目次
1)子ども動物園の理念について←このページ
2)子どもを理解する
3)活動の目的と具体的プログラム
1) 子ども動物園の理念について:これまでとこれから
1 動物園の歴史概観
2 子ども動物園の誕生と思想的背景
3 子ども動物園の理念の再検討
4 日本の子ども動物園が持つべき理念を考えるにあたって
年表(動物園・自然保護・子どもの人権に関する主なできごと)
1 動物園の歴史概観
動物園の起源は博物館の起源を遙かにさかのぼる(Robinson, 1996)。およそ、紀元前数世紀には、中国で、そしてエジプトで、すでに大がかりな動物飼育場があったことが確認されている。また、アメリカ大陸でも、中米アステカ王朝には、スペイン人が確認した時点(17世紀)ですでに大規模の動物飼育場が少なくとも数世紀に渡ってあったことが知られており、専属の飼育係が何百人も雇われていたという記録もある(デンベック, 1980)。
近代の幕開けとともに、1828年にロンドン動物学協会が設立したロンドン動物園は、人々への公開という近代動物園第一号としてスタートを切った。このころの自然科学の発展とさまざまな生き物の新種の発見は、人間以外の生き物についての科学的な理解を迫った。動物に対するこの時代の「科学的」とは、つまるところ、人間が動物と類縁関係にあるということの自覚であった。実際、西欧において、人間と他の動物との類縁関係が明らかにされ始めたのは、18世紀おわりごろなのである。比較解剖学・比較生理学の発展と、19世紀初めに著されたダーウィンの「種の起源」、そして直接的には「人類の起源(The descent of Man)」は、この類縁関係の存在を信じさせるきっかけとなった。やがて、ひとびとは「珍しい動物」を見るという新しい体験を重ねるなかで、この「鑑賞」という行為がすでに特権階級のものではないことを知る。囲われた「野獣」を見て感じる驚きは、「囲ってしまう」ことにより怖さが封じ込められ、人間の優位さを示すことにもつながった。そして、まだ知らぬ動物たちへの好奇心はよりいっそう刺激された。それらは、大航海時代と産業革命の嵐の中で、急速にふくれあがっていく。しかし一方、人間と類縁関係にあるはずの動物たちへの関心は、動物をどういう存在として扱うべきかという、我々人間の具体的態度のなかに、人間らしさとしての倫理的基準をも求めるようにもなっていく。
こうした「鑑賞」の体験やふくれあがる知的好奇心、一方で「動物の扱い」への関心は、一見、アンビバレントな関係にみえるが、これらは、人間と動物との関係はどうあるべきかを考え始めた新しい時代の到来に貢献したといってよいだろう。近代動物園が「近代」とよばれるゆえんが、人々への「公開」であるとすれば、この公開こそ、野生動物そして身の回りの家畜たちを相対化するきっかけのひとつとなりえたととらえることができる。
2 子ども動物園の誕生と思想的背景
2−1 欧米の子ども動物園誕生
こうした近代動物園の誕生とその後の展開のなかで、「子ども動物園」がうまれたのは、ロンドン動物園誕生のちょうど80年後、1908年(ポルトガルのリスボン)である。ヨーロッパではこの施設が人気を博し、ドイツのKiderzooをまねて、ロンドン動物園には1935年に誕生する(Guillery, 1988 : 86)。ドイツでも1936年にはライプチヒ動物園に子ども動物園が、アメリカのフィラデルフィアでも1938年に誕生しており、第1次大戦後の欧米に拡がった。
Guilleryによると、ロンドン動物園の子ども動物園は、子どもたちが過ごせる場所を提供しようというねらいで創られた。具体的には、幼児が直接に野生動物の幼獣あるいは家畜を触れることができ、その一角に、ミルキングパーラーとよばれるその当時にしては近代的な休憩施設(venue)があり、後にそこはチンパンジーのティーパーティーに使用された。つまり、ある程度の時間、幼い子どもたちでも「過ごすせるために」イベントが催され、かつ、安全で親しみやすい動物たちと直接あるいは間近で触ったり見たりしながら「いられる」場所としてこの時代すでに活用されていたのである。幼い子どもたちを連れてくる親が多いため、この要素は当時から重視されていたのである。
風景は、アナウサギのdens(巣穴)や小さな獣舎がならぶほか、全体としてはfarm(農場)の情景をイメージしていたとされる。
一方、アメリカでは1938年にフィラデルフィアに「Baby Pet Zoo」という名の子ども動物園が、1940年にはブロンクス動物園に「Children'sZoo」がオープンしている。そしてその後約20年の間に50を超える動物園の中に子ども動物園が設置されていく(Zucker,1986)。
2−2 「『子ども』をどのような存在としてみるのか」という思想の変化と動物園
ヨーロッパでは、「子ども」という存在の発見が近代において行われたことを、アリエスは『子どもの誕生』の中で説いている(アリエス,1960)。
