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第一章(2)・怒りの密航者<前編>

「ありがとうキズ男。わざわざ送ってくれて」
 リルムはそっけない顔で手を振った。
「やれやれ。未来の花嫁は随分とキツイ女だ。もらう男も苦労するだろうな? 俺でよかったらどうだ??」
 顔中が小さな傷だらけの銀髪の男が、ニヤリとすました笑みを浮かべてリルムを見る。
「あたし結婚なんかしないわよ?」
 そっけない顔のままでそっけなく答えると彼女は背を向けて、フィガロで着ていたドレスや愛用の絵筆やスケッチブックなどを詰め込んだ鞄を手に、無愛想な黒い老犬と共に大地の草原に降り立った。
 傷だらけの男はリルムと共にいた老人と目を合わせ、やれやれといった顔で老人と互いに溜め息をつくと操縦席の木製の舵輪を握り、片手で別れのサインを送った。
 やがて草原から一隻の飛空挺が飛び立った。吹き上げる風の中でリルムは祖父のストラゴス・マゴスと共に、その遠ざかってゆく飛空挺を見送った。飛空挺はやがて青空の中へ消えた。
 飛空挺が消え去った後の草原には潮の匂いを含んだ、いつもの変わらない海からの風が吹いた。此処の風は今日も優しく彼女を受け入れた。リルムの長い金色の巻き毛はその風に柔らかくなびく。
 リルムの手には美しい白い薔薇の花束が握られていた。それはフィガロ国王妃となったティナが祝福喝采を挙げる国民たちの中に投じたもの。落ちたのは偶然なのか、それとも必然だったのかリルムの手の中だった。リルムは一瞬唖然とした。騒ぐ民衆たちを除けながら、すぐさま肩にまとっていたヴェールで花束を隠し、その場を走り去った。
 結婚式の後リルムをはじめとする、かつての運命の仲間たちはフィガロで一泊した後、今朝それぞれの帰路についた。
 国王夫妻のエドガーとティナは「もっとゆっくりしていってもいいのに」と言って滞在を求めたが、皆は二人の甘い新婚生活をこれ以上邪魔する訳にもいかないと出国の意を伝えたのだった。
 いつまでも堅苦しいドレスに身を通している事を嫌う彼女は式が終われば、さっさと普段着に着替えていた。彼女の普段着は赤いベストの下に袖のない黒く短いワンピース、その腰には白い上着を巻きつけているという動きやすい軽装。両腕は薄い黄色のリストバンドで覆っている。
 十五歳の彼女は身長もぐんと伸びて、その体型はほっそりとしており、十歳の頃と比べると随分クールそうな印象を受ける。
 だが変わらないものもあった。それは頭の上に着けられた赤く大きなリボンだ。このリボンを着けている事で彼女はまだどこか幼い雰囲気も残していた。
 リボンは四年と五ヶ月前、リルムが破って放置していたものをティナが縫い直してくれたものだった。ティナによって新たな手も加えられ、そのリボンは生まれ変わった。赤いリボンの上には細く編まれた紐で結ばれたリボンも縫い込まれて二重の作りとなっている。
 一度は自分の手で破ってしまったが、元々は顔も知らない亡き母親が生まれてくる自分のために作ってくれたものであり、そしてティナの想いとの二つの愛情がこもったこのリボンは、彼女にとって大切な宝物だ。だからリルムはリボンを手放さない。
 そして左手の薬指には銀色の指輪が光る。フィガロでの結婚式の時にも着けていた、あの指輪。もちろん彼女が結婚している訳ではない。これは彼女のもうひとつの宝物。母の愛が宿る形見の指輪である。
「さーて、ウチに帰るか」
 リルムは背伸びをして歩き出した。老犬・インターセプターもゆっくり、その後を歩き出す。
「お前は花嫁の花束を手にしたというのに、随分と冷めた顔をしておるのぉ?」
 ストラゴスは以前より更にシワの深くなった顔を、怪訝そうにリルムに向けた。
「言ったでしょ? 結婚なんかしないって」
「結婚は女の憧れじゃゾイ。お前だったらキャーキャー喜ぶ気がしたんじゃがのぉ?」
「もう幾つになったと思ってんのよ? あたしはそんなガキでもないわ? それにジジイ一人を置いてヨメになんて行ける訳ないでしょ??」
「ワシの事なら心配せんでもいいゾイ。お前にはお前の人生があるのじゃからな?」
「そんなんじゃないよ。あたしは誰かを悲しませるような事はしたくないだけ」
「悲しませる? お前の結婚で誰かが悲しむと言うのかゾイ?」
「問題はその後よ。あたしがあたしの子供を置いて、勝手にいなくなっちゃう事ぐらい平気でしそうだから。あたしの父親がそうだったみたいにね」
「リルム……お前は何を言い出すゾイ?」
 一層白くなった眉をひそめてストラゴスはリルムを見る。
「つまりこういう事よ。誰かが悲しむ位なら結婚なんて最初からしない方がマシ。だからあたしは一生ひとりで生きていたいの」
 リルムは祖父にニッコリ微笑むと、さっさとその前を歩いていった。

 ワン!

