ピアノの周辺―2006    

ピアノの周辺

【その後のレッスン】
2006年

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1.16.2006...<新年の遊び始め>

結局、暮れのレッスンは教室の都合によりお休みで、約1ヶ月ぶりに今年のレッスンが始まりました。 この休みに思い出しては、練習していたものの本当にこの曲は難しかったです。指が安定しなくて、 ふらつきます。カデンツァのところなど全く弾けません。昨年の秋、この曲を、荷物がなにも入って いないガランとした今の住まいで一人でポツンと練習していました。そんなこんなで、とっても歯が 立たない曲ではありますが、私にとっては、愛着を感じる曲となりました。

66.モーツァルト、幻想曲ニ短調KV397<6分49秒>(L273-283)

1.23.2006...<グールドの本>

グレン・グールドに関する本は本当に沢山ありますね。演奏術の本やら、生涯を追ったもの、いろいろな 人がさまざまな角度から、グールドを研究しています。でも中には、著者のグールドに対する思い入 れが強すぎて、その濃厚な味付けのために辟易としてしまうこともあります。読んでいて面白いのは、 やはり本人の書いたものや、インタビューの会話が文章化されたものです。 去年の秋に出版された『グールド発言集』は、インタビューやラジオ・テレビ番組の台本 から編まれています。読み始めてすぐに嬉しくなります。 例えば、<私の好きな人が弾く私の嫌いな曲>これはラジオ番組で、グールドがディスクジョッキーを し、グールドがつけた番組の仮題だそうです。もちろん内容にも惹き込まれます。紹介されている ピアニストの演奏を聴いてみたい気持ちになります。実に楽しくてニヤニヤしなが ら読んでいます。この本面白い。

『グールド発言集』ジョン・P.L.ロバーツ編、宮澤淳一訳 みすず書房

レッスンの新しい曲は、ベートーヴェンのソナタ、全音のソナチネアルバムに入っているOp.49の2番 です。練習していくときには、どんなふうに曲をふくらませていくのか、最初からイメージしなくては いけないようです。とりあえず音符通りに、指が慣れるまで弾いてからというのでは、駄目みたいです。 機械的に練習していては進歩なしなんだと、ちょっとハッとしたりしています。

2.6.2006...<音楽の底辺ってなに?>

通っているピアノ教室は、グランドピアノの数が、僅かに3台。そのグランドピアノをめぐって先生達の 間では争奪戦が繰り広げられているそうです。数少ないグランドピアノの中でも、一番良い音のする ピアノは、まぁ、めったに弾かせてもらうことがありません。教室の主体は受験生や子どもたちのようで すから。ながーく通っている大人も結構いるのですけれどね。そこで、大人もレッスンの時間帯 を気にせず練習できるように、大人の為にグランドピアノを入れる計画は有りますか。と、 トップの方に質問をしてみました。恐らく<有りません>という答えが返ってくるものと予想して のことですが。どうせ駄目でも代々の大人が言っていけば・・・と。しかし直接の返答ではなく、迂回して 返ってきた答えは、<考えたこともない>というものでした。

もし、大人が嬉々として、レッスンに通ってきて音楽を楽しんでいれば、上手く弾けないだけで才能が ない、才能が無いから音楽を続けることは出来ないと悩む子どもも減るかもしれないと思いますけれど。 違うかな? まぁ、狭い世間の話ですね、これは。レッスンのたびにピアノがかわるのも落ち着きませんし、 時間のやりくりも難しくなってきたので、今までと同じようにレッスンは続くのですが、教室に通うことは、 あとひと月でやめることにしました。

