全国地域人権運動総連合
   

   

 全国人権連 > 教育・啓発 > 人権教育指導方法のあり方について意見提示

人権教育指導方法について、全国人権連が意見を提示

              

 全国人権連は11月18日付で、文科省の「学校における人権教育の指導方法等の改善・充実」「学校及び教育委員会における研修等の取組」を主な柱立てとする「人権教育の指導方法等の在り方について」(第二次とりまとめ)、意見を提示しました。

 第一次の時にもふれた基本的な理念に係わる内容について、子どもの権利条約に関わり学校教育の権利主体である児童生徒の「権利教育」が国連から要請されていることを先ず指摘しました。  今回は、「教育を受ける権利」を、義務ではなく権利であることを明確にすることや、「児童生徒や教職員の権利が擁護され」と、主体の権利も明確に位置づけることも求めました。

  また、「教育の中立性の確保等」の項に係わって、係争中である「狭山裁判」の教材化、部落差別の陰湿・固定化論にたち部落問題をはじめ社会問題解決の態度育成を方針に実践する偏向教育、行政・教育委員会が一体となって地域住民や学校に「人権教育」の研修会開催を強要する事態、「同和」地域の巡回などが部落問題解決の実態と乖離した「差別の強調」や児童生徒に「部落民宣言」強要につなげるなど、勝手な身分暴きや身分の暴露という法に反する事態の抜本的改善も求めています。

 さらに、義務教育費国庫負担制度の堅持や管理統制と競争強化に反対する「全教見解」も示しながら、不安定な教員身分や数多い研修と煩瑣な報告などで児童生徒とゆっくり向き合う時間が作れない実態も提示し、教職員の自主研修の確保に留意することも強く指摘しています。(詳細は月刊誌「地域と人権」06年1月号に掲載します)


2005年11月18日
全国地域人権運動総連合議長 石岡克美

人権教育指導方法の在り方について。第二次とりまとめ案に対する意見

 第二次とりまとめは、「学校における人権教育の指導方法等の改善・充実」「学校及び教育委員会における研修等の取組」が主な柱立てである。

 第一次の時にも意見を出したが、基本的な理念に係わる内容について、子どもの権利条約にもふれながら、学校教育の権利主体である児童生徒の「権利教育」が国連から要請されていることを説いた。(別掲1)

  第二次についての意見であるが、第一次の意見をあらためて検討していただきたいこと、また、それをふまえて次の通り指摘するものである。

 第1に、7頁3・4段落目にある、「人権教育は、教育を受けること自体が基本的人権であるという大原則の上に成り立つ」とある点は、「教育を受ける権利を大原則に成り立つ」と、義務ではなく権利であることを明確にし、「学校・学級の在り方そのものが人権教育の基盤をなす」との点は、「児童生徒や教職員の権利が擁護され、学校・・・」と、主体の権利も明確に位置づける必要がある。

  第2に、31頁(3)教育の中立性の確保等の項に係わって、現実には係争中である「狭山裁判」の教材化、部落差別の陰湿・固定化論にたち部落問題をはじめ社会問題解決の態度育成を方針に実践する偏向教育、行政・教育委員会が一体となって地域住民や学校に「人権教育」の研修会開催を強要する事態、特定の解放理論を教育現場に持ち込み公教育破壊に手を貸す教育運動組織に教員が研修名目で派遣されているなど、特定の「解放運動団体」との癒着はいまだ目に余るものがある。

 同和問題に関わる学外の有識者や「人権問題の精通者」を招いての「人権」研修や「同和」地域の巡回などは、部落問題解決の実態と乖離した「差別の強調」や、児童生徒に「部落民宣言」強要につなげるなど、勝手な身分暴きや身分の暴露という法に反する事態さえ見られる。

 こうした事態を改善するには、単に「指導方法」の問題で解決できるものではないこと、場合によっては行政機関による指導通知を求めることも必要であるとの点も明記していただきたい。

 最後に、「ゆとり教育」は多くの児童生徒の学ぶ意欲を減退させ、学校が「学舎」ではなく、知識の伝達も必ずしも十分になされてはいない。児童生徒に見られる様々な病理現象は、低年齢化し、ひこもりや「ニート」が増大している。 主権者を育てる教育活動は徹底して人権擁護の立場でなければならないが、人権が軽んじられている社会・学校の中にあって、一人一人のかけがえのない「人権」を自他共に理解できるように、ていねいな対応が求められる。 それは、別掲2の全教見解でふれられているように、教職員の権利とも密接な関わりがある。 不安定な身分や序列・管理強化、数多い研修と煩瑣な報告などで児童生徒とゆっくり向き合う時間が作れないのが実態である。 教職員の自主研修の確保に留意しての研修計画となることを強く求めたい。

