「夢の月劇場」開設記念〜不定期連載小説〜

「忘れられない理由」 sec1

作:DREAM・MOON


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序章

 その町には、とても昔からの神社があった。
 
  その神社がいったい、いつ頃からそこにあったのか……社の建物そのものは、江戸のころに建立されたものだということだが、 それよりずっと以前から、そこにあったことだけは確かである。 もともとは、人に恋をした挙げ句に死んでしまった狐を祭った社だといわれているが、江戸の世に起きた大火事のために、古い文書だのなんだのが、すっかり焼けてしまったとかで、今となっては、その歴史は定かではない。
 なにもかもが焼けたその大火を、ただふたつ、まぬがれたと云われているのが、いまでも社の奥に鎮座している御神体と、そのすぐそばに祭られている一振の太刀である。
 お社そのものの歴史がそうであったように、この太刀の歴史もまた定かではない。
 いったい誰の太刀であったのか、どんな云われがあるのか――どんな物語を、その太刀が知っているのか……。
 謎だらけの神社ではあるが、いまでも地元の人々の信仰は厚く、年に一度奉納される秋祭りは、このあたりでもなかなか賑やかなことで知られている。

第一話

 いつものようにその神社の境内では、小学生ぐらいの子供たちが、それぞれに歓声をあげながら遊んでいる。鬼ごっこや三角ベースといった定番のにぎやかな遊びから、なわとびや砂遊びといったおとなしい遊びまで、その遊び方はいろいろだが、どの子供たちもいつもこの境内に遊びにくる常連だった。
「子供は元気だ……」
 鳥居の笠木のうえに腰を下ろし、そんな子供たちの歓声を遠くに聞きながら、こざっぱりとした宮司姿の青年はそうつぶやいて欠伸を漏らした。 くせのない長い髪をうしろで結わえたその姿を見れば、年の頃でいえば二十歳前後、なかなかの美男である。ただ、よくよく正面からその瞳を見据えれば、彼が見た目通りの年齢であると信じることは難しいかもしれない。その瞳の色は深く、見つめているうちに、あるいは吸い込まれてしまうかもしれない、と思わせるほどのものである。
「何と覇気のないことを、おっしゃっているのやら」
「わぁ!」
 ふいに予期せぬところから、そう声を掛けられて、青年は驚き、あわてて、おもわず笠木のうえから落ちそうになる。
「ひさしぶりではありませぬか――ほら! しゃんとなさいませ、織雪どの」
 笠木の縁にしがみついてジタバタとしている青年にそう声をかけてから、青年を驚かせた人物は、ひょいと青年を笠木のうえに引き上げた。
「……おひさしぶりです。それにしても、いきなりコレはないでしょう?」
 さきほど、艶やかな声音と吐息を吹きかけられた耳元をさすりながら、青年――織雪はうらめしそうにその人物を見つめる。
「留守をしてしまい、申し訳ありませんでした。大御神さまに呼ばれて、西の御社に出掛けていたものですから」
 そう言って、織雪を驚かせた人物――淡い色合いの衣を重ねた衣装に身を包んでおり、その様子からひとめで高貴な姫と思わせるようなその人物は、織雪にむかって、にっこりと微笑んでみせた。
「おひさしぶりです、おキツネさま」
 その笑みに毒気を抜かれ、織雪はため息をついてから、笑みを返して頭を下げた。
「本殿へ参りましょう。先日、いいお酒が入りましたから、今夜はゆっくりくつろがれるとよろしいですわ」
「ありがとうございます、おおせのとおりに」
 自身よりもいくらか若く見えるおキツネさまにそう言ってから、 織雪はもういちど丁寧に頭を下げた。

