今年初めて練習した曲は、ダカンという作曲家の
リゴドンという小品です。ダカンは、300年前のフランスの人で、優れたクラヴサン奏者でもありオルガン
奏者でもあったそうです。この曲は、バロック時代に流行した舞曲の一つとのことですが、素朴な雰囲気で
なんとなく懐かしいような気持ちになりました。300年というと、本当に遥か昔のことですが、生活様式は
違っていても、日々を暮らしていた人々の気持ちは、現代に生きる私たちとそう変わるものでもないのでし
ょうね。この曲を練習している最中、無理な話ですけれど、300年後の人間の音楽は、一体どんなものか聴い
てみたいなと思いました。
49.リゴドン(ダカン、1694-1772)<36秒>(L196)
漫画を読んで、時には心が微妙に揺さぶられる
ことがありますね。ちょっと影響されすぎと思いますが、気がつけば、周りの風景が今までとは違って見え
たりして驚いています。つげ義春さんの漫画を読むのは初めてですが、読み終わってしばらくすると、なん
ともいえない温もりを感じます。そして好むと好まざるとにかかわらず、「つげレンズ」を通して人や物が
見えてしまうのが愉快です。
さて、今日のレッスン。小品集からは、モーツァルトの初期の作品。これは、始めに音を拾っていた時に、
とても愛らしいと感じた曲ですが、練習すればするほどその愛らしさからは遠ざかってしまいました。
ポンポンポンと軽く弾くことができればいいなーなんて、やっぱりまだそれは夢のようなことです。
50.メヌエット、K−5(モーツァルト)<1分30秒>(L197)
インヴェンションは、12番の練習が始まりました。私には今までにない難しさです。さてさてこの先どうなる
ことやら、です。
解説によれば、モーツァルトのロンドン小曲集は、
モーツァルトが8歳の時、家族と共にロンドンへ旅行したときに書かれたもので、また当時父親は病気で、
この小曲集は、父親の手を離れて独りで仕上げたものとして知られているとのことです。
随分と小さな時から、演奏旅行にあちこち出かけたようですし、短い生涯はずっと働きづめだったのかな
なんて思います。1月27日は、モーツァルトの誕生日、敬意を表して弾いてみました(ま、迷惑なことかも
しれませんが)。この曲は短いけれど可愛らしく伸び伸びしていて、練習していると嬉しい気持ちになりました。
51.アンダンテ(モーツァルト、ロンドン小曲集より)<48秒>(L198)
インヴェンションの12番は、一進一退でやはりトリルが問題です。トリルにばかり夢中になって、
本体はどんな曲だったっけと、何やってんのかしらと思いますが、できないものは仕方ありません。練習
するしかないのです。レッスンが終わった時、あまりのできなさに頭痛がしてきました。なんだか
フラフラです。でも放り出すのは悔しいし。もうちょっと。
ピアノが家に初めてきたとき、シニアの為の楽譜を
買ってきて、いろいろ試してみました。音譜がとても大きく印刷されていて初心者にも分りやすく楽しめる
ものでした。その中で気に入って弾いていたのが、ベートーヴェンの「喜びの歌」でした。もちろん自己流も
いいとこですけれど。その後弾く機会もなく、今回はレッスンに通うようになって初めてのベートーヴェン。
聞いてみると、とても簡単そうでした。それによく知っている曲ですし。けれど、頭を掻いてしまうほど、
私には難しいものでした。左手の伴奏では、指がちょっとジャンプして離れたところの和音を弾きますが、
まともに着地するまでに、かなりの時間がかかりました。これって慣れの問題なのでしょうか。まだまだ
こなれていませんが、一応おしまい。次の曲に進みます。
52.コントルダンス(ベートーヴェン)<1分07秒>(L199)
インヴェンションの12番は、ようやく行く手に薄明かりがみえてきました。だんだんときれいな
曲だなと思うようにもなってきましたし、まぁ、時間がかかるのはいいのです。
今日はささやかな記念日です。ピアノ教室に通うように
なって200回目のレッスンでした。以前は一人きりで音楽の世界に飛び込んでいくのが不安で、自分の中で
目標を作って、一回また一回と百回まで数えていたことがあります。でも、今は特別に回数を意識することも
なくなりました。その時その時が大切なことは、今も同じですが、出合った一曲一曲が大事です。回数よりも
大切なのは練習の中身。と言っても、区切りの数ですから、一杯飲むという口実にはなります。
しかし、今日のレッスンは、肝心要のところが上手くできず、他のところも連鎖反応で総崩れ。
問題はトリルです。どう弾けば良いのかは、頭ではイヤと言うほど分っているつもりなのに、いざ弾き始める
と指は勝手な動きをします。頭と手はバラバラで、コントロール不能です。その割には、気持ちの焦りには
即反応、スピードは加速に加速を重ね、結果は指がもつれて、まずいぞと思うと同時に、あえなく自滅。
教室では、全面的にやり直しをすることになり、ノロノロとした速さで、フレーズを繰り返しました。
気持ちはコテンパンにへこんでしまって、帰り道は、さすがにしょんぼりとしました。でも自分で解決する
しか方法はありません。行く手に灯りが、と思ったのは全くの錯覚だったみたい。でも、できないできないと
言っているのも楽しいうちです。そうでも思わないと、ね。
甲:あんたね、自分の存在意義ってんのが分ってんの?
乙:うーん、それなんだよ。甲:この間までは、数さえ数えられなくて、蚊の鳴くような声をだすかと思えば、
やっとこさ数えられるようになったと思ったら、今度は大砲のような音だして。乙:オイラだって、もうどうして
いいか。―――と、ピアノの前で、脚を組んで、その組んだ腿に頬杖をついて、やや背中は猫背(まぁ、姿勢
はどうでもいいのですが)半分途方にくれて、あれこれ考えてしまいます。
インヴェンションの12番は、本当にトリルが多く感じます。私が弾くと、いっそのことトリルがないほうが、
よっぽどましに聞こえます。ああ、何を言っているのでしょうか。まだまだ奮闘中です。小品集からは、ハス
リンガーという人のソナチネです。私には、ちょっと長くて息が切れました。
53.ソナチネ(ハスリンガー、1787-1842)<3分04秒>(L201)
2月にしてはポカポカ陽気の土曜日、久しぶりにピアノ
の演奏会に行きました。ピアニストはカナダのアンジェラ・ヒューイットという人です。バッハの演奏では
定評のある人とのことですが、私はCDでも聴いたことはありませんでした。2日前に行われた演奏会は、
オール・バッハのプログラムだったようですが、土曜日はバッハからはイギリス組曲第4番、ベートーヴェンの
ピアノ・ソナタ第12番、ラヴェルのソナチネ、リストのピアノ・ソナタロ短調という多彩なものでした。
バッハの曲が会場に流れると、音の粒子がピアノから散らばって会場を満たしていくようで、
心地よく澄んだ空気に包まれるような気持ちになりました。全部で2時間の演奏会でしたが、どの曲も素晴ら
しくて、すごいな、すごいなと思いながら音楽に浸っていました。それに演奏者の気持ちが真っ直ぐに伝わっ
てくることにも驚きました。それにしてもなんという集中力なのでしょうか。本物を生の音で聴く、これ大事ですね。
さて、こちらは“素人(ドのつく)の証明”とでも言えばいいでしょうか。やっとインヴェンションの12番の練習が終わり
ました。トリルは追々また練習するということで、とりあえず先に進もうということになったのです。いつかが
来るかどうか分らないけれど、本当にいつかトリルをコロコロと弾けるようになりたいものです。
なんだか勢いだけのできあがり。でも今はこれが精一杯。ああ、なんて難しいのでしょう!
