花の言葉


 

【2】

 湖の町エスガロスには、時折、エルフたちの訪れが有った。
 それは闇の森に住むエルフたちで、交易のためにやって来たのだ。
 当時まだ六歳にしかならないバルドには難しいことはわからなかったが、何にせよ、エルフたちが人間とはまったく「違う」ということ、闇の森の中にはエルフの「お城」があって、見たこともないような宝物でいっぱいだということ…それを大人たちの会話から聞いて知っていた。
 好奇心旺盛な子供だった彼は、エルフという謎めいた存在に、すっかり虜となってしまった。
 来る日も来る日も、彼はエルフのこと、城のこと、森で開かれるという宴会の様子…などを想像して過ごした。好奇心は日に日に募るばかりだった。
 そしてとうとう、行動を起こしたのだ。
 闇の森へ運ばれる交易の荷に潜り込み、イカダで川を上る…----そう、後にホビットのビルボが13人のドワーフたちを救うために実行した作戦の、ちょうど逆である。(もっともバルドは、樽でなく荷袋を被っただけだったが)
 小さなバルドは運良く森の岩屋に辿り着いたが、そこでアッサリと発見されてしまった。
 本来荷袋に詰まっているはずだったリンゴの匂いをプンプンさせたまま、彼は宴会中だった王の元に引っ立てていかれた。
「ほう、これは美味そうなリンゴじゃ」
 既にほろ酔い状態らしいエルフ王は、片手にワイングラスを持ちながら、いかにも意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「さて、どうやって料理しようかの?焼くか?甘く煮てジャムにするか?…それとも、ほかほかのパイの具が良いか?」
「…おゆるしください、王さま」
 小さな体をガタガタ震わせながらも、バルドは言った。
「ボクがぜんぶ悪いんです。なんでもバツを受けますから…だから、お父さんやお母さんをしからないでください」
「…これはこれは。なかなかの心がけじゃ」
 ふと、王の目が訝しげに細められた。
「この顔、この瞳……誰かに似ているような気もするが…はて?」
「……」
「まぁ、良い。…小さな人の子よ、こちらに参れ」
 おそるおそる近づいたバルドを、王は差し招いた手で掴んで、アッという間に己の膝の上に乗せた。
 見上げた場所には、金色にけむる睫毛と、星のような光を放つ、彼が未だかつて見たこともないほど美しい瞳が有った。
「名前は?」
「…バルド」

 そこから先の一時を、彼は生涯忘れることがなかった。

■ ■ ■

「…ほんの、数十年」
 唄うように、王は言う。
「それは我らには、ほんの一時。まばたきする間の、一刻にすぎぬ。----覚えておるよ、何もかも。幼いながらもギリオンの末裔に相応しい勇気を示した、人の子よ」
「…貴方が仰せになったことは、何もかも覚えております、王よ」
 昔と寸分変わらぬ瞳を目の前に見ながら、彼は言った。
「貴方は教えてくださった。上古の時代の、エルフの物語。ヴァリノオルのこと、シルマリルのこと、灰色エルフたちの王国・ドリアスのこと…」
「……」
「中でも私が心に残ったのは、ドリアスの王となるシンゴルと、その妃メリアンの出会い。森の中でメリアンに出会ったシンゴルが、彼女の顔にアマンの光を見て立ち尽くす物語だった…」
「ほう…それは何故?」
「…何故なのか、自分でもわからぬのです。何か…心に触れるものが有ったのか…----シンゴル王は西方の地で『二つの木の光』を見た。彼は今一度それを見たいと熱望しながら、あえて中つ国に留まった。彼は同じものを…至福の『光』を、メリアンの中に見て満足できたのだ…」
 バルドは星空を振り仰いだ。
「そして彼の民…シンダールの一族もまた、中つ国へ留まった。祝福の地、あらゆる悲しみが癒される大陸への想いよりも、彼らの王への想いが勝った。彼らは…シンゴル王の中に、至福の光を見たのでしょうか?」
「……」
「私は…あれから、ずっと考えていた…」
「何を?」
「闇の森のことを。そこに住まうエルフたちのことを。…貴方のことを」
 音も無く、スランドゥイルは立ち上がった。
 座ったまま空を見上げる人間の男の視界を遮るように、黄金の長い髪が揺れる。
「続けよ。…我らの何を考えていた?」
「…考えていたのです。エルフとは光を愛するもの。星を、月を、日の光を。そのエルフが、何故に闇の森で暮らしてゆけるのか。昼なお暗く、星明かりも遠い、闇の森で」
「…昔は、そうではなかった」
「しかし『緑の森』であった時代は、もはや過去のこと。それからの長い年月、あなた方は暮らしてこられた。----中つ国のエルフは減る一方であるとおっしゃったのも、貴方だ。生きることに倦み、希望を失って、西方へ渡ってゆくのだと」
「そうじゃ…もはや我らの時代は終わりに近づいておる」
「私は人でありながら、あなた方の宴席を覗き見る機会をもった、幸運な男だ。----幼い私の前で、エルフの民人は皆、陽気に騒いでいた。生きる喜びに満ちていた。それは…闇の中でも見紛うことのない、彼らの『光』が存在したからではないのかと…」
 バルドは眩しげに目を細め、かつて星空の有った場所に輝く、二つの光を見上げた。
「シンゴル王がメリアンに見、シンダールの民がシンゴル王に見たのと同じ光を、闇の森の民は、彼らの王に見たのでしょう。…至福の光を」
「わしは、アマンの地を踏んだことなど無いぞ?無論、二つの木の光を浴びたことも」
「でも、私には感じる」
 彼はキッパリと言い切った。
「何故なら、貴方の御姿を見る度、私の心は至福を感じる。その想いが光となって、不安の闇も悲しみの暗黒も切り裂いてくれる。人の子である私にすら、これ程の効果が有るのなら…エルフには尚更でありましょうぞ?」
「…!!」
 王は一瞬、呆気にとられたように目を見開き、そして…

