067/コインロッカー
鍵が落ちていた。
浪人生の俺は予備校帰り。この時間は、ちょうどサラリーマンの帰宅ラッシュとかぶる。駅の構内はひっきりない人の流れでいっぱいだった。
そんな流れの中、俺は足元に鎮座している鍵を見下ろす。最近新調したばかりの眼鏡は、鍵についたキーホルダーの数字まではっきりと見せてくれる。
「327」
キーホルダーにかすれかかった黒文字でそう印刷されていた。
首をかしげると、後ろから誰かの肩がぶつかった。
「すいません」反射的に口がそう言う。ぶつかったのはサラリーマンらしき中年で、迷惑そうな目をして階段を降りていった。
俺は屈み込んで、鍵を拾った。これ以上ここで立っているのも人様の迷惑だから。なんだかなあ小心者だなあ、と思ったりしながら。
どうでも良いが、俺の誕生日は3月27日だ。
まあ、これもひとつの運命ってことで。
とりあえず、駅構内のコインロッカーに行ってみた。
「327」を探す。案外あっけなく見つかった。
ちょうど胸のあたりの高さで、40センチ四方くらいの、割と大き目のロッカー。
キーホルダーとコインロッカーの数字を見比べる。
「327」
確かに、そう印刷されている。両方とも。そしてコインロッカーには鍵がない。使用中、ということ。
鍵を差し込む。回す。がちゃりと、錠が上がった。どうやらここの鍵だったらしい。鍵は抜けなくなった。代わりに、扉が薄く開く。
開くと、中には布の塊が入っていた。
「?」
眉を寄せて、考える。なんだ、これ?
温かい、人肌の匂いがした。布の合わせに、手を当てる。ほのかに温かかった。
嫌な、予感がした。逃げろ。俺の何処かが、そう警告する。これ以上これに関わるな。
関わるな。
なのに俺は、布をめくっていた。
どうせならここで、逃げてしまえばよかったんだ。そう、ここで何も見なかったことにして。
中には、赤ん坊がいた。
眠っているのか、気持ちよさそうな顔で。
赤ん坊が。
いた。
何故?
なんなのだろう、これは。幻だろうか。それとも眼鏡の度が合ってなくて、それでこんなものが歪み出されているのだろうか。いやいや、眼鏡は新調したばかりだぞ。
頭が混乱して、眩暈がした。この状況、俺に一体どうしろって言うんだ?
とりあえず、逃げてしまおうか。また、見なかったことにして。そう、こうやってこの赤ん坊をコインロッカーの中に押し込めた誰かのように。
逃げて―――。
「ふあ…」
ひくっ。
躰が、反応した。
「………」
恐る恐る見ると、赤ん坊の目が開いていた。じっと、物珍しそうに俺を見ている。
ど、どうしろと?
は、はは…笑い返すと、やつはこともあろうに顔を歪めやがった。マジで泣いちゃう5秒前。
俺は反射的に扉を閉めた。
扉の隙間から、火がついたような泣き声が漏れてきた。そうか、空気は通るんだな、変なところで一安心。
声を聞かないようにして、俺はよろよろとその場を後にした。
駅構内の、立ち食い蕎麦屋。山掛け蕎麦を食べながら、どうして俺はまだ駅にいるのだろうかと考える。
どうして。
どうして?
それは、そんなの。
隣にやってきたまだ社会人何年目かと言うようなサラリーマンが、掛け蕎麦を注文した。サラリーマンは内ポケットから携帯を出すと、にやけていた。はっきり行って不気味だ。
俺は蕎麦を啜りながら、横目で携帯の液晶を覗いた。
そこには、幸せそうな母子が移っていた。サラリーマンの奥さんと子供、といったところだろうか。
幸せそうな。
コインロッカーの中にいた赤ん坊は、きっと、望まれない子供だったのだろう。ふと、そんなことを思った。だから、あんなところに棄てられていたに違いない。なんて不幸な。なんて、なんて、悲劇。
サラリーマンは携帯を元通りにしまった。俺の視線に気が付いたのかと思ったら、なんてことない、掛け蕎麦が来ただけだった。
俺は出汁の一滴まで飲み干して、立ち食い蕎麦屋を出た。
気が付いたら、またさっきのコインロッカーの前にいた。
「327」
赤ん坊は泣き止んだのか、何も聞こえない。
扉を開ける。そこには、―――なにもなかった。
「あれ?」
拍子抜けしてしまう。
何処に行ったのだろうか、あの赤ん坊は。もしやひとりで歩いて何処かへ? いや、そんなまさか。まずこの高さか無傷で降りられるわけがない。1メートル以上あるんだぞ?
