074/合法ドラッグ


―――ヒトコトで言うと、麻薬みたいなもんだ
 見上げた青年は、目の前のビルの壁を見ながら言った。
 ビルとビルの隙間。ぼくは座り込んで、彼は立って。こんな隙間に、日のひかりなんて差し込むはずもなく。当たり前のように薄暗く、何処か湿っぽい。
「定期的な摂取が必要だ。その代わり、強靭な筋力と体力が手に入る」
「ドーピング、みたいな…?」
「似たようなもんだけどな。ただこれはどんな検査にも引っかからない。見た目にもさしたる変化はない」
「でも、違法なんじゃ、」
「違法云々の前に、認可されてないからな。でも、その道のやつらには結構有名だぜ。徐々に効果が現れるから、極秘のトレーニングしてるんですっていういいわけもきくしな」
 ホラ、青年はぼくの目の前に錠剤の入った瓶をかざした。
 なかには、楕円の銀色の錠剤が、半分ほど入っていた。
「お試しセットだ。それを飲んでから気に入ったらまた此処にこい」
 瓶を受け取って、まじまじと、見る。
「お試しセットっていうけど、これ、依存性とか、ないんですか?」
「やめるんなら、1週間経つ前にやめろ。その程度なら充分抜けられる」
「ていうことは、依存はあるんですね」
「依存のない薬なんてないんだよ。副作用のない薬がないようにな」
「副作用…」
「一時的に食欲が落ちる。それだけだ。妊婦の悪阻みたいなもんだな。2週間もすれば収まる」
 青年を見上げて、瓶を見た。銀色の錠剤ひとつひとつに、未来が見えるような気がした。歓声と栄光に満ちた、未来が。
「痛むのか?」
「え、」
 無意識に、足を触っていた。もう2度と、走ることは出来ないといわれた足。誇りから、文字通り足枷になった、足。
 もはや痛みを感じることも出来ない。ただ、歩くためだけの、躰の一部かどうかさえも疑わしい、パーツ。
「ぼくにもちゃんと、効きますか?」
「それは、飲んでみたらわかるだろうな。過去の例を言えば、膝を壊して再起不能といわれた短距離走の選手が、五輪代表まで上り詰めた。ま、やつはそれまでだったけどな。もともとの才能の限界だったんだろう」
「…ヒジカタシンジ、ですか?」
「……やっぱ知ってるか。一時期伝説じみた噂もあったからな」
「でもあのヒト、五輪出場の前に、亡くなりましたよね。確か、交通事故で」
「そこまではこっちとしても面倒見切れるわけないだろ。うちはそこまで懇切丁寧なアフターケアはやってねえんだよ」
「…いくら、ですか?」
「………」
「効果が凄いんなら、値も張るんじゃないですか?」
「そうだな。アンタが成功したら、その名誉を貰おうか」
「…名誉?」
「そう、名誉だ。薬の代価としてはちょうど良いんじゃないか?」
「でも、名誉なんて、お金にはなりませんよ」
「だが、金でスポーツの名誉は買えねえな」
「本当に、それでいいんですか?」
「ああ、バッチ。」
「わかりました。じゃあ、1週間後に、また此処で」
「色好い返事を待ってるぜ」
 壁に手をついて、立ち上がった。
 左足に感覚はなかった。
 隙間をでるときに振り返ると、青年は煙草を吹かしながら、ぼくのほうを見て目を細めるだけで、わらった。

 薬の効果は絶大だった。

 3日もすると、足に感覚が戻ってきた。
 垂直跳びの要領でジャンプすると、やすやすと天井に手がついた。前以上の脚力が、確実についていた。
 ぼくは早朝と深夜に、ジョギングをするようにした。さすがに何もしないのは気が引けた。ぼくだって努力したんだ、その証が欲しかった。
 足が元通りに鳴るのと平行して、青年の言った通り、食欲は一気に落ちた。口に物を含んだだけで吐き気がする。水でさえも辟易した。
 6日が過ぎた。
 足は殆ど元通りになった。
 4日を過ぎたあたりから飲まず喰わずだったが、気持ちとしてはそれでちょうど良かった。胃や腸に物が何もなければ、吐き気も軽かった。体重だけが、面白いように減っていった。56キロあった体重が、気がついたら46キロまで落ちていた。
 ただ、その代わりとでも言うかのように、足は病気をする以前に戻っていた。否、病気など、ハナからなかったかのように。
 6日目の夜。
 瓶は空になっていた。銀色の錠剤はすべてぼくの躰の中だ。約束の日は明日だ。続けるのか、やめるのか。
 こたえなんて、考えるまでもなかった。

「ずいぶんスマートになったな」
「おかげさまで。足は元通りです」
 1週間前と同じ場所で。ぼくは青年と再会した。
「で、どうするよ」
「続けますよ」
「…即答、だな」
「ぼくが思っていた以上の効果です。これなら、ぼくはまた以前のように――いや、前以上に走ることが出来る」
「そうか。そいつは良かったな」
 青年はそういうと、ぼくに鍵を投げて渡した。コインロッカーの鍵、のようだった。
「Y駅の地下東口にあるコインロッカーの鍵だ。以後薬の受け渡しはそこで行う」
「わかりました」
「1週間ごとだ。やめたくなったら取りに行くのをやめればいい。ただし、そのあとのことはこちらは一切関知しない。苦しもうがどうなろうがな」
「わかりました」
「じゃあ、あとはおまえ次第だ」
 鍵を握り締めて、頷いた。ぼくは、この道を選んだ。
「それでは、今後とも御贔屓に」
 青年は紳士めいた会釈をすると、くるりときびすを返した。
「ありがとうございました」
 背中に言ったら、彼は左手を軽く上げた。


