観劇ノート 2004


「ア・ラ・カルト」


2004/12/30  MIDシアター  Aブロック5列5番
演出 吉澤耕一


毎年恒例、今年もやって参りました♪今年の芝居行脚もアラカルトで〆。千秋楽にお邪魔してきました〜。

今年のオープニングカクテルは「ピック・ミー・アップ」。お酒をあまり飲まない私は初めて聞く名前でした。キメキメで「ピック・ユー・アップ?」と言って照れる白井さんが可愛い。このオープニングに限らず、どのシュチュエーションも毎年毎年うまく見せてくれるなあと本当に感心します。今年はどういう手で来るのかそれを待つのもアラカルトの楽しみ。

今年のビジターのROLLYが仕事の傍らバンドを続けるサラリーマンを演じた今年のメインディッシュもなかなか。シングルモットーの歌すげえよかった!私も入会させて下さい!そして出来れば陰山ギャルソンと一緒に退会させて下さい!(どさくさ)陰山さんのギャルソンエプロンが今年も拝めて眼福眼福。きらりと光る眼鏡も実は私の好きアイテム。デザートのパパと女の子、このシュチュエーションの切り取り方も見事だったなあ。「酔っぱらってクダ巻いて、最低だな」と言って娘を見る白井パパの眼差しの優しさにほろり。コーヒーの老夫婦はもう、何度見ても涙が止まりませんね。ギャルソンがテーブルのランプの上にかがみ込んで、煙草に火をつける仕草を見ていると、芝居を観る贅沢というものを思わずにいられません。

個人的に今年はショータイムでしてやられました。ROLLYの愛の賛歌が聴けるのはもともとすごい楽しみだったんだけど、とにかくその「ホンモノ」っぷりに完全にしてやられました。歌のうまさ云々よりも、一瞬にして世界を創り上げるひとだなあと、そのことに何よりも感動。愛の賛歌での美しいドラッグクイーンぶりにもうっとりでしたが、わたしはもうアマポーラにぞっこん。あのリフ・・・・!最後にAメロに戻るあのたまらない切なさにボロ泣きでした。

今年は大阪でもハンドベルが聴けて嬉しかったです!千秋楽ということもあってか、カーテンコールののち観客席総立ちのスタンディングオベーション!涙もろい高泉さんを泣かせてしまいました。本日いらっしゃっていたというROLLYのお姉さま方にもきっとご満足いただけた夜だったのではないでしょうか(笑)

「走れメルス」  NODAMAP


2004/12/26  シアターコクーン  XA列10番
作・演出  野田秀樹


久々に、なにをどう掴んでも掴みきれない野田ワールドを堪能、という感じでした。まったく見たことのない昔の作品でしたので、個人的には新作を見る気持ちでわくわく。「わかる」ということはまったく期待もその努力も放棄しておりまして、とにかく目の前にある情景を受け入れる気持ちで見てましたね。

私は野田さん独特の美しい言葉が大好きなので、それを聞けただけでも満足は満足。ただ言葉の渦で溺れさせてはもらえたけれども、もう一歩その圧倒的な力で酔わせてもらうことはできなかったかなー。うーん、私の感性が鈍くなってきたというのも大きいんだろうけど。ラストの混乱のあと、もう一歩個人的に叙情が足りないとちょっと思ってしまいました。

とはいえキャストもこれ以上ないぐらい実力派揃いで、まったく舞台の隅々まで埋まりきってるな!という濃さが素晴らしかったですねえ。2回目に見たときはちょっとヒキで見ていたので、役者さん達の小芝居もよく見れて楽しかった。

わからない事自体は私は全然オッケー、むしろカモン!な気持ちだったんですけども、1回目に見たときに若干乗り切れない自分もいたので、2回目は勝手に自分の中でこの物語を「スルメの妄想」として見てみました。その方が物語には乗っていけたかなという感じ。そうするとまったく関係ないんだろうけど、最後が放火ということもあってちょっと「金閣炎上」を思い出してしまったりしたのでした。

キャストの中ではまずなんと言っても小松さんにすごく惹かれました。私は野田芝居の台詞を言う役者、というのにある種理想のタイプというのがあって、小松さんはまさにど真ん中!早い台詞をまったく殺さない滑舌の良さ、軽さ、その中で圧倒する強さと叙情、いやーここにいましたか、私の理想のタイプが!みたいな気持ち。野田さんと古田さんにもよくいじられて楽しそう。また野田芝居に是非是非出て欲しい。

深津さんはもう何というか圧倒的で、近くで深津さんを見ているともうひとりでどんどん世界を作っていくのでどうしても深津さんに目が行ってしまう。ほんとにすごい入り込み方で、鏡を覗き込みながら本当にぼろぼろ泣いてらっしゃったりするんだよ!もうその顔見てたら深津ワールドにあっという間に引き吊り込まれてしまうですよ。その芙蓉に恋するスルメの勘太郎くんも好演でした。野田さん独特の早い台詞に口跡がついていっていないかな〜と思うところが最初はありましたが、後半は迫力でどんどん押してきます。野田さんの台詞ってもともとちょっと古い言い回しになるところが多くて、そういう部分はさすがにうまい!あと感動したのが身体能力の高さ!素晴らしいスピードで動き回り、飛びはね、駆け上がり、野田舞台のスピードをよく体現してたと思う。櫻井さんと松村さんの二人に抱えられて「二度と振り返らねえぞ!」っていうところ、1回目見たときそのまま前のめりに落ちかけたのに、それを背筋の力だけでもう一度起きあがった時はひょうえええええーーー!でした。「最後の物理実験」で物干し台から飛び降りるところも、あれだけの高さを「ふわり」という感じで飛んでみせるとことかも大好き。個人的には後半のちょっとイッちゃった眼がたまりませんでしたね。小西さんと河原さんも悪くはなかったですが、こちらを呑み込むほどの叙情感を感じられなかったとこはちょっと残念。古田さんと野田さんはさすが、という感じだったかな。野田さん楽しそう。七人の刑事の中ではやはり浅野さんは当たり前にうまい。巻き戻し早送りの時の身体の柔らかさは見事!

パンフの中の扇田さんとの対談で遊眠社時代の作品をまた再演したいという話をなさっていて、その中で扇田さんが「三代目、りちゃあど」も是非と仰っていて嬉しかった。野田さん忘れてたけど・・・(涙)私も是非再演して欲しい作品です!

「十二月大歌舞伎」


2004/12/24  歌舞伎座  1階ち列17番


「鈴ヶ森」
これまた前回の反省を活かせもせず例によって番付見ながら話を追いかけるおばかな私。駕篭の提灯で権八が刀をゆっくりと見る所、でもって長兵衛が提灯を持ってもう一度刀を見る所がいかにも絵になるという感じであった。でもちょっと乗り切れないままに終わってしまった気も・・・残念。

「阿国歌舞伎夢華」
ここまで舞踊を集中してみたことないかもというくらい楽しんで見れました。玉三郎さんの踊りを堪能出来てもう満足。踊りも良かったんだけど、紫の狩衣をはらりと滑らせるところとか、扇を持つ仕草とかいちいち美しいのにも惚れ惚れ。しかし名古屋山三が消えて、ああ夢だったと気づく阿国の切なさ、皆の踊りの中に居ながらも、ふと手を止め帰らぬ人を思うその溢れる情感に泣いた、思わず。自分でもビックリした。えーーなんで泣いてるんだオレ、という感じだ。劇場全体をも飲み込む玉三郎さんの「情」にすっかりしてやられました。

「たぬき」
この間松竹座で観た「狐狸狐狸ばなし」をちょっと彷彿とさせる様な筋書きでした。芸達者な皆様で隅々まで面白く見させていただける感じ。個人的には大好きな福助さんにひさびさにお目にかかれて嬉しい〜。相変わらず天性の間をお持ちでやっぱり大好きだ!と再確認。三津五郎さんも、前半のええとこのボンな風味と、後半の渋さ溢れる演技、全く別人のようにすら見せて見事。でまたこれもベタでありすぎるほどベタな結末なんだけど、三津五郎さんの最後の演技があまりに素晴らしく最後の二言三言で一気に会場中を泣かせてました。っていうか私が泣いてました。ええええ、こんな、子供使ったベタな手で泣くなよ!どうしちゃったんだよ!と思いつつ。うーん、年を取ったということだろうか。

「今昔桃太郎」
渡辺えり子さん作ということで、そう思って見るからかもしれないけどちょっと風刺が効きすぎてやしないだろうかとなぜか心配になってみたり。さらりと嫌みという感じは個人的には大好きなんだけど、ちょっと直球すぎないか?というニュアンスが気になったところも多々。うーん私の考え過ぎというのもあるのだろうけれども。その点に若干ハラハラしたことを除けば、勘九郎さん最後のお祭りにふさわしく非常にたのしい演目でした。過去の踊りを立て続けに踊って下さる所が圧巻、長年の勘九郎ファンにはたまらない構成だろうなあと思ったり。
大笑いして見ていたんだけど、長老の犬(関係ないが弥十郎さんの犬メイクがあまりに素晴らしく、犬にしか見えない!と妙に感動した)で又五郎さんが登場したときの万雷の拍手、そして勘九郎さんの万感の思いを込めた言葉に一気に泣きモード全開。花道に立っている桃太郎姿の勘九郎さんに、桃太郎で始まった勘九郎さんの歴史が、またこの桃太郎の姿で始まろうとしている、鬼退治に出かけていく桃太郎と、勘三郎襲名という大きな仕事に乗り出して行く勘九郎さんの心情が完全にシンクロする台詞のあれこれは見事としか言いようが無く、花道に立つ勘九郎さんの姿に、あなたがいたから歌舞伎にこんなに興味を持つ事が出来た、新しい出会いをありがとうと感謝の言葉をかけたくなった。たったここ3年ばかりのファンの私でさえそうなんだから、ずっと勘九郎さんを見守ってきたファンの方々の思いやいかばかりか。
勘九郎という名前は私にとって、永遠に偉大なる名跡で有り続けるだろうと思う。本当におつかれさま、そしてこれからのご活躍を期待しています。

「吉例顔見世興行 十一代目市川海老蔵襲名披露」


2004/12/21  南座  2階左1列18番


「梶原平三誉石切」
初めて拝見する作品なので(って、ほとんどそうなんだが)ちゃんと筋書きを読んでおこうと思ったんだけど、劇場に着いたのがギリギリで、しかもまねきを嬉しがってデジカメで撮ったりしていたものだから席に着いたのもギリになってしまい、舞台見つつ番付で背景確認しつつ、落ち着きのない事をやってしまった。

刀を検分するときの仁左衛門さんの手つき、気合いなんかが2階席でもひしひし伝わってくるようで思わず見惚れる。六郎太夫の段四郎さん、景親の我當さんも結構引き込まれる芝居だった。團蔵さんの呑助すごい好き。すいません飛び道具好きで。松緑さんの景久、えーとあれはああいうもんなのかな?なんか一人空回りっぽかったが、こういうのがお約束なのかしらんと思ってみたり。でもひとりだけ声張りすぎだと思う。

しかし、刀を試すのに二つ胴の重ね斬りってすごいな・・・怖すぎです。

「口上」
単純に豪華で豪勢で楽しいなーと思った。もっとしゃれのめしているものなのかと思ったけどみんな意外に真面目だった(当たり前か)。左團次さんのはかなり際どい感じで面白かったです。「いずれもさまにおかれましても」なんて日本語を聞いたの初めてかもしれない。
海老蔵さんのにらみ、手つきがカッコイイので思わず手ばっかり見てしまった。駄目な私。

「隅田川」
三味線の音が心地よくて・・・・すいませんこれ以上は聞かないで(汗)

「助六由縁江戸桜」
よっ、待ってましたの助六。番付の解説に「助六実は曽我五郎、重宝・友切丸の詮議などといった理屈はもう、どうでもいい」と書かれていたのが衝撃であった。しかも「そんな筋より助六の格好良さや江戸っ子の美意識云々を見せる面白さが芝居の主眼です」とも書いてあってさらに衝撃。すごい。芝居のパンフに「物語の筋はどうでもいいから役者の格好良さを楽しめ」と堂々と書いてあるなんて、普通じゃ有り得ないことだと思うのだが、それを許す歌舞伎の懐の深さ。しかも見てみたら実際その通りの芝居だった。揚巻の出の見事なこと!その衣装の豪華さ!わざわざ手を広げて背中の模様を見せてくれるサービス精神!しかも帯が鯉の滝上り!竹田団吾も真っ青だ。でもって助六!カッコイイ!かっこよすぎ!紫の鉢巻が妙にセクシー!でも花道での見せ場が長い!目線嬉しい!でも配りすぎ!まさにこれでもかこれでもか。ああ堪能。

海老蔵さんの助六、ほんとに江戸一の男前って感じで見惚れますが、声も格好いいし通るのになぜか語尾がはっきり聞き取れない不思議な現象が。べらんめえだからどうしてもそうなってしまうのだろうか。菊五郎さんの白酒売は大好きーーー。菊之助さんの揚巻もきれいだったなあ。亀蔵さんの通人、あそこまでやっていいのかと思いつつ私はもちろん諸手をあげて大好きです。遠目でもひとめで「亀蔵さんだ!」とわかった自分に愛を感じた。

口上の時もそうだったんだけど、海老蔵さん手がすごく格好良くて、手フェチの私はついつい手ばっかり見てしまいそうで危険でした。きれいな手してるよなあ〜〜〜〜。


「リンダ・リンダ」 KOKAMI@network vol.6


2004/12/10  シアタードラマシティ  3列36番
作・演出  鴻上尚史


ブルーハーツを題材に、和製「マンマ・ミーア」を目指した作品。なのかな。マンマミーア見ていないのでどれぐらいタイプが似てるのかよくわかりません。ボーカルだけを引き抜かれたバンドのメンバー達の、甘くて苦しい抵抗の物語。

作品としてアレ?だった部分も正直あったんですが、最後は気分良くねじ伏せられる感じ。個人的にもっとも疑問だったのは堤防と学生運動の背景に映像を使用した点。登場人物達にとっても、そしてこれを見に来た多くの観客にとっても、それは「あったことしか知らない遠い景色」であった方がより印象的だったような気もする。大高さんの存在感がその時代の重さは充分に体現してくれているので、映像での説明はいらないなあ。あともうひとつ、ヒロシの思いが「堤防」に向かっていくその初速がちょっと足りない気がした。どうしてもカズトが「堤防」って言い出すのがすごく不自然(ヨシオのファッキン堤防も同様。)もうひとつ、ものすごくパーソナルな事でもいいから(というか、パーソナルな事で)なんか欲しかったような。最初は初速だけで、あとは引っ込みがつかなくなるというのは別に全然アリだと思うし。
一幕はその説明と堤防破壊への説得力に気を取られてしまったけど、二幕はその「にっちもさっちもいかない」彼らの甘くて苦しい若さがとてもよく感じられてすごく集中して見ることが出来た。最後を怒濤のように畳み掛けてスパッと終わる構成は見事。ものすごく音楽の力を生かしていて効果的だったと思う。

曲の使い方ですごくいい!と思ったのは「風船爆弾」「パンクロック」「青空」「チェインギャング」「パーティー」「TOO MUCH PAIN」「英雄にあこがれて」とかかな。あと「年をとろう」や「歩く花」なんかは、ブルハの曲の中でも個人的にまったく印象に残っていなかったのに、芝居の中ではすごく生きててよかった。逆に「人にやさしく」や「ラブレター」、「トレイントレイン」はあまりにも名曲過ぎて難しいだろうなあと思いつつ、曲にはいる前に「気が狂いそう」とか「列車」とかのキーワードがない方が個人的には好きだったかなと思ったり。それからワンフレーズで終わってしまう「君のため」はぐわああーーーーー!!!って感じだった。全部聞きたかった。ブルーハーツのバラードというとどうしてもラブレターが出がちだけど、私は君のためが一番好き。逆にバンドの話だったら絶対使うだろうと予測していた「僕の右手」がないのにちょっと驚き&がっかり。あまりにもストレートだから?でもヒロシの焦りというか、音楽的才能と向き合う事への恐怖から堤防に気持ちが行ってる、ってあたりもこの曲があるともっと説得力あったんじゃないかと思うのにー。って、山本くんが歌うの見たかっただけだろって言われそうな気もしますが。ううう。だって見たこともないようなギターの弾き方で 聞いたこともないような歌い方をしたいなんて、やっぱ、聞きたかったーーー!(わがまま)

キャストの中で特筆すべきはまずなんと言っても北村有起哉さんでしょう。いやあ素晴らしかった。山本ファン、松岡ファンの心をも鷲掴みにしたんじゃないでしょうか。北村さんは本当にブルーハーツの大ファンだったようですので、その思いが炸裂というのもあるのかもしれませんが、うまく歌う歌だけが歌じゃない、ということを体現してくれてましたよねえ。間の取り方、笑いのセンスもいちいちさすが。カッコイイ役の北村さんも知っているだけに、そのギャップも楽しく見れました。大高さんはどんな設定でもきちんと説得力持って見せてくれるとこがあって安心できる。さすがに一番の理解者だなあという感じ。馬渕さんはもう、相当安心して見れる感じになってきて感慨深い。役柄の説得力がきちんと感じられる誠実な芝居で好感。そして田鍋さんと林さんのコンビは、すばらしくおいしい(笑)山本耕史くんは、ほんっっとに説得力を持たせるのに難しいキャラクターだったんじゃないだろうかと思うんだけど、物語の背骨をちゃんと背負ってくれていて、さすがプロだなあと感動した。歌のうまさ、存在感、華なんかはもう言わずもがななんだけど、アキコとの別れのシーンで見せるような細やかな感情の表現にもぐっとくるものが多くありました。

