interval zero


side he
「おはようございます」
 夢だと思って、また眼を閉じた。
「ルキさーん」
 眼を開けた。
 起き上がる。
 これでもかと眼をこする。
 後ろを見る。
 女の子。
 どう見ても、女の子。女子高生。
 しかも今。
「おはようございます、ルキさん」
 俺のHN、呼んだ。
「えーっと、あの……」
「ゆうりです、オフでは…はじめまして?」
「あ、はじめまして」
 ではなく。
「あの、なんでここに?」
「あー、ルキさん覚えてないんですか? 住所教えてくれたの」
 ぷうっと膨れて、ちょっと可愛い―――ではなく。
「住所知ってても、鍵」
「開いてましたよ」
 けろりとした顔で。
「そうですか、」
ゆうりは、インターネットの文芸サイトで知り合った女の子。17歳、女子高生、中国とか四国とか、そこら辺に住んでる、オフで会うのは、今日がはじめて。
「それでー、ですね」
「あ、タメで良いですよ、年上なんだし」
 布団の上で居住まいを直して、向い合う。すわっていても、ゆうりは結構身長が高そうだ。目線がそう変わらない。
「なんでまた、急に?」
 昨夜もチャットであったような気がする。あれから数時間。その時点で東京まで来る気だったんだろうと言うのが妥当だけど。それならそうといっても良かったのではないだろうか。
「会いたかったからです」
 即答。満面の笑み。やっぱり可愛い―――ではなく……。
 ネットで知り合った人に会うときは、ルックスについては期待はしないものだ。良かったらラッキーそうじゃなくてもそれが当たり前。そんなもの。
 だけど、ゆうりは「ラッキー」の部類に充分入る。可愛い。なんかもうどうでも良い開き直った。ああそうさ、可愛いものを可愛いといって何が悪い。
「ルキ、さん?」
「―――あ、ああごめんついいつもの癖でね」
「面白い方ですね、やっぱり」
 くすくす笑う。彼女の文章は大人びていて、俺なんか全然手の届かないような凄いものをどんどん書くけど、だけど、こう言うところは、やっぱり普通の女子高生なんだな、と妙に感慨深く思ったり。
「えーっと、で、俺に会いに来てくれたの?」
「はい」
 ゆうりの横には、鞄。ボストンバックよりは、少し小さめ。服装は至ってカジュアルな、動きやすそうな格好。
「それで、いつまでいるの?」
「一月です」
「はあ……一月?!」
 一月、それはつまり30日。今は残暑厳しい9月。というコトは、10月まで。
「学校は?」
「あ、全然大丈夫ですから、お気になさらず」
 いや、気にするから。
「駄目だよ、ちゃんと学校行かなきゃ、それに御両親だって」
 思わず立ち上がる俺。他人のことなのに、なんか熱くなってしまう。
「親の了解なら、ちゃんと得てますよ」
 それに。
 ゆうりは俺を見上げたまま、笑顔のまま言った。
「学校は辞めたんです」

+*+

 何だかんだで。
 俺は反論する機会はあっても言いくるめることが出来ず、現在に至る。
 ゆうりは台所で、昼飯を作っている。ナンデダロウ、普段着に着替えて居間に座って、ウキウキウォッチングを見ながら、考える。
 優柔不断だな、ほんと。
 案外ゆうりは、そんなことなどお見通しなのかもしれない。
 それに俺、可愛い子には、弱いんだよね。
 カナシイ男の性というやつだ。こういうとき、非常に困る。
「出来ましたよー」
 皿を持って、ゆうりが居間に入る。スパゲッティのいい匂いが、鼻先をくすぐる。
「うわ、うまそー」
「えへへーイチから手作りですよ」
「ほんとに? うはー、ゆうりってすごいなー」
 素直に感激。今時の子って、料理はあんまり得意じゃないものだとばかり思っていた。偏見を、改めなくてはいけない。
 しかも、おいしい。
「すごいな、ゆうりいい奥さんになれるよ」
 ぽろりとでた何のきないヒトコト。
「あ、ありがとうございます」
 笑ったゆうりの顔。今までとは違う。
「ゆうり?」
「え、いえ、なんでもないです」
 無理してるな。不意に思った。無理してるんなら、何を?
 アルデンテを咀嚼しながら、考えても、こたえは見つからなかった。
 俺、ゆうりのために何ができるだろう。
 本当に唐突に。
 思ったりなんかして。
「何処かいきたいところとか、ある?」