54.インヴェンション12番イ長調<1分56秒>(L196-202)
先週は、レッスンには出かけたものの帰宅後気分が悪く
なり、この頁も休みました。身体が軟弱なのか、少し鍛えなくてはと思います。2月にインヴェンションの
12番をしゃかりきになって練習して、すこしくたびれてしまったのかもしれません。振り返って自分の弾いた
ものを聞いてみると、ああ、まるで、つんのめって弾いています。レッスンを受けていて、その場その場で
どんなふうに感じるのか、考えるのか、客観的にみてみようなんて、ちょっと実験のつもりで、曲をアップし
たりしていますが、さすがにひどいなーと溜め息がでます。でも、仕方ないです。これが私なのですから。
くさるのは止めにして、自分のペースで練習していくつもりです。教室では、できないことをいつまでも気にしていては
いけないという雰囲気で、次から次へと進んでいきます。シューマンの曲は、「少年のためのアルバム、第
1部、小さい子どもたちに」からです。こういう曲はとても好きです。指も難しくなかったし、優しい気持ち
になれるなと思いながら弾いていました。インヴェンションの15番も好きな曲です。まだまだ硬さが残ってい
ますが、一応お仕舞い。軽く弾けるようになれたらいいのですけれど。
55.メロディー(シューマン)<1分03秒>(L204)
56.インヴェンション15番ロ短調<1分21秒>(L202-204)
今年の発表会で弾く曲が決まりました。やはり今年も
バッハの曲を弾きます。先生が選んでくれたのは、イタリア協奏曲の第1楽章です。この曲は大好きで、いつ
か弾けるようになれたらと、それこそ将来の夢と思っていた曲です。飛び上がる程嬉しい半面、とても不安で
もあります。でも、発表会は9月ですから、練習する時間はたっぷりあるのです。
この1週間は、7頁ある(こんなに長いのも初めて)楽譜の1頁目の音を拾っていました。実際
にピアノで音を鳴らしてみた時の喜びは、家に初めてピアノがきた時の喜びに似ていて、ポツポツとその
音色を、身体でキャッチした時、心の奥の方が、何かに反応してピクッと震える様な気持ちになりました。
嬉しいって、こういうことなんだなと感じます。5年前のあの時も、誰にという訳でもなく、ありがとう、
ありがとう、と思ったのでした。と言っても、一つの曲として、音符のひとつひとつを立ち上げるには、
この先長い道のりを歩むことになります。しかし、その練習はきっと楽しいはず。今回、私にとっては、とても
大きなこの曲を練習していく上で、ひとつだけ決めました。難所にぶつかっても、いちいち落ち込まないこと、です。
今を遡ること269年前、1735年にクラヴィーア練習曲集
第2部として「フランス風序曲」とともに「イタリア協奏曲」は出版されています。この年、バッハは50歳。
第1部は、「6つのパルティータ」こちらは、1731年の出版とのことです。楽譜を見ていると、ところどころに
pianoとforteの指示がありますが、これは打鍵の強弱の指示ではなく、当時の鍵盤の使い分けを指示したもの
だそうです。ちょっと紛らわしくて、一瞬あれっと思ってしまいますが、でも、昔はここで鍵盤を使い分けてい
たんだなと思うと、それはそれで面白いのです。
しかし、この練習曲集第2部は、「心をリフレッシュしたい音楽愛好家のために」書かれたそうですが、本当
に瑞々しくて、聴いていると気持ちがすっきりとします。バッハの曲って、もちろんいろんなタイプの曲があ
りますから、全部が全部、そう言いきれるものでもありませんが、空気清浄機みたいだなんて思います。まぁ、
それも演奏者にもよるのでしょうけれど。この曲は伴奏に徹する部分も、かなり有って、今まで練習していた
のとは大分雰囲気が違います。私の今回の課題は、左の指の強化、それに脱力です。今はまだかなり力が入っています。
力を入れるのは、気持ちだけ。身体はリラックスしてピアノに臨みたいものです。でも気持ちもリラッ
クスしないと自ずと力は入っちゃいますね。うーむ、やっぱり難しいです。さて、レッスンは、来週から
春休みで、2回続けてお休みです。宿題がいっぱいで休んでいられませんが、ここの頁はお休みします。
桜並木の緩やかな土手には、桜の花びらが散り落ちて
名残雪のように積もっています。割と長く咲いていた今年の桜ももうおしまいです。教室も3週間の休みが
あけて今日から再開。週に一度のレッスンは、時には結構きついなと思うときもありますが、無ければ無いで
寂しいような、気の抜けたような気持ちになります。少し追いまくられるように練習する方が、集中できて
いいようです。またそんな日々が始まります。
わずか短い期間でも一人で練習していると、それなりに癖ができてしまいます。今日は、音符の長さを正確に
とることの注意を受けました。同じ4分音符でも、動かない指の動きに無理のないように、まちまちの
長さで弾いてしまっていました。
少しでも先まで早く譜読みを進ませたいと焦ってしまったのも原因のようです。ひとつひとつの音符を正確に
読むこと、そして正確に弾くこと。当たり前のことなんですけれど、これが難しい。
志の有る3人の日本人が人質となっている事件は、現時点で未だに解決されていません。無事で元気に家族の
もとに帰られる事を願わずにはいられません。それにしても家族の声を聞こうとしない、直接に会おうともし
ない首相の態度は、理解不能です。
イラクで捕らわれた人たちが、命を取り留めて無事に
帰国できたことは本当に良かったと思います。しかし、問題の本質を擦り替える形ででてきた「自己責任」
というバッシングをみていると、なんともお粗末な意見だなと笑っていられない不気味な気持ちがします。
さて、今日も先生の叱咤激励を受けて、ほそぼそとレッスンです。今日の叱咤は、ちょっとこたえました。
「ちっとも歌っていない、もっと歌って。」できるものなら、私だって歌いたいのですけれど・・・。ま、
開き直ってはいけませんね。しかしですよ。私はまだまだその次元に到達していないのです。楽譜の書き込み
ひとつをとっても、ある音符の下には、<ここでは、大きく指を開く>なんて書いたりしているのですから。
落ち込むにはまだ早い。こんな時は気分転換です。ちょっと前の新聞記事(4月3日、朝日夕刊)で、バッハ
の自筆の楽譜が発見されたことが報じられていましたね。写真も載っていましたので、その躍動感に溢れた音
