第八章 満月 

 (フロイラインシーズ)

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 最近、他人の事を考える。

 昔は自分の事ばかり考えていたかもしれない。
  
 ただ、毎日を自分がどう生きるのか。
 成功するには、勝ち続けるにはどうすればいいか。
 そして、認めまいとしてもこみ上げてくる寂しさとか、虚しさについて。

 
 商人に心はいらない。
 道を捨て、師を捨てて飛び出した男に感傷は似合わない。
 だから、何も考えないですむように享楽的にも生きてみたし、仕事に没頭してみたりもした。
 仕事は当然のように成功したし、金持ちになったら周りにわらわらと沢山の人間が集まった。
 でも、考えずにはいられないのは自分の事ばかり。
 何故こんなにも心が乾くのか、と。

 そして俺は俺の運命と出遭った。
 そう、もし俺に才があるとすればそれは彼の為。
 彼に出遭い、彼を助ける為に俺はあの日あの時ラダトの街で商人をしていたのだろう。 
 俺は、彼の軍師となる為に生まれたのだから。
 
 遠巻きにするこの同盟の多数の人々の、冷たくきつい俺への密やかな侮蔑や怨嗟の声 が俺を傷つける事はない。
 俺だってこんな奴は好きじゃない。でも、誰かがやらねばならない事だから。それもこれも、勝利と、そしてグリーンの為に。
 しかし、俺以外が軍師だったなら、もっと上手い方法があったのかもしれない。
 今は亡き師匠のマッシュなら、こんな時でも周りの敬愛を集めていたかもしれない。
 俺は、俺は・・・・・・・。
 
 宿命と出遭ってさえこんなにも心が寒い。

 うっかり惚れてしまった相手と自分との笑ってしまう程の遠い距離とか、今日売ってしまったケンカとか、イヤミだとか、それでも許してくれているような笑顔とか。
 
 手に入らないものを数える自分も好きじゃない。
 
 何もかもイライラするばかりだ。



 ある日一人の男が力づくで俺の世界に入り込んできた。
 こんな俺を綺麗だと言う、その・・・愛しているとも・・。
 
 力で勝てない相手ではないと思うのだけれど、気がつくと組み敷かれている。
 いや、こういう言い方はずるいかもしれない、あいつとの情事に溺れているのは俺のほうのような気がするから。
 こんな快感を俺は知らない。自分の身体がこんなに熱いなんて知らなかった。
 まるで望みのない恋をしている俺の飢えを見透かすように、やすやすと肉欲を教え込まれてしまう。

 なんで、俺なんかを好きだと言うんだろう?
 俺に対する態度と、他の奴等に対する態度が違うのはどうして?
 又、働きすぎてるんじゃないだろうか?
 ちゃんと食って、ちゃんと寝てるんだろうか?
 今夜は来るのだろうか?
 今、何処で、誰と何をしてる?
 そもそも、本当は俺の事をどう思っているんだろう?

 気がつくと、自分の事よりあいつの事を考えている。


 昼間ちょっとしたケンカをした。
 俺が、猫にひっかかれた傷をあいつに報告しなかったというだけで引っぱたかれた。
 たいしたケガじゃない、舐めとけば治ると言っただけなのに。
 昼間、トウタの目の前だと言うのに、ひっぱたかれ、しかも無理やりキスまでされて。
 あまりの仕打ちに只目を見張るしかない俺にあいつは言う。

「あなた、自分の身体を何だと思ってるんですか?あなたに何かあったら、この同盟軍はどうなってしまうと思ってるんですか?」

 あまりの剣幕に、俺は怒るのも忘れて言い訳してしまう、なんで、俺がこいつに言い訳しなきゃならないんだ?

「だ、だって、猫にひっかかれただけだから…ちょっとは血が出たけどたいした事ないから、お前の手を煩わす程の事じゃない」

「シロウトのそういういい加減な判断が一番危険なんです!あなたがお好きそうだから飼う事じたいは止めませんけど、猫には寄生虫の他猫エイズ、肝炎、感染症などの様々な人間に有害な菌がいる可能性が高いんですよ、あなた、その傷から感染しないと何故言い切れるんですか!?」

「だ、だから舐めといたって……」

 言い終わらないうちにもう一度激しくキスされる、しかも今度は激しく舌までからませてくる、何故?なんでこんなに怒ってるんだ、こいつ?。

「唾液は雑菌の温床です、舐めても消毒にはなりません。あなたがそんなにバカだとは知りませんでしたよ」

 なんとか唇をもぎ離せばこの言われよう、ああ、俺はバカだよ、悪かったな、じゃあほっといてくれよ!

