ゆうまとゆうまパパの暇な、ぶらぶらした時間。
ゆうまぶらぶら記
-My diary / poem-

 


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●パパと呼んで

 

テレビ番組「光とともに」を先日見ていました。
自分の子供が自閉症というわけのわからない障害だとわかり
子供の言葉や行動が明らかにおかしいことが分かってくる。
頭で理解したつもりでも、心が、体がそれを拒否している。
回りの視線や言葉が五寸くぎで打ち込まれていくように痛い。
なんとかこの子を元に戻そうとする。迷惑をかけないようにしようとする。
それより最も恐れることは、この子は自分をどう認識しているのだろうか。「おとうさん」と理解しているのだろうか。この子にとって自分はなんだろうか。
その答えが見つからない時、
なさけない程、うろたえ、絶望という暗闇に落ちていくのです。
言葉がこれほど重要で根幹をなすものとは・・・。
考えてみればそうです。
私達は「言葉」で物事を認識しています。自分自身を言葉に置き換え、確認し、そして存在しているわけです。まわりのすべて、ひとつひとつ、微々些細なことまで、言葉で確認し、安定しているわけです。
ゆうまには言葉が一切ありません。言葉をもっていないわけです。
「ぱぱと呼んで」と昔、何回も言いました。呼んでほしい。呼べ。
呼べないわけないだろう・・・と。
いま、ゆうまは、ぱぱと呼んでいます。
心で、彼は、私に「ぱぱ」と呼んでいます。
いつからか、私に「ぱぱ」と聞こえてきました。だんだん、はっきりと聞こえてきました。ありがとうゆうま。おとさんにははっきり、聞こえるよ。
そう、ぼくは、まぎれもなくゆうまのぱぱになったのです。

ゆうまパパ誕生でした。