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史鉄生研究 人文学部人文学科中国文化専攻 赤尾杉 卓
史鉄生。障害や生、死を作中に廻らせ、ときに哲学的に描かれるそれは難解で複雑ながらも、描かれる世界は不思議と明るく、やわらかく、美しい雰囲気で、さほど重さを感じさせない。そのような作風をもつ彼は、日本でもファンが多い中国の作家の一人である。まずは彼の経歴〔注1〕について簡単に触れておきたい。 彼、史鉄生は1951年北京に生まれた。1964年に北京東城区王大人胡同小学を卒業し、1967年名門北京清華大学付属中学・初級を卒業する。その後1969年、毛沢東の「上山下郷」運動〔注2〕に参加し、陝西省延安地区の貧しい農村、清平湾に下放する。しかしその三年後、史鉄生21歳の年、彼は脊髄多発性硬化症という難病に冒され、両足が麻痺してしまい帰京する。一年半の入院治療の後実家に帰り、近くの町工場で工芸品を作る傍ら創作を開始し、1978年『法学教授及其夫人』〔注3〕でデビューを飾る。 1981年、新たな病気が加わったため退職して創作に専念する事にした彼は、1982年に北京作家協会に加入。次いで中国作家協会に加入した翌年、『我的遥遠的清平湾』が全国優秀短編小説賞を受賞。さらに翌年には『??的星星』が同賞を受賞し、一躍彼の名が世に広まった。 彼の作品は、1978年から2000年のものまででおよそ100篇を確認しており、その中で小説は45篇である。残りは散文、随筆、評論などとなっている。附録の「史鉄生作品リスト」を参考にして頂きたい。作品の末尾に記されている日付に注目すると、1988年まではほとんどの作品が小説であり、その数は1988年までに書かれた作品44篇のうち36篇である。これは45篇の小説作品の大半を占めているということになる。確認することのできた作品のうち、原稿末に記載されている日付が最も古いものは『兄弟』の1978年である〔注4〕から、10年で大半の小説を書いていることがわかる。さらに、原稿末の日付が1989年の作品には小説作品が発見できなかったことから、1988年は、史鉄生の小説において一つの区切りであると言えよう。 さて、史鉄生の小説作品にはよく障害者が登場する。一時は「障害者作家」などと呼ばれた時期もあったらしい。障害者である彼が、障害者が登場する物語を描くのは当然といえば当然のことである。健常者には到底理解できない、障害者であるがゆえの心情を理解することも、健常者とはまた違ったものの見方でものを見ることも、彼にはできる。それはやはり、自然なことといえよう。しかし、彼の作品を読んでいると、障害者だけが多く登場するのではないことがわかってくる。すなわち、子どもと、動物の存在である。 小説作品45篇のうち、初出の雑誌、単行本などで41篇に目を通すことができた。その41篇で子どもが登場するものが32篇あり、その中でも物語において、ある程度高い位置付けを持って登場していると思われる〔注5〕ものが20篇ある。動物については、重要な働きを担う動物が登場するものは7篇と少ないが、登場するだけならば41篇中32篇という数にのぼる。では障害者はというと、登場するものは25編と、子どもと動物に比べれば少なめだが、そのうち16編は障害者が重要な役割を担う作品である。物語において重要な位置をもって登場する割合は子どもとほぼ同じなのだ。 障害者は理解できるが、子どもと動物がこんなにも登場するのは何故だろうか。そこで、それぞれが重要な役割を果たしていると思われる小説作品のうちから特筆すべきものを数篇取り上げ、史鉄生の描く子ども、動物、そして障害者についてそれぞれ考察し、その疑問に迫ってみたいと思う。 なお、本稿で使用した漢字は固有名詞も含め一律に常用漢字・人名漢字を用い、それらにない字は正字を使用した。ただし、注においての原文の引用は簡体字もそのまま使用した。また、『 』は作品や書籍、映画のタイトルに、《 》は雑誌名に使用し、日本語の訳題・日本の雑誌の場合でも同様である。
まずは、子どもについて考察してみたい。複数の作品を取り上げ、どのような子どもたちが登場し、その子どもたちがどのような位置付けにおり、どのような特徴を持っているかを考察していく。また、本稿で取り上げる各作品のあらすじは、付録の「あらすじ集」を参考にして頂きたい。 第1節 子どもたちが重要な役割を担う作品 1 『愛情的命運』 『愛情的命運』(あらすじP38)は、同年に発表された『法学教授及其夫人』と並んで史鉄生最初期の作品として知られている。主人公の「私」が幼い頃、一緒に暮らしていた従兄弟の小秀児。成長してから「私」たちは互いに愛し合うようになったが、革命に翻弄され、ついには離れ離れになってしまう、という物語で、傷痕文学に分類される。 この小説は五章立てになっており、その一章で「私」たちの子ども時代が描かれている。まず、二人の年齢だが、私は6歳。これは「叔母が家に来たとき、私はちょうど小学校に上がった。」〔注6〕という一文から分かる。また、小秀児は私のことを「大海哥」と呼んでいることから、「私」よりは年下、つまり6歳未満ということがわかる。 「私」と小秀児が一緒に暮らすことになった日の夜のこと、人形で遊んでいた小秀児に「大海お兄ちゃん、わたしこの子のママね、お兄ちゃんはパパやって、いい?」〔注7〕とせがまれ、「私」は「いやだよ、僕は師団長、いや、司令官になるよ!」〔注8〕と答えた。すると小秀児は、「役人になるの? 大海兄ちゃん、役人になっちゃだめ、役人になるには良心を壊さなきゃならないのよ・・・・・・」〔注9〕と、6歳未満の少女のものとは思えない言葉を口にする。直後、叔母は小秀児を叩き、叱った。まだ何か言おうとするのを、必死に制し、そして二人で泣き出すのだった。これは小秀児の父、つまり「私」の叔父が進んだ考えの持ち主で、町に出て間もなく、この母娘を見捨てたということに起因していた。 それにしても、なぜ小秀児はこのような言葉を口にしたのだろうか。そのことがこの物語における論点である。6歳未満にして、すでにそのような思想を持ちうるということは考えにくい。なぜなら、6歳である「私」は師団長になるのだ、司令官になるのだ、などと言ってはいたが、それが漠然とした理想や憧れであり、そこに含まれるさまざまな問題までを理解した上での発言と取ることはできないためである。考えられることとしては、叔母が日頃から、小秀児の父親のことを指して「役人になったら良心がなくなる」というようなことを言って聞かせていたのではないか、ということだ。その意味を完全に理解できていない小秀児は、いつも母親が言っていることを口に出してしまったのだ。つまり、それが言ってはいけないことだと理解していなかったのである。しかし、成長し、革命に翻弄され、そして革命の中で生きていくために、小秀児はその良心を壊し、「私」との別離を迎えることとなる。 役人でなくても、良心は失う。周囲の目や権力におされ、言いたいこと、正しいことを口に出して言えない、正しいと思う行動ができない。これも、良心を失うということと同じことではないだろうか。小秀児の母親も、そして成長した小秀児もその一人ではないだろうか。あの言葉、「役人になるの? 大海兄ちゃん、役人になっちゃだめ、役人になるには良心を壊さなきゃならないのよ・・・・・・」という言葉は、何も知らない子どもだから、良心を失う前の、変わっていく前の小秀児だから口にすることができたのである。 2 『没有太陽的角落』 この物語『没有太陽的角落』(あらすじP38)は、障害者である「僕」たちと、「僕」たちを特別扱いしない心優しき少女、王雪とのひと夏の交流を描いた悲しくも、美しい物語である。この作品は『就是這個角落』とタイトルを変え、同年《小説季刊》の3期に転載されているが、一部変更を加えられており、王雪が「僕」たちの協力で復活した大学入試を受験し、合格して去っていくという話になっている。史鉄生自身はオリジナルの『没有太陽的角落』のほうを気に入っているらしい〔注10〕。 さて、この作品の「子ども」について考察を始めよう。なお、この作品の「障害者」についても、三章の「史鉄生小説に描かれる障害者たち」にて考察したいと思う。この小説に登場する子どもは物語の主要人物ではなく、ごく普通の、いわば「どこにでもいる一般的な子ども」である。あらすじで王雪は少女と書いたが、設定では23歳となっている。「僕」たちがまるで少女のように感じていることから、少女という表現を使用した。 まずは物語の序盤、周囲の目に疲れはて、人生に絶望している「僕」たち。その「僕」たちが町を歩くとき、一番嫌なのは無邪気な子どもに出会った時だと言っている。