松岡くんは、やっぱり、ロックスターだなあ、というのが実は最初に感じた感想。そして私は、ロックスターが大好きなんだなあ。何遍彼の目線にときめいたことか。「ああ今目があった!」(半径3メートル全員そう思っている)とお痛く勘違いしたことか。吸い込まれそうなキラキラ。甘い声。聞き惚れる。芝居の中で歌を成立させるのに必要なのは「うまさ」だけじゃないけれど、松岡くんは一瞬にして「芝居」という枠を飛び越えてしまう力があって、それはやっぱり「歌うことで世界を背負ってる」人にしか出せないもののような気がする。マサオが劇中で「青空」を児童劇団の一幕として歌うシーンがあるけど、正面からゆっくりと彼が出てきて歌い出した瞬間に、回りの景色が吹っ飛ぶぐらいの完全な世界がそこにあって、だからこんな事言うと怒られるかもしれませんがもう生方さんのコーラスが邪魔で邪魔でしょうがなく聞こえてしまったり。それは芝居を創る側としてはいけないことなのかもしれないけど、彼にはやはりそれだけの力があるのだ。それにしても、「歩く花」でのあの姿はどうなんでしょうか(笑)あまりのあざとい可愛さにのたうち回りそうになった。松岡ファンに「ウチの松岡になんて格好させてんだよ!」と思われてやしないかとちょっとドキドキ。

この芝居の一番すごいところは、何より「舞台にライブの楽しさを持ち込んだ」ところだと思う。それは楽曲の力も勿論大きいけど、それだけじゃない。ブルーハーツがかかるだけであれだけ高揚するかといったら、そうじゃないからだ。月の爆撃機、風船爆弾、終わらない歌と続く最後の構成、そしてあの「居ても立ってもいられない」高揚感はちょっと普通の舞台じゃ味わえない感じだ。舞台を見ていて味わう高揚感っていうのはある意味静かな高揚というか、理屈で裏打ちされた高揚感なんだけど、ライブって、もっと問答無用じゃないですか。なんつーか、「理屈じゃねえよ!」という感情がわき上がってくるんですよね。その正しいとか正しくないとか、そんなタテマエどうでもいいよ、という疾走感が舞台のクライマックスで楽曲の持つ疾走感とぴったりシンクロして、それに観客も見事に乗せられてしまう、という感じでした。基本的にスタオベで立ち上がるのさえ面倒くさい(よっぽど感動すれば別ですが、そんなの1年に1本あるかないか。大抵、前が立ち上がってしまうから立つんですけど)私ですけど、もうカーテンコールの終わらない歌から立って踊りたくて歌いたくてしょうがなかったですもん。この感じは、ミュージカルの歌に感動したときとかとはまた全然別で、やっぱりライブの楽しさだよなあと思うんだ。そういう興奮を「舞台らしくない」「芝居らしくない」と切り捨てることは私はしたくない。舞台にライブの楽しさがあってもいいじゃないか。最後に残るのは「なんか、楽しかったよ!」という興奮で、それだけで充分だしそれが一番大事なンじゃないのかなと、私は強く思うのです。

「相対的浮世絵」  MONO


2004/12/09  AI・HALL  E列22番
作・演出 土田英生


舞台はとある田舎の、墓地にある公園。そこに呼び出される二人の男。会話の内容から、二人はどうも「幽霊」としか思えない昔の友人(と弟)に呼び出されているらしいことがわかる。しかし現れた二人はまったくそんなヒュードロドロな感じはない。「お化けじゃないならなんなんだ」「俺はお前の友達だよ」。過去に抱えた因縁をしまいこんで、4人は話す、話し続ける。

さほど物珍しい設定でも展開でも無いと思いますが、MONO流に見せていて見事。うまいなと思うのは、終盤生者のエゴと死者のエゴがそれぞれくっきりと浮かび上がるところ。今回話の筋からいくと簡単に肩入れする方が決まってしまいそうなところなんだけど、そうは書かないのが土田さんの土田さんたるゆえん。

以下は具体的なネタバレ。
死んだ彼らにはあの時で止まってしまった思いがある、生きてる彼らには「人生は続く」がゆえの重みがある、だからこそ「600万の金」を「僕らのために返して」というのは「そ、そりゃそうなんだけど・・・」という思いと共に「何でそんな簡単に言えるんだ」って思いもありますわな。当たり前だけど死んだ二人には600万は重くない。でも生きている二人には、その金は重い。重すぎるほどに。

「後悔を抱えて生きていく」というのに私は非常に弱くて、だから4人の会話が火事の話になったとき、「話してくれ。俺は逃げたんか?」という智朗の掠れるような声がもう辛くて辛くて。迷惑だ、って関が言ってしまったあと、智朗と関の二人が「座る」「立つ」の言葉を逆にいうゲームの仕草をして「せいせいした」と言い合うシーンが・・・せ、せつねーんだよーーー!別れの時に智朗が言う「おまえら俺の友達と弟だろ」って台詞も、小技が効きすぎて憎いほどうまい。

でも結局、遠山と達朗の二人がいてもいなくても、関と智朗は結果的にはこうなるしかなかったのだろうと思う。お互いにっちもさっちもいかないところまで来ていたわけだし。でもだとすると、自分達のやったことが露見してじたばたして挙げ句同じ結果を迎えるところだったのを、「友人のために全てをなげうった」という清々しい気持ちで迎えられたわけで、だからやっぱり、あの二人は結局関と智朗を助けに来てくれたわけだ。

MONOの役者さんは皆さん大好きなんですけど、今回は中でも金替さんの印象がやはり強い。去っていった二人をじっと見つめる姿が、心に残りました。

「イケニエの人」  大人計画


2004/12/09  厚生年金芸術ホール  1階F列33番
作・演出 松尾スズキ


食物連鎖、ということに気を取られていたけれどもそういえば「ループ」してたのは食物だけじゃなかったなと帰り道突然気がついたりして。

ビリーとアメリが最後に二人の関係を悪いループや、っていう話をするところがあるんだけど、その二人もそうだしあの不入斗(全然関係ないけど今イリヤマズで一発変換で漢字が出てビックリした!)社長の成り上がりゲームもそうだし、乙骨さんの人生にしてもそうなんだよな。誰かに助けられる→恩義に感じる→恩人の為に違法行為→恩人を窮地に→自分も窮地に→誰かに助けられる、っていう。だから今回の話、なんだか突然ぶったぎられて終わったような感じあるけど、それは結局「そういうループの一部分」を今見たに過ぎないんだよってことなのかしらん。でもそうなると、ビリーの「仲直りが抜けてた」って台詞がなんか、気になるんですけどね。考えすぎでしょうか。

松尾さんと皆川さんの対面がある意味クライマックスで、劇中でもたがめちゃんと皆川さんの二人に結構芝居の背骨が託されていると思うんだけど、そこの二人の人生に「何があったか」で引っ張っていく力がちょっと弱いんだよなあ。回りが濃すぎるというのもあるけれども、なんというか芯が定まっていない印象になってしまって、それが集中力をいまいち高められなかった原因のようにも思う。演者の責任、だけではないと思うのだけど。

しかし今回一番感心したのは、まあなんというかうわーこのスター集団!みたいな役者の揃いっぷりであった。阿部・宮藤の二人は勿論なんですが、良々くんに宮崎吐夢さん、伊勢志摩さんに池津さん猫背さん、紙ちゃんに松尾さん。今この舞台にいる人たち以上に、どこを切ってもおいしく頂けます!みたいな劇団てあるだろうか。最初のシーンでずらーっと並んだのを見たときちょっと目の眩みそうな充実ぶりだなあと思った。そういう感覚ってちょっと久しぶりだったし。個人的に印象に残ってるのは吐夢さんの見事なエセ外国人ぷり、近藤公園さんのうさんくさ男前ぶり、猫背さんのどっちにでも感情無しでいける女、伊勢志摩さんの美熟女といったところかな。しかし何しろ後半さっと出てきて全てをかっさらっていく松尾さんが一番すごいと思った。

「ディファイルド」


2004/12/04  シアタードラマシティ  21列9番
作 リー・カルチェイム  演出 鈴木勝秀


司書のハリーは、図書館が蔵書カードの代わりにコンピュータの検索システムを導入することに抗議し、図書館を爆破すると立てこもる。交渉人として呼ばれたベテラ刑事のブライアンは、巧みな会話で説得を試みる。最初は交渉を拒絶していたハリーは、次第に心を開いていくが・・・

ガチの二人芝居、テーマも重いしラストも重いし、かなり重量級になるかと思いきや、思いの外軽く作ってあるなという印象。この演出は意図的だと思うなあ。確かにこれを重く作られたらたまらんかもしれん。セットの白づくめもリアリティを前面に押し出しすぎないようにという意図かしら。壁面にある赤いランプ(爆弾)が、劇場の壁にも少しはみ出していて、さりげないけれど図書館の広がりを感じさせてうまいなあ。

見ながら、それこそハリーじゃないけれど「こんなのは映画でたくさん見た」、きっとこういう結末になるっていう哀しい予感がひしひしとあって、それが現実のものになってしまうのがやっぱり哀しい。

ディファイルドというのは「神聖なものが汚される」という意味だそうで、劇中ハリーとブライアン、お互いにとっての「神聖なもの」をぶつけ合うシーンがあるが、しかし最終盤、ブライアンは「現実を生きていないガキが何を言う」(と、いうようなニュアンス)の台詞を吐いてしまう。くたくたになって家に帰ってそこで待っているドラマチックでも素敵でもない些末なことが現実だと。ブライアンのいうことはまったく正しい。さて、そこで問題。

たとえば、急に花を生け始めた人間に向かって、
「もっと強くならなけりゃいけない。水を取り替えるという目的に縋ることなく生きていかなければならない」
とアドバイスすることは無謀か無慈悲か有効か?
相手が死刑囚なら無謀で無慈悲で、相手が日常生活を生きる人間なら有効なのか?(鴻上尚史『ごあいさつ』より引用)


ハリーにとってブライアンの言葉は無謀か無慈悲か、それとも有効だったのだろうか。彼にとっての神聖なものが図書館と、その地図と言っていい蔵書カードだというのを、自分にとっての神聖なものが失われることと置き換えて、ブライアンは考えてみたのだろうか。ハリーの言い分は殆ど馬鹿げていて、だからこそあまり切迫性も感じられない。署長の無線じゃないけれど「それだけのわけがないだろう」というほどにある種突拍子もなく、しかもあまり得になるとも思えない行為だ。ブライアンはハリーが「図書館に思い入れがある」ことは理解しただろう。それを実感をもって理解していることは劇中でもよくわかる。しかし結局は、彼の頭の中に入っていくことは出来なかった。
スズカツさんは、本当に昔からディスコミニュケーションということにこだわりがあるんだなーと思う。まあ、スズカツさんが書いた脚本じゃないんだけども。

しかし、ハリーにとって「電算化・画一化をくい止めることが使命」という、その使命感っつーのかなあ、その使命感と引き換えに図書館を爆破、ってことになると、個人的にはううん?と思ってしまう点が大きい。ハリーの、それこそパーソナルな証としての蔵書カードなら、彼の必死さも頷けるし引き込まれるんだけど。あ、でも、「あんたはどこかのスーパーに行って鱒を買ってきたいわけじゃない、冷たい河に足を浸して獲る自分だけの鱒が欲しいんだ」(ものっそうろ覚え)みたいな台詞は非常に共感した。Amazonで買う本は手軽でいいけれど、本屋でためつながめつする悦びはそこにはないよなあ。それは実用的ではないけれど、人生を豊かにするものだ。そういえば昔逢坂みえこさんの漫画で「昔から愛しいものはいつも役立たず/時間を忘れて朝まで読んだ試験に出ない本/見つめるだけの思い人/なかなか会えない恋人/食えない花/届かない星/明日になれば消える夢」という一節があってものすごく好きだった。ハリーがそういうものだけを抱えて愛して生きていたかと思うと、あの最期はやはり哀しい。

まったく的はずれな疑問なのかもしれないのだが、ブライアンがまったく左足を曲げないのはなんでなんだろう?図書カードの棚に足をどん!と不自然に乗せるときから気になっていた。銃をはさんでつかみ合いをするときに、腰をやたらに押さえるのも気になる。撃たれた兄の話もしたけど、ブライアン自身もそういう経験があるんじゃないのかなあとか。いや、まったく愚にもつかない疑問なんだけど、でもそう思うとブライアンは自分自身のことはあまり話してないんだなあ。

そんな疑問を真面目に考えようとしてみることはみたんだが
大沢たかおの可愛さがそれを邪魔する。
いやいや、あんな可愛い生き物に目の前をちらっちらされてご覧なさい!哲学書の前を水着姿のグラビアクイーンがチラチラするようなものだよ!って喩えがなぜそっち方面!?ラストで二人が握手する(そのとき微妙に腰が引けてるハリーがすでに可愛いんだが)シーンで、ハリーがブライアンの肩に縋って泣くところなんぞ、普通に良いシーンだなあと感動するべきところ、あたしはもう自分で自分の首を絞めたくなったよ。可愛すぎて!ぎゃーー可愛すぎてもう蕁麻疹出ちゃう!みたいな。意味がわからない。それぐらい剛速球ど真ん中ストライクバッターアウト!な可愛さだってことです。それにしても全編ヤバかった。毛糸の帽子あんな似合うってありか。黒いジャケットの袖からちょっと覗く白いシャツがまた確信犯的に可愛い。かっこいい、って感想は出てこないのか。いやごめん、もちろん格好良くもあったんだけど今回は可愛さ勝ちだ。鼻血が出なかったのがある意味不思議。

カーテンコールでの大沢たかおさん人気の凄さにも驚いたのだが、そのカーテンコールで長塚さんと二人で出てきてぴょこん!と頭を下げるのがまた死ぬほどキューティで、しかも2回目出てきたときだったかな、二人で出てきて頭を下げたらなかなか長塚さんが頭を下げなくて、あれ?あれ?みたいな感じで何度も頭を下げかけては長塚さんの様子をのぞき見る様子が・・・・
あまりにもあまりだった。(つまり可愛かった)
こんな感想の締めって、どうよどうなのよ!

「ピローマン」


2004/11/27  シアタードラマシティ  18列1番
作 マーティン・マクドナー  演出 長塚圭史


*あらすじを書いていないうえにがっつりネタバレしておりますので、ご注意のほど。

昨年のWEE THOMASに引き続き、マーティン・マクドナー&長塚圭史の組み合わせ。古典でないストレートプレイの翻訳物をタイムラグなく翻訳上演(しかも決まったコンビで)していくというのはすっごくいい!と思う。いいコンビでやってくれると元の作家にも興味が湧いてくるし、そうするとそれがその作家自身への興味にも変わってくるし。長塚さんとマクドナーのコンビは、幸福な出会いの一例なんだろうなあ。

作家が作家の話を書く、というのは、どうしても深読みしたくなる部分があって、中でも最後の最後まで「作家の書いた物語を捨てるか、捨てないか」ということに焦点があたっているあたりが興味深い。「何を残すのか」「何が残るのか」ということ、それこそが自分の証である、だから「物書きの唯一の義務は物を書き続けること」なのだろうか。劇中であんなにも美しいやりとりを見せるミハイルとカトゥリアンの兄弟だが、「作品」に関してだけ二人はまったく相容れない。カトゥリアンは今からお前達兄弟とこの作品、3つのなかで二つ焼き捨てろと言われたらあんた、俺自身の順番で差し出すとまで言っているのだ。「作品だ、作品だ。作品だけが全部なんだ」と。最後に与えられた7と4分の3秒の間にカトゥリアンが心に思うミハイルは「僕がいなければ弟の作品は生まれないでしょう?」と言う。でもそれは、それによってミハイルも「何かを残した」ことになるというカトゥリアンの思いに過ぎない。それこそがカトゥリアンにとってのハッピーエンドなんだろう。ミハイルにとっては、そうじゃなくても。

ミハイルにとって、ほとんどすべてのお話はノンフィクションだった。だから「実際にやってみたら本当にそうなった」ことを喜ぶ。それは物語の中の出来事じゃないか、という言葉はミハイルには空しい。なぜなら「ぼくのお話だってほんとうだった」のだから。カトゥリアンは「二人の兄弟の物語」だけが唯一ノンフィクションだと言ったけど、もしかしたら「ピローマン」も彼にとってはノンフィクションなのかもしれないな。家族をみんな枕で殺してきた彼にとって、枕は優しさと残酷さの象徴だったのかもしれない。お話の中で子供の頃のピローマンを焼いたカトゥリアンが、自分のところにもピローマンが来てくれることを願っていたのかは、わからないけれど。

冷静にかつ非情にカトゥリアンを責め立てるトゥポルスキが、ピローマンの物語を「心に触れるものがあった」と言い一瞬彼の自制を解くシーンは、この舞台の中でもっとも美しいシーンのひとつだと思う。

劇中でいくつもの「お話」が語られますが、個人的にもっとも気になったのは「三つの晒し台のある十字路の物語」、そして刑事であるトゥポルスキが語る・・・えー、「中国で」(略しすぎ)の二つです。前者は、単純に話としてとても惹きつけられますが、後者の話はなんというか、トゥポルスキの言葉じゃないけど「象徴」している話のような気がしたからです。もちろん、トゥポルスキ自身の解釈は頓珍漢なわけですが(作者なのに)、彼は皮肉にも彼の言葉通り、塔の中の老人の役割を担っているんだなとも思ったんです。話の中の塔の老人は計算式を紙飛行機にして飛ばし、あとは見向きもしません。でもそれが結局つんぼの男の命を助ける。そしてトゥポルスキは2と4分の1秒だけ早く引き金を引き、あとは興味を失ったかのように部屋を出ていきます。しかし残り2と4分の1秒で話の結末に辿り着かなかったおかげで、「よくある陰気な結末」から解放され、そして原稿は箱の中に仕舞われる。カトゥリアンが何よりも残したいと思ったものは救われるのです。

一幕の後半でミハイルとカトゥリアンの会話が交わされますが、お話を聞かせるカトゥリアンがミハイルの頭を優しく撫でながら、「この(小さな緑のブタ)話が好きだったんだな・・・。この話をやってみれば良かったのに・・・」と語り、兄さんは悪くないと涙するシーンでは不覚にも涙がこぼれそうになったのですが、二幕でちいさな緑の女の子が部屋に駆け込んで来た瞬間のカトゥリアンの心を思うと胸が締め付けられるような思いでした。彼の胸によぎったのは女の子が生きていた安堵か、兄さんを殺してしまった後悔か、もしくは、兄さんは自分の物語を心底愛してくれていた、という喜びなのか。

