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YUISHIN IWANAMI
  
 
   団体に属さずフリーで墨絵と書を制作。
特に書は紙墨にとどまらず、天然の姿そのままの木石に刻む。

 視野障害
2級・右上肢機能障害3・右下肢機能障害4





 1969年、東京に生まれる。本名・岩波茂雄。4歳で洋画家に油絵の、8歳で書家に書の手ほどきを受けるなかで悪戯心から我流の墨絵へ、そして何時しか子供ながらに抱いた社会への疑念と厭世感により仏画へ傾倒。

 
14歳の時に仏画の独習を開始し、ちょうど美術の臨時教師でやって来られた方が仏師の弟子ということで仏画師になりたいという旨を告げ、相談をするが時まだ尚早と諭され、そこで文化学院高等課程美術科に進学(推薦者・村井正誠)。ところが家庭の事情により、ほぼ2ヶ月で中途退学をせざるをえなくなり暗中模索。

 とうとう
16歳の終わりに意を決して家を出、さる仏画師の下で修行をし、少しずつ注文を受けるようになった22歳の時に難病(特定疾患)の網膜色素変性症に罹患していたことが判明、また悪化。致し方なく仏画の道を断念。

 以後、墨絵と書を専門に活動を開始し公募展で数回入賞。これにより審査員および役員等を務めるが自分の性に合わないことを覚り、
26歳の初めまでにすべての肩書を捨ててフリーとなって磊落。
 
 不思議と自身に生まれ出た肯定の心と、仏画師の頃より自ずと養われたアジアの古典思想の頭を素地に山野を跋渉しつつ大自然に息づくもの達の姿と、ありきたりにも存在するもの達の姿を借りて絵とし、また時に心内にある己の情を文字と言葉というものに託し書となして、「人の心、命とは何か」という問いと模索をテーマに作品の制作を続けていました。

 そして
31歳の終わりに原因不明の脳出血によって右半身不随となりましたが、心はさらなる自由を得、跋渉をするには不便な足になったことと、利き腕が右から左に変わったのみ。テーマも何も変わらずに日々作品の制作にいそしんでおります。
  

 

【活動】

企画展を中心に個展を開催(高島屋(立川店) 帝国ホテル(絵画堂)等)。
また
2000年にはオランダ制作のドキュメンタリー映画「日本の激流の中で」に出演。冒頭で映画のキーワードとなる文字、「自然」を揮毫。
同年にインド・ラジャスタン州ラドゥヌーンにある、ジャイナ教テーラーパンタ派の研修所にて最高指導者=アーチャーリヤ・マハープラギャ師による教徒への説法の折に、御前揮毫で書作品「不殺生」と「無諂曲(無所有の意)」の2点をしたためる。

最近では文字や言葉についての講演等もしております。



【主な作品の所蔵先】

●オランダ  
ルイ・ファン・ハステレン(個人。財団日蘭関係の四世紀$ン立者の一人。)

●インド   
トゥルシー・デールガー・アートギャラリー

●日本    
諸寺院 等。


                      
 
 
2000
11月 インド・ラジャスタン州ラドゥヌーン。
 ジャイナ教テーラーパンタ派の研修所ジャイン・ヴィシュヴァ・バラティ≠フ講堂にて書作品を揮毫。
 
 

 
  右の写真は「日本の激流の中で」スクリプトより。   
 
2002
11月 東京国際フォーラム。 
 ドキュメンタリー映画「日本の激流の中で」の試写会にて、駐日オランダ王国特命全権大使=
E.F.ヤーコプス氏と。