「夢の月劇場」開設記念〜不定期連載小説〜

「忘れられない理由」 sec4

作:DREAM・MOON


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第四話

 わたしって――馬鹿だ……。
 もう何度目になるのかわからない、重いため息をついてから、香織はベッドのうえで寝返りを打った。
 仰向けになると、蛍光燈の光がまぶしかった。
 そのまぶしさに目を細めたとき――目頭が熱くなるのを感じて、香織はいきおいをつけて身体を起こし、そのはずみでかるい貧血を起こしそうになる。
「どうして……こんなに間抜けかなぁ」
 ゆっくりとかぶりを振りながら、香織はため息をつく。長い髪がうつむいた頬に流れてくるのをあげようともせず……両脚のうえで握った手が小刻みに震えている。
 いい加減、涸れてもいいのに……。
 ぽたり、ぽたり、と手の甲に落ちる涙を、ぼやけた視界で見つめながら、香織は他人事のようにそう考えて、ふと、おかしくなった。
 たしかに……格好のわるいところばかり見せてしまった――でも、いまさらそれを悔やんでも仕方がない。
 だいたいみっともない姿であれば、いつも瀬川くんには見られている――それでも、彼は好きだと云ってくれたのだから。
 だから――。
 とりあえず顔でも洗おう……そう思って、香織はゆっくりとベッドから腰をあげた。
 このまま眠ってしまったりすれば、きっと明日にはむくんでしまって大変なことになる。
 そういえば、晩ご飯もまだだった――おとうさんたちは遅くなると云っていたし、とてもひとりでご飯を食べるような気分ではなかったから。
 今度は、がんばろう――瀬川くんに、素敵だと思ってもらえるように。
 うつむいていた顔をあげて、目元に残った涙を拭ってから、香織は自分のベッドから立ち上がった。

 今夜も月がきれいだった。
「そうだ……それでいい」
 望月家の屋根のうえに座った織雪は、そうつぶやき、あかるい月を見あげておだやかな笑みを浮かべた。
 香織が落ち着いて、博俊が帰ったあとで、ふたりきりになったときに、香織は織雪をにらみつけて云った。
 お兄ちゃんなんか……大嫌い!
 そして、ひとりで自分の部屋に閉じこもってしまったのだ。
 だいぶ時間はかかったが、香織はちゃんとその解決方法を自分で見つけ出した――それも、逃げるのではなく、立ち向かうことで。
「それでいい……おまえは、強い心を持っているのだから」
 満足そうに、というよりは、どこかさびしそうにそうつぶやいた織雪の視界を、かるい衣擦れの音とともに、なにかの影がさえぎった。
 その人物は、なぜか怒ったような視線で織雪を見つめていた。
「おや……今宵もいい――」
「なぜなのです?」
 いつもと変わらぬようすで挨拶しようとした織雪の言葉を、はっきりとしたおキツネさまの声がさえぎった。
「わざわざ香織さんを怒らせるようなことをするなんて……なぜあなたが――」
「無意識のことだとは思うのです……ただ、それでも香織はわたしに頼ろうとするところがある。つい……甘やかしてしまったのかもしれません。今回の件は、それを修正するためのいい機会だと思ったのです。もう香織は――充分、ひとりで歩いていけるのですから」
 おキツネさまの言葉をさえぎるようにしてそう云ってから、織雪は丁寧におキツネさまにあたまを下げた。
「……そのために、あえて香織さんから嫌われようとしたのですか?」
「わたしは……いまの彼女にとっては、必要のない存在なのです。彼女はわたしを必要とはしていない――きっと、必要にしているのは、わたしのほうなのです。ですから――」
 ぱん、という乾いた音が響いた。
 言葉を紡ごうとしていた織雪の頬に、叩かれた勢いで乱れた髪の毛が、幾筋かまとわりついた。
「……」
「いつから、そんな弱い心になってしまったのですか? あなたが過ごしてきた歳月は……あなたを弱くしてしまっただけなのですか?」
 そこまで云ってから、おキツネさまはかるくかぶりを振ってみせた。
「そんなに香織さんが信用できませんか?」
「……?」
 ふいの質問に、織雪はとまどった視線をおキツネさまに向けた。
「香織さんが選んだ人物を確かめたかった……そうであれば、あなたは香織さんも信用していなかったということです」
「そんなことは……」
「もっとも、本当の理由は、香織さんから距離をおくためのきっかけが欲しかった――そんなところでしょうけれど」
「……」
 おキツネさまの言葉に織雪はだまってうつむいた。
「……おっしゃる通りかもしれません。わたしは――」
 自信がないのです、かろうじてその言葉は飲み込んだが、それもおキツネさまのまえでは、無駄なことだった。
「だいじょうぶだと、何度も云ったはずですよ? あなたには……試練を乗り越えるだけの力があるのです――もし自分を信じることができないのなら」
 そう云って、織雪のまえにかがみ込んだおキツネさまは、さきほど自分が平手で打った織雪の頬にそっと触れた。
「わたしを信じてください」
 そして――織雪の頬を、おキツネさまは両手で挟んで自身の方へと向けると、その唇に、そっと自分の唇を重ねた。
「さあ、お行きなさい……香織さんは、きっとあなたを探していますよ?」
 やさしい接吻をそっと離してから、おキツネさまは織雪に微笑んでみせた。そして織雪は……そのまま泣きだしてしまいそうになるのをなんとか堪えて、はい、とうなずき――その姿を月夜の晩に溶かして消えた。
 織雪が立ち去るのを、微笑んで見送ったおキツネさまは、誰もいなくなった望月家の屋根の上で、かるく息をつき、瞼を閉じた。
 だいじょうぶです……もう一度、心のなかでそうつぶやいて――。
 そのときには、もうその姿は月明かりのなかに消えていた。