休憩15分を含む3時間半の舞台。登場人物はほぼ4人のみ。なかでも高橋克実さん演じるカトゥリアンは出ずっぱりの喋りっぱなし。山崎一さんも近藤芳正さんも、もちろん中山祐一朗さんもだが、非常に難役だと思うけれどもいやしかし素晴らしかった。3時間超、会話劇、翻訳物。もう、個人的な経験からいくと「寝る準備は整いました」みたいな感じすらある組み合わせですが、しかし1幕の120分をまったく飽きさせないとは脚本・演出の力ももちろん、この4人の役者にも大きな拍手を送りたい。ものすごい集中力で客席をぐいぐい引っ張っていってくれる。高橋さんと山崎さんのうまさは個人的に実感を持って経験済みだったんですが、近藤さんもやはりさすがだなあ。中山さんも、この中にあってすごく頑張っていると思う。っていうか、3人がうますぎと言ってもいいので、中山さんのテンポがちょっと違ってそれが逆に良かった。あれでガチの4人だったらあまりのことに観ながら疲れ切ったかもしれん。

もうひとつ、おそらくたくさんのひとが後藤ひろひと作「人間風車」を想起したんじゃないかと思うんですけども、ほぼ同年代のこの作家二人が「お話」というものに対してこういうアプローチをしてくる、というのは面白いなあと思いました。カトゥリアンの書いた本の中に「人間風車」が入っていてもまったく違和感がないような。なんとなく、マクドナー氏に感想を聞いてみたい気もします。

「伽羅先代萩/船弁慶」十一月特別公演


大阪松竹座 松列15番


「伽羅先代萩」
玉三郎さんの歌舞伎をちゃんと見るのは多分初めて。実はむかーしむかしその昔、東京遠征に行ったとき興味本位で歌舞伎座を見に行き、たまたまやっていた演目を幕見で見たんです。
それが玉三郎さんの「娘道成寺」だったんですね。
でも本当にその時の記憶はもう遠い昔の彼方だししかも私見ながらちょっと寝た(うわー罰当たり)りしたんでもうそれは観劇記録にカウントしないことに勝手にしているわけですが、歌舞伎好きの友人に「先代萩」は面白いよと勧められ、今後の勉強兼ねて行ってみるか!と。

番附読んでいるとこの「政岡」って役、女形最高の難役と言われているんですねえ。確かに、「御殿」のところなんて飯炊きの場面とか、あれだけ動きが少ない中であの感情の持って行き方、しかも30分以上まったく物語は進まないという・・下手な役者がやったら多分あっという間に睡眠導入剤がわりになるだろうって感じですが、これがまあ逆に泣かせたりするんだからおそろしい。涙するのを必死でこらえて盆で顔を隠したりするとことかわけもなくぐっと来る。でも個人的に一番うおおおお!って感じだったのが栄御前を送り出して一人残されたあと、茫然とした表情で姿勢を崩してそこから立ち上がろうとするんだけど・・・ってとこ。いやもう手の表情足の表情全てがすごい。我が子を目の前で惨殺されてそれでもぐっと堪えてきたその緊張がぷつっと音を立てて切れる様子が手に取るようで。まった千松をやった清水大希くんが泣かせる芝居をするもんで余計哀しい。

ちなみに今回「御殿」の前に「竹の間」があって、これをやるのは珍しいんだそうです。ほえ〜。でも、この「竹の間」がないと八汐があんなに憎たらしいやつ、って感じが出なくないか?御殿だけだとちょこっと出てきていきなり千松殺しているような印象。今回八汐は扇雀さんでしたが、これがもう、これがもう・・・最高。本気でやなやつ。いやーすげえ。めちゃめちゃ存在感ありまくりでした。悪役が光ると舞台は締まりますね。染さまのやった沖の井って多分すごくおいしい役だけど、何しろ玉三郎さんの政岡と扇雀さんの八汐が強烈すぎて、その二人を(論でとはいえ)押さえる役柄、という感じがちょっと薄かったような感じ。

床下までしか今回はなかったんですけど、話が面白かったんで結末までちゃんと見てみたいなーと思いました。


「船弁慶」
えーーーと・・・・ごめんなさいちょっと寝てました・・・・うわあああや、やっぱり踊りはね!ま、前の方じゃないとね!(言い訳)でも知盛が出てきてからは目を皿のようにして見てましたよ!格好良かったあ。染さま立役の方がやっぱり好きです。最後潮に呑み込まれながら消えていく様とか大迫力だった。あの狭い花道で、すっごいなあ。そういえば先代萩での仁木弾正の引っ込みもすごかったし、短いけれど印象的な出番だったなーと思います。

「SKIP」 キャラメルボックス


2004/11/16  新神戸オリエンタル劇場  2階B列28番
原作 北村薫  脚本・演出 成井豊


*ネタバレを多く含みます。特に原作未読の方は回避がよろしいかと。

北村薫さんの「スキップ」は私の大好きな作品である。何遍も何遍も読んでいるし、この本をひとにプレゼントしたこともある。北村さんの「時・三部作」すべてを初版で(勿論単行本で)揃えているが、圧倒的にこの「スキップ」がお気に入り。というわけなので、そんな私の思い入れも含めて、以下の感想を受け止めて貰った方がいいかもしれないです。

・・・と書くと、まるで「ダメでした」と続くようですが、良かったんです。すごく良かった。近年のキャラメルボックスの中でベストワークだと思う。なのになぜ「原作がお気に入りであることを加味して」と書いたのかというと、あまりにも「スキップ」だからなんです。本当に、ものすごく忠実に舞台化してくれてる。成井さんはご自身で舞台化を強く希望されたというだけあって完全にこの物語を理解していて、原作のエッセンスはほぼ完璧に舞台で表現していると言っていいと思う。かなりな分量ある原作の地文をモノローグとして役者に読ませるというすごく時間のかかるやり方を取っているにも関わらず、2時間という上演時間にまとめ上げ、しかも原作のエッセンスを活かしきるとは、生半可な仕事ではない。

だからこそ、この原作を知らない、または知っていても好きではない人がどういう感じでこの舞台を観たのか、というのは少し興味がありますね。原作の地の文をそのままモノローグとして生かす、という手法は最初はなんか不自然な感じもするなあと思ったんですが、すぐに慣れ、しかも元の言葉がきれいなので非常に聞いていて心地良い。でも原作を知らない人には「長い説明台詞」と捉えられるかもなあと思ったり。まあ人のことをそんなに心配しなくてもいいんでしょうが。

シーンがころころと入れ替わるので(学校・教室・家・病院・体育館など)、セットも抽象的な感じに留まっており、それも私にとっては良かった点のひとつ。主人公の一ノ瀬(桜木)真理子を岡内さんと坂口さんの二人が同時に舞台で演じるという手法も非常によかった。こういうことが無理なくできるのは演劇ならではだよなあ。17才の真理子が42才の真理子に鏡を渡すシーンとかすごく効果的。お二人とも見事な好演で、坂口さんのうまさはデフォとしても岡内さんもいつもの「勝ち気で元気でちょっと素直になれない」といううるさ型キャラから解放されて素直ないい芝居をしているなあと思った。生徒役の中では島原をやった前田綾さん、まさにイメージぴったり!大滝をやった三浦くんもいるいる、こういう子、って感じではまってた。当たり前だけど生徒の数は限られてしまうので、なかなか個性を出していくのが難しいと思うけど、キャラ付けは結構成功していたんではないかなーと思う。

原作で好きなシーンのひとつに「好きな言葉 嫌いな言葉」を読み上げるシーンがあるのだが、唯一ココだけはもっと尺をとって原作の分量そのまんまをやってみて欲しかったかも。演出次第ではものすごく演劇的にインパクトのあるシーンになったんじゃないかなあ。2時間3分が2時間5分になってもいいからさ(笑)。逆に原作ではさほど印象に残らなかったのだが、合唱のシーンは圧倒的に素晴らしかった!これは勿論音楽の力が大きいのだけど、演出も非常にシンプルでシーンの力強さを後押しする感じ。いやーもう、これから原作読み返すことがあっても合唱のシーンは絶対あの音楽で聞こえてきてしまうよ!

もうひとつ、私が「スキップ」で一番好きなシーン。これを舞台化する、と聞いたときに「フォークダンスのシーンはどうするんだろう」というのがまず私の脳裏に浮かんだことでした。新田をやったのは細見さんなんだけど、若干イメージが違うとはいえ終始静かな中に存在感を示していかなければならない役所をきっちり演じてくれていたと思う。喋って会話でキャラを示していける他の役より、難しいところだったんじゃないだろうか。

17才から25年間の自分の時間を喪った真理子にとって、新田と踊るあのフォークダンスは、青春の全てである。恋をし、それを畏れ、ときめき、傷つき、失い、そして時間が止まればいいと思うほどの幸福に満たされる、そういったことの全てが、彼女にとってはあの数分の、いや数十秒のフォークダンスに詰まっているのだ。たった数秒。その幸福と切なさ。舞台では大仰な照明も音楽もなく、淡々と流れる音楽と、二人を淡く照らす明かりがあるだけだ。言葉には決してできないその数秒の重さを、だからこそ感じることが出来る。見事なシーンになっていたと思う。

原作ではエピローグに当たる部分まで、まったく忠実すぎるぐらい忠実にやってくれました。わざとあざといクライマックスを作ったりせず、原作の力を信じたからこそできる技だなと。いやもうまったく感服つかまつりました。そういえばカーテンコールで、久々西川さんの挨拶にあたりまして、でもって久々に「僕たちはいつでもここにいます」を聞いた。ちょっと泣いちゃったよ。最後に、成井さんの原作への愛と情熱に、もう一度拍手を。

「夜叉ヶ池」


2004/11/10  シアタードラマシティ  7列32番
原作 泉鏡花  脚色 長塚圭史 演出 三池崇史


泉鏡花の原作は未読。不勉強ですいません。話の展開も知らなかったのでまず純粋にストーリーを楽しめた点ではよかった。最後「3つ以外の鐘を鳴らすのか」「3つの鐘を鳴らさないのか」でちょっとどきどきしたし。後半に向けての話の盛り上げ方はうまいなと思った。三池さんの映画も見たことがないので、作風も存じ上げないのですが、村人が雨乞いの生け贄に百合を連れていこうとするあたりから舞台の緊迫感が持続してて良かったと思う。

後半の怒濤の展開に較べて冒頭が非常に静かで、というか静かすぎるので、客席がぐっと舞台にのめり込める瞬間というのがなかなか来ない。話の展開からすると学円が「居なくなった友人の話」を始める場面は話のトーンを変えるポイントのひとつなんだと思うんだけど、そこがもうひとつうまくいっていない感じ。最初の静かなシーンを詩的な美しさや幻想的な風情一本で推していけるだけの力がちょっとないんだよなあ。出来ればオープニングもっとハッタリかましてくれると落差もついて集中しやすかったかな、と思う。松雪さんや遠藤憲一さん、萩原聖人さんなど豪華なキャスト陣がなかなか出てこないのももったいないし、最初に世界観示しちゃうような感じで勢揃いを見せても面白かったかも。いかにも演劇的で手垢のついたやり方ではあるけれども。

最初のシーンを担当するのが田畑智子さんと武田真治くん、そして松田龍平くんの3人なんですが、えー・・・感想が難しいな(笑)。最初は松田くんの台詞回しがすごく気になったんだが、慣れるとこれはこれで味かな、と。とぼけた味わいでうまく笑いをさらっていくところはなかなかだなあと思えた。ただクール、というより茫洋、という印象の学円に終始してしまったのがちょっと哀しいかな。後半村人に立ち向かうシーンで、一言だけでもまったく違うトーンで攻めてみてくれると深みがもっと出たかも。武田くんは正直、ちょっと期待していたところもあっただけに残念な部分が多かった。うーん・・・舞台の上で空回ってる印象。台詞がとどいてこないんだよなあ〜。クライマックスの慟哭のシーンはすごくいいのに。細かな動きとかちょっとした仕草で百合との仲睦まじさを出しているのは良いな、と思った。

最初の回想シーンで村人が出てきてきたろうさんが台詞を吐くと、なんだか一気に「舞台」という感じがアリアリとしてくるのが如実で面白かった(笑)ある意味「俗」というのを体現してるっつーか。そういえば、村人と夜叉ヶ池、どっちも「俗」感があるよなあ。だとすると3人のシーンがある意味浮いて見えるのは目論見どおりなのかしらん。ともあれ、村人・妖怪(?)組は味も濃く演技も濃く、安心して見ていられた。一押しは遠藤憲一さんと萩原さんかな。萩原さんはどちらのサイドでも好演していたと思う。遠藤さんを舞台で拝見するのは初めてですけど、押し出しも良く声も良くガタイも良く、見ていて楽しい。しかし中でも巧者、という感じがあるのは圧倒的にきたろうさんだったな。硬軟自在。

松雪さんももちろん拝見したの初めてですが、ため息の出る美しさ。声が良いのは財産だなーと思う。丹波さんの台本読みは、あれはあれでもう一芸なんでしょう(笑)プロとしてどうかってことじゃなく、それが許される存在感が「芸」ってことなのかなと。だからって二度見たいとは思いませんが。

晃と百合たちを挟んで表(人間の世界)と裏(伝説の世界)が「しきたり」を巡って攻防する構造とかすごく面白かったので、原作を読んでみようかなと思いつつ・・・「難解だよ」とのお言葉にくじけそうな感じ。でもそれをわかりやすく提示してくれたのはよかったな。時間もちょうど2時間程度で、長すぎず短すぎず。

「jamゴールドブレンド」 山の手事情社


2004/10/16  青山円形劇場  G5
構成・演出 安田雅弘


山の手事情社。かつて第三舞台の朝日83で少年役をやった安田雅弘さんの主宰する劇団であり、池田成志さんがかつて在籍していた劇団でもあり。第三舞台マニアの私としては、絶対にかすっていなければいけないはずなのだが・・・なんと初見!だって大阪来てくれないんだもの!しかし無理矢理空いている時間にこれを強行突破で見に行ったのは第三絡みの理由ではなくて、今回ゲストで出演される山の手OBの方見たさだったんです。とある公演でその実力、というかキチガイぶりに惚れ込んでしまった、その名も誰あろう清水宏さん。

20周年記念公演ということで、過去の作品の中からリクエストの多かったものを今回3本上演。上演といってもこの「jamゴールドブレンド」は山の手事情社特有の俳優養成システム「山の手メソッド」を紹介するもの。だからまあ、言ってみれば稽古場風景を若干エンタメ化して見せているようなもの、だと思う。いくつか項目があるので、その項目ごとに。

・落語
落語家の柳家花緑さんが、配られたペラ紙パンフに書かれた十席の中からお客が自由にお題を選んでその場で一席聞かせてくれる、というもの。一度やったネタは除外されていくので毎回ネタは違うはずです。私が見た回は「寿限無」。うーんネタをしってるやつだったのがちょっと残念。演劇部員の人はこの寿限無を早口言葉で練習させられるがそこはさすが本業、といった感じであった。個人的には平林が聞いてみたかった。

・歩行・二拍子
歩行、というのはその人物を演じる上で非常に重要なキー項目、といった安田さんの解説のあと、様々な「歩行」のシーンを。スローあり、ダンスめいたものあり、ストップモーションあり、なるほど、一口に歩行といっても様々だなあ。そしてそれを表現する役者の身体が非常に訓練されていてうっとり。二拍子はうずくまった姿勢から拍手ひとつで立ち上がる、そのリズムの中に色々な演出からの指示が飛ぶもの。この運動自体は「丹田を一番早く上下させる運動」なのだそうだ。うずくまり、立ち上がり、やがて演出から「怒り!」「哀しみ!」と声が飛ぶ。すると役者はその感情を表現した形でストップモーションになるわけだ。
あれ、これどこかで見ましたよ。
そうです、あれです、朝日91の「小劇場病」!!!安田さんご自身もちょっと引き気味の観客に向かって説明。「パッと見こわい!と思われるでしょうが、私も昔大学に入って稽古場で諸先輩方がこれをやっているのを見たとき『やめよう』と思いました。『こんな事で人間の尊厳を喪ってはいけない』」。もう大笑い。

・清水宏のフリーエチュード
その中に清水宏さんがゆっくりと客席から登場。安田さんの代わりに役者達に指示を与えます。だんだんおかしな事になっていく役者達。しまいに「ゲロ!」そして「ゲロを表現するんじゃないんだよお!ゲロになれ!ゲロの中の、なんか、わけの分からないものになれ!」
あーあーあーまるっきり小劇場病だあ!もうひとりで大喜び。大爆笑。そして舞台の上にいる役者達に清水さんが口立てでまったく意味のわからない芝居をものすごいイキオイでつけていく。本当に意味はわからない。そして信じられないぐらいのテンションの高さだ!いやすごい。この人はすごい!想像以上の見事なキチガイっぷり(絶賛してます)に思わず目がハートになる。この人を今まで知らなかった自分を恥じたね。いるもんだ、すごい人が世の中には。そんな、本当なら誰にもついていけないようなテンションの清水さんに必死で食らいついていく山の手の役者さん達も素敵だ。頭の中に「なんでこんなことを?」の疑問符がまったくない。言われたからやる。なんてシンプル。だからこその思い切り。そしてさんざんかき回した挙げ句「さ、ここまで通すぞ!」えええ、覚えてるんですかあ?でも覚えてるんだ、みんなほんとに。信じられないよ!普通の脚本の台詞覚える方が100倍簡単な気がする。見事に通して、拍手喝采。

・ジャムセッション
清水さんも参加して、バトルロワイアル型フリーエチュードともいうべき「ジャムセッション」へ。その場でテーマを出し合っていき、瞬時にそのエチュードに入る。膨らまないとわかったら速攻で次の案。はまると面白いのだが、なかなか瞬間的に面白いものというのは出てきにくい。しかし10分という限られた時間の中でも何個かは優れたアイデアが出てくるもので、私が見た日の中でうまく転がってるなと思ったのは「ホラー家族」(普通のことでも全てがホラー口調、「キャーーー!!パンが、パンが焼けてるわああーーーー!!」とか)と、「思わせぶりなことしか言わないヤクザの会合」ってやつ。前者はアイデアが秀逸だったし、後者はネタ自体がというより、皆が思わせぶりなことを言い合う中ひとりノックして舞台に登場し「・・・素通りするよ!」と言いきった女優さんの切れ味に千点、という感じ。この日のジャムセッションでもっとも沸点を上げたのは彼女だったろうと思う。そう考えると、笑いを取るというか、舞台で場をさらう、っていうのはまさに一瞬のセンスのきらめきなんだなと思わせて興味深い。

