動物園における親子コミュニケーション (風間書房刊) 終章より(抜粋)
展示のもつ二重性分析:意図伝達と利用者による解釈
目次 トップに戻る
|
序章 |
| トップに戻る |
終章より(抜粋) (略)・・・筆者は、展示や展示に関連した活動がもちろん重要だと考えるが、「市民との対話のツールである」という立場のみでは、学習の支援は成立しないだろう。展示の役割を、それらを利用する人々の生活との関わらせて具体的に明らかにしていくこと、その緻密な作業が「支援」とよばれる内実であろう。展示や展示を通じた活動に、来館者が関わるのプロセス自体に含まれる、社会的交流の価値を重視したいと考える。とくに、生きている動物との出会いは、大げさに言えば、一生に一度の「生の体験」である可能性もある。人々は、常にそこに立ち返りながら、その体験の意味を自分の人生のそれぞれの時期において変化させていくものなのである。だからこそ、子どもの「初めての体験」は、子どもにとっての大事さと同時に、大人にとっても重要な意味を持つ。親子で動物園を訪れる、あるいは三代で訪れる、この動物園訪問体験はその家族に何らかの「確かな交流」「互いの理解」をもたらすのである。そこでの「学び」について、まだわれわれは、把握する術を十分には持っていない。「学び」の定義を「プロセス」とおくのか「所産」とおくのか*14、ということとも関連するだろう。またそれは、単に観察やインタビュー、事前・事後テストなどだけでつかめるものではなく、来園者自らが自らを語ること、その後の日常生活における影響を語ること、そういう「学びを語る」仕組みが社会に整うこととも関連するだろう。その仕組みを成立させる鍵は、来園者すなわち利用者が自ら「動物園利用研究」の主体として登場することである。研究主体として自らの学びを問うのである。逆に、そうした仕組みが整うということは、「場」を提供する側が、「場」のもつ役割を利用者の視点から常に問い直し、かつ、そこに展開する学びの諸相を自らの展示意図と関連させて再構成する力量が備わることでもあるだろう。 その意味で、教育・保育・遊びの研究・自然と人間の関係哲学など、多領域の研究成果に学びつつ、展示を軸とした博物館教育の独自の研究を来館者ともに進めていきたいと考えるものである。展示者側の展示意図の再自覚化とそれに伴う展示改革は、来館者の展示観覧体験に学びつつ行われ、人々は、展示から学んだことがらや「ともに学んだ」社会的事実に依拠しながら、日常的実践にそれらが織り込まれていく過程を喜びとして体験する。・・・・(中略) 最後に、展示の持つ二重性分析を、動物展示の特殊性に関連して考えておこう。 動物展示では、展示者側の意図とは独立した「生きている展示動物」の存在(つまり、ジオラマの一要素ではなく、そこに生活があるということ)と、利用者側の各人の意味構築に大きな役割を持つ「生きている展示動物」の存在(つまり、働きかけの対象であり同時に相手から働きかけられるということ)があるという、他の博物館諸施設にはない独自の特徴がある。「展示」という展示者側が表現した意図伝達のための「心理的道具」が、それを利用する側にとっては「道具それ自体との交流」という要素を含んでいる。道具との個別の関係を創り上げながら、その意味づけを変えていくのは利用者である。その意味づけが変わることを道具の提供者すなわち展示者側も具体的に把握しなければならない。動物展示における「展示の二重性」とは、こうした心理的道具の使われように、道具との交流という要素が含まれ、むしろそこに動物展示の本質が見いだせるということを認識すべきだろう。・・・(後略) |