Ferrari F1 ミュージアム
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375F1 (1951) |
| ■1950年から始まったF1世界選手権に向けて、フェラーリが同年のイタリアGPから投入したのが、規定で定められた最大の排気量を持つ375F1だ。デビュー戦で2位を勝ち取り、翌1951年のイギリスGPでは、F.ゴンザレスが世界選手権での初勝利をフェラーリにもたらし、戦前からの王者アルファ・ロメオに世代交代が近いことを告げた |
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500F2 (1952) |
| ■1954年からの2.5リッター規定に先立ち、1952年から2年間は暫定措置としてF2マシンでグランプリが戦われることになる。フェラーリはランプレディが開発した直列4気筒2000ccユニットを使った500F2を製作。車名の500は1気筒当りの排気量を表わす。軽量で高出力な500F2は高い戦闘力を武器にシーズンを制した。 |
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D50 (1956) |
| ■フェラーリF1マシ−ンの中で異色の存在といえばD50だ。ランチアが製作した車輌を引き継いだもので、当時としては革新的なメカニズムを持つ。最大の特徴はサイドの燃料タンクで、燃料が減っても操縦性が変わらず、戦闘力を高めることに貢献した。この年ファンジオは3勝を挙げチャンピオンに輝いた。 |
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246F1 (1958) |
| ■フェラーリにとって3シーズンぶりに自ら製作したF1マシーンが246F1である。エンツォの子息であるディーノが基本設計に参画したV6ユニットは、新開発の246F1に搭載される。強力なパワーを誇る246F1は、スクーデリアに復帰したマイク・ホーソンの手堅いドライブで1958年のワールド・チャンピオンを獲得した。 |
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Dino 156F1 (1961) |
| ■フェラ−リ初のミドシップF1マシーンがDino 156 F1だ。1961年からの1.5リッタ−規定に対応して開発され、実績あるディーノV6ユニットを基にカルロ・キティが設計し、この時期フェラ−リのアイデンティティだったシャ−ク・ノ−ズ・デザインを持つ。8戦中5勝という圧倒的強さを見せダブル・タイトルを獲得した。 |
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158F1 (1964) |
| ■1961年シーズンを圧勝で飾ったフェラーリだが、その後ライバル達が着実に進化を遂げ、もはやアドバンテージは無くなっていた。そこで新たに開発されたのが158F1だった。新設計の8気筒ユニットを搭載し、シャシーも鋼管スペース・フレームにアルミを貼ったセミ・モノコック構造を取り入れ、空力も見直される。名手サーティースの卓越したドライビングにより、ダブル・タイトルをフェラーリにもたらした。 |
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312B (1970) |
| ■1970年代に4度のコンストラクターズ・タイトルをフェラーリにもたらした水平対向12気筒エンジンを初めて搭載したのが1970年の312Bだ。車名のBはもちろんボクサー・エンジンを表す。シャシーは前年の312F1を踏襲するが、低重心で高出力のボクサー・ユニットが真価を発揮し、終盤5戦で4勝を挙げる活躍を見せた。 |
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312T (1975) |
| ■年を追うごとに戦闘力を高めてきた312Bは、新たにコンパクトで重量配分に優れる横置きギアボックスを採用した312Tへと進化する。巨大なインダクション・ポッドが特徴の312Tは1975年第3戦南アフリカGPから投入され、前年スクーデリア入りしたラウダの確実な走りにより、1964年以来のダブル・タイトルを勝ち取る。 |
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312T2 (1976) |
| ■11年振りにダブル・タイトルを手にしたフェラーリは、成功作の312Tをキャリーオーバーし1976年の新規定に対応した312T2を送り出した。スタイリング的には巨大なインダクション・ポッドが無くなり、NASAダクトがコクピット前に備わる点が特徴だ。ラウダの大事故があったがコンストラクターズ・タイトルを得た。 |
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312T4 (1979) |
| ■312Tシリーズ最高の成功作が312T4だ。幅広のボクサー・エンジンはグランド・エフェクト構造にとって障害だったが、フェラーリのデザインを担当するピニンファリーナの協力を仰ぎ、空力を徹底的に煮詰める。その結果サイドポンツーンにベンチュリーダクトを設け高い戦闘力を実現させ、1979年シーズンを完全制覇した。 |
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126C2 (1982) |
| ■1980年に登場したフェラーリ初のターボF1である126Cの発展型として誕生したのが126C2だ。フェラーリ初のアルミ・ハニカム・カーボンファイバー・モノコックを採用し、初の本格的ウイング・カーとして送り出された。マシーンの戦闘力は高かったのだが、この年は不運なアクシデントが続き、コンストラクターズ・タイトルを取るに留まった。 |
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126C4 (1984) |