・ものまね
有名人の物真似じゃなくて、自分の身近にいる人の物真似。私が見たのは「医者」と「新聞勧誘員」。どちらも見事!そうそう、いるいる、こんな人・・・と思わせつつ、「ちょっとおかしい」ところをうまく拡大して見せてくれている感じ。個人的にはこの間面白い眼医者にかかったばっかりだったので、「どうなんだろ」を連呼し挙げ句他の医者への紹介状を書く医者がすごく面白かったです。

・ショートストーリーズ
休憩前にお題を客から募り、4チームに別れて寸劇を仕立てるコーナー。今日のお題は「運動会・拉致・おじいちゃんの耳毛」。4チームの中では「拉致」されたかもしれない、行方不明の弟を待ち続ける家族が、実は・・・というネタをやった最後のグループ。「拉致」を真っ正面からとるのが難しい!と考えたのか「埒があかない」でとっていたのが2グループ続いてしまったのはちょっと惜しかったかなあと思った。しかし10分間という短い時間で筋立て、役割を決め、シチュエーションだけでちゃんと物語を作っていける即応力は見事。

・ルパム
山の手オリジナルダンス、だそう。うわーすっごくいい!!もちろん役者さんのちゃんと鍛えられた体で表現するから良い、ってのもあるんだと思うけど何より素晴らしく楽しそうなのが良い!ほんとみんなの表情がすごく素敵だった。昔川崎悦子さんが役者さん達のダンスを自分は「動き」と呼んでる、その中で「観客に何かを伝えること」を一番大事に考えてる、と言っていたけど、このルパムもぐっとこちらに訴えかけるものがありました。

私は前々から言っているとおり、舞台と舞台の上に立つ役者にもっとも求めているものは「圧倒的」であることなんですね。「とても私には出来ない」「これがプロだ」と思わせてくれること。それがありさえすれば他のことは一切求めないと言ってもいい。でも、この山の手見てるとね、そうではない感情が湧いてきたんですよ。それは「やってみたい」という感情。ちょっと今までの自分からは考えられないことですよ!「やってみたい」と思えるようなものはダメ、だったはずなのにー。でもすごく楽しそうなんだ、こんな風に「エンゲキ」を始められてたらすてきだろうなって思わず思ってしまう。いやあもし、私高校生の時とかに山の手見ちゃってたらトチ狂っちゃってたかもしれないなあ。恐るべし、山の手事情社。

「SWAP2004」 PLAYMATE


2004/10/16 シアタートップス M列2番
作 川上徹也  演出 板垣恭一


2年前、ある結婚式で出会った彼ら4人。紆余曲折を経て俊一と都は6カ月前に、林太郎と小雪は3カ月前に結婚した。しかし実は都は小雪を想っており、林太郎は俊一を思っている。都は林太郎を誘い、俊一は小雪とホテルに行く。4人の思いが交錯する、四角関係の人間模様のお話。

うーんお話としてはちょっと引っかかる部分が少なかったかなあ。4人それぞれに切実に相手を思う気持ちが一部分にしか感じられなかったっつーか。小雪→林太郎、林太郎→俊一、俊一→都、の方向はすごくそれぞれぐっとくるものがあったのだが、他の二人に向けた矢印にはそれほどの切実さが感じられなかった。都だけは、小雪への感情と俊一への感情と林太郎への感情、それぞれに頷けるところがあって、野口さんの好演もあってか彼女のシーンが一番印象に残ってます。「宇宙人にさらわれたら心配してくれる?」と彼女は3人それぞれに聞くわけですが、一番欲しい答えをくれるのは一番好きな人とは限らない、という切なさ。俊一に「当たり前だろ」って言われて心の底から嬉しいんだけど、その人を一番愛してるわけじゃないっていうのは、キツイよなあ。

ラストの舞台の切り取り方は好き。世界に4人しかいない、というには雪の中が相応しい(笑)。すべてをさらけ出して、結局前には全然進んでいないわけだが、それでも自分を受け止めてくれる人がこの世に3人もいるというのは結構素敵なことなのかもしれない。たったひとりのひと、と思いこんで生きていくよりは、人生が少し楽になるのかも。

「真実のゲーム」のシーンはどうやら「素に見える演技」で作られているようですが、それにしても見事!質問の角度がどんどんかわっていくのに、少しづつ核心に近づいてるところからして、これは質問は決めなんだろうなとは思いましたが、信じられないぐらい自然なリアクションにうっかり騙されますね。いやー皆さん役者だわあ。こういうのを見せられるとうっとりしちゃう。おほほ。

さて。
どうなんだろ。
なんつーかできればあと1回追加公演とかやってもらって京晋佑ファンの集いとかやってもらって好きなときに好きなシーンで叫んでもいいとかそういうのをやってもらいたいぐらいではある。
白衣ギャーー!スリッパギャーー!「お前が誘って欲しそうな顔してたから」ギャーーー!「もう飲まないって約束したろ!」ギャーー!「当たり前だろ、怒るぞ」ギャーー!つか、失神!「お前を助けてやれるんじゃないかって思ったから」鼻血&失神!とどめにパジャマ飛び道具――――!!
みたいな。
あまりに直球、しかも剛速球で格好良かったので、なんていうかもうこっちが許容量いっぱいいっぱいっつーか。何しろ最初白衣だし。白衣て!どうよ!その時点で私の針が振り切れそうになったのでかなり抑えめで見ていたにも関わらず、途中で完全に許容量を突破したね。もうあとはいっぱいになったコップに水注いでも溢れるだけ、っていう。ああ、なんかこう盆と正月と復活祭と紀元節がいっぺんに来たようでもったいない!もっと、舐めるように味わいたかった!!(汚いな)

ちなみに私の中のベスト衣装は白衣・パジャマを押さえてスキー宿?で来ているらしい黒のセーターにジーンズです。本気でたまんねえ。セクシーすぎ。なんだあのセクシーさ。なんにもしてないのにエロ過ぎだろおてめえ!加えて40過ぎで見せてくれた学ラン姿もなかなかにツボでした。うーんそれにしてもたまらんかった・・・夢のような芝居や・・・。

「赤鬼」 NODAMAP


2004/10/14 シアターコクーン O列11番
作・演出 野田秀樹


芝居を見に行くと大抵「アンケート」なんてものがあって、それに住所を書いたり名前を書いたりしておくと次の公演の案内が来たりしてお得だし、いい芝居だったらひとこと何か伝えたくなるし、だから終演後のロビーではみんなしこしこと鉛筆を走らせている光景が当たり前なのだけど、でもたとえばこの芝居を見た直後に「本日の公演の感想をお書きください」なんて言われて戸惑いもなくすらすら自分の思うところをあますことなく伝えられるぐらいだったら芝居なんか観に来てないよと思うわけだ。「よかったです」「面白かったです」「感動しました」ああ、なんてぺらい言葉。「赤鬼」の前に、言葉はまったく役に立たない。

NODAMAPの番外公演の中でももっとも印象的な作品。野田さんの戯曲のなかでは珍しいほうだと思うけれど、誰しもに覚えのある他者との関係性が扱われているので、ロンドン版、タイ版とこの作品が発展していくのも頷けるところ。日本版は4人で様々な登場人物を演じ分けるので、役者にも高い技量が求められます。

この作品を見た後に心に去来する哀しさっていったいなんなのかなあ。絶望して死んでいった「あの女」が哀しいのか、こんな狭い世界で「他者」を排斥しないと成り立たない社会が哀しいのか、言葉を信じ、言葉に振り回され、言葉に裏切られる人間が哀しいのか。とんびの最後のセリフの後、照明がだんだんと消えていき、カーテンコールの拍手をしているうちに涙が止まらなくなるのは初演のときも同じだった。8年前私は、「この感動の前には言葉なんて屑だ」と書いたのだけど、結局今でも同じ事しか書けそうにない。

食え、そして生きろ。それは人間が生きていく上で根幹をなす言葉だ。あの女もそうした。食って、そして生きた。そしてあの女は気がついた、自分も「そうしなければ生きていけない人間」であること、そしてこれからも同じ事を繰り返していくことに。人が生きるために食べるものが鬼だから。あの女の絶望は、人というものへの絶望なのだろうと思う。

初演のキャストの中でも、ミズカネを演じた段田さんは私にとってほとんど「絶対」で、何しろ遊眠社を解散してから初の野田さんとの共演だったし、その阿吽の呼吸っぷりにはまったく惚れ惚れしたものでした。だから正直なところ大倉くんに一抹の不安も抱いていたんです。私の中では、初演は絶対に超えられないだろうと思っていたし。でも、かれは凄いよ。観ている間、私はまったく段田さんのミズカネを思い出さなかった。超えるとか超えないとかじゃなくて、大倉くんは彼にしかできない、彼のミズカネを完璧に演じていたと思う。中でももっとも印象的なのが、「お前を愛してるからだよ。・・・ちげーよ!お前とやりたいからだよ!」というセリフ。私はここで涙を止めることができなくなった。彼の背中に信じられないぐらいの愛を感じて、なのにそれを言うことができないミズカネの切なさに私は泣きました。

もしかしたら、野田さんのとんびを生で見ることができるのはこれが最後なのかもしれないなと思ったりもしたのですが、しかし今はまだあのセリフが、最後のセリフが野田さんの声以外で聞こえてくることがうまく想像できません。鴻上さんは著作「名セリフ」のなかで、野田戯曲の中からこの「赤鬼」のとんびのラストシーンをあげているのですが、このセリフを声に出して読み上げると、絶望という目に見えないものが音として聞こえてくる、それを素敵な俳優が演じると、それはそのまま「絶望」が形となるのだ、と書いています。私にとって、野田秀樹以上に、この絶望を形にしてくれる俳優が、今はまだ思いつかないのです。

「ミス・サイゴン」


2004/10/14 帝国劇場 1階M列32番


2回目。本日のプリンシパル。

エンジニア 筧利夫
キム 笹本玲奈
クリス 井上芳雄
ジョン 岡幸二郎
エレン 石川ちひろ
トゥイ 泉見洋平
ジジ 平澤由美


前回とかぶったのはエレンとジジ、そしてもちろんエンジニア様(様?)です。高橋さんのエレン、松さんのキム、市村・橋本両氏のエンジニアを結局見逃してしまったのは残念。

2回目なので、もう話も分かってるしまた違う見方になるかなーと思いつつ、基本的にやっぱり話は好きじゃないということはよくわかりました。今回は最初の「ドリームランド」のところでかなりぐっと引き込まれたので、「おお、今日はもしかしてのめり込んで見れるかも!?」と思ってみましたがやはり二幕目でどうしても冷める。井上クリスは一幕はもう若さ爆発!である意味キムと一瞬で恋に落ちちゃう!って感じにはすごく説得力があったのだが、二幕目でも当然若いままなので(当たり前)、むかつきも倍増するという結果に。それにしても井上&笹本はもう素晴らしく暴走カップルでそれはとても見ていて面白かった。「世界が終わる夜のように」がやっぱりすごく好きなナンバーなんだけど、二人がバルコニーに向かって「うーたーーーーーーーー♪」と叫んだときにはもうバックに大きく「バカップルーーー!!」と書きたいぐらいのほほえましさであった。岡さんのジョンは個人的に超・好・み!!もともと岡さんの歌う「ブイ・ドイ」をテレビで見て「(こんな凄い人が出るなんて)筧さん本当にミュージカル大丈夫なのおお!!」と不安に駆られた私としては非常に楽しみにしておりました。細身の身体にGIの制服が良くお似合い。「ブイ・ドイ」も素晴らしい熱唱で聞き惚れ〜〜〜。泉見さんのトゥイは非常に演技が濃くて、これもとっても私好み!ある意味やりすぎではないかというようなリアクションの数々がとっても楽しかったです。

さて、筧さんですが。いやーもう登場した瞬間に私は気がついたね。「これは違う!」と。8月に見たときのあのテンパった感は今やどこにもない!底光りするエンジニアっていうのかしら、身体の奥底にギラギラした物を持ってる感じがすごくある。「陽気で愛すべき」という部分より、エンジニアの飽くなき執念というか、そういうものに役の支点を持ってきて作っているような印象。華やかで陽気で「アメリカンドリーム」なんて歌っちゃうけど「その夢は叶わないんだろうな」という切なさじゃなく、「絶対どうにかして夢にかじりついてやるぜ!」という意思があちこちに見えるエンジニアでした。それが役の解釈として正しいのかどうかはともかく(笑)、わたしはもうメロリンラブでございましたよーーーー!!!最後キャデラックに乗ってこちら(観客)に向かって手を広げた瞬間、帝劇をぐっと掴んだというか、いやむしろ掴まれてるのは私だけかもしれないが、こ、こ、こ、これよこれ!!!!!と思わず胸の前で手を組む乙女ポーズ。ああ、筧さんを見ていると、今、世界に私とあなただけv(←本気でお痛い)と思えてしまう瞬間があるのだが、それは私が恋に落ちているからか!?

出だしの「ドリームランド」の歌がすごく安定しているので、歌唱的にもスムーズに入っていけてる感じがします。無理矢理なビブラートもなくなったし、低音もかなりがんばってる。インタビューで「音程が大事だって気がついた」と、ミュージカルファンの方が聞いたら憤死しそうなことを言っていましたが(すいませんすいません)、テンションと音程のバランスの取り方もすっかり把握したようで、こちらがはらはらするような場面はなかった気がします。「アメリカンドリーム」でのダンスはもう、何回見ても飽きない格好良さ!

床下から昔の派手なジャケットを着て歌う場面(「生き延びたけりゃ」かな?)で、ジャケットの袖を通すときにどうも裏地の方に腕が入ってしまったらしく腕を出すことが出来なくて、見ていても「あ、まずいじゃん!」と思っていたらあのひと、裏地突き破って腕出してたよ!(笑)一旦脱いで着直す、とかじゃなくて裏地までも突き破る筧利夫のパワー(なんか違う)に思わず「これが筧利夫よのう・・・」と思ってしまった私は変なのでしょうか。

「髑髏城の七人」 新感線


2004/10/13 日生劇場 1階A列10番
作 中島かずき  演出 いのうえひでのり


いやーなんだか懐かしかった。昔の新感線ってこうだったよなーっつーか。「無駄にゴージャス」目指しているうちに「ゴージャス」が消えて「無駄に」が残ったっつーか。なんだかやりたいものをいろいろぶち込んでいるうちにもうすでに地図のない旅に出てる!みたいな。とかいうと凄くけなしているように思われたらあれなんですが褒めてます。はい。ああ、新感線ってこうだった!と何度も思いましたよ。アカ観た時「新感線も大人になったなー」と思いましたが大人でない新感線も私は好きよ。

まず最初のあの無駄な映像で爆笑したのは私だけですか。気合入りすぎだっつーの。そのあと出てきた高杉さんのキャラと衣装と決め技もめちゃめちゃ無駄てんこもりでウケた。いらん、その強さは!みたいな。しかも何の役にも立ってないし!衣装もいろいろ細かいところでゴージャスだった。狭霧の網タイツはいったい・・・とか、なんで渡京はレザー仕様の着物なんだ・・・とか、極楽の羽根本物ですよね・・・とか、あのキャシャーンみたいなマスクに意味はあるのか!ない!って感じも好きです。全体的に本当にファットだったなあ。時間が長いのは本当にちょっと勘弁して欲しいと毎回思いますが、歌が入るとどうしてもこうなってしまうのかなあ。しかしその歌にいまいちインパクトに残る物がなかったのはちょっと残念。

しかし、一幕観ながらなっげえなあ!と思っていたけど、二幕になってからの展開はさすがに見せますねえ。この後半の異様な盛り上がりってほんとすごいと思うわ。

染さまの捨・天魔王は非常に満足。アオの捨はある意味女好きだけどエロじゃない、って感じでした。髪の白さとか琵琶が得物ていうのもあると思うけど。どうしても枯れちゃった法師とかを想像しますよね。世捨て人みたいな感じはだからより色濃く出ててよかったなあ。天魔王はね、これはもう染さまの血のなせる業というか、「生まれついて人の上に立つもの」みたいな圧倒的な傲慢さ、天上人感がありありですばらしかったね!古田さんだとどうしても「たたき上げの天魔王」って感じですが染さまの天魔王はもう、人に命令するために生まれてきたみたいな、そりゃ従わざるを得ないよ!って感じ。でもってだからこそ、本当に忠馬以下を「雑魚扱い」「虫けら扱い」してるのが如実で余計憎らしいんだ!きー!天守閣に忍び込んできた狭霧をぼっこぼこにするとこ、捨と間違われて心外な!って感じも良かったなー。台詞回しも最高でうっとり。

アオでまた男に戻った蘭ですが、役柄的にはわたしやっぱり蘭が男の方が好きですね。話として好き。でもって好きだからこそいろいろ惜しい!と思うシーンも多々。なんていうか、男なんだけど非常に女性的なポジションなんだよなー、今回の蘭は。私の好みとしてはもうちょっと押し出しの強いほうがいいなあ。というか池内くん、「ああ、いまいいよいいよー」という時と「池内くんどこ行くのぉぉぉー」という時の差が凄くあって、特に役柄的にどうしても染さまとの絡みが多いので、なにをどうやっても圧倒されちゃうんだよなあ。染さまがまた客前では「仕草ひとつでも観客に届く」演技をしているだけに、みるみるうちに蘭が小さくなっちゃって・・・。声もいいし姿かたちは本当にキレイだから、あとはもっと客を信頼してどーーーん!とぶつかってきて欲しい。もっとさらけ出せ、もっと爆発しろ、って感じかなあ。

アツヒロ君の忠馬は若くて元気で向こう見ず、可愛がられ型忠馬でしたね。荒武者隊を背負って立つ、ってあたりに説得力をもたせるために、川原さんをワンクッション置いて、川原さんを書き込むことで忠馬を立てて見せる、というやり方は非常に上手いと思いました。渋さはないけれど、その代わり怒りの瞬発力というか、キレたらなにするかわかんない、という感じの感情の爆発が随所にあってそれはかなり心つかまれました。個人的にはもっと、もっと怒ってもいい、と思います。とにかくもっと怒れ、それがあの「お前が虫けらだと思ってる連中の力、見せてやろうじゃねえか!」に繋がっていくと、忠馬が大きな柱になってこれると思う。