足が悪く、車椅子や松葉杖を使用している「僕」たちを見て、子どもは無邪気に言う。「ママ、見てよ!〔注11〕」 母親は慌て、「僕」たちも急いでその場を離れようとするが、間に合わない。「びっこなの?〔注12〕」と子どもの声。そのあとに母親の平手打ちの音が響き渡り、「僕」たちは自分の心を叩かれたように感じる。そして「僕」はこのことを、仕方のないこと、子どもは無知なだけで、母親もいい人なのだ、と思っているのだった。 子どもは無知である。それはごく当たり前のことで、「僕」たちを見てあの子どもが言った言葉も、ごく当たり前のことだろう。無知でない大人だから、「僕」たちのような足に障害を持つ者に「びっこ」などと言うのはいけないことだとわかるのだ。だが、子どもにとってみれば「僕」たちはただの車椅子の、松葉杖のおじさんたちにしか映らない。「自分と違う」ということに興味を示すのは、人間として当たり前のことである。「びっこ」という蔑称も、初めから知っているわけではなく、周囲の大人たちの言葉から学んだもので、それが何を示すのかは理解していても、それに含まれた侮蔑という意味までは知らないのだ。だから子どもにとっては、親がなぜ慌てるのかも、なぜ自分が叩かれるのかも、わからないのだ。「僕」たちが子どもに会うことが嫌なのは、酷いことを言われ傷つくからではなく、無知なだけで、自分たちが障害者であるせいで、わけもわからないまま叱られる子どもの泣き声を聞くのが嫌なのだろう。無知は、言葉と、叩かれる音、二つの残酷さで「僕」たちを苦しめる。 次に、「僕」たちが王雪にせがまれて、一緒に公園で上映される映画を見に行く場面に登場する子どもたちについて述べよう。以下はその場面を抜粋して翻訳したものである。 空はまだ暗くなく、スクリーンの前には何人かの子どもたちが座っているだけで、小さな顔を上げ真っ白なスクリーンを見つめていた。彼らはどうしてあんなに我慢強いのだろう? ああ、彼らは色鮮やかなシーンを空想し、真っ白なスクリーンを埋めることができる。彼らはまだ、あまりに幼い。〔注13〕 原文にしてたった3行(71字)の短い場面であるが、史鉄生の子どもに対するイメージを強く感じることができる。子どもたちはその想像力で、これから始まる映画がどのようなものかを想像する。戦争ものだろうか、活劇だろうか、はたまた恋愛ものか。しかもそれは子ども一人一人で異なり、それぞれ自由にその想像を、その映画を展開させる。大人たちはどうだろうか。「僕」たちを見てみると、『甘い事業』が見たい、それとも『三笑』か、いや、『九十九号を捕まえろ』だ〔注14〕、とそれぞれ見たい映画を言いあっている。それらの映画は、すでに彼らがそれらの映画に関する何らかの情報を得ているから名前が出たのである。また、彼らは自分たちで見たい映画を選べることも知っており、上映される可能性のある映画をあらかた絞り込めていたのだろう。だが、子どもたちはそのようなことはまったく知らない。そう、無知なのだ。無知故に、「僕」たちよりも自由に、幅広く映画を想像、いや、選ぶことができると言えよう。映画が始まるのを待つ楽しみも、それだけ大きくなるのだ。 無知が故の残酷さと、無知が故の自由とをあわせ持つ子どもたち。「彼らはまだ、あまりに幼い。」という一文が、「僕」たちの悲壮感をいっそう際立たせている。 3 『緑色的夢』 この作品『緑色的夢』(あらすじP38)は子ども時代を褒め称える記述が何度も登場することが印象的である。ところどころ回想される子ども時代は、「私」が今生きている時間と比較してとても楽しげに、美しく描かれる。 まずは幼い頃、友達の男の子輝輝と河原で花冠を編んでいたときの回想について。輝輝が尿意をもよおし、「私」は見張っていると申し出たが、それを思い出していた現在の「私」は可笑しくなってしまう。なぜなら、輝輝は女の子である「私」を気にしていたのに、「私」はそれに気付かず見張りを申し出たからであった。子どもながらに異性を意識する輝輝だが、「私」のほうはまったくそのようなことには気付かない。異性に対する感情が芽生えるか芽生えないかの時期を、微笑ましいエピソードで効果的に描き出している。子どもの頃は男女の差など気にならず、そのことからうまれる嫉妬などのしがらみもない。このことがラストシーンで、「私」が寝言で輝輝の名を呼んだことに嫉妬した偉男に問い詰められ、人間の醜さに幻滅するということへの伏線にもなっていると言えよう。 次に、輝輝と乞食の老人に出会った時のエピソードである。体育場の片隅に老いた乞食を見つけた「私」たちはその老人に服をあげようと輝輝の家に行き、輝輝の家族の服を物色した。「私」はあの老人の母親の分も服を持って行こうと提案するが、輝輝に「私」の家の物ではないのだから、と断られる。それでも「私」は「けち」などとは思わない。「一切がみなあのように自然で、あのように純真で、推し量ったり、疑ったりすることも無く、ただ信頼が――声明を反復する必要もない信頼があった。〔注15〕」と現在の「私」は振り返る。服を持って老人のもとへと急ぐ「私」たちであったが、すでに老人の姿は無く、途方に暮れしばらく二人で泣いた。その後、あの老人が凍えることを心配した「私」たちは再び重々しい足取りで歩き始める。歩いて、歩いて、歩いて歩き疲れた「私」たちは、他の人がもう服をあげたかもしれない、と思い、安心して帰途に着いた。これを現在の「私」は、「子どもの心はこんなにも善良で、単純で真っ白だ! 幼き頃よ、さらに魅力的なことは、あなたもまた善良で、単純で真っ白な心で他者を理解するということだ。〔注16〕」と、再び振り返るのであった。 純真、善良、単純、真っ白・・・・・・この場面では子どもの心について多くのイメージが描かれている。それと同時に、大人への、現在の「私」を取りまく人間たちの汚さを暗に批判しており、最後には「あなたも・・・・・・」と読者へもその想いをぶつけている。現在の「私」つまり「大人たち」の世界は、悪口、暴行、怒り、猜疑、警戒、敵視、憎根、嫉妬などで満ち溢れているが、子どもの頃はみなが純真で、善良で、単純で、真っ白だったのだ。所謂性善説のようなものである。さらに、「狩人の唄」という唄――幼い頃輝輝とよく歌った思い出の唄「ウサギやヤギは撃たないよ 狸や狐、狼だけ・・・・・・〔注17〕」――も、可愛らしいウサギや家畜として親しまれるヤギは子どもを、狡賢いイメージのある狸や狐、狼は大人を暗喩しているように思える。穢れてしまった大人たちに、或いは史鉄生自身が自分自身にそれを感じ、嘆いているように感じる。 4 『黒黒』 あらすじ(P39)を見ると、何やら『忠犬ハチ公』のような話だが、これはもっと生々しい物語である。そのあたりについては、「第二章 史鉄生小説に描かれる動物たち」で忠犬、黒黒について取り上げるのでそちらで述べることとする。さて、この物語に登場する男の子について考察する。また、「私」の子どもに対する考え方が書かれている部分も取り上げたい。 ではまず、「私」の子どもに対する考えについて考察しよう。順番については物語上、男の子が登場する前に書かれているため、こちらを先とした。以下がその部分を抜き出して翻訳したものである。 子どもは子どもの問題解決の論理を持っているもので、彼らは認めざるを得ない矛盾を解釈するよりよい方法を思いつかなかった時には、自分の想像に基づいて論理を急ぎ、心理的和解を求める。〔注18〕 これは、「私」が子どもの頃、盲人の講釈師から『(孫悟空)大いに天宮を騒がす〔注19〕』を聞いて、犬というものを悪と思い、飼っている黒犬を憎んでいたが、「私」が狼に襲われたときその黒犬に救われ、「孫悟空を虐めた二郎神の犬はきっと赤茶色の犬なのだ」と決めた、というエピソードに対してのものである。ここで言う矛盾とは、犬は孫悟空を虐める「悪いやつ」であるが、「私」の犬は「私」を狼から救ってくれた良い犬だ、ということである。それに対して子どもの「私」は、二郎神の犬は「私」の良い犬とは色が違うのだと勝手に想像し、心理的に和解したのである。簡潔に言うと、子どもはわからないことも勝手な想像で納得してしまう、ということだ。このことは子どもの創造性や柔軟性を描いている反面、それ故の曖昧さ、危険性を示唆していると言えるだろう。 次に男の子についてであるが、年は11、2歳と書かれている。この男の子がなぜ重要なのかというと、「私」が黒黒と仲良くなる経緯にこの男の子の指摘があったこと、黒黒の過去や行動を知り、「私」にヒントをくれる存在であること、の2つの理由が挙げられる。それでは、それを一つずつ考察していこう。 まずは「私」が黒黒と仲良くなる経緯にこの男の子の指摘があったことについて。「私」は黒黒と仲良くなろうとエサを与えるが、当然警戒して食べてくれない。