ひかりあかりひかり


―――――さようなら、



 act/0

     終わりは何処にある?
始まりは何処にある?
 何処にもない。
   始まりも終わりも。
何処にもない。
何処にある?
  おわりは?
   はじまりは?
 何処にある?

 何処にもない。
  きっと。
 きっと。

              何処にもない。

 何処にも。
  ありえない。





 act/2

 世界は、
 何処で終わりを迎えるのだろう。
 世界は、
 何処まで行けば終わるのだろう。

 そんなことばかり考えていた。
 そんなことばかりが、頭の中を占めていた。
 おかしいな、もう駄目だな、何度も思ったけれど。
 その考えを追い出すことは出来なかった。
 日常は灰色で、音はない。ひかりも闇もなければ、影もない。
 あるのは、翳ばかり。
 終わってしまえば良いのに、こんな世界。
 世界が終わらないのならば、
 せめて、
 僕だけでも。
 終わらせてくれれば良いのに。
 そんなことは、出来ないことなんだ。
 出来ない。
 出来ない…。
 本当に、出来ない―――?





 act/3

「出張、ですか、」
「そうだね」
 上司はにっこりわらって言った。
「何処に?」
「樹海。」
 上司はあっさりわらって言った。
「樹海…ですか、」
「そう、樹海だよ。一斉検挙ってやつ?」
「検挙はことばが違うと思います。もっと日本語の勉強をしてください」
「いやはや、それをテルくんに言われるとはね!」
 アイター! そんなリアクションで、上司はふざけた態度を崩さない。
「要は、彷徨える彼らをいっせいにお連れしろと、そういうわけですよね?」
「…うん、まあ、そういうこと」
 今の間、微妙に気になるんですけど。気にならない振りをしておきます。
「それで、毎度の如く、ボクひとりですか単独行動ですか?」
「いや、今回は同行者をつけるよ」
「へえ、珍しい。労働局に訴えられるのが怖くなったんですか?」
「そぉんなことはないさ。ただ、可愛い可愛い社員に少しでも楽をさせてあげたいなあって思ってね」
「じゃあ休暇をくれよ」
「……何か?」
「いえ、何も。」
 絶対聞こえていただろうに、上司は笑顔を崩さない。何も崩れない、この人は。
「というわけで、」上司は机上の呼び鈴を叩いた。
 ぱりりんぱりりん。
 背後で、白い壁に浮かぶようなダークチェリーの扉が開いた。
「彼は、キミのバディ。ヒロくんって言うんだよ。よろしくしてね」
「どーも。」
 派手なアロハシャツに、脱色してるのか金色の髪をふわふわさせながら、ヒロは愛想のある顔で言った。「いやあ、憧れのテルさんと仕事ができるなんて、俺もめっちゃ運がええわー。よろしゅう!」
 がっしりとつかまれた手をぶんぶん上下に振って、ヒロ。
「それにしても、ホンマちっさ―――ううん、ごほっごほっ―――小柄ですなあ。俺の腰ちょっとしたあらへんですやん。いやあ、可愛い! 高い高いしてもええ?」
「え、あ…うん、それは断るけど。……、ヨロシク」
 ノリに押され気味になりながら、テルはようやく挨拶のことばを発した。
 助けを求めるように上司を見たが、彼はにこやかに彼らを見ているだけで、到底助け舟など出してくれそうにはなかった。


 出張、ね。
 上空から見下ろしただけでも、樹海は見渡せないほどに広かった。一体何処からどこまで調査すればよいのやら。と訊けば、間違いなく「全部だよ」というに決まっている。
 理不尽だ。
 げんなりと思った。
「こりゃ、ひとりじゃなんともなりませんなあ」
 隣で、ヒロがびっくり仰天といわんばかりに言った。
「だよね。」
 同意する。激しく同意する。
「じゃあ、ボクは北の端から行くから。ヒロくんは南の端から行ってくれる?」
「ええっ、いっしょに行動するんとちゃうんですか?」
「何言ってんのさ、ばらけた方が効率良いでしょ?」
「むむぅ、そりゃ、ま、そうですけど〜…」
「ほらほら、わかったらさっさと行く行く!」
「何のためのバディなんですかあ…」
 ぶつくさ言いながら、それでも言われたとおりヒロは南のほうに向かった。
 従順だねえ、その後姿を見ながらテルは声に出さずに呟くと、自分は北を目指した。
 上空にそれらしき影はなかった。
 ということは、ほぼ全部が樹海の中を彷徨っている、ということになる。一体何人が、自分が死んだことに気がついているのだろうか。たぶん、ほとんど、だろう。
「げっそりなのだ」
 まあ、ひとりでやれといわれるよりかは何ぼもましなのだが。文句のひとつも垂れたくなる。
 しばらくして北の端にたどり着くと、テルは地面に降り立った。