三宅さんのカンテツ、いや二代目贋鉄斎にはもう言う事ありません。「タナカ」を思いついたのがいのうえさんなのか中島さんなのか三宅さんなのかわかんないけど、とにかく思いついた人は天才だ!すごい!もうあれだけで勝ったも同然だ。セリフの間もトーンも絶妙で、巧者だなあ〜とほとほと感心。でもって「肌に無理なく深剃りがきく」のセリフが残って嬉しかった。贋鉄斎はやっぱりあのセリフでなきゃねー。ラサールさんの狸穴も悪くない。もともと声が高めなので、決めで声が浮きがちになってしまうところが惜しいけどもきっちり場を抑えてくれてたと思う。粟根さんの渡京はね、そりゃハマって当たり前(笑)とはいいつつも、なんだかんだと7年前を思い出させるあれこれに思わず胸ときめき。結構強そうに見えちゃうのはいいのか悪いのか。いいのか。いいんだよな。村木さんの仁平は思わぬ収穫!「百姓は地面だけ見てればいい」のセリフが見た目的にもすごく真に迫ってるし(何気に失礼です)、だからこそあの鍬の大立ち回りがすっごく気持ちいい!思わず「か、かっこいいい〜〜」と呟いてしまった私だ。

杏ちゃんの狭霧はすごく可愛いんだけど、やっぱどうしても「子供」感がぬぐえない〜〜〜。「熊木流の長はあたしなんだ」ウソだ!「すべての秘密はここにある」ウソだ!と毎回ツッコみそうになって困った。そこは設定を変えたほうが良かったんじゃないのかしらん、と思ったり。聖子さんの極楽は一言で言うと「貫禄!」ですな。しかしおもしろ場面よりもよりナイーブな場面での上手さが光っていて、オトナ〜〜〜って感じだったなあ。

7年ぶりに髑髏城を花道のある劇場(ま、本来ないんだけど)で観て、やっぱり最初の呪縛ってのは強烈だなあとしみじみ思いました。「俺は女の味方だよ」のあとはもう絶対花道をはけて欲しい私が居るのね。ラストも、絶対「ガラじゃあねえや!」で客に向かって走ってきて欲しいのよ。花道って、ほんと日本の舞台が生んだ素晴らしい財産だと思います!あれひとつあるだけで、あの立体感。思わずね、今は無き中座を思い出してしまった私なのですよ。

・・・と、ここまで一応「赤」抜きで「青」の感想を書いてみました。さて、じゃあ結局私はどっちが好きなのか、と言われると、それはアカです。うん。やっぱり、アカなんだ。でもね、もし、もしですよ、アオに橋本じゅんさんが兵庫役で出ていたら、あたしもしかしたら「アオ」って言ったかもしれないと思うんだ。それは言い換えれば、作品の好き嫌いなんてそんな理由ぐらいでないと決められないってことなのかもしれないです。

ただ、アカのときも書きましたが、私にとっての髑髏城の背骨はやっぱり兵庫なんですよ。それはアッくんじゃやっぱりダメなのね、とかいう単純なことではないんです。っていうかね、そんな、アッくんがかなわなくてあたりまえじゃないか?もともと「橋本じゅん」に書かれた役でしかも言ってみれば相手は14年物なんですよ。そりゃ味も沁みてるさ。いい味出てるさ。それでもアッくんには一瞬でも、彼にしか出せないオーラを感じる時があって、私はほんとに感動しましたよ。

だからね、人によっては、「髑髏城のここが肝なんだ」という所はきっと違うんだと思う。私にとってはそれは兵庫のダンナだったけれども、捨だっていう人もいるだろうし、蘭だって人もいるだろうと思う。荒武者隊こそが泣きツボだ!ってひとも、もしかしたらあのテーマ曲こそ大事だって人だっているかもだ。髑髏城はそれだけの奥行きのある作品だし、だからアカが好きだったりアオが好きだったり、意見も分かれるところだろうなと思います。

今回再演してくれてひとつすごく良かったと思う点は、これで「髑髏城」の再演がしやすくなったなあってこと。97年の髑髏城は私にとってももうひとつの伝説だったので、正直再演に素直になれない自分も居たりしました。でもこうやってバージョンをわけて見せてくれたことで、この作品自体の可能性もすごく広がったと思う。埋もれさせるなんてもったいない、本当にいのうえ歌舞伎のひとつの到達点だと思うし、もしかしたら将来、私にとってじゅんさんの兵庫を越えてくれる誰かが現れてくれるかも、と思ったり。ふふふ、でもね、壁は高いわよ、と意地悪ばあさんのようなことを付け加えたくなってしまうのが、ああ、ファンの性ですねえ・・・。

「ビッグ・リバー」


2004/10/13 青山劇場 1階XE列22番


原作は文豪マーク・トウェインの「ハックルベリー・フィンの冒険」。もともとのオリジナルミュージカルは1985年に初演され,来日公演もあったようですが当然のように観ておりません。今回はデフ・ウェスト・シアター版、デフは英語で聾者を意味するもので、つまり聾者の役者と聴者の役者が同時に舞台に立ち、全編を手話を通して語るスタイルで上演されているのです。

私は残念ながら英語の聞き取りができないので、本来ならば字幕のお世話になるしかないのですが、今回5列目のど真ん中というお席であったためサイドの電光字幕板に目をやってしまうとせっかくの手話を聞き逃す(見逃す)ことになる!ということに気づいて早々に字幕の方は諦めました。昔々に読んだ原作の記憶とパンフのあらすじをたよりに物語を追っていったのですがそれで正解だったと思います。だって2行ぽっちの字幕より、生の役者さんの表情や動きの方が何倍も雄弁なんだもの。

舞台の上にはハックフィンの原作の様々な場面の1ページがおかれ、それが幕の代わりになったり扉になったりします。抽象的なセットながら、原作の挿絵などもあって場面の理解に役立つのがいい。ジムとハックの2人がビッグリバーに漕ぎ出していく場面で、セットの背後が大きく開かれ、一面のブルーをバックに2人が立つ姿が非常に印象的。たったそれだけの動きなのに、ものすごい開放感がありました。

前述したようにこの舞台には聾者の役者が立っています。主役であるハックを演じる役者さんもその1人ですが、彼の声は舞台の上で「マーク・トウェイン」を演じ舞台進行も同時に勤める役者さんが担当します。他の役者についても、舞台の左右上下どこかしらに現れた役者達が彼らの「声」を担当したり、二人一役で演じたりと様々な工夫を見せます。でもってこれが不思議なんだけど、「声を出しているのは他の役者だ」って意識がだんだんなくなってくるんですよ。錯覚する、というのとも違うんだな。声を出していないって分かってるんだけどそれが意識の埒外に行くというか。それは多分、彼らの手話と彼らの表情と彼らの動きが、何よりも「物語を語っている」からなんじゃないだろうかと思う。彼らの動きで「物語を聞く」という感覚になってくるんです。

(以下大変に重要なネタばれ)
それはこの舞台のクライマックス、「光が輝くのを待っている」の合唱でもっとも端的に示されます。遠い彼方に向かって彼らは叫ぶ、その歌と音と声がほんの数分、いや数十秒間、まったくの無音になります。しかし彼らは歌い続けている。その数十秒間、私たちは「音のない世界」に紛れ込む。音のない世界というだけではない、音がないのに「聴こえる」世界に行くのです。それは不思議で、なんともいえない力強さに満ちた世界です。劇場中が一瞬息を呑み、舞台に居る役者と完全に呼吸がシンクロする。ひとつになる、という言い方は陳腐ですが、まさにそうとしか表現しようのない一瞬が、そこには確かにありました。

この物語の舞台は「人間は皆平等である」なんて当たり前のことが、全く当たり前でなかった時代のお話です。堅苦しい世界から「自由に」なりたいと願うハックも、奴隷制度からの自由を求めるジムも、「解放」されることを願っている。こんなに時代が離れた今になっても、ハックやジムの願いに私たちが共感するのは、私たちもまたいつも何かからの「解放」を願っているからなのかもしれないなと思いました。この世界は暗闇だ、とハックが歌うけれど、それは誰しもが心の中に思うことなのかもしれません。

ハック役を演じたタイロン・ジョルダーノがとにかく非常に印象的。くるくる変わる表情とあの大きくてつぶらな目がもう・・・たまらん。可愛すぎる。ジム役のマイケル・マッケロイの素晴らしい歌声も心に残ります。二人の歌う(って、実際に歌っているのはマイケルとマーク・トウェイン役のダニエル・ジェンキンズなんですが)「泥の河」が今回のナンバーでは一番好きかな〜。二人の動き、伸びていく声、聞いていて思わず涙がこぼれてきました。

手話の美しさとそれを見事に振り付けとして取り入れた演出センス、聾者であることをまったく意識させない完璧に合わされたタイミングとアンサンブル、それらを観ているうちに「演じるってなんなんだ」という根本的なことを思わず考えさせられましたね。台詞を喋っててもなーんにも伝えない役者だってこの世には五万といるわけで、ってことは結局、観客に何かを伝えるのは演じる役者そのもののパワーであると言えやしないか。舞台ってものは、まだまだ奥が深いぜと思わずにはいられなかった私なのでした。

「SHOW THE BLACK」 大川興業


2004/10/10  神戸アートビレッジセンター 全席自由
作・演出 大川豊


全くの暗闇の中で演じられる「無見劇」。よく演劇は「観てみないとわからない」と言われますが、これこそまさに「観てみないとわからない」ものの究極。すごい体験でした。

舞台を挟んで両サイドに同じように客席を設えていたような感じ。片側で100人は軽くいたと思われるので、トータル200超かな。もっとかも。舞台には白地の布に一面散文詩が書かれた幕みたいなものがつるされていました。幕に書かれた詩、一番最初のは中原中也の「サーカス」だというのはわかったんだけど、あとはわかんなかったなあ。終演後メモしようと思っていたのにすっかり忘れてました。全ての詩に「光」もしくは「闇」という言葉が含まれていて作品の世界をここでも象徴している感じ。

配られた折り込みチラシの中に「上演に関するお願い」があって、約90分間暗闇が続くこと、暗闇で神経が過敏になっているので些細な話し声なども謹んで欲しいこと、携帯は絶対に電源から切ること、場内は暗視カメラでスタッフが観ているけれど、貴重品は自己管理すること、万が一気分が悪くなって退場したいときには、予め渡してあるペンライトを下の方に向かってつけ、出口に向かって欲しいこと、その際舞台にペンライトを絶対に向けないこと、などが書かれてました。アナウンスでも同じ内容が2回。さらに、「皆様の協力がなくてはこの舞台は成立しません。些細なことが演出意図を台無しにします。是非とも協力をお願いします。」とだめ押し。「出口の方向は今のうちにご確認下さい」と言われて全員の頭が一斉に出口方向を見たのがおかしかったです。ペンライトを手元でかちかちと点けてみたりして、万が一点いちゃっても舞台に向かないようジーンズのポケットに忍ばせて、準備は万端。

二つの見方が出来ると思う。芝居としての「SHOW THE BLACK」と、体験としての「SHOW THE BLACK」。まずは一本の芝居としての感想から。もちろん、「全編暗闇」という圧倒的なシュチュエーションあってこその芝居だというのはあるんですけども、しかし芝居としても充分すぎるほど私は楽しみました。難点があるとすればラストの処理の方法だけだと思う。あそこはもうちょっと見せ方を工夫してもよかったかなと。抽象的な感じで終わってもよかったような気もする。

真っ暗闇の中に閉じこめられた6人の男、というシュチュエーション。妙に冷静な盲人渡辺、ある意味うっとうしさ全開のリーダーなりたがり佐藤、腰ぬかしちゃって立てない鈴木、クールな高橋、風俗大好き田中、口の利けない小川。混乱、疑惑、団結、ひとときの平和、そしてまた混乱へと続く展開の中で、それぞれのキャラクターを掘り下げるエピソードが積み重ねられるわけですが、これもひとつひとつが非常にうまい。ナイーブに泣かせるもの、神秘的なもの、ただひたすらにテンションの高いバカ芝居、とテイストも様々で飽きさせない。

私は基本的に芝居を観ている間出てくるキャラクターに殆ど感情移入というものをしません。だから人が死ぬとかひどい目に合うとかそういうことは割と平気。むしろ芝居が面白くなるために「ここで派手に死んで欲しい」とか思うタイプです。でもこの芝居で何とも言えずちょっと「やなやつ」だった佐藤さんが自分の過去を語るシーンで私は思いっきり彼に感情移入してしまったのでした。もう、泣いた泣いた。その前の「鈴木さんわっしょい作戦」でそうとうこの6人組に好感を持っているだけに、最後も怖いというより哀しくなってしまった。しかしさすが大川というのかなんというのか、これだけ緊迫感のある状況なのに全編に渡って笑いがきちんとあるのがすごい。中でも劇中劇「のんきな家族の大冒険夕焼け団地編」には大笑いさせていただきました。いやもう西沢学園!で腹筋が痙攣を起こすかと思いましたよ。ほんっとにバカ芝居だったのに、最後のサザエさんに妙なカタルシスがあって面白かった。

さて、全編暗闇というのは一体どんなものなのか。私がまず一番に意外に思ったことが、見えていないにも関わらず「見た」という感覚がものすごく身体に残ったことです。もっと「聞いた」「感じた」という言葉が先に出るのかなと思っていましたが、やはりどうひっくり返してもこの体験を言葉にすると「見た」になってしまうんだなあと。大川総裁のチラシの言葉で、

人間は耳でも見ている。いや、皮膚で見ている。五感、六感を使って見ているというのがよくわかった。

というのがあったけれど、本当にそうだ。しかし、見ていない方にはわからないでしょうが、本当に何も見えないんです。普通の舞台の暗転ぐらいを想像されると、うっすら「人がいる」ぐらいはわかるんじゃないの、という気がするかもしれませんがほんとうに、まったく、見えません。姿形すらわからない。だから気配とそして声だけが観客に届けられるわけです。そしてこの声、というやつはすごい。声の動き、くぐもり方、微妙なトーンで「どんな姿勢で話しているのか」「どこを見ているのか」「どこに立っているのか」が感じられるものなんですね。あとは微妙な空気の揺れ、足音、息づかい。そんなものだけれど、やっぱり私はこの芝居を「見た」という感じがすごくします。

もうひとつ意外だったこと。私は暗いところが全く平気なので、今回も絶対気分が悪くなったり退場したくなったりということはないだろうと思ってました。いや、確かに気分が悪くなったわけではないですが、しかし思った以上に暗闇というものの重さをひしひしと感じました。なんていうか、ものすごく光が欲しくなるんですよ。劇中で盲人役の渡辺が、淡い光を追うシーンがあるんですが(光と言ってもあるかなきかで舞台は相変わらず全く見えない)、こっちもその光を必死で追ってしまうのね。で、最後精神的につらいシーンが来たりすると、なんだかわけもなく苦しくなってきて、非常用に配られた手元のペンライトをこっそりつけたい!という衝動を抑えるのに必死でした。舞台に向けて点けたいとかじゃなくて、自分が光を見たい一心というか、光があることに安心したい一心というか。そういう、一種生存本能みたいなものが蠢くのを感じましたね。こんな、時間の決まっている状況ですらそうなんだから、光のない状況に閉じこめられると人間いっぺんにやられちゃうだろうなあと思ったり。劇中何度かインターバルがあって、目の前の幕に映像がちょっと流されるんですが、それがあるおかげで少し息を抜けてよかった。またそれがあるから暗さにいつまでたっても目が慣れないという効果もあったと思う。

でもって、話そのものの重さはさておき、見終わったあと実は異様に疲れました。なんか「どっと来た」という感じでしたね。約2時間頭の神経を全開にしていたからか、身体が休もう、休もうとしているのが如実にわかって面白かったです。集中力を限界まで高めた状態を2時間引っ張ると人間こうなるんだなあ。そう考えると、やっぱり芝居って2時間がほんとに限度な気がする。

役者については未発表、公演後も一切公開しないという総裁の意向に敬意を表して、声で「この人かな〜」と思った人についても予想は書きません。キャストの中では佐藤役の人が一日の長というか、圧倒的なうまさですごかった。佐藤役が違う人だったら、多分芝居そのものも違うものに生まれ変わるかもしれないなーという感じもする。あとは渡辺役の人かな。佐藤役の人と静と動というか、いいバランス感覚で存在してくれていたと思う。彼の声は観客までも落ち着かせる作用があったなあ。

えーと意識的に具体的なネタバレになるような事は避けました。再演かも?という噂もあるし、私もまたこの公演は継続的にやっていってもらいたいと思うからです。有名人を出して客を集めるプロデュース公演や、俺が俺がの役者の集まりでは絶対に出来ない(なにしろ「俺を見て!」という欲望の権化のような役者というものを、わざと客に見せない、という芝居なのだから)、これは大川という集団だからこそ成立した、しかし「演劇を見る」ということと真っ正面から向かい合う事の出来る芝居です。機会があれば、是非一度ご覧になることをおすすめします。

「I LOVE YOU〜愛の果ては?」


2004/10/10  シアタードラマシティ 10列40番
演出 山田和也


4人の出演者でさまざまな「愛」のシーンを描き出すミュージカルコメディ。1幕目は恋から結婚まで、そして二幕目は結婚から葬式までの、まさに「愛の揺りかごから墓場まで」。

いやもう、笑った笑った。笑った上に「ううっ!」と胸にぐさぐさきたりもして苦笑いに冷や汗。いやしかし楽しかったです。しかもね、私最後はちょっとほろりときてしまったりしたんですけど!開演前のアナウンスで「このお芝居はコメディなのでシリアスなストーリー、泣けるドラマをお求めの方はお門違いです」っていうのがあったんですが、それの英語版にはさらに「泣ける芝居、ヘリコプターシーンなどを見たい方は帝国劇場へ」ってあって爆笑だったんですけど(戸井さんがサイゴン出演者だからだと思われます)、いやサイゴンより私泣いたかもしれないよ。ただマイクの音量のせいなのか、演奏のお二人との音のバランスなのか、ちょっと音が大きすぎて歌詞がうまく聞き取れないところが多かったのは残念な点。

