罪と罰と
1.
くらり、ふらり、―――眠い。
格子の嵌められた窓から差し込む光は、一体いつの光だろう。朝だろうか、それとも昼だろうか。もしかしたら、月灯りかもしれない。
どれでも、構わない。―――どれでも。
両手首に嵌められた色褪せた鉄の手錠は、肌に触れる部分だけが熱くて、ほかはこの世のものじゃないくらい冷たくなっている。
どうして
疑問詞が浮かんだ。
しかし、すぐに追い払う。
目を、強く強く閉じて。―――違うんだ。
仕方がない。
否、仕方がないのでもない。
自分で、これを選んだのだから。
自分は、彼を許したのだから。
自分が。自分で。すべては自己判断。
この状況を責めるとしたら、自身を。
高めの天井を見上げて、光に瞳孔が反応して。
眩暈が、した。
くらり、ぐらり。
眠い。
寝てしまおうか。このまま。永遠に。
ちょうど良くやってきた足音が、まるで子守唄のように。感じられる。
眠いのに、あくびは出ない。
頭に、じわりとした痛みが走るだけで。
紺色の帽子を被った頭が、超合金の鉄扉の向こうからこちらをのぞきこむ。
一重の瞳が、うっすらと細くなった気がした。
はじめはぞくりとしたその視線すら、今は。
何も感じられない。何も考えられない。
ギルド
天井の隅に、向かって。
声にならない問いかけをする。
なあ、ギルド
おまえは―――
足音が遠のいていく。
眠気が、頭を、自身を満たしていく。
くらり、
眠い。
眼を閉じると、そこはありきたりな、夜よりも濃い闇。
ルイ、俺は―――
もう何度目かの声が。
聞こえないのに、聞こえたような、そんな気がした。
***
浮かんで、それから、落下。
突き落とされるような感覚と同時に、意識は現のものとなる。
見慣れた天井。
彼らはこの部屋で生まれて、この部屋で育った。
親がいなくなって、ふたりきりになって。彼らを取り巻く環境は変わっても。
天井は、いつも同じ表情を見せていた。
頭の奥が、痛い。
錐で突き刺されてしばらく経ったみたいな、鈍い、痛み。
天井を見つめたまま、しばらく息が出来なかった。瞬きさえ。
出来なかった。
「……ルイ、」
呼気と共に吐き出された、名前は。
魂の共有者。
両腕で、視界を遮って。溜息にも似た、呼吸を繰り返す。
どうして、
否、「どうして」ではない。
この状況を生み出したのは自分。
こんなことになった原因は、自身にあって。
どうして、と。問うのは間違っている。
すべては、自分が、招いた事実。惨事。
なあ、ギルド
お前は、ちゃんと、生きて―――
最後のことば。
否、最後、ではない。
最後にしたのはギルド自身。
ルイは、最後まで、許し包むような、眼差しで。
それが凶器だなんて、気付いちゃいなかった。
許された俺は、
一体どうすれば?
裁かれるべきは自分。
死すべきは、自分。
なのに。
でも。
許して、ルイ
無力な俺を、動けない俺を
どうか
2.
