまだ温泉に入っていないことに気づき、膝のこともあるので彼女が支度をして出かけようとしたとき、
「ボクも一緒に行っていいですか?」
と訪ねた。
「行こう!行こう!」
と彼女は人なつこそうな顔で喜んだ。
すると、栃木の人も「じゃあぼくも」と言いだし、3人で行くことになった。
彼女は栃木の人に対して
「私の車カローラUなんですけど、パンクしないですよね?」
と初対面なのに失礼なことを言っていた。
栃木の人は確かに太ってはいたけど・・・
行き先はワールド温泉牧場。
本来は牧場だが、温泉が出たのでこういう名前になった。
名前は変だが、500円ではいれた。
露天風呂はぬるかったが、長くはいることができたおかげで足の疲れをいやすことができた。
風呂上がりは十勝アイスを食べて北海道を満喫。
栃木の人はフリーターでサーフに乗って北海道を回っている。
年1回は北海道に来ていてもう10回以上になるそうだ。
カローラUの女の子は札幌で看護婦をしている人で、めったに休みは取れないが、北海道で働きはじめてまだ1年ちょっとしかたっていないので、道内を旅して回っているそうだ。
このときはこの人が後にボクの奥さんになろうとは全く知るはずもなかった。
帰りの車の中で彼女は明日はニセコに行くと言っていた。
「ニセコはいいよ〜、お花畑はきれいだし、スキーもできるし」
と話し始めた。
それを聞いて、その気もないのに
「じゃあ、ボクも行こうかな」
と言ってみると、
「うん、行こう!行こう!」
と屈託がない。
ボクは明日こそ昭和新山YHに行く予定なのだが、進路を変更するとなるとそのあとの予定も全て変更しなければならないので冗談で言ったつもりだった。
でも、彼女は
「ここに泊まるから!」
と言って、とほ宿に載っている「ニセコアンビシャス」を教えてくれた。
なかば、強引な誘いではあったが、YHに帰ってから予定変更の場合を想定して、今後の距離計算をしなおしてみるのだった。
ニセコまでは150kmなので行けなくはないし、彼女のことが気にならないでもないので、
「予定変更しようかなぁ、ニセコもよさそうだなぁ、でも洞爺湖も行きたいなぁ」
と選択肢を決めあぐねたまま寝た。
1996年5月1日(水)
6:50起床。
朝食までの時間をロビーでくつろいでいると、朝から元気な彼女が、だーっと外に行って車を回してきた。
手招きをするので行ってみると
「大沼一周してあげる」
と言って走り出した。
昨日、ボクが大沼を回らずに出発すると言ったのを覚えていたようだ。
朝の気持ちいい空気の中をドライブ。
道ばたにはえぞリス、水芭蕉もきれいだ。
小さな動物園があり、ウサギと遊んだ。
朝食時間のの7:30を過ぎて8:00までドライブし、YHに戻ると、ほかのみんなはすでに朝食済みでボクたちは二人で朝食をとった。
ここではじめてお互い自己紹介をした。
彼女は斉藤菜穂美さんといった。
8:47にボクが出発すると、すぐにカローラUが追いかけてきて、電話番号を渡された。
今日ニセコに行くのか聞かれ、
「気が向いたら行く」
と答えたが、内心予定変更してニセコに行くつもりでいた。
R5はやや上り坂ではあったが、今日は南からの追い風に乗って楽に走れる。
昨日までのつらさがウソのようだ。
最初の1時間は28.8km/hのペース。
10時頃、森町のドライブインでイカめしとジャガイモのフライを食べた。
これも北海道の味。
八雲町に入り、市街地を抜けると、また向かい風となった。
仕方なくゆっくりペース走行に戻す。
長万部町での昼飯は名物のかに飯。
毛ガニとずわいが半々、かにとご飯の量が同じくらいという豪華さだ。
全部まぜこぜにして食べた方がおいしいかもしれない。

ここから、予定を変更、昭和新山に向かうR37へは行かずそのままR5をニセコ方面へと向かう。
やっぱり斉藤さんのことは気になる。
これまでずっと海沿いだったので、久しぶりに酪農の風景に囲まれる。
牛や馬がいっぱいいた。
道ばたにはカタクリやエゾエンゴサクなど高原植物が咲いていて目を楽しませてくれる。