男と女の「そ、そこを突かれると痛い!」な部分をうまく笑いにまぶして作ってるなあと。歌詞もうまいし、シュチュエーションの切り取り方も絶品。レストランで相手の会話に退屈して、相槌のたびに「全部うそ」と心の声が入るのも「わかりすぎる!」だし、それに対する男性陣の虚勢張っても一番でなきゃ、だって僕は男だもん!にもうわーキツイもんあるなあと思ったり。二幕目最初のブライズメイドの歌、個人的に一番好きなんですが、好きでもありつつ身に覚えありすぎて七転八倒。私だってね、そりゃ憧れますから、ウェディングドレスとかね、そういうものに(笑)。友人の結婚式に出た後のあのなんとも虚脱感、でもわたしはいいのこれで!と言いつつなんなの胸に去来するこの寂しさは!っていうね、そういうのを非常に突かれてしまいました。あと、てっきり婚約を報告しに来たと思ったら実は別れ話でした、っていうのを聞いた両親の歌はもう、あれ、みんな聞いてのた打ち回ったほうがいいよ(笑)ああ〜〜〜おかしい〜〜〜〜でも笑い事じゃない〜〜〜〜みたいな。二幕目で、夫に去られた女性が初めてお見合いビデオを作るあのシーン、最初めちゃめちゃ笑ってて、堀内さんの手品に拍手までして大うけだったのに、最後の「もう一回取り直しますか」「いいの、言いたかったことは全部言ったから」でいきなりぐっと来てしまった私。そのままラストの二人に入るので、余計泣きモードになってしまったのかも。

4人の出演者はそれぞれみなさんお見事!!際どいシーンもさりげに品よくコミカルに、歌も聞かせるし笑わせるし。中でも堀内敬子さんのコメディエンヌぶりは素晴らしかったです!かわいらしく、時にちょっとおばかさん、時にちょっとセクシー。背中越しの演技とビデオカメラで私を泣かせたあの手品は忘れられそうにないです。月並みだけど、見終わった後に「愛」ってものをちょっと振り返ってみたくなる、上質なお芝居でした。

「十月大歌舞伎 第一部」


2004/10/04  松竹座 1階5列17番


「野崎村」
田舎の気のいい女の子が、やっと思い人と祝言をあげられる、と思っていたらそこにぱりぱり都会のお嬢さん、みたいな女の子がやってきて、これが自分の好きな人が奉公先で恋に落ちた人だってな訳で、まあ三角関係なんですけど最後はえええ!というような展開でした、自分には。ちょっとびっくり。

気のいい女の子のお光をやったのが勘太郎くんで、都会のお嬢さんお染が七之助くん。いやもう勘太郎くんが可愛くて可愛くて可愛くて食ってやろうかとというのは冗談にしても、私今「新選組!」で平助にハマリまくっているというのもあるんですけど、というか勘太郎くんの女形見たのもしかしたら初めてだからかもしれないんですけど、いやもうなんだあこのかわいさ!って感じでした。まあそんな身贔屓な感じで見ているからかもしれないけども、勘太郎くんの芝居はすごく誠実さがあって、だからお光のけなげさが余計真に迫る所がある気がしました。

ところで「於染久松色読販」のお染久松ってこれと同一人物なんでしょうか。設定だけ同じ・・・?(すいません無知で)

「橋弁慶」「お祭り」
題材的に橋弁慶の方が好きだろうとと思っていたらあにはからんや「お祭り」の方が楽しかった。なんでだ。でも橋之助さんの弁慶はおもわずぽわ〜となるかっこよさです。

「狐狸狐狸ばなし」
個人的に第一部のメイン。ケラさんのやつを今年見たばかりだったので色々見比べる楽しみもあって面白かった。まあ話自体が面白いけどね。脚本に仕込まれた「お笑い」をうまく活かしてるな〜!と思ったのは断然こちらでした。特に勘九郎さんの伊之助はもう最高最高。もっと見ていたかったよ!フグ鍋に毒を仕込まれてのたうち回るところ、ああこういうところがもしかしたら「やりすぎ」と言われる所なのかもしれませんが、私はもう諸手をあげて大賛成って程に大好き。なんと、近鉄ファンへのちょっとしたオマージュもあるんですよ、もうだから好きさ、勘九郎さん!

扇雀さんのおきわも橋之助さんの重善もすっごくよかった。モテキャラな橋之助さんもすごくいいんだけど、おそのに言い寄られてるところとか、伊之助の幽霊にあたふたしたりする時の可愛さも素敵♪そうそう、亀蔵さんのおそのも大好き!!!イロモノテイストとはいえあの際だつ面白さはすごいっす!あと、ケラ版で見たとき又市のキャラがすっごくよくて印象的だったんですけど、唯一この又市だけはうーん六角さんのほうが好きかなと思えてしまったかな。見た目の切り替えでは多分弥十郎さんのほうが落差が効いてるんだけど、六角さんは見た目殆ど落差がないのに一本抜けたキャラから一本切れたキャラ、そして実は、な役所を見事に活かしていたのが印象的だったので。あと、これは演出次第なんですけど、ラストのおきわに高笑いがあっても良かったかな〜とも思ったり。

いやしかしもう声に出してゲラゲラ笑ってしまいましたよ〜。暗転が結構あったけどまあしょうがないって感じかな〜。ほんと芸達者、って言葉を実感いたしました。

「夏祭浪花鑑」 平成中村座NY凱旋公演


2004/10/03  松竹座  3階5列18番
演出 串田和美


まずなによりも最初に、この公演は「NY凱旋公演」であるということを強調しておきたい。コクーンで見たから、扇町で見たからもういいよ、だって同じでしょ?いいぇえ。今回の平成中村座、今回の夏祭はNY凱旋なんですよ。そこなんですよ。それはつまりはNY公演とも同じではないということだ。

松竹座の表に日米の小旗、そしてGRAND HOTELならぬGRAND KABUKIの電飾。あっはっは、そうそう、これこそが中村座の楽しさ。全部が会場に入るときから始まってる。凱旋公演であるので、オープニングもNY仕様です。お鯛茶屋のシーンはNY版そのままに英語のナレーションつき。目新しいものの大好きな大阪人は大喜び(笑)

いやもう、この地球上のどこかでこの演目がかかる限りどこまででも行きかねない「夏祭浪花鑑追っかけ」と化しているワタクシですが、ほんとにもう、素晴らしかったのである。NYで演じられた舞台よりも、誤解を恐れずに言えば数倍良かった。しかしそれは、NY公演を経ているからこそ辿り着いた地平だという気がする。NYでの夏祭はある意味とてもストイックだった。大向こうのいない、歌舞伎のお約束を知らない、役者の顔を知らない観客(それは外国人であっても在NYの日本人であっても)の中で、結局帰るところは戯曲のもつドラマ性である、ということに立ち返ったような舞台であったからだ。役者には緊張が見え、失敗もあったが、それはある意味純粋な舞台でもあった。逆に言えば余裕もなかったわけで、私が見たのが初日であったということも大きいが、日本での余裕たっぷりな彼らに慣れた目にはともすれば要らざる心配さえしてしまいそうなほどだったけれど、いやしかしNYでの闘いを終えて帰ってきた彼らのでかいことでかいこと。扇町、コクーン、NYと見てきたが、今回がもっともドラマとして「魅せる」仕上がりになってると断言できる。

何しろ役者がみなすごいんだ。究極にピュアに物語を突き詰めた役者たちが、日本で彼ら本来の余裕、遊び心を上乗せして見せてくれるのであるからして、面白くないわけがなかろう!という感じすらする。どの役者も良かったが、特に私は今日扇雀さんの魂の芝居っぷりになんども驚かされ、泣かされた。このシーンのお梶、こんなに良かったっけ!?と何度も思いましたよ。橋之助の徳兵衛も相変わらず格好良く、私は特に二幕目第一場の九郎兵衛内の場で、蚤に例えて高飛びを勧める徳兵衛の心に打たれた団七が、一瞬徳兵衛に答えようとするその揺れにぐっときた。全然関係ない上にこんな事言ってたら感想がいつまでたっても終わらないが気にしない。まるでロス・トーマスの処女作「冷戦交換ゲーム」でのパディロとマコークルのやりとりみたいだと思ったんです。パディロが言うんだ、「誰かに自分がどこに行くか何をしなければならないのか言いたいのに、言えないのは百も承知」「胸が締め付けられるようだ」って。あの時徳兵衛の気持ちに団七も死ぬほど応えたいんだ、だって兄弟よりも分かり合った仲なんだもん。そして徳兵衛も団七に応えて欲しいんだよ、なのに団七は胸にもう一度しまいこんで言うんだ、「いずれ会おう」。いずれなんて来ないのに!わーーーん!いずれなんて事を言われた徳兵衛の気持ちを思って泣き、いずれとしか言えなかった団七の気持ちを思って泣き、もう大変であった。こんなシーンで泣いてるなんて、私は馬鹿か。馬鹿で結構。

もうひとつ、今回非常に印象的だったのが祭りの鉦の音だ。長町裏の泥場のあとで一斉になだれ込んでくるあの鉦である。劇中でも悲劇が近づいてくる証のようにひとつ、またひとつとあの鉦の音が鳴る。その度に、心臓がどきりとした。あの鉦の音はもしかしたら団七の頭の中の音なのじゃないかと思えてきたのだ。そう考えると泥場の殺しのあと流れ込んでくるあの祭りの音は、団七の幻想なのではないかとさえ思えてくる。あそこだけ、なんだか妙に不条理劇なんですよ。そういうのも呑み込んじゃえるところが歌舞伎の凄さなのかもしれないなあ。

勘九郎さんは今日はとにかく長町裏がすごかった。まあ、いつもすごいんですが、あの石で誤魔化した金を、義平次に求められたときの「その金は・・・!」という台詞に込められた切なさにまたもやだだ泣き。泣いてばっかだよ。あのシーンの壮絶さって何回見ても引き寄せられる。何回見ても、哀しくてたまらない。

二幕の屋根の場、そしてお約束のクライマックスについては、えーとまだ書かない(笑)。だって、まだ二日目だもん。ネタバレするのもったいない。でも、扇町ともコクーンともNYとも違いますよ。それだけは言っておく(笑)でもってこれは前からぼんやり思っていたことだが、夏祭ってある意味「明日に向かって撃て!」なんだよね。最期の一瞬を永遠にしてしまうのって、だから日本だとか外国だとかを問わずに、ひとの心を掴むもののような気がする。

終わった瞬間から前後左右で「面白かったー!」「すごかったね!」エレベーターで後ろに立ったお祖母ちゃんが「もう一回同じの見ても良いねえ」、椅子に座った和服のご婦人が「切符まだあるのかしら?」これ、これ、これですよ。芝居見物の面白さ、ここに在りだ。

余談だが、番附にあるNY公演レポのなかに、セントラルパークを駆ける二人の写真がある。ああ、このポスター作って売ってくれないかしら。部屋に飾りたい。見るたびに、私の心がNYに飛んでいきそうだが。

10/26千秋楽 1階12列5番

千秋楽行って来ました。その前にも一回見てますので、計3回見たのか。すごいな、俺。
お芝居全体の感想とすると、3日の日に見たときが一番ぐっとくるものがあった。なんていうか、本当にピュアな舞台に仕上がっていたというか。先日見たときはちょっと砕けすぎたかな?と思うところもあって複雑だったり。それはそれで楽しいのでいいんだが、お客さんの前でやっていくと芝居って変わっていくなあとも実感した。

しかし、そんな中であらためて勘九郎さんの力に惚れたというか、やっぱすげえやこの人、と思いましたね。浮きがちになる舞台のネジをここで締める、と決めたとこで間違いなく締めてくれるんですよ。絶対外さない。団七の役では遊びすぎない、と決めてらっしゃるのか、すごくストイックなんだよなあ。回りがちょっと落ち着かない芝居になっていても勘九郎さんで必ず地に足が着くんだ。一回目に見たときは全体のバランスも絶妙だったので、勘九郎さんが特にすごい!という感じではなかったんだけど、後半2回の観劇ではああ、この舞台は勘九郎さんのものだと思った。しかしそれにしてもなんて届く芝居するんだろう。私最近この「届く」って表現がすごく好きでよく使うんだけど(元は古田さんの副音声)、まったくもう勘九郎さんの芝居は届きまくりだ。今までも同じ演出だったのか、まったく見ているようで見ていない観客で申し訳ないんだが、泥場のラスト、「おやじどの、許してくだんせ」と言うところで泥の中に向かって手を作って叫んでいることに前回初めて気がついた。んでまたそれで号泣ですわ。何回こちらを泣かせれば気が済むのか。よっ、中村屋!

大阪凱旋公演バージョンは、背面が開かないかわりに鏡があって、それが逆しまの奥行きを見せていてけっこう面白いことになってた。ラスト、二人は外へは逃げられないので、降りてきたスクリーンに向かって二人が駆け込むとスクリーンの中に二人が現れる、という趣向。んでもってその二人がセントラルパークやタイムズスクエアなど、NYの街をあの格好のまま逃げ続けるわけです。BGMはシナトラの「ニューヨーク・ニューヨーク」。個人的には真っ青な芝生のなかを摩天楼に向かって駆けていく二人のショットが見れただけで初回はだだ泣きでございました。最後は二人が客席からスローモーションで現れ、あとはNY版と同じラスト。ただし今回は銃口が二人のほうを向いてましたけど。

さて、千秋楽!いつもはカーテンコールで橋之助さんが出て最後に勘九郎さんなんだけど、今日は二人が一緒に駆け込んできた、と思ったところで吹き上げの桜吹雪が!!!も、ものすっごい量の桜吹雪でした。ちゃんと花びらのかたちに切ってあるんだよ。ほんっっっっとに綺麗でねえ、なんかその花吹雪浴びてたらわけも分からず泣けて泣けて。もう大盛り上がりで拍手は鳴りやまないしもちろんスタオベだし(っていうかカーテンコールの前からスタオベだった)、一旦幕がしまったんだけどまたすぐ開いて、でキャストの皆様が客席中を練り歩き!花道ダッシュもしてくれて、私今日花横だったので色んな方とハイタッチさせていただきました。二階席・三階席にも行ってらしたと思う。笹野さんなんか二階席から身を乗り出してさっきの花吹雪を降らしてるし。ああ〜もうどっちを見たらいいの状態。もちろん串田さんも呼ばれて、最後は駆け戻ってくる二人のスローモーションを全員で(串田さん込み)やってみんながもうめちゃめちゃ幸せそうないい顔だった。でもまだ拍手がやまない(笑)スタッフの方も全員舞台に上がって、ニューヨーク・ニューヨークが結局3回?かかったのかな。おちゃらける方もあり、客席に手を振る方もあり。最後は勘九郎さん・橋之助さん・串田さんが舞台上で胴上げ。勘九郎さんと串田さんの抱擁にはほんと涙涙でした。死ぬほど手叩いたなあ。こんなに感謝の気持ちでカーテンコールの拍手を贈ったことないかも、ってぐらい、もうただ感謝の気持ちでいっぱいだった。

2002年に扇町でこの「夏祭」に出会ってから丸2年。その間に何回これ見たんだ。8回?正直自分でも信じられない。なんでこの演目にここまで惹かれ続けるのか。今日のカーテンコールで串田さんや勘九郎さんがスローモーションで舞台に帰ってきたのを見たとき、なんだかあの時扇町で駆けだしていった二人が世界ぐるっと回ってまた大阪に帰ってきたみたいだなあ、って思った。なんか、見届けた、って感じがした。しばらくはこの演目が再演されることもないような気がするけれど、でも今日の千秋楽で本当に「見届けた」って思えたので、個人的にはいいピリオド、いやピリオドじゃ困るな(笑)、コンマが打てた感じ?良い舞台と出会えて自分は幸せだったなあ、と本当にまた感謝の気持ちになりました。素晴らしい舞台を、どうもありがとうございました。またいつか、どこかで。

「痛くなるまで目に入れろ」


2004/09/25  シアタードラマシティ  18列4番
作・演出  G2


このまえのG2さん作「ゴーストライター」が信じられないほど私好みではなかったので、まあぶっちゃけそんなに期待はしていませんでした。期待値の大きさというのは観劇後の感想を大きく左右しますねえ。ちゃんとカーテンコールで熱心に拍手をするだけの気分にはさせていただきましたよ、おほほ。
構造もテイストもこの間の「鈍獣」とちょーーーっと似通っていて、ああ、またこんな話ですか、という気にはちょっとなりましたが、まあそれでもそれなりに満足。脚本の構成としては鈍獣の方が一枚も二枚も上手だとは思いましたが。時系列が錯綜するのは個人的にはすごく好きなんですけど、余計な部分がちょっと多い。要らないモノローグがなんだか目に付いてしまったなあ。最初に種を明かしている部分はけっこうリスキーですけど、割とうまくいってますよね。

もっと親子とその母親の話に焦点があってたら更にはらはらさせてもらえたのじゃないかと思うのでその辺は残念。うーん書きながら脚本的に満足している部分が殆どないことに気づいて驚きますが(笑)、でも楽しく見ていられたんだよなあ。役者さんの力なのかなあ。個人的にはですね、坂田さんの組長が私はもうすごく好きだったんです。あのひとりでさだまさしで暴走するところが大好きだ。昔から、誰もついてこなくても構わない!というような心意気を感じさせる馬鹿テンションに非常に弱いのです。あとは中山さんがさすがだなあ、と。見事にうざくて見事にキュートな役を素晴らしく好演。この芝居、最後の20分ぐらいがすごく良かったので好印象なのはそのせいもあると思うのですが、ラストシーンで一気にこの「痛くなるまで目に入れちゃう」世界観を成立させる陰山さんの迫力もさすが。松下好さん、すごくキュートで好演だと思うんだけど、G2さんは女性を書くのが本当に下手だ!ラストの20分に彼女の存在がちとうざかった。あそこだけ妙にウェットなんだよなあ。

山内さんがカッコイイのはもうわかっているので、まあいろいろな山内圭哉が見れて楽しくはあるんですが、えーとね、もっと若干抑えめにした方が彼の色気は倍増なんじゃないかと思います。今回の芝居のなかで山内フェロモンを一番感じたのは中川が嫉妬心のあまり見てしまう「影」として美里とキスするシーンですね。あれぐらい「なんでもない」感じの方が一挙にフェロモンが出てくるから彼は不思議な役者です。歌のシーンは個人的に要らなかった(笑)。

あとね、曽世くんけっこうお気に入りなんで今回の役も好きなんですが、曽世くんの役と久保田さんの役を交代させてみたらけっこう面白いんじゃないかな〜と思ったりしました。あて書きの安心感も良いですが、少し冒険色がある方が安全牌が引き立つような気もするので。

