
相次ぐ同和行政の不祥事が発覚する中、大阪市の「解同」小西支部長(当時)の事件をきっかけに、「大阪市をよくする会」が、行動を強めています。
「大阪市をよくする会」は、この間、市議会議員への公開質問状提出、見解の発表、講演会の開催など取り組みを強めており、現在は「芦原病院への違法貸付・補助に関する厳正捜査を求める要請書」の団体署名を集めています。
このなかで10月20日に発表した「見解」では、市議会で旧芦原病院への「再生計画案への同意について」が全会一致で否決されたことを述べ、「市長提案の否決は戦後初めて」と指摘。 与党が「市長への不信任ではない」と言っているが、姿勢の重要問題で市長提案を否決したことの重要性を強調しています。
この旧芦原病院をめぐっては、「解同」言いなりの大阪市の関市長のことを、大阪府警が背任容疑で地検に書類送検しています。 地検への要請書は、こちらをご覧ください。 この要請書をダウンロードし、全国人権連本部にご送付くだされば幸いです。
また「大阪市をよくする会」が、伊賀興一弁護士を招いておこなった10月3日の講演会の記録は、こちらをご覧ください。
芦原病院は、大阪市浪速区にある民間病院。 1957年に開設された「芦原診療所」の運営組織として翌58年に「浪速医療生活協同組合」が設立され、以後、大阪市の助成を受けながら設備を拡充、1963年に「芦原病院」となったものです。 2006年には「浪速生野病院」と名称を変更しています。
1968年から2001年までの補助金の総額は154億円528万4000円。 1974年から1979年までの貸与金の総額は93億3200万円。 1980年から2001年までの特別貸付金、いわゆるヤミ融資は72億4100万円。 2004年度でも6億3000万円の補助金が支出されています。 関淳一市長は、環境保健局長と助役であった頃に、無担保融資130億円のうちの約46億円を決済しています。 2006年4月28日
大阪市が2002年から2004年迄に備品及び工事補助金として4億8900万円を不正支出していたこと、そのすべてが補助金申請書や清算報告書通りに使われていなかってことが発覚。 病院の総勘定元帳に記載された別の使途が総額で1億7000万円であったことから、差額3億1800万円の使途が不明となっているのです。 翌4月29日には、芦原病院が大阪市に対し、138億円の債権を放棄するよう要請していたことが発覚しました。
この病院は「解同」との関わりがきわめて深く、病院の外壁には、「解同」のシンボルである「荊冠旗」が大きくペイントされていましたが、事件発覚後、このマークは白ペンキで塗りつぶされています。
1969年、同和対策事業特別措置法が施行され、同年設立された大阪府同和地区医療施設連絡協議会の活動とあいまって、行政としての責任が明らかにされる中で、府市との協議により芦原病院を「大阪府市同和地区医療センター」と位置づけ、総合病院としての機能をもつ医療機関として整備することとなりました。
1993年には、大阪市同和地区医療施設検討専門委員会によって「今後の芦原病院のあり方について」答申が示され、設立時より機能してきた役割や理念の継承に加えて、大阪市の市民病院に準じた公的医療機関として機能の充実の必要が明示されるとともに、浪速・西成両地区の保険・医療・福祉のネットワークの核として役割を果たしていくことが求められています。