   +++

 陽のひかりさえ入らない、この樹海の奥で。
 僕は、
 僕は。
 彷徨いながら、彷徨いながら。
 一体どれだけの時間が過ぎたのか、わかりもしないまま。
 死ぬためだけに、彷徨って。
 死ぬためだけに、存在して。
 大体人間なんていうものは、死ぬために生まれてくるのだ。僕の場合は、ただそれを、その期間を短くしたいだけ。人為的に。短くさくっとまとめてしまいたいだけ。
 なのに。
 世間はそれを否定する。
 そういう考えを拒絶する。
 生きられない人もいるんだよ。君は生きられるのにどうして死のうなんて考えるんだ。生きたくても生きられない人もいるんだ。君は五体満足で、そこそこ裕福な家庭で、一体何が不満だって言うんだ。
 何が不満?
 すべてが不満なんだ。
 すべて。
 すべて、要らない。
 生きたくても生きられない人がいるなんて、そんなの関係ない。僕には無関係だ。
 そういう人に僕の残りの生があげられるなら、いくらでもくれてやる。出来もしないことを喩えにあげるなんてふざけているにも、人を莫迦にするにもほどがある。
 要らない。
 何も要らない。
 何も。
 何もかもが。
 不必要だ。

 ぽつりと。
 あかりが目に入った。

 この樹海のなかで、明らかに異質な。人工的なあかり。
 なんなのだろうかと、近づくと。
 自動販売機だった。
 どうしてか、わからない。どうしてこんなものがこんな場所にあるのか、わからない。
 だけど、そこには確かに、金属、あかり、人間の息吹。
「どうして、」
 思わず、呟きが出る。
 どうして、こんなところにまで?
 僕は要らないといっているのに。
 何もかも。棄てて、要らないと言っているのに。
 どうして、介入してくるんだろう? どうして、関わろうとしてくるんだろう?
 どうして、
 どうして。
 自動販売機に触れると、あたたかかった。あかりのぬくもりだと、わかるのに少し時間がかかった。
 どうして。
 どうして?
 僕は何も欲しないのに。
 僕は何も要らないのに。
 どうして―――

「あやァ?」
 今度は空耳だ。
 何だ、
 何で子供の声が聞こえる。
 僕はおかしくなったのか? 死ぬ前に、精神が壊れてしまったのだろうか?
 だとしたら、それはそれで。
 素敵だけど。
 何だか、滑稽過ぎてどうしよう?
「ねえ、ねえねえキミ。」
 空耳なのに、やけにリアルに聞こえる。大体こんな樹海の奥に子供なんているはずがないのに。子供なんて、きっと幽霊だっていやしない。
 それくらい幼い、女の子の声。
 ぐい、
 服を、引っ張られた。
「え、」
 見ると、艶のある黒い髪を即頭部でふたつに結った黒目がちの目が大きな女の子が、じっと僕を見上げていた。
「………」
 僕が何も言えずに固まっていると、女の子はにっこりとわらった。
「ね、迷ったの?」
 可愛らしい笑みで。
 可愛らしい声で。
 女の子は言う。
「迷ったの?」
「……そう、だよ」
 僕はやっと、それだけ言えた。
「迷ったんだ。迷いたくて迷った。ここなら、ここなら―――」
「ここなら?」
 言いかけて、女の子が訊いてくる。ここなら、何?
 言おうとして、やめた。こんな女の子に、死ぬなんて単語、知って欲しくない。否、既に知っているかもしれないけれど、でも、教えたくない。少しでも、離れた場所にいて欲しい。
 少しでも。
 僕から遠のいた場所に。
 いて欲しい。
「いや、なんでもないよ」
「そう、おかしな人だな」
 わらいながら、女の子。声はあげずに。
「ねえ、じゃあ、ボクと一緒に行こうよ」
 服のすそを引っ張りながら、女の子は言う。「ね、一緒に行こう」
 僕は、どうこたえたらいいのかわからなくて。でも、女の子の笑顔に、頷くしかないような、そんな気がした。
 女の子はその小さな手をつかんでいた服から離して、僕に差し伸べた。
「一緒に行こう」
 僕は、思ったよりずっとあっさりすんなり、その手を、握った。
 手は、
 小さくて、
 でも、
 とても、あたたかかった。





 Act/4

 歴史の教科書に載っていた明治大正の風景が、そこにあった。
 あっけにとられてあたりを見回す僕。僕の周りには、いろんな年恰好の人が10数人。
「はぐれんでくださいね〜」
 妙に訛った男が、振り返りながら言った。女の子はその隣で、ほてほてと歩いている。
「何処に行くんですか?」
 気の弱そうなサラリーマン風の男が、おどおどしながら問うた。
「そうですね〜、なんていうんでしょ? どう思います、テルさん」
 テルさん、と振られて、女の子は振り返ってわらった。「良い処だよ」
「そう、ですか…」
 男は納得したのかしていないのか、微妙なリアクションで肩をすぼめた。
 テルと呼ばれた女の子と男は、どう見ても繋がりは見られない。黒尽くめに下駄履いた女の子と、アロハシャツで金髪の。何処に共通性を求めろというのか。
 否、共通性など、ないのかもしれないし、この際そんなものは関係ないのかもしれない。
 それよりも此処は、何処なのだろうか?
 何処か、あそことは違う世界のような気がする。何処でもない、場所。僕は今、何処を歩いているのだろうか。
「あの世だよ」
 テルが、顔だけ振り返っていった。わらったその顔に、幼さは何処にもなく。闇さえ翳っているような。
 あの世、ということばに、集団にざわめきが走った。
 どういうことだ?
 そんなざわめきなんか気にもせず、テルは元のペースで歩き出した。「はぐれんでくださいね〜」男はもう一度そういうと、少し慌てたようにテルの横を歩いた。