 笑った。
 ころころと、花がこぼれるように、笑った。

「な…何か、おかしなことを?」
「おかしいとも」
 と、スランドゥイルは言った。
「人の子よ。わしは、そなたの何百倍も長き時を生きておるが…このように耳を焼く言葉は、どんなエルフの口からも聞いたことがない。…ああ、無垢とは最強の武器であることよ!」

■ ■ ■

 赤い小さな実を散りばめて、草冠は最後の仕上げが終わった。

「つたなき技にございますが…」
 彼は完成品を、そっと捧げ持つ。
 出来うる限り丁寧に作ったが、それでも、高貴な黄金の髪を飾るには、あまりにも粗末に過ぎるように思われて…差し出す手を躊躇せずにはいられなかった。
 しかし彼の逡巡を打ち破るように、王は自ら近づいてきて、あっさりとバルドの手から預かり物を取り返してしまった。
「大儀であったな」
 何の躊躇いもなく頭上に載せる。
 不思議なことに、そうして収まってしまえば、それは他のどんな装飾よりも王に映え、これ以上に相応しいものなど存在しないようにすら思えた。
 月に照らされ、つやつやと光を滑らす紅の実は、さながらルビーの輝きにも似ている。
(…おや?)
 ふと、バルドの中に疑問が弾けた。
(スランドゥイル王は…何故、草の冠をお付けになるのだろうか?)
 エルフ王の宝石好きは、殊に有名である。
 闇の森の岩屋は金銀財宝で埋まっていると語り継がれているし、そうでなかったとしても、普通に考えれば、高貴なエルフ王たる者、宝石でぎっしり飾られた豪華な王冠を被るのが当たり前ではないだろうか。
 王冠どころか、スランドゥイルは衣服の飾りにすら、さして貴石の類を身に付けていない。---まったく付けてないわけではないが…少なくとも、王の周囲にいるエルフの貴族たちと比べて、さほど多いとは言えない。
「一つ質問をお許しいただけましょうや」
 いかにも無骨な人間らしく、単刀直入に彼は尋ねた。
 或いは不躾な問いに怒りをかうだろうかと思わぬでもないが、幸い、王は気を悪くしたようではなかった。
「簡単なことじゃ」
 少し口元を歪めて、王は答える。
「好いているから、集めておるのだよ。身を飾るためでなく」
 その答えに首を傾げる人間の男を見て、さらに付け加えてやる。
「わしはな…宝石の光が好きなのじゃよ。----ほれ」
 いったい何処から取り出したものか。
 いつのまにか王の手の上には、キラキラ光る石が乗せられている。それは見るからに素晴らしい大粒のエメラルドで、周りをぐるりと銀の装飾が取り巻いていた。
「見るがよい」
 王は宝石を夜空にかざす。
 ひとすじの月光が緑色の石を通り抜け、夢にも想像できぬほど美しい光の饗宴を作り出した。
「森にさす木洩れ陽に似ておるとは、思わぬか?」
「……」
「紅い石は大地の奥深く眠る炎を現し、蒼い石は川の水面に踊る日光の煌めきを持つ。黄金と銀は…月と星々から零れた欠片じゃ」
 唄うように紡がれる言葉。
(まるで夢の世界に迷い込んだような…)
 バルドは思った。
 現実の岸辺が遠ざかるのは、なんと容易いことだろう。夜闇の中、うっすらと光を放ちながら逍遙するエルフ王の姿は、あまりにも現世の生々しさを欠いていて…人間よりも遙かに、月や星やエメラルド…そういったものたちの「仲間」に近い存在なのでは、と思わせるのだ。
「わしからも一つ、謎かけをいたそう」
 王は言った。
「闇の森の民人は、その王に『光』を見出した…と、そなたは語った。さて、それでは、当の王本人は、何を見て至福を覚えるのであろうか?」
「……!」
「制限時間を与えよう。…天幕に辿り着くまでの帰り道の間じゃ。良いな?」
 からかうように微笑んで、踵をかえす。
 慌てて後を追いながら、バルドは既に答えの出ている問いの扱いをどうするか、途方にくれる。
 スランドゥイルは何も気に留めてないような様子で、道々、夢見るように宝石の事を語った。
「宝玉は太古の記憶を秘めている。よく耳をすませば、彼らは外界の者に記憶の一部を打ち明けてくれるのじゃ。---石が無口などとは、とんでもないぞ?」