| ■2年連続コンストラクターズ・タイトルを獲得したフェラーリが1984年シーズン用に送り出したのが126C4だった。しかし、ライバルたちの進化に追い付けず、さらにはマシーンの信頼性が低く、タイトル争いに加われないでいた。勝利はこの年から起用されたミケーレ・アルボレートが、ベルギーGPで1勝を挙げるに留まった。 |
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F1/87 (1988) |
| ■モデルはジョン・バーナードが手掛け、前年の終盤で大活躍を見せた車輌を基に、1988年の新車輌規定に合わせ改良を加えたマシーン(通称F1-87/88)である。実績ある完成されたパッケージのこのマシーンの戦闘力は高かったが、ライバルのマクラーレン・ホンダはそれ以上に進化しており、フェラーリは地元イタリアで1勝を挙げるに留まった。 |
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F92AT (1992) |
| ■1992年用のF92Aは、独創的なスタイリングが特徴だ。戦闘機を思わせるインテークの造形や2重のフロア・パネルは、ジャン・クロード・ミジョ−の発案である。その斬新な姿とは裏腹に戦闘力は低く、スペインGPとカナダGPでの3位が最上位だった。モデルはシーズン途中から投入された横置きギアボックスを採用したF92ATである。 |
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412T2 (1995) |
| ■1995年の新規定に対応して製作されたのが412T2である。名前こそ前年モデルを引き継ぐが、その中身は新開発されたものだった。戦闘力は高かったが、マイナー・トラブルが続き、勝利を逃している。カナダGPでジャン・アレジが初優勝を遂げたことは、フェラーリ・ファンの間で今も語り継がれている鮮烈な出来事だった。 |
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F310 1996 (1996) |
| ■フェラーリのF1マシーンとして初のV10エンジンを搭載したのが1996年用のF310だ。鬼才ジョン・バーナードのオリジナリティあふれるマシーンで、第7戦スペインGPで早くも初優勝を遂げる。モデルは第8戦カナダGPから投入された走行安定性に優れるハイノーズ・タイプ(通称F310/2)で、ベルギー、イタリアで優勝を勝ち取った。 |
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F300 (1998) |
| ■フェラーリの現在に至るサクセス・ストーリーの原点が1998年にデビューしたF300である。同年からの全幅1800mm、グルーブド・タイヤ規定に対応して開発され、モノコックを始めエンジンまですべてが新開発だった。またシーズン途中から採用された上方排気は、他ティームがこぞって採用するほど優れたシステムだった。 |
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F2002 (2002) |
| ■フェラーリのグランプリ・マシーン史上最強の1台がF2002だ。2002年シーズン17戦中15戦を制し(内9回の1-2フィニッシュ)、3年連続ダブル・タイトル獲得に貢献した。メカニズム的にはF2001の延長にあるが、すべての面で磨き上げられ、歴代マシーンの中で最もソフィスティケートされた1台と評価されている。 |
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F1-2000 (2000) |
| ■2000年のダブル・タイトル獲得の原動力となったF1-2000は、前年のF399とあまり変わらないように見えるが、実は重心位置を下げ、空力性能を大幅に向上させた新開発のマシーンなのである。搭載されるティーポ049エンジンも、ハイパワーと高い耐久性を兼ね備え、シューマッハのドライブで2000年シーズンを席巻した。 |
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F2004 (2004) |
| ■ワールドタイトルを獲得したF2003-GAが進化したモデルとして発表されたのがF2004である。低重心化を図り、耐久性を大幅に強化した新設計のタイプ053エンジン、最大限の性能レベルを引き出す為に改善されたブリジストンタイヤを搭載している。 |
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F2003-GA (2003) |
| ■4年連続のダブル・タイトル獲得を目指し送り出されたのがF2003-GAだ。車名の後ろに付くGAは、近代フェラーリを支え続け、発表直前に他界したフィアット会長のジョバンニ・アニエッリを称えイニシャルを付けたもの。第5戦スペインGPから実戦投入され、高い総合性能を発揮し日本GPでダブル・タイトルを決めた。 |
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F310 B(1997) |
| ■F310を進化させ、バーナードによりデザインされた最後のモデルがF310 Bである。F310 Bは高度な技術を投入しサーキットでの走行性、信頼性を向上させた。トランスミッションやディファレンシャルは改善され空力特性は目に見える変更を遂げた。シューマッハは雨のモナコGPで勝利を収め、カナダではクルサードとの身震いするような勝負が演じられた。 |
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F399 (1999) |
| ■F300が進化したモデルがF399である。風洞実験による詳細なテストの結果、重心位置を改善することにより空力特性をさらに向上させた。048エンジンは前年に用いられていたエンジンを更に進化させたものである。F399は16年ぶりにコンストラクション・タイトルをマラネロへと導き、その結果として速さと信頼性を証明した。 |