「ギルド…?」
食事の準備をしたいた手を止めて、ルイは返って来た弟に問う。
「…ルイ、」
服のところどころを返り血に染めたギルドは、上目遣いに、恐る恐る兄を見た。
いつも微笑んでいるルイの表情が、ふいに硬くなって。扉のところで震えるギルドを、寝室に引っ張っていった。
二間だけの家。だけどふたりで、広さに不便したことはない。
薄っぺらいベッドにギルドを座らせて、ルイはその前の床に座った。
「……ルイ、」
「………」
ルイはギルドと同色の、糖蜜色の瞳を向ける。
「俺、…俺、どうしよう」
震えが、ギルドの体を包んでいく。寒くない時期なのに、彼の周りだけ、まるで雪の吹きすさぶ冬のような。
「ひひひ、ヒト―――」
一旦ことばを切って、息を継ぐ。
「ヒトを、こ、殺した」
ルイの瞳が、少しだけ、見開かれた。しかしすぐに、いつもの表情に戻る。
「お、俺、俺どうしたら良いのかわかんなくて、それで、」
ベッドから降りて、ルイの肩を掴んで、まるで母が死んだ、あの日のように。ぼろぼろ涙を流して。
「ギルド、」
すっと、ルイがギルドを引き寄せた。背中に回した手を、とんとん、とやさしく叩きながら。囁く。
「大丈夫、」
「、でもっ」
「大丈夫だよ。ギルドは、俺が守るから」
ね、やさしすぎる声に、ギルドは頷いていた。
「ルイ…俺、怖いよ……」
ルイの背中に手を回して。肩に顔を埋めて。
「怖い、―――」
ギルドは酒場で働いていた。
殺したのは、そこの常連客だった。
いつもよりずっと酒の回ったその男は、給仕をしていたギルドを無理矢理店の奥に引っ張っていった。
困惑するギルドに、酒場の店主は眉を上げて、気の毒そうな表情をしただけで。
周囲は無関心で。
怖かった。
14歳のギルドにとって、大人の男の力は絶対で。振り払うことすら出来なくて。
『あの、お客さん』
ギルドが問うても、男は無言で。
店の一番奥の扉を開けて、中にギルドを放り投げた。
扉を入ってすぐの大きなベッドが、ギルドを受け止めてぎしり、うめくように軋んだ。
扉が閉まって、天井の裸電球がオレンジ色の光を部屋中に投げかけた。
深い陰影の刻まれた男の顔は、笑いに歪んで。指は、自身のシャツのボタンをはずし始める。
『お客さん、あの…っ』
『まあそう怯えるなよ』
ぞくりとした。否、それ以上。
『や、だ、嫌だ……』
男の躰が覆い被さってくる。文官のようにきれいな掌がギルドに触れる。触られた部分から、腐敗して融けていくような。不快感。
その後のことは、よく覚えていない。
気が付いたら、ギルドは血だらけのナイフを握っていて。
男はベッド上で動かなくなっていて。
『お客さん……?』
呼びかけても、揺すっても。男は無反応で。
反動で仰向けになった男の表情を見て。ギルドは心臓をわしづかみにされたような気がした。
男の表情は痛みと、何か禍々しいものに歪んで。
慌てて、飛びのいて。握っているナイフに、改めて気付く。
これで、俺は?
何度も何度も瞬きをして、ナイフを持った手から、震えが駆け上がってきて。
違う、俺じゃない
言い聞かせようにも。男の躰を染める赤色と、ナイフを染める赤色は、同じ。まったく同じ色で。
じぃ…と、裸電球が泣いた。
その後は思ったより冷静に。男をシーツでくるんで、裏口から酒場を出た。
「大丈夫だよ、な、だから泣かないで」
やさしいやさしい、ルイの声。同じ声のはずなのに。どうしてこんなにもギルドと違うのだろうか。同じ姿形をしているのに、どうしてこんなにもルイは綺麗なのだろうか。
ギルドは、もう血に塗れてしまったのに…。
***
ノックに応じて扉を開けると、はす向かいのおばさんが立っていた。
「おはようルイ」
「おはようございます」
ルイのように微笑って、ギルドは返事をした。
「本当に、大変ねえ。ギルドがあんなことになっちゃって」
頬に手を当てて、おばさんは溜息をついた。本当に、心配しているように―――気の毒がっているように見えた。