そこで黒黒は革靴を恐れているからだ、という一つ目の指摘がある。革靴は黒黒の飼い主、張山を捕えていった者たちが履いていたのである。「私」は革靴を運動靴に履きかえるがやはり黒黒は食べない。そこでさらに、「私」が見ていると食べない、と指摘する。そして「私」がそれに気付いて隠れると、黒黒はこっそりとではあるがようやくエサを食べてくれるのであった。「私」の欠点を素早く見抜き、適切なアドバイスをする男の子。それが容易ではないことは勿論である。子どもの意外性、とでも言うのだろうか、子どもは思わぬところで大人顔負けの能力を発揮するという見解が、史鉄生の中にあることは確かだろう。 次に黒黒の過去や行動を知り、「私」にヒントをくれる存在であることについて。黒黒の過去、とは何を置いても元の飼い主、張山のことである。ではここでその張山という人物についてまとめておこう。 「私」の父が亡くなった後、「私」の元住居であった窰洞〔注20〕は張山の家に帰った。張山はそのあとその窰洞に住んでいた黒黒の元飼い主である。ある日張山は何者かに連行され、黒黒は残された。「私」が彼について訊ねても、あらゆる人がみな口を閉ざしてしまうが、みな張山に同情し、その上やましさを帯びている様子であった。これらのことと、物語冒頭の「まず始めに説明せねばなるまい。これは過ぎ去りしあの時代のことである。〔注21〕」という一文から、張山は地主の家の者であり、文革中捕えられたと想像できる。 さて、本題に戻る。男の子は「私」と、黒黒について話しているうちに、この事件に関することを喋りすぎだと感じると、突然黙ってしまう。実はこれが重要なのである。男の子は大人たちが張山の事件について話さない、もしくは口止めされているため、あまりそのことを話さないようにしてはいるが、実はあまりよく理解していないため、黒黒の話をしているうちについ口が滑ることがあるのだ。「張山は連れて行かれたの? どうして?〔注22〕」と「私」に問われ、男の子はポカンとしてしまい、何も答えなかった。どうして連れて行かれたのか、男の子はわからなかったのである。つまり「私」に、そして読者に張山についての謎を解くヒントを与えるのは、黒黒と仲が良く、ある程度張山をよく知り、事件についてよく理解していないこの男の子である必要があったのである。 子どもの意外な能力と、子ども故の浅はかさ。全く逆の二つの面、前述の「私」の子どもについての考え方からも、こうした二面性が見て取れた。そしてその二面性をもって、物語の鍵としての役割を担っているのだ。物語が進むにつれ、明らかになっていく真実。その物語を進めるこの男の子は、いわば「真実を導く者」と言えよう。 5 『毒薬』 この物語『毒薬』(あらすじP39)では、怪魚を作ること、言いかえれば、権力を握ることに夢中になるあまり、周りが見えなくなった人間の姿が描かれている。そのあたりのことは第二章でも動物――ここでは怪魚――と絡めて考察することとする。この、いわば島の一般人と言える人々は街に住み、はたから見ればごく普通の生活を営んでいる。街には様々な店が建ち並び、いたるところにビルが聳え、人や物が溢れている。一方、山奥に暮らす医者と二人の子どもの生活は、うってかわってまさに山奥で自給自足の生活をしている。こうしてみると、医者と子どもたちのほうが異常に見える。初めは主人公の老人も、街には何の異常もないと思っていた。しかし、確かに街は異常だった。人々は寝る間も惜しんで怪魚作りに没頭しており、なにより子どもの姿が見えなかった。正常と思われているのものが実は異常であり、異常と思われているものが実は正常だったのだ。自然とともに生きて、子どもが笑い、犬が跳ねる。医者と子どもたちの生活は街の人々よりよほど人間らしい。 正常な側にだけ、子どもの姿を見ることができる。ここではこのことに注目したい。街の異常は、言いかえれば人間の異常である。権力、地位、名声を求め狂っていく人間として、子どもの姿は描かれない。異常に子どもの姿はないのだ。ここから、子どもは善良で穢れのない存在という史鉄生の子どもに対するイメージを見ることができる。また、この子どもたちは島に残されたたった二人の大切な存在であり、本当に大切なもの、守るべきもの、真実の島の宝として描かれている。大人たちは権力や地位、名声、財産を争うことに必死で、本当に大切なものを失ってしまったのだ。 これは、我々読者への警告である。現代社会の人間の姿は、まさに島の住人そのものと言っても過言ではないだろう。そして、その人間たちは大切なものを失っていく。物語では子どもであり、後にはただ滅びが待つのみ。史鉄生は子どもがいることで人間本来の姿を描き、子どもがいないことで人間の本当に大切なものを描き出し、滅びへの警鐘を鳴らしている。ここでの子どもたちは、「人間の真実を体現する者」として描かれていると言えよう。 6 『中篇1或短篇4』より、『境界』 この『境界』(あらすじP40)という作品は、『中篇1或短篇4』という作品の第一番目の短篇である。『中篇1或短篇4』はタイトルのとおり、短篇が4つ集まっているように見えるが実は一つの中篇と見ることも可能な作品である。ここで『境界』を取り上げるのは、子どもが重要な役割を果たしているという理由は勿論、他の三つの短篇は、何れもこの『境界』の補足、ないしは『境界』をさらに深める構造になっているためである。 まず結論から言えば、この物語の子どもは、「真実を見る目」を持つ者として描かれている。白銀の湖面にくっきりと浮かぶ円の正体、それは老人が一晩歩いて雪を踏み固めてできたものなのだが、なぜかこの男の子はそのことを知っていた。もちろん、男の子は見てきたわけではない。また、店内の北西の隅に座っている男性と南東の隅に座っている女性。この男女は最初から最後までずっと店内におり、湖で死んだ老人の話に興味も持たない。老人が女性と写っていたと思われる古い写真を持っていたこと、そして物語ラストの女性の台詞から察するに、この男女は幽霊であろう。男性のほうは、昨晩の老人というわけだ。男の子はこのことにも気付いていたと思われる。店に来た客の誰にも望遠鏡を貸そうとしなかったが、この女性には自分の方から望遠鏡を差し出して、湖を見るようにと勧めていることや、ラストで店内にその男女と男の子だけが残されるが、その時男の子はカウンターの中で震えていたことなどからそう推察できる。湖面の円の秘密を知っていたのも、男の子には何か、老人の記憶のようなものが見えていたのではないだろうか。 また、この男の子は軽食堂の女将である母親が音楽をかけると、この日に限って、なぜかその音楽に怯える。ラストシーンで自らかけた音楽にも震えていた。このことについて、『境界』を翻訳された関根謙氏はこう述べている。 彼はなぜ音楽に怯えたのか、それは少年が音楽に込められた人生の象徴を感じ取っていたからだ。〔注23〕 音楽は、物語中三度流れる。一度目はピアノの曲で、そのイメージは「いとおしくも手の届かない女が淑やかに歩み始めたのを彷彿とさせる」〔注24〕と表現されている。二度目はバイオリンの曲で、「夢のように連なり、すべてがそこにあるかのような大きな流れに小船を駆る水夫」〔注25〕のイメージである。そして三度目は、男の子が自らかけたもので、一台のギター曲。「悠久の時が続く」〔注26〕とそのイメージが表現されている。これらのイメージは、まさに、あの一組の男女の人生そのものである。ピアノ曲は、男女は惹かれあっていたが、何らかの理由で引き裂かれた、もしくは、女性に先立たれてしまったことの象徴。バイオリンは、男性の、老人の、愛した女性のいない辛く孤独な人生と、大きな流れ、運命の象徴。そして、ギターは、ようやく再びめぐり逢うことができた男女が、これから悠久の時を共に過ごすという象徴。だが、これら人生の象徴を男の子が感じ取っていたことは確かではあるが、このことが直接男の子を怯えさせたのだろうか。それにしては、これらの象徴はあまりに優しく、哀しく、美しい。男の子は、これらの曲は店内で人がいなくなるのをじっと待っているあの男女に、これまでの人生を思い起こさせ、待つことが辛くなってしまうと考え、だから慌てて音楽を止めさせたのではないだろうか。怯えていたのは、やはり幽霊が動き出すのが怖いからで・・・・・・。これが、筆者の考えである。史鉄生の描く子どもには、子どもならではの幼さと、とても子どもとは思えない大人顔負けの部分が見られることは、これまで見てきたとおりであり、このような考え方もできるのではないだろうか。 ともあれこの男の子は、すべての真実を握り、「真実を見る目」を持つ「真実を知る者」として描かれていると言えよう。