   +++

「テルさ〜ん、」
 後ろには聞こえない小声で、ヒロが言った。
「なに考えてはるんです? 混乱させたらあきませんやん」
「いやあね、後ろの彼が知りたそーな顔してたから。ついつい」
「ついついやありまへん」
 ちらと見上げると、ヒロは斜め上を見てため息をついていた。任務遂行がいちばんだと思っているまだ若い、表情だ。
 くすりとわらうと、ヒロは過敏に反応して「なにわらってはるんですか」と抗議した。
「いやあ、なんでもないない」
 顔の前でひらひら手を振って、一応否定しておいた。

 樹海での、上司いわく”一斉検挙”。
 自殺の名所と呼ばれる樹海で、彷徨える死者をいっぺんにいわゆるあの世へとご案内するためだ。出張というだけあって、樹海を一巡りするのに、ふたりだというのに不眠不休で1週間かかった。これも、死神という身分だからできる芸当だ。普通の人間ならば、それこそ過労死してもおかしくない。むしろ死ぬ。
 そのなかで、最後に見つけたのが、彼だった。
 学生服らしい黒い詰襟に、少し眺めの黒髪。前髪に隠れがちな眸は、何処か目の前ではない場所を見ている。
 気になった。
 ちらりと振り返ると、彼はあたりを見回しながら、言う通りについてきていた。
 あの眸を見ていると。
 自分を思い出す。
「莫迦らしいね」
 ぽつりと、呟いた。そんなわけないのにな、この御時世に。
「え? なんです?」
「なんでもないよ」
 耳ざとく聞きつけたヒロに、テルは笑顔で言った。

 人間たちの生きる世界で、”あの世”と称されるこの世界。創主と呼ばれる人物によってつくり上げられた魂魄の世界。
 死んだ人間は一端ここにきて、それからまた生まれかわり、輪廻のサイクルに組み込まれてもとの世界に戻っていく。
 それと同時に、サイクルに組み込まれない、組み込まれることを拒否した人間たちの住まう場所。そういう人物たちによれば、此処は”この世”とそう変わらない。さまざまな職につく彼らのなかでも、死神と呼ばれる職業についているものが大多数。
 死神というのは、死をもたらす神ではなく、死んだ神さまのこと。主にあの世とこの世を行き来して、魂魄の行き来を潤滑に進めることが仕事だ。それだけでなく、輪廻のサイクルの調整をしたり、事務に従事したり、死神とはいってもその職種もさまざまではある。
 テルはあの世のなかでの一大企業のなかの、再生課というところに所属している。主に生まれかわりを担当している。更に言えば、彼女は回収係。死者を導く仕事だ。

 樹海のなかで、あるいは死んだことを自覚し、あるいは死んだことなど気づかずに。彷徨う彼ら。哀れといえば哀れで。倖せといわば倖せ。
 事実、生きることと死ぬことと、どちらが倖せなのかといえば、首をひねらざるをえない。
「愚かだなあ、」
 本当に小さな声で、ぽつりと。
 呟いた。

   +++

 しばらく歩いたあと、商社のような場所にたどり着いた。
 そこのロビーで整理券のようなものを配られる。因みに僕は18番だった。このなかでいちばん最後らしい。
 1番の人から、受付らしき場所に呼ばれていく。書類か何かを書いているようだ。それが終わると、奥の階段に消えた。
 ソファに座って順番を待つ。
 何をしているのだろうか、一体。
 テルはさっき、あの世と言った。ということは、僕は死んだのだろうか? 死んだのならば、いつ?
 わからない。
 自分がいつ死んだのか。
 何処で、死んだのか。
 いや、死んだのはあの樹海の中だとは思うけれど。でもその中でも、一体何処で?
 何処で、死んだのだろうか。
 別に、死を望んでいたわけで、何処で死んだとかそんなのことはどうでもいいのだろうけれど。
―――どうして死にたかったのだろう。
 はっきりとしないけれど。でも、何もかもが嫌だった。不要だった。不必要だった。
 何も要らなかった。
 ただ、それだけだった。
 世界は闇でしかなくて、音もなければひかりも闇もない。あるのは翳ばかり。
 そんな世界を終わらせたかっただけだ。だけど世界を終わらせるなんてそんな芸当僕個人なんかには到底出来やしないから、だから、僕個人だけを、終わらせたんだ。そう、ただ、それだけのこと。
「18番の方ー」
 呼ばれて、我に返る。手に持ったカードには「18」と書かれていた。
「はい、」
 返事をして、受付に行く。ソファに残っていたのは、テルとあの男だけで、ほかにはもう誰もいなかった。