「それにしても、ほんとうにおひさしぶりですね?」
 そう言ってから、おキツネさまはくつろいだ様子で織雪に酌を勧める。
「ご無沙汰ばかりしてしまいまして、ほんとうに申し訳ございません」
  こちらもくつろいだ様子で、おキツネさまからの酌を受けながら、織雪はばつのわるそうな笑みを浮かべた。
「たしかに、香織どののようにかわいらしい娘御がおられては、わたくしのことなど、お忘れになっても仕方のないことですもの――ええ、よ〜く、わかっておりますから」
 よ〜く、のところに力を入れて、空いた杯にふたたび酌をしながらおキツネさまは、わざとらしくかぶりを振って、よよ、と泣きまねなどをはじめる。
「おキツネさま……」
 目上の相手にあきれるわけにもいかず、織雪が恨めしそうに見つめると、おキツネさまは、くすくす、と鈴を鳴らすような笑い声を上げた。
 つい先刻まではあんなに賑やかだった境内も、陽が落ちてからは、しん、と静まり返っている。
 神社を護る森に囲まれた境内のなかで、おキツネさまと織雪の声だけが、愉しげに響いていた。
「香織どのはお元気ですか?」
 軽やかな笑い声をおさめてから、おキツネさまがまじめな様子でたずねた。
「ありがとうございます――おかげさまで、無事健やかに暮らしております」
「そうですか……もう、何年かお会いしていませんが――お幾つになられたのかしら?」
「はい……あれも、もう十七になります」
 すこしだけ、物思いに耽けるような表情で織雪が答えたのを聞いて、おキツネさまの表情も、なにかしら過去をなつかしむようなものになった。
「もうそんなお年になられたのですね……ここのお庭で愉しそうにはしゃいでいらしたのが、つい昨日のことのように思われますのに……」
「香織もあの娘と同じ年になってしまいました」
 普段であればまずそんなことはしないのだが、 おキツネさまの言葉の途中で、ぽつり、と織雪が言葉を漏らした。
「そうですわね。彼女はあんなにもはやく儚くなる娘さんではなかった……彼女のぶんも、香織さんにはしっかりと生きてもらわないと。ところで、織雪どのは……いまでも彼女のことを?」
  そんな織雪の態度を責めるような素振りもなく、おキツネさまがたずねた。
「香織が産まれたとき、とても……嬉しかったのです。かつてわたしのもとから去ってしまった彼女とやっと会えたような気がしました。ただ……香織は彼女ではない、彼女は今度は香織という娘として生きていかねばならないのだから――そう思って、香織とは接してきたつもりです。ただ、やはり魂の輝きは、その光をけっして変えることができるものではないのでしょうね。ここ二、三年のあいだに、香織はどんどんかつての彼女に似てきました――わたしの愛したあの女性に」
 苦い表情でそうつぶやいた織雪に、おキツネさまは慈愛のこもった眼で微笑んでみせた。
「つらいのですか……織雪どの?」
「まったくつらくないと云えば…… きっと嘘になってしまうでしょう。ただ、つらいことがあっても、わたしには、あの子――彼女のものであった魂を宿した子が、しあわせそうにしていてくれるのであれば、それがなによりのよろこびなのです」
 あの子が笑っていてくれるのであれば、それだけで満足なのです、そう言葉を続けてから、織雪はお神酒の注がれた杯をあおった。
「仕方のない人ですね……でも、それぐらいでないと、わたくしとしても、織雪どのをこの世に引き留めた甲斐がありませんものね?」
「正直に云えば、かつてはお恨み申し上げた時期もあります。ただ、きっとこれが正しい選択だったのだと、今なら思えます。香織には、過去に対するこだわりなど、まったくありません。彼女はもう――許されたのです。彼女がこのまましあわせになってくれれば、そのときわたしの贖罪も終わるでしょう。そうなれば、おキツネさま……あなたともお別れしなければならなくなります。それだけは心残りですが」
 そこまで言葉を繋いでから、織雪は笑みを浮かべた。
 おだやかな笑みだと、おキツネさまは思った。そう、かつての彼が浮かべていたような、なかば絶望からくるような投げやりな笑みではないのだ。
 自分のしたことは間違っていたわけではない、そう自分に言い聞かせるように思ってから、おキツネさまは、また干された織雪の杯にお神酒を注いだ。
「もうしわけありません――つまらない愚痴を申し上げました」
 そう言って織雪は、おキツネさまの手から徳利を貰い受けて、おキツネさまの杯に返杯を注いだ。
「お詫びにひとさし舞いましょう――よろしいですか?」
 織雪の言葉に、おキツネさまの表情が明るくなった。
「ええ、もちろん。ひさしぶりですものね? 織雪どのとこうして酌を交わすのも――今宵はよい宴になりますわ」
 その夜は、ひさびさのにぎやかな宴となった。もっとも、人にはそれと聞こえぬ宴であったので、神主も、今宵は風が暖かいぐらいにしか思わなかったが。
 春の夜が、のんびりと更けていった。