第2節 その他の子どもたち さて、ここでは、詳しく作品を追うまではいかないが、史鉄生の子どもに対するイメージを読み取ることができる作品をいくつか挙げてみたい。また、ここだけに登場する作品は列挙する形になるため、「あらすじ集」でも割愛している。 まずは、1981年に書かれた『神童』の、10歳位の男の子。この男の子は、自分を神童と呼び歓喜する大人たちの狂乱を、冷静な目で見つめている。このように大人たちよりも冷静にものを見据えるという子どもは、1987年の『礼拝日』でも描かれている。様々なことに心をとらわれ齷齪と苦悩する大人たちとは対照的に、登場する14歳の少女は冷静に物事を見つめ、時には率直な意見で真理を説く。 それとは逆に、子どもならではの視点を利用した作品もある。1983年の『??的星星』では改革開放、旧家問題、文化大革命を、また、1990年に発表された『鐘声』では大躍進といった近代中国の問題を子どもの目を通して描いている。そのことで、それらの物事はより大げさでわけのわからないものに映り、それらの真実や問題性をより強く提示していると言えよう。 もう一つ挙げておきたいのが、1987年の『車神』である。この物語で、史鉄生の分身と言える主人公の「私」は、車椅子の神様の姿を見る。その神様が、子どもの姿なのだ。神様は子どもに姿を変え、車椅子に乗ることを躊躇っていた「私」の背中を押した。「私」、つまり史鉄生に勇気をくれた神様の姿を、史鉄生は子どもの姿として描いたのだ。なぜ子どもの姿だったのか。その無邪気さで「私」を元気にできるから、車椅子初心者の「私」を映している、など、色々な理由が考えられる。
第3節 子どもたちが描きだすもの
これまで、史鉄生が描き出した数々の子どもたちに触れてきた。いかにも子どもらしい者、子どもとは思えない能力を発揮する者、大切なものの象徴として描かれた者、真実を見据える者・・・・・・実に様々な子どもたちがそこにいた。その子どもたちを表にまとめてもう一度見てみよう。 表から、史鉄生の子どもに対するイメージは次のようにまとめることができるだろう。 1.純粋・善良・単純・真っ白 2.無知故の自由を持つ 3.無知故の残酷性を持つ 4.大切なものである 5.浅はかで曖昧、発展途上 また、そのような子どもの特性から、何が描きだされているかをまとめると、 1.物語の真相 2.大人たちが失ってしまったもの 3.人間にとって大切なもの となり、これをさらに一言で言えば、「真実」と言い換えることが出来るだろう。大人にないもの、失ってしまったものを持ち、もしくは持たないことによって、大人とは違った視点で物事を見つめ、大人には発見不可能な真理を見つけ出すことができるのだ。 大人にしか見えないものがある。子供には解からないこともある。普通の大人は当たり前のようにこう思っているであろうが、その逆もまた然りである。そのことを、史鉄生は決して忘れない。
動物については、登場する数は多いのだが殆どが比喩や背景などに使われるもので、動物が重要な働きを担う作品は子どもや障害者に比べて少なめである。だからこそ、比喩や背景ではなく、物語の中心となって活躍する動物たちの重要性は高いと思われる。 第1節 動物たちが重要な役割を担う作品 1 『黒黒』 この物語についてはやはり黒黒という黒犬について考察する。本稿第一章でこの黒黒という犬は張山と過ごした窰洞をひたすらに守る忠犬であり、有名な忠犬ハチ公を彷彿とさせるが、それよりももっと生々しい、というように言った。ここでは主にその生々しさを考察していく。 黒黒は窰洞をしっかりと守り、主人公である「私」がその窰洞に近づくのを決して許さないが、ある日突然その姿をくらましてしまう。「私」が不思議に思って黒黒と仲のよい男の子に尋ねると、黒黒は家庭を作りに行ったという。黒黒は発情していたのだ。忠心も本能には勝てないということか、これが、一つめのハチ公とは違う生々しさである。やがて戻ってきた黒黒の腹は次第に大きくなり、より栄養を求め、ついには家畜のエサや人間の食べ物を盗んでしまう。やがて子犬が生まれるが、やはり栄養が足りず、乳が出ない。そして、狼が羊を襲っている所に出くわしたとき、狼を追い払った黒黒だが、血の匂いに引き寄せられ、自分で羊を貪ってしまうのだった。これが、二つめの生々しさ。やはり生きるための、そして子犬を生かすための本能と言えよう。ハチ公は駅前で主人を待っているとき、同情した付近の人々から食べ物をもらっていたそうだが、黒黒の村には到底そのような余裕はなく、黒黒は普段、たまに男の子が叱られながら持ってくるほんの少しの家畜の餌か、窰洞付近の人糞を再吸収して生き長らえていたが、子どもができてはそれでは足りないのだ。ハチ公も黒黒も立派な忠犬ということに違いはないが、史鉄生は極限状態の動物の生々しさを描くことで、ただの忠犬で終わらせない。さらにこの生々しさは、「私」の興味を惹きつけ、「私」の当初の予定――自殺――をすっかり忘れさせるという効果も担っている。 黒黒の本能は村人たちに被害をもたらしてしまい、羊の事件でついに村人たちの堪忍袋の緒が切れてしまう。首に縄をかけられ、絞め殺されてしまった黒黒。普段は人間を警戒し、睨みをきかせている黒黒だが、最期に限って尻尾を振り、殺されるなどと夢にも思わない様子を見せ、さらに悲壮感が高まっている。 このようなことから黒黒は「私」に、人間は暗黒の発生を感知し、それを解決する策を模索することができる、という「人類の光明」を見出させた。黒黒にとって暗黒の発生とは妊娠であり、それを解決するためにとった行動で身を滅ぼしてしまったが、人間は、その解決のためにとる行動を模索し、よりよい行動をとることができるのである。そして「私」は、再び生きていくことを決意した。まさに黒黒は、その「生」をもって「私」に人生を教えたのである。 2 『夏天的薔薇』 この物語『夏天的薔薇』(あらすじP40)に登場する動物はブロンズ像の雄牛であり、生きている動物ではないが、ここでは「牛」として見ていく。また、この物語に登場する障害者についても、第三章で考察する。 この雄牛は筋骨隆々として力強く、角も立派で、まさに老虎をも倒してしまいそうだ。老人はよく同じ夢を見た。その夢の内容は、足の無い老人が一人で荒野におり、様々な凶暴な動物――狼、老虎、毒蛇、一群れの大きな顎をもつ魚――に連続で襲われ、もはや絶体絶命というその瞬間、老人の身体が何かとてつもなく力強いものに変化し、荒野を跳ね、咆哮する・・・・・・というものであった。老人はそれがまさに、以前街で見たブロンズ像の牛のようだと確信し、その像をなんとしても買おうと決心する。その牛が傍にあれば、これまで病気のせいで味わってきた数々の孤独をもう感じなくてすむと思ったのだ。だが、そのブロンズの雄牛像を、老人は子どもを亡くして悲しむ若い父親に譲ってしまう。今度はその若夫婦の孤独を癒してくれるようにと。 この雄牛は、その逞しい肉体のとおり、強さの象徴として描かれている。その強さとは、老人と、残念ながら亡くなった若夫婦の子どもにとっては、健康・健常という肉体の強さ、そして、孤独な老人と、子どもを失った悲しみに暮れる若夫婦にとっては精神の強さである。その力強さで、人間たちの心の拠り所として存在していると言えるだろう。 史鉄生と牛には、実は大きな因縁がある。史鉄生は下放時代、しばらく牛の世話をして暮らしており、下放期を描いた『我的遥遠的清平湾』や『挿隊的故事』などからそれが分かる。牛と共に暮らし、触れあった経験があり、ある程度詳しいと思われる史鉄生が牛を強さの象徴として描いたということは、これは単なる史鉄生の牛に対するイメージではないように思われる。もしかしたら史鉄生が病気にかかった時、陜北の牛たちを思い出し、その強さに勇気付けられたのかもしれない・・・・・・などと、推測は尽きない。 3 『毒薬』 この物語に登場する子どもについては、第一章で考察している。ここではこの物語での動物、怪魚たちを見ていこう。 この怪魚たちは、そのさまざまな奇怪さで〔注27〕読者を楽しませることは勿論であるが、実は、環境問題や権力に溺れる人間など、多くの現代社会の問題を浮き彫りにするという意味もはらんでいる。人々に与えられる、唐辛子や酢、化学製剤、硫酸、機械油やワセリン、陶片や古銭、動物の化石といった様々なもので変化していく怪魚たち。その姿は、そういった「毒薬」により汚染されていく地球環境そのものではないだろうか。より奇怪に、より異常になっていくことも、そう考えられる一つの要因である。 また、その変化する姿は、人間で言えば奇形であり、環境汚染が原因で奇形児が増えているという深刻な問題を比喩していると言える。さらに、怪魚が変化させるものは自身の姿ばかりでなく、人間の心も変化させる。権力、地位、名誉、金を求めて、島の人間たちは狂っていくが、これらは、全て現代の人間にも当てはまることである。どんどん醜く、奇怪になっていくこの怪魚たちは、まさに、人間を醜く、奇怪にする「毒薬」なのだ。不妊症に悩みながらもそれを解決しようとしない愚かな人間たちは、そういった問題――環境や人間の醜さ――を見て見ぬふりをしてきた人間たちそのものの姿であり、そこに待っているものはまぎれもない滅びなのである。 このような人間社会の闇を、この怪魚たちはその身で描きだしており、「人間を映し出す鏡」の役割を持っている。第一章で述べた子どもたちと同じように、怪魚たちもまた、「人間の真実を体現するもの」として描かれていると言えよう。読者たちは怪魚の姿に人間の問題を悟り、自身を見つめ直す。自己を見つめるのには、他者が必要になる。人間を見つめるのには、人間以外の動物が必要なのだ。