+*+

 9月とはいえ、東京は暑い。
 残暑なんていわせないというくらいだ。8月の夏と、大差ない。
 隣でゆうりは物珍しそうに、あっちをきょろきょろそっちをきょろきょろ。俺のシャツの袖を掴んだまま。
 やっぱり遠いところだし、警戒とか、してるのだろう。俺だって上京してきてすぐのころはキャッチセールスにつかまりそうになるわヤバ系の人たちににらまれるわ、散々だった。
 そういえば、上京して何年になるだろう。今年で29だから―――て、そうか、俺ゆうりとひとまわりも違うんだな。
「ゆうりって、干支は?」
「え、丑ですけど」
 びんご。
「ルキさんも丑ですよね」
 嬉しそうに。そうだな、そうなんだよな。頷く俺。
「来年は三十路のおじさんですよ」
「男の人は30からですよ」
 慰めか励ましか。力強く言うゆうり。
「うん、ありがと」
 おじさん涙が出ちゃうよ。なんて。


 東京タワー。ゆうりが行きたいって言ったところ。
 望遠鏡覗いて、見下ろして。ちっちゃい子供みたいに、はしゃいで。俺はゆうりに引っ張られるまま、あれは何それは何の質問にこたえる。
 一区切りついて、ベンチに座ってるときに、ぽつりと、ゆうりが言った。
「天国、」
「ん、」
「、天国って、やっぱり空の上にあるんですかね」
 絵本の中とか、よくそういうふうに描写されてるけど、やっぱり違うんじゃないかと思う。とは、口に出しては言わない。
「どうかな、」
 無難なこたえ。オトナの逃げってやつ。卑怯者め。
「ゆうりって、そんなこと考えるんだ」
「どうしてですか?」
「うん、いっつも書いてるのはさ、凄いオトナだから、」
 そういうと、ゆうりは少しだけ哀しそうに、微笑った。
「私は子供ですよ、」
 何の変哲もない天井を見上げながら言う。
「ピーターパンと一緒です」
「え?」
「あ、そうだ。雷門みたいです雷門」
 うって変わって、幼い表情で。俺を引っ張って立たせる。どきどきしちゃう俺って、もしかしてロリコンの気があるのだろうか。

   +*+

 一日中、引っ張りまわされて、帰宅。
 ゆうりは興奮冷め遣らぬ感じで、うきうき台所で腕を振るっている。完璧に、食についてはゆうりに頼っている。帰りの買い物も、主導権はゆうりにあった。
 それにしても。
 チャットやなんかでは、もっとおとなしいというか、人見知りする子かと思ったら、存外そうでもないようだ。よく話すし、よく笑う。可愛い普通の女子高生。
 それにしてもまたなんで、来たんだろうな、東京に。
 遠いのに、お金もかかるし。
 それに親だって。まさか男の部屋にいるなんて、思ってないよな。
 そうだ、俺男じゃん。今更。何を思ってるのか自分でもよくわかんないけど。
 ゆうりは、危機感とか、ないんだろうか………ないんだろうな。いきなり枕もとに要るくらいだし。襲われるとか、思ってないんだろうな。
 晩御飯は和食。
 俺は酒を控えた。
「ルキさんって、お酒、飲まれる方ですよね」
「あ、ああ飲むよ」
「今晩は飲まれないんですか?」
「え、ああ、風呂上りにでも飲もうかな―――って、」
「ルキさん」
 汗。
「ゆうりは、今日宿は?」
「ここです」
 けろりと。会いたかったんです、というのとまったく同じ調子で。いや、そんな軽い状態ではないんですけれどもお嬢さん。
 とりあえず、ご飯を掻っ込んだ。