 突然インターセプターが一声吠えた。何処かから人々がざわついている声を耳にしたのだ。
 彼はリルムよりも二年ほど長く生きており、人間ならばもう九十にも百にも手が届くであろう。以前のような力強さは年齢と共に衰えてしまっていたが、老犬のその貫禄は周囲の同じ犬たちですら寄せ付けないものを放っていた。老いても耳は敏感に働いたし、鼻もしっかり機能している。主人であるリルムに不審な者が近付くような事があれば、牙を剥いて吠え掛かる事も辞さない。
 リルムにとっても彼は、かけがえのない親友であり父親でもあった。
 インターセプターが耳にした、そのざわめきはリルムの耳にも届いた。
「おじいちゃん、どっかで何かあったみたいよ? 定期船の船着場の方みたい」
「船着場? まさか密航者でも見つかったのかのぉ?」
「面白そうね? 行ってみよ??」
 リルムにも人間の内に潜む野次馬本能が働いたらしい。ワクワクした面持ちで船着場の方向へ駆け出した。その後をインターセプターが、そしてストラゴスが慌てて孫娘を追った。
 船着場では定期船を利用して此処に降り立った者たちと、反対にこれから此処を発とうとする者たちという大勢の人々が輪を作っていた。その輪の中心からは、こだまするかのような大声が聞こえてきた。
「だからオレは密航者じゃねぇって言ってんだろ!」
 密航者。ストラゴスが冗談半分で述べた事はどうやら見事に当たっていたようだ。
 聞こえてきたのは子供の声だった。リルムは人だかりの輪の中を割って入る。輪の中心まで出ると、そこでは十歳前後の少年が四十半ばぐらいの荒々しい風貌の定期船の船長に襟首をつかまれ、尋問を受けている真っ最中だった。
「だったらお前はどうして樽の中なんぞに入ってたんだ? 密航以外に理由がねぇだろ!」
 その光景を目にしたリルムは、隣にいた見物人たちに詳しい事情を聞いてみる。返ってきた答えはこうだ。
 アルブルグから出航してきた定期船に積み込まれていた、この数年の訪れる者たちの増加によって此処からも外部への発注が増えたらしい、商売用の売り物である食物や酒などが入った箱や樽といった重荷を運び出そうとしたところ、中から何かが叩いているような音がする不審な樽が見つかったという。調べようとしたら突然、蓋を破って人が出てきた。それがあの少年だったらしい。
「家出少年ってワケか?」
 リルムはフムフムと頷く。子供なら誰もが一度は家出に憧れるものだ。あの少年の場合は海を渡る大規模な家出を決行したのだろう、と勝手に納得した。
 少年は、まともに手入れもしてなさそうなボサボサにはねた栗毛色の髪と、大きな鳶色の瞳が印象的だった。首にはゴーグルを、肩には大きな鞄を掛け、腰まで伸びた赤茶色の短いマントを羽織っている。その腰には護身用のものであろうダガーナイフも差しており、家出少年に見えない事はない。
 その少年と中年の船長の尋問のやりとりは、まだまだ続いている。
「さっきから言ってんだろ? オレの相棒が勝手にあの樽ん中に詰め込みやがったんだって?! オレが自力で樽から出てきたら、こんな見知らぬ土地にたどり着いてたんだって何回言ったら信じてくれんだよっ!!」
「じゃあ、その相棒とやらはなんで此処にいないんだ?」
「アイツは無責任な奴なんだ。勝手にいなくなるような事なんて平気でするんだよ!」
「そんな話、信用するとでも思ってるのか? どうせ家出でもしてきたんだろう?? おい、このガキを連れていけ!」
 船長の横で立っていた身体中が日焼けした腕力の強そうな逞しい若い助手が、その少年の腕をつかんだ。
「オイ! どこ連れてくんだよ!!」
「詳しい話は船の中でじっくり聞かせてもらおうか? お前はアルブルグに連れ帰って家出少年および密航者として引き渡す。それでいいな?」
「ちょっと待てよぉ! ……うあーーん! オレは何も……何も悪い事なんてしてないのにぃーーっ!! うあーんうあーーんっ!!」