譜の並びを心行くまで眺めることにして、それからまたピアノに向かいます。
練習を始めてひと月が過ぎた。楽譜の譜読みはまだ 半分。一週間を単位として少しずつ覚えるようにしているけれど、新しいところを覚えれば、前の部分を忘 れるという状態。教室では、焦ることはないと言われているけれど、どうしてこうも頭の容量が小さいのだろう。 思っていた以上に今回の練習は大変だ。頁数が多いだけではなく、指が動かなくて、絡まったり、または 固まってしまったり。今回の練習の目標の一つに指の強化ということがあるけれど、指が強いということは、 全く、しなやかさということなんだと改めて考えさせられる。肩から腕をリラックスさせるためには、ピアノ に向かうときの姿勢は本当に大切。家で練習するとき、疲れているときなど、悪い癖で脚を組む。これは駄目。 上半身の動きのブレーキにもなるし、腰痛の元となる。先ずは、やっぱり正しい姿勢から。
5.10.2004...教室に向かう道々、今日は日付が5年前とまるっきり
同じことに気がつく。5年前のこの日から、ピアノのレッスンを開始。あの日は、初めてということで、自己流
で練習していった曲(マルティーニの愛の喜び)を先生に聞いてもらった。人前で弾くのも初めてで、本当に
緊張して弾いたことは忘れない。その後2、3回は、持っていた教本から、「埴生の宿」とか「荒城の月」な
どを練習した。私がポツポツと弾いている隣りで、先生は空いている高音の鍵盤を使って、即興で、ジャズっ
ぽいアレンジをして、私の曲に絡ませてくれた。もちろん、私はすっかり嬉しくなってしまった。ついこの間
のことみたい。
さて、今日のレッスン。このところ冴えなかった体調も、だんだん回復してきたし、集中力も戻ってきた。
曲の中ほどに、右手でトリル、左手でソロを弾くところがある。かなりのスピード感があるところ。ソロ
はアクセントをつけてメリハリをはっきりさせる。ぼそぼそ弾いていると、全くの台無し。鍵盤
を叩くことだけに、やっとやっとだけど、ここをなんとかしたいなー。
中国の雲南省に行った人から、麗江という古い街並みの
写真を見せてもらった。高台から撮ったものは、街全体を捉えていて、瓦屋根の木造家屋がびっしりと並んで
いる。この街並みは、宋代(12、13世紀)に形成されたものらしく、世界遺産の一つとなっているそうだ。瓦の
色は、写真で見る限り、すべて黒っぽいものだから、雨でも降ったら、墨一色の世界が広がるのかなと思う。
街中を撮った写真では、現代の人々の普段の暮らしが写されていた。街中に流れる小さな川で、野菜を洗う人。
川に降りる小さな石段には、やはりこれも川の水で洗ったのだろう、モップが干してあったりする。
街の中いたるところにこの小さな川は流れているらしい。車なんか通れないような細い路地では、
子供がヨーヨーで遊んでいる。<まるで迷路みたいですね。迷いませんでしたか?><迷いましたよ。でも
歩いているうちに気が付きました。川の上流に向かって歩けば迷わないのです。>
今練習しているイタリア協奏曲について考えてみると、おおもとの流れから支流がたくさん分かれている気が
する。分かれた支流は、曲全体に膨らみをもたらして、最後には本流に合流する。小さな流れだけを見てい
ると、私も迷ってしまいそうだ。でも上流に向かって。私にとっては、ヒントをもらった気がする。
部分部分から、どうやって全体を俯瞰していくか。もう少しで全部の譜読みが終わる。各フレーズの
なんと綺麗なこと。
家ではアップライトで練習しているから、せめて教室で
は、グランドピアノでレッスンを受けたいなと思うけれど、ほとんどの人がアップライトでレッスンを
受ける。たまーになにかの加減で、グランドが使えるときがある。今日はそんなラッキーな日だった。アップ
ライトの音に慣れてしまっているせいか、自分で音を鳴らしてみて、ここまで違うものかなと感じる。音が
膨らんでいるし、立体的に聞こえてくる。いつもは、ものすごく平板な音で練習しているのだと思う。グランド
ピアノ、いいなー。
レッスンは、一通りの譜読みが終わって、これからは細かいところの練習に入る。やっと練習の本番と
いうところで、少し気持ちが落ち着いてくる。やっぱり楽譜を最後まで見ないうちは、どのくらい時間がかか
って、どこを集中的に練習すればいいのか見当がつかないから。新しい曲に取り組む時は、いつものこと
だけど、最初は全身に力が入ってしまう。慣れない指使いに身体中が緊張して、とんでもないところが痛んだ
りする。このところの腰痛も、よくよく考えてみれば、この曲の練習をするようになってからのことだ。この
間もピアノをさらっていたら、鈍い痛みが腰にきた。使っている椅子は、ピアノを買ったとき、一緒について
きた背もたれのない椅子だけど、背もたれのある椅子に変えてみたら、腰に支えがあることで、ずっと楽にな
った。音楽には関係のないところでウロウロしているけれど、ピアノを弾くには、相応の体力作りも大切なのだと思う。
習い事は、根気をもって弛まずやっていかなければなら
ないけれど、本当に時間がかかるものです。限られた時間の中では、やりたいことの半分もできない。
それは技術が伴っていないから、延々と同じところをさらっていることもあるのだけど・・・
今日からは、今まで通り過ごしてきた細かい部分を確認していく。まず各声部をきちんとみていくこと。
とりあえず、最初のフレーズをそれぞれの音符の長さに合わせて、とてもゆっくりとした速度で鍵盤に指を
あてていく。スローモーもいいところだけど、ゆっくりと指の上げ下げをする。
あとひとつは、指使い。全体を練習してみて、音が切れてしまうのを避けるために、一箇所、指使いを
変更。今までにないやり方で、右手の親指でドの音(4分音符)を弾く。ここで親指の爪側を下に回転させて
軸とし、薬指はひとつ下がった黒鍵のシ(16分音符以下同)を弾く。中指ではラの音、人差し指でソの音と
下がる。ソの音まで親指はそのままドの音を弾いている状態 (これ、寝技と命名したいな)、もう一つの16分
音符は、右手の親指でドを弾き始めた時、左手の親指で黒鍵のシをカバーしている。尚且つその左手の小指では、
8分音符でスタッカートを弾いている。素人のピアノは鍵盤の上で、指の体操をしているようなもの、と言っ
