花柄きどり

空気ひとりぶん/120510


そんなこんなでまたもや一ヶ月ぶりのご無沙汰ちゃん!もう五月も中旬ですって、にわかには信じられませんね。40を過ぎたら人生が転げ落ちるようにすぎていくよ!比喩じゃないよ!そして下の日記でも書いた小沢くんのライブに行くための出費がどかっと引き落とされて青息吐息だよ!

この間私がオタカラバコと銘打ってフォルダにわけているお気に入りサイトのうちのひとつに、あっそういえばここんとこ訪問してなかったなーと思って飛んでみたらこの世でもっともおそろしい言葉

404 not found

という文字が画面に出てきて一瞬血の気が引きました。えっうそ、久しぶりとはいえ1ヶ月ぐらいしかあいてないはずなのに、えっえっ、と慌てふためき、いやいや大丈夫だもちけつ、そこのサイトさんは非常にその手のジャンルでは大手に類されるところなのできっとどこかしらからあたらしいページにリンクがはられているにちがいないよ!とサイト名その他で検索しまくるもどれもこれも旧サイトへのリンクしか発見できずマジ目の前が真っ暗になりました掛け値なしで。あーあーあーあたしのばかーどうしていつまでも何事もなく運営されているに違いないと胡座をかいてしまったのかポカポカ、と自分の頭を殴りたい衝動に駆られましたね。

それで諦め悪くその後もいろいろ検索かけてみたりして、そのたびに発見できずに落ち込み、最後に見たときはそんな、全部閉じちゃうようなそぶりなかったのになー、っていうかすごくプライドをもって自分の書いた文章を愛してらっしゃる印象だったのでそんななにもかもを水に流すようなことしたりするように思えない、でもでもネットの世界はいろいろあるし…とかぐるぐると考えても詮無きことを考えたりしていたのですよ。

駄菓子菓子!捨てる神あれば拾う神あり。いや、そもそも捨てられてもいなかったのですが、つい3日前でしょうか、ぐーぐるせんせいのトップにでてきた検索結果にジャンプしたら摩訶不思議、そこは夢の国でした(わたしにとっての)。わーんわーんやっぱり移転しただけだったよー(多分。詳細知らないけどアドレス違うだけでそのまま残ってたも)、わたしのすきなあれもそれも全部のこってたよーわーんわーん。もちろん速攻でブクマ!

ネット生活も長いと自分の好きなサイトやブログが突然なんの前触れもなく、そして跡形もなく姿を消してしまうなんてことは避けては通れぬ道なんですけど、たかがネットされどネットというか、わりと心のよりどころ喪失!みたいなダメージをくらった感じになったりしますよね。

とはいえいまやSNS隆盛の時代、小沢くんがコンサートで言っていた言葉を借りれば「短い文章の時代」で、そりで雪面を滑るが如く、ネット際のラリーの如く、短いセンテンスが行き交う時代、かくいう私もこの日記をもうひと月半更新していないのだからなにをかいわんやである。やっぱり楽だからなんだよねえ。水は低きに流れる、けだし名言。

でも長いテキストの魅力ってあるよなって、いっときは消えてしまったかと思ったサイトと再会してあああよかったまたこれが読めるなんて、とうひうひしながら思いました。私の決意がそれについていけるかどうかはともかくとして(するな)、みんなもっと長い文章書きなよ!書きなよ!あたしゃ読みたいよ!とつよくおもう次第です。みんな、がんばろうぜ!おまえがな!

ほんとのこと知りたいだけなのに 春休みはもう終わり/120401


ってすげ替えてみたけどこれは「夏休みはもう終わり」じゃないとだめだなやっぱ。ああ、なんてパンチライン。惚れるぜ。

さてさてさて、先週の木曜日から日曜日まで大人の春休みというか、そもそも事の起こりは小沢健二くんの「東京の街が奏でる」のコンサートが発表になり、どうしてもどうしても、どうしても行きたい!だとすればチケットは競争率の低い平日(金曜日以外)を狙うしかない!しかもその時点で四月以降の人事がわかっていなかったため3月中に照準を…!とか言ってたらもう限られるわけですが、それで以前日記にも書いたとおり1次では落選したんだけど2次で奇跡のカムバックというか、どうにかこうにか足を運べることになったのですヨ!

