游氣風信 No34「悼佐藤勝治先生  90歳現役学者三石厳」

三島治療室便り'92,10,1

 

三島広志

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http://homepage3.nifty.com/yukijuku/


《游々雑感》
哀悼 佐藤勝治先生

 佐藤勝治先生・・決して広く知られている名前ではありませんが、宮沢賢治の研究
書にいささかでも関心を持つ人なら誰でも知っている名前です。

 先生は市井の学者・野の宮沢賢治研究者としてその持てる情熱と才能全てを(ある
いは多くの時間と経済も)宮沢賢治研究に費やした類いまれなる意志の人です。 そ
の佐藤勝治先生が去る8月28日に幽明境を異にして、鬼籍に入られました。大正2年(1
913)生まれ、79歳。実に一途な充実した人生を送られたことと思います。

 わたしと佐藤先生の出会いはおよそ15年前に逆上ります。
 大学2年の夏、以前から愛読する宮沢賢治ゆかりの岩手県を旅行し、賢治作品の舞
台の地を徘徊してきました。
 次いで大学を卒業した夏、オートバイで再び訪問しました。
 前回のテーマは自然との触れ合い、二回目のそれは人との邂逅を目指したものでし
た。そしてそれらはとても具合よくことが運んだのでした。

 旅に出ると旅先の書店でその地方でだけ出版されている本を見ることにしています。
当然岩手でも大きな書店に寄っては地方出版物を探しました。
 ですから昭和51年に花巻市の店で賢治や啄木の研究誌「啄木と賢治」(みちのく芸
術社)を見つけたときはそれはうれしかったものでした。その主幹が佐藤勝治先生だっ
たのです。
 もちろんその頃には佐藤勝治という名前はよく知っていました。わたしの書棚にも
「宮沢賢治入門」という氏の本が収まっていたのですから。


 帰宅して早速今後の購読とバックナンバーが欲しいという由を書いた手紙を出しま
した。何冊か送っていただくうちに、突然先生から原稿を依頼されたのです。しかも
「啄木と賢治」に載せると言うのです。

 そこで、自分なりの賢治観を書いて送ったところ
「プロの評論家には書けない云々」
という褒められたのか要するに素人の作文という意味なのか分からない批評のお返事
を戴きました。さらに
「どんどん書いて下さい。」
とも付け加えてありました。

 それではと、さらに勢い込んで「宮沢賢治は何故舞ったか」という文を書き上げま
した。これはこの《游氣健康便り》で以前連載しましたから、ご記憶の方もあるでしょ
う。こちらは先生から激賞されました。

 ところがいかなる理由でしょうか。原稿不足か経営的な問題か、あるいは先生の体
調のためか、「啄木と賢治」がなかなか発行できなくなりました。個人誌や同人誌に
はよくあることです。
 しばらくして、佐藤先生から
「貴君の原稿は盛岡タイムスに載せる・・」
という連絡を戴きました。

 盛岡タイムスにはその言葉どおり一作目は「今こそ賢治と共に」というタイトルで
二回連載、「宮沢賢治は何故舞ったか」は四回に分けて掲載されました。昭和56年の
ことです。
 肩書がなんと「宮沢賢治研究家」、当時のわたしが27歳。母親からおおいにひやか
されたものです。しかし、いかに発行部数の少ないローカル紙とはいえこうした形で
活字になることはしがない治療師にとって生涯何度もある経験ではないので感動的で
した。(後に至文社刊「国文学解釈と鑑賞 宮沢賢治特集号」で「宮沢賢治は何故舞っ
たか」の方が新聞掲載論文と認知されましたからこれは素人として自慢していいでしょ
う。)
 この点で佐藤勝治先生はわたしの恩人なのです。

 しかし佐藤先生とはついに一度も直接お会いすることができませんでした。写真で
拝見したお顔は「頑固な意志」が白い長髪のかつらを被ってこちらをにらんでいる風
貌。現代に少ない筋の一本通った雰囲気がひしひしと伝わってくるものでした。

 佐藤先生の労作には「宮沢賢治の肖像」と「宮沢賢治批判」があり、昭和49年両方
をまとめて「宮沢賢治入門」とされました。わたしが所持しているのはこれです。

 「宮沢賢治の肖像」には仏教とりわけ法華経の視点から、賢治作品が深い信仰と実
践からなることを解き、有名な「雨ニモマケズ」は、仏教の十界、四諦八正道、苦集
滅道が曼陀羅のように織り成されていると解釈されています。(言葉の意味は難しい
ので詳しくは法事のときにでも住職さんに聞いて下さい。)
 それが「宮沢賢治批判」では一転して共産主義の立場から、賢治の持つ現実不条理
に対する認識の甘さを衝きます。つまり宗教は「慈悲」という概念を用いることで階
級性を革命的に打ち砕き平等の世界を作ろうとするものではなく、上部構造から下部
構造に対する「施し」という形でごまかし是認するものだと批判しているのです。

