「夢の月劇場」不定期連載小説 〜第2弾〜
「夢の舟」 sec4
作:DREAM・MOON
第四話
その人物は、約定通り――一週間後の午後に、リンファのもとを訪れた。
「お初にお目に掛かります。サムルより参りました――フィリス・アイザ・サムルと申します」
そう云って、銀髪を肩口で切り揃えたその姫は、丁寧にスカートの裾をつまんで腰を落とし、リンファに頭を垂れてみせた。
「よくお越しくださいました。このセイレン神殿を預かるソム・セイレンの長――リンファ・ソム・セイレンと申します。こちらこそ、よろしくお願い致します――フィリス姫」
こちらも丁寧に頭を下げてから、リンファは穏やかな笑みをフィリスに向けた。
「どうぞお掛けください」
神殿のなかにしつらえられた貴賓室――特別な階級の者を遇するための応接室のなかで、リンファは丁寧にフィリスに席を勧めた。
「きょうはよいお日和になりました」
フィリスが席に座したのを確認してから……。
そう云って――侍従が用意してくれた接客用のポッドから、果実酒を磁器のグラスに注ぎ、リンファはそれをフィリスのまえのテーブルに差し出した。
「神殿に納められた――南方からのものです。どうぞ、お召し上がりになってください」
「ありがとうございます――そうですね、こちらの都にうかがってから、そろそろ一月になりますが、本当に気候のいい所なのですね……ご挨拶に伺うのが遅くなり、まことに申し訳ございませんでした」
「いいえ、こちらこそご挨拶に伺いもせず――セイリアには、もう慣れられましたか? フィリス姫」
続けて、自身のために果実酒を注ぎながらリンファがそう訊ねると、フィリスはちいさく頷いた。
「はい……宮殿のみなさまは、異邦人のわたしに――とてもよくしてくださいます。過分なおもてなしと……恐縮してしまうほどです」
「そうですか……はじめての異国でのお暮らし――なにかと不自由なことも多いのではありませんか?」
フィリスのむかいの椅子に腰を降ろしながら、リンファがそう訊ねると、フィリスはかぶりを振ってみせた。
「ここは……セイレンは豊かな街です。わたしの故郷、サムルも豊かな国ですが……それ以上の豊かさがこの国にはありますから」
謙虚ではあるが、はっきりとしたその物言いに、リンファは笑みをこぼした。
「この国は……女神の御加護によって栄えています。そして、それをともに支えていらっしゃるのが、王家の方々です。貴女さまもそのお一人となられる――その責の重さ、お察し申し上げます」
「でも……それは、この神殿を治めていらっしゃるリンファ神官長――貴女もおなじなのではありませんか?」
フィリスの言葉に、リンファはかるくかぶりを振ってみせた。
「わたしは、セイレン神のお言葉を拝聴するだけの者にすぎません。そして、人の世を治めるのは――やはり人の仕事なのですよ? もちろん、この国には女神の御加護があります――ですが、それもあくまで道標にすぎないのです。この国の歩むべき道を実際に歩いていかねばならないのは、やはり人それ自身なのです。そして、それを導いていかれるのが、王家の方々のお勤めです」
リンファの言葉が終わると、フィリスは丁寧に頭を下げた――肩口で切り揃えられた銀髪が、それに合わせて揺れる。
「お言葉、しかと肝に銘じておきます」
顔を上げて、そう云ったフィリスの目を見て、リンファはうなずいてみせた。
「ですが、わたしのような者に果たしてそのような責が務まるのかどうか……」
そう云って目線を下げたフィリスにリンファは笑顔を向けた。
「貴女さまの噂は聞き及んでおります――どうして、そのような不安をお持ちになるのですか?」
祖母にアイレル王家の姫を持つ、彼女の力――天恵の力の大きさは隣国であるこの国にも聞こえていた。
それだけの力を持った姫であるのに……彼女の態度は、まるで何も持たない市井の娘のそれのようであった。
「わたしの力は……未熟なものです。わたしには――天より与えられたそれを御するだけの器量がないのです」
「……」
「わたしの力はいつも過分に評価されます――御する者のいない馬に何の価値がありましょう?」
「貴女はまだお若いのです――わたしとて、そんなに老成しているとは言い難い身の上ですが」
そう云ってから、リンファはかるく苦笑を漏らす。
天恵の力は――恵みであると同時に、それを授けられた者にとっては試練ともなるものだ。
常人の持ち得ぬ不思議な力を得る代償として、その力を暴走させないだけの心のつよさが求められるのである。
「わたしは……わたしの持つ力のゆえに、この国へ招いていただきました。ですが――わたしの力は……もし、わたしに力がなければ、わたしはこうしてこの国に住まうことは許されぬ身であったでしょうに」
どういうことなのか……。
フィリスの言葉に彼女はとまどいを覚えていた。
彼女が抱えている悩みは、天恵の力を授かった者であれば、程度の差こそあれ――皆が抱えいるものであった。
あの夜、自分の部屋を訪れたフィリスから感じられた感情の揺れは……とてもそうした苦悩だけでは、説明できない種類のものだった。
「わたしには、本当に陛下のお側に寄り添わせていただく資格があるのでしょうか……」
短い沈黙のあとに――フィリスが、ぽつり、とそうつぶやいた。
うつむいた顔に、きれいに切り揃えられた銀髪が被り、その表情を窺い知ることはできなかった。
もしや……そうなのだろうか?