その小沢くんのコンサートが木曜日、土曜日に大人計画のチケットを取っていたので、それならもう金曜日も休んでぷっち春休みじゃ!異動もないんだしそれぐらいのことしても許される!はず!と勢い込む私。そのために二ヶ月間、ビタイチ休みも取らないでがんばった!ああがんばったさ!

しかし、この小沢くんのオペラシティで行われるコンサートに向ける私の意気込みたるやちょっと尋常ではなかった。新国立劇場のある初台には何度も行ったことがあるけれど、オペラシティの中に足を踏み入れるのははじめでだってこともあったし、なにより2年前の小沢くんの「ひふみよ」ツアーでの体験がほんとうにほんとうにすばらしかったっていうことも拍車をかけて、それでどうしたかってもうコートは買うわワンピースは買うわかばんは買うわ、週末時間があれば街中に繰り出すという、普段の私からしたら考えられへん!というような浮き足だちっぷりでした…それほど私を「ハレ」の感覚で包んでくれた小沢くんってやっぱスゴイ。

コンサートのことはblogの方で書いたのでそちらを読んで頂くとして、同行したお友達と翌日の金曜日そして土曜日と、いつも私は東京に行っても(何度も何度も行っても)マチネソワレマチネソワレみたいな勢いで予定を入れるのが常なので、逆にまっとうな食事すらできない!というハメに陥るのですが、なにしろ木曜日の夜に小沢くんのコンサートを見てから土曜日の大人計画のソワレまでなんにも予定を入れなかったので、なんつーか、まっとうな「東京観光休日」というやつを堪能してきたりして。

メインイベントになったのは閉店間近の(というか、私たちが行ったのは閉店のまさに前日であった)「万惣」に出かけていくことで、もうミーハー丸出しで面目ない限りですが、東京っ子が絶賛されるその味のお裾分けにあずかるべく、なんと!この!並ぶことが大嫌いな私が!2時間も!並んだというのですから驚きです。あれ、もし外に並ばされてたら諦めたかもしれないけど(雨降ってたし)、ビル内の階段に並ばされるという手法なので「とりあえず最後尾まで行ってみる」→「列の後ろに着く」→「いったん列に入ってしまうと抜けるのが困難」という状況もあったんだとは思いますがしかし良く待った。お友達と一緒だったので「あああ!もうむり!」みたいなことにはならずああでもないこうでもないと喋っているうちにお食事にありつけてよかったです。とてもおなかが空いていたのでホットケーキのみならずロースとハムとアボカドのサンドイッチまで食べてしまい、またこれがやたらと美味だった!そして感動したのは紅茶がまっとうに美味しいことでした。ポットサービスでもないのにあんなにがっつりうまい紅茶がさりげなく出てくるなんてそりゃうれしくなっちゃう店だよね。建物の耐震性を理由に閉店、ということだったけど、いつか復活してくださるといいですねえ。

そのあと浅草の仲見世ひやかしたり、渋谷でお茶したり、新宿で焼肉食ったり、そりゃあ腹もくちくなるわ!といったテイでしたが、そうだ!木曜日の夜は思いがけない終演時間の遅さに終演後のごはんに困って、それで「浪曼房」のことを思い出したので初浪曼房してきたのでした!数多の若き演劇人たちがお世話になった店、浪曼房。そして「本の雑誌」の4分の1広告でお馴染みの浪曼房。雑多な感じなのに、お店の方の立ち居振る舞いがすべからくプロ!って感じでとてもよかった。壁には一面演劇のポスターがすらり。へっへっへ。