た人があるけれど、確かにそうかも、なんて思います。しかし、指の体操だって、音がでるのだから私には十分に
楽しいものです。
ハノンの練習は、新しい楽譜の譜読みのために教室では少しお休みをしていた。自宅練習ではやらなければ
ならないことだったけれど、とてもそこまで時間が取れずに、時々、そうだやらなくてはと、1番から20番
までを、ちょこちょこっと弾いたりしていた。しかし、いざ曲の練習に入ると、指の力が弱いために、千鳥足
のようによろけたりするので、リズムは狂ってしまうし、音も指によって強かったり、弱かったり安定しない。
今日から、また教室でハノンの練習が始まった。今回は音階練習、ハ長調とイ短調の和声的短音階と旋律的
短音階の3つをやる。家で自分なりに練習をしていって、先生に聞いてもらう。<もっとゆっくり、一つ一つの
打鍵を正確に>と注意を受ける。自分では、精一杯音をだしているつもりでも、私の弾き方は、ごくごく軽く
鍵盤に触れているにすぎない。先生がお手本を示してくださると、全然違う。当然といえば当然のことに
しても、あまりにも違いすぎる。駄目押しで先生は、私がどんなふうに弾いているか、つまり私の真似をされ
た。<えっ!そんなですかー>実際げんなりしましたが、ああでもない、こうでもないとごちゃごちゃ言って
いる生徒に、これは効果覿面。こうなったら先生の言われたとおりに練習するしかないと思いましたから。
それに物は考え様です。ここまでひどければ、練習すれば良くなる一方・・・と思いたーい。
梅雨の中休みなのか、からっと晴れて透き通った風が吹いている。教室に行く前に、閉め切っていた部屋の
窓を開け空気の入れ替えをしていたら、風にのって、鶯のきれいな鳴き声が聞こえてきた。上手くなったもの
です。ついこの間までは、ただいま練習中というように覚束なく鳴いていたのに。澄んだ音色でつっかえる
こともなく流れるように、気持ちよさそうに鳴いている。それに耳を澄ませば、いろんな鳥の鳴き声も聞こえ
てくる。それにしても人間界は・・・多国籍軍参加、一体どういうことなのだろう。軍靴が鳴り響くなんて
いう事はイヤだ。有事関連法といい、こんなに加速してどこに落ちていくのだろう。
と、気分は不安な状態ですが、ピアノの練習はまた別物(なのかな)。音階をゆっくりと弾いて、ドレミの
音の並びを聴いていると、なんだか不思議な気持ちになります。収まるところに収まって、上手くできて
いるものです。目的は指の強化なので、しっかりと一音一音弾いていきますが、いつのまにか音そのものに
聞き入って、指は疎かになってしまいます。左でドを弾いたら、次に右でド、次はまた左でレ、今度は右で
レ、交互に音階を弾くという楽しい練習方法を教室で教わりました。スピードは両手同時に弾く時と同じ。
楽しいけれど、慣れるまでは難しそう。ドレミファソラシドの八つの音に盒(飯盒炊飯の盒〈小さな箱という意味〉)「八音盒」は
、中国語でオルゴールという意味。こういう発想、好きです。この話、前にもしたような。
一通り弾けるようになったところで、といってもなんとか楽譜を見ないで弾くことができるというだけで、
ものは試しと日曜日の午後に録音をしてみました。結果は、いやー、何と言えばいいのか、もう絶句。あわわっと
いう感じで、早々にお使いへ。外は吸い込まれるような透き通った青空が広がっていて、風にあたったら、
まぁのんびりやるさという気分になりました。しかし客観的に聴いてみるのは必要です。ちょっとしたカンフル剤にはなります。
指が思うように動かないところは、どうしても恐々と弾いてしまうので、その箇所に来ると、とたんに速度が
落ちる。そこを通り抜けるとスピードはまた上がってくる。何箇所か弾きにくいところがあるので、その度に
ブレーキがかかる。これを直すために、教室では、メトロノームを使って練習。メトロノームをカチカチさせても、
先生と一緒なら、なんとかくっついていくことができるけれど、一人になると、すぐにメロメロ。このメトロ
ノームを使ってする練習は、本当に苦手です。基本的なテンポは崩してはいけない。弾いている内に、テンポ
が揺らいでくることはあっても、それはまだまだずっと先の話。きちんとしたテンポの感覚を身に覚えさせる
こと。だから最初はメトロノームを使って。苦手な練習はこうやって自分に言い聞かせてから。世話が焼けます。
レッスンに行く道々のこと、いつもと違う道を歩いていたら、可愛らしい発見をした。栗の木に小さな実が
ついている。青々としたトゲトゲのいがに包まれた実は、本当にまだまだ小さい。この頃の天気は、早くも
真夏みたいだけれど、季節は静かに次から次へと廻っています。春から練習を始めたけれど、私の場合、
秋になったら果たして実となるのだろうか。
さて、イタリア協奏曲の第1楽章は、溌剌としていて気持ちの良い曲です。思い切って元気に、それ行け!と
いうふうに弾きたいのですが、どうも、肝心のところでずっこけて、うまく運びません。くにゃっとなった
指から、響くような音はでません。全く指の力が無いのだなーと感じています。この間から、指の強化のため
に音階の練習が始まりましたが、今日からは、もう一歩つっこんで、チェルニーの練習をすることになりました。
指の練習だけで、少々バテ気味ですが、やっぱりそんなに甘いものじゃありません、ということなんでしょうね。
ピアノの音はうるさい。もちろん窓は、どんなに暑くてもぴったりと閉めて練習する。幸いなことに住んでい
る所は、家屋が密集しているところではなく、付近に住居はない。棟の一番端っこで、前は田んぼで、隣りは小
学校。目下、階下の住人は引っ越してしまって空き家だ。しかし隣りにも階上にも人は住んでいる。ピアノが
入った時に一応の挨拶はしておいたけれど、やはりうるさいだろうなと思う。
昼間の2,3時間、そっと練習しているつもりでも、指の練習をしていると、それなりに音が大きくなってき
て、ちゃんと音がでたと喜ぶ半面、ああきっとうるさいだろうなと気持ちが萎縮してしまう。教室では、
もっと大きな音をだすように言われているけれど、家での練習は、周りの迷惑もあるし・・・。
手元の音楽辞典によると、チェルニー(1791−1857)は、オーストリアの人で、ベートーヴェンのお弟子さん
だったらしい。因みにハノン(1819−1900)はフランスの人。今練習を始めたのは、チェルニーの40番練習曲
