期日 2005年6月5日(日)
磐梯山は福島県猪苗代湖の北に位置しており、明治21年(1888)に大規模な水蒸気爆発を起こし、山体が大崩壊した。爆発前は、現在の爆発火口のところに、冨士山型の頂上をあったということだが、それがそっくり消えてしまい、本峰(1819m)と櫛ケ峰(1636m)の二つの頂上を持つ現在の形になったのだという。
猪苗代スキー場の北には、赤埴山(1430m)があり、このピークを加えると、現在の磐梯山は、三つの峰からできている。山頂が五合目というのも、爆発前の姿を意識しているからだろう。
磐梯山は、見る方向によって、同じ山とは思えないほどに大きく形を変える。猪苗代湖や猫魔岳から見る磐梯山は、優雅な裾野をひく典型的な成層火山の形をしているが、裏磐梯方面から眺めた磐梯山は、一種の双耳峰である。向って右の耳が本峰で、左の耳が櫛ケ峰である。赤褐色に見える中央が、大きく削られた爆発火口である。
磐梯山の全容がもっとも良く見える場所は、櫛ケ峰であるが、一般道はない。今回2005年春の定例山行でわれわれの立てた計画は、櫛ケ峰に登ることだったが、集団で登るピークではないと判断して、磐梯山の本峰を目指すことになった。
われわれが選択したコースは、もっとも展望が良く、変化に富んだ猪苗代スキー場からのコースである。途中に、赤埴山、鏡池、沼の平などのビューポイントがあり、ここから見る荒々しい東壁をまとった磐梯山の全容はすばらしい迫力だということだ。
登山者の多くは、もっとも登るのが容易な八方台から登るコースを選ぶので、ここから登る人はあまり多くない。
今回の参加者は、増子、唐木、小林、岡村、苅部、石黒、藤田、西巻、渡辺(プラスご家族1)、速水、本田の12名である。
6月4日、三々五々、猪苗代町の民宿街にある「山中屋」に集まりました。天気予報では、前線が南下して、明日は、曇りのち晴ということでした。しかし、6月5日の朝、山は天気の回復がおくれて、標高の高いところは、霧に包まれていました。
一行のうち、3人が「赤埴林道」から登る道を選び、残りの9人がスキー場の下から登ることになりました。
リフトの終点までは、スキー場の作業道をじっくりと登ります。約1時間30分で一合目の天の原に着き、ここからは樹林帯を行くようになります。途中、石のごろごろした登りから、赤埴山の巻き道に入り、巻き終えたところに、赤埴山の分岐点がありました。そのまま、見送って、鏡池、林道分岐、沼の平を経て、火口壁の上部に到着しました。この日は霧が厚く、磐梯山や櫛ケ峰のすばらしい景色は、お預けとなりました。
代わりに、登山道の両側には、ムラサキヤシオのピンクの花が鮮やかに咲き、足元には、ミヤマハタザオの白い花がえんえんと続いて、われわれの眼を楽しませてくれました。
登山道は、爆発火口の上部で左に折れて、火口壁に沿って急登し、黄金清水、お花畑を経て、弘法清水に続いていました。お花畑のミヤマキンバイの花は、冷たい霧の中に縮まっていました。
弘法清水の小屋には、赤埴林道から登った先発隊がわれわれを待っていました。この天気では、山頂で昼食をとらない方がよいだろうと判断し、荷物を小屋の前に置いて、とりあえず山頂を往復しました。
弘法清水小屋のご夫婦の温かいもてなしを受けながら、昼食を終え、同じ道を下山しました。
火口壁を下るあたりで、突然霧が薄くなって、前方に沼の平の池や赤埴山が姿を現わしました。こうなったら、赤埴山に登らないわけにはいきません。分岐点でザックを置き、空身で赤埴山に登りました。磐梯山の展望は今一でしたが、前方には猪苗代湖が大きく輝いて見えました。やはり、登っただけの甲斐がありました。
天の原からの下山は、登りに使った作業道を通らず、直接スキーゲレンデを下りました。途中、思い思いにワラビやウドを採りながら、充分満足して、下山しました。(■写真は沼の平)