 少年は大声で泣き出した。周囲の見物人たちがヒソヒソと小声で囁きながら船長と助手を冷ややかな視線で見る。その場は一気に気まずい空気に包まれた。
「まあまあ、子供なら誰でも手を出してしまう事があるじゃろうて?」
 その空気を破ったのはなんとストラゴスだった。
「おじいちゃん?」
 リルムは驚いて前に飛び出す。
「それにその子は違うと言っておる。子供は正直じゃゾイ。密航者と決めつけるのは、ちと気が早すぎんかの? ここはこのジジイに免じて勘弁してやってはもらえんかゾイ?」
「しかしなぁ、ジイさん……」
 少年は下を向いて片手で顔を覆い、まだ泣いていた。ストラゴスの横に立っていたリルムに一瞬その少年の瞳が見えた。その瞳がキラリと光った気がしたのを彼女は見逃さなかった。何かある。リルムの勘が働いた。
「運賃はいくらゾイ? 金さえ払えば密航にはならんじゃろ?」
「まあ、そりゃあそうだがなぁ……」
「運賃はワシが払おう。次の船が出るまで、その子はワシが責任を持って面倒をみる。それで文句はないじゃろ?」
「あ、ああ。じゃあ運賃は三千ギル。払えるかジイさん?」
「ほれ、くれてやるわ!」
 ストラゴスは懐に掛けていた黒いガマ口の財布から千ギルの紙幣を三枚取り出すと船長に渡した。
「いいの、おじいちゃん? ホントにこの子を二日も預かるの?」
 リルムは小声でストラゴスに耳打ちする。アルブルグへの次の船が此処を訪れるのは二日後の今頃なのだ。
 三年ほど前から、長年どことも交わりを持とうとしなかったこの地にも、遠く海を隔てたサウスフィガロ、そして港町ニケアを往復する定期船が次々と開通した。一年前からは港が復興されたアルブルグも加わり、その数はそれぞれの街から二、三日に一本という割合で此処を訪れ、そしてそれぞれの街へ発つ。
 利用者の殆どは観光者であり日に二、三十人ほどの人間が訪れる。観光目的で此処を訪れた者たちには丁度よい位の間隔であろう。
 長年を此処で暮らしてきた者たちはというと、大概の者は外に出る事を嫌い、よっぽどの事がない限りは利用する事もない。住人に年配の者が多いという事もあろうが、それ以前に長きに渡って外と隔たりを持って生きてきた者たちでもあった。
 やはり彼等の多くは、他所者が多く訪れるようになった事に最初はよい反応を示さなかったのは事実である。確実に世界が変わっていく中で、此処も変わらないではいられない。
 これも仕方のない事なのだ、新たな世界を築くためにも此処も一役買おう、辺ぴなこの村にとってもよい『村おこし』になるではないかと、ある者は前を見て受け入れ、ずっと隔たりを持つ事によって、平穏に暮らしてきたものを突然変えろと言われても無茶な話だと、ある者は納得できないまま、半ばあきらめ気味に受け入れつつある。
 彼等が長年この地で守り続けてきた『秩序』とも呼べるものは、四年と五ヶ月前に跡形もなく消え去った。それは彼等にとっては当たり前だったはずのもの。それがあることによって彼等は外部との隔たりを作り、他所者を常に拒んできた。しかしそれがなくなり何の意味も持たなくなった今、彼等は変わらなければならなかった。しかし世界と共に変わってしまったその現状に、抱いた戸惑いを捨てきれないでいる者は未だに多く存在するのだ。
 尤もこの老人と孫娘の場合は、この現状を受け入れられる程の余裕は持ち合わせていたようだが。それも彼等がかつて体験した事が大きく影響しているのだろう。
「言ってしまった以上は仕方ないじゃろう? それにこの小僧、ちょっと前のお前みたいで他人事とは思えんのじゃゾイ」
「似てる? あたしとこの子が??」
 リルムは目を丸くして少年を見下ろした。
 船長は受け取った紙幣を確認すると溜め息をついて、うつむいて泣いたままの少年を見て言った。
「そういう事だ。命拾いしたなボウズ」
 船長のその言葉を聞いた瞬間、少年は顔を上げ立ち上がった。だがベソをかいた顔ではない。一転して満面の笑顔となっていた。