 風呂上り。
 入れ替わりでゆうりが入っている。
 視線だけで、家の中を見回す。
 この家は狭い。
 1DK。しかし、野郎の一人暮らしには充分な広さ。そのぶん家賃も安い。
 だけど。
 女の子と一夜を過ごすには、狭すぎる家。
 一夜とかそんなふうに言っても、もちろん手を出す気なんてさらさらない。歳の差からいって、犯罪になってしまうのは確実だ。
 それに。
 ゆうりって、そんな雰囲気じゃないんだな。
 だけど、実は雰囲気云々の問題ではなく、俺は三十路前とはいえ男で、ゆうりは高校生、未成年であるとはいえ女だ。高校生といえば、俺の初体験は高校3年で―――てそういう懐かしい話は今はどうでもいい。俺の青春なんてもうとっくの昔に終わったのさ。
 だけど、その青春が。
 再来しそうで怖い。
 夜はノンストップ。
 やめてくれ、止めろ自分。
「ルキさん?」
 湯気。暖かい匂い。来た、ここが我慢のしどころです。
「え、いや、なんでもない」
 テーブルを挿んで、向かい側。ゆうりが座る。嫌でも視界に入る。テレビの音量をマックスまで上げる。全然、状況は変わらない。
 ああ畜生…。
 どうして風呂上りの女の子って、こうも色っぽいんだろう。
 我慢しろ俺、我慢だ。
「あの、大丈夫ですか」
「だいじょうぶ!」
 本当か? 俺大丈夫なのか?
「あー、うん、俺もう寝るわ、おやすみ」
「あ、はい、おやすみなさい」
 ベッドに入りかけて、止まる。こう言うときは、女の子にベッド、譲るものだよな。うん、そうだ。押入れから毛布を出して、台所を通って玄関に。
 扉を閉めようとしたら、ゆうり。
「どうしたんですか?」
「あ、いや俺ここで寝るから」
「でも、風邪引きますよ」
「全然、平気平気。男の子だから」
 理由になってねえよ、自分でも思う。
「私が、外で寝ますから」
「駄目。絶対駄目。」
 そんなことした日には、朝にはどうなっていることやら。
「ゆうりはベッドで寝る、ね、はい決まり。ちゃんと鍵締めろよ」
「……はい、」
 扉が閉まって、錠が落ちる。しばらくもしないうちに電気が消えた。
 9月。少しだけ涼しいけど、夏と大差ない。野宿しても風邪なんか引くわけない季節だ。



side she
 頭、痛い。
 くそ、なんだよほんとに。
 シンクに額をつけて。薬を飲んだあと、効くまで少しの間我慢。即効性だけど、やっぱり「即」効くわけじゃない。少しだけ、時間が必要。
 窓の外。白んで。
 また1日なくなった。
 ぼんやりと思う。
 もうあきらめたけど。
 あがいてもどうしようもないし、どうにもならないし。
 もうどうでも良いけど。
 だけど、その前に、一度だけ。
 会っておきたかった。
 気持ちを、伝えたかった。
 あとどれくらいある?
 あとどれくらい。
―――頭、痛い。



side he
 朝。
 やっぱり風邪は引かなかった。うん、大丈夫。
 座ったまま寝たから、少しぎすぎすした躰を、伸びをしてほぐす。
「おはよう京ちゃん」
 隣の小母さん。にこやか。でも、何でそこで寝てるんだよって、内心絶対思ってる。
「おはようございます、今日もいい天気ですね」
 白々しいな、ほんと。
 毛布をたたんで、ノブに手をかける。開いていない。ゆうりは、まだ寝ているのだろうか。時計も何もないから、今が何時かなんて定かじゃないけど。
 そんなに遅くはないと思うから、当たり前だろう。
 それにしても、よくやった、俺。
 自分で自分に、地味なガッツポーズ。誘惑に打ち勝ったのだ、それくらいはしてやらないと自分が気の毒。
 あと29日。
 この調子でいきたいものだ。
 というわけで気を取り直して、階段横の郵便受けに新聞を取りに行く。2階に続く鉄階段は、ちょっとした地震でも崩壊してしまいそうだが、結構丈夫だったりする。どっちやねん、鉄階段に裏手突っ込み。実際やるとかなり痛い。経験済みなので、もうしないけど。
 新聞を広げる。とりあえずテレビ欄、それから1面。適当に目を通したら、後は部屋の前に戻ってから。
 と。
 扉が開いた。
 中からゆうりが覗く。反対側、それからこっち。
「あ、おはようございます」
 ぺこりと頭を下げる。寝起きというかんじはしない。実際寝起きだろうが、何だか不思議。
「おはよう」
「あの、台所お借りします」
「どうぞ」
 新聞を持って、部屋に入る。一夜にして、なんか違う。女の子の匂い。って、俺変態みたいじゃん。
 ベッドはもう綺麗に直されてて、微妙に散らかってた部屋も綺麗になっている。
 なんか、凄い。
「掃除、したんだ」
「あ、すいませんつい」
「ううん、全然良いよダイジョブ」
 見られてまずいものはなかったはずだ。たぶん、いやおそらく……きっと。
 そうきっと―――あ。
「あ、ルキさんって朝は和食の方ですか?」
「え、いや、どっちでもいいよ」
 思い出した。デッキの中にブツがはいったまんまだ。頭を抱えるが、もう遅い。見ていないことを祈ろう…。
「そういえば、ビデオ、今日が返却期限でしたよ」
 ばっさり。一刀両断。
「あ、ありがとう」
「あ、私そう言うの全然気にしませんから」
 にこやかに言うけど、可愛い女の子にそう言うこと言われると、ダメージは7割増になったりする。約倍。
「うんありがとう」
 いいよ、大丈夫。だって僕男の子だもん。―――って誰だよ。
 とりあえず返却期限が今日だというのは忘れていたので、有り難い。ビデオ屋、すぐそこだし。後から返しに行こう…ひとりで。