の1番、ハ長調の音階練習。指定の速度は2分音符が108とかなり速い。先生が弾かれるのを聴いていると、
目が廻るようで圧倒されてしまう。しかしこの音階の練習曲はきれい。私はゆっくりとしたスピードから。
<だんだん速く弾けるようになるし、だんだんと指も強くなりますよ。>との言葉を信じて、こういった
練習も楽しいと思うし、弾いていると嬉しくなる。しかし、やっぱり周りの人にとってはうるさいよね、
とも思ってしまう。
頭では分っているつもり。悩んでみても始まらないし、ましてや落ち込むことはない。くよくよする時間が
あったら少しでも指を動かして練習すればいいことくらい。それでも、ふと指が止まってしまって、ぼーっと
してしまう。身につくというほどの基礎訓練をしていないのだから、あたりまえなのだけれど、ここまで指が
動かないと、やっぱり唖然、呆然とします。ピアノが弾けるようになるのは、本当に遠い道のりだなーとつくづ
く感じます。
そんな時に、人がどんなふうにピアノを弾いているのかを知ると、ちょっとはっとしたりします。ある人は、
ピアノだったら、よーく身体に馴染んだインヴェンションの1番を弾くと言われます。また、この話を聞いて
思い出したのは、ピアノとは全然関係のない本で読んだもので、今ではその本の題名は忘れてしまいましたが、
朝のほんの短い時間、平均律の1巻の1番を弾いて、それから仕事にでかける人の話です。心を込めて自分のた
めに。今の私は、こんなふうにピアノを弾いているかなーと思います。昨日ピアノをさらっている時に、この
2曲をゆっくりと弾いてみました。なんだか胸に込み上げるものがあって、ちょっと困りました。ピアノを
弾くって、技術も本当に大事ですけど、もっと大切なことがありますね。指の練習、ゆっくりとやることにします。
この暑さ、ちょっと限度を超えていますね。寝苦しい夜が続いています。
カチカチ鳴っているのは、どうも(苦手)・・・とずっと言っていたいのですが、状況はそんなことを許して
はくれません。メトロノームに合わせてみると、今まで如何に好き勝手に弾いていたかが分ります。所によっ
ては、間延びもいいとこみたいな弾き方をしていました。だらーんとした弾き方を止めて、きびきびと弾ける
ように、ただいまシェイプアップ中です。でも痩せ細った弾き方はしたくない。各声部の音色が聞こえてくる
ようなボリューム感のある演奏を目指して。一日の最後の練習の時には、メトロノームは停めて、自分の弾い
ている音に集中するようにしています。
今日は細かいフレーズの区切りについて注意を受けました。ピンとこないところは結局よく分っていない
ところなわけで、尚且つ指の動きにばかり気を取られて、私の場合は、ひたすら区切りなしで済ませていま
した。取りあえず訳の分らない呪文のようにムニャムニャやっていたのです。しかし、やっぱり音楽は伝え
るものですから、何を言っているのか通じないと駄目ですよね。まぁ本当に難しいけれど、面白いところです。
指の練習については、単調な練習がイヤというのではなく、果たして今から効果があるのかと、少し気持ちが
萎えたりしましたが、この曲を弾きこなすためには、どうしても避けて通ることができないと思うようになり
ました。やっぱり今練習しているイタリア協奏曲は大好きで、下手は下手なりに、どうしても弾きたいのですから。
教室では、だんだんと細かい部分を見るようになってきました。先週からの持ち越し、フレーズの区切りを
ちゃんとだすこと。自己流であれこれ考えてみました。例えば、始めのフレーズで「ほらね、君」次には、
「静かに打ち寄せる波に」その次は、「象牙色の貝も歌い」続いて、「螺旋に昇る音楽の始まりはここ」最後
に、「音の一つずつが天空の星々とこだましあう」 まぁ、字数も揃わず、何のこっちゃといった内容ですが、
ためしに各フレーズの頭の文字をつなげてみてください。次には各フレーズの終わりの文字も。「音」の
“お”は、♯をつけて“を”のつもり。
これだけを右手の指で歌います。左手で弾くフレーズもそれぞれに基調になる音がちゃんと有って、その中で
細かく歌っています。これでたったの4小節ですが、左右(上下)を合わせれば、沢山の情報が詰まった
立体的な構造になっているのが解ります。
音符のひとつひとつが皆それぞれに役割を持っていて、面白いものだなーと思います。弾かなくても見ている
だけで飽きません。それだけでは、練習にはなりませんが。教室では、こんなインチキなお話を組み
立てるということはありません。でも考えるのは自由です(といっても、もうちょっとましなフレーズを考え
ればいいのですけれど、悲しいかな・・・)。去年練習したフランス組曲の5番は、
高音部と低音部が、実によくおしゃべりをしていると感じたものですが、今年はもうちょっと複雑な感じが
します。指先から、それぞれのフレーズを優しく丁寧に歌うことができれば、そして気持ちを素直にだすこ
とができれば、どんなにいいでしょうか。
夏休み前の最後のレッスン。都市近郊でも、偶には星空を見ることができます。数は多くないけれど、目を
凝らせば次第にあそこにも、ここにも星は見えてきます。でも急ぎ足では無理です、しばらく立ち止まって。
後は想像力で、満天の星空を頭の中に描きます。ああ、本当の満天の星を見に行きたいな。
音楽は、料理と似ていますね。美味しいとか不味いってすぐ分ります(もちろん好みの味はありますが)。
たまにプロの人の料理を味わって、とても美味しいと感じる時、自分の中にも味わうことができる味覚、
眠っていたと言ってもいいかもしれない感覚を発見したような、或いはそういう味覚、感覚を引き出してくれる
ような気持ちになって嬉しくなります。だからといって、自分で作る料理は、私の場合どうやったって
家庭料理の域をでるものではないのですが。
この間から、イタリア協奏曲をいろいろな人たちの演奏で聴いています。
グールド(1959年演奏のものが一番好きです)、ブレンデル(1976年)、ヒューイット(2000年)
、リヒテル(1991年)。本物の味わいって、なんて素晴らしいのでしょう。聴いているだけで、もう充分、
なんて思ってしまいます。来週から2週間の夏休みに入ります。
今年の夏の各地の天気は、史上稀に見る凄まじさでした。集中豪雨に猛暑に台風。この近辺は幸いにも
