長い休みが終わって、今年もレッスンが始まりました。短いようで長い1年、どんな音楽に出会って
何を感じていくのか楽しみです。休みの間に練習していたのは、インヴェンションの第11番ト短調。
今日のレッスンでは、テーマがどこにでてくるのか、よーく気をつけて楽譜を見るように指導を受けました。
この曲は2声のインヴェンションの中でも、とても静かですけれど、深い味わいのある曲だと感じます。
それと前に練習していた、『ピアノ名曲レパートリー』より、チャイコフスキーの小品です。どこかで
聞いたことがあるような、懐かしくなるメロディーです。でも仕上がりは、やたらと重くなってしまい
ました。難しいです。
休み中、ジャズに挑戦。いつかは練習してみたいジャンルでした。と言っても、そこはどのつく素人ですか
ら、超初心者にも弾けるスタンダードの楽譜というのを買ってきました。初心者向けと言っても、充分に楽
しめます。年末のレッスンで、教室に楽譜を持っていって、先生にいっぱい弾いてもらいました。しかし、
まぁ、まだ私には無理です。そこで『ジャズハノン』という基礎練習の教材がありますので、教室で教えて
もらうことにしました。最初は7度の音の間に4つの和音をとる7thコードを練習します。その音の響きを
聴いていると、ふわっとした面白い音色だなと感じます。今年は、たぶん2声のインヴェンションが終わり
になるので、バッハでは、沢山の小さな曲を練習したいと思っています。これからもバッハは常に練習して
いたいし、あれこれと欲張ってもと思いますが、やりたいことは先延ばしにしないことにしよう、なんて
決めました。やっぱり無理だと感じたら、軌道修正すればいいのですから。
59.チャイコフスキー フランスの古い歌(子どもの
アルバムより)<54秒>(L241)
昔、勤めていた会社には娯楽室というのがありました。ソファーとステレオセットが置いてあるコーナーと、
そこから履物を脱いで上がる和室があり、そこは20畳ほどの広さでした。和室は主に茶道部や華道部が使用し
ていました。茶道には全然興味は無かったのですが、和菓子を目当てに、練習はしないという条件で、
お客さんとして顔をだしていました(今思えばなんとずーずーしかったことでしょう)。部活動は夜とか
土曜日の午後でしたから、普段の昼休みの時間には、ここの和室は大抵、仕事で疲れた人や前の日に飲みす
ぎてダウンしている男性がよく寝っころがっていました。そんな時は仕方がないので、裏のガレージでバレ
ーボールなどして遊んでいましたが、和室に誰も居ない時には、よくレコードをかけて楽しみました。歌謡
曲もあればカントリーもありましたし、少しはクラシックの曲もあり、ジャズもありました。その頃(20代
の始めでした)よく聴いていたのが、ロバータ・フラックという人が歌う「やさしく歌って」という曲でした。
これは、今、手元にあります。その娯楽室から失敬してきたわけではありません。私があまりにいつもいつ
もこの曲をかけるので、ある日同僚がプレゼントしてくれたのです。前置きが長くなりました。いつか
この曲をピアノでジャズ風に弾いてみたいなと思っているのです。
ジャズって語法が違うんだなーと思います。でもまだまだ言われたように直ぐにリズムが取れません。せっ
かく教室で教わっても、一歩外にでるともう、あれ、どんなリズムだったっけ、と忘れてしまうのですから、
この先相当な時間がかかりそうです。リズム感が無いのでしょうか、とぼやいていたら、慣れの問題もある
からとにかく沢山聴くこと、だそうです。インヴェンションの練習も楽しいけれど、また全く違ってこちら
も面白そうです。ああ、一日の短いこと。
近所のデパートは最近改装して、1階のロビーにピアノを置くようになりました。時々通りかかると、音大
生のアルバイトの人かな、譜面を見ながら静かな曲を弾いています。ピアノの近くには、ゆったりとした椅
子が沢山有って、結構多くの人がそこで休んでピアノを聴いています。この間、用事があって、そのデパー
トに行ったら、入って直ぐに、バッハのイギリス組曲が聞こえてきました。なんて綺麗に弾けるのだろうと、
これはちょっと聴いていこうとピアノのコーナーを目指したら、弾いている人は居なくて、ピアノだけ勝手
に鳴っていました。なーんだ、弾いている人が居なくちゃつまらないなと思います。自動ピアノって、
ちょっと寂しい感じです。文庫を買う時によく立ち寄る本屋さんは、必ずジャズを流しています。狭い本屋
さんで文庫も推理小説やSF小説が多く並んでいるところです。本の背表紙を見ながら、流れてくる音楽を
聴くのは、ほんの10分くらいそこに立っているだけでも、なんだか楽しいひと時です。知っていて、好きな
曲が流れると、今日は好い日だ、なんて思ってしまいます。
60.フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン<1分55秒>(L241-3)
まだまだちっともジャズ風には弾けません。まぁ、この先どんなふうになっていくことやら。ゆっくりと
基本を教えてもらいながら、初心者向けのこの教材の曲を片っ端から弾いてみたいな。
ほぼ一月かけて練習していたインヴェンションの11番が、ようやくなんとか上がりになりました。これは
本当に難しくて、どう弾いたらいいのか考えてしまいました。私が弾くと、技術的な問題もさることなが
ら、いかにも薄情な音楽になります。優しさの欠けらも無いといった感じです。人間性の問題までいって
しまうのかなと、怖いもんだなーなんて感じます。深みに欠けた弾き手からは、それなりの表情しかでない
ものかもしれません。ああ、音楽って怖いなー。聴いていて気持ちよく聞こえるようになるまでには、