 この佐藤先生個人の大転換は、実は賢治の評価の歴史でもあります。戦前、谷川徹
三氏に代表される「賢者の文学」「善意の文学」という賢治観が軍部によって戦争中
の耐乏生活のために利用された事実があり、戦後、共産主義が強く広まったとき中村
稔氏や国分一太郎氏などによる賢治批判があったのです。とりわけ農地解放に対する
賢治の考えの甘さがその標的となりました。

 わたしは当時「宮沢賢治入門」を読んで、あまりの極端な差異に戸惑ったものでし
たが、佐藤先生があとから来る賢治愛読者や研究者にいろいろな論点を提供するとい
う意味で両方の意見を一つにまとめたというところに先生の賢治に対する愛情と見識
を感じます。

 どんな作品も人も時代にさらされて、鍛えられていくのでしょう。賢治の作品は時
代の変化やさまざまな毀誉褒貶を超えてますます広く深く読まれています。それは作
品の深部に真の古典となるべく条件を包括しているからに相違ないでしょう。

 昭和59年、519頁という分厚い本が送られて来ました。タイトルは「宮沢賢治・青
春の秘唱“冬のスケッチ”研究」〈増訂版〉十字屋書店刊。著者はもちろん佐藤勝治。

 賢治の習作期の作品と言われる「冬のスケッチ」を詳細に研究したもで、そのエネ
ルギーたるや大変なものと想像できます。この労作を贈呈されたのでした。
 わたしは感想を簡単に葉書にまとめてお送りしました。すると昭和61年、今度は
「佐藤勝治著“冬のスケッチ研究”読後感想書簡集」
という小冊子が届きました。
 その内容はタイトルの通り先の大著に対して寄せられた書簡をアルファベット順に
集成したものです。わたしの文章もFのところに載せてありました。

 先の大著は惜しむべくは研究書として少し感情が表面に出過ぎていました。論文と
するからには「理」でものごとに切り込んでいく、その過程と成果のみをたんたんと
書き記さねばなりませんが、この本は個人的な感情が出てしまったのです。せっかく
の研究がその点で減点されてしまうのはとても残念なものでした。内容には見るべく
ものがたくさんあるからです。
 市井の学者ということでアカデミズムからどうしても無視されがちな経験がついそ
うさせたのかもしれません。情熱家の熱情があふれてしまったのかもわかりません。

 わたしは感想書簡の最後に
「もっと感情を押さえられたほうが良かったとも思います。」
と書きました。

 佐藤先生は小冊子の後書きに「これらのお手紙を寄せられた方々へ、重ねて心から
厚く御礼申し上げます。中にも御注意やら御忠告を(御遠慮がちに)お書き下さった
方々の御友情は特に忘れません。(後略)」としたためておられます。

 いろいろとお世話になりながらついにお会いして御礼をいうことができなかったわ
たしとしては、この後書きを読むと、ささやかながらもご恩を少しはお返ししたこと
になるのかと思いにふけるのです。

 佐藤勝治先生のご冥福を心からお祈り致します。


朝日新聞
                                      
        平成4年10月15日朝刊
最先端の研究踏まえ90歳が説くがん予防
科学教育家・三石巌さんが刊行
電子レベルからの解説
がん専門家も高く評価

 1901年生まれの科学教育家で、理科教科書や科学読み物の著作で知られる三石巌さ
んが、「ガンは予防できる──活性酸素とガン予防の新段階」を刊行した。がん解明
の最先端の研究を踏まえ、それに基づく予防法を、一般向けに量子力学から解説。蓄
積した知識と柔軟な理解力で、がんを電子レベルで捕らえ、90歳とは思えない熱っぽ
い筆で予防法を説く。「専門家が注目し始めた最先端予防法に、独自に到達したとは」
と、がん専門家も驚いている。

