075/ひとでなしの恋


「おい、行くぞ」
「…うん、」
 見上げる空から視線をはずして、背後に返答する。
 空にはオレンジ色の月が燃えていた。抱えるほどの大きな月。

 ああ、僕は―――

 瞬きをすると、世界が変わると信じていた。ずっとずっと、幼かったあのころ。自分のしていることを認識していなかったあのころ。
 だけど今は。知ってしまった。
 瞬き程度の刹那じゃ、世界は何にも変わりはしないと言うことを。
 逃れられないことを。

「おい、聞こえてるのか」
「……わかってるよ」

 窓枠から降りると、背後で月がささやいたような気がした。


 好きな女の子がいる。
 窓から見下ろせる、家に住んでいる赤毛の女の子。たぶん、僕よりひとつかふたつ年下の。
 可愛らしい女の子。


 "彼"は何でも壊したがる。
 僕を手に入れてから10余年。僕は籠の中の鳥。僕は、何処にも逃れられない求められない。
 僕もいつか壊される。
 それを、僕は望んで、畏れている。

 僕は"彼"の後ろについて行きながら、"彼"の背中を見上げる。
 羽織ったマントの下の服の更に下には、傷があることを僕は知っている。
 その傷が、僕を"彼"に縛り付けているのだということも知っている。
 その傷を愛しいと思ってしまうのは、きっと。
 きっと―――


 僕が、既に壊されているからかもしれない。


 僕の手から、滴る生臭い液体。
 それが「血」と言うものだと知ったのは、つい最近のことだ。
 "彼"は僕の後ろで、小さく指を鳴らした。
 ぱちん、
 振り向いたら、"彼"はわらっていた。
「いい子だ、」
 僕はわらっているようだった。
 僕は人形だ。
 人を「殺す」人形だ。僕自身は、決して、人ではない。
 人ではあり得ない。人ではない。

 "彼"の指が、僕の頬をぬぐっていく。
 血のついた指先を、"彼"は楽しそうに舐めた。

 その表情に、眩暈のようなものを覚える。

―――ああ、僕は

 きっと、この人に恋をしているんだ。
 あの女の子が好きなように。
 この、壊したがりの、壊れた、彼を。
 彼に。
 恋をしているんだ―――。


(2003/08.17 798文字)



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