S31.11.30 石川県加賀市に生まれる。
  2,3歳の時、京都に引っ越す。
  父 直一さんの影響でテレビのボクシング中継をよく見ていた
  村田もボクシングが好きになる。中でも西城正三や小林弘が
  印象に残っているという。小学6年生になると京都拳闘会に
  通うようになる。
  小学生のとき、すでにプロボクサーが将来の夢と語っている。

  伏見中学に入りジムに通う一方で、サッカー部に所属。
  中学1年の時に滋賀県大津市に引越すまで、ジム通いは続いた。
  「毎日遠いところを通わせるのはかわいそうなんで、
    自宅の横に四坪ほどの小屋を建て、サンドバッグや パンチングボールをつるして毎日打たせた」と直一さんは語る。
大津市では堅田中学に入学、バレーボール部に所属。

無意味に進学するよりボクサーになろうと思った村田は、
中学校を卒業を控えた72年1月、父親とともに上京、金子ジムを訪ねる。
直一さんは村田について『辛抱強い子』と語っていた。 その性格が何より大事と思っていた金子繁治会長は、 村田にボクシングの素質があるとわかると入門を快諾。
そして3月22日、ジムの2階に住み込みボクシング一筋の生活が始まった。

長身でやせ型、運動神経のよさに、 その素質を見込んだ金子会長は、15歳という若さも考え、5年計画で モントリオール五輪を狙うべく、アマチュアボクサーとして育てることにした。
試合のダメージが大きいプロボクシングの世界では、選手としてやれるのは 10年前後。早くデビューすれば、それだけ早く引退のときが来る。 20歳ごろまではダメージの小さいアマチュアで力を貯える方針をとった。
この計画は着々と進み、76年のモントリオール五輪代表選手の選考会を 兼ねた全日本選手権で 村田は決勝まで進出。しかし結果は石垣仁(専大→ヨネクラ)に敗れ、 日本代表にはなれなかった。 ちなみに、全日本選手権の決勝で敗れたのはすべてこの石垣。