。それによると、中世では7歳を過ぎた子どもは「小さな大人」として登場し、社会の一員として組み込まれていくが、近代で「子ども時代」が発見され、子ども時代の過ごさせ方についてのさまざまな考え方が登場する。過ごさせ方はこうあるべきだという意識は、まさに「教育」そのものであり、近代の学校制度の発祥となる。19世紀後半には、フレーベルやエレン・ケイらの児童中心主義が台頭し、やがて20世紀にはいると、デューイに典型的に見られた「進歩主義」に基づく学校改革が始まる。日本の大正自由主義教育も、児童中心主義思想や、具体的な日常体験を学校場面にもちこんでの、より実践的な教育活動が重視され始める。
こうした、20世紀初頭から30年代にみられた「子ども」や教育にたいする関心の高揚と、欧米の子ども動物園の誕生やその拡がりの時期がほぼ重なるのである。
また、20年代から30年代は、世界第一次大戦の復興期であり、戦争で疲弊した子どもたちの心を癒す場づくりへの関心が高まっていたとも言えるだろう。
そして、1924年にはジュネーブ宣言にみられるように、子どもの人権への配慮が始まった。18世紀に『人権』への関心が『フランス人権宣言』の形で現れて以来、黒人、女性、そして子どもへと、人としての権利の拡大が意識の上でも計られていき、『子どもをどういう存在としてみるのか』は、時代とともに大きく変化してきているのである。
第二次世界大戦は、より広い範囲の国々に疲弊をもたらし、欧米では動物園も一時閉鎖が相次いだ。しかし、まもなく活動を再開し、その後、60年代後半から70年代にかけて子ども動物園の改築あるいは新設が進んだ。
現代は、1979年に国際児童年が設定されたことを契機に、「子どもの人権」がますます重視され、その擁護のための施策(子どもの権利条約と各国における批准と国内法整備)がすすみ始めている。
このように、社会が子どもをどのような存在として見ていくか、つまり、人々の「教育」概念・「養育」概念は、誤解を恐れず概略的に言えば、産業革命を機転とした産業構造の大きな変化や、その変化による農村と都市の分離といった現象、あるいは人権思想の高揚や「公共」概念の拡大化などの影響を受けて生まれ、変化してきたと言えよう。つまり、受動的で原罪を負った子ども観は、「子ども時代」の存在をみとめる時代を経て、近代から現代にかけて、能動的な存在としての子ども観へと変化してきている。こうして、教育思想の観点からは、能動的な学びの主体として子どもは登場しつつ、権利主体としては、社会から一定の時期の保護をうける権利が保障されるという、新しい段階に入ってきていると言えるだろう。
子ども動物園も、これら「子ども時代の発見」や人権思想の拡大と関連しつつ誕生し、変化をたどったと筆者はとらえる。
筆者の考えでは、「子ども時代の発見」は、「子どもが楽しく過ごしているのを眺めて自らも楽しい気持ちになる」大人を生み出し、楽しく過ごすための工夫への関心が高まった。また、人権思想の拡大は、子どもが楽しく過ごせる自由は固有の権利であり守っていくべきだという思想に結びついた。これら2つの変化は関連しあい、その結果、大人は子どもをどういう存在として迎え、どのような成長への援助をすべきかという課題に結ぶびついた。
これらの状況を動物園として受け入れたとき、結局、問題はそこに要請される楽しさの内容や質を、生きている動物やその展示、それらを成り立たせる場と関連させて考える点である。
2−3 日本の子ども動物園の誕生とその設立意図
欧米の児童中心主義思想は、日本の大正自由主義教育の台頭に影響したが、しかし、日本では子ども動物園の誕生は第二次大戦後となり、自由主義教育の思想が子ども動物園誕生の際に直接影響したわけではない。軍国主義のもとでは、むしろ動物園は縮小あるいは閉鎖に追い込まれていく。
日本の子ども動物園発祥の地は、上野動物園の中であった(遠藤, 1978)。第二次大戦後の復興の時期、子どもたちの心の安らぎにと、1948年に設立された。戦後の復興目的、とくに子どもたちのために特別な施設を、という点はたしかに欧米に共通する。この設立を決めた当時の上野動物園園長古賀忠道は、上野の子ども動物園が発端となって、日本のあちこちに数多く設立されて子どもたちの情操教育に利用されることを願っていたとされる。「弱者をいたわる心をうえつけたい」というのが、日本初の子ども動物園設立の目的とも言えよう。そこで当初考えられていた特徴は、おとなしい動物や動物の幼獣を放し、人どめ柵をおかず、動物と子どもたちの間を接近させるということのようであったが、古賀が参考とした事例は、ドイツのライプチヒ動物園の子ども動物園であった。
