「夢の月劇場」開設記念〜不定期連載小説〜
「忘れられない理由」 sec2
作:DREAM・MOON
第二話
校庭から、かぽん、かぽん、とリズムのよい音が聞こえてきている。
いつものことだが、テニス部が壁打ちをしているらしい。
開け放たれた窓から、ふわり、とカーテンを揺らした風が、部室のなかに入ってきた。
気持ちいいな……。
呑気にそう思ってから、香織は椅子にすわったまま、う〜ん、と伸びをする。
無事中間試験も終わり、いつもの溜まり場にしている文化祭準備室で、香織はぼんやりと外の景色を眺めていた。放課後になってまだ時間がたっていないせいか、準備室には香織のほかに人影はなかった。
「あれ? 望月、ひとりなのか」
椅子の前脚を浮かしながら、伸びをしていた香織は、肩越しに声のした方へと振り返った。
「あ、瀬川くん」
「ほかの連中は?」
よっ、と香織のとなりに椅子を持ってきながら、瀬川――瀬川博俊は、香織にたずねた。
「誰も来てないよ。きょうは、とくに予定も入ってないし――こんなにいい天気なんだもの、どこかへ出かけてるんじゃないのかな」
「たしかに……こんなところで、ぼうっ、としててもしょうがないもんな」
そう云って香織のとなりに座った博俊に、香織は、そうだね、とこたえて肩をすくめてみせた。
「でも、気持ちいいよ? ここ、いい風が入るから」
「昼寝には、もってこいか」
「はは、そうだね」
のんびりとした空気のなかで、香織と博俊は、笑い声をあげる――だれもいない文化祭準備室に、その声が静かに響いた。
香織と博俊がつきあいはじめて――というか、たがいをそういう存在としてみとめてから、そろそろ二ヶ月になろうとしていた。
もともと一年のときに、おなじ文化祭執行委員に選ばれて、一緒に仕事をはじめたことがきっかけだった。先輩や同級生たちと、ひとつの仕事をやり遂げていく過程で、たがいのことを意識するようになり、一年のおわりの春休みに博俊が香織に告白をして、ふたりの関係はいまに至っている。
「そういえばさ、このあいだ云ってた美術展って来週からだろ?」
「え? うん、そうだよ」
ふいに博俊がそう云ったのを聞いて、ちょっと驚いたように香織は、博俊に振り替えった。
「月曜と火曜は試験休みだから……いつからなんだ? 美術展」
「ん、こんどの火曜から……瀬川くん――」
「――一緒にいこうか?」
一緒にいかない? そう誘おうとした香織は、その言葉を博俊にとられて、驚いたような表情になり、それからあわてて視線を博俊からそらした。
「……つきあってくれ、って云ったくせに、ずっと休みの日に望月を誘ったことなんてなかったしさ。もし望月がよかったら、一緒に行きたいな、って思ったんだ」
香織の驚いたような表情を見てしまった博俊は、あわててそう云い――香織とおなじように、彼女から視線をそらせた。
しまった――ふたりの気持ちを、もし言葉にできるのなら、ふたりはたがいにそう思ってしまい……その空気から逃れようとするように、ふたりは準備室の窓から見下ろせる校庭の様子に視線を逃がした。
おたがいに、一年以上もおなじ委員会で働いてきた。気心も知れている――だが、たがいに異性としての相手をまっすぐ見詰めることができるほどには、大人でもなかった。
(やれやれ……)
ふたりには聞こえない、そんなため息が、ほかには誰もいないはずの準備室に響いた。
(どうこう云っても、そっちのほうは、まだまだガキなんだから)
意地のわるい、そんな感想をもらしてから、準備室の天井のあたりに腰掛けるようにして浮いた織雪は、かるく肩をすくめてみせた。
(もっとも、おたがいさま、ってことで釣り合いが取れてるのかね?)