2.13.2006...<春よこい>

今年の冬は寒いですね。夜、外に出ると、厚手のオーバーを着ていても、思わず首をすくめてしまいます。 さすがに、こう風が冷たいと自転車に乗って出かける気にはなりません。電車で行こうと駅へと急ぎました。 人のあまり通らない暗い道の向こうから、誰かがふわふわ歩いてきます。顔の部分だけボーッと白く闇の 中に浮き出ています。急がなければならないのに、だんだんとのっぺらぼうの薄白い顔が近づくにつれ、こち らも慎重な足取りになってしまいました。4,5メートルの距離まで近寄れば、中年の女の人が、一心に 携帯を見ていることが分かって、ほっとするやら、可笑しいやらですが、傍目には不気味に見えるから やめてほしいな、なんて思います。懐中電灯を顔の下から当てたのと同じなんですから。正体が分かって 気持ちも落ち着いたところで、夜空を見上げれば、お月さんは真ん丸、幾つか星も瞬いていました。天上は 綺麗に澄んだ冬の空です。

こうして夜のレッスンにでかけるのも、あと2回です。先週は回りくどい言い方をしました。3月からは、 今教わっている先生のご自宅で、昼間にレッスンを受けることになりました。現在練習している ベートーヴェンのソナチネは、もう少しで仕上げに入りますが、小品ながらとても生命力を感じさせる 曲です。若々しくて溌剌とした感じです。

2.20.2006...<準備の準備>

今年は、モーツァルト生誕250年でモーツァルトの曲を聴く機会も多いですね。日曜日には、約11時間に わたってFM放送で、モーツァルトの曲のリクエスト特集が放送されていましたね。あまりにも長時間なので 録音をしました。折々に聴くのは、きっと楽しいはずです。番組の最後をラジオの前で聴いていると、 リクエストの一位は、アイネ・クライネ・ナハトムジークでした。うーん、やっぱり。この曲も大好きです。

さてさて、レッスン。今年になってから、指の練習も再開しました。1月からツェルニーの30番練習曲を 再びはじめています。これは一昨年、棚上げにしたままでした。先週ようやく2番が終わり、今週から 3番に入りました。それにしても指は動いてくれません。ツェルニーを練習することは、曲を練習していく ときの前段階、つまりいろんな曲を弾くための準備と思っていますのに、そのツェルニーを練習するのに 私の場合は、もうひとつ準備が必要です。音符にアクセントを付けて、先ずは指がスムーズに動くように なってから、それからようやく本来の音符通りに弾く練習をします。あぁ、何をするにも何て時間がかかる のでしょう。でも指が動いてくれなければ、曲を楽しむことはできません。遅遅としたものでも、進歩は あると信じて取り組むしかありません。果たして信じる者は救われるのでしょうか・・・・・・ ヤラナイヨリマシッテイウテイドニスクワレマス。

2.27.2006...<筋トレじゃない>

横目でチラチラとピアノの脇の椅子に置いてあるツェルニーの楽譜をみては、今日はやめ、明日にしようと その練習を先延ばしにしてしまいますが、さすがに一夜漬けで行く度胸もなく、レッスンの3日ほど前か ら、楽譜を手にしてほそぼそと練習をします。こんなやり方は、まずいとは思いつつ、取り合えず指を動か します。ちっとも動いてくれません。突っ張るのは指だけでなく、なぜか足まで突っ張ります。それでも これは、必要なことなのだと言い聞かせて、ただただ頭を空っぽにして指を動かしていました。でも、これ を続けているとイヤになってしまいます。

この楽譜集の始めには、1番から30番までの弾き方の注意点が書かれています。ひじや肩に力を入れないと か、一音一音はっきりと打鍵するとかです。私はその要点を楽譜のほうに書き写したりして、弾き方のこと ばかりを考えて、仕舞いには考えることもやめて、鍵盤を叩いていました。今日のレッスンでは、ツェルニ ーの3番の分析がありました。ここは、カデンツァ。ここは、和音が分散されているところ。ここは、右手 の3連符の拍の頭と左手の四分音符の下降が揃っているところなどなど。弾き方の注意も、もちろん教わり ますが、主に見ていくのは楽譜そのものです。もやもやしていた頭の中に、すーっと新鮮な風が吹き込まれ たように感じました。家でも楽譜は見ていたのです、でもキャッチはしていませんでした。ツェルニーは、 指の訓練のためだけに仕方なく練習するものなんて、大変な思い違いでした。どんな曲にもメッセージはあ って、作った人の気持ちが込められているのですね。気付くのが遅いですけど・・・

