032/鍵穴


「あんっあ、……ああんっ」
 漏れるのは濡れそぼった声と荒い息遣い。
 大きな机に手をついて、見えるのは後姿。
 ―――鍵穴の向こう側。
 若い社長と秘書の逢瀬。
 ていうか、昼真っから破廉恥なことで…。
「なにしてんの?」
 一瞬息を呑んで、そろりと後ろを振り返る。
 同僚(女)が立っていた。
「何って……」
「覗き? 素敵な趣味ね」
「なんだよ…」
 デフォルトで小声。何故って? 逢瀬の邪魔しちゃ悪いからですよ。
 だいたい中が覗ける鍵穴なんてモノ、今更古いのだ。そんなの、見て下さいと言っているようモノ。
 だからおことばに甘えているだけだ―――とは、口が裂けてもいえない。いや、裂けるぞと脅されたら言うかもしれないが。まあそんなの普通はあり得ない。
「ねえ、どうでも良いけど、ちょっと除けてくれない?」
「…はあ?」
 きっと俺、ずいぶん間抜けな顔をしてるに違いない。
「何で?」
 同僚は俺の前にさっと硝子コップを差し出した。
 わけがわからないので、見上げると、彼女はにやりとわらった。
 悪戯好きの子供の笑いだ。
 俺は躰をずらす。何故だか、そうしないといけないような気がしたからだ。
「ふふっ」同僚はうっすらと声を出してわらった。「これ、ベタだけど結構よく聞こえるのよ」
 そうして、扉に硝子コップをあてて、その底に耳を当てた。


(2003/08.09 532文字)



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