道南の春の花
長い上り坂もゆっくり登れば、周りの景色が長く見れて苦にならなかった。
蘭越町のふるさとの丘で休憩、トイレに行きたかったのだが、ここは洋式トイレで助かった。
クリートつきの靴で和式は難しい。
ここで、この北海道はじめてのソフトクリームを食べる。
本州では食べたことのないおいしさ。
北海道マジックで新鮮に感じるだけではない、本当においしい。
さらに揚げイモも食べてみる。
これもまたうまい。
R5を道なりに走っていて、カーブを曲がったとき突然目の前にとてつもなく大きな山が現れた。
富士山のように一つだけの山がどんと構えている。
羊蹄山である。
思わず、歓声を上げてしまうほどの美しさだった。
ニセコ町に入り、ちょっとだけ近道をしようと、昆布から道道(県が管理するのは県道、でも、それが北海道だと道道なのね)に入った。
すると、途中から約2kmにわたって砂利道ダートとなった。
のぼりの勾配もきつくなり押しが入った。
すなおにR5を行くべきだった。
ニセコアンビシャスには17:00到着。
走行距離152.2km。

羊蹄山 まるで富士山のよう
アンビシャスは手作りログハウスのきれいな宿だ。
斉藤さんは夕食の時間を過ぎても到着しなかった。
ゆうべ会ったばかりの人ではあるが、彼女はボクより10倍以上のマイペース主義だ。
きっと彼女にかかわった人すべてがそう思っているに違いない。
夜は近くにあるいくつかの温泉にペアレントさんがつれていってくれた。
五色、真狩、湯本の中から選べるがどれがよいのかわからないので、とりあえず細川たかしの生まれ故郷である真狩にしてみた。
真狩温泉に行く人は4人。
ボクと枚方から来た女の子、茨木の男の人、広島から来た大きい人である。
残りの大勢は湯本温泉に行った。
真狩温泉ではタオルが褐色に変色してしまった。
でも、露天風呂から羊蹄山は見えるし気持ちよかった。
風呂に浸かって話を聞くと、アンビシャスに宿泊している人の多くはクロスカントリースキーをしに来ているらしかった。
温泉から帰ってくると斉藤さんが到着していた。
翌日、ボクは予定を強引に戻して室蘭へ行くつもりでいた。
しかし、明日の天気予報は北海道に来てはじめての雨。
斉藤さんに
「一緒にニセコのお花畑を見に行こう」
と誘われるが・・・
迷う。
1996年5月2日(木)
7:00になっぱ(斉藤さん改めなっぱ:菜の字があることから)に起こされた。
「雨降ってるから自転車濡れちゃうよ」
と言われて、自転車を屋根のあるところに移動。
今日は11時頃出発して100kmの予定で室蘭に行こうと思っていた。
一方、アンビシャスの客たちの多くは、幻の朝日温泉ツアーに行くとかで10時半に出発すると言っていた。
なっぱも一緒に行く予定だった。
お互い少し時間があるので、昨日のふるさとの丘に牛乳ソフトクリームを食べに行くことにした。
ふるさとの丘は自転車ではあっという間に感じたのですぐ近くと思っていたが、車では意外と遠かった。
途中、二人のヒッチハイカーを発見し、彼らをピックアップするため、カローラUは止まる。
二人は北海道大学の学生で、所持金は2千円くらいしかないのに、5月5日に種子島まで行って友達と合流すると言っていた。
函館まで送って欲しいと言ったが、時間的に困難なので長万部まで送ることにする。
長万部まで行くとしても温泉ツアーの出発には間に合わないんじゃないの?と思ったが、なっぱは関係ないと言った顔つきで、
「前に私もヒッチハイクでずいぶん助かったから今度はお返しをするんだ」
と言っていた。
ふるさとの丘ではソフトクリームを4人分払わされた。
なっぱはついこの前の4月27日が誕生日だといっていたので、バースデイプレゼントということにした。
北大生たちにはおまけ。
そして、彼らを長万部まで送り、健闘を祈ってかに飯弁当をごちそうして別れた。