「ただいま!」
 玄関を開けて、香織が声をかけると、台所から出てきた母親が迎えてくれた。
「おかえりなさい。ごはん、できてるわよ?」
「ん、すぐに食べる。着替えてくるね?」
 そう云ってから、階段を登っていく娘を見送って、香織の母は、くすり、と笑みをこぼした。
 すこし前まで、なにかしら思いつめたような表情をしていたことが多かったのに、最近の香織はいつもあかるい表情をしている。
「……彼氏でもできたのかしらね?」
 そうつぶやいてから、香織の母は、もういちど笑みをこぼした。なんにせよ、香織があかるい表情をしているのは、いいことだと思えたので。
 母親がそんな感慨に耽っているとは、つゆとも知らず、香織は家の二階にある自分の部屋をドアを開けた。
「よお、はやかったな」
「!」
 香織が自分の部屋に入るなり、どこか間延びした覇気のない声が香織を迎えた。部屋のあるじである香織は、部屋のなかで、ごろんとだらしなく横になっているその声の主を見て、瞬間的に声を張り上げた。
「年頃の女の子の部屋で、なにやってんのよ!? 織雪お兄ちゃん!」
 怒声を浴びせられた織雪は、くぐもった悲鳴をあげてから、あたまを押さえて、絨毯のうえでのたうちまわった。
「……見てのとおりだ。あたまが……あたまが痛いんだよ」
「だから! どうしてわたしの部屋で寝てるのよ!?」
 はんぶん涙目になって、懇願するようにつぶやいた織雪に、香織はふたたび怒声を浴びせた。
「うがあぁぁ! や、やめてくれぇ……」
「あのね……」
 エビのように身体を丸め、あたまを抱え込んで泣きはじめた織雪に、香織はついにため息をついた。
「制服、着替えたいの。だから部屋から出てくれない? 織雪お兄ちゃん」
 あきれはてたような香織の声音が効いたのか、ふら〜りと身体を起こし背中を丸めた姿で、長い髪をゆうれいさんのように垂らした織雪は、これもまたゆうれいさんよろしく、ひょろひょろ〜、と香織の横を通り過ぎて、香織の部屋を後にした。
「まったく……ゆうれいさんの親戚みたいなもののくせに、どうやったらあんな風に酔っ払えるんだろ?」
 今朝、香織が学校に出掛けようとしたときに帰ってきたのだから、すでに半日以上あの状態だったらしい。
  織雪は香織の家――望月家に、むかしから住んでいる家守だった。香織が物心ついた頃には、いつも姿を見せていたものだから、香織にしてみれば家族のようなものだ。年齢的にみれば、それこそ香織の祖父などよりも年上のはずなのだが、その見た目から、いつも香織は彼のことを、「お兄ちゃん」と呼んでいる。
「すぐごはんになるって、お母さんが云ってたよ?」
 制服から部屋着へと着替えながら、廊下に追い出した織雪に香織は声をかけた。
 聞こえるだけは、聞こえたのか、くぐもった正体不明の応えが返ってきたのを聞いてから、香織は、くすり、と笑った。
「開けるよー」
 廊下に寝転がっているのであろう織雪に声をかけてから、香織は自分の部屋のドア開けた。
 さきほどまで寝転がっていたはずの織雪は、いちおう座った姿勢にはなっていたが、いまだその眼はうつろで、いつもならそこそこは整っているはずの顔も、覇気がなくだらしなかった。
「どうしてそんなに飲むの? それぐらいのコントロールできないんだったら、いっそ飲まなきゃいいのに」
 織雪の身体がいったいどうなっているのかは知らなかったが、とりあえずその襟首をつかまえて、階段をずるずると引っ張っていくことはできる。そのくせ、壁をすり抜けたり、姿を消してしまっとたりということもできるようなのだが……。
 ただ、香織が物心ついたころには、織雪はいまの様子で一緒に暮らしていたので、いまさらそんな疑問に悩まされることもなく、織雪を引きずりながら、香織はそうたずねた。
「仕方がないだろ? 俺からすれば、主筋にあたる人と飲んでいたんだから」
「へ〜え、 きれいな人なの?」
「そりゃあ! もう……あっ」
  うまく誘導された織雪は、あわてて弁解をしようとしたが、遅かった。
「うわぁぁぁ!」
 えいやっ、という掛け声と一緒に放り出された織雪は、階段や壁に身体をぶつけながら、悲鳴とともに階下まで落ちていった。