その上野動物園の子ども動物園設立に実際に関わった遠藤悟郎によると、当時ブロンクス動物園の子ども動物園を紹介する映画を何度も見て、それをヒントに動物の種類や活動内容を考えたという。当時は、動物園そのものが復興の時期でもあり、子ども動物園のもつべき理念を十二分に検討する時間は与えられておらず、子ども動物園設立を任された遠藤氏にあっては、まず海外の実例を参考にしたのである。 遠藤が見たブロンクスの子ども動物園は、明らかに幼児を対象としており、十数人の指導者を配置して、子どもたちに語りかけながら動物への触れ方指導をおこなっていた。(今日、子ども動物園に配置される指導者とは、ドーセントと呼ばれるボランティアを指す場合が多いが、遠藤が参考にしたこの時代のブロンクス動物園にドーセントと呼ばれる指導者がいたかどうかは定かではない。)
その後、日本各地に子ども動物園は作られていく。その多くが、戦争で心を痛めた子どもたちへの慰めという事も設立動機として考えられる。しかし、動物園そのものの発足が、子どもたちのために行われたという場合もあった。たとえば、秋田市の動物園は、1950年に「秋田県児童会館付属動物園」として発足しており、その3年後、その名を「秋田市児童動物園」と変更しているのである。
動物園や水族館自体の建設は相次ぎ、とりわけ70年代になると、新しい動物園の多くが「子ども動物園」という名称あるいはそれに類する場所を併設している。その結果、全国の動物園の約7割に子ども動物園やその類似施設がつくられることとなった。この当時の「子ども動物園」を特徴づけるものは、ウサギを直接抱くことができたり、ヤギなどの家畜に餌を与えることができる場であった。
しかし、戦後復興期に明瞭だった、子どもたちへのプレゼントという設立意図に匹敵するような明確な意図は、新しくつくられる子ども動物園に見いだすことが困難である。日本の子ども動物園を定義しようとすると、家畜やペット類が飼育展示されていること、他の野生動物展示に比べ、間近に見ることができ、時には接触や餌やりが許されること、同じ敷地内に子どもの遊具があること、といった施設上の共通点を見いだすことはできても、それ以上の明確な意図は見いだせない。
欧米と異なり、動物園自体が自治体の観光部局の管轄による運営、すなわち観光施設として発足している事を考えると、教育的な位置づけあるいは明瞭な教育的意図がそもそもないのも納得できる。しかし、今日、全国の動物園の7割近くに、子ども動物園が存在することを考えると、そして少なくない施設で、改築あるいはその計画があることを考えると、これまでの歴史はともかく、今後どのような役割を持った子ども動物園が必要であるかをよく考えて改築計画に生かしていくことが重要だと考えられる。
3 子ども動物園の理念の再検討
3−1 欠けているもの
実は、ヨーロッパの子ども動物園について、60年代に動物学者でバーゼル動物園園長のへディガーは、思慮深く次のような警告を発した。すなわち、動物の側を思いやることなく、あるいはその方法を学ぶことなく、子どもたちがいわば無法の状態で単に動物に接触しようとすることへの批判である(Hediger,1964:164) 。これは実に非教育的であるという。自分勝手なかわいがり方が助長され、動物への尊敬(respect)という態度が重視されていないことを、大きな問題として感じていたのである。その価値を引き出せるのか失わせてしまうのかは、動物の世話が十分なされているかどうか、他のセクション以上に多くのスタッフがいるのかどうか、にかかっていると主張した。さらに、野生動物の幼獣が放し飼いになり、それらを人間の子どもが間近に見る事ができる仕組みに対しても、動物をおもちゃに見立ててしまう危険を指摘した。この問題に対しても、そのスーパービジョンが求められるとしたのである。ただ単に野放図に動物と子どもが関われるのではなく、よく訓練されたスタッフが、動物のことを思いやりながら子どもたちの前に動物を登場させる工夫が必要だとも述べている。そこに「動物園生物学(ズーバイオロジー)」的観点からの教育があると。また、別料金を取って子どもと動物の接触や餌を与える行為を許すという施設もあるが、その料金には、もし動物が死んでもその代わりを購入する金額も含まれる、という事実に対し、そういう商業主義の運営に対しても警告を発している。
へデイガーが「健康的な愛情」と表現するそのことは、まさにrespectという態度・感情をもつことである。
これらの主張は、60年代のものとはいえ、現代の子ども動物園の抱える諸問題に十分通じる。つまり、初期の子ども動物園の頃から、子ども動物園はどうあるべきかが常に論議の的であったということができるだろう。
第1次大戦後は、子どもたちが過ごせる場所を与えたいと言うこと、そして第二次大戦を経て、ますます都市化の波のもとで、自然体験の場を都市の中に創りたいという願いは子ども動物園の設立に直接結びついたわけであるが、しかし、以下のように、アメリカで急速にひろまりをみせたそれらの子ども動物園は、誕生後ほどなく、変化を迫られたのである。
3−2 自然環境の激変と環境教育への関心