本当にほど遠くて(そもそもそんな日がくるかどうか)、日々の練習も大切ですけれど、もっと大事なこと
もあるみたいです。まぁ私に元々無いものが形になるわけも無く、後にも先にもできることは、とにか
く丁寧に向かい合うことかなーと思いますが、いやはや、全く難しいものです。なんだか色々なことを
考えさせられた曲です。
61.インヴェンション11番ト短調<1分57秒>(L241-5)
最後に残っているインヴェンションの9番は、少し時間を置いてから練習することにして、次の教材は
全音楽譜出版社の『小プレリュードと小フーガ』を使うことになりました。一番弾きたい曲から始めて
いいことになったので、<初歩者のための12の小さな前奏曲または練習曲>から5番作品番号BWV926を
選びました。
新しく練習が始まったバッハの小品の5番は、拍子は4分の3、右手はほとんど8分音符を弾き、最後の
ほうの4小節がソロで長さは16分となり、また8分に戻って終了する。最初の出だしが調子がいいので、
ついつい勢い付いて弾いてしまうと、倍の速さの16分のところで失速。練習しながら、この曲を最初に
選んだ私が馬鹿だったなんて、ぶつぶつ言いながら、またもや失速。どすんどすんと転げ落ちています。
ゆっくりした速さからだんだんとスピードアップするしかありませんが、倍の速さって本当に速いです。
どうしてこういう曲の構成にしたのかなと考えてしまいます。若いときは時間は規則的にゆっくり流れる
けれど、中年、いやいや中高年の部類に入ると、本当に毎日、一月、一年の時間は瞬く間に過ぎていきます。この曲、
なんだかその時間の流れと似ているなと感じます。人生のスピードはこうですよっていっているみたい。
躍動感に溢れていて気持ちの好い曲なのですけれど、難しい。
あれもこれもと欲張っても、ジャズのハノンは遅遅とした歩み、曲の練習までは、なかなか
進みません。30分のレッスンも、バッハの小品を見てもらって、ジャズの基本を教えてもらっていると
すぐに終わり。この30分のための一週間もあっという間。でもこのリズムに乗っていかないと。
◎もう一度見たい映画◎
"学ぶ"ことの意味を考えさせられる映画です。
夜間中学の記録映画「こんばんは」のページ
初めてCDで聴いたとき、一人の人間が演奏しているとはどうしても思えなかった曲、バッハの「無伴奏ヴァ
イオリンのためのパルティータ第2番第5楽章シャコンヌ」を、この間の日曜日、天満敦子さんの演奏で聴
きました。コンサート会場の照明はおさえられ、薄暗がりの中にまるで雲間より光が射し込むようにスポッ
トライトが演奏者を淡く包んでいます。始めは目を凝らして、演奏される様子を見ていたのですが、次第に
音楽そのものに惹きこまれていきました。震えるような気持ちで聴きました。
バッハの曲では、他に「G線上のアリア」が演奏されました。クライスラーの曲もサラサーテの曲もどれも
素敵な演奏でしたが、この演奏会でとても印象に残ったのは、一番最後に演奏された「望郷のバラード」と
いう曲でした。プログラムの解説によると、19世紀のルーマニアの作曲家ボルムベスクが、祖国の独立運動
に身を投じ、その獄中から故郷の恋人を偲んで作ったものだそうです。繊細なヴァイオリンの響きに、何度
も目頭が熱くなってしまいました。魂の歌だと感じます。音楽って不思議なものですね。そして
ヴァイオリンの音色ってきれいです。
本物の音楽を聴いた後に、ピアノに向かって自分の出す音を聞くと、ため息がでますが、それはまぁ仕方の
ないことです。メトロノームに合わせて、倍の速さの練習をしていたら、全体が機械的なものになってし
まいました。難しいものです。
レッスンにでかけると、当然ながら毎回先生からいろいろと注意を受ける。その一つ一つがちゃんと
理解できて身に付くようになればいいのだけれど・・・実際には早とちりをしたり、自分の思い込みの
範疇から抜け出られなかったりして、その結果、目標とは程遠い練習をして、これはどうも違うなと悶々と
したりする。何が問題なのだろうと、あれこれ一応考えてみるけれど、やっぱり遅く始めたピアノだから無
理なんだろうなと、結局はそこに落ち着かせてしまう。
しかし、それは短絡的すぎるし、ひねくれた大人と言われてもしようがない。勿論、先生はそんなことは
言わない。しかし自分でそう思う。いつも結論を年齢のせいにばかりしていたら、何のために教室に通って
いるのか分らなくなる。とにかく先生が指導されていることを、きちんと受け止める姿勢で臨まないと、
この先、これぽっちというほどの僅かな進歩もない。指が弱いと指摘されれば、幾つもその為の練習方法を
教えてもらっているのだから、それを来る日も来る日も実践すればいい。そのための体力作りもすればいい。
これは自分に対する叱責です。できないことは、本当に悔しい。
今日は休み返上で通常通りレッスンがありました。一月半かかった練習曲の5番が、なんとか終了。実のと
ころ、発表会のための練習に入らなくてはならないので、時間切れのようなものです。なんと難しかった
ことでしょう。嫌になるくらい下手なできですけど、落ち込んでいても仕方ありません。元気をだして
次の課題に取り組みます。細々と取り組んでいたジャズの練習も教室では暫くお休み。直ぐに入って
いけるようにと初心者用の教材を自分では用意したものの、先生からは、早くにちょっと難しいなと思う
楽譜をいただいていました。一週間に、2小節くらいしか進みませんが面白いなと感じています。なんとか
最後まで音符を拾っていって弾けるようになりたいものです。1年かかっても、2年かかってもいいかと
思います。弾きたいと思う気持ちが持続すれば、いつかある日弾けるようになるかもしれませんからね。