食べて喋って喋って食べて、というような休日だったですけれど、すてきなコンサートに行っておいしいものを食べて、いいかんじのホテルに帰って満ち足りて眠る、大人の休日と言わずしてなんと言おうか、という贅沢な時間でした。お子ちゃまにはこの充足はわかるまいよ、となぜか上から目線になってしまうのもゆるしてほしい。おとなってすばらしいよ。はたらくのはもちろん大変なことだけれど、そして不自由だけれど、だからこそ得られる自由というのがあるのだよ、と私は声を大にして言いたい。この春休みの記憶を胸に、さあて新年度、むねはっておとなの仕事をしてくるとすっか!

喜びと悲しみが時に訪ねる/120317


1年前の日記を読んでいると、もちろん震災のことしか書いていないのだが、5日後の16日に震災後の対応という意味で職場が大混乱になっていたことが書いてあって、そうだったなあ、ほんとに何から何まで入局以来経験したこともないような事態だったなあということを思い出します。

twitterでも、1年前自分が「なにをツイートしていたか」というような話が出ていたけれど、それは私ははっきり覚えていて、友人といくつかの短いやりとりをした以外は、そこからほぼ丸2日間、なにもツイートしなかったのだった。なにがほんとうで、なにがほんとうのことでないのかわからない、だとすれば今自分の身の回りで事態が切迫していない以上は、ここは自分は見る立場であったほうがいいのではないか、と思ったし、今でも同じことをすると思う。

震災後のことではっきりと覚えているのは、翌12日、私は博多に向かったのだけど、予定の新幹線が一分たりとも遅れずに駅のホームにすべりこんできたこと、車内でニュースを告げる電光掲示板が、それでも真っ赤な文字で新しい情報を伝えていたのだけど、広島を過ぎたあたりで目を覚ましたとき、その文字がもう赤くなってはいなかったこと、当日のニュース番組は被害の大きさをひっきりなしに伝えていたのだけど、夜半すぎのNHKのニュースで、海岸に200人から300人の遺体がある、という、それまでの怪我人が何人、というニュースに比べて、その数の大きさとなにより実情の把握の出来なさに愕然としたこと、ツイッターのTLで繰り返されるデマと煽りと叫び、輪番停電という言葉、夏にはその輪番停電が23区内も対象になるだろうと報じられたこと、それを聞いたときのホテルの天井の風景、そんなことを思い出します。

震災そのものの被害もそうだし、繰り返される原発のニュースに、いかに「のんき」に育ってきた私でも、たいていのことはなんとかなる、なんてどこか根っこに楽観主義的なものを持っている私でも、何が、ということではなく「ほんとうにもうだめなのではないか」というような、真っ暗な深淵を覗き込むような気持ちになったことも思い出します。

1年という日付になんの意味もないという主張ももっともだと思うのですが、個人的には、1年経ったときにもう一度考えよう、と思っていたことがあって、そして1年経ってもやはり考えは変わらなかったので、11日にあしなが育英会への継続寄付の申込をしました。私の好きな「ザ・ホワイトハウス」というドラマのなかで、広報部次長のサム・シーボーンが「教育がすべてだ」と大統領を説得するシーンがあるのですが、私もやはり教育がすべてだ、と思うところがあるからです。

もうひとつ、これはtwitterで知ったのですが、陸前高田の図書館の再建を支援するもので、1万円以上の寄付をした場合、1冊自分の好きな本を蔵書にしてもらえる、というのです。1万円というのはもちろん安くない金額ですが、今まで自分が図書館に受けた恩恵は1万円じゃとても購えるものではないだろうと思って参加することにしました。蔵書にする本を一冊選ぶことが出来る!これはなかなか悩ましく楽しい選択でした。私が推さなければ図書館に入らないかもしれない本、何年経っても読み返したくなる本がいいな、と思い、悩んだ末穂村弘さんの「短歌という爆弾〜今すぐ歌人になりたいあなたのために」を選びました。あの最終章をここから何年後、何十年後かに、自分の知らない誰かが読んで胸を震わせてくれるかもしれない、なんだか時間を超えて遠くまで届く手紙のように思えます。