   +*+

 ご飯は、相変わらずおいしかった。
 ゆうりは普通に、台所で洗物をしている。なんだか、ずっと前からこうだったんじゃないかって言うとても奇抜な発想が浮かんでは消え浮かんでは消え……結局消えないでいる。
 というより。
 丸一日。
 結局ゆうりが何で突然上京してきたのか、掴めない。
 気分?
 まさか、そんな気分でこんな遠くまで。しかもネットでしか知らない男の家に。
 わからん……17歳の女の子のキモチなんて…。だいたい自分が17のころはまだ携帯もネットも全然普及していなくて、ポケベルすらあんまり出回っていなかったような……既に記憶は忘却の彼方。取り戻せないな、青春の記憶。あ、なんか昨夜と言ってること違うし。
「ちょっと、出て来ます」
「あ、あの、」
「すぐそこのビデオ屋に」
 そういうと、ゆうりはなんでかほっとしたように微笑った。
「すぐ帰るから」
「はい、いってらっしゃい」
 なんか新婚みたい。
 閉めた扉の向こう側にいるゆうりを思った。
 ていうか、なあ。なんだか、うまーく進んでる気がする。別に俺に有利にってわけじゃないけど。なんだか、なあ。
 昨日は突然で、全部夢じゃないかって思うくらいだったけど。
 1日経って、夢じゃなかったって思うと。なんか、変。
 ビデオ屋は24時間営業。だけど1日は本当は25時間あるって、誰かが言っていたような気がする。じゃあ何だ、1時間詐欺してるのか? なんて、思ったこともあったりしましたが。
 別に今はどうでもいいことベスト10に軽く入る。
 人生そんなもんだと、29年目にして思う。70とかになったら、もっと貫禄つくんだろうけど、29年しか知らないし。しょうがない。
 入り口にあるセンサーを通って、レジ。顔見知りのアルバイト青年。kくん。伏せ字にする意味は特にないが、まあそこも気分ひとつ。
「おはようございますIさん、今日は早いですねー」
 そして俺の名前も伏せ字。だから、特に意味はないって。
「んーまあ、いろいろあるのさ人生ってやつは」
「世知辛いですねー」
 そういいながら、さり気にビデオ返却。kくんもそこら辺はわかっている。さすがバイト3年目。深夜勤務のプロだけある。深夜勤務とAV返却のさり気無さと、あんまり関係ないけど。まあ、プロには変わりはないんだから、いいだろうそんな細かいところ。kくんも気にしちゃいないはずだ。
「ところでkくん、若人の君にひとつ聞きたいんだが」
 とはいっても、kくんは既に21だったりする。17の時なんて、覚えているのやら―――って、まさか、俺より覚えてないなんてことはないと思うけど。まさか。
「17歳って、なんだろうな」
「高校生ですね」
「いや、そうではなく…」
 ちょっと不思議そうな顔をするkくん。
「たとえば、17歳の女子高生と29歳の男が一つ屋根の下なんて言ったら……」
 怪訝そうな顔をするkくん。そりゃあな、そんな顔もするわ。
「そういう新作は入ってませんけど、」
「そうか…だからそうじゃなくてね」
「なんです、Iさん、もしかして女子高生連れ込んじゃったりしてるんですか? やめて下さいよロリコンなんて」
 怪訝そうな顔から不審そうな顔に。
 大学3年生のkくん、世間は何が起こるかわかんないんだよ、そう、とうとうと語ってあげたくなったが、そんなに長居も出来ないことを思い出し、レジを離れる。
「あれ、今日は借りていかないんですか?」
「たまにはね」
「雨降りますよーそんなこというと」
 あはははは。
 て、まるで俺が毎晩毎晩AV借りてるみたいじゃないか。………実際、2日に1回くらいの割合で借りてはいるけど。もうこの店にあるAVはほぼ全部目を通したといっても過言ではない。…………そんなことはどうでも良い。むしろそういうのは要らないの部類に入るものだろう。そんな自信は要らないのだ。そうだ、自分の品性を自分で下げてどうする俺。
 なんか、結局訊けなかった…kくん、もっと人の話を聞いてくれ。
 朝日が昇って、気温がうなぎのぼりに上がっていくなか、帰りより少しペースを上げて、アパートに戻った。