なんとか時間を作って、自宅練習です。
発表会の曲は、今年はパルティータの1番の中から数曲。最初はサラバンドを練習することになりました。
深呼吸をして取り組みます。
62.初歩者のための12の小さな前奏曲または練習曲5番<1分19秒>(L245-250)
満を持したように一斉に咲いた今年の桜は見事なものでしたね。日曜日の早朝、通りを行きかう人もまだ
まばらな時間に、近くの桜を見に行きました。その日の午後は、初夏を思わせる程晴れ渡ったのに、朝の
その時間には、糸のような雨が降っていて傘をさしての花見でした。ほんの数百メートル続くこの桜道は、
両側に植わった太くてしっかりとした幹から長い枝が伸びていてアーチのようになっています。満開の花
びらに覆われた桜のトンネルの中に佇んでいると、全身が桜の木に包まれているような心持ちがしました。
今日は2週間ぶりのレッスンです。教室がお休みだったり、花粉症の薬に当たって(薬に当たるというのも
変ですが、実際身体に合わずまいりました。)ふわふわしていたりしたのですが、この間は、新しい曲の
音を拾っていました。サラバンドの次に取り組んでいるのが1番のプレリューディウムです。今日はトリル
のかぶせ方の間違いを直してもらいました。とりわけこの1番は、トリルの存在が重要ですから、きちんと
弾けるようになりたいものです。パルティータは、まだ無理としり込みをしていましたが、実際に音を拾っ
てゆく作業を始めると(今のところまだ2曲ですが)、新鮮な空気が身体の隅々にまで行き渡るような、何
とも言えない清清しい気持ちになって、心の奥の方から嬉しさが込み上げてきます。あまり上手く言葉で言
い表すことのできない喜びを感じる時、ピアノのお陰でこんな気持ちになるのだなーと思います。この先半
年間、じっくりと練習していきます。
先日、<スーパーピアノレッスン>という番組が教育テレビであったので、録画しておいて見てみました。
講師は、フィリップ・アントルモンという人。生徒は日本人の若い女性でした。曲は、モーツァルトの
ピアノ・ソナタニ長調k.311の第2楽章でした。生徒が弾くのをしばらく聴いた後に、講師が音のふくらま
せ方や、トリルの指使いなどを指導していました。全体として、淡々としたレッスンです。番組の
最後には、少しだけモーツァルトのエピソードが紹介され(このときは、モーツァルトが一日をどんな
ふうに過ごしていたかでした。)、締め括りとして講師の演奏がありました。25分という短いものです。
以前は、初めてピアノに触れる大人のためのピアノレッスンといった内容がよく放送されていましたが、
こちらは、プロを目指す人たちのレッスン風景です。次元が全く違うとはいえ、見ていてとても楽しい
と感じました。さっそく、書店でテキストを求めました。番組は7月まで、レッスン曲は全部モーツァルトの曲で7曲。
曲毎に受講生が変わります。楽譜には、ところどころに演奏する上での、注意すべき事柄が書かれています。
放送は毎週火曜日の夜、7時25分から50分までです。
さて、私のレッスンでは、3つ目の曲として、第2番目のアルマンドの譜読みに取り掛かることになりまし
た。これはなかなか手強そうです。
レッスンが終わってから、紀尾井ホールで行われたアンジェラ・
ヒューイットのピアノを聴きに行きました。この日のプログラムは、バッハのゴルトベルク変奏曲でし
た。休憩時間はなし、反復付きの全演奏を聴き終えた時は、ただただ圧倒されてしまいました。これを
書いている今も、まだ余韻が残っています。演奏は、時には快活に、あるいは舞い上がるように、そして
時には深い祈りを奉げるように、全てを通してとてもしなやかで、それでもって力強さもあり、また繊細で
優美なものでした。全部を通して聴くと各変奏曲が置かれるべき位置にちゃんと置かれているのだなと感じ
て、本当に凄い曲だなーと思います。それに反復付きの味わいも十分に堪能しました。ただの繰り返しでは
ないのですから、びっくりです。ここでびっくりしているようでは、演奏者に申し訳ないですね。
最後のアリアの演奏のなんと美しかったこと、もうため息がでてしまいます。演奏終了後、深い静寂に
包まれたのち、会場には万雷の拍手が沸き起こりました。、もちろん私も手が痛くなるまで拍手を送りまし
た。それにしても1時間半という長い時間演奏するというのは、どれほどの体力と頭脳を使うことでしょうか。
この日使われたピアノは、演奏者の希望でイタリア製のファツィオーリ
というピアノでした。この名前、どこかで見たことがあると考えていたら、3年前に読んだ『パリ左岸のピアノ
工房』という本の最後に出ています。ファツィオーリ家は、家具製造業を営んでいて、そこの息子のパオロ
さんは、音楽学校のピアノ科を卒業し、また機械工学も学んだ方で、完璧なピアノ製作を目指す過程が
詳しくこの本には紹介されています。時間をかけて作られているので製作台数は少ないのだそうです。
今回初めてそのピアノの音色を聴いてみて、一つ一つの音が幅があると言ったらいいのか、ヒューイットの
演奏にもよるのでしょうが、低音がとても美しいなと感じました。そしてピアニシモの音の美しさは唖然と
するほどでした。うまく言えませんが、暖かい感じがする音です。
さてさて、私のレッスンですが、ここまで書いてくると、もうどうでもよくなりました。来週は連休で
休みですし、コツコツとやってみます。
指の動きを覚えるのに、ある程度回数をこなせば、何ということもなく自然と覚えられるものもあります
が、やっぱり2番のアルマンドは、ちょっとやそっとでは中々覚えられません。この2週間、時間はたっ
ぷり有りましたのに、日によってはわずか1小節しか進めない日もあって、今更のことではないのですが、