第2節 その他の動物たち――争いの比喩としての動物―― これまで見てきた動物の他にも、見ておきたいものがある。やはりあらすじは省略した。まずは1982年の『巷口老樹下』には虎と甲虫の攻防が、そして、1987年に書かれた『礼拝日』には老鹿と若狼の攻防が描かれている。しかも、どちらも物語の大筋には直接関わらず、本編展開中、時々思い出したように描かれるのである。これらは、どちらも物語の上で論争する人間の姿を映し出しているものであり、どちらかが有利になれば、それぞれ動物たちもどちらかが有利になる。また、その優勢が返されると・・・・・・というように、人間たちの争いと連動して描かれている。そして、物語のラスト近くで、虎は甲虫を、狼は鹿を食べるが、それは人間たちの論争に一応の決着がついた時である。『毒薬』にも見られたことであったが、人間を映すものとして動物が使われることもある。人間たちが必死で論争している時に、まるで「その頃自然界では・・・・・・」とでもいうように割り込んでくるこの動物たち。動物たちは生きるか死ぬかの瀬戸際を生きており、決着とはすなわち、どちらかの死を意味する。人間の論争など、自然界から見ればごく小さなものなのだ。
第3節 動物たちが描きだすもの
ここでも、これまで見てきた動物たちを表にまとめ、もう一度彼らの姿と、そこから描きだされたものを見てみよう。
その生きざまから、人間に光明を見出させた黒黒。その力強さで、人間の心の拠り所となったブロンズの雄牛。人間の醜さを映し出す鏡の役割を持った怪魚や、争いを比喩した動物たち。これらの動物たちが描きだしているものは、何れも人間の本質に関わるものであり、人間に自分自身の姿を見つめ直させている。「人間」という生き物を大きな枠組みで見る場合、「人間」以外のものが、その「真実」を教えてくれるのだ。それは一言で「動物は人間の鏡」とまとめることができよう。 いつからか我がもの顔でこの世界に君臨し、他の動物たちやこの大地を、自分勝手に蹂躙してきた人間。今やこの地球上に、人間に抗えるものは無いとも言える。しかし、その過信や奢りは、人間自身を確実に滅びに近づかせた。人間たちは最近、ようやくそのことに気付き始めたのである。史鉄生は動物を描くことで、大きすぎる力の危険性・・・・・・小さきものだからこそ、見える真実がある、ということを我々に訴えているのだ。
史鉄生の描く障害者たちについて論じるに当たり、述べておかなければならないことが二つある。一つは史鉄生が障害者であること。このことにより、障害者が描きだす障害者たちということになる。障害者の障害者に対する見識と、健常者の障害者に対する見識とはやはり違いがあり、健常者の作家が描く障害者とは違いが生じてくると思われる。 二つ目は、筆者自身も障害者であることだ。史鉄生とは違い筆者は心臓が悪いだけで五体満足であり、傍目から見て障害者とは分からない。さらに生まれつきであるため、史鉄生のような急に障害を持って生きることへのショックや苦しみを味わうことがなかった。史鉄生と比べたら筆者などまだまだ幸運な部類であるが、そんな筆者もまた、障害者の端くれであることに変わりは無い。よって、障害者が、障害者の描きだす障害者について論じるということになり、健常者が論じるそれともまた違いが出てくると予想される。そのような特殊状況からの考察が、「障害者作家」とも呼ばれた史鉄生の描く障害者たちを見つめる、新たな視点となればと思う。
第1節 障害者たちが描き出すもの これまでは作品ごとに一つ一つ考察してきたが、第三章では「障害者が描き出すもの」ごとに見ていこうと思う。ここでも前二章と同じく、「あらすじ集」などの付録を参照して頂きたい。 1 障害者の感情(こ)・精神(こ)・意思(ろ) ここでは、1980年の『没有太陽的角落』について取り上げてみたい。この作品については第一章でも子どもについて考察しているので、そちらも参照していただきたい。この物語に登場する障害者は「僕」、鉄子、克倹の三人である。「僕」と克倹は松葉杖を、鉄子は車椅子を使用している。この三人は同世代で、それぞれ下放経験をもっている。また、三人は現在、町の「五・七」生産組〔注28〕で家具装飾の仕事をしている。これらのことから、「僕」たちはほぼ史鉄生自身と境遇が同じと言ってよいだろう。妹がいるということからも「僕」=史鉄生と言いたい〔注29〕ところなのだが、他の二人のうちどちらか、という可能性も否定できる要素がないのでやめておく。それに、「鉄子」という名前がどうしても気になってしまうのだ。実は鉄子が史鉄生で、「僕」という第三者の目を通して描かれた世界なのではないか、この『没有太陽的角落』と、手を加えて転載された『就是這個角落』の二作は、史鉄生ではなく「金水」という名で発表していることも、史鉄生が自分とは別の「誰か」の立場となって書いている、ということの表れなのではないだろうか。ともあれこの物語の「僕」たちは史鉄生に非常に近く、史鉄生が彼自身のような種類の障害者をどのように描いているのかがよくわかる。このような、登場人物もしくは主人公が史鉄生自身に近い小説はこれだけではないが、この作品は特にそうした障害者の感情が強く描かれている。これらのことから、史鉄生自身に近い人物が登場する小説の代表としてこの作品を取り上げることとした。 ではまず、王雪に会う前の「僕」たちの、この世への絶望が表れている場面を見ていこう。世間の人々から蔑み、憐れみ、中傷を受け、親兄弟の憂いや負担を目の当りにしてきた「僕」たち。役立たず、邪魔者、お荷物・・・・・・「僕」たちは自分の価値がそのようなものではないと信じ、自立のため、健常者と同じ列に戻るために、痛みに耐え、健常者よりもずっと力を振り絞って仕事をする。鉄子と克倹が言う。親が死ねば、これ以上つまらない思いをして生きていく必要は無い、爆薬でも作って、「僕」たちを白い眼で見た人々を道連れに死のうと。幸い人は死ねると、「僕」たちにはもう何も怖いものはないかのようだった。他人の目、というものはもはやどうしようもないと言うしかない。世の中には本当に様々な人間がおり、障害者を見て同情する人間も、酷い扱いをすることが平気な人間も確かに存在するのだ。親兄弟の憂いや負担も、「僕」たち「負担をかける者」にとってとても大きな重圧となる。史鉄生自身のこととしても『秋天的懐念』という小説や、『合歓木』、『我与地壇』というエッセイで、絶望する史鉄生のために必死に希望を求める母親の姿を描いている。その苦しみから逃れるためにも、必死に自立を目指す「僕」たち。そして、死ねるのだから、とどこか落ち着いて、死ぬことに安堵感を覚えて生きる「僕」たちの姿が描かれている。 次に、王雪に会ってからの「僕」たちを見てみよう。ごく普通に話しかけてきた王雪に、「僕」たちは最初、冷たい態度をとる。これは初めから深く付き合わなければ、お互いに傷つかなくてすむという、「僕」たちが絶望から自然に身に着けた防御策なのである。王雪の天性の明るさと優しさに触れ、「僕」たちは次第に心を開いていくが、それが恋愛感情に発展したことを認識した「僕」たちは、自分たちから再び距離を置くようになる。譲り合うわけではなく、ただ王雪を深く愛してしまったがために、自分たちが傷つくことを、そして王雪を傷つけることを避けたのである。「僕」たちにははっきりと、「不可能」という三文字が見えていたのだ。 しばらくしたある夏の夜、王雪は公園に映画を見に行くのに、帰り道が怖いのでついてきて欲しいと「僕」たちに言う。「僕」たちは、自分たちのようなものでも誰かを守ることができる、誰かに必要としてもらえる、と誇らしさを感じるのだった。誰かに必要とされていると感じることは、誰にとってもうれしいことである。だが、今まで多くの人々から白い目で見られ、疎まれ、役立たずの厄介者ではなくなるように必死に自立を目指していた「僕」たちにとって、これはとてつもない感動だったに違いない。 