side she
 薄暗い部屋。
 声。
 反復。
 やめてよ、ききたくないから。
 そんなの、もういい、たくさん。
 くすり。
 薬包紙の中で、蛍光灯にきらきら。
 明るい部屋。
 遠い、あそこからは遠く離れたこの場所。
 シンク。ぼんやり歪んで映った自分の顔。
 笑ってしまうくらい滑稽。
 笑えるよ、まだ。
 まだ笑える。
 まだ、大丈夫。



side he
「ルキさん、お仕事は大丈夫なんですか?」
「あ、今日は休みました」
 さらり。ゆうり、まじですか、ていうような顔。
「良いんですか?」
「まあ、一日くらい有給使ったって死にゃしないしね」
 新聞をたたんで、笑う。実際は、もう結構使っちゃってるんですが、有給。
「すいません、あの……」
「申し訳ないとか、思ってる?」
「多少…」
「じゃあ教えてよ、理由」
 俯いたまま、黙る。
「何で、急に来たりしたの?」
 沈黙。外のセミが煩い。もう9月なのに、2週間の生涯を精一杯鳴いて過ごしてやがる。それで、死んだらやっぱりセミとしては本望なんだろうか。
「黙っててもわかんないから」
「今は、」
 開いた口。でもすぐに閉じた。やばいな、このアングル。男って最低。なんかどきどきしてきたし。緊張感足りなさ過ぎだっつの。
「今はまだ、言えません」
 喉に詰った何かを吐き出すように、やっと。ヒトコト。
「でも、必ず、言います。だから、もう少しだけで良い、ここに、いさせて下さい」
 なんか、いじめてるような気がしてきた。凄い罪悪感。それくらい、ゆうりは申し訳なさそうに、小さくなって。
「わかった―――よし、わかった。飯食いに行こう」
「え、」
 頭を振って、えっちい感情押し出して、ゆうりの手を掴んで立たせる。
「東京っていったら、もんじゃだよな、もんじゃ。よし、」
 強引に。
 部屋を出た。

   +*+

 地下鉄。
 ゆうりは黙ったまま。俯いたまま。
 昨日のような、きゃらきゃらした感じはない。
「ごめん、」
「どうして、謝るんですか」
 微妙に込んだ車両。平日、昼前。―――侮れないな、東京。
「なんか、痛そうだから」
「痛くないですよ、全然、平気です」
 そう言って顔を上げて、笑顔。
「…可愛い子、痛くしちゃいけないよな」
 ぼそり。
「え、何ですか?」
「なんでもない」
 微笑って。
 笑ってくれてありがとう。
 眼だけで横を見て、思った。
 なんか、まだ全然わかんないし、だけどまだ二日目だし。
 ゆうり、話すって言ったし。
 強要するのも、嫌だから。
 うん、少し待ってみよう。

   +*+

 ゆうりが家に来てから、3週間弱。何とか、いまだ理性を保っている。ていうか、3週間弱経っても慣れない俺って、実はとても若いんじゃないかと、思ったりする。
 でも、はじめとは違って、今は家の中で寝ている。とはいっても、台所の隅っこだけど。
 ゆうりはやっぱり可愛いし、たまに色っぽいし。理性を保てるぎりぎりの距離がココなわけで。虚しいな、男って……。
 毛布の中でごそごそしながら、ベストな体勢を捜す。さすがに座ったまんまだと背骨がどうにかなってしまいそうだ。考えるだけで、ちょっと痛い。
「あの、ルキさん」
 3週間弱経って、未だにゆうりは俺をHNで呼ぶ。まあ俺も、ゆうりのことHNで呼んでるけど。なんだか、しっくりこなくなっていたり。
「俺、本名京介って言うんだけど、なんか、そっちで呼んでもらえるかな」
「え、と…じゃあ京介さん」
「ゆうりは、なんていうの? 本名」
「珠樹、です」
「じゃあ俺、ゆうりのこと、珠樹って呼んでも良いかな」
「はい、どうぞ」
 うん、なんだかしっくり。
「で、何か用?」
「あの、こっちで寝ませんか?」
 ………………………いけないいけない、耳がおかしくなってきてる。俺ももう歳かなー……って、ええ?!
「ずっとそうやって寝てると、躰痛くなるんじゃないかと思って」
 すいません、珠樹は膝をついたまま、ぺこりと頭を下げた。なんか、正月によくあるような首ふり人形みたいだ……ではなく。
「や、でも俺男だし」
「いや、私は平気ですから。あ、どうせなら私そっちで寝ますし」
「それは駄目だけど……」
 大丈夫? 俺。ねえ、大丈夫かな、って、何処と相談してるんだよ。
 何か無反応だから、大丈夫なんだろうと判断して。
「う、じゃあそっち行く」
 何か、なあ。
 何か、おいしいかも…ではなく。
 とりあえず、珠樹はベッドで、俺は床で。でも台所より寝心地は良い。躰も伸ばせるし。
「京介さん、」
 珠樹の声。
「んー、」
 闇の中。ぼんやりと、珠樹の顔が見える。横向きで、いつもとは何か違う印象。
「なんでもない、です」
 おやすみなさい。
「おやすみ」
 って、俺。ちゃんと寝てくれよ、ほんとに。