「どうしてこんな娘に育っちまったんだろう? ちっちゃかった頃はあんなにかわいい子だったのに……お兄ちゃん、お兄ちゃんって、いつでも俺のあとをついてきてさぁ――すくなくとも、苦しんでいる俺を階段から突き落とすような真似をする子じゃなかったのに……ん、まてよ。ま、まさか! これが世に云う積木くずし――ぐえっ!」
 絨毯の上に座って背中を向けたまま、ぶちぶちとイヤミを云いつづける織雪の頭を、香織はリーダーのテキストで力いっぱいぶん殴った。カエルが潰されたようなみじめな声をあげて、織雪は絨毯に顔面から突っ伏した。
「中間テストまで、あんまり日がないんだから! 騒ぐんだったら、お父さんたちのところにしてよ」
 はっきりとした口調ではあったが、そんなに怒っているような声ではなかった。晩ごはんを食べてからだいぶ時間がたっていたので、香織もそろそろ休憩を取りたい気分になっていた。
「テスト、テストか。高校生、っていうのも大変なんだなぁ」
 絨毯から身体を起こして、伸びをしながら織雪がそう云ったのを聞いて、香織は、くすくす、と笑みをこぼした。
「そうだよ。大変なんだから!」
 そう声をあげてから、香織は織雪の背中に、首筋を両手で抱え込むようにして飛びついた。
「なんだよ? ここのところ、やけに機嫌がいいじゃないか」
「ええっ? べつに――そんなことないよ、いつもとおんなじだよ?」
 織雪の言葉を聞いて、一瞬緩んだ両手にふたたび力を込めて香織がそう云うと、織雪はかるく息をついた。
「おまえはむかしからそうなんだ」
「え?」
「機嫌がいいと俺に抱きついてくる――やっと歩きはじめた頃から、ちっとも変わってない」
 織雪はそう云ってから、自分の肩に掛かった香織の髪を手に取ると、その髪をたどって、香織の頭に手を伸ばし、優しくなぜた。
「ふむ……さては、オトコだな?」
「な……!」
 とっさに振り上げた片腕を、はたと気がついて、宙に止めたまま、香織はちいさくため息をついた。
「わかる?」
「わかるさ、おまえはすぐ顔や態度に出るからな」
 首筋に香織を抱きつかせたまま、くっ、くっ、と織雪は忍び笑いを漏らす。
 ひとり娘とてして大事に育てられ、まっすぐに育ったゆえの香織の正直さが、織雪には嬉しかったのだが、香織には、ただからかわれているようにしか思えない。
「そんなに笑うことないじゃない!」
 首筋を絞める腕に力がこもった。
「痛てぇ、こら! あんまり絞めるなよ」
「だって、からかうんだもの……」
 ぷう、と頬をふくらませて怒る香織の横顔を横目で見てから、もういちど織雪は笑みを漏らした。
「いいじゃないか? 浮いた話のひとつもなかったおまえに春がきたんだ。めでたいことさ――で? 相手はどんなヤツなんだ?」
「瀬川くんっていうの……学校のクラスメートで、部活が一緒なんだ」
 いったん緩めた腕に、もういちど今度はかるく力を込めて、香織は織雪にしがみついた。
「ちょっとまえに……告白されて、つきあってるの。でも、まだ手ぐらいしか……握ったことないし」
「ほお、いいオトコなのか?」
 からかうでもなく、そう織雪がたずねると、香織はかるくため息をついた。
「ずっと好きだったんだ……だから、告白されたときは、すごく嬉しくかった。やさしくて、かっこいいよ?」
「そうか。なら、一度連れてきな――どんなオトコか、よく見てやるよ」
 織雪がそういうと、くすり、と香織は笑みをこぼした。
「……ん、きっと織雪お兄ちゃんも気にいってくれるよ――気にいってくれるといいな」
 そう云ってから、香織はどこかくすぐったそうに、織雪に微笑んでみせた。

sec1.Fin

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