「はぁ……」
 はたしてきょう何度目になるのかわからないため息をついて、博俊はベッドに寝転がった。
 とんでもない一日だった――街で、望月を見つけたときには、なんて運のよい日だろう、と思ったのに……。
 とんでもない、というか、非常識な事実を目の当たりにしたわりには、冷静なのかもしれない――ただ、それがなんのなぐさめにもならない、ということもわかっていた。
 もともとオカルトに関する興味などまるでなかったし、しかもそれを事実として受け容れざるをえない状況に陥ったことなど、まったくなかった――というか、ないのがあたりまえだと思っていた。
「世の中っていうのは……知らないことが、いっぱいあるんだなー」
 口にしてから、あまりにも間の抜けた自分の感想に、博俊は、もういちどため息をついた。
「でも、気絶したっていうのは……」
 だいぶ情けないような気がする……。
 ただ、あの状況で冷静でいられるほどには、博俊は理性的でもなければ、非常識な見識を持っているわけでもなかった。
 望月香織という、常識人を絵に描いたようなキャラクターのうしろにあった非常識が、名実ともに常識人の博俊を悩ませていた。
 人間が非常識にぶつかったときの対抗手段はふたつ……徹底抗戦か、自身の常識を変革することによる妥協――そのいずれかである。
 だが、今回の場合は……織雪の存在そのものが、明確な事実として、徹底抗戦の道を阻んでいた。
 とても気まずそうに、彼のことを云わないでほしいと頼んでいた香織の表情を思い出して、またもや博俊はため息をつく。
 もちろん博俊には、その事実を誰にも告げるつもりはない――だが、事実を告げたところで、誰が信じるというのだろう? 冗談だと思ってくれればいいが、おそらくは変人扱いされるのが関の山だ。
 秘密が多ければ多いほどたのしみなのは、宝捜しと女だよ――そんなセリフがあったような気もするが、まさか、彼女にそんな秘密があるとは思いもしなかった――当然である、そんな秘密自体が非常識きわまりないのだから……。
 こんなこと、考えていてもしょうがないのかもしれない……ふと、そう思って――博俊はベッドから身体を起こした。
 事実は――事実なのだ。
 納得がいったわけではないが、考えても仕方のないことを考えて、時間を無駄にすることのほうが、よっぽど馬鹿らしい。
 それに、これからも香織とつきあっていくのであれば、その事実を受け容れるしかないのだし、博俊は香織と別れるつもりなど、これっぽっちもなかった。
 産まれたときから、一緒にいる香織のように振る舞うことは難しいかもしれないが、それでも理解しようとしていけば、なんとなかなるはず――じっさいに、香織の父や祖父も、おなじ道を通ってきたはずなのだ。
 どうして織雪が家守として居ついているのか? その理由はわからない……ただ、彼の存在に負けたくはなかった。
「負けるもんか……」
 ばすっ、と景気のよい音をたてて、ふたたびベッドに寝転がりながら、博俊は自分に言い聞かせるように、そうつぶやいた。
 香織とおなじ文化祭執行委員になって――ずっと彼女のことを想い続けて、やっと彼氏彼女の関係になった。
 その関係にしても、まだ始まったばかりだ。
 そう――これからだって、もっといろいろなことがあるに違いない。
 でも、絶対にあきらめたりはしない。
 そう思って、やっと博俊は自分の考えに納得した。
 そもそも、そんな深刻に悩むようなことではなかったのかもしれない――自分はただ香織が好きなのだから、彼女と一緒にいること、そのためにできることを考えていればいい。
 それにしたって、いろいろと考えなければならないことは、山とあるのだから、つまらないことを考えている暇はない。
 とりあえず、明後日の予定を考えないと……寝転がっていたベッドから身体を起こすと、博俊は明後日のために買っておいたタウン情報誌に手を伸ばした。
 考えなければいけないことは、たくさんありそうだった。