猛暑のみでしたけれど、さすがに40℃を越えたときは驚きました。汗は却って出なくて、頭が重く息苦しい
という状態になるのですから。それに連日光化学スモッグ注意報が発令されて、日中は危険だから屋外には
出ないようにと放送があり、それが解除されるのは決まって夕方の5時頃。この時間は“夕焼け小焼け”が
流れる時間でもあって、昔ながらの調べと新しい調べ(?)が錯綜しているようで、新旧の交代の狭間に
居るのかなと奇妙な感じでした。
練習もこう暑くては、<やる気>なんか溶けてしまいそうでしたが、一応の最低限のことだけは、取りあえず
やらないわけにはいきません。しかし曲を万遍なくさらうというのは、なかなかできません。できない部分を
取り上げて、2,3日集中して練習していると、次には前にさらったところがもう初対面のように、つれない
そぶりを見せます。そんなーなんて溜め息がでます。発表まであと一月をきりましたが、どうなることやら、です。
今日は久しぶりのレッスン。早く先生のレッスンを受けたいなと待ちに待っていました。都合3週間も
時間が空くのは、実際不安になります。先生のお顔を拝見するだけで、安堵感が湧いてくるのですから、
我ながら、甘ったれかなと思ってしまいました。でもレッスンは厳しく、こなれていない部分や細かい音符の
長さの注意を受け、繰り返し練習しました。この先は、諦めずに、できる限りのことはやらなくてはなりません。
一つの曲を音楽に仕上げていくのは、一枚の絵を描いていくことに似ているかもしれませんね。一部分だけ取り
上げて、あれこれ色を重ねていると、ある時、遠くから絵を見ると、全体のバランスが崩れているのに気付き
ます。それで、今度はまた別の部分を手直しします。結果、上手くバランスがとれることは稀で、結局あ
れこれいじったあげく、もう滅茶苦茶になることもあります。誰かが絵を描くことは、根気がないと・・・
と言っていましたけれど、音楽も全くそれと通じるところがあるように思います。
発表会のプログラムや、当日のスケジュールが決まったりして、段々とそれらしい雰囲気になってきました。
練習もいよいよ最後の仕上げに近づいています。しかし通して弾いてみると、まだまだ全体がしっくりしませ
ん。たぶん、これ以上は練習できないというくらい練習しないと駄目なような気がします。
隣町には去年新しいホールができました。収容人数250人ほどのこぢんまりしたホールです。バイト先に近い
ので、よくその前を通りますが、ある日「あなたもピアノを弾いてみませんか」という小さなポスターが目に
入りました。ホールのピアノを無料で弾けるというわけです。試しに申し込んでみたら、運良く抽選に当たって
土曜日の午後に行ってきました。与えられた時間は30分。ピアノはヤマハのCFV−Sという大きなピアノでした。
ピアノの横には、まるで発表会の時のように立派に花が飾られていました。演奏者にスポットライトも当たるよ
うになっていて、記念に写真を撮る人がいるのかもしれないなと思いました。係りの人は演奏中は入って来ま
せん。誰も居ないホールで弾くなんて初めての経験ですが、ちょっと緊張してしまいました。ピアノの
音に少しばかり圧倒されたからかもしれません。ちょっと指を触れただけでも、随分と深い音色がします。
タッチが軽いというのか、いつもと同じように弾くと指が滑ってしまうような感じになります。音の響きは、遠くから
波打ってくるような感じです。始めから終わりまで、今練習している曲を何回となく弾きました。途中、
つっかえつっかえ、なかなか難しいものだと思いながら、一人で遊んできました。
レッスンは、全体を通して弾いてみて、癖になってしまっている部分の注意を受けました。ゆっくりゆっくり
のスピードから練習していって、癖が取れるといいなと思います。
パソコンのトラブルのため、ページの更新をしばらく休みました。いろいろあちこちパソコンを いじくりまわして思うのは、なーんにも知らずに今まで使っていたのだなと思います。もちろん今だって 解っていないのですけれど。どうしようもなくなって、メーカーのサポートセンターに問い合わせてみたら (先ず電話が通じるのに時間がかかってしまいますが)、丁寧にあれこれ教えてくれました。すぐに直ったか といえば、そうではなかったのですが。そもそもパソコン用語に惑わされます。その点、中国語の 「インターネット用語集」というのは役に立ちました。何しろみんな漢字で表記されていますから。英語を 片仮名表記しても、その意味を解るまでは・・・、私の場合ちょっと無理。それにパソコンは、多目的に 作られていますから、その分問題も多いのでしょうね。でも単純なところでは、機器の使い方に問題があった かもしれません。仕様書を読むと、機器の接続は電源を切ってからとありますが、平気で無視していました し、プリンタのインクが無くなっても、しばらくほったらかしでしたし、乱暴に使っていたなと思います。 まぁ、反省すべき点は反省し、そうでないところはそれなりに、取りあえず元のように動いてほっとしています。
10.7.2004...<曲のエネルギー、尽きない魅力>
今年の発表会は、先月の23日でした。去年の1回目に比べたら参加人数も増えていました。プログラムの
関係で今年の出番は、最後のほう。一人一人の力の入った演奏を聴いていたら、次第に緊張してしまいま
した。これを切り抜けて、演奏に集中するには、歌うしかないなーなんて思いました。小さく自分だけに
聞こえる声をだして。なんとか止まらずに弾き終えてみると、ほんとに一瞬のことでした。この曲は、私
にとっては、本当に難しくて、練習していても、何度も無理かもしれないと思いました。けれど、何て
言ったらいいのか、曲の持っているエネルギーが伝わってきます。もう少し、もう少し、ちょっとでも
いいからこの魅力ある曲の世界に入っていきたいと思いました。でも結局最後まで、自分の思うように弾く
ことはできませんでした。でも振り返って、今の気持ちはとてもさっぱりしています。これもこの曲の
エネルギーと感じます。
57.イタリア協奏曲第一楽章<4分38秒>(L205-228)
新しく練習が始まった曲は、「インヴェンションの6番」と「主よ、人の望みの喜びよ」です。
指の強化のために9月の発表会が済んでから、ツェルニーの30番の練習が始まりました。その1番、譜面