なんでこうも容量が少ないのだろうと思います。その為か休みの最後のほうは、夢の中まで練習してしまい
ました。朝起きたら、すでに疲れちゃったりして・・・
その2番、今日のレッスンでは、片手ずつの練習をしっかりするように注意を受けました。以前は、先生
の言われることをその通りやっていたのですが、ふてぶてしくもこの頃は両手一遍のほうが手っ取り早い
などと、各声部のメロディには目をつぶって、ひたすら指・指・指、指の動きを追求していたのでした。
まぁ本末転倒もいいところです。しかし、この先ひと月くらいは、色々な角度から覚えていくしかなくて、
各声部の音が分るようになるのは、それからのこととも思います。とにかく、この坂を越えなくては話に
ならない状態です。とは言っても片手の練習もやらなくちゃ駄目ですね。やっぱり。
リヒテルの『音楽をめぐる手帳』を読んでいると、1970年から1995年までの25年間で折々に聴いたレコード
の感想が、簡潔な言葉で記されています。1976年の4月には、自宅でささやかなコンクールと称して、
パルティータの全曲を6日間かけて聴き比べをしています。1番では、アナトーリー・ヴェデルニコフ、
グレン・グールド、ディヌ・リパッティ。リヒテルはそれぞれの評をどんなふうに書いているのか、ちょっと
ここに写してみます。まずヴェデルニコフは、“完全にすべて弾かれたバッハ。何よりも音楽こそが第一。”
次にグールド、“もっとも華麗な演奏。特徴ある音色。ピアニスティックな要素を第一義とする。(繰り返し
をやらない、これはよくない。)”そしてリパッティ、“栄冠は彼に。”
どうしてもリパッティという人の演奏を聴いてみたくなりました。連休の時に、中古CDショップで見つけ
ました。さっそく聴いてみると、虚飾の全く感じられない、素晴らしく素直な演奏に、とても驚きました。
グールドの演奏も大好きでよく聴きますが、持ち味はだいぶ違います。グールドが生命の発光体とするなら、
リパッティは、夜空にひっそりと輝く星の美しさのようです。出会えて良かったと心から感じる1枚のCD
です。このCDには、パルティータ1番の他に、「来たれ、異教徒の救い主よ」「イエスよ、わたしは主の
名を呼ぶ」「主よ、人の望みの喜びよ」「シチリアーナ」スカルラッティのソナタが2曲、最後はモーツァルト
のピアノ・ソナタ第8番です。このソナタもとても素敵で胸が熱くなります。
リパッティは、1917年にルーマニアのブカレストに生まれ、1950年、33歳で白血病で亡くなっています。
パルティータとモーツァルトのソナタの演奏は、1950年の録音でした。
『リヒテル』ブリューノ・モンサンジョン、中地義和、鈴木圭介訳、筑摩書房
遥か彼方に薄っすらと曲の輪郭が見えてきました。このところずっとかかりっきりなのは2番。1番でまず 克服するのは、左指のトリル。これは時間がかかります。ある日そのうちにひょっとしてできるようになる かもしれない。今すぐできなくたって腐らない。毎日少しずつトリルを練習します。4番のサラバンドは、 この先4ヶ月も弾けるのかと思うだけで嬉しくなる曲で、そんなに難しい指の動きもないし、落ち着いて練 習できます。しかし問題は2番です。 このところ、音符を拾うのに時間がかかって、指の練習はさっぱり。でもやっぱり必要だなーと感じています。 ちょっとスピードを上げると、すぐに指がもつれたりしますから。でもこの2番も何とも言えずきれいな曲なので、 なんとか弾けるようになりたいものです。全く上手くいかないなーなどと、ぶつぶつ言いながらも 練習しているときは、本当に楽しい時間です。
5.30.2005...<てんてこ舞い>先生方が主催される発表会も今年は3回目。いろいろな年齢の方が参加しています。ちょっと女性の方が
多いですが、男性も参加されています。聞くところによると、男性は練習時間を作るのにとても苦労されて
いるようです。中には、教室だけが練習時間という人もいるそうです。ですから、発表会ともなると1年も
前から練習を始められるそうです。すごい根気だなーと思います。その人たちに比べれば、私は平均、
日に2時間は確保できますから、大変に恵まれています。しかしここにきて、またもや新曲の練習が始まっ
て、もうてんてこ舞いです。
それというのも、先生方もこの発表会のためには特に力を入れられていて、前の2回もいろいろな工夫が
こらされていました。今年は、参加者が入れ替わり交替で、連弾の曲を弾くことになったのです。曲はブラ
ームスの小品です。とても短いのですが、自分ひとりで弾いているのとは違い、私にとってはちょっと大変
です。それを2曲。うーん、困った、などと思ってしまいます。いろいろな曲を弾くのは嬉しいのですけれ
ど、それこそ練習時間が足りません。とても熱心に教えてもらっているのですから、ちゃんと練習していか
なければなりません。それにしても、乗り切れるかな・・・
“サッカー、ワールドカップ出場決定”という文字が新聞の一面に大きく躍った同じ日の国際面(朝日)に
は、“バッハの「新」声楽曲発見”という記事が、楽譜の写真入りで掲載されていました。バッハ史料館
(ライプチヒ)が7日に発表したもので、ドイツ東部ワイマールのアンナ・アマリア図書館で見つかった
のだそうです。楽譜はすべて手書きで、ほぼ完全な形だったと記事は伝えています。記事のおしまいのほう
では、この図書館はユネスコの世界遺産に登録されていて、昨年9月に火災が起きて施設内などが焼けた
ものの楽譜は無事だったとあります。記事には、楽譜が見つかった経緯については記されていません。一体、いつ
からこの楽譜は、この図書館に存在していたのでしょうか。それに何故、ここにきて「発見」されたので
しょう。
