昔テレビで見たドキュメンタリーで未だに忘れられないものがある その実験は 白人ばかりの住む アメリカのとある小さな村の小学校の教室で行われた ある日子供達の前で 先生が突然宣言する 実は皆さんにお知らせする事があります 茶色い目の子は 青い目の子よりも優れている事がわかりました だから今日から 茶色い目の子は 何をするにも優先です そして劣っているとされた青い目の子供達の襟には 目印として白いカラーが付けられて 丸一日 徹底的に差別される やっぱり青い目だから出来ないのね さすが茶色い目の子は違うわ オモチャは茶色い目の子が先に使うのよ するとどうだろう 日頃成績の良かった青い目の子でさえテストの成績は落ち 日頃大人しかった子が凶暴になる その反対に 茶色の目の子は イキイキと何事にも積極的になってゆく そして次の日 今度は先生がこう宣言する 昨日は私が間違っていました 実は 青い目の子が優れていたのです そして昨日と全く同じ事が繰り返される 子供達にも全く同じ事が起こるのだ そして3日目 これが実は実験だった事を先生が子供達に説明する 子供達は差別されていた時自分がどんな気持ちだったかを話し合う そして最後に 皆が白いカラーを投げ上げる 子供達は身を持って 目の色 肌の色など 自分ではどうしようもない事で 人から差別される事の悲しさ 悔しさ 痛みを知ったのだ 教室の中を舞う白いカラー それは差別の象徴だ 子供達の顔には喜びが溢れている それは 差別からの解放の喜び そして 差別など絶対にするものかという決意 この素晴らしい実験が 実験で終わってしまった事を私はとても残念に思う 未だアメリカでは 差別をされている可哀想な人達を私達が助けてあげましょう 的な差別教育が行われているからだ これでは子供達に 彼等は救いがいる可哀想な人達 という間違った偏見を植え付けるだけ この言葉自体が 差別 である事を どれだけの人が気付いているのだろう 本当に可哀想なのは 差別をする側の人間の心だと私は思う 可哀想な人達なのは 差別をする側の人間なのだ 偏見はどんな人の心の中にもある でもそれは 双方向のものなのだという事に 人は謙虚にならなければならないのではないだろうか 自分を愛する事と 違うもの 異質なものを他者として認識し尊重する事は 決して矛盾しない 子供達は未来そのもの 間違った教育を私は心して見つめてゆきたい
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