「シンデレラ ファイナル」


2004/09/17  MIDシアター  F列2番
作 市堂令  演出 芹川藍


1982年の初演、1985年の再演は当然のように未見。30周年記念ということでリクエストナンバー1だったこの作品が再演されることになったそうです。
80年代的、という言葉はどちらかというと作品を揶揄するものとして使われることが多いように思うけれども、私は敬意をこめてこの芝居を80年代的だと言いたい。この言葉をいうといまやドン引きされそうな気配すらあるけれども、これはやはり「自分探し」の作品であると思う。

しかし青い鳥の作品というのは(当たり前と言われるかもしれないが)創り手達の思想、感性がそのまま舞台に上げられるようなものであるので、約20年前に描かれた彼女らの「自分探し」と、今の彼女らの「自分探し」は当然違うわけで、そのあたり彼女らの「いま」が立ち上がって来ていないように感じたのはちょっと残念な点。でも、「何かの予感」だけを手に待って待って待ち続けるシンデレラの姿というのは20年前であろうと今であろうと有効なモチーフだよなあ。予感を叩き壊してしまうシンデレラの姿へのインパクトは多少薄れてしまったかもしれないけれども。

芹川さんの演出がやっぱり私は凄く好きで、冒頭の雛壇に役者が立ちstand by meが流れるシーン(ホリゾントがバックだったらきっともっと良かったろうにと思うと、近小が無いことが口惜しい)、突然始まる刑事ごっこへの切り換え、照明の色や音、そういうものが「ぴったりくる」という感じがある。ドン・コビッチョ先生のコーナー(コーナー?)は、青い鳥は結構こういうシーンが良くあるのだが、じつはちょっと苦手でそこだけ「チャンネル合わないなあ」とどうしても思ってしまうのですが、今回は期待値のグラフの話がさりげにすごく効いていたのでそのアンバランスさが効果的だなあと思った。あと、シンデレラが床を磨きながらちょっと難解な台詞を言うシーン。哲子がラストで日記を読みながら音が大きくなっていくシーンもそうなんだけど、こういうのが大好きなんだ、私。台詞を理解している訳でもないのにうっとりしちゃう。

天光さんは実に実に声の良い方で、彼女が台詞言うだけでちょっと聞き惚れちゃうみたいなところがあるんですけども、それでも私の一押しはどうしても葛西さんなんだなあ。あー好き。あの刑事ごっこでの一人で走り出したテンションがもうたまらない。あそこのダンスの芹川さんも格好良かった。

「自分探し」の話だと書いたけど、青い鳥というのはある意味ずっと自分しか探していないと言ってもいいと思う。彼女らには「世間」というものがない。世間で認められるとか、世間からどう思われるかとか、そういう部分が全然ないのだ。創立メンバーのみなさんはもうとっくに50の坂を越えた方たちばかりである。なのに、私が出会った14年前と変わらぬその凛とした立ち姿の美しさに私は思わず感動した。自分ってものを見つめ続ける決意というのは生半可なものではないよなあと感じ入ってしまったことです。

「BLACK FLAG BLUES」キャラメルボックス


2004/09/07  厚生年金会館芸術ホール 1階H列48番
作・演出 真柴あずき+成井豊


日記に書いたような事情でものすごく勘違いしたまま見ていたため、最後まで「あれ?あれ?」という印象が抜けませんでしたがそれは100%私のせいとしてまあしかしそれをさっ引いてもちょっと首を傾げてしまうような感じが多かったかな。活劇&ロマンス二本立てというのはキャラメルお得意の路線なのでべつにそれがどうというわけではないですが、えー個人的には最後のロマンスで絵に描いたようにずっこけてしまったわけですハイ。ああ、苦手な展開だ・・・そっちにいかないでくれー!みたいなね。ここまで風呂敷広げておいて最後それかよ!みたいなね。少なくとも一方は死ぬことを覚悟している割に安いシーンだったなあなどと思ってしまいそれが非常に残念。

もうひとつ気になったのが間に挟まれるおちゃらけシーンがちょっと目につきすぎかなあという点。うーんぶっちゃけあんまり笑いを取れてないんだよなあ。かっこいいシーンが結構あるだけにその流れをいちいち堰き止められるみたいな感じがあったのは個人的に不満。もっとキメキメで押しても良かったと思う。

しかし坂口さんはよかった。坂口さんで非常に救われました。彼女がでてるシーンになるとしゅるしゅるっと舞台に集中できる自分が居ました。阿修羅だと言われてその皮肉さに絶望の笑い声をあげるシーンがこの芝居の中では一番好き。マジでうざったく本気で私が撃ったろうかと思うほどだった星を撃つシーンも格好良かったなあ。キャラメルにはよくあるけど典型的な「主人公の女の子には到底同感できない」パターンの話だったので、よけいレイ&アリツネのかっこよさに心慰められ。ダイゴ&ヤマアラシは、スケボイでのこのコンビがすっごくすっごく好きだったので単にキャラ萌えで満足。オカタツのダイゴめっちゃ好き。

SF的な世界観というか、そういうのは私は別にさっくり受け入れるんですけど、題材面白いだけに惜しいなあと思う部分、そっち行っちゃいけーん!という部分が気になってしまいました。宇宙パイロットのテスト生ってのもどうしても11人いる!を思い出すし(思い出すと較べちゃうし、つーかファーストシーンとかまんま11人いる!でしたよね!)、活劇ならではのわくわく感をもう一声盛り上げて欲しかったなあ、というところでしょうか。

「キャバレー」


2004/09/04  フェスティバルホール  LEFTside1階J列17番


「ミス・サイゴン」でやっぱ私ミュージカル向いてないかも・・・と尻込みしがちな気持ちになっていたのですが、そんなことなかった!やっぱ作品によるんだな〜(当たり前)。曲もたいへんにかっこよく、何より作品の世界観が私の好みにがっつりはまりました。ああ、誰かサントラのお勧め教えてください。会場では売り切れだったのん・・・。

いろいろな深読みができる作品だろうと思うんですが、映画版も見たことない、ネタばれ一切なしの初見で挑んだ私のなかで一番心に残ったのは「ここでしか生きられない」という人間のせつなさ。二幕でシュナイダー夫人が歌う「どうしろっていうの?」の場面で一番如実に表されているけれども、ラストで「キャバレー」を歌うサリーにもそれは当てはまることであって、この世界、猥雑でいかがわしくてその日暮らしなキャバレーの、ひとときだけ明るいスポットライトの中から、彼女は飛び出していくことができない。外に世界があることは知っている、差し伸べられる手もある、だけど彼女は飛び出していくことができないのだ。だから「私はキャバレーが好き」と歌う。「ゆりかごから墓場まではそんなに遠くないから」と。自分への愛も嫌悪もごちゃ混ぜにして、それでも必死でキャバレーの楽しさを震える足で歌うこのナンバーが、私には最も心に深く刺さりました。

役者さん的にはMCの存在がすごく効いてるなーと思った。魅力的な役ですよねえ。自分が役者だったら誰しもがやってみたいと思うんじゃないのかなーとか。ああ、こんな人にやってもらいたい!という人がいろいろ思い浮かんでもう大変(笑)。キャストの方も声が深く響く感じですごくよかった〜〜〜。サリー役の人は何よりラストの「キャバレー」が素晴らしかったです。シュルツ氏&シュナイダー夫人のコンビも素敵だったなあ。

「キャバレーのラストシーンをばらすことはミュージカル界のタブー」(by moguさま)というのも頷ける、ある種衝撃的なラストではありますが、とりあえず私個人的には非常に好きなエンディングではあります。もともとの寓意はともかく、そこから読み取れるものは今も昔も少なくないと思う。ありきたりのハッピーエンディングよりも、断然私のハートをがっちり掴むラストでありました。


「鈍獣」


2004/08/30  シアタードラマシティ  3列39番
脚本 宮藤官九郎  演出 河原雅彦


成志さんと古田さんと生瀬さんが自主的に組むんだからホラーなんだろうなあ〜と漠然と思っていて、でもってまた古田さんの好きなちょっとグロ系だったりもするんだろうな〜という気もしてて、まあだから話的にはあまり驚きはなかったというか、ネタバレは一切見ずに観劇したのですが「なんだかどこかで見たような」という気もちょっとしたり。

感動したのは、じゃないや感心したのは、最初のシーンに物語が戻っていくループさせる構成(が私は大好きというのは何度も書いてますが)と、何よりも若干「あまり」を残している点かな。最初のシーンに戻ってそこから始発が出るまでの間に、絶対に足りない時間を残しているのが何ともいえずうまい構成。うまいっつーか、プロだなあというか、手慣れているなあというか。ある意味あの瞬間が一番心理的にはホラーだと思った。なので残りはちょっとおまけって感じだったかな。凸川が帰ってくるのは予想できたし・・・

凸やんが二人いるかも、という発想が非常に面白かったので、最後生瀬さんとのシーンで「1人だ」って事にしてしまうのがなんだか勿体ないかも〜と思いました。うーんでも小説書いてる凸やんとスーパーヘビー(どうでもいいけどIWGPでの古田さんの役名ですな)を訪れる凸やんにはギャップがありすぎるのでその辺の解答ははっきり出してる訳じゃないのかな?それともあの「覚えてないな」が凸やんの演技って事?その辺伏線を細かく追って見てみたいなあという気もしたり。

女性陣三人はパンフを見るまで顔と名前が一致しませんでしたが誰一人ストレスなく見ることが出来てよかった。初舞台がお二人もいたとは驚き。三銃士さんのほうはお遊び的なシーンも含めてさすがだなあ、と思いました。冒頭のキオスクコント、久々に見た古田さんのダンスのキレに大喜び。芝居的には生瀬さんが先輩の貫禄というか、決めるところは決めるぜ的な力を見せてくれた感じ。成志さんに向かって線路の上で言う「にっぶいなあ!」はもしかしたらコイツが一番アタマおかしいんちゃうかと思わせる迫力でした。
パンフで古田さんも仰っていたように古田=凸川というのが非常に想像しやすいラインなんですけども、それでは「こどもの一生」と被るところが多すぎるだろうなあ。古田さん喜々として凸川やりそうだしなあ。個人的には生瀬さんの凸川というのは非常に見てみたい気もしました。成志さんは江田やっても岡本やってもそれなりに成志カラーに染めそう。ある意味キャスト日替わりで見てみたい感じもありますね。それはそれでもう絶対チケットが取れなかっただろうけれども(笑)

「ミス・サイゴン」


2004/08/18  帝国劇場  1階Q列38番


いやー見てきましたよミス・サイゴン。初帝劇。筧さんのミュージカルデビュー。
・・・何から書いたらいいものやら。

えっととりあえず帝劇自体初めて足を踏み入れたわけですが、一階席後ろ目からの観劇でしたが思った以上の見やすさに驚き!!傾斜はそれほどきつくないと思うのにストレスなく舞台を見れるというのはすばらしい。劇場全体にすごくいい雰囲気があってそれにもちょっと感動した。使い込まれている、良い意味で「手垢の付いた」劇場だなあ〜〜!!という感じ。この舞台を筧さんが踏ませてもらえるなんて・・・と感動。
お、そうだそうだ、私が観劇した日のプリンシパルキャストは以下の通り。

エンジニア 筧利夫
キム 新妻聖子
クリス 石井一孝
ジョン 今井清隆
エレン 石川ちひろ
トゥイ tekkan
ジジ 平澤由美


えーととりあえず筧さんのみに絞った感想。結構いっぱいいっぱいだったんでないかな?筧さんがいっぱいいっぱいになることってあんまりないので貴重なもの見た気分。筧さんの挑戦を見届けているんだわ!という感じがあって、こっちも色々ドキドキでした。背の低さがおそろしく目立つけど、動きのキレの良さでカバーって感じ。バンコクに移ってからのシーンで赤ジャケにグラサンで出てきたとき、あまりに胡散臭かったのか前方客席から笑いが起こってました。歌については、ファンであるがゆえにまったく期待しておりませんでしたので(ひどい)、ああ、意外とイケててよかった!という安堵感。というかね、筧さんのは歌という感じじゃないんだなあ。セリフを節付きで言っている、という感じが先行するので、歌による気持ちよさ的な部分はあまりない(エンジニア自体にそういう部分が少ないのかもしれないけど)。基本的に芝居重視な役作りのような気がした。でも、「アメリカンドリーム」ではアメリカを夢見て、でも決して届かない哀愁もあって良かったなーと思う。筧さんのダンスも見れたし。帝劇という空間をもっと自分のものに出来ると違うエンジニアが見えてくる気もするので、そのあたり後半10月の観劇に期待。

でもって全体の感想ですけども、うーん、基本的にすごく苦手な作品だということがとってもよくわかりました。悲劇だからじゃなくて(むしろ私は悲劇好き)、展開的にも納得いかないしキャラの造形的にも納得できない部分が多いのですな。クリスは苦しんでいるか?もちろん答はイエスだろうけど、エレンかキムかという選択において彼の選択はあまりにも過去を自分と切り離しすぎなんじゃないかと思ってしまう。戦争というものがあったとてどんな過去の自分も自分だろう。「あの時は・・・」なんていうセリフは聞きたくなかったな。そんな風に簡単に切り離せないことにこそ悲劇はあるんじゃないのか?エレンと二人で「援助しよう」さらに「アメリカンスクール」という展開になったときは背後から跳び蹴りを喰らわしたくなった事は内緒だ。キムにしても同じ。最初に「夢が」とか言っているからなにか彼女には自分を支える強い夢があるのだろうと思っていたらそれはいつしかクリスへの愛へ変わり、タムへの愛が加わり、トゥイを殺したことに責めさいなまれていると思いきや「私にはクリスがいる!」で結婚式の衣装着てこれでなにもかもうまくいくってなもんだ。最後に死を選ぶ展開についても、もっとキムの意思を統一して書いてくれないとこちらの気持ちが乗っていかない。クリスのことを信じたいけど信じられない時もある、でもタムにだけはどうか幸せになってほしいという前振りが欲しかった。その上で現実を知ったときの彼女の逡巡やそれを超えたところにある決断を上手く見せて欲しかったなあ。

これ以上書くと芝居の感想を離れた不穏当な発言が多くなってしまいそうなのでこの辺で打ち止め。

歌の中で好きなのは「世界が終わる夜のように」と、「ブイドイ」、でもって「アメリカンドリーム」かな。特に「ブイドイ」は王道ミュージカルにしては珍しい客席方向へのボールなので印象的。でも、これももっと上手く使えないのかなあと思ったりね。第二幕の初っ端なんだけど、映像ももっとインパクト持たせた使い方が出来たんじゃないかな?オープニングの演出はかなり好き。あと第二幕でのサイゴン陥落を描くシーンはよかった。こんなに色々腹立つ腹立つと言っている私でさえ「ああ、キムをその中に入れてあげて!」と思わず祈ったほど。ほんの一瞬のボタンの掛け違えがこんなとこまで来てしまったのか、と思わせて切ない。

キャストの中では新妻さんと石井さんが印象的なんですが、石井さんどうしてもちょっと若さが足りないというか、いい年した大人が!みたいな感じがあったのがなあ〜。もっと若さ爆発のクリスだったら前述の感想も違ってくるのかな?でも歌はすごく良くってしびれさせてもらいました。安定感も抜群。新妻さんの歌も心に残るものがあった。今井さんのジョンは演説台に立つと貫禄ありすぎて何者!?みたいな感じ。

アメリカンドリームとか、実は市村さんのも橋本さんのもすっごく見たい!と思ったしクリスとキムの組み合わせで毎回違うものが生まれてる感じもあって興味は尽きないのですが、話がどうしても苦手なのとあの音楽に乗せたセリフにどうしても「普通に喋れ」と突っ込みたくなってしまうあたり・・・まだまだ修行が足りませぬ。

「納涼歌舞伎 東海道四谷怪談」


2004/08/17  歌舞伎座  ぬ列17番


色々なところでネタで出てくるので一度は是非見たかった「東海道四谷怪談」。全体的に話は知っていてもおおこれが髪梳き!とか生で見る有名なシーンにどきどき。それにしても勘九郎さんが大活躍で大活躍ですごかった!あまりにも八面六臂(うーんこの単語がここまで似合う人も珍しい)の活躍でもうどこを見ていいのやら。そうそう、私は実は福助さんが大好きなんですけれども、久しぶりに拝見できてすごく嬉しかった〜。

橋之助さんの伊右衛門の悪っぷりも印象深いんですが、伊右衛門の裏切りを知ってからの岩の情念炸裂ぶりが凄まじかった。髪梳きもすごかったですけど、その前、伊藤家に対して「口惜しや」と震えながら言うところのほうがぞぞぞっときました。怪談としてはここまでの方がぞっとする感じがあって良かったかな。「三角屋敷」がカットされているようで、舞台番の染五郎さんが解説をしてくれました。三角屋敷までやっちゃうと、その日の内には家に帰れないそうです(笑)

大詰めの趣向を凝らした数々の演出も楽しいのですが、演出先行という感もなきにしもあらず。2幕までの情念先行みたいな感じが結構好きだったのでもっとじっくり怖くてもよかったかなあ、という気はします。客席に現れるお岩さんに対する客席の反応が非常に素直で怪談話を盛り上げていたような気がします。

「ハムレット」 子供のためのシェイクスピアカンパニー


2004/08/14  クレオ大阪中央ホール F列5番
作 ウィリアム・シェイクスピア  構成・演出 山崎清介


今まで、何本シェイクスピア見ただろう。「ハムレット」見ただろう。私はシェイクスピアの悲劇を見て、初めて泣きました。これ、これなのだ、私が見たかったハムレットは。ハムレットって、シェイクスピアって、こうやって楽しむものなんでしょう?タイトルロールを誰がやるか、どれだけ苦悩してみせるか、どれだけ長台詞こなすか、ハムレットってのはそんな演劇ハードルのひとつであって物語の筋はまあおいておきましょうよ、な舞台じゃない。この舞台は「ハムレット」という物語だ。不倫、裏切り、恐るべき陰謀、その末の悲劇を描いた物語。