いつもなら、驚くだけで通り過ごしてしまうこの記事に疑問符が付いたのは、偶々、読んでいた本が、
モーツァルト、ベートーヴェン、バッハの自筆楽譜の行方を探るという内容だったからです。第2次世界
大戦の時、ドイツはプロシア国立図書館所蔵品のうち、これら重要な自筆楽譜を南シレジアに避難させます。
しかしこの地方は、戦争中はソ連軍の占領下に置かれますし、戦後はポーランド領になります。
行方が杳としてわからなくなった原因は・・・いろいろな事件が錯綜しますし、面白いことは面白いのです
が、最後には考え込んでしまいました。人間のやることって・・・、歴史の側面の一ヶ所にスポットライト
を当てるとこんなにも込み入っているものなのですね。
レッスンでは新しい曲もなんとか覚えて、次のステップへ。これからが本当の練習のような気がします。
『ペーパーチェイス』ナイジェル・ルイス著、中野圭二訳 白水社 1986年発行
2番のアルマンド、「どこで息継ぎをしたらいいのか、よくわかりません。この曲息ができなくて苦しい です。」こんなことを半月ほど前には感じていました。でもまだその頃は、音を拾っていくのに精一杯で、 遠くから曲を見てみることはできないのでした。今日のレッスンでは、全体をよーく見ることを教わりま した。弾き始めたら、ダーッと一直線に駆けていくという弾き方をしていたのですが、よく見れば、山も あり谷もあります。平板な弾き方から立体的な弾き方へ。自分の弾く音を余程注意深く聞かなくてはいけ ないのだなと思います。当たり前のことなのでしょうけれど、段階を追って、やっとその意味が少しずつ ですけど分ってくる気がします。弾くのは難しいのですが、この曲、ますます好きになっています。
6.27.2005...<猛暑のはじまり>確かまだ梅雨はあけていないはず、ずいぶん暑い日が続いています。それも記録的な。また今年もなので
しょうか。うんざりするほど暑いのに、加えてアンテナと通信設備の設置とかで、住んでいる建物で工事が
始まって煩いのなんのって、直接にその恩恵に関係のない身には、なんだってこんなことのために一月もか
けるのかと恨めしい気持ちです。家族の会話をもっと親密に、そのためには携帯使ってね。ということなの
かなー。有ると便利よと人は言いますけれど、無くても不便ではありません。道具ですからね。必要があれ
ばのことで、押付けられて使うはずもないのですけど。なんだか変です。
さて、レッスン。久々のグランドピアノで。いつものアップライトとは本当に音が違うので、弾き始めは
指が止まってしまいます。年に数えるほどですけど、グランドピアノでレッスンがあります。譜面台の高さ
も違うし、でてくる音が全然違うので、やっぱり少々緊張します。音の広がりと深みが違います。2番の
アルマンド、ピアニストが弾くように、この曲からいろいろな旋律が聞こえてきたら、どんなにいいだろう
かと思います。音符の中に旋律を見つけても、それを音として拾えるようになるのは、まだちょっと無理
みたいです。やっぱり鍵盤を叩くだけでやっとやっとなのですから。今日は特別に弾きたいだけ弾いても
いいとのことでした。偶にはこんな嬉しいことも。
日曜日、用事を手伝いに来てくれた義弟の前でピアノを弾きました。この人に聴いてもらうのは初めて。
長年の知り合いですし、まさか上がるなんて思いもしませんでした。ところが・・・始まってみると、なん
と指が震えてきてしまって、音も段々と蚊の鳴くような小さなものに。どういう神経が顔をだすのでしょう。
我ながらイヤになります。
2番のアルマンドの練習は、とても面白くなってきました。楽譜の内声を極端に抑えて弾いてみると、
望んでいた旋律が、わずかですが聞こえるようになりました。教室では、他にもいくつか旋律を浮かび
上がらせる弾き方を教えてもらいました。その内声にしたって、よく聴けば旋律よりかもっと緩やかな
スピードでゆっくりゆっくりと階段を上り下りするように音が動いています。多層な音の世界が広がって
います。去年、練習したイタリア協奏曲も、楽譜の中に尽きない魅力を感じましたが、今回は、
エッシャーの絵を思い起こしてしまいます。ここは、一体何次元の世界?本当に不思議で面白い世界です。
面白いのはいいのですが、指のほうは、さっぱり動いてくれません。右手のように左手の指が動いてくれ
たら。物は試し、この間から、左手を使って食事をしています。口でご飯を迎えにいったりして、まぁ人様
には見せられない光景です。今のところ。
幸運にも一遍に8台ものピアノを弾いてみる機会に恵まれました。どれもグランドピアノですが、
機種が一台ずつ違っていました。一番小さな型のピアノから始めて、ただただ音を聴くことだけに集中して
、今練習している曲を弾いてみました。一台一台がそれぞれに持ち味が違うので驚きました。可愛らしい音
色に感じるものや、明るい音色のもの、くぐもった感じのするもの、また深い落ち着きを感じさせる音色も
ありました。気に入ったのは、落ち着きを感じさせるものでしたが、音色の好みはたぶん人それぞれ違うの
でしょうね。しかし、良いピアノは技術をカバーする、なんてちらっと思ってしまいました。日頃できない
トリルができちゃったりしましたから、これにもびっくりしました。
2日ほど過ぎてから、教室でいつものアップライトを弾いてみたら、こんな音だったかしらと落差に驚きま
した。それまでは割と好きな音のピアノだと思っていたのに、あれれ、ずいぶん違うぞという感じです。
ただ家にあるアップライトは、そんなことを感じません。愛着があるせいか、やっぱり好きな音です。まぁ、
一種の親ばかみたいなものかもしれません。でも耳って不思議です。