ベートーヴェンのソナチネは、第一楽章が終わって、第二楽章に入りました。仕上げは揃ってということに なりました。

3.10.2006...<まだまだ始まったばかりじゃない>

「いくら練習しても全然進歩がなくて、めげちゃうよ」と愚痴をこぼしたら、ちょっと驚いたように 目を真ん丸くして、その後にキッとした顔つきになって睨むように人を見て、「まだまだ始まったば かりじゃないの」と長年付き合っている友人が言いました。そうなんですよね。本当に始まったばか りです。あれもこれも出来なくて当たり前なんです。ただ、どんどんどんどん時間ばかりが過ぎていって、 「いろいろな曲を弾きたいのに、これじゃ、もう一度生まれて来なければ、達成できないわ」なんて、 ついつい甘ったれたことを口にしてしまいます。 高望みはやめて、でも一縷の望みを胸に、自分なりに頑張ってみるしかないなーと、またやる気が でてきました。友達っていうのは、ありがたい存在です。

さて、少しばかり環境が変わって、続きのレッスンが始まりました。どうして、先生の前だと 蚊の鳴くような音しかだせないのでしょう。気持ちも体重もピアノに乗せる。もじもじせずに、 はっきりと、ビシバシ弾いてみる。ああ、できるようになるかなー。今年の発表会の曲を決めました。 今、ベートーヴェンの曲を練習していることもあって、今年は、ベートーヴェンの作品から選びました。 作品33のバガテルから、第1番に挑戦です。暢気な雰囲気の曲で、気に入っている曲の一つです。

3.17.2006...<新曲は嬉しい>

ベートーヴェンの第2楽章は、一応今日であがり。弾けてないのだけれど、後がつかえていておしまい。 いいのかなー、こんなことで。準備不足で第1楽章だけの録音。発表会で弾くときは、こんなふうに弾いて います。すべってころんで、さぁ大変、なのです。下手ですけど、現実ですから記録として残すことに しました。来週からは、新曲の練習、ポツポツ音を拾っていくときって、本当に楽しいです。

67.ベートーヴェン作品49-2第1楽章<3分51秒>(L284-289)

3.24.2006...<復習は早めに>

たった30分のレッスンでも終わると、なんだかほっとします。帰り道はついつい寄り道をしたりして。 でも、少なくともその日のうちには、先生から教わったことを、もう一度ピアノの前で復習をしておいた ほうがいいようですね。毎回毎回、同じようなことを注意されているにしてもです。まぁ、こんなことを あらためて考えるのも、時間が経ちすぎると、やはりレッスンの内容がぼやけてしまって、指も頭も反応 が鈍くなりますから(数多くの経験上)。今日は、そんなことで今から復習をします。来週は春休みでお休みです。

4.7.2006...<しがみつかない>

雨と風で散ってしまった沢山の桜の花びらが、行き交う車の風に翻弄されて、アスファルトの上を あちらこちらと彷徨っています。まるでトーシューズをつけたかのように花びらが立って風に流されてい くのは、一片一片が踊りを踊っているようにも見えます。地上のダンスに、桜の花びらは適した大きさ なのかもしれません。

ツェルニーの4番は、手首を回転させる練習です。右手は時計と反対周り。親指で4分音符を弾いて その弾いている間に人差し指と小指で16分音符を3つ弾くとします。親指は打鍵の後、鍵盤の上に置いた ままです。まさにこの時の親指の力加減が問題です。音を弾くという意識が強すぎて、ずっと力を込めて 鍵盤を抑えていると、思うように手首は回転しません。鍵盤って、一度鳴らしておけば、それ以上に 力を入れている必要がないのですね。そっと置いておくだけでいいわけです。私の弾き方ときたら、 もう、鍵盤にしがみついていましたからね。それでもって、手首が回らないと、諦めるか力ずくかの どちらかの行動をとるのですから。あぁ、どうしてこう回転が鈍いのでしょう。今日の結論:手首の回転 より頭の回転が固すぎる、です。