私は今日スーパーで2キロのお米を買って、買った後であっ歩いてきたの忘れてた、ばかだな今度にすればよかった、と思いながらふうふう歩いていたのだけど、そのときふと1年前の高田聖子さんのブログのことを思い出した。1年前のまさに今、「米を買う」ということ自体が物理的にも心理的にもストレスのかかる行為だったこと、そしてお米を買うのをためらった聖子さんに、「こんな時だからって、お米を買うのは悪いことではないよ」とやさしく声をかけたお店のおかあさんのこと。そういうことを1年という区切りに心に浮かび上がらせるのは、決してわるいことではないと、私は思う。

あの人より大きな力が/120309


二月は逃げると言いますがほんとに逃げやがった!あいつ!というわけでもう3月も3分の1が終わりました…お前も!お前もか!

3週間ほど前でしょうか、例年より幾分早く人事の発表があってワタクシまさかの残留決定ということでなんでしょう、このよどんだ空気。いや今のポジション嫌いじゃない(どっちかといえば好きなほう)。しかし4年は長いわ!いや、うちの職場で4年というのは結構異例の長さなんですヨ!勤務地は変わらなくても内部の移動はあるだろうと思っておったに…。しかしこうしてみて思うのは、私はほんと一所にとどまっていられない性格なのですねということです。今自分で借りてる部屋、ほんとにほんとに気に入っていて、もーここ暫く動きたくないなーとか常日頃から思ってるんですけど、でも4年目にしてだんだん忍び寄ってくるものがあるんですよ。なんだろうね!このリセットボタン押したい病。まだか、まだか、まだいるのか、って空気が部屋の隅から巣くっていくような感覚。自分でも正直持て余し気味。

しかしまあおかげで引継ぎも引越もないから年度末とはいえ有休獲得も思い切っていけちゃうし、いけちゃうから無謀にも平日ど真ん中でぶっこんだ小沢くんの「東京の街が奏でる」に行けることになったのだし、

ギャーーー!!!!!

って文中でいきなりビックリしてみせましたがいかがでしょうか。そうなの!二次抽選で当たった!のす!一次で敗退したときはケッなーにが振込がなかった場合二次抽選だよ振込しないやつなんていねーよあーもう無理無理無理無理といったんは投げやりになったものの、諦めたらそこで試合終了の名言の通り粘り腰で挑んだのが実を結ぶとは!正直今はこれを私の生きる糧にしているといっても過言ではない。どうかライブ当日まで何事も起きませんように…!

「あることを楽しみにするあまり不測の事態ばかりを想像して胸焼けする」という現象はついこの間、第三舞台の初日の時もそうだったなーと思います(そして実際不測の事態おきまろだったしね…なんだおきまろって)。今思えばやっぱ緊張していたな!って今思わなくてもそうだYO!って感じですね。

11月に第三舞台の解散公演を観てから、何がどうとはっきりと伝えられるようなものではないんだけど、でもどこか自分の中で「大きな力」に動かされたような感覚があって、やっぱり初恋の威力パネエなんて思ってしまうわけだけれども、演劇とか芝居というものへの執着というかなんというか、そういうものを叩き起こされたような気がしてしょうがない。おまえのすきなものはこれだろう、とふらふらと視線の定まらない頭をひっつかまれたような。結局のところ、私がかえるところはここだ、とわかっていたけどもう一度思い知らされたというんですかね。

そうだ、明後日(もう明日、か)の3月11日は劇場にいます。観る作品を選んだ後でそうか11日かということに気がつきました。本多劇場で「寿歌/ザ・シェルター」。とても楽しみです。