 書かされた書類は奇妙なものだった。
 存命時の氏名年齢住所職業専門分野、スリーサイズ。
 何だこのふざけ具合は。と思ったが、わからないものは空白で出しておいた。それでも何の文句も言われなかったから、必要ないのだろう。必要ならば催促するはずだ。
「では、あちらの階段に―――」
「ストップ。」
「あらテルちゃんどうしたの?」
「いやいや、民生課に行く前に個人面談だよ」
 個人面談?
 受付の人はくすりとわらうと、「じゃあテルちゃんにお任せするわ」と言った。任しちゃって良いんですか、こんな子供に。
「テルさん…良いんですか? そんな勝手な…」
「多少の勝手は赦される、ヒロくんはそこらへん学習しないと駄目だね」
 男の名前はヒロと言うらしかった。
「わかりましたよ〜」
「じゃ、ヒロくんは先に民生課に行って処理手伝ってきて」
「え、此処にいたらあきませんのん?」
「そうだよ? 個人面談って言ったじゃん。個人対個人。こっちが複数じゃ彼だって可哀想だよ」
 テルがわらうと、ヒロは渋りながらも足を階段に向けた。こんな子供に指図されて動くなんて、一体どういう仕組みなのだろうか。子供―――な、感じもしないけど。何処か超然としてて、何処か達観してて、何処か。
 この世のものではない、幼さ。
「じゃあ応接室借りるよ」
「ちょっと待ってね―――ハイ、鍵」
「あ、あとさっきの書類もちょっと貸してくれるかな」
 受付の人が差し出した鍵と書類を受け取ると、それをくるくる回しながら、テルは僕を促した。
「緊張しなくても良いんだよ。ちょっとした、本当にちょっとしたことだからさ」
 にこやかに言うけれど。何処か、わらっていないような、気もした。


 応接室と言う場所は、ロビーを中心に考えて、階段とは反対方向にあった。
 そこにはいると、テルは使用中の札をかけて、鍵を壁にかけた。
「さて、」
 黒革のソファに身を沈めて、書類をめくる。
「卜部友明くん」
 その名前を誰かに呼ばれるのは酷く久しぶりのような気がした。
「15歳、中学3年生、Y県……へえ、あの樹海からはずいぶんと遠い場所に住んでたんだね」
「近くに住んでないといけませんか?」
「いやいや、別に。誰もそんなこと言ってないじゃない」
「…すいません、」
「…だからって、そこで謝らなくっても良いけどね」
 足先まであるような長いズボンに、黒い足袋。手の甲が隠れるほどの長袖に、指半分だけの手袋。
 肌の露出は極端に低い。
「何処見てるんだい?」
「え、いや…別に、」
「ああ、ごめんごめん。そうだね、とりあえず先に言っておくけど。僕が訊きたいのは、キミの『死ぬ理由』。死んだ理由、って言ったほうが、今となっては適切かな?」
「死んだ理由、ですか」
「そう。卜部くんはあそこで迷ったって言ってたけど、まさかあの樹海に迷い込んだのは偶然の悲劇で―――なんてことはないでしょ? 迷い込んだのは、自分の意志で、だよね」
 黒目がちの眸が。僕を見る。
「……そう、ですよ」
 それだけいうのに、鉛を吐き出すような、苦痛が伴う。
「前世にわだかまりを残したまま生まれかわりなんて出来ないんだよ。大抵の人は―――自殺した人は、生まれかわりの前にカウンセリングを受ける。ちゃんと自分のなかで解決してから、それからようやく、新しい自分になれる」
「これが、そのカウンセリングだと?」
 いうと、テルは眸をうっすらと細めた。
「残念だけど。これはただのボクの趣味。ごめんね悪趣味で。でもね、キミからは同じにおいがするんだ」
「におい?」
「ボクと同じにおい」細めた視線を書類に落として、小さな細い指先で書類を撫でる。
「言わせるだけじゃ卑怯だから、ボクが先に言うけど。ボクはね、現代より100年以上昔の日本に生まれた。その時代は、そうだなあ、教科書なんかには文明開化、とか載ってるような時代だよ。だけど、ボクが生まれた山奥の農村のような場所は、相変わらず貧しいまんまでさ。四民平等も何もあったもんじゃなかった。税は苦しい、生活も苦しい。だけど子供は生まれる。自然の摂理だからね。長男以外の男の子は、生まれてすぐ殺されるか、物心つく前に間引きされる。女の子は身売りに出される。どっちが倖せなんだろうね? 死ぬのと、生きるのと。あの時代じゃ、どっちもどっちだろうけど」
 テルは伸ばしていた足を折って躰に引き寄せた。体育座りのような格好。
「ボクは身売りに出された。都会の、富豪の家に。クリスチャンでさ、屋敷のすぐ傍に私設の協会なんてモノもあった。親はボクがそんなところに売られて喜んだみたいだったよ。お前は倖せになれるんだ、良かったな、最後に言われたのはそんな台詞だった。だけど、しょせん身売りは身売りだよ。倖せなんかありゃしない。ボクは毎晩慰みモノ。40過ぎたオヤジのだよ? 勘弁して欲しいよね?」
 くすくす、わらっているけれど、眸はわらっていない。
「7つか8つのときに売られて、死んだのは11のとき。その屋敷にいたボクと同じような子供たちと逃げ出した。雪の降る夜でさ、寒かったしひもじかったけど、とにかく、あの場所から逃げたかった。死んだのは、まあ、誤算っちゃあ、誤算だったんだけどね。でも、死んでこの世界にきて。良かったって思ってるよ」
 わらって、言う。死んで良かった。
「本当に?」
「ん、何がかな?」
「本当に、死んで良かったんですか?」
「だから、死んだのは誤算だったよ。死にたくはなかった。だけど、あの世界あの環境で生き続けるよりも、この世界この環境で生き続けるほうが、ボクには良かっただけだよ」
「誤算だったのに、」
「倖せだよ。ただね、あいつが生きてるのにどうしてボクが―――とは思ったけどさ。ボクもカウンセリングを受けた身だしね」
 にっこりわらう。ああ、これか―――合点がいった。これが、この世のものではないような幼さの意味。
「僕は、」
 声を出すと、鈍い痛みが躰を刺した。
 テルは何も言わずに、僕のことばの続きを待つ。
「―――僕、は…」