北大生のヒッチハイカー(中央二人)。左はなっぱ
急いでUターンしたが、温泉ツアーの出発には間に合いそうにもない。
ボクも出発が遅れる上、この雨と霧では大変だ。
なっぱいわく、
「連泊しよう!明日は札幌でしょ?私も明日は札幌に帰るし、荷物を運んであげるよ」
荷物を持っていってくれるのは大変楽になる。
ルートの大幅な変更がまた必要になるが、雨の中を出発するのもいやになってきたので、なっぱの言葉通りにすることにした。
なっぱはボーカルのレッスンをしており、車中、一曲アカペラで歌ってもらった。
曲はドリカムの「うれしい楽しい大好き」。
♪はじめてあったときから違うもの感じてた
自分の中の何かが心をつついていた
これは後に二人の思い出の曲となる。
なっぱはアンビシャスに電話して後から追いかけると伝えたようだった。
ボクも一緒に温泉ツアーに行くことにしたが、アンビシャスに戻ったときは12時を過ぎており、今から追いかけても間に合いそうになかったので二人で自主ツアーに行くことにした。
行き先は五色温泉に決定。
途中喫茶店に寄ったりもして、昼食にかにうどんを食べた。
五色温泉は山奥にあった。
硫黄臭かったが、ほかに客がいるでなくのんびりと入れる秘湯という感じだ。
冬は登ってきた道路が雪に閉ざされるので、スキー客がゲレンデの外に滑ってこないとこれない本当の秘湯となる。
風呂から出てくると、イクサンダー大沼YHで一緒だったカローラで来ていた人とばったりあってびっくりした。
風呂上がりは大広間で1時間ほど寝転がった。
なっぱはボクがいい匂いがすると言ってくれた。
いつの間にか二人は恋に落ちてしまったようだった。
アンビシャスに戻るとなっぱは部屋に戻り眠ったようだった。
今日の宿泊客の中にはイクサンダー大沼YHで一緒だった田中夫妻が来ていた。
彼らもボクたちと再会して驚いていた。
二人ともボクと同い年で大学時代のクラブの仲間だったそうだ。
つきあって8年たって結婚したが、結婚してまだ一年くらいなので新婚さんだ。
一度あった人とばったり再会できるのも旅のいいところだ。
この夜、バカボンと呼ばれる常連客が到着した。
この人がシュークリームをお供えすると晴れるというジンクスがあるらしい。
お供えしたとたん、本当にザーザー降りだった雨がやんでしまった。
すっ、すごい。
この調子で明日も晴れることを祈る。
1996年5月3日(金)
7時起床。
雨はやんで日が射している。
バカボンパワーが効いている。
玄関でみんなで写真を撮って8:44に出発。
一日ぶりの走行はとっても身軽。
理由は二つある。
一つはなっぱが荷物を札幌まで運んでくれること、もう一つは温泉で一日休養したので体力が回復したからだ。
身軽に走れて本当にラッキーだ。
道道を進むと、真狩村のあたりでバカボンパワーはとぎれてしまい雨が降り出した。

