「夢の月劇場」不定期連載小説 〜第2弾〜
「夢の舟」 sec3
作:DREAM・MOON
第三話
その書状が届いたのは、翌日のことだった。
そこに記された訪問のための日付は、ちょうど一週間後となっていた。
「サムル王家第二王女――フィリス・アイザ・サムル殿……」
行儀見習いの習わしにより、アイレルの隣国サムルよりこの地を訪れている姫だった。
行儀見習いとはすなわち足入れ婚である――つまり、彼女フィリスは、このアイレルの次期王妃として期待された人物だった。
その姫のうわさはリンファも耳にしたことがあった。
控えめな姫であり……まだ少女の面影を残したおとなしそうな少女だという――もっとも、アイレルほどではないにせよ、神の加護を受けた国として特別な力を持つ王家の血を引く姫であり……その力はサムルのなかでも飛び抜けたものであったのだと――アイレル王家よりの縁談に、その力を惜しむあまりサムル王がためらいすら見せたという……。
「サムルには……アイレルより嫁がれた姫がいらっしゃった――血筋とは、やはり争えぬものか……」
そして、わたしには、ソム・セイレンの血が流れている――執務室の机に書状をしまってから、リンファは椅子に腰を下ろし……自身の肩口から流れるくせのない黒髪に手を絡ませた。
あの姫は銀色の髪をしていた……そう、彼の人と同じ髪の色だった。
わたしの髪は……ソム――闇の色か。
そう思ってから、リンファはかるくかぶりを振る。
なにをつまらない感傷に浸っているのか……きょうもまだ仕事が残っているというのに。
セイレン神に仕える神官長として、リンファの職務は多忙を極める――そのほとんどが、彼女自身でなければ勤まらない仕事だった。
運命の天秤は神々のもとにあり……人はそれに逆らうことはできない。
だから人は、己の運命を求めて、神殿に集まってくる――そして、その運命の過酷さからいくらかでも免れようと、神々に祈るのだ。 セイレン神は、力ある神である――その力ある女神に仕える神官も、彼女が持つ力の幾らかを分け与えられているのだし、時には神官でない者であっても、天恵の力を授けられることがある。
たとえばアイレル王家の者がそうだ――王家の一族に連なるものは、例外なく天恵の力を有している。
だが、そうした天恵の力を授けられた者であっても――自身の運命から逃れることはできないのだ。
自身の運命は彼の人と共にはない……もう、わかっているはずだった。
それなのに、わたしはこうして迷っている――答えを見せられているというのに、それを受け入れることができずにいる……。
滑稽だな……。
自嘲のこもった笑みを浮かべてから、リンファはもう一度かぶりを振って、ふたたび自身の勤めに取り掛かった。
きょうも忙しい一日になりそうだった。
かろやかな鈴の音を聴いたような気がして、リンファはふと意識を取り戻した。
「……また、ここに来てしまったのか」
白いもやに覆われた甲板の上で、そうつぶやいたリンファは苦笑いを浮かべた。
鈴の音を聴いてこの場所に来るということが……暗示めいたもののように思えた。
あの夜、リンファが聞いた鈴の音は、アイレルでも特に高貴な血を汲む一族だけに伝わる鈴の音の結界を創るための――鈴音の結界に用いられるブレスレットの音だった。
そのブレスレットを嵌めることを許される家は、現在のアイレルには三つしかなかった。
アイレル王家とその影であるソム・アイレル家、そして神官長家であるソム・セイレン家である。
彼女がそのブレスレットを持っていたということは……すなわち彼女がアイレル王家に迎え入れられたということの証であった。
鈴の音が、彼女の立場と正体をリンファに教えてくれたのだ。
彼の王の妻として招かれた姫が、なぜ自分のもとを訪れたのか……その理由はわらなかったが、すくなくともよい感情を抱いてのものではなかったはずだ。
わたしは……。
「こんばんは」
自身の想いに耽っていたリンファは、ふいにそう声をかけられて、手摺から振り返った。
「……こんばんは、船長」
「今宵もよい海です……よくいらしてくださいました」
そう云って船長は笑みを漏らし、おだやかな瞳でリンファを見つめた。
「この舟に招かれたということは、まだわたしは迷っているのですね?」
「そうでしょうね。あとは……やはり貴女はこの舟に気に入られているのですよ」
船長の言葉に、リンファは目線を下げて礼を返した。
「ありがとうございます。わたしも、ここの空気が好きです――この舟に乗せてもらっているときには、いつもより素直になれるような気がするのです」