休みが入ると、ついつい気が緩みます。日頃できない片付け物に追われたり、買い物に出かけたり、 そうこうしているうちに、夏の風邪をひき、とうとう寝込んだりしてしまいました。練習量は大幅ダウン。 レッスンにはでかけたものの、やっぱり手は正直です。以前よりか更に弾けなくなっています。 こんなことでは、駄目なのです。出直してやりなおしです。
8.1.2005...<宝物は何処に>自民党の改憲草案が新聞に載っています。現行憲法も記載されているので読み比べています。気になる
9条を読んでみると、草案のほうは、ごちゃごちゃと、と感じてしまいますが自衛軍の活動について書いて
あります。比べて現行憲法のなんとシンプルなことでしょうか。日本国民は、で始まる短い文章には、今や
人類と言ってもいいのではないかと思いますが、願いや理想が簡潔に記されています。多くの命の代償として
この憲法は生まれてきたのではないでしょうか。なぜ改憲をしなければならないのか、私には分かりません。
一度、捨ててしまったら、もう二度と戻っては来ないという気がしてこの暑い夏に、妙に寒々とした気分に
なっています。
長引いた風邪も、ようやく回復して体調も元に戻ってきました。限られた時間とは言え、普通に集中して
練習できることは、なんて有り難いことでしょう。今日のレッスンでは、少し意識して音の粒をきれいに
弾いてみることを教わりました。やることはいっぱいです。自宅のアップライトのピアノをグランドに
替えることにしました。ピアノを始めてまだ日も浅いのに、贅沢と思いつつも、年齢が後押しをしたなんて
勝手に理屈をつけています。
タイヤが道路を滑っていく音が間遠になった真夜中、あまり聴いたことが無い鳥の鳴き声が遠くの方から
聞こえてきます。一種類ではないようで、その鳴き声に呼応するかのように別の夜の鳥が長ーく鳴きます。
けたたましく鳴くセミもいれば、モーターの唸りの様に鳴いている虫もいます。一旦眠りについていたのに、
それらの声で次第に意識がはっきりしてきます。目を瞑って夜の生き物の声に浸っていると、一体此処は何処で、
横たわっている此処は、狭い部屋のベッドの上ではなく、暗い葉の茂った大木の根元に直に転がっている
気分になります。
ちょっと賑やか過ぎるかななどと感じながら、またぼんやりとしてうつらうつら眠ってしまいます。
夏の夜は長いです。
さて、レッスン。進捗状態は、一歩進んで二歩下がるといった様で、教室ではいろいろとヒントをもらって
いるのに、どうも上手く自分で糸口を見つけられないでいます。やるべきことは分かっているつもりでも、
それが形として出来上がらなくて空回り状態です。ここは、焦らないでスピードを落として“ゆっくり”
からやり直してみましょう。ということになりました。音の粒を揃える、その方法って、つまるところ
耳だけが頼りなのでしょうか。
うだるような暑さが続いたある日、階下の人からピアノの音の苦情がきました。階下の人たちは、半年程
前に越されてきました。ずっと我慢されていたようで、もう体調も崩して我慢の限界とのことです。よく
お話を伺ってみると、仕事の都合で昼間に睡眠をとられる方が、私がピアノを弾いているすぐ下の部屋に
居られることが分かりました。こちらは、昼間だから大丈夫だろうと、さしたる防音もせず、せいぜい
窓を閉め切る程度で暢気に弾いていました。しかし、相手の方にしてみれば、真夜中の騒音に等しかった
わけです。以後ピアノの音を出すことを止めました。サイレントにして弾いていると、今度は鍵盤を打つ
音が気になって、しばらくしてから階下の人に響いているか尋ねてみました。それは、気にならないとの
ことで、少し安心しました。集合住宅では、防音対策をきちんとしないと、他人に迷惑をかけてしまうのだ
と思い知らされました。苦情を言いに来られることも、辛かったに違いありません。音の苦情に
関して、あれこれ他の人の話を聞くと、いきなり怒鳴り込まれたケースが結構あるようです。私の場合は
幸いにも、怒鳴り込まれるというケースではありません。気を悪くしないでほしいと何度も言われ、実情を
話されました。しっかりと受け止めて、落ち着いて今後の対策を考えなくてはなりません。
他人に迷惑をかけてしまったことで、気持ちが萎縮してしまったこともあるのでしょうが、ピアノの生の
音がしなくなってから、気持ちも身体も徐々にバランスが崩れてきました。なんだか全てにわたってぎくしゃく
してしまって、その事態にしばらくは、ポカンとしてしまうといった有様です。世の中には、いろいろな
事情でサイレントだけで練習をしている人がいるかもしれません。以下は、贅沢な感想かもしれないと
思いつつ、感じたことを。音を耳だけではなく、身体全体で、特に皮膚で感じていたようです。
たかだか六畳間の狭い部屋ですが、壁や家具に反射する音の波に浸って居ることが慣わしのようになって
いました。その波動が突然無くなったことに、身体がどう対処していいのか分からないようです。バランスが
崩れてしまうなんて思いもしなかったので、ちょっとびっくりしていますが時が解決してくれます。でも、
寂しいものですね。ホントに。発表会まであとひと月、どうなるかなー。
家でピアノが弾けなくなったことにも、次第に慣れてきました。生の音はもうだせないので、取り合えず サイレントで弾いています。この暑さですから、ヘッドホーンを使っていると、耳に汗が溜まりますが、 汗取りに頭からタオルを被って、その上からヘッドホーンをします。ピアノに映った我が姿に、ああ、 ほっ被りのおばさんが居るよー、なんて苦笑いですが、此の際、格好なんかどうだって好いのです。 生の音が聴きたくなれば、通っている教室へ行って、空いているピアノを借ります。家で練習している 時よりも、時間がもったいないから(正確にはお金がもったいないから)、集中して練習できます。 レッスンもいよいよ最後の詰めというところです。大好きな曲ですから、できるだけ丁寧に弾きたいもの です。今後のことも、少しずつ具体的に決まってきました。来週は、調律の人と一緒に防音室の見学に行 きます。