 さらに、来年度以降に始まるとされる「個別人権課題の内容の深化」に向けた「第三次とりまとめ」に係わっては、「国内行動計画」に示されている「差別問題」に限定せず、憲法に規定されている基本的人権の理解が深まるよう、また、国連が提起しているように、女性や高齢者、障害者などの社会的弱者の教育を受ける権利が重要であることが理解できるような課題の選択と配慮・援助の具体化をすすめ、同和問題については政府も特別対策を終結し一般対策に移行した事実や人権侵犯に占める課題の大幅減少という現実をを重視し「陰湿・固定化」論を排除するなど変化に即したとらえ方を示すことを強く要望する。

 以上


<別掲1資料>

人権教育の指導方法等の在り方について
(第一次とりまとめ・案)に対する意見

上記の文字列をクリックし、リンク先をご参照ください。


<別掲2 参考資料>

【見解】2005/10/27 

『中央教育審議会「新しい時代の義務教育を創造する」答申について』

2005年10月27日 
全日本教職員組合 中央執行委員会

 中央教育審議会(以下、中教審)は、10月26日に総会を開き、「新しい時代の義務教育を創造する」という答申(以下、「答申」)を決定しました。

 この間、中教審義務教育特別部会の議論は、そのほとんどが、義務教育費国庫負担制度をめぐる議論に費やされたといって過言ではありません。「答申」は義務教育費国庫負担制度については、「現行の負担率2分の1の国庫負担制度は優れた保障方法であり、今後も維持されるべきである」として、2分の1負担率もふくめてこの制度の維持を答申しました。

 全教は、義務教育費国庫負担制度は、憲法・教育基本法にもとづく、国民の教育を受ける権利と教育の機会均等の大原則を財政的に保障する根幹の制度であり、この制度の維持・拡充を求める立場から、広範な父母、国民のみなさんとともにとりくみをすすめてきました。 また、中教審義務教育特別部会がおこなった意見聴取に際しても、憲法・教育基本法を守り生かす立場から、この制度の維持・拡充を求める意見表明をおこなってきました。 中教審が義務教育費国庫負担制度維持の答申をおこなったことは、こうした私たちのとりくみとともに、この制度の維持を求める父母・国民のみなさんの強い願いととりくみの反映であり、重要な成果です。

 しかし、今回の中教審の審議に際しても、首相官邸の側から廃止の答申を出すように再三圧力が加えられたり、「答申」後も、これを無視して国庫負担金を削減する方向がすでに述べられたりしており、事態は重大です。 今後、予算編成を控え、重要な段階を迎えることは必至であり、首相官邸側からの圧力に抗して、中教審にこの制度の維持という答申を出させるという到達点を築いた父母・国民の世論に依拠した運動が、さらに求められます。

 私たちは、この到達点に立って、父母・国民のみなさんと力をあわせて、義務教育費国庫負担制度の縮小・廃止を許さず、維持・拡充を求めるとりくみを今後ともいっそう強める決意です。

 しかし、答申全体は、憲法・教育基本法にもとづいて戦後打ち立てられた義務教育を、制度、内容、条件を含め、その全体にわたって根底からゆがめる重大なものとなっています。 しかも、そうした重大問題をほとんど議論もせず、事務局案をほぼそのまま盛り込む「答申」となっており、きわめて無責任と言わなければなりません。

 「答申」は、子どもと教職員、学校に対して、競争と管理強化と格差づくりを一体的にすすめるものとなっており、「構造改革」路線の教育における具体化そのものです。 そのことを前提に、以下、いくつかの重大な問題点を指摘するものです。