 act/1

 扉を開けると、痛みを伴う沈黙が僕を迎え入れた。
 否、迎え入れてなど、いないのかもしれない。
 僕は、どうして此処にいるのだろうか。
 いたくないのに。
「お、おはよう…」
 やっとそれだけ言えた。わらったつもりだったけど、わらったかどうかは定かではない。
「………」
 誰も何も言わなかった。それで良かった。何も期待しないほうが良い。その方が楽だから。
 沈黙と視線のなか、僕は席についた。
 机の上には、当たり前のように落書きがしてあった。読むのも嫌になるような。幼いといえば、幼い。くだらないと言ってしまえばくだらない、そんな落書き。なのに、幼いと言えないくだらないと言えない。言えない。
 かばんの中から筆箱を取り出す、そのなかから消しゴムを出すと、机の上の落書きを消し始めた。
 くすくす、笑いがおき始める。
 これは、いつから始まったのだろう。
 毎朝のように考えることをまた考える。
 真新しい消しゴムは、どんどん小さくなっていく。なのに、落書きは消えない。消えているはずなのに、消えない。
 油性ペン、らしい。
 ああ、これは、消えないんだ。
 わかると、消しゴムを動かす手も止まった。
 じわりと、視界がにじんだ。
 どうしてだろう。
 何で僕が、こんなことをされなくちゃならないんだろう。
 涙が零れた。ほとんど無意識に。
 どうして。
 どうして。
 もう半年以上も続いているこの行為。一体何の意味があって? 一体何のために? 一体どうしてこんなことをする必要がある?
 わからない。
 何も。
 何もかもがわからない。
 僕は席を立つと、かばんを持った。
「おい、卜部」
 声が、僕を呼び止めた。
「何処行くんだよ? もうすぐ始業だぜ?」
 その声と同時に、あたり一面からわらい声が漏れた。教室の前後にある扉の前に躰の大きな男子が立ちふさがる。
「…あ、」
「なあ、卜部」
 さっきの声の主が、僕の肩をつかんだ。はじめはやさしく。でもすぐに、爪が食い込むような強さに変わる。
 彼は誰だろう。
 わかるけど、わかりたくない。
 わかってしまったら僕はきっと。
 きっと狂ってしまう。
「逃げるなよ?」
 一度止まった涙が。
 また。
 ぱたりと、零れた。
 眸からあごに伝わって、傷だらけの上履きの上に弾けた。
 ああ、逃げられない。
 顔だけ振り返ると、にやにやした、彼の表情があった。目が合った。彼は誰だろう? わかっているけれど、わからない。
 わかったら僕はきっと、狂ってしまう。

