「夢の月劇場」開設記念〜不定期連載小説〜
「忘れられない理由」 sec8
作:DREAM・MOON
第八話
「やあ、どうしたんだ? 景気のわるい顔をしてるじゃないか?」
そう云って、その人物は博俊にむかって、愉快そうに笑ってみせた。
「その様子だと、失敗したようだな?」
「……」
ベッドから身体を起こした博俊は、手近にあった枕をそっとつかみながら織雪に向き直った。
いつものように古めかしい着物姿で博俊の部屋に上がり込んだ織雪は、昨日と同じく部屋の真ん中に堂々と座っている。
「あなたの……云うことなんて、聞くべきじゃなかった」
「……ほう?」
のろのろと語られた博俊の言葉に、織雪はおもしろがるように片方の眉を上げて応えた。
「僕は……彼女に――」
そこまで云ってから言葉を詰まらせた博俊を見て、織雪は意地のわるい笑みを満面に浮かべてみせた。
「彼女に?」
「……!」
織雪の態度に、博俊の中でなにかが弾けた――咄嗟につかんでいた枕を織雪にむかって投げつける。
だが、かるく身体を逸らしただけでそれをかわした織雪は、さも馬鹿にしたように、かるく鼻を鳴らしてみせた。
「下手くそ」
「!」
さらに激昂しそうになった博俊にむかって、追い討ちをかけるように織雪は言葉を続けた。
「おまえが下手だから、接吻をしそこなったんだ――どうせ、いきなり香織を抱きすくめたりしたんだろう?」
投げつけようとした枕をよけられて――そのまま織雪に飛びかかろうとしていた博俊は、織雪のその言葉に動きを止められてしまう。
「あいつは……まだ初心なところがある。そんなことをすれば、驚いたりするのは、あたりまえだ」
「どうして……」
ベッドに腰かけ、ぶるぶると両腕を震わせながらそうつぶやいた博俊を見て、織雪は、やれやれとでも云いたげに、かるく肩をすくめてみせた。
「えらく元気がなかったからな――伊達に長生きしているわけじゃない……それぐらいの予想はつく」
「……」
織雪の言葉を聞いて、博俊はだまってうつむいた。
「あいつを抱きたいのなら、もっと慎重にやらないとな?」
「……」
「いいことを教えてやろう」
ふいに――それまでとは違ったまじめな調子で織雪がそう云ったのを聞いて、うつむいていた博俊は顔を上げた。
「聞きたいか?」
「はい……」
「聞いてしまったことで、後悔するかもしれない――きみの、香織に対する気持ちも変わってしまうかもしれない……それでも、いいか?」
真摯な口調で語られた言葉に、博俊は息を呑んだ。
織雪の本気を感じて、一瞬ひるみそうになった博俊は――だがすぐに口許を引き締めると、織雪に強い視線を向けた。
「変わりません――どんな話を聞いても、彼女……香織さんに対する気持ちは変わりません」
博俊の視線を正面から受けとめて――織雪は、そうか、とつぶやき、うなずいてみせた。
「それならば、話してやろう……あの娘と、俺の過去を」
そう云ってまぶたを閉じてから、織雪はゆっくりと息を吸った。 そして、その息をゆっくりと吐き、眼を開けた織雪は――まっすぐに博俊を見つめて云った。
「香織は、俺の女だ」
その言葉を聞いて、すぐに博俊の表情が強張ったものになった。
「いや――俺の女だった、と云うべきかな? 香織はかつて俺が愛した女性の生まれ変わりだ……そして、彼女と結ばれてしまったことが――俺と彼女が犯した罪だった」
そこまで云ってから織雪はかるく息をつき、博俊にむかって、街外れにある大きな稲荷神社を知っているか? とたずねた。
「はい、知っています」
「あの神社には……御神体と、一振の太刀が奉納してあるんだが」
「それも……知っています。由来はわからないけれど、むかしから奉納してある太刀だと――」
そこまで云った博俊を見て、織雪は満足そうにうなずいた。
「そうだ。あの太刀は――俺のものだったんだ」
そう云ってから、織雪はもう一度――今度は大きく息をついた。
その夜も雨が降っていた。
「今宵は冷えますのね……夏だというのに、どうしてこんなに寒いのでしょう?」
そう云った絢姫の声は、心なしか震えているようだった。
たしかにここ何日かは天候も悪く、肌寒い日が続いていた。
「そうですね……絢姫殿も、暖かくしておかれたほうがよろしいでしょう。風邪など召されては大変ですからね」
「このような空模様が続いては――あっ……!」
ふいに、軽やかな鈴の音と、絢姫が驚いたような声が聞こえた。
そして、にゃあ、という鳴き声と一緒に、御簾を揺らして猫がわたしの膝元にまで駆けてきた。
そしてそのままわたしの膝の上に乗ると、その猫は丸くなった。
「……もう。申し訳ありません――すっかり織雪さまになついてしまって」
御簾のむこうで、衣擦れの音がした。
ゆっくりと御簾が持ち上げられ、絢姫が猫を――そのとき、ふいに雷光がきらめいた。
「……!」
突然の大きな音に驚き、瞼を閉じた絢姫の顔が――稲光のもとに浮かび上がった。
そして――。
「織雪……さま?」
「だいじょうぶです。わたしがついています」
そう云いながら、わたしはそっと抱きしめた絢姫の身体を支えながら、ゆっくりと御簾の中に入っていった。
雷鳴に驚いたのか、いつのまにか猫は姿を消していた。
そして――それが、初めての夜になった。
「……」
織雪の話を、博俊は黙って聞いていた。
その物語の姫が香織だというのだろうか? だとすれば、織雪はなぜ……。