公園に着くと、何組もの恋人たちが寄り添いあっていた。それを見て恥らう王雪。その時、突然鉄子が、自分たちと一緒にいて恥ずかしくないか、と禁忌とも言うべき質問を王雪にしてしまう。王雪はその意味がわからないようだったが、「僕」は昔心惹かれた女性を思い起こしていた。愛しても愛されても、相手を傷つけることになってしまう・・・・・・自分のような人間にとって、愛という病気にはかかってはならない。と感じた「僕」は、その女性から身を引いたのだった。だが今、「僕」たちは王雪への愛を抑えきれず、それから毎日、帰り道は王雪を守り、バスに乗るのを見送った。一緒にいる、というだけで、人は、その人も同類だと思ってしまうことがある。自分が「変な人」と感じる人と一緒にいる人までも「変な人」と感じる、もしくは、みんなに「変な人」と思われている人と一緒にいたら、自分まで「変な人」と思われてしまう、と思うのはなぜだろう。それは、人の心の弱さ。自分と違う、みんなと違う、ということを恐れ、認めることができない愚かさにある。人は、そんなにも孤独を恐れる臆病な生き物なのだ。そしてそれは、残念ながら障害者にも当てはまってしまう。「変な人」と言う訳ではないが、「僕」たちを特別扱いしなかった王雪が、「変わっている」、「おかしい」、さらには「何か企んでいるのでは」などと囁かれていたのは容易に想像がつく。「僕」たちもきっとそれを感じて気にかけていたのであろうが、王雪と一緒にいるという幸せへの誘惑に逆らえないその姿は、まさに彼らも健常者とまったく変わらない「人間」であるという証明ではないだろうか。 最後に、王雪に縁談が持ち上がったときのことについて述べよう。その話を聞いた「僕」は、やはり戸惑ってしまう。王雪は良い娘であり、彼女は誰よりも幸せにならなければならない。その幸せが自分たちによって邪魔される可能性があることも分かっている。だが、ただ犠牲になれば「よい人間」なのだろうか。自分たちだって、幸せを求め続けている。それは、いけないことなのか。あの、自分たちを白い目で見る人たちだけに、幸せは用意されているのか・・・・・・。愛するものの幸せを願う想いと、望んだわけでもないただ偶然の障害のために、「損」を被ることへの憤り、そして、ただ偶然でその「損」を知らないことを許された人々への、やり切れない思い。「僕」の中で様々な感情が交錯し、ついに「僕」は自分自身の幸福を選ぼうとする。だが、王雪の「僕」たちに救いを求める表情を見て、それが自分勝手であったことを認識し、結局、三人で縁談を勧めるのだった。 この物語は障害者についての最初の考察ということもあり、少々長くなってしまった。そこで、この物語の障害者たちを表にしてもう一度見てみよう。
はじめは生きることに絶望し、死に安息を求めていた「僕」たち。しかし、王雪の優しさに触れ、「僕」たちは変わっていく。王雪から身を引く理由も、言わば、「逃げる」気持ちから「進む」気持ちへと変化した。そして何より、「僕」たちは「生きたい」と願ったのだ。短い間でも、王雪と一緒に生きたいと。そして王雪が去ったあとにも、「王雪のような人間もいる」と、爽やかな希望が残された。史鉄生はこの物語で、「僕」たちの「絶望と希望」を描いている。「絶望と希望」は、「生と死」に繋がり、「生と死」は生物の根本である。「僕」たちは根本の近くに生きている、少なくとも、「僕」たちを白い目で見た人々よりは、人間として輝いていると言えよう。 最後に一つ付け加えておきたい。この物語で登場した障害者の特性――障害者特有の絶望や悲しみ、自立を目指す姿、死への安堵感、必要とされることへの誇り、そして、愛する者への様々な想い――これは「僕」たちの、そして史鉄生自身のものである。しかしそれは、「僕」たちや史鉄生のような足の障害を持つ障害者だけに限定されるものではなく、どんな障害者にも当てはまるものが殆どである。それゆえに、今後取り扱う作品でも基本的には重複して登場する。その部分は重ねては論じないが、作品の根底にずっと流れるものとしておさえておきたい。 2 苦しみの生、強さ ここではまず、第二章でも取り上げた『夏天的薔薇』という作品を見てみたい。この物語では、病気でもし助かっても、95パーセント障害が残ってしまう、と医師に宣告された子どもを巡って、「安楽死」か「苦しみの生」かの問題が繰り広げられる。 主人公の老人は障害者であり、脈管炎という病気で両足を失っている。その老人は、人道的にどんなことがあっても助けるのが当たり前であり、子どもに生きて欲しいという想いを持っている。一方その子どもの両親はまだ若く、健常者である。その夫婦は、助けることが必ず人道とは限らず、これ以上我が子に苦しんで欲しくないという想いを持っている。このことは近年、日本でも議論されるようになり、人道主義的な問題として関心が高い。この先苦しみ続け、結局亡くなってしまうなら、せめて安らかに逝かせてあげたい・・・・・・。人間にとって生きていることにこそ意味があり、たとえどのようなことがあっても、生きことをやめさせるべきではない・・・・・・。双方、それぞれの想いがあり、それはどちらも生半可なものではないことは言うまでもない。この物語でも、老人と夫婦は幾度となく言い争い、苦しみをぶつけ合ってきた。ここで一つ注目したい点がある。それは、老人は障害者で、両親は健常者であることだ。障害者として、苦悩の人生を歩んできた老人にとって、障害をもって生きることの辛さは身にしみてわかっているはずで、健常者である夫婦はその逆のことが言える。ここでは老人は「苦しみの生」を、夫婦は「安楽死」を支持する形で描かれており、それは老人がまさしく「苦しみの生」を歩んできた人物だからこそ、そこから見出せるものがあるのだ、と考えられるだろう。しかしながら、老人は最後に夫婦の言うこともまた人道だと気付き、夫婦の選択に心から感謝する。言い換えれば、「安楽死」を支持する形で終わっているのだ。老人はこれまで自分が歩んできた人生を思い返し、その子に自分のような苦しみを味わって欲しくないと思ったのであろう。老人は子ども好きで、子どもを見る度に脈管炎にかからないよう祈ってきたのだ。 物語のラストで、老人は長年帰っていなかった故郷に帰ることを決意する。それは、老人の新たな始まりを意味している。この物語では「安楽死」を支持する形になっているが、それだけでは終わらず、そこからまた新たな「生」が始まっているのだ。詳しくは述べないが、同年の『在一個冬天的晩上』(あらすじは割愛)でも、遺伝を恐れた障害者夫婦が里子をもらいに行こうとする。つまり、「苦しみの生」を否定しているのだが、障害者にやるくらいなら自分で育てる、という里親の言葉に絶望しながらも、夫婦よりそって生きていくことを決意する。これら二篇は、「安楽死」、もしくは「安楽な生」を支持しながらも、苦生を生きることをやめない、絶望の中「強く生きる」障害者の姿を描いていると言えるだろう。 3 障害者と健常者 ここでは、1985年の『来到人間』(あらすじP40)という作品を取り上げる。この物語では、考察の対象を障害者である少女本人だけではなく、その両親も対象にしたいと思う。人間は、その周囲の人間と関わらずにはいられない。障害者の周囲の人間も、障害者を論じる上では欠かせないと言えよう。この物語はそのような作品の代表として取り上げてみたい。 まずは、文中から史鉄生の、少女の病気――先天性軟骨組織発育不全〔注30〕――に対する見解が読み取れる箇所を見てみよう。以下は、その要約である〔注31〕。 先天性軟骨組織発育不全。身体は小さく、四肢は短いが正常な人間と同じ頭脳と願望を持つ。少女の前には残酷な辛く苦しい道が待ち受けている。治療法は不明。この子は何も知らず、他の子どもと同じ、色とりどりの世界を見、泣き、笑う。他の子と同じである。 これは、先天性軟骨組織発育不全に限ることではなく、脳は正常だが身体の不自由に苦しんでいる全ての障害者にも言えることである。勿論、史鉄生自身や、筆者にも。なりたいとは思わないが、脳が異常なら辛い思いをしなくて済む可能性があることは確かである。軽重を問わなければ、健常者にも当てはまる。変えようがないことへのコンプレックスと同じことであり、まさに、「他の子と同じ」なのである。 少女は幼稚園でまさにこの苦しみを味わった。「大頭」、「大頭蓋」、「ぶす」〔注32〕などと悪口を言われ、トイレに隠れて泣いていることもしばしばである。4歳という幼さながらも、少女は自分が他の子どもとどこか違うということを感じており、幼稚園に行きたがらない。それでもやはり、自分と他の子どもが同じであるという多少の期待を持っていたのだろう。