side she
 寝息。
 倖せな。
 お願いだからこの倖せを、もう少し。
 まだ気持ち、全然伝えてないけど。
 もう少しだけ。
 この距離で。
 傍にいさせて下さい。
 おねがいです、かみさま。
 わがままなのはわかってます。
 でも、だから。
 おねがいです。



side he
 ばち。
 がば。
 服着てる。ここは床。
 ちゃんと寝てた、俺。
 良し。
 ここ3週間弱ほどの、既に朝一番の日課。
 ベッドの上に、既に珠樹の姿はなく、台所から何か漂ってきている。
「おはよ」
「あ、おはようございます」
 にこやか。
 今日も変わらない。
「新聞とって来る」
「はい、」
 相変わらず。このやり取りは新婚のような気がしてならない。んなわけないっつーの。珠樹にとっては、俺なんか論外だろう。恋愛対象外ってやつ。
 もしかしたら、そういう意味で、珠樹は俺のところにきたのかも知れない。だとしたら、―――なんだよ全然杞憂じゃん。
 あはははは。
 新聞を取って、広げる。テレビ欄、1面。それから戻る。
「おはよう京ちゃん、今日は外じゃなかったのねぇ」
「さすがに9月も半ばですからねー」
「あらそう? まだだいぶん暖かいわよ、若いんだから」
 あははははは。
 このタヌキババアが…。
 とは、口が避けたら言うかもしれないが、普通は言わない。
「それじゃ、失礼します」
 にこやかーに。印象はなるべく良く。近所づきあいは一人暮らしにとっては死活問題だ。いや、家庭があっても、それはそれで死活問題だけど。
 ドアを開ける。何か違和感を感じて、見る。
「たまき?」
 床に、ひと。珠樹。何で?
 倒れて、ぐったり。呼吸は?
 新聞を放りなげて、抱き起こす。顔は真っ白で、幽かに浅い呼吸をしているが、ほとんどないに等しい。
「珠樹、珠樹!」
 呼んでも、無反応。
 混乱した頭で、テーブルの上で充電してた携帯を手にとった。



side she
 もうすこし。
 もうすこしだよ。
 もう、すこしなのに。
 なんだよ、この躰。
 嫌だ、苦しい。
 まだなにも。
 何も伝えてないのに。



side he
 珠樹は白い顔で、呼吸器をつけて。
 救急隊員の人がいろいろ聞いてくるけど、俺にこたえられることはほとんどない。
 むしろ、彼らが何を言っているのか良く理解できない。こいつら日本語喋ってるのか? 宇宙語じゃなくて? いや、宇宙語かどうかもわかんない。英語だといわれればああそうかと納得してしまうような。
 まあ、混乱してるんだよな、とばかみたいに冷静な俺もいたりして。
 なんなんだろうな、ほんと。
「たまき、」
 手を握ることも出来ない俺って、何か淋しい。

   +*+

「衰弱が、激しいです」
 レントゲンをすかしてみながら、医者が言う。
 そんな目で見られても、俺には何も言えない。衰弱? なんだよそれ。そんなの。
 そんなのぜんぜん気がつかなかった。
「妹さんですか?」
「いえ、知り合い、です」
 知り合い。俺と珠樹の関係って、そのヒトコトだけだけど。別にそれに不満とか、感じるわけではないけれど。
「保護者の方は?」
「わかりません―――けど、今は俺が彼女の保護者です」
 医者は不審そうな目で俺を見て、ふん、と鼻で息をした。
「彼女は、病気です」
 レントゲンを封筒に仕舞って、カルテにいろいろ書き込む。
「病気、」
「ご存知ないんですか、まあ、しょうがないですね」
 言い方が、鼻につく。何でそんなふうに言うんだよ。
「頭のなかに腫瘍があるんです。彼女はもう永くない」
 彼女はもう永くない。
 もう、永くない?
「そうですか、」
 返事してるのは、俺じゃない。俺だけど、俺じゃない。誰だろう。

