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動物愛護のルーツ19世紀、ダーウィンは、一方では古生物学上の種分化証拠や形態的生理的共通性から、他方では表情と感情の共通性から、人間と動物との連続性について多く述べているが、とくに道徳的感情の発生と進化が主な関心のひとつであった。というのも、当時のイギリスでは、他人への同情や哀れみを感じて何かせずにいられない気持ちになること、あるいは他人が体験しているであろう感情を自分自身が体験するという共感性に基づいた利他的な行動様式が、好ましい人間のありかただとされたからである。その場合、苦痛、痛みは、最も避けられるべきことであった。 この行動様式は、動物が人間と多くの共通性を併せ持つ存在であることが理解され始めたこの当時、必然的に動物への態度にも及んだ。当時のイヌなどを用いた動物実験や生体解剖は、麻酔技術が未発達な中で、多くの人々による反対運動に見舞われたのである。それも、動物の痛みに対する共感のなせる技である。この生体解剖反対運動が、今日の動物愛護思想の原点だと言える。 同時に、産業革命がもたらした、人々の生活の一変(農村での農作業労働から、機械に使われる都市の工場労働への変化)や大量の貧しい労働者の出現は、中産階級の利他的行動を、そうした貧民の救済という行動に発展させたが、本質的な救済が望めない中で、彼らの意識は「かわいそうな動物を救う」方向にも向かったのである。 ローレンツは、熱心な動物愛護運動家が、しばしば人間嫌いであることを指摘したが、他人の苦痛に対する同情心や共感が、ゆがんだ形で動物愛護の行動として表れているのかもしれない。ローレンツによれば、動物の社会の内側に入り込んで動物を理解することは、人間の共同性に基づく道徳性のルーツにふれることである。人間同士の共同生活をよりよくしていくためにこそ、動物への理解と共感を説いたのである。 一方、20世紀に出現した「動物解放論」は、人間以外の自然にもそれぞれ固有の内在的価値を認めるという「自然の権利」主張の出現とも関連しているが、急進派は、動物の利用自体を認めないという立場をとっている。 動物愛護思想は、動物の扱いのありかたを人道的に考えるという今日の動物福祉につながる思想であり、動物への科学的理解と共感の深化に結びつく。ただし、それが皮相的な擬人主義による共感(たとえば、「寒いだろうからイヌに毛糸のセーターを」など)であったり、種間の差別(たとえば、「イヌは人道的に扱うべきだがカラスを殺す方法は問わない」など)が入り込むことは避けるべきだろう。だが、人間が他の動物を利用する事自体を否定するような動物解放論は、たとえば盲導犬や聴導犬、家族の一員として愛されているコンパニオンアニマルの存在の積極的意義を見失わせる危険があるのではないだろうか。その意味で、動物と人間の関係やありかたを考える上で、人間社会自体が独自に抱える諸問題と、動物と人間の間の問題とをきちんと分けて見定めて、こうした思想の歴史的系譜を評価し、この先向かう方向を熟慮することが求められるだろう。 |
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