傍目には。
ココロのなかなんて、ギルドにはわからない。
「ルイも、仕事をやめさせられたって聞いて、びっくりしちゃったわ。お役所でルイの笑顔を見るのがおばさんの楽しみだったのに」
曖昧に微笑うと、おばさんは思い出したように籠を差し出した。
「あ、そう。これね、うちで焼いたパン。あんまり量はないんだけど、味の保障なら出来るからね」
秘密よ、そんなふうにウインクして。
「ありがとうございます」
籠を受け取って、ギルドは深く頭を下げた。
「そういえばね、」
不意に声を下げて、おばさんはギルドの耳元で囁いた。
「ギルドの処刑日程が決まったらしいわよ」
ぴくりと、肩が震えた。
「そう、ですか。いつですか?」
ルイは、ルイだったら、一体どういうふうに、ギルドの処刑日程なんて訊くのだろうか。ギルドには、想像すら、出来ない。
同じ遺伝子の。
同じ人間なのに。
違う人間だから。
「そんなの、あたしみたいな庶民にはわからないけどさ。お役所に行けばわかるんじゃないのかしら」
「はあ、そうですか」
姿勢を直し、ふん、と腰に手を当てて、おばさんは闊達に笑った。
「ルイも、あんまり気を落さないようにね。確かに、双子の弟がって考えたら凹みもするでしょうけど」
じゃあね、おばさんは手を振りながらはす向かいの家に戻って行った。扉を開けて中に入る、そのとき一瞬だけ、こちらを見たような、そんなふうに見えた。
おばさんが扉の奥に消えるのを見届けてから、ギルドは扉を閉めた。
これが、現実。
男を殺したのは今此処にいる、ギルドなのに。
ルイが、その罪を被って。
処刑される。
大丈夫、俺がギルドを守るから
ずるずると、扉に寄りかかって。座り込む。
「守るって……ルイ………俺は、」
どうしたら良いんだ? このまま、ルイとして、生きていくのだろうか。
綺麗な、罪のないルイとして。
苦しいだけだよ、そんなの。
「ルイ…」
双子だったばっかりに、姿形が同じだったばっかりに。
ルイは。ギルドとして、捕まって。
ギルドは。ルイとして、生活して。
間違っているのに。誰も間違いには気付いてくれなくて。
だからと言って、ギルド自身も、間違いを指摘できなくて。
それはルイの行為を無駄にするとかそういうのではなくて。ただの、処刑への恐怖からの、汚いエゴでしかなくて。
「ルイ、」
ひとりぼっちになった家の中で。
此処にはいない。片割れの、名前を呼ぶ。
「俺は…ねえ、ルイ、」
こたえはかえってこないのに。問いかけばかりが、何度も何度も。
―――ギルド、お前は
眼を閉じて、開けて。薄汚れた天井。そういえば、しばらく掃除とか、してない。
「ルイ」
―――お前は、俺が守るから
生きろ、―――
「ルイ、」
駄目だよ。俺は。
駄目なんだ。
これじゃ。
きっと。
3.
同じ光景が繰り返されている。
何度目かの朝。否、今が朝かどうかは、あまり定かではない。
ギルドとして、牢に入って。それが辛いとか、思ったことはないけれど。
弟は、ギルドは、ちゃんと生きているだろうか。ちゃんと。
ルイ、として。生きているだろうか。
死ぬのは怖い。
怖いけれど。だけど。
それでも弟を守ることが、ルイの人生の、すべてだった。
生まれて、親は母ひとりで。その母も彼らが9歳の時に病気で亡くなった。
―――ルイ、
母の最後のことば。
―――ギルドを…
そのことばだけが、ルイのすべてで。
「ギルド、」
決して呟いてはならないことばを一度だけ。
唇に乗せた。
じゃらりと、手錠が泣いた。
閉じて開いた視界は、薄暗い冷たい石の部屋。
こつりと、足音。遠くから、近づいてくる。はじめは怖かった。自分に何かが起こるような気がして。だけど、それは杞憂で終わることが多かった。たいていは、他の独房へ、足音は向かって行った。
なのに。
こつり。
足音は、ルイの独房の前で止った。
「ギルド・ロイヤーだな」
低い、地響きのような声が、言った。超合金の扉の、小さな格子窓から。