を見ると実に簡単そうなのですが、これがとても難しい。迷路で迷いに迷っている感じ。右手は3連符の
レガートをそれぞれの指の力を均等にするために、時計と反対回りに肘を回しながら弾きます。
最初はかなりぎくしゃくして肘を回していましたが、そのうちに段々とこれは音をきれいに弾くという
当然と言えば当然のことが身体で分かってきました。でも左手の伴奏が入ると、また振り出しに戻ってしまいます。
時間がかかります。やっぱり根気なのですね。
この間発表会が終わったばかりですが、今年も12月のクリスマスの発表会に参加することになりました。
曲は「インヴェンションの6番」と「主よ、人の望みの喜びよ」です。「主よ・・・」は連弾です。
どちらも大好きな曲です。でもそれぞれに難しいなーと感じます。練習は始まったばかり、どうやって
取り組んでいけばいいのか・・・
この間本屋さんで「神谷美恵子の世界」(みすず書房)という本を、パラパラと見ていたら、音楽について
書かれているところで、グールドの「ゴールドベルク変奏曲」が愛聴盤だったとあって、ちょっと驚きまし
た。以前この神谷さんの「バッハの音楽」という文章を読んだとき、なんて自然に自分の考えを文章に纏め
られているのだろうと、その文章に魅せられたことを思いだしました。バッハの曲が大変に好きな方で、
よくピアノでも弾かれていたようですが、生前自分の葬儀の時には、バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」を
流してもらいたいと希望されていたそうです。そして願いどおりこの曲で送られたとあります。曲選びにも
いろいろとありますね。見送られる人もなく、その時を迎えるかもしれないと私などは考えますが、だと
したら最後の最後に聴きたい曲って何だろうなと思います。
昨日のレッスンでも、やはり地震のことが最初の話題でした。関東地方でも23日の地震は、かなり
強く身体に感じました。ちょうどピアノをさらっている時で、長い揺れと次から次とくる地震に以後は
ピアノを弾いているどころではありませんでした。今年はいったいどういうのでしょう。凄まじい台風の
僅か三日後にこの地震です。長岡市に住む知人によると、家の中の倒れるものはすべて倒れたそうです。
余震の回数も想像を絶するのですから、震源地に生活する人々はどれほどの怖い思いをされていることで
しょう。日頃、テロ対策の必要性だとか、危機管理が大切だとかそんなことばかり言っていますが、
ニュースなどを見ていても、地震が起こった後のすぐさまの対応に、政府の顔が見えてこないと感じるのは、
どういうことなのでしょう。
教室では、ツェルニーの練習をこの間からしていますが、30番、きれいな曲が多いのですね。宮沢明子さん
のCDでじっくり聴いてみると、これが指の練習曲なのかなと思うくらい可愛らしい曲ばかりです。自分で
弾いてみると、全く違った曲になってしまいますが、、、それはまぁ仕方のないこととして、こういうCDを
作るピアニストの宮沢明子さんてすごいなと思ってしまいます。来週は教室の建物の保全のためお休みです。
教室でいただいてきた9月の発表会の写真を見ています。演奏後の集合写真は、緊張も解けて皆ほっとし
たように顔がほころんでいます。当日のことを思い出しました。習っている生徒は、日頃は全く顔を合わせ
ません。それでも2回目ともなると、「1年ぶりですね。懐かしいですね。」なんて挨拶します。今年は
待ち時間が長かったので、近くに座った人と練習の様子などを話したりしました。私が、「首からタオルを
下げて裸足で弾けば、ちょっとはましな演奏ができるのですけど。」と言っていたら、遠くの方から「僕の
場合は、上半身裸で、パンツいっちょなら、そりゃ聴かせますよ。」と冗談が返ってきました。(今年の
夏は大変な暑さでしたから。)家の中で転んで、足の指を骨折してまだ包帯も取れずに参加された方もいま
した。その方と近い年齢の私にとっては、この種の骨折は、他人事ではありません。
ホールは西洋風の建物の奥にありますから、玄関からスリッパを履いて入ります。演奏者の控え室は有るこ
とは有るのですが、人によっては、そのスリッパのまま、なかには裸足になって演奏する人も。まぁ、ちょっと
見かけない光景ですけれど、これもいいものじゃないかしらと感じます。演奏者は大人ということだけが共
通ですけれど、年齢も違うし、職業もさまざま。長年音楽に携わっていたけれど、ピアノは初めてという人
もいました。ピアノとの係わり方も一人ずつ違います。先生方も生徒と連弾をされたり、ソロで弾かれたり
しました。先生方が楽しそうに弾かれるのを見たり、聴いたりするのは私は好きです。手作りの小さな音楽
会でした。きっとどこかの街でも、同じような音楽会が開かれているのでしょうね。
「主よ、人の望みの喜びよ」の楽譜は、マイラ・ヘスの編曲したものを使っています。この曲、割と
簡単かなと思っていたのは大間違いでした。目が覚めるか覚めないかという時に、受け持っているプリモの
左手の旋律が頭の奥の遠くの方に鳴っていて、びっくりしてはっきり目を覚ますという朝を向かえています。
ピアノのレッスンを終えて、続きにバイトに出かけその帰りに、本を読む元気もなく電車に揺られていた
ら、酔っ払った中年の男性が「男女平等なんだろ。男も救済しろよー。」と喚きました。車内は、一瞬
シーンとなりましたが、その後は苦い笑いが走った感じでした。<そうかもしれないなー>なんて思って
しまいました。
一週間、時間をみては練習していたのですが、昨日は睡眠不足が祟り夕方には集中力が切れて、教室での
できは散々でした。ちゃんとできないからといって、怒られることは、まぁ無いのですが、いつも以上に
コントロールできない指先からでる音を聞いていたら、なんだか不甲斐なくなりました。言い訳をしても
しようがないので、頭を下げて帰ってきました。日曜日の晩に遅くまで本なんか読んじゃいけないのでした。
以前に読んだ、「誰がヴァイオリンを殺したか」が割りと面白かったので、同じ著者の「反音楽史」という
本を読んでみました。ドイツの作曲家を中心としたクラシックの音楽史を検証してみるといった内容です。
副題が「さらば、ベートーヴェン」というもので、なんだか過激と思ってしまいますが、音楽史をまともに