アンビシャス出発の朝
この日ほど下り坂がいやだと思った日はなかった。
寒くて手足が凍えそうだった。
なにしろ、上はレーサージャージ一枚とウィンドブレーカーのみ、下はレーサーパンツとレッグウォーマーだけである。
ブレーキをひく指先の感覚がなくなっていた。
下り坂では非常に怖い状態である。
喜茂別町のR276との交差点で休憩し、ホットコーヒーで手足をぬくめようとしたが、全然効果がない。
なっぱにすべての荷物を預けたことを後悔していた。
せめてアームウォーマーだけでも持ってくれば良かった。
こんな状態で札幌まで本当に行けるのかどうか不安になった。
1時間ほど走ると雨はやんできたので、ドライブインに入って、暖かいそばを注文した。
そばは来たけどすぐには食べられなかった。
その理由は、箸を持つこともできないほど指先の感覚がなくなっていたためだ。
とりあえず食べるのはあとにして、うつわで指先と両うでをあたためることにした。
店のおばちゃんが見かねて使い捨てカイロと手ぬぐいを2本くれた。
手ぬぐいは喜茂別のオリジナルタオルでいい記念にもなった。
体が徐々に温まり、そばも食べて中からもあたためた。
走行再会の時は、もらった手ぬぐいをアームウォーマー代わりに両腕に巻くとこれが結構役に立った。
ここから美笛峠に向かう上り坂だが、いつもは嫌いな上り坂もこの日ばかりはからだが暖まるので歓迎した。
美笛峠のピークにあった温度表示は2.9℃だった。
トンネルを抜けて下ると美しい支笏湖が見えた。
湖畔を走る頃は、天気も回復してきて日も射すようになってきたので心地よく感じた。
恵庭岳を支笏湖の対岸に見ながら、千歳市に入りR453へと左折する。
恵庭岳の方へだんだんと近づいていき、恵庭岳の麓を登る道は今までよりちょっときつかった。
札幌まであと40km。
ここからは山の中のアップダウンを繰り返す。

支笏湖と恵庭岳
途中、外国人サイクリストとP.ウグルモフに風貌の似たサイクリストに出会った。
恵山町での競輪選手と会って以来のサイクリストだ。
こんなに寒いのに自転車で走るクレイジーなヤツがボク以外にも二人もいたことに感動した。
札幌市に入ると、久しぶりに見つけたコンビニに寄ってパンを食べた。
ついでに札幌ハウスYHに予約を入れておく。
そのままR453を北上して市街地へ入り、真駒内からはR230で札幌駅前に向かった。

R5を少し北上すると小樽方面へと左に曲がっていたが、なっぱの住まいは直進したR231沿いにある。
16:50に近くの公衆電話から電話を入れてみると留守電になっている。
雨は降っていないが風が冷たいので早く荷物を返してほしい。
15〜16時には帰っていると言っていたのに・・・
やっぱり、超マイペースなヤツだ。
2日間しか一緒にいないがなっぱの性格はだいたいつかめている。
そのうち平気な顔して帰ってくるに違いないと思ったが、マンションの位置もわからず待っていると寒いのでアンビシャスに電話して住所を聞き出した。
ニュー麻生ハイツの305号室を探してチャイムを押してみたがやっぱり留守だった。
ホットコーヒーをすすり、マンションの下でふるえながら待つこと30分間、やっとなっぱは帰ってきた。
小樽で渋滞して遅れたそうだ。
部屋に入れてもらい、レモンティーをごちそうになったあと荷物を受け取って札幌ハウスYHへ向かった。
なっぱは夜勤なのでこれから寝ると言っていた。
走行距離150km。

札幌市のなっぱの自宅前で(寒い)

なっぱ(この日別行動をとった)
YHで風呂に入ったあと、修理中の時計台近くの「味の時計台」というラーメン屋で味噌チャーシューメンを食べ、ススキノを見て回った。
客引きの兄ちゃんにたくさん声をかけられたが振り切って、駅近くの居酒屋で一杯飲んでYHに戻って寝る。
1996年5月4日(土)
夕べは暖房があつすぎてよく眠れなかった。
7時に起きて朝食をとったあと、荷物をおいておみやげを買いに出かけた。
なっぱにも何か買ってあげようと思い、あちこち歩き回ったがいいものが見つからなかった。
五色温泉でボクがいい匂いがするといってくれたのでちょっと汚いけど着ているトレーナーをあげようと思った。
そうすると着て帰るものがなくなるので新しいトレーナーを西武で買った。
13:00にYHを出発。
いったんなっぱのマンションに行って、トレーナーを渡そうと思ったが、夜勤明けで寝ているはずなので、玄関にそっとおくことにした。
顔を見て別れるのがちょっと寂しいという気持ちもあった。
「ありがとう」の気持ちを込めて、ドアのノブにトレーナーを入れた袋をかけてきた。