そんなフィリスの様子を黙って見つめながら、リンファは――ある疑問を覚える。
「貴女を選ばれたのは、アイレルの重鎮方と――なにより陛下御自身です……その彼等を信じることはできませんか?」
「それは……!」
リンファの問い掛けに、フィリスはあわてたように視線を上げた。
意地のわるい質問をしている……。
そんな彼女の様子を見て、リンファは内心、苦笑を浮かべ……そして、つい先刻浮かんだ疑問が――確信へと変わるのを感じていた。
この姫の想いは――わたしのそれと同じなのだ……。
「だいじょうぶです――貴女は力あるお方なのですから」
そう云って、フィリスをねぎらいながら……リンファは、彼女に悟られぬよう――そっと、息を漏らした。
祝典を控えて、セイリアの街は期待感に満ちた静かな賑わいをみせていた。
王家の結婚式となれば、それは何十年に一度の大きな祭となる。
アイレル国内のみならず、外国からも多数訪れる諸侯の華やかな行列は、市井に住まう民衆の心を躍らせ――自分たちの仰ぐ王の妻となる姫に対しての期待も高まっていく。
その姫が隣国でも誉れ高い力ある姫……そのうえ、まるで少女のように可憐な姫だということになれば、なおさらである。
賑やかになってきた……。
神殿の中庭にある私的な場所で、揺り椅子に座りくつろいでいたリンファは、そう思ってかるくその目を閉じた。
彼女――銀髪が印象的な、その可憐な姫と対面してから、二月が過ぎようとしていた。
先日、セイレン王家から出された告知により……彼女が正式にアイレル王妃となることが決まった。
それに伴い、一月後にはセイレン神殿において盛大な結婚の儀が執り行われることが決まっていた。
リンファはソム・セイレンの長として、その儀式のすべてを取り仕切ることになっていた。
あの姫の想いは……わたしと同じものだった。
二月前に会見したときの姫の様子を思い出し、リンファは穏やかな笑みを浮かべる。
自身の力に対してとまどいを見せてはいたものの、芯の強い気丈そうな姫だった――なのに、周囲に対するやさしさや気遣いもちゃんと持っている。
あの姫であれば……。
そう思って、リンファが、くすり、と笑みを漏らしたとき――彼女を呼ぶ声がした。
「どうしたのですか?」
自身を呼んだ侍従の声に、リンファはそれまでの意識をすぐに切り替えて応えを返した。
お客さまでございます、とその老年の侍従はリンファに告げた。
そして、その侍従が告げた客の名は――リンファにとって、意外な人の名前だった。
「ご無沙汰しております」
そう云ってその客人は丁寧にスカートの裾を掴み、優雅に膝を落としてみせた。
「こちらこそ……ご無沙汰をしております。それから、遅くなりましたが、ご婚約……おめでとうございます」
祝いの言葉と同時に、丁寧に頭を下げたリンファにその客人――フィリスは目礼で応えた。
「ありがとうございます……おかげさまをもちまして、アイレル王家に嫁がせて頂けることになりました」
穏やかな声だった。
彼女なりに、この二ヶ月のあいだに……なにかしら得るものがあったのだろう――そう思って、リンファはフィリスに笑顔を向けた。
「少し……お痩せになられましたか?」
「え?」
ふいの質問だった。
その質問に、虚を突かれたようにリンファは言葉をなくした。
「以前お会いしたときに比べて……なんと申し上げればよろしいのでしょう――なんだか、お元気がないように見受けられます」
「そんな……ええ、そうです。すこし体調を崩しているのです――ですが、さしたる問題ではございません。もともとそんなに丈夫な身体でありませんから」
とっさに否定しようとして――リンファはかるく息をついてから、フィリスの言葉を認めた。
「そうですか……今日は、リンファ神官長――貴女にお訊ねしたいことがあって伺いました」
リンファの言葉に多少の疑問を残したような表情ではあったが、フィリスはそう云ってリンファの顔を正面から見つめた。
「わたしにご質問……ですか?」
「はい……」
自分の問い掛けにしっかりと頷いたフィリスを見て、リンファはフィリス席を勧めた。
「立ち話というわけにもいかないでしょう――お掛けになってください」
リンファの勧めにフィリスは黙って頷き……勧められた席に腰を降ろした。
ふたりが席に着いてから……ほんの少しの間、沈黙が流れた。
「この二ヶ月のあいだ……陛下にいろいろなことを教えて頂きました。リンファ神官長――貴女のことも……です」