子ども動物園だけでなく、実は、動物園そのものをとりまく環境が刻々と大きく変化した。子どもに対する見方や人権意識の拡がりは、教育の内容や「人間がとるべき自然への態度」への関心となった。
簡単に
年表を追ってみてもわかるように、1928年の国際自然保護連合の設立、47年にはIUCNに改組され、66年には絶滅の危機にある野生生物種をリスト化する『レッドデータブック』が世界中の研究者の協力により発行された。72年には国連の『人間環境宣言』が行われ、1980年には世界環境保全戦略が、82年には世界自然憲章が出され、90年は、リオデジャネイロで地球サミットが開かれる、という具合である。60年代後半から80年代にかけ、一気に環境保全への機運が高まった。
同時に、野生生物を含む自然の権利や、有用動物を含む動物の権利の問題への関心も非常に高まった。このような傾向は、必然的に動物園の役割や子ども動物園の存在意義についても人々の関心を集めることになる。
3−3 子ども動物園改革の具体例1 セントラルパーク内の子ども動物園の場合
1997年9月21日のニューヨークタイムズは、ニューヨークのセントラルパーク動物園に完成した子ども動物園を取材し、子どもが動物の大きさになって遊べるというコンセプトでつくられた展示を高く評価した。たとえば、カメの卵の殻の中に入ってみる、クモの巣を模した網をよじ登ってみる、大きな池に浮いた睡蓮の葉に乗ってまるでカエルの気分を味わうというように。ニューヨーク野生生物保全協会(NewYork WildlifeConservation Society)のラッティス氏は、このコンセプトに関連し、「子どもたちと動物について体験することとの間に媒介物を置かない」「かつてのような聖書の教えやおとぎ話のテーマに関連することは廃する」ことを決めたこと、むしろ、動物の立場に立つ経験をすることを推奨するための展示を心がけたと同紙で述べている。
このように、少なくともセントラルパークでは、かつての「おとぎ話」「聖書」「牧場風景」から脱して、より多様な展示コンセプトの下にすすめられたことがわかる。
この記事によると、もともと、セントラルパーク内に動物園ができたのは、公園に捨てられていた1匹のクマの仔を保護するためで、1864年にニューヨーク市立の動物園として発足した。その後、市民からの動物の寄付も含め1000頭を超えて手狭になったことや、市民が都会の子どもたちに野生動物だけでなく家畜も見せたいという要望をもったことなどから、1940年、ブロンクス地区に動物園があらたにつくられる運びとなった。ブロンクス動物園に家畜展示を含む子ども動物園ができたのである。そこは、子どもにとって親しみやすい「おとぎ話」をテーマにして、登場する動物たちを展示するというものであった。しかも、おとぎ話の舞台はそのまま持ち込まれた(たとえば、「3匹のこぶた」は、その3つの家をイメージした)。開園当時の様子を紹介した絵本の前書きには、次のような記述がみられる(Katherine, K., 1942)。
(略)入り口は大人が入りにくい程度に低くしてあり、すべての柵や放飼場も子 ども向けに小さく作られている。(略)どの動物もよく馴れていて、触れること ができる。(略)動物や建物の配置は、子ども向けの本によくでてくる挿絵のよ うなシーンにデザインされ、開園後約1年あまりで子どもとその親、15万人を 超える利用者があった。
つまり、子どもが動物たちと楽しく過ごせるような場所というだけでなく、そこに過ごす子どもたちを少し離れて見守ることの(大人の)楽しさを内に含めているのである。子どもたちを楽しく遊ばせられることの幸せを味わうこと、そのシーンを思い浮かべられること、この楽しさも重視されたのだと考えられる。ここには、子ども時代を大切に思うと同時に、大切に思える大人の側の気持ちも大事にされており、児童中心主義の考え方すなわち「子ども時代を存分に生きること」への価値が意識されているとも考えられよう。
20年後の1961年、ブロンクスを参考にしてセントラルパーク内にも子ども動物園が建設された。ノアの箱舟、3匹の子豚、これらのデザインはそのまま用いられた。
その後、80年代の後半から、この子ども動物園のリニューアル計画が持ち上がったが、2つの意見の対立があったという。ニューヨークの野生生物保全協会(WCS)は、子どもたちに「本当のこと」すなわち、野生動物と人間の関係を事実として知らせるべきだという教育的メッセージの優先という立場をとった。一方、歴史的建築物を重んじる人々からは、かつての1961年当時の建物や建造物の面影を重んじたいという要望もあった。異世代間で、歴史的建造物について同じ記憶や体験を共有することが大事だという意見である。
これらの対立には、次世代に何を願い、それを実現する手段を何に求めるのか、という違いがその背景にあると思われる。残したい町並のひとつとして、動物園の原風景を置く立場、そうではなくて、自然保護に向かうための科学的なものの見方を大事に思う立場、そこには、ニューヨーク市民が動物園という場に何を求めており、動物園側はそれをどう受け止めるのか、ということを深く追求する姿勢が求められるだろう。