校庭を見下ろしながら、たわいもないことを話しているふたりを見ながら、織雪はおだやかな笑みを浮かべる。
(あの香織にオトコができた、ってことだけでも――)
「のぞき見というのは、あまりよい趣味ではありませんね?」
「うわぁっ!」
ふいをつかれて、香織たちを見ていた織雪はあわててバランスをくずしそうになる。
「ほらほら、香織さんたちにばれてしまいますよ?」
織雪の上半身をつかまえて、バランスをたもってやりながら、織雪のあたまのそばで、彼女はくすくすと笑った。
「そうやって、わたしを驚かすのを愉しんでいらっしゃるのでしょう?」
「織雪どのは、反応がおもしろいので。つい……」
くすくす、くすくす、と笑いをおさめる気配もなく、おキツネさまは心底愉しそうな様子で、身体をふるわせている。
そんな雰囲気になにかを感じたのか、校庭を見下ろしていた香織が天井のほうへと振り返った。
「だいじょうぶです――見えてはいませんよ?」
香織の表情を見て、ぎょっ、とした織雪は、おキツネさまにそう云われて、ほっ、と息をつくが、すぐに、あれ? という表情になる。
織雪にしろ、おキツネさまにしろ、現世とはいくらかずれたところにいる存在である――本人たちにその気がなければ、まずその姿を現世の人に見られるようなことはない。
「ほんとうに、香織さんのことになると……」
ふたたび、くすくす、と笑いはじめたおキツネさまから、織雪は拗ねたように視線をそらせた。
「そんなことは……おキツネさま、ほんとうに愉しんでいらっしゃいますね?」
「ええ――いつもありがとうございます」
視線をそらした織雪の顔を見入るようにしてそう云ったおキツネさま――彼女の忍び笑いは、なかなかおさまる気配を見せなかった。「あの、織雪お兄ちゃん?」
自分の部屋に寝転んでいる織雪にむかって、香織がおそるおそるそう声をかけると、織雪はめんどうくさそうに香織に振り返った。
「う〜ん……なんだ?」
やる気のなさそうな織雪の態度を見ながら、香織はすこしむくれたような表情になった。
「あの……あのね、来週、デートすることになったんだ」
「ほう……デートか。いいねぇ――若いもんは」
「……」
からかわれている――織雪のわざとらしい態度が、なにを意図してのものかは、香織にもよくわかっていた。
「あの……わたし、こういうことって縁がなかったから――わからないの。どうすればいいのかな?」
「質問をするにしても、もうちょっと丁寧にしないと聞かれたほうも答えようがないぞ?」
「……」
あくまでも織雪は遊ぶつもりらしい……ただ、ここで癇癪をおこせば、それこそ織雪の思うつぼである。香織は自制心を総動員して言葉を続けた。
「その……いつもは制服だし、きちんとした格好さえしておけば、なにも考えなくていいでしょ? でも、で……デートだと私服じゃない? どんな格好をしていけば――」
「あいにくと、服飾にはあかるくない。ただ、そいつは、おまえに惚れてるんだろ?」
「え! あ……うん――たいせつにしてもらってると思う」
照れて、真っ赤になりながらも、そう云った香織を見て、織雪は、ぱたん、と絨毯のうえに突っ伏した。
「お兄ちゃん!?」
あわててそう声をかけてきた香織に、うらめしそうな視線を向けながら、織雪は身体を起こして絨毯のうえに座り直す。
「あのなぁ、ふつーの野郎だったら、惚れた女が自分のために精一杯めかしこんでくれば、それだけで、可愛いとか、愛しいとか思うものなんだよ――よーするに、よっぽどヘンな格好でもしていかなけりゃ、だいじょうぶってことだ」
あきれたように、そう云った織雪に、香織はすがるような視線を向ける。
「だから、そのよっぽどヘンな格好、っていうのがわからないのよ!」