そう云ってリンファが、くすり、と笑みをこぼしたとき、彼女の神官服の裾を何かが引っ張った。
「……こんばんは」
ちいさな手で神官服の裾を掴んだ女の子を見て、リンファはやさしい声でそう挨拶をしてから、ゆっくりと腰を降ろし――目線を女の子のそれに合わせた。
リンファに見つめられた女の子は、ほんのすこしとまどいの表情を見せた後で、嬉しそうに微笑み――リンファの身体にしがみついてきた。
「あら……!」
そんな女の子の振る舞いに、いくらか驚きを覚えながら――リンファは彼女の身体を両腕で抱き留めた。
「……暖かい」
自分に身体を預けてくる女の子を抱きしめながら、リンファがそうつぶやいたとき、ふと女の子が不思議そうな表情でリンファの顔を見上げた。
「どうしたのかしら?」
リンファがそうたずねると、女の子はリンファの顔をじっと見つめて、ふいにあかるい笑顔を浮かべた。
「?」
そんな女の子の様子に、どうしたのだろう? とリンファが疑問を抱いたとき、女の子はしがみついていたリンファの神官服からちいさな手を放し、リンファが抱き留めていた両腕の力を緩めてやると――音もなく船長の足元に駆け戻っていった。
今度は船長の身体にしがみついた女の子は、とても嬉しそうな笑顔を船長に向けてから、ふたたびその姿を消した。
「あら……」
ほんの少し、残念そうにリンファがそうつぶやいたのを聞いて、船長は笑みをこぼした。
「貴女は本当にあの子に好かれていらっしゃるのですね……あの子が他人の腕に抱かれるところなど、これまで見たことはありませんでした」
「……」
「あの子は……恥ずかしがりやで、甘えることが苦手なのです。ですから、めったにお客さまの前に現れることもないし――ましてや、甘えることなど……」
「わたしも……恥ずかしがりやで、誰かに甘えることが苦手な女の子を知っていました」
船長の言葉が終わらぬうちに、いたずらっぽくそう云って、リンファは微笑んだ。
「ほう……その子のお話を聞かせていただけるのですか?」
「ええ……もし、貴方が聞いてくださるのでしたら」
船長に訊ねられて、リンファは薄く微笑んでから、うなずいてみせた。
「もう……ずいぶん昔のことです」
そう云って、リンファはひとりの女の子と――その子の大切な友達の物語を語り始めた。
「その子は……恵まれた子どもでした。やさしい両親と自分を護ってくれる大人たちに囲まれて――何も不自由のない暮らしをしていたのです」
「……」
「ですが、その子にはひとつだけ――大切なものを持っていませんでした」
そう云ってから、リンファは船長に微笑んでみせた。
「彼女には……友人がいなかったのです。周囲の大人たちや両親は、本当にその子を大切にしてくれていました――でも、彼等はその子の友人になることはできなかったのです」
「……」
「友人がいない……というより、友人という存在を知らないまま、彼女は育てられたのです」
船長は黙ってリンファの話を聞いていた――時折、甲板の上をどこからか吹いてきた風が通り抜けていく。
「でも……そんなある日、彼女はひとりの男の子と出会いました。そして――ついに彼女にも友人ができたのです」
「……」
「その男の子も、彼女とおなじように友人のいない男の子でした――たがいにひとりきりの友人を得たふたりは、いつも仲良く遊んでいました。大人たちや両親に怒られたりすることもありました……それでも、ふたりはしあわせだったのです」
そこまで語ってから、リンファはかるく息をつき、もういちど船長に微笑んでみせた。
「やがて……その子たちは大きくなり、一緒に遊べることもすくなくなってきました――それでも、ふたりは……おたがいにとってのただひとりの友人であり、親友だったのです」
「……」
「親友であったふたりは……大人になり、かつてのように一緒に遊んだりすることはできなくなりました。そして、親友であったはずのふたりは――男と女であるがゆえに、親友ではいられなくなってしまったのです」
かるく息をつき、リンファは視線を上げた――そして、小首を傾げて……どこか寂しそうな笑顔を船長に向けた。
「いつの頃からか……ふたりは、たがいのことを想うようになっていました……でも、ふたりは結ばれる運命にはありませんでした――状況が、それを許さなかったのです……おかしな話ですよね? ふたりは……親友であったはずなのに……」
薄明に包まれた甲板の上を、やさしい風が流れていく。
語り終えたリンファは、そっと目を伏せて船長に背を向けると、船縁にむかって歩いていった。
「……ありがとうございました」