両親からの宣告――自分と他の子どもは違う、しかも、それはずっと変わることがない――をされたとき、「不! 不!!」と必死でその事実に抵抗しようとする。この少女が特に聡明であるという設定が、自分と他人が違うということ、そしてそのことに引き起こされる苦しみを理解させてしまう。このことが4歳という年齢を超えて、あらゆる読者にその苦しみを想像させる。 次に、この少女の両親を見ていきたい。父親は自分の子が障害を持っていると知ったとき、子どもの頃小人症の人を馬鹿にしたことを後悔する。障害は、健常者にとってはやはり身近なものとは言えず、よもや自分に関係するなどとは夢にも思わない。だからこそ、悪夢が突然襲ってきたことに苦しむのだ。史鉄生は、いわばこのタイプの障害者である。脊髄多発性硬化症という病気にかかる前はごく普通の健常者であり、自分が障害者になってしまうことなど夢にも思わない。では違うタイプとはどのような障害者か。それは、筆者のような、生まれつき障害を持ち、その障害を理解する前に障害を「ふつう」のことと思うようになっているタイプである。これならば、突然という苦しみは感じられない。つまり、障害は物心がつき、それについて理解できればできるほど、「突然の苦しみ」というものは大きくなると言えよう。だからこの両親は、子どもを思う故に、早めに事実を知らせるべきと考えたのである。だが、その結果少女は、筆者タイプから史鉄生タイプへと変化してしまったと言える。筆者タイプが全てそうだとは言い切れないが、もし宣告しなければ、少女は自分の障害を成長とともに自然に受け止め、「突然の苦しみ」を感じずにすんだ可能性があることは事実である。史鉄生は生まれつきの障害者ではないため、それを考慮することができなかったのかもしれない。 障害者にとって、「他の人間と同じ」ということがどれだけの意味をもつだろう。「他の人間と同じ」でないために、障害者たちはどれだけ苦しむのだろう。しかし、「他の人間と同じ」ということは、こんなにも残酷なことでもあるのだ。史鉄生はそのことと同時に、健常者との違いの薄さを伝えている。健常者と障害者の違いは、ただ、障害があるかないかの違いなのであり、障害者は、障害を持った健常者なのだ。 4 盲目の真理、生きる過程の大切さ ここでは1985年に書かれた『命若琴弦』(あらすじP41)〔注33〕と、翌86年に書かれた『我之舞』(あらすじP41)について考察する。 まずは、『命若琴弦』を見ていこう。この物語のテーマは、「生きる過程」である。目標のため、必死に生きてきた老人だが、その目標を果たしたとき、大切なのは生きてきた過程なのだと悟る。目標がなければ、若い弟子のように自分の障害を呪い、いつかはそれに負けて、生きることをやめてしまうだろう。老人の師匠はそのまた師匠から800本と言われ、やはり老人のように悟った。1000本と老人に告げたのも、老人が若い弟子に1200本と告げたのも、生きているうちに弾き切ることが無理なように、せめてそれまで必死に生きるように、という師匠の優しさだった。人間は目標に向かって生きていく。その目標が何であれ、それを目指して生きているという過程が、そこにあるのだ。命は琴の弦のように、張りつめていなければ良い音は出せない。 しかし、史鉄生はなぜ障害者で、盲人でこのテーマを描いたのだろう。これは障害者だけではなく、苦しい人生を歩む全ての人間に共通することではないのか。史鉄生自身も、苦しい人生を必死で生きており、それを描いてもよいはずである。しかし、あえて盲人によって描いた。ということには、何か、盲人でなければならない理由があるのだろう。 盲人と、盲人でない人間の違いは、当然目が見えないということである。では、この「目が見えない」ということはどのようなことなのだろうか。目は、事物を認識するのに最も重要な機関だと言える。元々目が見えなければ、パンダの特徴を聞いても、我々の知っているパンダとは全く別の想像をするだろう。触ることのできるものならば、形をイメージできるかもしれない。しかし、何かに例えずに説明できない色までは、やはり想像できない。昔見えていたとしても、それまでの情報だけで、新たな情報は入ってこない。 盲人にはっきりと認識できるもの、それは、何かをする、という目標のみであると言えるだろう。そして盲人は、その目標を見失うことなく、その目標だけを見つめて生きていくことができる。なぜなら、目が見えないからだ。目が見えれば、自然と他の情報が入ってくるため、目標だけを見据えることは難しい。つまり、このテーマを最も効果的に、強く、そして哀しく描き出すことは、盲人でなければできないのだ。 続いては『我之舞』である。ここでは、四人の障害者が登場する。両足が麻痺した「僕」、同じく足が悪い世啓、盲目で足も悪い老孟、そして、白痴の路である。「僕」と世啓は車椅子を使用している。 男女の亡霊が死を語る。死は輝かしい終結、同時に、光り輝く始まりだ・・・・・・「生」は無限に続くのだ、と。それに対して老孟は、結局生きていく上での苦しみに負けた言い訳だ、と非難する。また、路もそのことを理解しているようだ。生きることを踊りに喩え、死ぬ直前の男女の混乱や葛藤を滅茶苦茶な踊りと表現し、自分はちゃんと踊れるだろうかと心配していた。一方、「僕」と世啓はその老孟の言葉に「生」の大切さを再認識する。いわば、男女に近い位置付けだ。 つまり、ここでは老孟と路が「真理を知る者」として描かれている、と言える。老孟は『命若琴弦』と同じように、盲目だから「真理」を見失うことなく生きていける。また、路は白痴――重度の精神障害――であり、だからこそ見えるものがあるのだろう。盲目的と言い換えても良い。「僕」と世啓がそれを教えられるという位置付けには、全ての障害者が「真理を知る者」ではないということが表れており、そこに「盲目の真理」がある。盲目は見えないことで見失わず、見えないことで「真理」が見えるのだ。そしてその「真理」とは、ここでは生きる過程の大切さなのである。 第2節 その他の障害者たち ではここからは、その他大きく取り上げるまではいかなくとも、見ておきたい障害者たちについて述べていこう。やはり、ここだけに登場する作品については、付録「あらすじ集」でも省略している。 まずは二つの作品を見てみたい。障害者のつらく苦しい生を史鉄生が描きつづけてきたことは、これまで十分に見てきたが、人生の苦しみは障害者だけに限定されるものではなく、辛く苦しい人生を歩む人々は大勢いる。しかしそんな苦しみを、人間は幸福にしてしまう。 第一章にも登場した、1987年『車神』の第三章「烏鴉和鴿子」では「カラスは黒いハト、ハトは白いカラス〔注34〕」という台詞がある。カラスは不幸の象徴だが、その不幸は幸福を他人より強く感じることが出来て、実は幸福なのだ、だから頑張って生きなさい、と主人公である「私」すなわち史鉄生は勇気づけられる。また、同年の『原罪・宿命』では、障害者となった主人公が、悪夢を見た人は幸福をより強く感じることができる、と自分に言い聞かせている。事故に遭ったり、詐欺に遭ったりした人間が、「人生の勉強になって良かった」と自分自身を慰めることがよくあるだろう。それと同じことである。数年前、日本で乙武洋匡氏の『五体不満足』〔注35〕という本が流行ったが、その帯にも「障害は不便です、でも不幸ではありません」というようなことが書かれていた記憶がある。 実際は、障害などないほうが良いに決まっている。事故にも詐欺にも遭わなければ、それに越したことはない。それでも、人は弱く、そのように慰めずにはいられない。自分の不幸を認めてしまったら、生きていけない。それは、ただの逃避ではなく、再び生きていくための逃避法なのだ。障害者や不幸な人は健常者、幸福な人より精神が強いという。それは、この人間の弱さ故の逃避が強さに見えるのだろう。もしくは、逃避しても生き続けること自体が、幸福な人にとっては強さなのかもしれない。 史鉄生はこのテーマを、すべて障害者で描き出しており、他の不幸な人々は描いていない。ということは、史鉄生の障害者は、そのような「弱さと強さを併せ持つ」人間の代表として描かれていると言える。 次に、1988年の『一個謎語的幾種簡単的猜法』に登場する癌患者の「私」を見てみよう。癌で入院している「私」は、一人の看護師に恋をしてしまい、同室の男性に誘われるままに、その看護師の浴室を覗いてしまう。死を直前にしても、人間は煩悩を捨てきれない。いや、死の直前だからこそ、人はやはり本能に還るのだ。極限状態に陥って、人間は本当の姿をさらけ出す。極限を描くことで、人間本来の姿を描き出していると言えよう。 最後に、1990年に書かれた『第一人称』について触れておきたい。主人公の「私」は少し心臓が悪いのだが、運悪くマンションの21階の部屋を割り当てられてしまった。