この結論は、実際にセントラルパーク内にリニューアルされた子ども動物園の姿に表れているとも言えよう。結局、新しい子ども動物園を支えるコンセプトは「動物の本当の姿を知ってもらう」ということであった。そして、子どもたちの闊達な能動性に依拠した展示物と配置デザインが駆使されたのである。クモの巣を模した大きなネットを見れば登ってみたくなる、穴があれば入ってみたくなる、巨大な耳の模型があればそれを手にして耳にあててみたくなる、 というように、思わずそうしたくなる誘いのある展示物を、展示動物と関連させて配置するというものである。これらの工夫は、子どもの遊びをよく観察して、どのような環境構成の中にどのような仕組みのものが配置されることが、展示者側の意図と関連させてより望ましいのかという、楽しみながら遊びの中で子どもは学ぶという理念に基づいたものと言えるだろう。このようなハンズオン展示のノウハウは、やはりアメリカの子ども博物館にみられるハンズオン諸展示の工夫とその実践に学び、そこから影響を受けている可能性がうかがえる(Zucker,1986)。
3−4 子ども動物園の改革の具体例2 ブロンクス動物園の場合
◆1960年代後半からの改築 セントラルパークの子ども動物園がモデルとしたブロンクス動物園の子ども動物園は、皮肉なことに1960年代の後半から、実は子ども動物園の部分的改築と拡張計画が出ている(Brown,R.A.,
1972)。ブロンクスでは、実のところ、「ノアの箱舟」「ウサギとカメ」「3匹の子ブタ」といった聖書やおとぎ話からテーマを設定した事自体への反省が起き、次のような変化が起きたり計画された。
部分的改築では、ノアの箱舟はクイズ館にされ、「見る」「聞く」「触れる」「嗅ぐ」ためのテーマ別ボックスや展示も用意された。新たにミツバチの展示により、「卵」「さなぎ」「働きバチ」「女王バチ」がどれでどんな役割があるのか、それらの基本的な概念を示す計画も行われ、さらに、混雑する日のみ開放されるコーナーの新設も計画されている。41年にオープン後、25年足らずで見直しが出た背景は、やはり60年代になって深刻になった野生生物の危機への関心、レイチェルカーソンの「沈黙の春」出版、学問の上でも生態学への関心が広がるなどに象徴的にみられた環境問題への深い関心がその基盤にあると考えられる(シェファー、V.B.1995、「アメリカの環境主義の形成」『環境思想の出現』東海大学出版会:156-172)。
◆80年代後半の改築計画
87年に開催された第1回国際子ども動物園シンポジウムのプロシーディングスには、
新しい子ども動物園をどのようなコンセプトで作っていくのかについて、関係者のディスカッションの内容そのものが紹介されている。誰もがこのままの子ども動物園でよいとは思っていないことだけは共通しているが、それぞれが考える『あるべき子ども動物園』のすがたは異なっている。
野生生物の保全を優先的に考える立場からは、「ここを学校のようにする必要はない、野生生物の保全のために、絶滅に瀕した動物の繁殖のための施設を、子ども動物園を廃したところに作るべきだ」という。教育部門の立場からは、「動物の行動と適応から、動物の進化や自然史を学ぶ場であるべきで、それを教える場としたい。まずfarmではなくて野生動物のことを学べる場所が重要。子ども動物園は重要な教育プログラムの一環に組み込まれるべきである。」という意見が出された。
以後、様々な立場の意見が述べられているが、あまりかみあわず、結論もない。しかし、それぞれの要点を列挙すると以下のようになる(Lattis, R.L.,1987)。
●ターゲットについて
「だいたい、小学4年生あたりに対象を定めてシンプルに作ろうとすると、あまりおもしろくはない。中学生くらいを対象としたらどうか。」
「なぜ、小さい子にターゲットを絞るのはよくないのか? おもしろさや刺激的な場は、強い印象となって、やがて野生動物について考えることにもつながるのでは?」
「しかし、どうやってまだ文字も読めない子に科学を教えるのか? 幼児は、ヒツジを触ったりニワトリを間近に見たりが中心だ」。
「でもそれは両親のことを忘れている。親がよい印象を持てばまた連れてくる。何か子どもたちに残ったことがわかればそれで成功なのでは?」。
「たしかに両親を含むことが大事。なぜ野生動物展示を含めるのかは、その『親』こそがポイントだ。」
●学校の生徒集団について
「大勢のグループでくると、本当に子ども動物園で何か学べるのか疑問である。ひとりひとりに関われることは無理。たとえば鳥の巣をその集団の誰かに手渡せば、たちまちひとだかりとなって押しつぶされるだろう」。
「学校の子どもたちのことは無視しよう。静かな環境の中からしか、動物がどういった生き物なのか、学べないものなのだ。私自身の経験からそういえる。学校のグループはそうした環境を壊してしまう。」