 三石さんは、自由学園の羽仁五郎さんと知り合い、戦中から戦後、「しもばしら」
や「音の科学」など、科学とは何かを伝える、多くの科学読み物を著した。戦中の日
大教授時代、教壇から「ストライキをやれ」と学生に呼びかけ、辞職。のち津田塾大
教授などを努めた。もともと物理系だが、近年は医学や文明まで対象を広げ、著作家
として現役を続けている。
 こんどの「ガンは〜」は、三石さんには絶好の対象だった。ノーベル賞の福井理論
による電子レベルでの反応、がん発生にかかわりがあるとみられる活性酸素(注)、
遺伝子のDNAの修復ミスの仕組みと、幅広い分野を、専門家を訪ね、多くの論文を
読んでまとめた。もっとも内容は、一般にはかなり難しく、三石さんも文中「4、5回
は読め」と述べている。
 この分野の研究者の平山雄・予防がん学研究所長(元国立がんセンター疫学部長)
は、この本を「難しい最前線を基礎から理解し、真っ向から説いている。がん専門家
でないだけに、むしろ客観的で説得力がある」と高く評価する。がん研究者も専門以
外はいわばシロウトなので、「大局の理解にこの本を読んでほしい」と、平山さんは
配り始めたという。
 三石さんは、がんのポイントを活性酸素にしぼり込み、「予防は絶対でなく、確立
を小さくすること」と断った上で、活性酸素を避け、除去する物質の摂取を、と具体
策を挙げた。
 要約すると
 1 X線や紫外線、過酸化脂質、食品添加物、農薬、ストレスなどを避ける
 2 カロチノイド(ベータ・カロチン類)の摂取。ニンジン、カボチャ、卵黄、魚
卵、ゴマ、緑茶など
 3 ビタミンC・E・B・の追加摂取
  となる。この説を平山さんは、学者の立場から「間違いないと証明が出たものば
かりとはいえないが、『考え得る妥当なもの』という意味で正しい」と評価する。そ
して「90歳で編み出すとは」と感嘆した。
 三石さんは、ますますかくしゃくとして、こんどは「21世紀は存在するか」の刊行
にかかった。20世紀最初の年に生まれ、熟年の総合力と眼力を発揮して、若々しい熱
を多方面にぶつける三石さん。高齢社会の模範生と言えそうだ。
「ガンは予防できる」は太平出版社(03-3204-1351)発行、1339円。
(注)活性酸素
 酸素分子は、原子2つが結合した形だが、相棒を失った酸素原子のようなものが体
内で発生すると、反応性が大きく、相手構わず酸化する暴れ者になる。DNAに傷を
負わせ、がんだけでなく老化全般の原因になるという考えが、有力になってきている。

                                                                  以上
 興味ある方はぜひ一読してください。

<後記>

 以前身体調整にみえた音楽部の学生さんから愛知県立芸術大学音楽部の定期演奏会
の入場券をいただいたので芸術の秋の実践にでかけました。
 ステージの上で芸術家の卵たちが懸命に演奏していました。中にはもう立派な演奏
ができる人がいて、さすがは芸大と感心して帰路についたものです。

 音楽や舞踊のようにその場で表現する芸術を「時間芸術」、絵や彫刻のように完成
品を展示する芸術を「空間芸術」と言うと、中学生のとき習ったような記憶がありま
す。

 どちらかと言えば時間芸術のほうが表現において厳しいものと、演奏を聞きながら
思いました。
 音楽とりわけクラシックは楽譜がそのまま演奏ができて当たり前、作曲家の創作に
演奏家がなにがしかを加えつつ、見事な表現として完成させなければならないので大
変です。
 なにより体調の管理が重大になってきます。当日風邪ではなんともさえませんから。


 我が家のすぐ近所のお宅の息子さんが先月、イタリアのオペラ歌手の登竜門である
パルマ国際音楽コンクールで優勝されました。(バス・バリトン)。稲垣俊也(31)
さんといいます。
 稲垣さんは高校生のとき声楽を志し、いつも家で練習していました。その声が日毎
によく通りだし、とりわけ東京に住んで先生に鍛えられるようになってからは、帰宅
の度に声が素晴らしくなるねと家族のものと話していました。

 東京芸術大学を卒業後、文化庁のオペラ研修所を経て、文化庁派遣海外研修員とし
てイタリアのミラノに滞在されていました。
 12月4日に江南市民文化会館でリサイタルをされます。大学からイタリアまでずっ
と同行されていた奥さんの久美子さん(ソプラノ)も参加されます。

 いかなる歌声か今から当日を期待して待っています。
 何しろ稲垣さんは今後活動の本拠地はイタリアにするようですし、すでに当地の幾
つかの劇場のオーディションにも合格し、ドイツやチェコのオペラにも参加が決まっ
ています。今後は国際的に通用する数少ない声楽家の道を歩まれるようですから。

 それにしても、芸術音痴の身ながらこのところずっと芸術づいています。