とりあえず、ここにはいない。それだけは確かだった。
ならば、何処に行ったのだろうか。
「ちょっと、アンタ」
「は?」
とんとん、肩を叩かれて、振り返る。そこには、制服警官。よく見る、駅構内にある交番の警官だ。
「何か…?」
「アンタ、ここにいた赤ん坊の父親?」
「はあ?」
「はあ? じゃないよ。どうなの? そうなの?」
「いや。違いますけど」
「けど?」
微妙な語尾まで追求してきやがる。何なんだ、この警官は。
いや、何なんだ、と言われるべきなのか俺なのか?
「いや、あの、俺無関係ですから」
「ふうん、そう」
言いながら、彼の目はあからさまに「怪しい」と言っていた。
「ちょっと来なさいよ」
まさか警官に逆らうわけにもいかず、とぼとぼついていく俺。何でこんなことになってるんですか?
警察署の詰め所。
そこに、あの赤ん坊の姿。
野郎(女の子かもしれないが)、俺の姿を見るなり笑って手を伸ばしてきやがった。何だ、さっきとのリアクションの違いは。
警官が、ちらっと俺を見た。何なんだ、そのあからさまに怪しがっている目は。
「で、この子名前は何ていうの?」
さらーっと、変なことを訊いてくる。名前? そんなこといわれても。
「知りませんよ」
「知らんじゃないだろう!」
怒られました。何故?
「何でこんな可愛い子をあんな場所に入れるんだ!」
まったく、近頃の若いもんは……。
「あの、何か勘違いされているようですが…」
「勘違い?!」
甲高い、一体何処からこんな声だしてるんだこのおっさん警官。「勘違いも何もあるか!! わしはずっとみてたんだぞ! お前がコインロッカーを開けて閉めて戻ってくるところまで全部!!」
見られていたらしい。
「そんなこと言われても、俺の子じゃないです」
言うが、おっさんは一向に聞く耳持たない。
「第一、俺彼女なんていないですし」
言うと、おっさんは一瞬詰まった。ぐう、そんな声が聞こえる。そんなところで納得されても、非常に気分が悪いのだが。
「うううるさい! うるさい!! そんなことは訊いてない!!」地団太を踏む、そんな感じでおっさん。
「とにかく! もって帰れ!!」
「はあ?!」
何言ってんですか俺の子じゃないっていってるじゃないですかそれともそんなこと無視ですかむしろこの子の人権無視ですかだから俺は親じゃないって一介の浪人生だってば!!
しかしおっさん、そんなこと軽く無視。ちくしょう、何無視してもそこ無視すんじゃねえよ。
赤ん坊を見る。きゃらきゃら笑ながらやり取りを見ていたらしい。非常にご機嫌だ。確かに、機嫌の良い赤ん坊は可愛い。しかし、しかしこれとそれとあれとはまったくもって別問題。
「とりあえず、違うものは違いますから」
「強情なやつだな…」
強情なのはアンタだよ、アンタ。
「すいません!」
にらみ合っていたところに、ひとりの女性が割って入る。女性は息を切らして、必死な形相。
「あ、ああ、どうかされましたか?」
逃げんなよ、そんな目で俺を見てから、にこやかに応対するおっさん。そうだ、忘れかけていたがこの人は警官なのだ。
「あの、うちの赤ちゃんが!」
赤ちゃん。
「だばだば」
そのワードに反応してか、赤ん坊が気持ち良さそうに言った。いや、実際は「だばだば」何て言ってないだろうが。俺にはそう聞こえた。
「ああっかのんちゃん!!」
「「ええっ?!」」
驚く警官と俺。
「あ、あの…この子のお母さんですか?」
恐る恐る訊ねる警官。
「そうです」
普通にこたえる母親(と、今判明)。
「あの、この子…コインロッカーにいたんですけど……」
「そうですけどそれが何か?」
「………」
「………」
黙る俺と警官。
今、何ていったんだろ、この母親は。
「買い物に行くのにちょっと邪魔だったもので…コインロッカーって荷物を入れておくものでしょう? 鍵を無くして焦ってたんですよ、探すの諦めて戻ってみたら開いてて中は空っぽだし…」
はあ、汗をぬぐいながら話す母親。
俺も警官も呆れて何もいえなかったのは、ご愛嬌。いや、なんか違うか…。
(2003/08.16 3328文字)
(2003年ジュヴナイルステークス nf66/コメディ大賞典参加作品)
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