4.14.2006...<おいっ、こらっ!>

ツェルニーの4番は、手首を柔らかく回転させる練習でした。なかなかうまくはできなかったのですが、 上半身もなんとなくグルグル廻しながら(ついでに首も振りながら)、まぁ身体全体で、私は 手首を柔らかくして弾きたいのです、という切羽詰った思いが通じたのか、今日で上りとなりました。 これ以上続けていたら、身体の筋をおかしくしたり、首を捻挫でもするかもという先生の深い配慮かも しれません。ですから、上りと言うよりは、打ち切りといったほうが正しいみたい。次は5番。休符 つきの付点のリズムの練習です。左手は、3連符。どの練習曲も実に可愛いらしいのですが、さて5番は どうなりますことか。

ベートーヴェンのバガテルは、聞かせどころといった雰囲気で32音符が数箇所でてきます。たぶんこれは そこだけ取り上げて練習するにしても、100回とかそんな数では、駄目みたいです。何千回も弾かないと、 ころころとくすぐる様には弾けそうもありません。でも近づきたいものです。しかし今日はその前に、 ちょっとした装飾音が問題になりました。どうも本来の音よりも装飾音のほうがドスが効いていて、語りか けるにしても、<あのねー>だったり<ねぇー>が、<おいっ!>とか<こらっ!>になってしまいます。 こんな言葉は日常使っていないにしても、日頃の生活態度がでてしまったみたいで、今日はすっかり恥ずか しい気持ちになりました。生活というか、物事に対する態度はでてしまうみたいですから。

4.21.2006...<あの手この手>

近道はないのだからと、毎日の練習では、ほぼ半分の時間をかけて指の練習をしています。でもこれって 本当に先が見えません。効率が悪すぎるかなと思うことしばしばです。曲の練習をその分やっていたほうが 本当は良いのかも知れません。でも指は思うように動いてくれないのだし・・・。小指と薬指は、まだまだ 独立した動きをしなくて、音も弱々しいものです。一応最初は、楽譜に書かれている通りの指使いで 練習していきますが、今日は、大胆に指使いを変えることになりました。楽譜の指使いは、やはり 参考程度に考えた方がいいのですね。書いてある通りといっても、ひとりひとりの習熟度は違っていて、 よく弾ける人ならそれで丁度良くても、私の場合などは、あの手この手を駆使してのぞんだほうがいいみ たいです。臨機応変に対応することも大切なのですね(私の苦手とするところです)。こんなふうに、 いつまでも悩みながらの練習ですが、少し薄っすらと曲の輪郭が見えてきました。なかなか素敵な曲です。 さて、来週から2週間続けてお休みに入ります。休みだ、と浮かれていないで、気を入れて練習するチャン スです。

5.12.2006...<ピアニストの演奏>

休みの間に調律をしてもらいました。傍でずっと調律の様子を聞いていたら、クリアな音を作り出して いく作業は、丸まった鉛筆の芯をナイフで尖らせていくのに似ているなと感じます。丸まったままでも 字は書けますが、かなりぼやっとした線になりますよね。太からず細からず一番良く書ける太さに削って いきます。鉛筆削りを使って、ガーッと削ってしまうなんていうのは、ここではなしとして、あくまで 手作業の話です。音を削る、とまぁそんなふうに感じてしまったのです。調律は2時間ほどかかりました が、音の形ができていくのを聞いているのは、面白いものです。出来上がった音は、締まった音で、また タフな音のように感じます。調律の人からは、弾き込んでいって、グラマラスな音にしてください。なんて 言われています。艶のある音色が出せるようになったら、すごいななんて思いますけど、いつの日の ことでしょうか。