 第1は、子どもたちを競争によっていっそう追い立て、追いつめ、子どもと教育の困難を広げるものであるということです。
 「答申」は、「全国的な学力調査の実施」を打ち出しました。全教は文部科学省が2006年度概算要求に2007年度からの「全国学力テスト」実施を前提とした準備予算として42億6742万円を計上した段階で、9月6日に、「競争意識の涵養」のためにおこなわれる「全国一斉学力テスト」のすべての子どもへの押しつけは、子どもたちの学力向上につながらないばかりか、いっそう競争をあおり、子どもたちの成長に取り返しのつかない弊害をもたらすもの、と指摘し、「全国的な学力テスト実施に反対する」という教文局長談話を発表しています。今回中教審が「全国的な学力調査の実施」を答申したことは、子どもたちへの競争強化という文部科学省の方針をあと押しするばかりか、督励するものです。 私たちは、こうした「答申」の具体化をゆるさぬとりくみを、父母・国民のみなさんとともにすすめる決意をあらためて表明するものです。 また、中教審は、「学習指導要領の見直し」を答申しています。 私たちは、現行学習指導要領は、子どもの学力形成にとって大きな問題があるものであり、学習指導要領を押しつけることをやめ、子どもに学力を身につけさせるものへと見直すことは必要であると考えています。 しかし、今回の「答申」における「見直し」が競争強化の文脈の中でおこなわれるのならば、すべての子どもに基礎的な学力を、と願う多くの父母・国民の願いに逆行する重大な問題をひろげると考えます。 今後の見直し方向を注視しつつ、子どもの学力形成のためのとりくみに全力をあげたいと考えます。

 第2は、学校と教職員に対する競争と管理統制をさらに強めるものであるということです。
 「答申」は、学校と教職員にかかわって、「教員免許更新制」の導入、「教員評価の改善・充実」、新たな中間管理職としての「主幹」制度導入の検討、あわせて、教員におけるエリートづくりとしての「スーパーティーチャー」の導入、「学校の自己評価結果の外部評価及び第三者機関による全国的な外部評価」などの導入について述べています。 これらの諸施策は、学校と教職員に対するにほかなりません。 教育を前進させるためには、教職員の自主性と自主的権限が尊重され、闊達な教育活動が展開できるような条件整備をおこなうこと、各学校がもっている教育課程編成権をはじめとして、学校の自主性の尊重のもとに、教職員の集団的な教育力を発揮することこそが求められています。 「答申」が述べる諸施策は、これに逆行し、教職員を萎縮させ、学校の主体性を損なうものと言わなければなりません。

 第3に、権利としての教育を公共的に保障するべき義務教育制度の全体を大きく変質するものとなっていることです。

 「答申」は、諮問段階で出されていた「6・3制の地方ごとの弾力化」については、見送ったものの、「設置者の判断」による「9年制義務教育学校の設置」の「検討」について言及しています。
 そもそも、6・3制は憲法第26条が規定する子どもの教育を受ける権利=学習権を保障するために、教育基本法第3条が定める教育の機会均等の大原則を学校制度として保障するものです。 そのため、教育基本法第4条が定める義務教育を実施する単線型学校制度の基準として、学校教育法によって全国統一的に定められ、戦後50年以上にわたって定着してきているものです。
 「9年制義務教育学校」は、結局、一部の学校を小中一貫校とすることによって、国の統一的義務教育制度としての6・3制を崩すことです。 これは、小学校段階からの学校制度の複線化を意味するものであり、「差別・選別」の教育を学校制度をとおして固定化するものです。 また、一部の学校を「9年制義務教育学校」とすることは、一部のエリートづくりを小学校段階からすすめるものとなり、この点からも重大です。

 このように、「答申」は、義務教育費国庫負担制度の維持を除けば、子どもと教育に重大な問題を広げるものといわなければなりません。 「答申」がいみじくも「義務教育の構造改革」と銘打ったように、「答申」の本質は、市場原理・競争原理を徹底して、「勝ち組」「負け組」を政策的に作り出す小泉「構造改革」路線の教育版にほかなりません。 これは、一人ひとりの子どもたちに固有の価値を見出し、そのもてる力を可能なかぎり伸ばすという教育のいとなみに真っ向から対立するものです。 すなわち、教育基本法第1条が規定する教育の目的としての、「人格の完成」をめざす教育の否定にほかなりません。

 私たちは、義務教育費国庫負担制度の維持・拡充を求めるとりくみに全力をあげるとともに、すでに指摘した重大な問題点をもつ「答申」の諸項目については、厳しくこれを批判し、文部科学省に対し、これらの諸項目について「答申」の具体化をおこなわないよう、強く求めるものです。

 本来義務教育とは、国民の権利としての教育を保障するために、主として教育行政に課せられた義務を意味します。 「答申」は、これに逆行するものであり、国民の教育権を保障するための義務教育制度の確立が強く求められます。 この立場から、私たちは、父母・国民のみなさんとともに、子どもたちがすこやかに成長する権利を保障する義務教育をつくりあげるために、全力をあげる決意を表明するものです。 

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