 中学2年にあがったときから、なぜかわからないけれどいじめられるようになった。
 理由は、それこそわからない。何故? どうして? 考えれば考えるほどわからなかった。
 それでもいじめられるのは僕に非があるからだろうと、そう思っていた。
 だけど。
 そうじゃないのかもしれないとも、思っていた。
 いじめられる、そんな日々から救ってくれたのは彼だった。
 躰も大きくて、力も強くて、何より彼には人望があった。
―――やめろよ、
 彼のヒトコトで、僕へのいじめはなくなった。
 僕にとっては、彼はひかりだった。
 闇でしかなかった毎日に、ひかりを差し込んでくれた、ひかりそのものだった。
 わらえなかった毎日が、またわらえるようになった。
 これで元通りになるんだ、そう思った。いじめられる前の自分に。ひかりしかなかったころの自分に。
 戻れると、思っていた。
 でもそれは、
 やっぱり思っているだけだった。
 中学3年になって、また彼と同じクラスになった。心配していたいじめもなかった。ああ、これでもう卒業まで大丈夫だ、そう思った。
 だけど、違った。
 新学年が始まって数日後、上履きがなくなった。探しても見当たらなくて、学校中探し回って、見つけた場所は男子トイレの洋式便器のなかだった。
 また?
 涙を忘れかけていた涙腺は、すぐに緩んだ。
 また、なのかな?
 誰にでもない、自分に問う。
 どうして、
 どうして―――
「卜部」
 呼ばれて振り返ると、彼がいた。
「もう始業時間過ぎてんぞ?」
「あ、」
 何かを言おうとして、表情が固まるのがわかった。
 彼はわらっていた。
 楽しそうに愉しそうに。わらっていた。
「あ…、こ、これ……」
 かろうじて、それだけ、言えた。
「ん?」
 彼は笑顔だった。
 凶器だと、そのとき気が付いた。
 どうして、もっと早く気がつかなかったのだろうか?
 どうして。
 こんなのはおかしいんだと、気づかなかったのだろうか?
 彼のような人間が僕のような人間と交わるはずがないのだと、どうして、はじめに気がつかなかったのだろうか。

 す べ て は じ め か ら わ か り き っ て い た こ と な の に 。

 僕は彼を自分の中から抹消した。
 彼の存在を。
 ひかりを消した。
 ひかりを消したら闇がなくなった。
 闇がなくなったら影がなくなった。
 何もなくなった。
 僕のなかには。
 ひかりも闇も。
 影も。
 あるのは翳ばかり。
 何もなくなった。

   +++

 気がついたら、バスを降りていた。
 財布の中にはもう帰れるだけのお金は残っていなかった。
 僕はあたりを見回した。
 うっそうと茂った木々が、まるで僕を呼んでいるようだった。
 かばんのなかには教科書が入っていた。重かった。
 どのようにして、どうやって、あの教室から出てきたのか覚えていなかった。今この瞬間まで、記憶はまったくなかった。
 ざわざわ、木々が泣いているように聞えた。
 バス停の、さびの浮いた気持ちばかりのベンチに腰を下ろした。次のバスがくるまで、3時間以上あった。
 どうしようか、少しだけ迷った。
 でもそれは、迷ったフリをしただけだった。
 僕は迷ってなどいなかった、本当は。
 迷ってなんかいなかった。
 僕はベンチにかばんを下ろすと、腕時計を外した。両親が中学に進学するときに買ってくれたものだった。僕はそれをかばんの横に置くと、さよなら、と小さく声をかけた。
 迷ってはいなかった。
 涙も出なかった。
 僕は、これを望んでいたのだから。
 見上げると、木々が。
 ざわざわ。泣いているようだった。
「淋しいの?」
 訪ねても、誰もこたえてはくれなかった。
「淋しいんだね、」
 僕もだよ。
 淋しい。
 哀しい。
 ひかりなんて何処にもない。
 ひかりがなければ、闇さえも存在できない。
 ためらいもなく木々のなかに分け入った。
 触れた幹は、冷たかった。ぬくもりなど、何処にもない。
 木々のなかには、ひかりなど何処にもなかった。あかりさえなかった。何処か、安堵した。
 此処が、
 僕が求めていた場所なんだと思った。
 此処が、
 僕のいるべき場所なんだと思った。
 足を踏み出すと、ぱきりと、小枝が折れる音がした。
 足元を見ると、音のとおり、小枝が折れていた。僕が踏んだ。踏み潰した。枝。
 乾いた眸から、涙が零れた。
 無意識に。
 目の下に掌を出すと、掌に涙が落ちた。
 あたたかかった。
 それが、僕が感じた―――生きている僕が感じた最後のあたたかさだったのかもしれない。





 act/5

「どうしたんですか、テルさん」
 扉を開けると、僕と同じくらいの年の少年がいた。
「どうしたもこうしたも。お隣に越してきた卜部くんだよ、よろしくね」
 僕の腕を引っ張って、彼の前に押し出すと、テルは「ほら、挨拶は?」と言った。
「あ、あの…」
 僕を見る彼の眸は、純然なる驚きと戸惑いと。
「よろしく、」
 一瞬だけ見えたような気がした闇は、すぐにひかりに消えた。
「よ、よろしく…」
 テルとの「個人面談」を終えた僕は、民生課を経て、「暁泉寮」という社員寮とやらに連れてこられた。
 連れてこられたと思ったら、急にこのありさま。
「あ、彼はね、高町くん」
 にこやかに、テルは言う。
「あ、自分の名前くらい自分で言えますよ」
 高町と言ったその少年は、テルに抗議すると、改めて自分で言った。
「高町です。よろしく、キミは?」
「あ、卜部…です、よろしく」
 差し出された手は、樹海のなかで感じたあの手と同じで。
 とてもあたたかかった。
 これの何処が、死んだ人間の手なのだろうかと、思う。もしかしたらこれもすべて、すべて、偽りなのではないだろうか。
 すべて。
 間違いなのではないだろうか。
 だとしたら良いのに。
 だとしたら―――良い? 何処が。
 何処が良いというのだろうか。何処も良くない。良くない。
「卜部くん?」
 呼ばれて、我に返る。
 卜部くん、呼ばれる名前、鉛を飲み込むような、不快感。
「どうかした?」
「…いや、なんでも、ないです」
 高町とテルは顔を見合わせて、不思議そうなリアクションをした。僕はただ、気分が悪かった。