「だが、もしすべての学校グループの子どもたちに、登録予約させることができれば、その問題は少し解決するのでは?」
「学校グループには、自由に集団を離れたり戻ったりできるような小径をたくさん森に作るのはどうか? そうすれば近くに互いにいながら、それぞれの学習ができる」
「もし子ども動物園がエデユケーションセンターの隣に位置するなら、(エデュケーターが学校グループに対して)活動しやすく、とてもすばらしい場になる可能性がある。」
「オープンスペースを用意して、平日は学校グループのための活動の場となり、週末はデモンストレーションの場にするのはどうか?」
●楽しめる展示の工夫について
(ファイナンシャルの立場から、優れたデザインによる子ども動物園では、そのコストはかなり高いことが指摘された。しかし、はじめにお金をかけてよいものを作っておくと、メンテの費用は安くてすむという意見も出された。)
「ディスカバリープレース(鳥のひな、ネズミの気配、ヘビとかを見ずにそれらと出会えるような仕組みの場所)はどうか?」
「でもここは、自然史博物館じゃない。生きている動物と直接出会ってもらうところだということを大事にしたい。」
「博物館のよいアイディアを借用するのはよいが、それを動物園にあてはめなければ。」
「もちろん、子ども動物園の位置とかサインの美しいデザインも客の満足を誘うだろうが、まず第一は『生きている動物』だ。」
「子どもが欲するおもちゃの要素をとりいれるのはよいが、しかし遊び場になってしまってはどうだろう。動物のことを知らせるような遊びの要素を取り入れるべき。 education funが大切。」
●まとめ(司会者より)
子ども動物園の新しい可能性に対して確信することができた。学校のグループ、ファミリー、どちらも大切だし、また、高い教育機能をもたせなければならないこともわかった。
楽しくてためになる場として、たくさんの教材もそろえるべきだ。
これらの議論がどのように生かされたか、その詳細はわからないが、実際にブロンクス動物園の新しい子ども動物園をみてみると、そのプライオリティのひとつは、「大人も子どもも一緒に動物と間近に過ごしたり接触できること」である。
アメリカでは、野生動物の展示が、大型化して、どうしても動物との距離が大きくならざるを得ないため、家族連れがいっしょに動物と直接かかわりをもったり、間近に見たりということが許される場所がほしいという願いが逆に強くなると考えられる。その願いをこの子ども動物園が実現させているのであろう。子ども動物園の一角に、家畜に餌を与えたり触れたりするという接触体験ができる場を設けたのである。
また、展示についても、子どもたちが体を使って安全に動物の気分を体験できる「巨大クモの巣」、地下道をくぐって、巣穴から出てきたプレーリードッグを数十センチのところで間近に出会える工夫、ヒキガエルのジャンプ力に挑戦できる工夫などをこらした。これらは、子どもが自らの体と感覚を使って学ぶものだというコンセプトに基づいている。野生動物については「ハビタット(生息環境)」をテーマとした展示を優先し、教育部門の主催する学校向けの教育活動については、「クラスルーム」という特別な施設で行われ、1年以上前から予約を受けて内容を準備する形となり、子ども動物園の中で学校向けのプログラムは行われない(展示動物を連れてくることはある)。要するに、子ども動物園のターゲットは、個別に訪れる幼児を含む子どもとその親なのである。さらに、動物園の学校向けプログラムは、ニューヨークのサイエンススタンダードに基づいて展開される。したがって、動物園独自の開発プログラムも、このスタンダードを参考にしており、逆に動物園で開発されたプログラムがサイエンススタンダードに生きることもある。
以上のように、ブロンクスは、41年の子ども動物園開園以来、常に発展途上にあり、それぞれの時代の要請と動物園自身がもつミッションとをある意味では融合させ、逆に独自性をもちながら、基本的には未来に向けて人々に野生動物の理解と人間の責任を考えてもらいたいという姿勢を貫こうとしている。
しかも、子どものフィジカルな面と精神発達の面を念頭において、動物園として何ができるのかを模索するという態度が明確である。もちろん、財政的な面による制限はあるが、以上に見たような様々な議論をオープンにして、とりあえずの合意に基づきながら、次の段階をめざそうとする姿勢は学ぶところが大きい。
3−5 子ども動物園における「家畜」の存在意義
他方、子ども動物園で典型的な展示動物である「家畜」に関しては、その展示価値について別な見地から検討される場合もある。