真っ黒の、三白眼が覗き込んでいる。
「お前の処刑日程が決まった」
とくん、胸が鳴った。
瞬きと同時に、何故か。
涙がころりと、床に転がった。
***
男は液晶を食い入るように覗き込んでいた。
薄暗い部屋の中で、走査線の織り成すカラーだけが、採光源だった。
「にいさん、」
「裁判長と呼びなさい」
ぴしゃりとはたかれたことばに、スーツに身をくるんだ女は眼鏡を上げて息を吐いた。
「すみません裁判長。それで、1週間後に執行されるギルド・ロイヤーの処刑のことなのですが、」
裁判長、と呼ばれた男はこたえずに。振り向きもせず液晶に注目したまま。画面の中では、何頭もの馬がコーナーを曲がるところだった。
「裁判長、」
「訊いてる訊いてる」
振り向きもせずにひらひら手を振って。説得力も何もあったものではない。
「ギルド・ロイヤーには双子の兄がいるようですが、それについて住民から―――」
「っあー!!」
女の台詞を遮って、「裁判長」はばっと万歳をした。開いた掌からひらひらと名刺サイズの紙が舞う。
ちょうど足元に舞い降りた紙を拾い上げて、女は明らかな溜息をついた。
「裁判長、」
「小言なら要らないよシェリル」
やっと振り返って、「裁判長」―――クリフィードは、座っているソファの背もたれに頬杖をついて言った。その手には、1枚の紙がひらひらと揺られていた。
「連勝複式馬券って知ってる?」
「いえ、そういう知識は持ち合わせていませんので、」
「そう、まあいいけどね。余暇も大いに必要だよ。覚えておくと良い。いいかい、私たちに必要なのは事実だよ。だけどその事実は、例えば虚実でも構わない。連勝複式馬券って知ってるかな―――って、ああ、知らないんだったね。ごめんよ。要はこれね、今僕がもってるの」
ひらひらと紙を平つかせながら、「裁判長」。
「1番と2番が入れ替わったって関係ないんだよ。当たりは当たり。配当は少ないけれど。メリットはある。それとおなじことさ」
「…と、申しますと?」
「たとえば、そのギルド…だっけ? それと違う第三者、―――この場合は双子の兄だね―――が別モノだって構わないんだよ。同じだって認識できればね。どちらが処刑されても関係ない。処刑されればそれでこのヤマはおしまい。わかったかな?」
「そうですね、」
しばらくの沈黙の後、シェリルは小さくことばを繋いだ。
17歳で裁判官になった。20歳で裁判長の椅子に座った。
この実力至上主義の国で。
彼は、クリフィードは自由だった。
しかし自由と同時に、そこには確かな矛盾と、曖昧さと。
混在して混沌として。
「シェリル」
「なんでしょう、」
「どうして僕たちは裁判所づとめなのかな」
「生きていくためでしょう?」
ソファに横になって、上目遣いに妹の背中を見る。自分とは違って、ひたすらの努力で裁判長の秘書にまで上り詰めた彼女の背中。
「そうだね、」
そうかもしれない。確かに。彼らにとって、生きていく術はこれしかなかった。
「ねえシェリル」
「何でしょう裁判長」
「、おにいちゃんって、呼んで?」
さらさら動いていたペンの音が止まるのを、感じた。
「……おにいちゃん、」
過去に棄てた呼称。心に染み渡るほど。傷口に染み渡る塩水のよう。
「愛してるよ」
たったひとりの妹。
眼を閉じたクリフィードの上に、ばさりと書類の束が影を落とした。
うっすらと眼を開ける。
「ギルド・ロイヤーの処刑決定書です。目を通して判をお願いします」
「……おつかれさま」
これが、生きていくための唯一の道だった。
4.
気がついたら、裁判所の前にいた。
雨が降っていた。霧雨。フードをかぶった奥の睫毛にも、滴が絡みつく。
「ルイ、」
呟いて、俯いた。
これはやってはいけないことだ。それはわかっていた。ルイの行為に反する、最低の裏切り行為だ。
だけど。
ルイを、死なせたくなかった。殺したくなかった。
否、それは建前で。