勉強したことがない私にとっては、今までの通念を破壊するという内容より、18世紀以降の音楽事情が面白
く読めると感じました。
「反音楽史」石井宏著、新潮社
「主よ、人の望みの喜びよ」の連弾用の楽譜は、独奏用の楽譜をほぼ分割したものです。拍子は4分の3、
括弧して8分の9となっています。4分音符がパートによっては、4分の3の長さであったり、8分の9の
長さであったりします。原曲では、第一ヴァイオリンとオーボエが重奏、それに第2ヴァイオリン、ヴィオ
ラが入ってきて、ソプラノからバスまでの4声による合唱が歌われます。最初に戸惑ってしまったのは、4
分音符の弾き分けです。同じ音がすぐにでてきて、弾き分けようにも指が重なって、指の上に指を重ねて、
ありゃりゃなんて言って、早々にこれは無理だと思ってしまいました。それも次第にどうにか通り過ごし
(ホントはまだです)、次に考え込んでしまったのは、合唱の部分です。セコンドの人(今回は先生)が弾
くと、ちゃんと響くのにプリモ(私)では、音が埋もれてしまいます。あの流れるような旋律を弾きながら、
音を際立たせなくてはなりません。ところが音を持続させようにも、旋律の中に同じ音がすぐにでてきて、
またもや指の上に指を重ねて、やっぱりできないと思ってしまいます。しかし本当にきれいな曲です。
連弾もいいものだなーと思います。目下のところは、そんなこんなで考え考え練習しています。
もう一つの曲、インヴェンションの6番ホ長調は、なんとか形になってきました。左と右の音が交互にでて
きて、一つ一つの音がきれいな糸のようで、目には見えない布を織っているような感じがします。
いつもは片手ずつ練習してから両手で練習しますが、この曲は、始めから両手を使いました。そのほうが
練習しやすかったのです。最近は慣れてきたので、片手の練習もします。真ん中あたりの左手が歌うところ
が、とても好きです。何も飾ることはなくて、素直に音に身を任せればいい、という気持ちになります。
ピアノを弾く初心者の人に尋ねてみたい。前の日まで問題もなく指は動いていたのに、急に動かなく なった、という経験をお持ちですか?こんなことたぶん初心者だからじゃないかと思ってしまいます。 レッスンに出かける日は、間際まで家でさらっているけれど、まずいなーと思うほど指が強張って動かない。 インヴェンションの6番は、32分音符がしょっちゅうでてきて、曲の中でアクセントになっていて、とても 美しい。けれどうーん困った。ゆっくり弾いても動かない。固まってしまうのは、パソコンだけで十分です。 まぁ、のんびりと歩いていけば、指の具合も直るかもと出かけていったものの、やっぱり駄目、気持ちも 焦るし、超の付くゆっくりしたスピードで、繰り返し弾いてみても、あまりの遅さに何を弾いているのか 分からなくなってしまう。なんだかがっくりしてしまって、とにかく家で気持ちを落ち着けて練習すること になったのですが、翌日恐る恐る弾いてみたら、ちょっとぎくしゃくしているけれど指は動きました。あん なふうにパタリと動かなくなるのは、なんの知らせなのかと思ってしまいます。練習が足りないのかな?
12.6.2004...<遠くの灯り>
とある国際交流と名の付く会合に参加した人の話。第一部のスピーチと討論が終了して第二部のパーティー
に移るとき会場に音楽が流れ始めたらしい。頭を切り替えるのに静かな曲や軽やかな曲は、心地好いはず
だし、自然と和やかな雰囲気が醸し出される。しかし、あろうことか軍艦マーチが流れてきて、その人は
心底ギョッとしてしまったらしい。さすがに日本人の何人かが主催者に詰め寄ったそうです。その話を
聞いて、場を読めず、孤立化を深め、そのうち相手にもされなくなっていく・・・さ迷う日本がだぶって
しまいました。ちょっと本当に変です。
さて、レッスン。先週は、指が動かなくて泣きたいような気持ちになりましたけれど、深呼吸をして
ゆっくりと音符を確認し、一から出直しのつもりで繰り返し練習したら、随分とましになってきました。
「インヴェンションの6番」は、完全に左右が独立して弾かれなければならないし、また聞こえてくる音
は完全に融合しなければなりません。どちらかの指の動きに引きずられて、もう片方が音符を弾ききって
いないと安定感がでてきません。なかなか先が見えてきませんが、やっと音を聞いて練習する状態に入った
ので、遠くの灯りをたよりにするように、足元はまだ薄暗いのですが、あと2週間、できる限りの練習をし
なくては。
「主よ、人の望みの喜びよ」は、練習していると本当に気持ちが柔らかくなります。でも、こちらも仕上げ
までにはもう少し時間が必要です。
昨日は楽器店の奥に新設された狭い会場を使って、クリスマス・ミニコンサートが行われました。定員は
60人ほど。演奏者は、小さな子供から大人まで、それに先生方も入って総勢22人。関係者ばかりとはいえ
満員の人で、熱気で皆顔を火照らせて、時には息苦しいくらいの中で31曲を演奏しました。リハーサルも
一応ありましたが、なにしろ楽器店ですから、展示してあるピアノに目がいくのは誰しも同じ。それでも
最初は遠慮して静かにキーを叩いていましたが、次第にボリュームアップ、お店にあるそこらじゅうのピアノ
が、演奏会が始まるまで鳴り響いていました。偶々お店に来ていたお客さんたちは驚いていたみたいです。
私は発表会の参加は8回目、まだ慣れません。人前で弾くのって本当に難しいです。ソロのインヴェンション
6番は、指が滑って音を何回外したことか。必死で立て直そうとするとまた外れて、即席で違う音楽を
弾いたような気がしています。今となっては、もう何をどう弾いたのか全く覚えていません。聴いている人
も手に汗を握るできだったみたいです。終わってほっとしたのは、私だけじゃなかったみたいですから。
連弾は先生に助けて貰って、何とか最後まで。楽しいことは結構くたびれることでもありました。
今日は今年最後のレッスン、昨日の今日ですから、実際のレッスンはなし。これから練習する
曲について、いろいろと自分の希望を話したりしました。冬休みは長いので、インヴェンションと並行して
違うジャンルの曲に挑戦して、ちょっと気分転換をしてみるつもりです。今年もお仕舞です。
お立ち寄り下さいましてありがとうございました。良いお年をお迎え下さい。
58.インヴェンション6番ホ長調<3分20秒>(L230-239)