「からふね」第五六回


筆記者・三島広志

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                                                 平成九年二月十六日(日)
伊藤育(欠席)
菜の花は冷気にいのち保つかや
ミニひなの官女見目よし手を休め
自選 ビロードをすつぽりの面や猫柳

 空気が冷えるので菜の花が美しさを保っているというのが初句。
 二句目。ひな人形の三人官女の美しさにしばし手を休めて見とれたのでしょうか。
生活の中のほっとしたひとときです。
 自選句。猫柳の質感はビロードそのものですね。中七を工夫してください。たとえ
ば
 ビロードを細々と枝に猫柳
 ビロードに水面明かりや猫柳

井上美保子
春隣石鹸の手を差し出され
誘はれて畦に出づればいぬふぐり
自選 鬼やらひスリッパに豆ありにけり
題詠 白き白き春のカップにハーブティー
特選 春光の浜辺に鳶の急降下 隆邵

 初句。こういう句を説明することは不可能。にゅっと差し出された手に春の近さを
感じた作者。それに同感できるか否かは受け手の問題。
 二句目。「れば」を一考。あるいは作者の一番言いたい所かもしれませんが。
 題詠。春の気分が横溢していて、句会でいただきました。上五の畳み込むリズムが
中七下五のゆったり流れることばで自然に伸びやかな調べとなっています。

梅田真央(小学生)
バレンタインすきな人にはあげないよ
おには外家にはすごくおにがいる
自選 春の雲さっきのくもとおんなじだ
題詠 春風につつまれハーブはいいにおい

 初句。チョコをもらえなかった人はこの句でどれだけ救われることか。
 二句目。真央ちゃんのお父さんの句は「鬼やらひ奥には妻のどんとゐて」。梅田家
が浮き彫りにされているとユーモラスな解釈が笑いを呼びました。
 三句目。雲を見上げたらさっきと同じ春の雲があるという句。そこには動作の反復
と時間の経過が詠まれています。同時に春の雰囲気も。

梅田昌孝
バレンタインみじめなくらいまじめなり
挨拶をかはすことなき余寒かな
自選 鬼やらひ奥には妻のどんとゐて
題詠 持つことをやめてしまへば春の風
特選 退化せし尻尾伝ひて余寒来る 弥生

 二句目。確かにこういう寒さがあると共感者がいました。
 自選句。妻のどんと控える家庭はきっと安泰でしょう。作者自身が行きどころなく
うろついている鬼のようにも見えます。ペーソスの漂う句。
 題詠。持つことをやめた軽やかさと春風がどこか合っているのか、別の作者から類
想の句が投句されて一同驚きました。

大橋和(欠席)
大浅利商い中の大看板
草萌る少年独り寡黙なる
木の芽合え母の好みの夕餉かな

 初句。大浅利と大看板が春を語って雄弁との評。
 二句目。寡黙な少年と春の勢いの対比。
 三句目。自分の母親も木の芽合えが大好きだったからこの句をいただきましたとい
う、自分に引き付けた選をされた方がいました。多くの人に共通する思いをすくい上
げたとき、技巧など関係なく共感者を得るという句です。作者と読者の心が響き合う
のでしょう。

金子いちゑ
夕暮れてほの紅き芽に氷雨落つ
雪中花夫を看とりぬ妻の顔
自選 玻璃窓を透す朝日の春めきて
題詠 大草原海をわたりてハーブの香
特選 百の絵馬百の願ひや春立つ日 隆子

 初句。氷雨は夏の季語。一般的には雹(ひょう)と言います。雷雲によって関東地
区に降ることで知られています。しかし、霰(あられ)のように雨と氷の交ざったも
のを氷雨と呼ぶこともあり、その時は冬の季語になります。広辞苑では夏と冬の季語
として掲載してあります。歳時記再検討のひとつの課題ですね。甘酒も夏の季語です
が実情とはそぐわなくなっています。
 この句は芽が春の季語ですから季節は冬から春への過程か、冬木の芽かもしれませ
ん。「ほの紅き」はどうしても必要かどうか。
 二句目。雪中花は水仙の花。自選句の玻璃は「はり」、ガラスのこと。
 題詠はスケールの大きな句になりました。

小谷隆子
残雪を選んで歩く革の靴
持ち上げし土黒々と霜柱
自選 百の絵馬百の願ひや春立つ日
題詠 持ち物は鞄一つや春の旅
特選 鬼やらひ奥には妻のどんとゐて 昌孝