ギルドは、ルイとして、生きていける自信がなかった。怯えて生きていくのは、いやだと辛いと思った。―――最低の、エゴだ。
強く眼を閉じた。
寒さが、躰の奥の奥まで染み込んで、なのに震えはこなかった。
「罪は、被るべき人間が」
被るべき人間が、罰を、受けるべき人間。
瞳を上げた。
白い裁判所の壁が、果てなく高く見えた。
***
雨の音がする。
霧雨なのか、微かに空気が湿っぽい。
眠っていたのか、頭がぼうっとする。既に昼夜の感覚はなくて、ただただ時を過ごすのみ。みる夢は、小さかった頃の。倖せだった夢。
その夢さえも、しばらく見ていないような気がする。
ずっと続く。
永遠の、暗闇と無音の夢。
眠りの続きには、もしかしたら死があるのかもしれない。
否、もしかしたらではなく。そこには確かに。
死が横たわっている。
足音。
死神が鎌を振る、そんな音のように聞こえるのは、どうしてだろう。
ルイは起き上がろうとしたが、手錠がじゃらりと泣いただけだった。扉の前には、手をつけていない食事が放置されている。
こつ、こつ、こつ……こつり、
音が。
止まった。
ルイの独房の前。
「ギルド・ロイヤー」
呼ばれて、瞳を上げる。
「出てこい」
ああ、ついに。
否、やっと。
罪に与えられるべき罰が。
断罪のとき。
***
「誰だ、お前は」
「ギルド……」
言いかけて、口をつぐむ。
「ギルド・ロイヤーの、兄です」
嘘。
気持ち悪いものがこみ上げて、だけど、無視する。しちゃいけないのに。本当は。
「ギルド・ロイヤー…? ああ、明日処刑されるやつだな」
手元にあったリストのようなものを見ながら、衛兵は面倒くさそうにこたえた。
「面会、出来ますか?」
ギルドが訊ねると、衛兵は首を振った。
「処刑の3日前から面会謝絶だ。裁判長とかの口利きがないと駄目だな」
「そうですか、……どうしてもですか?」
「なんだ?」
「………」
言わないと、いけない、だけど。
いえない。
言わないといけないのに。
声が出ない。
―――ギルド、
「お、俺が、」
衛兵が不信そうな顔で、ギルドを見る。
「ギルド・ロイヤーです」
「何を言っているんだ、ギルド・ロイヤーは」
「双子だからわからないだけでしょう? 今牢屋に入れられているのは、兄のルイ・ロイヤーです」
「お前は、」
「だから、処刑するなら、兄じゃなくて、俺なんです」
言って、それから、全身の血液が凍結するような、眩暈を感じた。
「俺に、俺の罪に。罰を与えて下さい―――」
「おや、こんな雨の日に面会かな?」
衛兵の後ろから、飄々とした声がした。
「…また秘書官に小言を言われますよ、裁判長」
苦笑いで衛兵が言った。
これが、「裁判長」。法を司る、裁く。
まだ若い、青年だけど。
確かに。
「いや、さっき言われたからね。それで、そちらは?」
「お、俺はっ―――」
咄嗟には、上手くことばが出なかった。まだどこかに、躊躇いが残っているのか。
「ギルド、です。ギルド・ロイヤー」
「ギルド?」
「裁判長」はつかつかとギルドに歩み寄ると、その長い指でフードを払った。そして、微笑った。
「まあ良い。ここは濡れるし、おいで」
「裁判長」
「責任は僕が取る。君に罪はない」
人差し指を唇に当てて、安心させるように。
衛兵は苦笑いで、「ほんと、宜しくお願いしますよ」案外、慣れているのかもしれない。
こんな気まぐれみたいな状況に。
「さ、こっちにおいで。話は中で聞こうじゃないか」
「裁判長」はくるくる丸めた書類で、門の奥に続く、思ったより質素な室内を指した。
***
「ギルド、ていったっけ?」
すたすた先を歩いていた「裁判長」が、振り返って問うた。
ギルドは頷く。頷いた表紙に、前髪から雨の滴が一つ床に放物線を描いた。色の濃い絨毯に、ぽつりと染みが出来た。
「何をしにきたのかな、」
廊下には、ふたり以外に人通りはない。ギルドは、それでも前後を見回してから、口を開いた。