この歌をとめるな/120215


昨日の夜、19時からSMA主催のust番組でユニコーンの川西・EBI・テッシーが新たに結成した「電大」が出演するよと言うので帰宅してから流しっぱなしにしていたんだけど、番組のなかでチャットモンチーへの一問一答のコーナーがあり、そのあとに彼女らの新曲のPVが流れたのだった。

今までフェスとかでチャットモンチーのライブを聴いたことは実際にあるし、曲もいくつかは知っているし、どちらかといえば「好意的」に見ていると思うし、でもCDを買ったことはないし逆に言えば「好意的」というそれ以上でも以下でもなかった。もちろん昨年ドラムの高橋さんが脱退されたことは知っていた、そのあとこのバンドがほんとうに「ふたり」でステージに立っていることも知っていた、ベースの福岡さんがドラムにコンバートしたことも知っていた、けれど知っていたというそれ以上でも以下でもなく、実際にふたりで動いている姿を見たのは昨日のustが初めてだった。

「満月に吠えろ」というその曲のPVで、福岡さん、いや、あっこちゃんはドラムを叩き、そのドラムセットの目の前にボーカルの橋本さんが…えっちゃんがマイクスタンドを立ててテレキャスをかき鳴らしていたのだった。

なんということはない風景の連続でしかなかったと、今になってみれば思うのだが、しかしPCの小さい画面で見たその時の彼女らは、なんというかあまりにもタフだった。押しても叩いても引いても踏みつけても揺るがないだろうと思わせる何かがあった。ミュージシャンとしての、バンドマンとしての、御輿の上に立つ者としての揺るがない覚悟のようなものが、ふたりのとてもかわいらしい、と言える笑顔から匂い立ってくるようだった。なんてタフなんだろう、と私は何度も思った。それはもちろん、3人のメンバーのうちひとりが脱退するという、バンドにおいて岐路とならざるをえないような局面があったことを私が「知って」いるからということはもちろんあるだろう。だが彼女らはまったく痛々しくなかった。私が勝手に脳内で描く物語さえもやすやすと超えていくようだった。PVの途中でふたりは満月を模したダンスを踊っていた。とてもかわいかった。

今そのPVを見ようと思えば、おそらくネットでもどこでも見ることができるのではないかと思う。でも私はそれを見ずにこの文章を書いた。あのとき自分が感じた、ほとんど感銘といってもいいような鮮やかさをもうすこしためつすがめつしていたいような気がするからだ。ふたりはそのust番組の後半で、3週連続リリースの最後となるベストアルバムの告知をし、これまでのチャットモンチーも、これからのチャットモンチーも両方好きでいてもらいたい、と笑いながら言った。ふふふと笑い合うふたりはとてもかわいく、そして誰よりも鮮やかで、タフだった。

未来がわからないのは不安じゃなく希望/120121


福岡の大千秋楽から一週間。
第三舞台が終わりました。

当日劇場を出たあとは、こっそりチェックしていた劇場にほど近いイタリアンのお店で、姉とふたりもそもそと軽く乾杯などをして空腹を満たし、そのあとホテルに歩いて帰って、延々夜中まで第三舞台の話をし続けたのでした。私たち姉妹は多分、世間の基準に照らせばそれほど仲の良い姉妹というわけではないと思いますが、こと「第三舞台」については私はこれほど多く長く彼らに関する「対話」をしてきた人はいない、つまるところ共通体験がありすぎて、第三舞台について話すときにこんなにも「言葉が通じる」というのは姉をおいて他にはないのです。

そのときに「集団の終わり」ということについて話をしていたのだけど、こういった「ヲタ生活」というものをしている人には多かれ少なかれ「集団の終わり」を経験する人は多いと思いますが、私もそれは同様で、今までに「解散」という二文字を複数回経験してきました。もっと言うなら、私は「終わりがある」ものだから好きになっているんじゃないかと思うほどです。腐りかけの肉が一番うまいと言いますが、崩れ落ちる寸前のものに魅力を感じる性癖のようなものなのかとも思います。って失礼ですね、肉なんかに喩えて。