すなわち、家畜の各品種の特異な姿形やその多様な形態そのものではなく、本来なぜその品種が創り出されたのかという必要性と関連させた家畜展示が重要(Gewart, 1976)であり、他の展示コーナーと分けて展示することが推奨されている。その歴史的背景と、動物の側の特異性(群れであればその第1位のオスがほとんどの子どもの父親となるガゼルなら、テリトリアルな動物なので、密度が高まるとストレスフルになる)つまり、「馴れ」ということの意味を動物の特性と人間の側の要求と関連させることが重要だという主張である。
筆者も、家畜を展示動物として子ども動物園におく場合は、その家畜が人間に『馴れている』ことをどう「特殊な人間と動物の関係すなわち『馴化』」の結果として解説できるのかという課題があると考える。これらは非常に難しいが避けては通れない課題である。人間の側の必要だけでなく、動物の側も人間の管理を必要としたという側面を理解してもらうこと、野生動物の中のほんの一握りの種類、限られた種類しかその関係を創り出してこれなかったこと、これらが、伝統的に家畜をおく子ども動物園だからこそテーマにできる、あるいはテーマにしなければならないこととなるだろう。Clutton-Brock, J.(1976)も、家畜化の歴史を扱う生きた教材としての価値を指摘しており、種によって驚くべき変異をとげたものと原種の形態をそのまま残している種類との違いが人間の「必要」によるという点を強調している。
また、Schneider(1987)は、
子ども動物園が持つべき理念のひとつは、動物に対する『尊敬 respect』と『理 解understand』をもたらすことであり、備えるべき機能は、世話(caring)がで きるようになっていること、五感を使って体感すること(feeling)を大事にでき ることだ。子ども動物園の『教育』は、非常に潜在的なものである。感覚を鋭く してじっと見ることのなかに現れる。あるいは潜在意識に働きかけるようなこと だとも言える」
と指摘しているが、筆者も、同感であり、これらも家畜の世話を通じて行うことが可能である。
馴化の問題を動物学的にも人類史的にもとらえた上で、「家畜化」あるいは「野生とは何か」を、家畜展示を中心とした動物展示を通じて考えてもらうこと、そして、人間の手を離れては生活できず、その生命に全責任を負う私たち人間の責務について、具体的な「世話」を通じて考えてもらうこと、この2つは子ども動物園ならではの教育目標にぜひ置きたいことがらである。しかも、個人の飼うペットと異なり、誰のものでもなく誰のものでもある「動物園の共有家畜類」である側面に注目すれば、これは子ども動物園という公的施設における公教育にもつながることである。
4 日本の子ども動物園が持つべき理念を考えるにあたって
4−1 日本の子ども観の歴史的経緯を知り、ズーバイオロジー的観点をもつ
日本の子ども動物園は、前述のニューヨークの例にみたような、環境思想の出現や野生生物保全に対する人間の責任を問うといった、きびしい議論の範疇においてそのあり方を問う「洗礼」を未だ受けていないと言える。日本の子ども動物園の発祥において、「戦争で傷ついた子どもたちに元気を与えたい」という切実な願いがこめられたその切実さに見合うような、今日の私たち大人の「願い」とは何なのか。この点を明確にする努力において、初めて子ども動物園の現代的役割を見いだすことができる。
ではその現代における役割を明確にするにはどうすべきか。そのために必要なことを筆者なりにあげてみよう。
第一に、日本の子ども動物園運営の思想的基盤について、その歴史的経緯をよく知ることである。子ども観や教育観との関連を吟味することである。この点を深めることにより、今日の時代が求める大人と子どもの関係や子どものよりよい成長への願いが具体的にどういう事なのかについて、センシティブになれる。第二に、そこで行われている潜在的な「教育」つまり、子どもたちあるいは家族は、いったい何を求めて来園し、そこで体験したことがらにどのような学びの諸相を引き出すことができるのか、それらのなかで、子ども動物園というその場所でしか得られないあるいは得にくい学びとは何かを抽出することである。第三に、これらを進める上で、スタッフ自身の目的意識について互いに語り合い、経験を交換し、来園者の潜在的な学びを意識化するための取り組みを行うことである。とくに、上述した子どものフィジカルかつ精神的な発達の独自な道筋を知りながら、その周囲の年長者(親やスタッフ)による協同の働きかけについて、そのよりよいありかたを研究していくことが重要であろう。
そのために、子ども動物園スタッフは、人と動物の密接な関係が創り出される非日常的な動物園という場における生物学、すなわち「ズーバイオロジー」を深め、また、より人類学や民族誌学の成果を学ぶ機会を持ち、子ども動物園の展示動物としての「家畜」の役割に、新しい価値を付加させることが大切だろう。同時に、子どもという存在の理解のために、歴史的な「子ども観の変遷」やそれらがどうスタッフ自身の教育理念に反映しているのかを検証し、社会的交流の中の子どもの存在についてより知識を深めること、あるいは、楽しさと学びの関係についての学習論を知ることなども大切になってくる。これらはすべて、日常の諸活動で体験していることがらを、他分野の人々とともに検討するという極めて実践的な自己学習の中で深められることだろう。