織雪がどう考えても、どちらかといえば地味な格好を好む香織が、ヘンと形容されるような格好をすることは難しそうに思えるのだが、当の香織は本気である――すでに目元がうるみはじめているのを見て、中途半端にからかおうとしたことを、織雪は後悔しはじめていた。
このままでは、一晩中つきあわされることになる――それだけは、勘弁してもらいたかった。
「むかしの話をしてやろう」
とっさのことで、おもわず織雪はそう切り出していた。
「俺が本気で惚れていた娘の話だ」織雪が色恋に身をやつしていたころ……それはもう、何百年もむかしの話になる。
「そういえば、おまえには俺の昔話をあまりしたことがなかったな」
なぜかしら、すこし照れたような様子で,織雪は話をはじめた。
「俺にも惚れていた娘がいた――その娘は、妾腹の姫だった。さいわい父親が金持ちだったから、そんなに生活に苦労しているわけではなかったはずだか、いつもつつましやかで――最初に会ったときは、とてもさびしそうな姫に見えたよ」
「へえ……最初の出会い?」
「たまたま通りで、網代車の車輪が壊れて――困っていた彼女を、たまたま通りかかった俺が助けたんだ。それが縁でな……」
ほんとうのところを云えば、ヒマをもてあましていた織雪が、あたらしい姫の噂を耳にして出かけたときに、大雨に降られてたまたま雨宿りを求めた古びた屋敷にその姫が住んでいた、というのが実際だったのだが、それを云えばまた話がややこしくなりそうだったので――当時の織雪は遊び人だったし、香織はそうした遊びにはとんと理解がなかったので、織雪は適当に出会い話をでっちあげた。
「うわぁ、いいな……ロマンチックで」
まさに夢見る乙女、といった風情でそうつぶやいた香織を見て、織雪は必死になって平静を取り繕った。
「まあな、最初の出会いはそんなもんだった。それで……それからというもの、なんとなくその姫のことが気になりだしてな」
「うん」
織雪の昔話にすっかり興味をひかれた様子で、香織は織雪のまえに寝そべり、おとがいを組んだ両手のうえにのせて、話をする織雪の顔に見入っていた。
「それで通うようになったんだが……さっきも云ったように、その姫はとてもつつましやかな生活をしていたから、俺が訪れると、いつもすまなさそうな態度を見せていたよ――ちっとも艶やかでも、華やかでもない格好で申し訳ありません、と云ってな」
「なんだか……かわいそうだね。そのお姫さま、お兄ちゃんのこと、好きだったんでしょ?」
好きな相手に、みすぼらしい格好でしか会えない……ひとりの娘として、どれだけそれが辛いことだったのか。立場や生きている時代さえもちがう相手とはいえ、香織にもそれだけは理解できた。香織も恋をしている女の子だったから――。
「ああ。でもな――その姫は、いつでも自分が持っているなかでは、いちばん上等で清潔な衣装を纏って、俺を迎えてくれていた。そのことがわかっていたから、余計にそんなことを云う姫が愛しくてな……」
「そう思ってもらえたのなら、そのお姫さまは、きっとしあわせだったんだね?」
織雪の話にすっかりと引き込まれた香織がそう云うのを聞いて、織雪は肩をすくめてみせた。
「さあな……今さら、考えても仕方のないことさ――それでだ、話がもどるが、おまえが相手に対して気を遣って、ちゃんと選んだ服装なら、きっと相手はよろこんでくれるよ。そういうもんだ――逆に云えば、おまえの格好が気に入らない、っていうだけで、おまえから興味が薄れてしまうような相手なら、そいつもそれまでのオトコ、ってことだ」
「……」
「そいつは、おまえのことを大事に想ってくれているんだろ?」
とたんに不安そうな表情になった香織のあたまに手をやり、織雪はくせのない香織の髪をくしゃくしゃと撫ぜた。そして、香織が無言のままうなずいたのを見て、笑顔をこぼす。
「それなら心配するな。どんな格好で出掛けても、きっとかわいいと云ってもらえるさ」