9.12.2005...<防音室@>防音室にはいろいろなタイプがあるようです。決まった形のもの、フリータイプで部屋の大きさは
ある程度、融通がきくもの。音の遮断もまた幾つかのレベルがあります。それぞれに弾く人の用途に
よって選んでいきます。今回、私が一番に考えていることは、階下に振動が響かないようにすることです。
今日見学したのは、3畳半ほどの広さで、音の遮断は中レベルです。窓のない部屋に入ると、少し
圧迫感がありました。ピアノを弾いてみると、かなり音が響くような気がしました。ちょっと響きすぎ
と感じます。中で弾いてもらって、防音室の外に立ってみると、もちろん音は小さいのですが、何を弾いて
いるのかわかります。予想していたのは、音が聞こえなくなるのかということでしたが、それは違って
いました。防音と音の響きのことについて、もう少し教えてもらって、更に体験してみることにしました。
さて、レッスン。今日は特に音の表情についてレッスンがありました。曲の中で、盛り上がっていく
ところなど、山の頂上に向かって一気に上昇というように、力を込めて弾いていましたが、山のちょっと
手前でふっと力を抜いて弾いてみると、ぐっと表情が変わります。演奏が重くならない感じです。まだまだ
音符とにらめっこで、取り合えず音符通りに鍵盤を叩くということで、なんとなく曲を弾いた気になって
いました。もっともっと自分で弾いている音を注意深く聴かなくては駄目だなと感じます。
楽器メーカーの主催する防音の体験会に出かけてみました。音そのものの話から始まって、実際の音の振動
がどういうものか、またコンピュータを使っての遮音のシミュレーションもありました。防音室もいろいろ
な用途のものが展示されていました。また遮音のレベルの違う部屋も用意されており、実際に管楽器などを
使って実演が行われました。参加していた人々は、扱う楽器は個々に様々なようでしたが、一様に今現在、
音の問題を抱えているといった様子です。なんとか解決方法を見つけたくて、ここにやってきたという感じ
でした。
防音室を考えるときには、まず音の性質をよく理解する必要があるようです。空気中を伝わっていくとき、
壁や床など固体の中を伝わっていくとき、また低音の持つ特性、高音の持つ特性など。それは、外部にな
るべく音を漏らさないようにすることと、防音室内部の音の環境にかかわってきます。音を漏らさないと
いうことについては、住宅用の場合、完全な遮音というのは無理のようで、日常生活のさまざまな音の中
にどれだけ溶け込ませるか、あるいは許容できる範囲はどこまでか、そういった観点から防音対策は進め
られているようです。私の場合は、階下に伝わる振動をなるべく減らしたいと考えているわけですが、そう
いった場合には、床を何層にもするという方法が採られているようです。しかし、階下に伝わる代表的な
もので、子供の走り回る音などは、実際のところ対策としてはお手上げなのだそうです。ピアノの音が、
どれだけ響くかという体験もしましたが、これでは堪らないというくらいで、事態にがっくりしてしまい
ました。
防音室内部の音の環境については、即席の知識では、説明されても何のことやら、ただただボーっとして
しまうので、中に入って音をだして体験してみるのが良いようです。今回の体験では、楽器としてのピアノ
そのものの音が感じられました。今のところ、音が洩れないようにということばかり頭にありますが、
一口に防音対策と言っても、難しいものだなと考えてしまいます。
来週は発表会です。落ち着いて、集中して弾けるといいのですけれど・・・
道端には曼珠沙華の花が咲いていて、その赤い色が目を引きます。季節は秋なのに、日曜日はぐんぐん気温
が上がって真夏のようなお天気でした。無事に演奏をすることができましたと書きたいところですが、曲の
途中で方向を見失い、右往左往してしまいました。最近の発表会では、ミスをしてもなんとか止まらずに弾
き続けることができるようになっていましたのに、今回は完全に止まってしまい、やり直しをしました。そ
れがまた1回で済んだのならまだしも、2曲目もつまずいてしまい、ここでもやり直しをして散々な結果で
した。3曲目は、何も起こらずに弾き通せたのですが、終わった時には、ほとほとくたびれてしまいました。
終わってから、先生が「何かあったの?」と心配されましたが、別に何もありません。ああ、何という情け
ないことでしょう。しかし、くよくよしたって仕方ありません。長く弾いてきた人たちは、いろいろな
経験があるらしく、「気にすることはないよ」と言ってくれます。だから私も気にしないことにします。
それに実際、派手にミスをした割には、気持ちは落ち込むことなく、終わってやれやれとさばさばとして
います。緊張の塊のようになってしまったことも、愉快で楽しいことでした。ホントです。
63.パルティータ第1番変ロ長調プレリューディウム<2分24秒>(L251-272)
64.パルティータ第1番変ロ長調アルマンド<2分12秒>(L251-272)
65.パルティータ第1番変ロ長調サラバンド<3分15秒>(L251-272)
今年の夏は、いろいろなことが重なったのですが、ピアノの音の問題が一番の引き金となって引っ越すこと
になりました。住まいがかわったら同時に新しいピアノが入ります。そのピアノのために先生が選んでく
れた曲はモーツァルトの曲です。次回から暫くの間モーツァルトに取り組みます。難しそう!