「お兄ちゃん?」
 台所から、 香織がそう声をかけると、ふらりと織雪は台所に入ってきた。
「……」
「きょうは、ラーメンだよ。手抜きだけど、勘弁してね?」
 まるで普段とかわらない香織の声を聞いて、織雪は香織の顔を上目遣いに見つめた。
「どうしたの?」
「怒ってるんじゃないのか?」
 織雪の視線に気づいた香織がそうたずねると、織雪はそう云って目を伏せた。
「怒ってたよ……でも、しょうがないものね。瀬川くんにだって、いつかは云わないといけないことだったし。きょうは、タイミングがわるかったのよ――ほら、ラーメン伸びちゃうよ?」
 そう云って、テーブルの上にどんぶりを並べてから、香織はかるく息をついた。
「わたしや、おとうさんたちには、お兄ちゃんはあたりまえの存在だけど……普通の人には、そうじゃないものね。そんなことも、すっかり忘れてしまってた自分に腹が立ったの……きっとお兄ちゃんは姿を見せない、勝手にそう思い込んでいたのかもしれない。だから、 怒ってたことも……やつあたりだったのかもしれない――ごめんなさい」
「香織……」
「ほら! 伸びちゃうよ?」
 そう云ってから、香織は、いくらかむっつりとした表情で椅子につくと、いただきます、と手をあわせてから、ラーメンに箸をつけ始めた。
「……いただきます」
 そんな香織の様子を見て、織雪は内心で苦笑いを浮かべながら、香織のむかいの席につき、ラーメンにむかって両手をあわせた。
 おキツネさまの云う通りなのかもしれない……ラーメンをすすりながら、ぼんやりと織雪は考えた。
 香織にとっていまの自分は必要がない存在かもしれない……だが、たしかに自分は香織にとって生活の一部であり、彼女にとって大切な家族の一員なのだ。
 それ以上、いったいなにを望むことがあるのだろう?
 自分が守りたいと願ってきた少女は、もう大人になろうとしている……そして、織雪を家族の一員として認め、愛情さえも持ってくれているのだから。
 だいじょうぶです――そんな声が聞こえたような気がして、織雪は心のなかで、そっとおキツネさまに感謝の言葉を告げた。

sec4.Fin

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