「処刑されるべきは、俺、なんです」
「へえ、」
「牢屋に入ってるのは、双子の兄で、ルイって言います」
「ふうん、」
「ルイは、兄は俺をかばって、罪を被って。でも、俺はそれじゃいけないって思って、」
「そう、―――それで、君が、"ホンモノのギルド・ロイヤー"がきたってコトかな」
振り返った瞳は、うっすらと細められて、くせのある赤毛が、同色の瞳を隠そうと揺れた。
「それは、麗しき兄弟愛だね」
「………」
「だけどね、君の素晴らしき愛は遅すぎたよ」
「―――どういう、」
「逮捕された"ギルド・ロイヤー"は、先ほど処刑のためのデータ収集が完了した。虹彩、声紋、指紋、DNA。我々は彼に関するすべてのデータをとった。まあ、君たちの場合は、DNAなんかはまったく関係ないだろうけどね」
「………」
何か、言わなければならない。なのに、ギルドは何も言えなかった。
「処刑されるべき人間は、もう決定済みだよ。君が"ホンモノの"ギルド・ロイヤーだとしても、もうすべては遅いんだ」
くるくる巻いていた書類で、肩を叩いて。微笑った。なのに、瞳は、微笑ってなどいない。
「罪を犯したのはギルド・ロイヤー―――ひとりの人間だ。彼はたまたま双子だった。そしてたまたま兄弟愛溢れる兄がいた。兄が身代わりになった。我々を欺いて。まあ、それは良い。輝かんばかりの愛情だ、敢えて不問にしておくよ。―――ところで君は、連勝複式馬券って知ってるかな?」
「……競馬の、馬券のことですか?」
言うと、「裁判長」は少し嬉しそうに破顔した。
「知ってるんだね。嬉しいな、」
「以前、そういうところで少し働いたことがあって…」
馬券を売る、日雇いの仕事だった。ギルドはルイと違って、なかなか永く雇って貰えなかった。何でもやった。肉体労働でも、書類整理でも。
「じゃあ、わかるね。君たちはまさしくそれだ」
「………」
「どちらでも構わないんだよ。君が殺したのは人間のクズでね。どうせそのうち誰かに殺されたような人間だ。ただ、それでも人間だから。殺すのは罪な行為だ。ここまで、わかるかな?」
頷く。
「よろしい」
「裁判長」はにこりと微笑った。
「罪は裁かれるべきものだ。罪には罰がつきモノ。ワンペアとでも言おうか。まあ、そんなモノだよ。そして罪は人間が犯すもの。侵した人間は裁かれるべき人間。ただそれは、―――君たちの場合は特別だけどね―――どちらでも構わないんだよ。何故なら君たちは双子だ。正直、今さっき見た書類の顔と、今目の前にいる君の顔の区別が、僕にはつかないよ。それくらい似ている。まあ、双子だから当たり前なんだろうけどね」
「どちらでも、構わない?」
「そうだよ。どちらでも構わないんだ。そう、どちらでもね。そこらへんが、連勝複式馬券ってところ。我ながら上手い例えだと思うんだけどね。―――君たちのどちらかが裁かれれば、それでこの罪は浄化される」書類を広げて、指で弾いた。ぱしん、と湿ったような音がした。「ごく稀な、特別なパターンだよ。ルイ、だっけ? お兄さんに感謝しないとね。君の罪は君ではない誰かに譲渡された」
「あなたがたは、」
「間違っている? 確かにそうだね。罰は罪を犯した人間が被るべきものだ。だけどね、本当はそんなのはどうでも良いんだよ。誰でも良い。罪につきひとりが裁かれる、それでいいじゃないか。我々にはどちらでも、メリットにたいした差はない」
「違う、―――間違ってる」
「それで?」
「―――え?」
「君に何が出来る? データは処理済、処刑は明日。今更何をかき回そうって言うんだい?」
「………」
言わなければならない。なにか。なのに。なのにどうして―――。
「せっかく助けられた命だよ。例えそれが己を偽ることでも。そしてそれを望まれたことは幸運なことだ。君は生きるべきだと思うけどね」
「違う、」
やっと出てきたのは、情けないほどか細い声だった。
「違う…」
「裁判長」は、何も言わなかった。
5.