 やっぱりウソ泣きか。リルムは目の前の少年に対し、ニヤリと軽く笑みを送った。
「ホントか? よかったぁ〜〜! でもよぉ、次の船って事はその時またオッサンたちここに来んのか?」
「そりゃ、それが俺たちの仕事だからな? 次に此処に来るのは明後日だ」
「だったらその時にオレを密航者に仕立て上げた恩知らずの相棒を、テメェらの前に突き出してやる! ソイツを白状さしたら、オレが密航者なんかじゃねぇって認めろよな!?」
「ああ。連れてきたらな。んじゃまた明後日に会おうぜボウズ?」
「よし! じゃあ、あさってを楽しみにしてろ!!」
「ハイハイ。解った解った。んじゃまたな」
 船長はそう言って上げた右手を振りながら、若い助手と共に船に乗り込んでいった。少年は舌打ちして、彼等に向けて親指を下に向けたサインを送った。
 周囲にたかっていた見物人も騒動が収まると、足早にその船に乗り込むか目的地の村に向かうかして去っていった。
「気が済んだかゾイ、小僧?」
「小僧じゃねぇよ、オレはレンブラント・サンティオって名前があるんだ! みんなからはレンって呼ばれてるけどな?」
 少年……レンの声は元気そのものだった。一方でどこか大人びたものも感じさせる、普通の子供ともまた違った声だ。
「ホイホイ。ではレン、おぬしの宿に参るかゾイ?」
「ありがとな、恩にきるぜジイさん。ま、ジイさんに助けられるなんて展開は、ありがちすぎて笑っちまうけどな? 本音を言えばホントはここで、美人なお姉さんか未亡人あたりに助けられたかったんだけど、命を助けてもらった以上は文句も言えねぇ。しばらく厄介になるけど、ジイさんヨロシク頼むぜ?」
「ワシにもストラゴス・マゴスという名前があるゾイ。しかしよく喋る小僧じゃのぉ? 口は一人前のようじゃゾイ」
「ちょっとぉレン君。お姉さんなら、ここに一人いるんだけどなぁ?」
 リルムが小さな怒りを含めた声で、しかし軽く愛想笑いを浮かべた顔でレンと名乗った少年を見た。
「……ジイさん、アンタの孫娘か?」
「ああ、そうじゃゾイ? 全然似てはおらんがのぉ。リルムというんじゃが、もしやおぬし気に入ったか??」
 レンはリルムを何度も小さく頷きながらじっくりと見た。その眼差しは、まるで店先でじっくりと売り物の品定めをしている客のようだ。突然レンはその右手をリルムに向けて伸ばした。
「?!」
 リルムは唖然として言葉を失った。レンが伸ばした右手はその胸を軽く掴んでいた。相手が子供とはいえ異性の者に胸を掴まれたのは彼女にとってそれが初めてだった。
「……うわ。全然ダメじゃん? オレの言ってるお姉さんってのはグラマーな美人のことだよ? お前はせいぜい小娘だな」
 掴んでいた手を戻すと、すました笑顔でレンは答えた。その態度に子供だからといって許せるという範囲は、既に彼女の中では超えてしまった。リルムの激しい怒りが心底からこみ上げてくる。
「……あたし小娘じゃないわ。あたしはリルム・アローニィ。覚えときなさいクソガキ?」
 クソガキ。その言葉にレンは大きく反応したらしく眉がピクリと動く。すました笑顔から一転し、彼もまた怒りの表情をリルムに向けた。
「誰がクソガキだコラ? オレはレンだっつってんだろが?」
「ガキって身分を大いに利用しようとしてるの見え見えなのよ? ガキだからって誰でも見逃してくれるって思ってたら大間違いよ?」
「うるっせぇな貧乳女の分際で?!」
 二人は睨み合った。ストラゴスは慌てて、その間に仲裁に入る。
「まぁまぁおぬしら、子供同士がムキになっちゃいかんゾイ?」
「おじいちゃん?」「ジイさん?!」
 リルムとレンの声は同時に重なった。
「ほれ、喧嘩しておる暇があったら、さっさと行くゾイ!」
 ストラゴスは尚も睨み合う二人の背中を後ろから押した。

第一章(1)・砂漠の花嫁<後編>
第一章(2)・怒りの密航者<後編>

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