   +*+

「やだなー京介さん」
 ベッドの上で、借り物の寝巻きを着た珠樹が、おかしそうに笑う。
「ちょっとした頭痛ですよ、私酷い偏頭痛もちなんです」
「気を失うくらいの?」
 冗談言ってる、心配させないように、わかってるのに、今の俺、そのテンションに応対出来ない。
 珠樹は笑うのをやめて、俯いた。
 担ぎこまれてから半日、珠樹はもう笑っている。薬で、痛みは簡単に抑えられるらしい。でも、それはただ痛みを感じないだけ。
「何で黙ってたんだ?」
 意識せず、口調が強くなる。本当はこんなふうに言いたいんじゃないのに、こんなふうにしか言えない。なんでか、凄く腹が立ってくる。
「なんではじめに―――」
「言ったら、何か変わりますか?」
 水面に一滴、滴を零したような声。
「京介さんに病気のこと言ったら、治るんですか? 死ななくても良いんですか? 言っても言わなくても、私は死ぬんだから、関係ないです」
 悟ったような。
 諦めきった。
「死ぬなんて、誰が決めたんだよ」
 俯いたまま、珠樹が俺を見る。今までとは違う瞳で。
「その調子だと、お医者さまから聞いたんでしょう。私、頭の中に腫瘍があるんです。手術でも取れません、これ、だんだん大きくなってるんです。それで、―――あと少しで死にます」
 あと少しで死にます。それが俺には、あと少しで死ねます、そんなふうに聞こえた。
「あと少しで死ぬから、その前にあなたに会いたかった。だから東京に来ました」
 もう少しで幕を下ろす人生。学校も通えなくて、薬がないと普通の生活も送れない、親もトモダチも、みんな一線引いている。もう死ぬんでしょ、だったら入ってこないで。そういうふうに。
 何も言えない。何か気の利いた、いや、もっと違う、何かいうコトがあるはずなのに。
「なんで、俺に会いにきたの」
「あなたが好きだから」
 さっきと変わらない口調で、言う。好きなんて、そんな表情で言う台詞じゃない。
「好きだから、会いたかった。会って、ちゃんと好きだって言って、伝えて、それから死にたかった」
 どうせ死ぬんなら。
 せめて最期に。
「怖く、ないのかよ」
 そうやって死ぬ死ぬって、自分で言って。
「怖いですよ」
 何言ってるんですか、そう言う。笑う。
「怖いに決まってるじゃないですか。だけど、もう駄目なんです、だから、あきらめるしかない」
 開いたままの瞳から、涙。
 頬を伝って、顎から、シーツに落ちる。
「でも、怖いけど」
 それ以上に。
 ことばには、ならなかった。



side she
 好きなのに。
 本当はもっとちゃんと、笑って、なんでもないふうに。
 言おうと思ってたのに。
 嫌いだ、こんな躰。
 いうコトを、ちっとも聞いてくれない。
 いつも突然。
 いつも。
 怒った顔。あんな表情させたくて、黙ってたわけじゃない。
 死ぬとわかってて怖くないほど、強くない。
 だけど。
 ネットで、凄く遠くで。
 つながってることすら疑いたくなるような、電話線越しに。
 やさしくて、あなたと話していると楽しかったから。
 好きになったから。
 死ぬ前に、誰かを好きになれて倖せで。
 もうすこしだけ、傍にいたかったから。



side he
 どうすれば良いんだろう。
 よく、わからない。
 珠樹はかかりつけの医者に連絡をとって、翌日には病院を出た。
 そして、いなくなった。
 何処に行ったのか、わからない。書置きとか、そんなもの、あるわけもなく。
 俺は突然ひとりになったアパートで。誰もいない朝を迎える。
 淋しいと感じるのは、何だかあっけないと感じるのは。
 あったものがなくなったからで。
 そこにあるのにしっくりきていたからで。
 馬鹿だと、自分で自分を嗤ったりした。



side she
 何でまだここにいるんだろうな。
 あと何日か、猶予。
 毎日高いタワーの上で。
 死んだら。空の上に行くんだろうか。
 天国、空の上にあるって本当かな。



side he
 天国は。
 何処にあるんだろう。
 気がつけば、そんなことを考えていた。
 気分を紛らわせようと借りてきたAVを鑑賞しながら、ぼんやりと。
 画面を見ているけど、画像は脳みそまでは届いてないだろう。
 イイ新作入りましたよ、kくんはそう言ったけど、なんだか、そうでもないような気がする。前の俺なら、興奮モノだったんだろう。kくんは俺のAVの趣味を熟知しているのだから。……なんか、それも嫌だな。
 天国は。