そして、筆者の考えでは、動物を介在させながらの、スタッフと子どもの一対一に近い対話が交わされる条件づくりが非常に重要になると予想する。動物との物理的接触を含むプログラムにおいて、その条件作りは成功への唯一ともいえる道である。そこでの対話は、自らを語ることであり、互いを理解しようとする契機ともなる重要な要素である。子どもは、励まされ、受容される環境の中でこそ、自分を表現できる存在だからである。
以前、筆者は子ども動物園に備えるべき諸機能と、それらの配置デザインについていわば理想型を述べた(並木, 1998)が、そうした環境構成におけるスタッフと子どもとの対話の問題には触れずにいた。子どもの潜在意識に働きかける「ことがら」の中には、やはり、動物への具体的な働きかけ方や、スタッフそれぞれの動物観・自然観などを浮き彫りにさせるような動物へのことばかけなどの「態度attitude」が含まれ、その影響は大きいと考えられる。そうした具体的で外から知ることのできる態度を含みつつ、ことばを通じての対話ができやすいことも、非常に重要である。
現在、子ども動物園スタッフの自主的な経験交流と理論学習を兼ねた研究会が発足している。この研究会発足のきっかけは、やはりスタッフ自身の「子ども観」を客観視し、互いの日常的経験がもつ意味を深くとらえたいという願いであった。こうした自主的な学びこそが、現代の子どもをどういう存在としてとらえてそこにどう関わるべきかを熟慮し、具体的なプログラムづくりやその実践に力を与えることだろう。
4−2 「子ども時代」の保障と「大人の楽しさ」の関係
筆者の考える子ども動物園の役割は、やはり第一に子ども時代を存分に保障できる、非日常的な「遊びの場」としての空間である。何をしても許されるという意味の遊びではなく、「何に疑問を持っても、何を想像しても、何をスタッフに問いかけてもよい」という知的な遊びの空間である。もちろん、直接動物の健康にダメージを与えることやそのおそれを予想できるときは、その理由を知らせて制することも重要であり、大切なことはその「理由」がそれぞれの年齢に応じて理解してもらう工夫となる。命ある動物たちと楽しく過ごすために、自分の感じる楽しさ(自分勝手な思いこみが含まれる)をいったん離れて、動物の立場を一生懸命考えてもらう経験が重要なのである。しかしその経験も、全体としては「遊び空間」での経験となる。なぜなら、そこは非日常的な場で、それぞれの動物たちの生活に子どもたちが日々直接責任を持って関与しているわけではないからである。
だから、日々のそれぞれの子どもたちの経験を引き出して、この非日常的な場での体験をそれらと結ぶことこそが大切なのである。この結びつきを、子ども動物園側が創り出すことは可能かもしれないが困難を伴う。逆に、連れてくる大人が創り出すことのほうが可能性は高い。その創出に役立つ重要なことは、子どもたちの表現である。表現の内容を助けとしない限り、結びつきを見いだすことはできないだろう。ことば、動物への態度、絵、詩などがその例である。大人はそれらを手がかりに、子どもたちの内面を理解しようとするものである。それらの表現のひとつひとつから、子ども動物園スタッフ側は動物の持つ「力」と表現を促す場の大切さを信じることができる。それゆえ、動物たちを大事に飼育する意義や自らの存在意義も見いだせる。一方、子どもを連れてくる大人も、日常生活の子どもとは異なる側面をその表現の中に見いだせ、新たにその子どもを発見する。それゆえ、自由な表現が可能になる「子ども動物園」という場の大切さを知ることになる。
かつて、子どもをかまう楽しさを大人が歴史上初めて味わったとされる「子ども時代の発見」(アリエス、前出)の意義を、今日の子ども動物園にひきつけてみるなら、子どもの自由な表現を助けにして、大人は自らの動物観や動物への態度を対象化してみるという「楽しさ」をも生み出しているとは言えまいか。つまり、子どもの表現を通じて自身を知るという楽しさである。そのような楽しさを実感することにより、子ども時代を大事に思い、それを保障しつつ、子どもたちとともに今日と明日を生き、未来を子どもに託すための営みが綴られていく。その営みこそ、今日語られる「教育理念」の吟味すなわち、実際におきている「学びの諸相」を評価しつつ、子ども時代をどう過ごしてほしいのか、そのために大人は何をすべきか議論をつくし実践していくことなのだろう。
文献
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2)子どもを理解するへ 3)活動の目的と具体的プログラムへ
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