しかし、思い入れの大小はもちろんそれぞれ違いますが、その集団を終わらせる、というとき、そのアクションに対するリアクションというのは大抵、思わぬ方向から、思わぬ形で現れるものなんだなあということ。それは私のある種経験則でした。

私は、バンドや劇団というものに対して、個人よりもまずその「集団」そのものに入れあげる性質があります。そういう人間にとっては、解散というのはある種「死」と同じです。けれどそれは何もそういうファンにとってだけではなく、それがバンドであれ劇団であれ、いったん走り始めたら、そして、それが巨大になればなるほど、その集団そのものが意思をもっているかのように動き出すなんていうことは往々にしてあることではないでしょうか。それを産み落とした人間にも、それを支えている人間にも、予想のできない方向に走り出してしまう。その終焉はだからどこかやはり、死に似ている部分があるんだと思います。

それを終わらせる、というときに思いもかけない大きなリアクションがあるのは、だから当然なのかもしれません。私がここでいうリアクションとは、ファンからの反応といったようなもののことではもちろんありません。言ってみれば「返り血」のようなものです。ちなみに姉に対して「生け簀からあげた魚を捌くときにビシャビシャ跳ねたりするあの感じだよ」と説明して至極納得を得られたのですが、また食べ物の喩えでほんと申し訳ない。

何もかもをコントロールしようとしても、実際に今まではそれが出来ていたとしても、「最期」というときには必ず手からこぼれるものがある。それはどこか「しっぺ返し」とでもいいたくなるような残酷さを時には伴っています。つまりそれほど、何かを終わらせる、ということは大きな傷を伴うということで、それは創り手にも受け手にも等しくそうなのだということです。

だから、美しい「終わり」なんてない。
ずっとそう思ってました。

私は第三舞台の解散公演が、これほどの熱狂をもって終幕を迎えるとは、当初予想していませんでした。伝説の劇団?確かに。チケットが取りにくい?その通り。しかしその全盛期に少しでも触れたからこそ思う、「あの時とは違う」という思いもあったのです。そもそも、真にチケットが取りにくいのだとしたら、私は5回も足を運べていない。私にとって「チケットが取れない」劇団というのはそういうものです。

けれど、私が思っている以上に、いやもしかしたら、鴻上さんをはじめとする「第三舞台」が思っている以上に、多くの、本当に多くのファンが、彼らとの再会を、心にどこか期していたんだということ。それが初日の紀伊國屋ホールの客席で痛いほど伝わってきました。全37公演の予定が、紀伊國屋2回、大阪2回、そして横浜5公演そのものが追加され全46公演に。そして大楽の福岡最終公演に至っては全国30館の映画館でライブビューイングが開催される。

そしてその公演を、劇団を離れたかつての仲間たちが観にきてくれる。役者を続けている人も、違う道に進んだ人も。そして横浜とサンシャイン公演の楽日には、とびっきりのサプライズまで。劇団を離れたあと、一時はその劇団の名前を口にすることすらなかったひとが、カーテンコールでかつての仲間たちと並んで拍手を受ける。こんなことってあるだろうか。こんなに皆が、笑顔で、最後に笑って手を振ることが出来ることが。

だから千秋楽の当日は、どうか何事も起こりませんように、彼らを「思いもかけないこと」が襲いませんようにと心の底から祈っていましたし、それは私の、今まで観たことのなかった風景を見せて欲しいという、ある種のエゴでもあったと思います。