引越し準備の合間、本当に細々と練習しているのは、モーツァルトのファンタジア二短調k397。
幻想的な出だしを練習していると、ついつい、このまま眠りに就きたいなと思ってしまいます。ピアノの
練習をしようかという時には、すっかり身体が疲れてしまって集中力がすぐに切れます。しかし、ほんの
15分でも鍵盤に触れるようにしています。ここ当分は、こんな状態が続きます。なんでもそうでしょうが、
ピアノの練習にも体力が必要ですね。直ぐにバテるようでは、肝心の事ができません。
この曲は、休符が一つのポイントかなと感じます。今までのバッハの曲を練習している時とは違って、私
には、曲の中の間がとても新鮮でまた難しく感じます。CDの解説を読んでいたら、この曲は未完だったの
ですね。だれかの手によって10小節を補筆されたとあります。なんとなく終わりを急いでいる感じがする
のはそのためだったのかなと思いました。ま、これは素人の感想ですけど。流れるようなカデンツァの部分
は、果たして弾けるようになるのかなと思います。聴いているCDは、イングリット・ヘブラー演奏のモー
ツァルト、ピアノ小品集です。他の人の演奏も聴いてみたいものです。
来週は教室の都合でレッスンはお休みです。ラッキー! なんて喜んではいけないのですけれど。
日々の練習ができない状態でレッスンに通うことを許可してもらいました。ちょっと忙しくなると 落ち着いて練習ができません。練習をしないで教室に行くのは、ま、辛いものです。でももう少しの 辛抱と言い聞かせています。ここもひと月ほどお休みをします。
12.12.2005...<再開>先月末に引越しを終えて、だんだんと日常生活も元のリズムがもどってきています。新しく来たピアノ
にも少しずつ慣れてきました。周りの人に迷惑をかけないように、防音室にピアノを入れました。防音室
の窓(これは二重サッシです)をきっちりと閉め、部屋の窓もちゃんと閉めれば、ベランダでは中でピアノ
を弾いているのが分からないくらいです。さぁ、これで気兼ねなく練習ができるはずなのに、気が小さい
というのか、思うように弾けなくなったこの3ヵ月半が余程応えているのか、大きな音が出せません。7年
前に初めてピアノが来たときも、舞い上がるくらい嬉しかったのに、やっぱり小さな音しか出せません
でした。あの時は、今に比べれば指の力もなかったのですが・・・教室では、全身を使って弾くようにと注意
されています。まぁ、やっぱりどこかで振り出しに戻ったみたいなのです。徐徐に音を見つけていくことが
できればと思いながら練習することにします。
今まで使っていたアップライトは、引越しの数日前に引き取られていきました。8月以降、サイレントで
弾いていたので、最後くらい音をだそうと思って弾いてみました。つくづく感じたのは、道具は使わないと
活きないということでした。あんなに好きだった音ではなくて、まるで違った重くて鈍い音がしました。
血が通っていないといったらいいのか、無機的な音でした。ピアノは弾かれることを待っていると、身を
もって教えてくれたような気がしています。ピアノを探しに行ったことや、当時お世話になった人のこと
などが胸に去来して、ちょっとしんみりしてしまいました。何しろピアノのピの字も縁が無いとそれまでの
私は思っていたのですから。
さて、また生活にピアノが戻ってきました。本当に恵まれています。レッスンのための練習は、ほとんど
できない状態でしたが、モーツァルトの幻想曲ニ短調k397を練習しています。ヴァレリー・
アファナシエフという人の演奏をこの間初めて聴いてみました。このCDには、他に幻想曲ハ短調k396、
幻想曲ハ短調k475とピアノ・ソナタハ短調k457が入っています。モーツァルトって、こういう音楽だった
のかという驚きを、このCDを聴いて私は感じました。ああ、たくさんの音楽を聴いていきたいと思います。
そして、ゆっくりといろいろな曲を練習していきます。
ベートーヴェンがお好きなんですか? えっ、まぁ。レッスンが始まる前は、空いている教室のピアノで
少し練習をします。偶々受付のカウンターに近い部屋で練習をしていたので、受付の人にも聞こえていたよう
ですが・・・一応、今練習しているのは、モーツァルトの曲なのでした。ああ、なかなか進歩しませんね。
いままで通っていた夕方の時間帯は、グランドピアノがふさがっていて、レッスンは夜の時間に変わりまし
た。電車では、駅からの道が暗いので、自転車で通っています。片道30分、往復1時間、夜は寒いです
が、30分も漕いでいれば、身体は汗ばむほどに温まります。背中に楽譜を背負って、頬に冷たい風を受け、
星の瞬きを眺めながら自転車を走らせていると、子どもの頃に戻っていくような気持ちになります。まぁ、
実際は、重装備のおばさんが、えっちらおっちら、ギコギコと漕いでいるのですが、口笛でも吹きたくなる
ような自由な気持ちになるのです。ピアノの出来はどうであれ、やっぱりレッスンに行くのは、楽しいこと
ですから。
来週は、仕上げにしましょうかと言われています。さて、どうなりますことやら。今年も年の瀬となりま
した。お立ち寄りくださいました方、ありがとうございます。どうぞ、良いお年をお迎え下さい。