そう云って、おだやかな笑みを浮かべた織雪を見つめて、香織はまじめな表情でうなずき、「うん!」とあかるい返事をして、とびっきりの笑顔を織雪に向けた。その夜はよく晴れて、月が明るかった。
ごろごろとじゃれついてくる子猫を相手にしながら、織雪はまぶしそうに夜空に浮かんだ月を見あげた。
望月家の屋根のうえで、ぼんやりと月を見あげている織雪の表情には、すこしだけ翳りが見て取れる。
ぼうっ、と月を見あげていた織雪は、ふいになにかしらの気配を感じて、振り返った。
「いい夜ですね?」
その姿は月明かりのもとで、ふだんよりも、余計に美しく映えていた。
「女たらし、とよく云われていらっしゃいましたけれど、こんな子までがお相手になりますの?」
そう云って、織雪のそばに腰を降ろし、優美なラインを衣装に隠した脚を伸ばしたおキツネさまは、楽しそうにしずかな笑い声をあげた。
「いやはや、きついことをおっしゃる」
おキツネさまの冗談に苦笑を浮かべながら、織雪は、それまであやしていた子猫を抱えあげると、自分からすこしはなれた場所にそっと降ろした。
「さあ、おいき――また、遊びにおいで」
そんな織雪の言葉を聞いているのか、 小猫は、じっ、と織雪とおキツネさまの姿を見つめてから、ふいに身体をひるがえすと、ふたりの座った屋根のうえから降りていった。
「あの娘も、猫が好きでした。いつも、そばに置いて……ただ、猫は気ままな生き物です。すぐに自分の都合で出掛けてしまう」
「半分は気をきかせてくれていたのではありませんか?」
愉しそうにそう云ったおキツネさまにむかって、織雪は苦笑を浮かべた。
「そうですね……でも、きっと、さっきの子は、麗しいご婦人を目の当たりにして――気恥ずかしくなってしまったのでしょう」
「あら、お上手ですこと」
さっそく切り返してきた織雪に、おや、という表情で応えてから、おキツネさまは、つい、とそっぽを向いてみせた。
「香織に……あの娘の昔話をしてしまいました」
「え?」
意外な言葉だった。真顔で振り返ったおキツネさまに、織雪は苦笑を浮かべてみせた。
「まったく、香織にあの娘の話をすることになるとは……不覚でした。話しながら、とても落ち着かない気分になりました」
「香織さんは……」
「ええ、もちろん自分の話だとは思っていません――思いもよらないことでしょうね、香織にとっては。素敵な話だと……嬉しそうに聞いていました」
そう云ってから、織雪はかるく息をついた。
「あの娘は、もうすっかり過去を忘れています。もちろん、そのほうがいい――ただ、わたしの存在が、彼女にあの悲しい記憶を呼び戻してしまうのではないか? そんな不安も感じるのです。わたしは香織にあの娘の話をするべきではなかった。それなのに、話してしまった……もしかしたら、すっかり過去を清算したあの娘に、わたしはまだ未練があるのかもしれません。そうだとすれば、わたしの存在は――」
「そこまで、です」
そう云って、おキツネさまは、織雪のあたまを両腕で抱え込んだ。
「あなたは……そんな繰言を云うために、ここにいるのではありません。彼女はもう過去を清算しています――でも、あなたはこれからするのでしょう?」
織雪のあたまにそう語りかけてから、おキツネさまは、かるく息をついた。
「あなたの辛さ……わからぬわけではありません。ただ、あなたが過ごしてきた歳月は、あなたにその試練を乗り越えるだけの強さを与えてくれているはずですよ?」
「はい」
おキツネさまの言葉に、織雪はただ黙ってうなずいた。
「負けてはなりません」
織雪のあたまを解放してから、おキツネさまは、苦笑いを浮かべた織雪に微笑んでみせた。
どうして、こんなにやさしくしてもらえるのだろう?
その笑みから視線を落とした織雪は、ふとそんなとまどいを覚えた――ただ、そのとまどいは、心地のわるいものではなかった。
明るい月が、ちょうどいちばん高いところまできていた。sec2.Fin