「こんなこと聞くと不快かもしれないけど、キミはどうして死んだの?」
 高町は僕に湯飲みを出しながらいった。
「あ、俺はね、いわゆる家庭内暴力ってやつ」
 にこやかに、そんなことを言う。家庭内暴力って、そんな笑顔で言う台詞じゃない。
「僕は、」
 言いかけて、躊躇う。自殺です、なんて、いったら彼はどんな反応をするのだろうか? 軽蔑されるだろうか。
 家庭内暴力なら、彼は死にたくはなかったはずだ。なのに、自分で自分を殺した僕を、愚かだと、思うかもしれない。
 こんなところまできて、誰かに嫌われたり疎まれたりするのは嫌だった。
「くだらない、ことですよ、」
 やっと、それだけ。言えた。
 ふうん、そう―――高町は深くは追求してこなかった。
「でもね、」湯飲みを手にとって、回しながら言った。「どんな死に方でも、絶対にくだらなくなんてないよ」
 人には人それぞれの理由を持っているから。
 ことばは、ゆっくりと僕のなかに融けた。
 ああ、この人なら。
 この人なら、僕のことをわかってくれるかもしれない。
 死んだ先のこの世界で、理解してくれるかもしれない。
 言ってしまおうか、すべて。
 すべて。何もかも。つらかったこと、哀しかったこと。すべて。
 だけど。
 否定されたらどうする?
 否定は肯定よりもはるかに簡単で、肯定は否定よりも難しい。否定されたら、一体僕はどうすれば良い?
 わからない。
 わからないのなら、言わない方が、良い。
「どうかした?」
「…いや、なんでも…」
 なんでも…ない。
「俺たちは、一度死んだ人間なんだよ」
「え、」
「この姿はもうかりそめでしかない。何も、怖がることなんてないんだよ」
 怖がることなんて、
 何もない。
 何も。
 何も?
 本当に、何もないの?
 死ぬ理由は何―――、テルはそういった。
 僕の死ぬ、死んだ理由は何だと、問うた。
 僕は、明確にはこたえなかった。
 ただ逃げたかっただけだと、言うのが怖かったから。
 何も欲しない代わりに、何も要らない代わりに、死を望んだ。あの世界からの脱却を望んだ。
 それだけなのに。
 言うのが怖かった。
 逃げたかっただけで死んでいいのか、そういわれるのが怖かった。目の前にいる高町も、テルも、死んだのは不可抗力だ。なのに、僕は自ら死を望んだ。愚かだと、言われそうで。愚かだと、思われそうで。
 怖かった。
 もう、
 つらいのも哀しいのも嫌だった。
 僕が何も言わないのを見て、高町も、何も言わなかった。

   +++

「どうして、かなあ」
「何がかな?」
 社長室で、ソファに身を沈めながら、テル。
「卜部くん」
「彼が?」
「言わないんですよ、つらいとか哀しいとか」
「ああ、個人面談ね」
 上司は納得したように手元の書類に目を落とした。
「つらかったはずなのに、哀しかったはずなのに、それを言わないんです。どうしてでしょう? ここでは、もうそんなの関係ないのに。つらかったのならつらいって言えばいいし、哀しければ哀しいって言えばいい。ありのままで良いのに」
「つらくも哀しくもなかったんじゃないのかい?」
「そんな莫迦な。この世でもあの世でも、何処にいじめられて快感、なんてやつがいるんですか?」
「……それはまあ、そうだけどね」
 そういえば、ヒロくんはどうしたの?
「民生課のお手伝いさせてます。さすがに一度に18人もつれてきたら民生課だってパニクっちゃいますよ」
 民生課は、死者のあの世での生活を支援するところだ。一日にこなす人数はそれなりの数ではあるが、一度、となるとその処理はかなり大変そうである。
「社長も、何考えてんだか、ボクには全然わかりません」
 肩をすくめる。
「はは、まあ、私と卜部くんじゃ生きてる年数のケタからして違うけどね」
「だから余計に、社長のはタチが悪いんですよー」
「まあ、どちらにしろ、時間が解決してくれるさ」
「時間が…ですか、だと良いんですけど」
「…駄目かな?」
「いや、駄目とか駄目じゃないとかじゃなくって。ああいう子って、自分の殻に閉じこもったらまんまそのままになりそうで…ていうか、そのまま凝り固まっちゃいそうで。怖いんですよねえ、何処かでぶっ壊れるんじゃないかって思うと」
「大丈夫だろう、」
「その根拠は?」
「テルくんじゃない誰かが応対してるからかな」
「…なんですかそれは。失礼だなあ。ぷんぷんっ」
「あはは、可愛い芸だねえ」
「芸じゃないですー」

