025/のどあめ


 包みを開けて、飴を口の中に放り込んだ。
 すーっとした、ミントが、口の中に広がる。
 気休めだが、なんとなく落ち着く。
「風邪でもひいたの?」
 突然の声。
 はじめは飴を飲み込むほど驚いたものだが、さすがに今となっては驚かない。
「そうだよ」
「のどあめなんて気休めだよー。ちゃんと病院行かなきゃ」
「病院は嫌いなのよ」
「そうやって意地張って喉壊す方が大変だと思うけどなー」
 駅のホーム。電車を待ちながら、隣に立つ彼女は言う。
 音大に入ってから知り合った子だ。あけすけと言うか、何と言うか。きっと何も考えずに思ったことを即ことばに変換する子なのだろう。
「声楽やってるのに、喉風邪ひくこと自体間違ってるよね」
「ピアノやってるのに球技とか平気でやってるのもどうかと思う」
 彼女は器楽科のピアノ専攻。ピアノは私も大学入試の副科でちょっとやったけど、あれはもう指の神業だ。一朝一夕にはこなせない。まあ、声楽も然りだとは思うが。
 ピアノを専門にする人はとにかく指には気を使う。何せ商売道具だ。だからピアノをやっている人は自転車も運転しないし、重い物を運んだりはしない。球技なんてもってのほかだ。
 なのに彼女はふっつーに球技をこなす。危機感がまるでない。
「良いじゃん。あたし怪我とかしないし」
 過信がいちばん危ないと言ってやりたい。言わないけど。
「……いつか痛い目見るよ」
「そうかもしれないけど。それでピアノ駄目になったら、あたしもそこまでの人間ってことだよ。それでお終い」
 なんとまあ、諦めの宜しいことで…。
「ふうん、まあ、あえて深くは口出ししないけど」
 言いながら、ふたつ目ののどあめを口に放り込む。
「ねー、ちゃんと病院いった方が良いよー? のどあめなんて、ほんと気休めにもならないよ?」
「わかってはいるけどね」
 どうもキライなんだよ、病院のあの雰囲気。あの臭い。あの―――とにかくすべて。
 だから、気休めとはわかっていてものどあめとか、自力系に頼ってしまう。まあ風邪なんて自力で治すものだ。事実、大方は自力で何とかなる。何とかならなければ、あとは普通の薬局で売ってる普通の市販の薬で。
 とにかく病院は嫌いなのだ、あんなところいかないのだ、それが私のポリシー。
「もー。意地張ってると本当にのど潰れちゃうんだから」
「さらりと怖いこと言わないでよ……」
 声楽なんて一芸しかない私にとって、それはイコール人生の終わりを意味する。楽器は殆ど出来ないに等しいのだ。まあ、せいぜいピアノが少々弾ける程度で。弾けると言っても、そこらのアマチュアの方がよっぽど上手く引けるだろう、そのレベルだ。
 あめを舐めている間は、いがいがは治るけど。しばらくしたら再発する。ああ、だからこの季節は嫌いだ。油断するとすぐのどにくる。
「あーあ…」
 舌で飴を転がすと、電車の到着を告げるメロディが鳴った。


(2004/08.10 1155文字)



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