その沈黙を破ったのは――フィリスだった。
「……」
フィリスの言葉にリンファは黙って頷き、フィリスは言葉を続けた。
「わたしは、自分に自信がありませんでした――それを最初に、そう今から十年も前に、与えてくれたのが……陛下でした」
そう云ってから、フィリスは息を吐いた。
「たまたまサムルへと陛下がお越しになられていたときの話です。それ以来、陛下のことを……お慕いして参りました。ですから、今回のお話も――最初はとても嬉しかったのです。でも……こちらに来て、リンファ神官長……貴女の存在を知ってしまいました」
フィリスの言葉を聞いて、リンファはかるくその長い睫を伏せた。
「わたしは陛下に申し上げました――陛下のことをお慕い申し上げているからこそ、陛下に想い人がいらっしゃるのであれば……わたしはアイレルに嫁いでくることはできない、と」
「フィリス姫……」
「ですが、陛下は――片想いなのだと、もう過去の話なのだと……おっしゃってくださいました」
思い余って、言葉を紡ごうとしたリンファの声をさえぎって、フィリスは云い切った。
「陛下のご寵愛を受けるに足る人物になれるかどうかは、わかりません。それでも――もし陛下の言葉が真実であれば……わたしは、陛下のご寵愛を受けることができるようになろうと、そのために努力をしようと――心に決めました」
「……そうですか」
フィリスの言葉を聞いて、リンファはおだやかな笑みを浮かべた。
「よいお覚悟です――陛下をよろしくお願い致します」
「いいえ」
そう云って、リンファがゆっくりと頭を垂れようとしたとき――フィリスの強い声が室内に響いた。
「……フィリス姫」
「陛下は……リンファ神官長、貴女には振られたのだと――そうおっしゃいました。でも……わたしには、そのお言葉を素直に受け取ることができませんでした」
「……」
「ですから、リンファ神官長――真実の鑑定人である貴女にお訊ねしたいのです。貴女は本当に、もう陛下のことを愛していらっしゃらないのですか?」
フィリスの言葉に、リンファは吐息を漏らした。
「わかりました――真実の鑑定人として、その言葉にお答えしましょう」
まっすぐに、だがやさしくフィリスを見つめながら……リンファはフィリスに頷いてみせた。
「わたしはもう……いえ、最初から恋愛の対象として陛下のことをお慕いしてはおりません」
はっきりとそう云い切ってから、リンファは首を傾げてみせた。
「……」
「たしかに……わたしは陛下のご寵愛に預かりました。でも、それはわたしを慕って下さった陛下に対する臣下としての礼儀のようなものです――いいえ、正直に申しましょう……わたしは、陛下のお力を……このセイレン神殿の継承者に頂きたかったのです」
リンファの言葉に、フィリスの双眸が細められる。
「たった一度の逢瀬……それだけで、どうにかなるものだとは――わたしとて思ってはおりません。それでも、もし陛下のお力を頂けるのであれば……そのように考えたのです。浅はかな女でしょう?」
幾分自嘲気味にそう云ったリンファをフィリスは険しい表情でまっすぐに見つめていた。
「それは……真実の鑑定人としてのお言葉なのですか?」
かすれたような声でそう訊ねてきたフィリスにリンファは頷いてみせた。
「ええ、真実の鑑定人としてお答えする……そう申し上げたはずです」
リンファの言葉には、まるで迷いがなかった
それでも……フィリスには、リンファの言葉が信じられない様子だった。
「陛下のお言葉を信じて差し上げてください……貴女は陛下のことをお好きなのでしょう?」
リンファの言葉は、まるで姉からの言葉のようにやさしいものだった。
「……はい」
まるで――涙ぐみそうになるのを堪えているかのように、俯きかげんにそう答えを返したフィリスを見て、リンファは満足そうに頷いた。
「それでは――……っ?」
ふいのことだった――フィリスの様子に安堵を覚え、満足そうに席から立ち上がろうとしたリンファは……。
「リンファ神官長! 誰か……誰か居られませんか!?」
まるで支え手をなくした人形がくずれ落ちるように……席を立ち上がろうとしてその場に崩れ落ちたリンファの側に、席を倒しかねない勢いで立ち上がったフィリスが駆け寄り――彼女は声を張り上げて側仕えの侍従を呼んだ。
「リンファ神官長……」
自身の腕のなかで――ぐったりと身体を横たえたリンファの顔を見て、フィリスはとまどいを覚える。
その顔は……なぜかしら――幸せそうな笑みを浮かべていた。sec4 Fin