 2週間が経つころには、食欲も少しずつ戻ってきた。一時期は42キロまで落ちた体重も、だんだん戻り始めた。
 足はもう、元通りを通り越して、今までにないほど快調だった。体重が減ったせいもあるのだろうが、躰も軽かった。
 ぼくは慎重を期して、体重が50キロに戻ってから、県の大会に出場した。青年にスマートと言われた外見も、痩せ気味、と思うほどになっていた。
 結果は上々だった。他の選手はみんな遅すぎた。ぼくを止めること何て、誰にも出来ない。
 大会新記録を1秒も更新したぼくは、当たり前のように注目された。県大会から、関東大会を経て、著名な陸上大会出場の切符を手に入れた。その大会で結果を残せば、五輪代表の選考に入ることが出来る。
 ぽっと出の大学生が、次々と記録を更新していく―――マスコミが飛びついて、粗探しを始める。何かあるのではないか、ドーピングか、そんな噂が飛び交い、検査も念入りに行われた。しかしどんな検査をしても、ぼくから薬物が検知されることはもちろん、異常なんて何処にもなかった。
 病気をしていた過去なんてあっという間に発覚した。再起不能だといわれたことも。しかしぼくは、苦労をバネにしました、という顔で多くは語らなかった。
 第二のヒジカタシンジだと、マスコミは騒ぎ立てた。だけどぼくは、"第二のヒジカタシンジ"にとどまるつもりなんて毛頭なかった。ぼくが見ているのは世界だけだった。
 五輪選考候補に入るという通知がきてから、ときどき視線を感じるようになった。誰のものなのかはわからない。男なのか女なのか、子供なのか大人なのか。それは、もしかしたら、写真の目がどの角度からでも自分を見ているような、そんな錯覚じみたものだったのかもしれないけれど。
 五輪選考の結果、ぼくは代表に残ることが出来た。でもそれは、ぼくにとっては当たり前のことだった。残れないことなどありえなかった。
 代表入りの通知がきた夜、ぼくは薬を取りにY駅に向かった。ちょうど1週間区切りの日だった。幸い副作用もなく、飲みつづけているぼくは、依存もたいして苦には感じられなかった。
 青信号を渡る。ふと、視線を感じた。
 今までにない、強い。視線だった。粘着質の。
 振り返る。誰も、ぼくを見ていない。前を見た。誰も、ぼくを見ていない。
 右も左も、上も下も。視線の主は、わからない。
 目の前の街頭モニターに、ぼくのわらった顔が映った。画面下に、テロップが踊っていた。"第二のヒジカタシンジ! 次期五輪メダルへ最短の男!
 じとっとした。陰湿な視線。
「……、」
 目の前に。彼が居た。
 薬をくれた、薬の代価として名誉を要求した彼が。
 煙草をくわえて、細めた眸はまっすぐぼくをみて――捕らえて。
 視線の端で、信号が点滅を始めた。
 人が小走りに通り抜けていって、人口密度が一気に低くなる。
「………あ、」
 点滅が細かくなる。人がはける。
 青年が、右手を軽く上げた。
 "僕はぼく、ヒジカタさんはヒジカタさんですよ"
 画面の中のぼくが言った。
―――グッドラック
 彼が、そういったような気がした。
 背筋にすっと、何かが撫ですぎていった。
 鼓膜を突き破るようなクラクションと、引き寄せられるような風圧と。



「どうです?」
「いいねえ、なかなかに素晴らしい細胞だ。ヒジカタくんよりずっと良い」
 白衣を着た壮年の男が満足そうに言った。
「相変わらず、君の目の付け所は素晴らしいよ。ヒジカタくんのときといい、今回といい、ね」
「貢献出来るなら僕としても満足ですね」
「ふふふ、ああ、楽しみだねぇ。最高の細胞最高の培養最高のクローン…!! ああ、考えただけで射精してしまいそうだよ」
「それは良かった。それで、例の話は、」
「あ、ああ、大丈夫だよ。忘れちゃいない。技術が揃えば、君の弟を作り出すなんて、朝飯前だよ」
「…ええ、よろしくお願いしますよ」
 青年は笑顔を崩さずに、言った。こんなクソに頼らざるを得ない自分を情けなく感じながらも、それでもこれに縋るしかなかった。
 自分の過失で亡くしてしまった双子の弟を。たとえ自己満足であっても、生き返らせるために。
「最高のスプリンターがもうすぐ誕生するよ」
 細胞を集めて選りすぐって。
 稀代のスターを作り出せ。
 薬はその副産物に過ぎない。真の目的はその、先の先にある。
「では、今日も営業かね」
「そうですね。」
 棚から、瓶をひとつ取り出した。
 銀色の錠剤が、白いあかりにどろりとした煌きを返していた。


(2003/12.22 3915文字)



クローン人間製造の過程。詳しいことはわかりません。
久しぶりにがっつり書いたような気がします。そのくせわけわからんよ…。
絶望と栄光と、その先にあるもの。
足元をすくわれないようにしないといけませんね。



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