手錠が外されて、なのに、感覚はまだ鮮明に残っている。
ルイは移された白い部屋で、白い服をきて。
幾日ぶりかのベッドの上で、横になって瞬きを繰り返して。
自分でも驚くほど冷静に、死を受け入れていた。
怖くはなかった。怖くなど、ない。
なのにどうしてだろう。指先が冷たいのは。末端が冷え切っているのは。
窓から覗く天気は、雨。
空がみたい、思った。
死ぬ前に、最期に。
抜けるような、蒼い空が見たい。眼を閉じて、意識が融けていくのを感じながら、ルイは小さく息をついた。
―――ルイ
声が、聞こえたような気がした。
間違ってないよ、俺は。
ギルド。
守るって、決めたんだ。ふたりになって。俺が守らなくちゃって、思ったんだ。
―――ルイ、
「ルイ」
「……ギルド、」
嘘だ。思った。けど、台詞にはならなかった。
「どうして、此処にいるんだ?」
「俺、間違ってたんだ」
「ギルド?」
「ルイには悪いって思ったけど、だけど、俺はルイを殺したくない。ルイこそ、生きていくべき人間なんだ」
「ギルド、」
手を伸ばすと、自分と同じ色の瞳が揺れた。
「莫迦だな、お前は」
だけど、涙が出るのは。
どうしてだろう。
「どうやって、此処に着たんだ?」
「どうやってって…そんなのは、どうでも良いんだ」
「…でも、」
「ルイ、ここから出よう。ここから出て、生きて。俺じゃなくて、ルイが、生きて」
「駄目だよ、ギルド」
瞬きを繰り返して、ルイは弟に言う。
「処刑されるのは俺なんだ。ギルドの罪は、もう、俺の罪なんだよ。だから、もう良いんだ」
「でもっ駄目なんだ、それじゃあ、俺が、駄目なんだよ」
言ってしまって。ギルドはエゴに表情が歪むのを感じた。
汚い。こんなときにでも。自分は。いつも「俺」ばかりで。
「ねえ、ギルド」
やさしい声で、ルイ。
「此処にきてくれて、ありがとう。だけど、もう駄目なんだよ。裁かれるのは俺なんだ。ギルドの罪は、もうないんだよ」
「違う、」
さっきから何度も、繰り返して。でも、何が違うというのだろうか。
「違うんだよ、ルイ」
上手くことばにならなくて、出てくるのは涙で。情けなくて。
「俺は、ありがとうなんて―――、言われちゃ駄目なんだ」
***
「裁判長」
「なんだい、秘書官」
「どうしてですか、」
「何がかな、主語述語を明確に」
「ギルド・ロイヤーの独房に、外部の人間を―――"ホンモノ"を入れたそうですね」
「いいんじゃない? 数少ない長としての特権行使だよ」
走査線の中には、緑の芝。
クリフィードの手には、赤で印のついた競馬新聞。
「ですが、」
「兄弟の最期の別れを奪うほど、僕は人間踏み外しちゃいないって事だよ」
「………」
「感動した?」
「いえ、呆れました」
「ふうん、そう」
「裁判長、」
「はいなんでしょう、」
「自己投影は、いかがなものだと思いますが、」
「君がそれを言うんだね、シェリル」
罰は侵した人間が背負うべきものだ―――綺麗ゴトだ。ヘドがでる。
「でもそれは過去だ。過去は忘れ去られて風化していくものなんだよ」
「………」
人を殺した。それは昔のことだ。
クリフィードの罪だった。それは確かに、紛れもない。だけど、その罰を被ったのは、クリフィードではなかった。
「僕はもう、そのコトは忘れたんだ。だから、関係ないし、自己投影なんかもしていない」
「……そうですか、」
ならばどうして、そんなにムキになるんですか? そのヒトコトは、いえなかった。
6.
最低だ。
眩暈がするほどに。世界が逆回転しているかのような。錯覚さえ覚えるような。
どうしてだろう、どうして。
自分は此処にいるのだろう。帰って来てしまったのだろう。ギルドは、膝を抱える。
結局、何にもならなかった。何をしにいったのだろうか、ギルドは。
どうして、帰って来てしまったのだろう。
どうして、最後はいつもいつもいつも。
自分のことばかりで。
あまえてばかりで。何もかえられなくて。
残ったのは、何もない。虚無。空虚。
―――君に、何が出来る?
何も、出来はしない。
自分は、あまりにも無力で。どうしようもない。
ルイのやさしさに、いつも甘えて。いつも。助けられて。そればかりで。
「ルイ、」
助けて、―――今でさえ、今更なのに。助けを、求めてしまう。ルイに。
涙さえ、何の意味もなくて。
餞にも弔いにも何にもならない。否、祈りにさえも。
雨が降っている。
昨日からずっと、止まない。
しとしと、しとしと………―――。
雨が降っている。
止まなかったな、思う。
だけど、それはそれで、仕方がない。
諦めてしまう。最期の願いだった、はずなのに。
あっけない。でもそれでも、構わない。
なあ、ギルド
白い目隠しをされて。白い布なのに視界は暗くなって。
ざわめきが近づいて、遠のいて。
お前は、―――
雨が、躰をぬらす。
落ち着いている自分が、やけに滑稽に思えた。
「ギルド、」
呟いた、弟の名前。
一緒に生きてきた。魂の共有者。
最期に会えて、良かった―――。
なあ、ギルド
お前は、生きて―――――
(2003/02某日 10953文字)