   +++

「や。」
 6畳一間のアパートで、扉を開けると金髪の男が立っていた。
 ヒロ、と呼ばれていたあの男だった。
「何か、用ですか?」
「なんや、用ってほどでもないんやけど」
「…じゃあ、何ですか?」
「なんやろなあ、ほっとけんっちゅうの? あんた、俺と同じにおいがすんねん」
「におい、ですか」
 テルも同じことを言っていた。
―――ボクと同じにおいがするんだよね
 においって、何なんだろう?
 結局、まるっきり違うだけじゃないのか?
「ま、立ち話もなんやん? なか入れてくれへん?」


「テルさんから聞いてるとは思うけど、俺ってもう死んだ人間やねん」
 何もない畳の上に座って、ヒロは言った。
「もちろんテルさんもやねんけどな。あんただってそうや、えーと、名前、なんやったっけ?」
「卜部、です、」
「うらやんね。」
「………」
「なあうらやん。つらくない?」
「何が、ですか?」
「全部。」
「全部って、言われても」
「ま、なんて言うの? あんまりハッキリ言うのもなんやと思うけど、自分、自殺したクチやろ?」
「……だったら、なん、ですか?」
「…そんな、怯えんでもええねん。少なくとも、自殺する気持ちって、俺は少しでもわかるつもりやで」
「、どうして?」
「俺も自殺したからやな」
 そういうと、ヒロはボクに腕を差し出した。ジャラジャラとたくさんわっかをつけた手首には、白いミミズのような跡があった。
「ま、そーゆうこと」
 にかっと、わらった。
 どうして、わらっていられるのだろう。
「どうして、そんな、わかっていられるんですか?」
「………」
「自殺したんなら、わかるでしょう? あの世界は、」
「あの世界は?」
「………」
「なんや、いわへんのん?」
「あの世界は、」
 生きるには、つらすぎるし、哀しすぎる。
 でも、それは言えない。
「あなたは、どうして死んだんですか?」
「俺? 自殺やけど?」
「じゃなくて、理由は?」
「死んだ理由? そうやな、絶望、かな、」
 絶望。
 あのとき、彼の笑顔を見たときに、躰を駆け巡った、あの感覚。
 忘れたくても、忘れられない、痛み。あのこと、だろうか。
「恋人がおってんな、俺、これでも。でも、そいつ死んでもーて。棄てられたー、て思ったんやろなあ、あのころの俺。もう生きてるのがつらくってなあ、気がついたら死んでたわ」
 あはは、何事もなかったかのように、言うけれど。
 どうして、何事もなかったかのように、言えるのだろう。
「まあ、それは、あれやな。時間が解決してくれたんかなあ、こっちきてしばらくして。生まれかわるのやめて。死神なんて職について。絶対に忘れられへんけど、それでも、忘れなあかんって思って。でも、そう思えば思うほど忘れられへんねん。人間って、ホラ、不器用やから」
「………」
「でも俺気づいたんや。別に無理して忘れんでもええやんって。あいつはたぶんもう生まれかわって、この世界にはおらへんやろうけど。それでも、ええやんって。俺は棄てられたんやないし、あいつも俺のこと棄てたんやない。きっとな」
「僕は、あなたのようにはなれません」
「………」
「僕は、あなたみたいに、強くない」
「何で俺が強いねん」
 あっけらかん、とヒロは言った。
「俺は強くなんかあらへんよ。弱い、ただの死んだ人間に過ぎん」
「だけど、僕なんかよりは、ずっと、強い。ぼくはただ、生きるのがつらかっただけなんだ。世界にはひかりも闇もない。温かみも冷たさもない。何もない。そんな世界で生きるのが嫌になっただけなんだ」
「……やっと言うたな」
「え、」
「”つらい”って、やっと言うたな」
「あ……」
「ええやん、つらかったらつらいって言わな。壊れてまうやろ?」
「いっそ、壊れてしまった方が良かった」
 狂ってしまった方が、良かった。
「壊れても、何にもならへんよ。躰は死んでも、ココロだけでも、しっかり生きな。あかんやろ? うらやんが死んで、哀しむ人やっておるんやし」
「哀しむ、ひと?」
「そこで、誰も哀しまない、なんていうのは反則やで。人間誰でもひとりはおんねん。哀しんでくれる人っちゅうのが」
 な。
 哀しんでくれる人。
 じわりと、融ける、ことば。
 哀しんで、くれる、人。
「僕にも、いるんでしょうか、」
「当たり前やがな。おらん人間なんておらんって」
 なにゆうてるの、そんなふうに。言う。
「そう、ですか…」
 ひかり。
 ひかりが、さしたような、気がした。
 何もない僕という世界のなかに。
 一筋。
 ひかりが。
 ひかりはあかりを伴って。
 あかりは温かみをもって。
 温かみは、すなわちひかりで。
 ひかりが。
「僕はただ、つらかった。哀しかった。世界には何もなかった、だから、つらかった―――」
 僕はただ、逃げただけ。
 それが、僕の、死んだ理由。


(2003/09某日 14927文字)