「俺とその姫はそれからも逢瀬を繰り返した。その姫は……不幸な生い立ちの姫で、俺の伴侶となるためには、いろいろと不都合があった……それでも、俺とその姫は――離れることができなかった。魂の伴侶を見つけてしまったのだからな……離れることなど、できるはずがなかったのだ」
博俊の疑問に答えるように、織雪はゆっくりと息をつき直し、そして、ふたたび語りはじめた……。
最初の夜から、もう幾月も流れていた。
そして、その夜――絢姫がくれた知らせは、わたしを困惑させ……だが、それ以上にわたしを喜ばせた。
「ほんとうなのですか……!?」
そう云ってから、わたしは心なしか赤く頬を染めた絢姫の身体を強く抱きしめた。
彼女は身ごもっていた――わたしと、彼女の子を。
「この子は……わたしの子として育てたい」
わたしがそう云うと、絢姫は悲しそうにかぶりを振ってみせた。
「いけません――織雪さまは、将来のある御身です。この子は、わたしが……あっ!」
絢姫の言葉を遮るように、わたしは彼女の身体を抱き寄せ――そのままきつく抱きしめた。
最初はかすかに抵抗しようとしていた姫も、すぐにその力を抜きわたしに身体を預けた。
絢姫を抱いた最初の夜、わたしは彼女に自分の身分を告げていた――殿上人であり、力を誇示することを認められた己の素性を告げたのだ。
わたしの身分を知った絢姫は、最初は驚き――そして、悲しそうな表情になった。
彼女の身分ではわたしとは釣り合わなかった――釣り合わぬはずだった。
彼女自身、自分の素性を知らなかった――妾腹である、ということは知っていても、その父の身分を彼女は知らなかった……絢姫の父は、自身の正体を彼女に告げてはいなかったのだ。
だが、そのことが悲劇を生むきっかけとなってしまった。
皮肉にも、絢姫の身分はわたしと釣り合うものだった。
いや……釣り合いすぎていたのだ。
「どうしてなのだ!?」
そう叫んで、わたしは絢姫の乳姉妹であり、女房頭をしている於萩に食い下がった。
「お会いしたくない、とおっしゃっているのです――それ以上のことは、わたしにもわかりません……」
そう云ってから、於萩はそのまま廊下にうずくまり、さめざめと泣き始めた。
「どうして……?」
突然の変化だった……絢姫の懐妊が明らかとなり、それほど日もたっていないある日、わたしは突然に絢姫との面会を拒絶されたのだった。
「織雪さま……おやめください!」
気がつくとわたしは、ふらふらと於萩の横を抜け、絢姫の私室にむかって歩き出していた。
「離せ……さもなくば」
追い詰められた気分になっていたわたしは、そう云ってから腰の太刀を引き抜いていた。
「……!」
太刀を抜いたわたしを見て、脅えきった表情でわたしの衣の裾を掴んでいた於萩は、その手を放した。
於萩を置き去りにして、絢姫の私室にまで歩いていったわたしが、乱暴に机帳を払いのけると、そこに彼女はいた。
そして、すっかりやつれた風情となり、その眼を真っ赤に泣きはらした絢姫は、わたしを見ると、丁寧に頭を垂れてみせた。
「どうしてなのです?」
そんな彼女にむかってわたしがそうたずねると、彼女はゆっくりと頭をあげた。
そして、彼女は云った。
「初めてお目にかかります、お兄さま――貴方さまの妹の絢でございます」
そこまで云ってから……彼女は、ふたたび頭を垂れると、その声を押し殺すようにして泣き始めた。
「絢姫……いったい」
事態が飲み込めず、わたしが呆然としていると、泣き伏したまま絢姫は言葉を続けた。
「どうすればよいのでしょうか? わたしは……許されぬ罪を犯してしまいました。そればかりか――織雪さま……いいえ、お兄さまにまで……」
それから、言葉に詰まりながらも、自身の懐妊を知り、たまに訪れる父からの使者を通じて、父親に連絡を取ったこと――そして、あわてて飛んできた父から、初めて父の名と身分を――自分の出生を知ったことを、絢姫はわたしに告げた。
姫の告白に、わたしは返せる言葉を持たず――そのまま、挨拶だけを残し、彼女のもとを去った。
そして――それが彼女の姿を見た最後になった。
「間の抜けた話さ……俺は、腹違いの……自分の妹を――知らぬこととはいえ、抱いていたんだから」
そう云って、かるく笑ってみせる織雪を見て、博俊は息を呑んだ。
この人は……。
「しかも、本気だった――とんだ笑い話だ。ただ、俺はそれでもよかった――それでも、彼女と子どもが生きていてくれたのなら、それでよかったんだがな」
それから何度も絢姫に会うために出向いたこと――そのたびに、面会を断られたことを、織雪は淡々と博俊に語った。
「やがて、臨月になった。彼女が無事出産できたのかどうかも知らされず、俺は自棄を起こして自堕落な生活を続けていた――いろいろな姫を誘い、遊んで……抱いたよ。それが許される身だったからな。そしてある日、そんな遊び相手の屋敷へ忍ぼうとしていた俺は……ほんの偶然だったんだが、絢姫の屋敷で女房を勤めていた於萩と再会した」
そして、織雪は知ってしまう――絢姫が、彼女の子どもと一緒に、逝ってしまっていたことを。
「子を産むときに……逝かれたのだと聞いた。そして産まれてきた子も産声を上げることはなかったのだと」
「……」
織雪の話を、博俊はだまって聞いていた――語れるような言葉を、博俊は持っていなかった。
この人は……どうやって、そんな経験から立ち直ったのだろう?