 帰路は短かった。
 川辺から野営地までは、ものの五分とかからない。
 火のはぜる音、人々の陽気な喧噪、エルフたちの優雅な竪琴の調べ…----様々なものが、二人を瞬く間に取り囲む。
 中でも一際大きな天幕が奥まった場所に張られており、王はその前に到着すると、供の男を振り返った。
「ギリオンの血をひく者よ」
 ふいに真剣な面もちとなり、スランドゥイルは言った。
「わしには大した予見の力は無いが……そなたの額に王者の星が輝くは、ありありと見える。----そなたは王となるだろう。そして、かつて滅びた谷間の町は再興し、いにしえの栄光を取り戻すであろう…」
 それは不思議な瞬間だった。
 この日エルフ王の口から発せられた神託のごとき言葉を、バルドは後々まで、けして忘れることはなかった。
「これは未来の王へ、闇の森の王からの餞別じゃ。よく聞くが良い、バルドよ…----王たる者、たやすく斃れることなかれ。大樹が倒れれば、それに寄り添う全ての命も、また倒れる。導きの光を失えば、民人たちは深き闇に迷う。----その心、常に宝玉のように硬くあれ。はかなきもの、束の間の存在に想いをかけてはならぬ。…それらはあまりにも容易に失われ、胸に致命傷を与えるやもしれぬゆえ…」
「それでは」
 突然、奇妙な衝動に突き動かされ、バルドは言った。
 …いや、言わずにおれなかった。
「それでは…定命の存在である我ら人の子は、貴方のお情けに預かることができぬ…と?」
「そうじゃ」
 容赦のない物言いだった。
「わしは命短き人の子に想いをかけたりはせぬ。束の間の恋に溺れ、我が身を破滅せしめようとも思わぬ」
 だが言葉とは裏腹に、王の瞳に拒絶の色は無かった。…自嘲の笑みは口元に漂っていたけれど。
「だから…これは、恋ではない。冠をこしらえてくれた手間賃だと思うが良い」
 いつもいつも吝嗇(ケチ)なばかりではないのだぞ、と笑いながら……王は天幕の入口にかかっている布を片手で上げて、連れを促した。
「おはいり」


 今は青々と冠を飾っている草も葉も、数日と保たずに枯れて、うち捨てられるのだろう。
 明日の朝になれば己もまた、名も無き草花と同様、王によって捨て去られるのかもしれない。----だが、それで良い、とバルドは思った。
 自分は、それを生涯の誇りとして生きるだろう。

■ ■ ■

 五軍の戦い終結後、バルドは先祖ギリオンの所有するものであったエメラルドの首飾りを、スランドゥイル王に献上した。
 これは草葉のような緑色のエメラルドを五百個つづったもので、その後、王の気に入りの宝として、永く側に置かれたという…

おわり

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【あとがき】
 これはコピー誌で、ヒマワリ模様の表紙に真っ黄色の中紙を合わせた装丁が、
密かにお気に入りでした。(ただし指輪サークルの友人に完全委託したので、
自分のサークル机には1度も置かなかった)

 他人様のバルスラを全然読まないで発行した当初は、「私ハズしてるんじゃ?」
と、ビクビクしておりました。
 …そして1年経った現在、他人様のお話も読む機会が有りましたが、
あまりにもサンプルが少ない(&まったく感想をもらえなかった)ため、
やっぱり「ハズしてる?ハズしてる?」とビクビクしています(笑)