 初句。中七の整理を。
 二句目。力強い霜柱の描写。最近見かけなくなりました。
 自選句。一枚の絵馬には一人の願いが込められているのですが、百枚なら百人分の
願い。絵馬のぎっしりぶら下がった神社の様子が、春立つという季語を得て、入学試
験などの新しい旅立ちを予想させると好評でした。
 題詠。これは願望でしょうか。フーテンの寅さんのようです。

清水隆邵
一列になりて小綬鶏垣くぐる
見得を切る子役に祝儀初芝居
自選 春光の浜辺に鳶の急降下
特選 残照に聳ゆる影の冬木かな 広志

 初句。小綬鶏(こじゅけい)の動きをよく見てあると賛意。
 二句目。祝儀がいいですね。実景がありありと見えてくるようです。切れもこぎみ
よく決まりました。
 自選句。春の日差しを浴びてきらめく浜辺での鳶の生命感。鳶は年中いる鳥だが春
という季節を感じるという意見がありました。確かに次のような名句があります。
 春の鳶寄り分かれては高みつつ 飯田龍太

西尾謹子
梅ひらくわがかよひ路の丘の上
左手ふれ梅がふわりとほころびる
恋猫に思ひのほかの風荒き
題詠 尼さまの姉さまかぶり蕗のたう
自選・特選指定無し

 二句目。左手には(ゆんで)というルビがありました。ゆんでは弓手。左手には弓
を持ち、右手(馬手・めて)で手綱を引くところからきた言葉ですね。「馬手に質札
 弓手に馬券」とは田原坂をもじったフォークグループかぐや姫の歌です。
 右手で触れたなら意識的だが、左手なら無意識に触れてしまったというニュアンス
があり、それが中七・下五とよくつながると深く読まれる方がありました。
 ふわりは「ふはり」。

橋爪紫苑(欠席)
焼芋屋寒満月を帰りゆく
裏返へる陽当る絵馬や大試験
いち早く造花の春を溢れさせ

 大きな満月の下をゆっくり帰ってゆく焼芋屋の光景は初句。大景が鮮やかです。
 二句目。上五・中七と動詞が並列されています。こういう場合相殺されやすので、
上五を「裏返り」として直接絵馬に掛けたほうがいいのではないでしょうか。見知ら
ぬ人の絵馬にその人の合格を祈るやさしい紫苑さんです。隆子さんの百の絵馬の句の
焦点は神社全体に広がりますが、この句では一つの絵馬に集約されます。

松あめんぼ
二筋の雲早春をゆくふたり
春光に蘇りたる竹の精
自選 残雪に三つ爪残しゆく獣
題詠 信念を持ちて冬越し春の蝿
特選 かたくなに蕾む葉裏の寒椿 山口幸子

 初句。はたして二筋は必要でしょうか。事実はあるいは作者が描きたいのはそうな
のでしょうが、俳句の場合、雲だけで十分のようです。
 二句目。春の光の中でつややかに輝きだした竹の精。春のよろこびと竹の生命感、
なにより作者の澄んだ心が読み取れます。
 題詠。春の蝿という季語の本意を考えると「冬越し」としないでほかの言葉を用い
た方が句に力がでます。

 あめんぼさんの今月の句から、俳句の形式をうまく利用されだしたなという感想を
持ちました。このまま頑張っていただきたいものです。
 五七五という調べと季語、切れが俳句の基本とされていますが、それ以外にいろい
ろな形があります。それらを利用しつつ、あめんぼさんの感覚を生かしていかれると
いいのではないでしょうか。
 俳句には委ねてしまえる形式の強さがあります。季語の世界があります。ただし常
に鮮度を新しくしないと、自己模倣の句を繰り返すだけになってしまいますが。

三島広志
探梅や耳がうがうと耳の中
残照に聳ゆる影の冬木かな
自選 懐手とは威嚇とも守りとも
題詠 ふきのたうまでの道のりやはらかく
特選 鬼やらひスリッパに豆あいにけり

 初句。探梅の頃は風の季節でもあります。
 二句目。冬の夕焼けの中に屹立する大樹。よくある光景で、よく作られる句ですが、
自分としては得心のゆく出来でした。
 自選句。懐手は冬の季語。着物文化の名残です。昔のおやじは帰宅すると着物に着
替えて懐手で威厳を正していました。しかし、それは虚栄の自己防衛のようでもあり
ます。

山口幸子(初参加)
かたくなに蕾む葉裏の寒椿
うぐいすの花まだ小枝翔びたてり
自選 早蕨や和菓子老舗にならびたる
題詠 山峽に伸びて花咲く蕗の薹
特選 左手ふれ梅がふわりとほころびる 謹子