「そんなに汚く思うなら、キスなんかするな!お前言ってる事とやってる事が全然あってないじゃないか!?」

 又、殴られると思った瞬間、抱きすくめられていた。

「どうしてわからないんですか?唾液や精液を交換するような危険な行為を、何故私があなたにしたいと思うのか、粘膜をこすり合わせるような不潔な行為をしたくてたまらない理由を」

「フ、不潔だの危険だの思うなら、するな!!」

「医学的にはその通りですよ、シュウ。でもね、ああ、あなたと話してると頭が痛くなってくる。アスピリンでも飲まないと。シュウ殿、軍師殿、ああ、もう何回でも言いましょう、愛してますよ、心から。とにかく、今後ケガをしたらその大小を自己判断せずすぐ私に見せなさい、いいですね?……一応、破傷風の予防接種だけしておきましょう、そこに座って待っていて」


 何がなんだか良くわからないが、たかが猫の爪によるケガでも大事にしろという事らしい。人間としてはともかく、医者としてのこいつの言う事に間違いはないだろうから素直に聞く事にする。

「お尻に注射にしましょうか?」
 
 さすがに一発グーで殴ってやる。思いっきりひっぱたいてくれた仕返しには仕返ししたりないんだが、まぁいい。

「…アイタタ…こほん、破傷風の注射は半年後にもう一回行います。私も覚えてますけど、あなたも覚えててくださいね。あ、しばらくそこ押さえてて下さいね。もんだりしたらダメですよ」

 バカな事を言ったりしたりしなければ、悪い医者じゃないんだが。



 それにしても変な奴だ。
 ほんと、俺にはわからん。
 ま、ある意味敵将でなくて良かった。こいつ相手では勝てないかも知れない。

 変すぎて、不思議すぎて、考えずにはいられない。
 あいつ、いったいなんなんだと。

 でも、この感情は、自分の事を思ってイラついている時より、ずっと心地いい。
 あんな悪魔の事を、つい心配している自分もほとほとバカだとは思うが、なんだか作戦を立てていて、煮詰まった頭が少しクリアになった感じがする。
 理由は、わからないけれど。




 今日は月が綺麗だ。
 吸い込まれてしまいそうな満月、気持ち青みがかって、秋の冴えた空に良く似合う。
 一人で見るにはもったいないような名月だから、夜にまぎれてそっとホウアンの部屋を訪れれば、灯りはこうこうとついているのに静かな部屋。
 書きかけの書類もそのままに、その部屋の主は机に突っ伏して眠ってしまっている。
 最近、こういう姿も良く見るようになった。
 以前は本当に悪魔かと思うほど、眠らず、一切の弱みを見せない奴だったが。

 ふっと灯りを吹き消してやる。途端に部屋の中が月明かりで青白く染まる。

 リーン・リーンと何処かで虫の鳴く声だけが響く、静かな秋の夜。

 寝台から毛布を持ち出し、そっと肩にかけてやろうと思う。親切なんかじゃない、月があまりに綺麗だからだ。

 人の気配に気がついたのか、ホウアンが目を覚ます。

「シュウ?ああ、あなたですか、不思議ですね、あなたの夢を見ていましたよ。あなたと月を見上げている夢です」

 シュウは黙ったまま、そっと窓の外を見上げる。

「ああ、美しい月ですね、シュウ。そう、あなたと見たいと思っていましたよ。うかつにも眠ってしまいましたが、…この毛布は、あなたが?あ、いえ、なんでもありません。本当に美しい月ですね、あなたと見れて、良かったです」

「戦争してても、殺しあってても、月だけは綺麗だな。いつか、いつか平和になった時、又…その、あの…」

 俺は何を言おうとしてるんだろう、自分ですらわからなくて、つまってしまう。

「ええ、一緒に月を見ましょう、シュウ。もう、すぐですよ、もうすぐ平和になりますよ。いえ、平和にしましょう。あの月とあなたの美しさにかけて、フロイライン」

 返事はきっといらないのだろう。だって満月がこんなにも綺麗なのだから。
 

 虫の音は虫達の恋歌。互いを呼び合う恋の唄なら、月明かりには虫の鳴き声が良く似合うのかもしれない。


                                              



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