当たり前ですが、解散というのは、その集団の足並みが揃わなくなるから解散するのです。今まで回っていた車輪が押しても引いても動かなくなるからこそ解散するのです。しかし鴻上さんは、この10年の封印の後、ここで「解散」するということをもって足並みを揃えた。その集団に対する嗅覚にはまったく敬服しますし、多くのキャストやスタッフがそれに応えたのは、何よりもまず彼らの中に「第三舞台」に対する愛と敬意があったからではないかと推察します。10年前で終わっておけばよかった、という人も、もちろん中にはいるでしょうが、だとしたら、こんな幸福な終わりはなかったと私は思いますし、たとえばこの公演が「朝日のような夕日をつれて」の再演だったとしても、それは同じだろうと私は思っています。

思い残すことなんてない、という言葉が相応しいのかどうかわかりませんが、少なくとも私は、彼らに、第三舞台に、笑顔で手を振って別れることができたし、そんな「終わりの風景」を見せてくれたことを、何よりも感謝したい気持ちでいっぱいです。

紀伊國屋ホールで初日を見た後、私は初恋の威力ってやつを思い知らされてるよ、とツイートしたんだけど、文字通り、第三舞台は私にとって初恋でした。思い出を語ればきりがありません。よかったと思うことのひとつは、私は「第三舞台」というものに対して、最初から最後まで全力で好きだったということ、斜に構えてわかったようなことを言って評論家めいた言葉を投げかけたりすることなく、最後の最後まで、みっともなくはしゃいで入れあげてトチ狂ったファンでいれたこと、そのことを自分で何よりも誇りに思います。

それでも、こんなwebの片隅にでも、さよならの言葉を書くのはやはりつらい。
でもさよならです。
私をここに連れてきてくれてありがとう。
ありがとうございました。
さよなら、第三舞台。

僕が今一番歌いたい讃歌/120114


あけましておめでとうございます、じゃ、ねえよ!というぐらいの時間が過ぎていますが気にしないでください。みなさんこんばんは。明日はいよいよ第三舞台の最終公演の大千秋楽です。そしてもうここのところはてなの方にあれやこれやと殴り書きってます。すごい。どうしたことだこのパッションは。私が敬愛する方が以前ツイッターで「情熱こそが面白いことを言わせるし、センスのいいことも言わせるし、とにかく他にもいろいろなことをさせるのだ」ということを書いていらして、ほんとにそうだなと思ったけど、ますますそれを実感する今日この頃です。

紀伊國屋の初日を見終わったあと、翌日以降もなんだかふつふつと自分の中に滾るものがあって、その感覚は自分が初めて第三舞台を観た時の感覚に限りなく近いんじゃないかと思ったんだけど、結局のところその予感は当たっていたというか、芸術は爆発だじゃないけど情熱が爆発どころか暴発してもうとどまるところをしりません。

芝居を観ているときに、唐突にあーー最後が新作でよかった、「朝日」じゃなくてよかったってこれは心底からそう思ったんですけれど、自分のこの第三舞台に対する気持ちと、THE YELLOW MONKEYに対する気持ちの違いはなんだろう、なんてことをずっと考えていて、そして今も考えているのですが、それも今はひとまず措いて、最後の第三舞台を、第三舞台の最後を、見届けてくることに集中することにします。

今のように演劇のDVDがたくさん発売されるようになる前、第三舞台の10周年を記念して発売された「第三舞台’81-‘91」のビデオ。これは本当に名作中の名作だと私は思っていて、姉とふたりでこのビデオを、何度繰り返し見たかわからない。もう、最初から最後まで全部諳んじられます。いつも、これを見るときは、部屋の電気を消して、真っ暗な中で見るのが私は好きでした。朝日のみよ子の遺書を読むシーンで、暗がりからだんだん光が強くなっていくのを体感できるのが、劇場での疑似体験をしているようでうれしかったこと、思い出します。

今日はそのビデオを、あの頃と同じように部屋の明かりを消して見ることにします。
それが最後を迎える準備のすべて。

いってきます。

2011年の日記

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