―――天国って、やっぱり空の上にあるんですかね

 初日に言った東京タワーで、珠樹が。
 言った台詞。
 天国は空の上にあるのか。
 科学的なこたえとしては、ノーだろうけど。
 思いとしては、イエス。
 ビデオを消して、鍵を持って、家を出た。

   +*+

 見上げる。
 東京タワー。
 昭和33年3月3日333メートルの。
 作ったやつらはよっぽど「3」が好きだったんだなと、はじめて聞いたときに思った。
 高い入場料を払って、展望台へ。そこに何を望むでもなく、ただ漠然と。
 そこに行きたいと。
 思った。
 エレベーターが上昇して、街がどんどん小さくなる。空に近くなる。
 ドアが開いて、展望台。休日だけあって、人の数はそこそこ。学生から、親子連れから。みんな楽しそうに珍しそうに。そのなかで、ひとり。
「たまき?」
 ベンチに座って、何も見えない天井を見上げて。初日、天国のある場所を聞いたのと同じ格好で。
「たまき、」
 珠樹は見上げるのをやめて、きょろきょろ、そして、俺を見つけた。
「京介さん」
 あは、そう言うふうに笑って。まるで何もなかったみたいに。
「どうしたんですか、こんなところに」
 歩み寄る俺に、訊く。
 どうして? そんなの決まってる。
 細い肩を抱き寄せて、展望より珍しそうに、人がこっちを見るけど、人目なんか気にしない。
「あの、京介さん」
「かえろ、」
 引っかかりまくった声は、情けないくらいか細かった。カッコ悪いな、俺。
「帰ろう珠樹」
「、はい」



side she
 じわじわあったかい。
 泣いても、いいかな。
 泣いても。



side he
 相変わらずのまま、同居生活は続き、珠樹が帰る日になった。
 珠樹は渋ったけど、俺は東京駅まで、見送りに出た。
「自由席か…悪いなんて思わずに、あいた席があったらすぐ座れよ」
「わかってますよ、信用ないなー」
 はじめより、大分砕けた口調で。笑顔で。
 そこにいる。
 俺も珠樹も、まるで何も知らないかのように、振舞って。
「東京ばな奈って、構内にも売ってますよね」
「うん、好きなの?」
「父が好きなんです」
 買って帰らなきゃ、笑って、それから礼をした。
「一月、ありがとうございました」
 急にかしこまれても、俺も困るけど。
「いえ、こちらこそ」
 されたら、返さないといけないような気がする。
「あ、そうだ珠樹」
 いかにも今思いつきましたというように。
「何ですか?」
「ちょっとこっち向いて」
 とりあえず、言われたままに上を向いた珠樹に。
 キス。
 珠樹は驚いたけど、すぐに微笑った。
「ごちそうさまでした」
「いえいえ」
 俺も笑って。
 本当は結構何度もシュミレーションしてたりした。俺ってなんか切ない…。
「じゃあ、そろそろ時間なんで」
「気をつけて」
 ぺこりとおじぎをして、背を向けた珠樹に。
「また、絶対来いよ」
 珠樹は振り返らずに。
 小さく頷いた。
 改札を抜けて、見えなくなって。
 そうしたら急に恥ずかしくなった。なんというか、顔から火が出るというのは、こんな状態なんだと、身をもって実感というか。
 何だ俺、めっちゃ恥ずかしいことしてたんじゃないか?
 身もだえするのを抑えながら、俺はもう少しだけ、改札の方を見ていた。



side she
 無責任だな。
 また絶対来いよ、だって。
 無責任だけど、また来たいな。
 また、会いたい。
 改札を通って、振り返っても、もう人に紛れて京介さんの姿は見えなかった。
 ありがとうございました。
 唇に触れると、急に恥ずかしくなって。
 でも、笑ってた。
 ありがとう。
 もう会えないんだろうけど。
 だけど、楽しかった。
 ありがとう。



side he
 あれから、珠樹とは会っていない。
 リアルでも、ネットでも。俺の前から姿を消してしまったかのように。
 季節は移り変わって、秋から冬、冬から春へ。
 ひとりのアパートにも、また慣れて。
 淡々と、優雅な独身貴族生活。
 会社でもネットでも、近所付き合いにおいても。
 俺は変わらない生活を送っている。
 珠樹はどうなんだろう。
 ある意味とても残酷な問いかけを、してみたりする。
 休みの日とか、良く東京タワーに行く。
 あそこの展望台で、無意味に天井なんかを眺めて。
 ここがもしかしたら、今はいちばん珠樹に近い場所なのかもしれない。
 ネットとは違う、お互いに距離のなかった一月の間。

 ………俺、何考えてるんだろうな。


(2002/08某日 13207文字)