ふとそう思ったとき、織雪が曖昧な笑みを浮かべた。
「それからというもの、俺はますます自暴自棄になってな――酒を呑み、女を抱いて……いろんなヤツに当たり散らしもした。その挙げ句に――俺は自分の首を斬ったんだ」
そのときの太刀があの神社に奉納してあるものだよ、そう云って織雪は息をついた。
「いきなり自分の首に斬り付けたりしたヤツが持っていた太刀だからな……親族が怖がってあの神社に奉納したんだ。俺はふたつの大罪を犯した――妹を抱き、自分の命を断った。だから――そのまま地獄へ落ちるつもりだったんだ。汚れた魂など、無くなってしまえばいいと思っていた――だが、それをある方が救ってくれた」
絢姫の魂を持って産まれてくる娘を幸せにすること……その条件と引き換えに、自分の魂は救われたのだ、と織雪は言葉を続けた。
「そして香織がその娘だった――どういう訳か、すぐにわかったよ。それで俺はあの子をずっと守ってきた――そして、きみが現れた」
そう云ってから、織雪はおだやかな笑みを博俊に向けた。
どうして、こんなにやさしく笑えるんだろう?
聞かされた織雪の過去はつらいものだった――忘れることさえ許されぬ罪と罰を背負いながら、織雪は笑っているのだ。
「そのことを……香織、さんは」
「もちろん知らない。あの子は許されたんだ――許されたから、香織として生きていられるんだ」
「でも……!」
それならば、彼の想いは何処へ行けばよいのだろう?
「香織が幸せになってくれたとき、俺の罪も許される……だから、あの子を幸せにしてやってほしい」
そこまで云ってから織雪は、邪魔をしたな、と云って組んでいた胡座を解いて立ち上がった。
「待ってください! 僕は……僕は――あなたとの約束を守れなかったんですよ!?」
「人の話は最後まで聞くように――そう云ったはずだよ? いったい誰が――今日のデートの間にと云ったんだい?」
「……」
「あの子を頼む……香織は、きみのことが本当に好きなんだ。大切にしてやってくれ」
最後にそう云ってから織雪は衣擦れの音をさせて立ち上がった。
「織雪さん……!」
「じゃあな」
まるでその部屋の空気に溶けるように――かるく片手を上げて、微笑んでみせてから、織雪は現れたときと同じように、音もなくその姿を消した。
僕は……どうすればいいんだろう?
ひとりきりになった部屋のなかで、博俊は、そっとため息をついた。
自分の部屋に入って泣き始めてから、だいぶ時間が過ぎていた。
「おなか……空いちゃったな」
そうつぶやいてから、帰ってきたままだった服を香織はのろのろと脱ぎ始めた。
部屋着に着替えてから、脱いだ服をハンガーに掛けてクローゼットにしまう。
「やってしまったことは……しょうがないもの」
織雪がよく口にする言葉だった。
香織がいろいろな失敗をしたとき、いつもそう云って織雪は香織をなぐさめてくれた。
「そうだよ……あしたは、また笑って瀬川くんと話さなきゃ!」
空元気だったかもしれない――それでも、なんとかそう云って自分に元気を付けてから、香織はうつむいていた顔を上げた。
「お兄ちゃん?」
きょうの晩ご飯、なんだったんだろう?
そんなことを考えながら、とっくに食事を済ませているであろう織雪を香織は呼んだ。
「お兄ちゃん!……あれ?」
普段なら感じられるはずの織雪の気配が、まったくしなかった。
「あれ? おかしいな……」
どこかに出掛けているのかしら? 家守だというのに,どこをほっつき歩いているんだろう?
そんなことを考えながら、香織はドアを開けて、自分の部屋を後にした。sec8.Fin