 初句。葉の裏に潜んでいる寒椿の蕾に目を止められました。それを「かたくな」と
表現されたところに作者自身の投影があります。ただし自己投影を強く打ち出すと読
み手の自由を奪う、つまり鑑賞の幅を狭くすることもありますから注意してください。
ここは「かたくな」でなく素直に「固い」という状況描写に止めたほうがよいと思い
ます。葉裏と表現されたことで十分に作者の思いが響いてきますから。
 二句目。中七でひねりを効かせてあります。うぐいすは「うぐひす」と書くのが歴
史的仮名遣い。飛び立ったあとの小枝の揺れが想像でいますね。
 自選句。ならんでいるのは早蕨ですから「や」と切らないで「の」と後に続けてみ
てください。
  早蕨の和菓子老舗にならびたる
あるいは切るなら実景とは異なるでしょうが、
  早蕨や和菓子老舗の庭づたひ
  早蕨や和菓子老舗にひとならび
と体言止めにすると収まりがよくなります。
 それが意を尽くさないなら「老舗にならびつつ」のように副詞的に用いてあとに状
況を示すことばを連想させましょう。

吉鶴弥生
口ずさむ唄いつからか春の唄
雛の間や些細な音に怯ゆる子
自選 内裏雛頭の向きを正しけり
題詠 春立つや棚より下ろすハーブティー
特選 持ち物は鞄一つや春の旅 隆子(題詠)

 主婦という生活者を貫きつつそれと直接して俳人の道をゆかれている。そんな作者
です。とにかく熱心です。
 初句。こうした日常の中の何でもないひとこまを俳句に切り取ることが最近とても
上手になられました。
 二句目。この句には結果を予期した計らいが多少感じられます。中七下五の説明的
だからです。些細な音とは何か、どのように怯えたか、そこを映像化してみてくださ
い。目の付け所は大変いいですよ。
 自選の句は何げないようで「向きを正す」という明確な動作が絵柄を印象づけ、誰
もがその行為を心の中で追体験することで雛の間がありありと見えると同時に、幼い
頃の自分に引き戻されるのではないでしょうか。
 ハーブティーの句は題詠ですが、「棚より下ろす」という行為の普遍性が俳句とし
て成立しています。「怯え」の句との差を考えてみてください。

解釈と鑑賞
                                                                  三島広志

 藍生愛知は決して理論を目指すグループではありません。しかし、わたしたちが人
の句を読み、選句し選評する中に、解釈と鑑賞は分かちがたく存在しています。一歩
止まって自らの行為の中に足を踏み入れてみるのも一興と思いついての宿題でしたが、
課題に向き合うことで一人一人の中にしっかりと印象づけられたことと思います。
 選句はまず作者自身の手によって行われ、句会で投句されたあと、他人の選を受け
ます。自分の句の最初の読者は自分自身であることこれも忘れてはいけないことでしょ
う。そこにもすでに解釈と鑑賞がなされています。
 選句のときは解釈、鑑賞、批評、批判がほとんど瞬時に行われているのです。当日、
解釈に先立って直観があると言われた方がありました。しかしそれは速度の問題であっ
て、最初に句の十七文字を自分の言葉に翻訳するための解釈があるはずです。
 直観は解釈や鑑賞などの能力が極力進歩して、あたかも論理的過程を経ないでいき
なり結論を導き出すことです。情報収集および判断力の極度に進歩したものでカンと
も言います。ちなみに句を作るなどのように表出や応用などでカンのように極度に進
歩したものをコツと言うことはご存じですね。
 選句は直観というのはまさに正しい意見ですが、そこには解釈や鑑賞が猛烈な速度
でなされているのです。その直観をこそ、分析的に考えていただきたかったのです。

 ただし直感は違います。山勘に近いもの、すなわち当てずっぽですから、そこには
知的処理はなされていません。

≪後記≫

  話し合いの結果、記念句集はみなさんの賛同で推し進めることになりました。まず
は新旧を問わず一人五十句ほど四月中に選出しておいてください。まだ参加して間も
ない方はきついかもしれませんがこつこつ作りためてください。そして最終的には一
人三十句をワープロで打って編集し、手作りの形で製本します。表紙は小谷隆子さん
に依頼しました。予算次第ですが一人当たり何冊か行き渡るようになるはずです。今
回のために改めてお金を集める予定はありません。
 こうした作業は全く不案内ですがなんとかなるでしょう。
                                                                    (三)