お馴染みの黒マントに黒帽子、そして暗闇のなかのささやき声とハンドクラップ。一瞬で世界を創ってしまう独特の演出方法は健在。今回の「ハムレット」の一番の特色は、最後にデンマークを任されるノルウェー王子フォーティンブラスにきっちりフォーカスを当ててる点じゃないかと思う。ハムレットにでてくるフォーティンブラスといえば、普通に見てると「なんでお前最後に出てきて全部もらっとんねん」と突っ込まれがちなキャラなのであって、横内謙介さんの作品「フォーティンブラス!」でも、典型的な脇役俳優のやる役、「途中のポーランドへの進軍と、最後のシーンしか出てこない」と描かれてる。けれどこの「ハムレット」のなかで、父王を喪ったもの同志、ハムレットと対を為す存在として焦点が当たっているので、ポーランド進軍の時にハムレットがその姿に感銘を受ける(父王を喪いながらも果たすべき責務を果たしている姿に)のが非常にしっくりくるのだ。祈りを捧げるクローディアスを刺そうとするハムレットを押しとどめるのもフォーティンブラスの「それで復讐を果たしたと言えるか」という言葉で、これも非常に効果的だった。

その積み重ねがあるから、ハムレットの臨終の言葉「デンマークはノルウェー王子フォーティンブラスに」も、なんの違和感もない。そしてそれは、舞台のラスト、「私としては、悲しみに震えながらも、喜びを抱きしめねばならない」のフォーティンブラスの言葉にも生きてくる。このセリフがこんなにも哀しいなんて、誰が思っただろう?背中を向けて去っていくハムレットの姿にフォーティンブラスの悲痛な叫びがもう一度重なる。私としては、悲しみに震えながらも、喜びを抱きしめねばならない・・・!私はもう泣けて泣けて、これを書いている今も、その切なさに涙が勝手に溢れてきてしまいます。

舞台の冒頭、もっとも有名な「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ。どちらが立派な生き方なのか」のセリフが少しずつ大きくなり、やがて「ハムレット」のラストシーン、ホレイショーの「全てをお話致しましょう」から物語がスタートしまたここに帰ってくる構成ももんんんんのすごく私の好みです。最後の決闘で死んだ人間達が一人一人黒子に戻っていく。そこにもたらされるロズ&ギルの死。まさに「かくも多くの命が」の言葉が重い。そしてさらに、「彼こそは時を得れば、たぐいまれな名君となったであろうに」のセリフと共に、ゆっくりと我が子ハムレットを抱きしめる父王の姿に、もうもうもうしてやられまくり。

ほぼ2時間の舞台にまとめながら、押さえるべきシーンは全部ちゃんとこなしてるんだよなあ。冒頭、父王の亡霊、レアティーズとポローニアスの会話、旅芸人もクローディアスの祈りもオフィーリアのくだりもちゃんとあるし。独白だってちゃんとある。しかも、黒子の群唱が同じセリフを繰り返すだけで、ハムレットを襲う圧迫感というか色々な感情にがんじがらめになってしまっている彼の心情が上手く伝わるのもイイ。「死」というものにハムレットが恐怖感を抱いているというのも、今回初めて気がつきましたよ私は。「死、眠る、それだけだ。」の繰り返しがものすごく効果的だったなあ。まったく、山崎さんの構成・演出センスには本当に脱帽の一言。

役者さんのアンサンブル、調和の見事さもこのカンパニーの素晴らしいところ。特に印象に残ったのは岡まゆみさんの素敵ボイスと誓さんの絶妙な間とテンポで笑いもばっちりなポローニアス、山崎さんの緩急自在な人形使い。あああ、まだ頭の中であのハンドクラップのリズムが鳴ってる。このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ。死、眠る、それだけだ。彼こそはたぐいまれな名君となったであろうに・・・。ハムレットの哀しさと切なさの中で、まだ心が漂ってます。

自分が演劇好き、芝居好きだと自認する人ならば、絶対に一度は観ておくべき舞台。来年は「尺には尺を」。おおお、まった知らない作品だよ!でももう今から楽しみで楽しみでしょうがないです!!!!

「It Runs in the Family 〜パパと呼ばないで!」


2004/08/05  厚生年金会館芸術ホール  B列32番
作 レイ・クーニー  演出 山田和也


上川さんが近江谷さんと舞台!というのを聞いて本当に本当に嬉しくて、なのに某掲示板などで「出演者がしょぼい」と言ってるのを見てうーわーそんな風に思うのかもうがっかりだな!と思わず上川さんの好感度まで下がってしまったのだが、雑誌のインタビューとか今日買ったパンフとかで上川さんがもともとこの芝居が「近江谷となにかやりたい」から始まった企画だというのを聞いてまた好感度があがってしまった。株価乱高下ですね。っていうか私が左右され過ぎ?

二人が一緒にやるのが6年ぶりというのにまた驚く。6年ぶり〜〜〜!?でもとてもそうは思えないコンビっぷりで最高でした。あーやっぱりこの二人イイ!!キャストクレジットの順番だって、上川さんの次に近江谷さんでいいと思うけど、まあそれは大人の事情なんでございましょう。むしろ大人の事情があってもヒューバートを近江谷さんでやらせてくれてありがとう〜〜〜!と思った。おかげで二人のコンビを思う存分堪能できましたよ。

脚本的には二幕「え??」と思うところがなきにしもあらずだったのですが(スピーチが結局うまくいくとことか)、でもウソがウソを呼び、誤解が誤解を膨らませるコメディの楽しさは充分に味わわせていただきました。最後のローズマリーとヒューバートのオチも好きなんだけど、あの感じだと「ローズマリーの嘘」みたいな感じに見えちゃうと思ったのは私だけ?っていうかヒューバートが絶対そんなこと出来そうにないキャラに創ってあったからかもしれないけど。あ、でももしかしたらその意外性がいいのか。「ってことは騙されてたのは実はモーティマー!?」みたいな。なるほどなるほど(今気づくな)。

キャストの皆さんもそれぞれ味があって役にはまってたなあと思う。個人的には見事な女装ぶりを見せてくれた湯澤さんと、さすがに会話で積み重ねるコメディはお得意な峯村リエさんが素晴らしかったと思う。近江谷さんのヒューバートも言うことなし〜〜〜!役おいしいっていうのもあるけど、どんなにドタバタになってもある意味すっとぼけたまま「あわててる」ヒューバートの味を良くだしていたと思う。叫び声の真似からミュージカルシーンをやってみせるところは最高!上川さんも光速ツッコミ健在でくるくる変わる表情も魅力的で良かったあ。しかし上川さんのテンションがあまりにも高いので見てるとちょっと疲れる部分もあり。まあ上川さんがあそこまでテンションあげているおかげで、まわりのすっとぼけた味が生きているとも言えるしね。舞台上の混乱を一手に引き受けているわけだし、名前やきっかけは絶対間違えちゃいけないし、それを難なくこなしているように見せれるのはさすがだなあと思いました。しかし、ファンの方々のリアクションがいちいち大きいのはちょっと参った・・・。私が見た回で上川さんがバーのところで滑ってコケかけちゃって、そしたらもう客手ぇ叩いて喜ぶ喜ぶ!おかげで「きみのスピーチ原稿は素晴らしかった」と言いに来たサー・ウィロビーの台詞がそのシーンほっとんど聞き取れなかった(拍手がやまなかったため)。いやいや、嬉しいのはわかるけど台詞が始まったら聞こうぜ!と思ったり。

ちょっとした台詞のやりとり(「ヒマラヤで」とか)やカーテンを閉める間合い、表情、実に素晴らしい阿吽の呼吸を見せていただいて私の観劇目的は120%達成されました!って感じ。またぜひ、二人で何かやってね♪

「真昼のビッチ」


2004/07/31  大阪国際交流センター  H列R1番
作・演出 長塚圭史


いちばん近い町から路面電車で40分。うらぶれた町の真ん中に、彼女らはいる。嫉妬と因縁と逃れ得ぬ幸福から逃れてきて。今や呑み込まれようとしている町に縋る女達の物語です。

相変わらず、男はみんなバカである。バカで女の子に一生懸命だ。しかし今回は、女が手強いねえ。そういう意味では、舞台の上での男女のバランスがちょうどよくて良かった気がする。いつも凄く男カラーが強いのだが、さすがに今回は女どもの業の深さに男どもはただ沈むばかりという感じだ。個人的には前作「はたらくおとこ」がツボにヒットしまくりであったので今回はちょっと物足りなさも感じたりしたが、2時間半飽きずに見れたというのは面白く作ってあるってことだろうなあ。

「誰々のために、という言葉は、いついかなる時でも美しくない」。私の好きな言葉だ。誰かのせいにして生きる、ということは「誰々のために」という言葉に縋って生きるということだろう。でもね、みんな、普通に言ってるでしょ、毎日。「誰々のために」。そしてそれは度を超さなければ結構美しいことだとも捉えられているわけでしょ。私も含めてこの世に、一度でも、誰々のためにっていう大義名分に縋ったことのない人が居るのかね?この芝居にも誰々のためにという台詞は連呼されているが実にまったく誰も彼もが美しくない。その辺を突いてくるあたりは、長塚さんだなあとも思い、しかし身に覚えのありすぎることでもあるので、意外感はなかった。その辺が物足りなさを感じた原因かも。

見終わって改めて豪華なキャストだったなあと思ったが、観ている間は普通に阿佐スパを観ている気持ちになっていたのは、長塚さんの演出手腕なのかな。いっけいさん&じゅんさんのコンビも良かったし、小林高鹿さんは「なにもない穴」でもそうだったけどいやな役がとてもうまい。吉本菜穂子さんのふんわりした存在感もすごく効いてたなあ。そしてなにより女性陣4人、高橋由美子・馬渕英里何・千葉雅子・高田聖子が素晴らしかったですねえ。高橋さんの終盤の迫力、異様な狂気を感じさせる声は素晴らしかった。馬渕さんもなかなか難しい役所でしたがオープニングから引き込んでくれました。千葉さん、高田さんはねえ、言うことなし。二人のファイトは見応えあった。女同士ってつかみ合いすると、絶対髪の毛から行くよね。その辺のリアルさも素晴らしい(笑)さらにそこへ襲いかかる高橋さんの一喝は迫力においてもその言葉の意味においてもこの舞台のハイライトだったなあと思う。

「虚飾の町に別れのキスを」 M.O.P


2004/07/31  京都府立芸術会館  6列24番
作・演出  マキノノゾミ


3年前の舞台「黒いハンカチーフ」をハリウッド版に書き直して再演。どうしてハリウッド?とか、名前がややこしいよとか、外国人ちっくなリアクションがちょおおおっと鼻につくとか、いろいろあるけどでも基本的に良くできたお芝居だと思う。3年前も楽しかったし、今回も楽しんだ。
そしてすいません。
この舞台で私が語る言葉はもう「萌え」しか見つけられない。
だって小市さんが素敵すぎるんだもん。
思えば3年前の黒ハンで同じ役の小市さんにずっぱりもっていかれているんだから今回持っていかれないわけがないじゃないですか。好みすぎるんですよ全てが。もう登場シーンの第一声からふあああああ!きたああああ!てなもんであった。声良すぎ。仕草格好良すぎ。帽子似合いすぎ。笑顔可愛すぎて失神。ちょびひげ可愛すぎて失神。シャンパン注ぐ仕草に失神。ああもう、そのシャンパンをあたしにそそいでえええ!!!(お母さんこの人怖いよー!)

脚本も事細かに変えてはあるんですが、黒ハンでは担ぎのフジケンの息子が三上さん(の演じる役)で、小市さんはその親父の昔の仲間ってことになってましたが、今回は三上さん自身が元詐欺師という設定。いや、そうだよねえ、じゃないと年齢的にちょっとねえ。いやしかし、この変更がまた実にツボなんだ!頼む、だれかこの二人主人公にしてコン・ゲームの翻訳推理小説書いてくれ!つーかもうこうして思うと小市さんの役所そのものがもうツボなんだよな。完璧主義のナンバー2。おいしすぎる。

基本的にキャストの皆さんも初演と変わらず安定感はばっちり。三上さんも、もちろんいいのよーーー!奥田さんもかわいかったし。ああ、この芝居の男達好きだ・・・!久しぶりに額にじんわり汗をかいてしまうほど萌えに燃えたよ!罪な男だ、小市さん!!

「MIDSUMMER CAROL〜ガマ王子v.s.ザリガニ魔人」


2004/07/30  シアタードラマシティ  18列1番
作 後藤ひろひと  演出 G2


まったくネタバレを考慮していない感想ですので、未見の方は避けた方が吉。ネタバレ見ずに見た方が、面白さ倍増です。

大王は、最初「ガマ王子vsザリガニ魔人」というタイトルだけにしたかったんじゃないかなあ。これじゃなんだかわからないから、ってことでMIDSUMMER CAROLっていうのをタイトルにしてガマ王子の方を副題にしたような気がしないでもない。いいタイトルなのになあ、「ガマ王子vsザリガニ魔人」。この芝居を観た人だけが「いいタイトルだなあ」と思えるというのが、素敵だと思うんだけれども。

ディケンズの「クリスマス・キャロル」さながらな骨格に大王テイストな味付け満載。後藤さんの持つ独特の毒味は薄目とはいえ、こういうテイストは大好物であります。1幕のラストと2幕のラストでまんまと泣いた。1幕のラストはとにかくな、なんて卑怯な!という飛び道具が10分間ぐらいに立て続けに襲ってきたので呆気なくノックダウンな私。「この本でなきゃダメなんだよ」「お誕生日おめでとう、毎日読んでね」「パコ、きょうおたんじょうびなんだよ!」「あなた言ってあげましたか、触ったんじゃない、殴ったんだって。」「涙の止め方を教えてくれ」・・・・立ってられるわけないだろう。セコンド!タオル!ってなもんであった。

二幕劇中劇のドタバタはちょっと騒々しいがわたしはこういう盛り上がりが大好きなのである。木場さん演じるガマ王子が歌舞伎風に見得をきってくれるところ、ヤゴが場違いに飛び出してくるところ、そして伊藤くん演じる室町青年のザリガニ魔人登場、あ瀬戸カトちゃんの魔女もだ、んもー拍手拍手で楽しんだ。滝田青年は途中から姿を消したのでああ、こうやって出てくるなと思いつつ出てきてやっぱり感動しているオメデタイ私。しかし一番好きなのは幕切れなのです。この本を読む方法がたったひとつだけあるよ、と言われて父親に電話をかける青年。その部屋に浮かび上がる数々のカエルのぬいぐるみ・・・それが「これがなくても、あの出来事を忘れたりしません」という台詞とシンクロしてみえて胸に迫った。

記憶というのは人をつくるもので、今ここにいる私も多くの記憶から成り立っていると言える。パコには昨日がなく、明日がない。毎日が誕生日だ。大貫は彼女の心の中に存在したいと言ったが、それは彼女に「昨日」をあげることでもあった。きみには昨日があって、今日があって、そして続く明日があるんだと。「お前が俺を知っているというだけで腹が立つ」を口癖にしていた大貫は、永遠に自分を知ることのない少女と向かい合って初めて、「誰かを知る」ことの重さに気がついたのだろう。

大貫とパコ、光岡と室町というのは本来なら物語の両輪という気がしますが、大貫の再生の鮮やかさに較べて若い二人の方のインパクトが薄かったのは演じ手の問題か脚本のバランスなのか。ネタ的にはかなりぐっとくる部分がこの二人にもあるんですけど、ちょっと消化不良な感じ。「弱くなった」と自称する大王ですけれどもいやいやどうして、普通の作家なら最後はああはしないでしょうよ(笑)まあでもそれでより「泣かせ」テイストが強くなってしまったのを「弱くなった」と仰っているのかもしれないですけれども。っていうか後藤さんが私とそう年が変わらないというのがなにげにショックでした。絶対もっと年上だと・・・(汗)

キャストですが、木場さんと山崎さんに全部!でも個人的にはいいぐらいの感じです。いやもう言うことなし。さすがです。全編木場さんの独壇場と言ってもいいがそれを支える山崎さんも負けず劣らず素晴らしい。一幕最後の二人のシーンは飛びきりの名シーンであったと思う。山内さんはもう、二幕はずるいよ(笑)まったくすばらしいかっさらいぶりであった。片桐さん、イヌコさん、瀬戸カトちゃん、小松さんも実に手堅く。初舞台組の伊藤英明さんは役のおいしさもありますが、ダメな男っぷりもなかなかどうしてはまっていて、2幕の劇中劇での登場はまさに待ってました!という感じ。舞台に華を添えてくれる存在でもあったしね。もうおひとりの初舞台組長谷川京子さんは、まあ甘めに見てもプロの中に一人だけちょっと気合いの入ったアマチュアがいるという印象が最後まで消えず。というより、光岡の核となるシーンの多い後半になればなるほどそれが目立ってしまった。いやまあ初舞台だからねえ。ああ、自分は下手だなあ、ダメだなあというのを自覚してこれから頑張って欲しい。最初は誰でも下手なんだしね。

チケットを取るときから「なんでこんなタイトルなの?」と思い芝居を観て、最後に作家が「もっとマシなタイトルにすれば良かった」というのを笑いながら聞いて、でもいや、なかなかにいいタイトルですよ・・・と客席でほくそ笑む、というのが美しい構図、のような、気がする。どうなんでしょうか、大王様(笑)

「レンズ」  小林賢太郎プロデュース


2004/07/24  シアタードラマシティ  9列12番
作・演出 小林賢太郎


小林賢太郎プロデュースも4作目。今回は、椎名林檎さんの「百色眼鏡」(って、PVかと思ってたら、一応短編映画だったのね)の設定を頂いて、小林さんが書いた脚本。ちなみに百色眼鏡はワタシ見ていません。

イヤになるくらいに手堅く、「ちゃんと」面白い舞台。1時間半という素晴らしい上演時間で、図書館における本の消失という謎を解き明かすミステリーもとい、コントミステリー(笑)。元ネタのこともあって、もっとシビアな世界を描くのかと思いきや、笑い部分もかなりありましたね。どう考えても謎解きは主軸じゃないですな。ある本棚の本だけが消えるなんて、その本棚の裏に何かあるからだってすぐに思いつくだろう。それこそ「丸出し」である。一番脚本として苦しいなと思ったのはその点に登場人物がなかなか気がつかない点であった。でも相変わらず伏線のはり方、散りばめられたキーワードがきれいに拾われて行くところはさすが。理数系の脚本だなあと思います。オープニングの影絵の演出と舞