今日の走行予定は小樽までのたった40km。
気持ちを引き締めてR5を小樽方面へと向かったが、今日が北海道で最後の走行となるのかと思うと感慨深かった。
40kmはゆっくりと北海道を楽しんで走ることにした。
R5は交通量が多く渋滞も多い。
車はのため進まないので、自転車のボクとそう変わらないスピードだ。
ボクはそんな車の脇をすいすいとすり抜けていった。
そして小樽市に入り、1週間前に出発したトヨタレンタリースのあるR5の前を通過して道南一周を達成した。
四国一周達成の時と同じ感動である。
小樽は坂の町として有名である。
小樽天狗山YHはそんな坂の一番上にあり、目の前は天狗山スキー場というロケーションだ。
従って、そこにたどり着くまで激坂を上らなければならなかった。
YHについてから石原裕次郎記念館やほかの観光にでも行こうと思っていたが、再びこの坂を上らなければならないと思うといやになってやめた。
走行距離45.9km。
小樽天狗山YHはあまりおすすめできるYHではなかった。
その一は洗濯機。
今時、二槽式の洗濯機でしかも洗濯槽にはゴミが浮いている始末だった。
その二は料理。
郷土料理といって1500円のものを頼んだがメニューは冷凍肉のしゃぶしゃぶと鶏の唐揚げ、これが郷土料理?
小樽の郷土料理なら寿司や海産物だと思うけど・・・
夜はなっぱのことを考えていた。
無性に寂しくて電話をかけた。
夜勤明けで寝ていたが、
「どうして何も言わずに行っちゃうの?」
と怒られてしまった。
玄関のおみやげにはまだ気づいていなかったらしく、思わぬ贈り物に喜んでくれたようだった。
「ゆうちゃんのにおいがするよ」と言ってくれた。
ボクはお盆にもう一度北海道に来ることを約束した。
なっぱも大阪に来ることを約束してくれた。
電話ボックスから見える小樽の夜景がきれいだった。
1996年5月5日(日)
6時頃に目が覚めた。
夕べの電話でなっぱが
「旅先では早起きして散歩すると必ずいいことがあるよ」
と教えてくれた。
そう言えば大沼でもえぞリスに出会えた。
そして、電話ボックスのある駐車場まで散歩に出かけて朝の小樽の景色を眺めた。
今日は今までで一番いい天気で朝日がまぶしかった。

小樽の朝
冷たいけど気持ちのいい空気の中でリラクゼーションを楽しんでいると、坂道を上るエンジン音が聞こえた。
その方向に目をやると、見覚えのある空色のカローラU!
なっぱだ!
ボクが駐車場にいるとも気がつかずにYHの方へと向かっていったので、その後を追った。
なっぱの言う早起きするといいことってこのことだったのかもしれない。
最後の別れと見送りにおにぎりまで作ってわざわざ札幌から来てくれたのだ。
朝食まで時間があったので港に行き、海を見ながら別れを惜しんだ。
YHに戻って朝食を済ませ、一緒に港へ向かう。
フェリーへはバイクが先で自転車は後回しだったが、その間少しでも一緒に肩を並べていられることがうれしかった。
長い間デッキにたたずんで、下のなっぱを見ていた。
出港時間が近づくとなっぱは小屋の隅へと移動した。
どうやら泣いているみたいだ。
どこかの見送りのグループがギターを弾いて歌っている。
♪君の旅はまだ終わりじゃないー・・・
♪また来いよ、北海道ー・・・
船の別れはつらいもの、彼らの歌がなお寂しさを増幅させる。
ボクにもあついものがこみ上げてきた。
また来るよ!北海道!
そうつぶやいて船は港を離れた。
見えなくなるまで手を降り続けた。

小樽市内を走行中(左)撮影:なっぱ
1996年5月6日(月)
まる2日間かけてフェリーは舞鶴港へと戻った。
16時くらいについて、R27を南下していった。
高槻まではとても自走で帰れないので、友人の岡本ちゃんに頼んで丹波町のドライブインまで迎えに来てもらうことにしておいた。
舞鶴の道はなんと暑いのだろう、北海道が寒かっただけなのだろうか、とにかく、気持ちよくてスイスイスイと走り、待ち合わせ場所にはちょうど暗くなる直前についた。
走行距離約60km。
こうして、のべ11日間にわたる道南ツーリングはたくさんの思い出を残して終了した。

ゴール!