少しずつしか階段を上ることができない、という設定で語り手である「私」の視点を少しずつ高くし、そこから見えるものの変化に従って「私」の「窓の外に見えるもの」に対する勝手な妄想も変化させる。この物語を翻訳された久米井敦子氏はそのことについて訳後記でこのように分析しておられる。 異なる高さから見える異なる景色によって、一組の男女の関係が、主人公「私」の中でどんどん変わっていくのは、私たちが普段疑いもなく「真理」として受け入れがちな、目に見える世界の不確かさを示唆している。外界を認識する大切な手段である「見る」という行為の不確かさ――。それを描くことによって、外界を絶対的には認識できない人間の、救われない不安感が描かれる。〔注36〕 筆者がここで注目したいのは、その「見る」という行為の不確かさ、という「真理」を、障害者によって描き出しているという点である。心臓病で階段を一気に上れない、何階か上ったところで休まなければならない、という設定が無ければ、見えない「真理」である。 また、久米井氏は同訳後記で、この物語についての感想を次のように述べておられる。 私にとってこの作品が新鮮に感じられたのは、「私」という主人公が元気に歩いているという、単純な点であった。(中略)この作品を読んだとき、史鉄生が「障害」という殻を勢いよく脱ぎ捨てたような印象を受けた。〔注37〕 この点に関して一つ意見したいことは、「私」は心臓病であり、「障害者」だという点である。筆者も心臓病で、元気に歩いているが、障害者でないわけではない。久米井氏が言う「障害」の殻の「障害」が、足のことを限定して示しているのだとしても、これまで見てきたとおり、足が不自由でない障害者もたくさん描かれており、その殻は本作品以前で已に脱ぎ捨てられていると感じる。「障害」を脱ぎ捨てたその上で、今度は「障害」を物語の鍵として上手く利用していると言えるのではないだろうか。 第3節 障害者たちについてのまとめ・障害の多様性について これまで見てきたものからわかるように、史鉄生は自らが持つ障害だけでなく、実に様々な障害者を描いており、史鉄生の自分とは違う種類の病気に対する知識の豊富さがうかがえる。筆者も障害者であるが、心臓病という自分の病気以外のことなどよくわからない。そもそも、心臓病にも色々あり、わかっていると言えるのは自分のケースの心臓病、さらにその中のほんの少しだけといったところだ。筆者と比較して、史鉄生がいかに広い見識を持っているかがうかがえる。 しかし、なぜ史鉄生はこのように多様な障害者を描くのだろう。その理由の一つは、本章第1節の4、『我之舞』の考察で述べたように、老孟と路は「真理を知る者」として描かれているが、史鉄生と同じように車椅子を使用する「僕」と世啓はそれを教わる者、として描かれている。つまり、自分の障害では描き出せないものがある、ということを認識していると言えよう。だから、それを描き出すことの出来る障害者を描く必要があるのだ。 もう一つ思い当たる理由としては、障害者には共通する点が多いということである。本章第1節の冒頭に取り上げた『没有太陽的角落』の考察の最後でも述べたとおり、絶望や悲しみ、自立を目指す姿、死への安堵感、必要とされることへの誇り、そして、愛する者への様々な想いなど、障害者には様々な共通点がある。史鉄生にとっては、どんな障害であろうと、大して関係は無いのかもしれない。なぜなら彼の描く障害者たちは、みな心理を描き出しているからである。 「障害者の心理」はもちろん、「障害者と健常者の違いの薄さ」や「生きる過程の大切さ」、「人間の強さ・弱さ」「目に見えるものの曖昧さ」など、それらは障害者の「真理」であり、そこから健常者も、障害者も含む「人間の真理」が見えてくるのだ。
子ども、動物、そして障害者。それぞれ固有の特性、もしくは意外性で登場する人間や読者に「真理」を教え、伝えている。冒頭で述べた今回の目的、「史鉄生はなぜこの三者をこんなにも登場させるのか」の謎はここに解けた。では、この三者に共通するものは一体何なのであろうか。そして、史鉄生はなぜこの三者に「真理」を託したのであろうか。 まず、三者に共通するもの、それは、弱さである。社会的に、世界的に、この三者は「弱者」であると言える。この世界で重要視されるものは、「人間」の「健常」な「大人」の意見である。子供の意見は「子供だから」という理由でまず聞くことをしない。意見があっても「子供のくせに」という大人の低次元な感情によって認められないことが多い。たとえそれが正しくても、である。障害者の意見は一応聞くが、やはり社会的不利に立っていることは明らかである。最近の日本では色々な保証やサービス〔注38〕が作られ、雇用も障害者枠を設けるなど機会は増えているようだが、それでも障害者で良かったと思う障害者はいないだろう。それを利用することで障害者であること、健常者とは違うということを再認識させられるのだから。また、障害者と聞くだけでたちまち眉の形を、上にも下にも変化させる人もまだまだ多いのが現状である。だが子供も障害者も、人間であるだけまだましである。動物は酷いもので、人間の勝手で住む場所を追われ、生きることすら許されない場合があるのだ。それでいて人間に少しでも被害をもたらせば大騒ぎになる。 これら三者の弱者たちに「真理」が託された理由、それは、弱者にしか見えない「真理」、強者が忘れてしまった「真理」というものが、この世には確かに存在するためである。その「真理」とは人間の真実、人間の本来の姿、人間の一番大切なもの・・・・・・史鉄生は敢えて弱者にこの「真理」を持たせることで、力に溺れ、油断して、奢れる愚かな人間たちに警鐘を鳴らしているのである。 史鉄生は一般的に、文革中に青春時代を過ごした経験を持つ、自身が障害者であり、障害者を描いた作品が多い、難解で抽象的な哲理小説で人生を描く、といった見方がなされてきた。文革や下放の体験、障害者の体験などから、史鉄生の作品は生まれたと言われており、その体験がどのようなものであったか、ということから、彼の思考を読み解く試みもなされている。しかしそれは一歩引いて、第三者、いわば上の視点から見たものであるように感じる。そこで本論を踏まえ、一度自分を振り返り、一歩踏み込んで、作品をもう一度見てみよう。激しい警鐘であったはずのそれらが、とても優しく感じられる。下放や障害者の体験といった、過去から生まれたはずのそれらが、我々の未来を照らし出している。史鉄生が一度絶望した人生を、この世界を、人間を、自ら滅びの警鐘を鳴らすほどに愛し、未来へと導こうとしているのだ。史鉄生の作品から、不思議な明るさややわらかさ、美しさを感じるのは、そのような愛と、未来への希望が満ちあふれているからだと、筆者はそのように感じた。
史鉄生の作品に初めて出逢ったのは、今からおよそ一年前。翻訳だが最初に読んだ『我之舞』は、「哲学的でわけのわからないことを言っていて、なんだかあまり面白くない。」と感じたのを覚えている。しかもその後に読んだ『一個謎語的幾種簡単的猜法』は、それに輪をかけてわけがわからなかった。今、こうして史鉄生についての論文を書くなど、思いもよらなかった。筆者を惹きつけたのは『我与地壇』という、一篇のエッセイだった。それはエッセイであったから、小説よりもすんなりと筆者は史鉄生の世界に触れることができた。そこは美しく、切なく、やわらかく、冷たく、明るく、でも暗く、温かな不思議の世界。今思えば、筆者が史鉄生を追いかけたのは、この不思議さ、そこからなのかもしれない。今回その不思議さの正体に、自分なりの答えを出すことができたが、実は、これは手直し中に起きた偶然で、まとめの終わりかたをあれこれ考えているうちに、手が勝手にキーボードを叩いていたのだ。人間とは、やはりわからないものである。そのときは自分でも本当に驚いて、「ああ、そうだったな」と、一年前に見たあの世界を思い出したのである。史鉄生の作品を多く読むうちに、その世界の印象は、やはり薄れてしまっていたのだ。それを思い出したことで、今回、こころおきなく史鉄生の研究にひとつの区切りをつけることができる。筆者は今、実に晴れやかな気分である。
注
付録1 あらすじ集 ご覧になりたい方はサイト管理者(西野)にご連絡ください。 『愛情的命運』 『没有太陽的角落』 『緑色的夢』 『黒黒』 『毒藥』 『境界』 『夏天的薔薇』 『來到人間』 『命若琴弦』 『我之舞』
付録5 『黒黒』翻訳 ご覧になりたい方はサイト管理者(西野)にご連絡ください。 黒黒 史鉄生作 赤尾杉卓訳 西野由希子監修 原題:『黒黒』 初出:《?池》1982年第11期 テキスト:『史鉄生作品集1』(中国社会科学出版社 1995年6月) |