リンファからすこし距離を置いて船縁に身体を預けた船長は、帽子を被り直しながら――そう云って、リンファに笑顔を向けた。
「それで……貴女は、物語はもう終わりだと思っていらっしゃるのですか?」
「……」
ほんのすこしの沈黙のあとで――ふいに船長からそう訊ねられて、リンファは船長に向き直った。
「貴女は――その物語が、もう終わってしまった――いえ、終わりにするべきだと思っているのに、その幕を引くことができないから悩んでいらっしゃるのではありませんか?」
「それは……」
船長の言葉に、リンファはふたたび視線を落とした。
「その物語が終わっているのは……事実です」
「だが、まだ貴女の心の中では――物語は終わっていないのでしょう?」
「……」
「真実とは……目に見えるものだけを指すものではない――貴女は……誰よりもその事実をよくご存知の筈です」
船長の言葉に、リンファは黙ってうつむいたままだった。
「たしかに……人は、自身の行く道を選べないのかもしれません。だが――それをあきらめるかどうかを選ぶ権利はあるのです」
「あきらめとは……救いではないのですか? 忘れ得ぬ想いならば……せめて――」
船長の言葉に、いくらか神経を昂ぶらせたような様子でリンファが振り返ったとき、船長はゆっくりとかぶりを振ってみせた。
「貴女には……まだ知り得ぬ事実があるのです。その事実が、きっと貴女の真実を……より確かなものにしてくれることでしょう」
「その事実とは……何ですか?」
いくらかとまどったような表情で、そう訊ねたリンファに船長はすこしだけ意地の悪そうな笑みを向けた。
「わたしの口から、それを申し上げる必要はないでしょう……そのうちにわかることです。もっとも、このわたしもあの子に教えててもらって、はじめて知ったのですが」
「……」
「わたしは――この舟や、あの子と同じように、貴女に対して、好意を持っていますよ。ただ、それはわたしが語るべきことではないのです」
ゆっくりと諭すように……そう云われて、リンファはかるく息をつき、船長に向かって笑顔を向けた。
「わかりました――時が教えてくれる……そうなのですね?」
「ええ、そうです――お許しください、わたしがお伝えできるのは、これぐらいで精一杯なのです」
ばつが悪そうにそう云って、帽子を被り直した船長に、リンファは、かぶりを振ってみせた。
「いいえ……あやまらねばならないのは、わたしのほうです。ただ、ひとつだけ教えていただきたいことがあります……その事実は、わたしにとっての希望になるのでしょうか?」
リンファの質問に、船長はゆっくりと息をついてみせてから、わかりません、と答えた。
「その事実が希望となるか否かは、貴女の御心次第でしょう――心の真実の真偽に答えを与えてくれるのも、結局その心なのですから」
「……」
「ただ、わたしは……その事実が、貴女にとっての希望になると信じています。それは、この舟やあの子も一緒ですよ」
船長の言葉が何を意味するものであり、その事実が如何なるものであるのか、リンファにはまったく予想がつかなかった。
だが船長やあの小さな女の子、そしてこの舟が……自分のことを想ってくれているのであり、しあわせを――自身の幸福を願ってくれているのだ、ということは理解できた。
「ありがとうございました……わたしは、自分の信じた道を行くことにします。その結果がどうなるのかはわかりません――でも、きっと後悔はしないでしょう」
リンファの言葉に船長は黙って頷き、それから笑顔を浮かべた。
「貴女はつよいお方だ――きっと、正しい道をお選びになるとでしょう」
船長にそう云われて、リンファはかるく首を傾げてみせた。
「わたしは……もうこの舟に乗ることはないのでしょうか?」
そのことに一抹の寂しさを感じながらも、リンファがそう訊ねると、船長はゆっくりとかぶりを振ってみせた。
「わかりません……ですが、もしそうであれば――いや、きっとそうでしょう……貴女は、もう迷われないのでしょう?」
「……はい」
そう頷いてから、リンファはふいに自身の意識が遠退いていくのを感じた。
ご多幸を……。
意識の最後のかけらが散らばるまえに、リンファはたしかに――そう云った船長の声を聞いたような気がした。
まだはやい時間だった。
寝室のベッドの上に身体を起こしたリンファは、背中を通り過ぎていく朝の風の心地よさに、ゆっくりと息をつき、ふたたび瞼を閉じた。
もう、迷うまい……。
そう心のなかでつぶやいてから、リンファは笑みを浮かべ、ふたたび瞼を開けた。
sec3 Fin