プロボクサー M君の出発


  Five years ago, a local boy living in Otsu, west of
  Kyoto, read a publicity column of
  the Boxing Magazine, came to Tokyo, and
  knocked the door of Kaneko Gym.
  The boy is Eijiro Murata, 19, the non-professional
  (excluding students) bantamweight champion.
  He made his new start as professional July 2,
  winning the first match by 1st round KO.


 時折り、昔のチャンピオンたちのライフ・ストーリーをひっぱり出して読んでみる。
酒場で喧嘩相手を求めてトレーニング代わりとした豪気なチャンピオンがいた。引退して初めて、片方が義眼のまま戦っていたことを告白したチャンピオンもいた。ドサ回りのサーカス一座の力自慢から、世界一の座にのぼっていった男もいた。
 そこには数々の奇想天外なエピソードがちりばめられ、主人公たちはそれぞれが小説も顔負けの波乱万丈の人生を送っているのである。
  いずれも、プロットは単純な成功物語なのに   面白くて仕方がないのは、それらが“運命ゲーム”を見る気にさせるからか。
  王座につき、巨万の富と名声をつかんだ男たちの前身が、浮浪者や脱走兵あるいは銀行員だったりする意外さ。
  そうかと思うと、街の靴みがをしながら身を起こしてチャンピオンとなり、普通なら一生働いたって稼げない巨額の金をまたたく間に手にし、散財し、そしてまた元の靴みがきにもどっていく男もいる。
 しかし彼らの冒険も、だんだんと過去のものになるつつある。特に高度成長の日本のリングには、野望に満ちた目を凶器のように光らせた男たちの姿はめったにみられなくなり、代わりに男前のボクサーが多くなった。「ボクサーらしからぬ顔」という表現は以前はそれなりの効果を持っていたが、ちかごろは陳腐すぎて死語にしたいぐらいである。今や“ハングリー・ファイター”は一般的な先入観でしかないのであろうか。

 一人の青年がプロ・ボクサーとして出発した。仮に、M君としておこう。19歳。金子ジムに所属している。
  写真でごらんのように、初々しい顔は笑うと子供のようにあどけない。
  話をしてみると、口数は少ないが応対ぶりがとても感じがいい。
  そういえば、学生服が似合いそうにも思えるが、近ごろこれほど真摯な学生にはめったにお目にかかれないかもしれない。
  M君を取材したあとで、わが相棒のカメラマンが、やはり 「あれで本当にプロボクサーなの?」といったのも無理はない。
  顔のことだけではなく、M君の全体から受けるきゃしゃな感じが、プロのつわ者を相手にしていくにはどこか頼りなく映るのだろう。
  「とてもすなおないい子なんですよ。頭はいいし、親のしつけがしっかりしてるんでしょうね。ちゃんといいつけは守る。11年もジムをやっていますが、こんな子は初めてです。日本の青年がみんな彼のようだといいのに」と、M君を預かった金子会長はまるで学生塾のような口ぶり。大した優等生ではないか。
 「素直な子」といったが、たしかに一見してM君は自己主張の強くない青年のようである。小学校6年生のとき初めて京都のジムでボクシングをならったのも、格闘技好きの父親に勧められてのものだったし、中学を出て金子ジムに弟子入りしたのも、やはり父の方が率先して本誌の広告を見て息子の入門依頼の手紙を書いている。しかしである、M君はこれでなかなかしたたかなアマ・キャリアをもっている。 16歳の時にはすでに社会人として国体にも出場し、全日本社会人選手権に 2年連続優勝。この若さで80戦を越す試合数をこなしているのだ。
「初めての試合は今でもよくおぼえています。ここへ来て半年ほどして出たんですが、メチャクチャに打たれて負けてしまいました」
 だが、そのあとで彼の「勝者の手」は73回も挙ったのである。
  M君は今、金子ジムに合宿している。部屋といっても、ジムの一角を板壁でしきった粗末なものだ。その半分以上のスペースは、かいこ棚のようなベッドで
  占められており、M君の他に4人のボクサーの卵が 同室している。 とても自分ひとりの時間などもてそうもないが、それでも独立して部屋を借りるよりは、みんなと一緒の方が楽しいという。     部屋のドアをひらけば、たえずリングがみえる。夢の中でもみえるかもしれない。
      M君、村田英次郎は7月2日、茅ヶ崎で藤勝を57秒で倒してデビューした。

ボクシング マガジン 1976年8月