バガテルは、<ささいなもの><ちょっとしたもの>という意味らしいのですが、確かに小さな曲ですが、 なかなかどうして、やっぱり難しく感じます。グールドの演奏を聴くと、まぁコロコロと、サラサラっと 心憎いばかりの演奏です。とても好いなーと聞き惚れます。しかし、やっぱりグールドは、楽譜の指示なんて 無視して自分なりのアレンジで弾いています。またそれがなんとも味のある良い演奏なのですが、当たり前 の話ですが、私には、全然参考になりません。他の人の演奏を一度聴いてみようと探しても、 このバガテルを録音したCDって、なかなか見つかりません。お店に並んでいるのは、大作ばかりですね。 一人だけやっとみつけました。小島芳子さんという方です。このピアニストは、1961年生まれの方ですが、 若くして病気で亡くなられています。演奏は、とても丁寧で華麗な感じです。私が今練習しているのは、 こういう曲だったんだなんて、目を丸くしてしまいます。しかし、道のりは遠くても・・・・・・なのです。 自分なりの演奏を目指して、どひゃーなんて言っていないで練習です。

5.19.2006...<時間の扉>

1802年に7つのバガテルは作曲されたようです。ベートーヴェンが32歳の時です。年表によると この前の年には、「月光」や「田園」が作曲されていますし、この年には、「テンペスト」が 作曲されています。他に、ヴェイオリン・ソナタや交響曲なども。バガテルは、合間合間に作られた ようです。息抜きで作ったのかなとか、遊ぶような気持ちで作ったのかしらとか勝手なことを 想像しています。1802年は、どんな年だったのでしょう。日本は江戸時代。この年から7年を かけて十返舎一九が「東海道中膝栗毛」を書いています。弥次さん喜多さんの旅の話ということは 知っていますが、きちんと読んだことはありません。生まれてきて50年も過ぎ、なんとなく時間の 感覚も分かってきたかなーとえらそうに思っていましたが、世界の年表をひっくり返していると、 200年前からは、やっぱりすごい時間がたっているのだなーとも思いますし、個人の時間と重ねると、 大きな時間が伸び縮みしているようにも感じられて可笑しな気持ちになります。

ひとりひとりにも記憶に残る時間の扉はありますね。中には輝く透明な扉もあるかもしれません。 不思議なことに時間が過ぎるほどに透明度は増すようです。

5.26.2006...<調子を整える>

あまりにもテンポが狂ってきたりしたら、メトロノームを使って合わせていくようにと、しょっちゅう 注意されています。メトロノームを使うのは、いつまでたっても慣れなくて、どっこいしょという感じで 始めます。しかし生活のバランスを崩してしまったときは、週に一度のレッスンが、メトロノームの役割を します。身体の状態がイマイチで、気分も乗らず、練習ができていなくても、とにかくカチッにあわせる ように出かけていきます。気分が乗らないのは何故かとか、どうして不健康な状態なのかとかは、とり あえず脇において、いつもやっていることを、いつものように。

秋の発表会には、連弾の曲も弾くことになりました。連弾は、モーツァルト特集です。選んだ曲は、交響曲 第25番ト短調の第1楽章です。この曲はモーツァルトが17歳の時の作品だそうです(選んだのは、この年齢 にも惹かれたからです)。映画「アマデウス」の最初に流れていた曲です。勢いがあって、突っ走る情熱が あります。楽譜はピアノの連弾のために編曲されたものですが、持ち味を損なうことなく気持ちの良い曲で す。それにそんなに難しくはなく弾けそうです。

6.2.2006...<コントロールは難しい>

音符の読みが終わったら、今度は音の流れを立体的に作っていく。弾きにくいところは、何回も何回も 部分練習をして、滑らかにしていって全体の中に入れていく。丁寧に作っていこうとすれば、その気持ちが 反映したものになる。手作業の繰り返しではあるけれど、頭の中ではいろんなことを考えている。単純に 美しいハーモニーで、気持ちがいいなとか、ここは、人生の扉に対するノックだよねとか、まぁあれこれと 夢想しながら。こうやって、日々にほんのちょっとでも音楽に触れているのは、本当に嬉しくて楽しい。 できれば上手く弾ければ、更に更に楽しいに違いない。でもちっとも上手くならなくても、それでもいい。 音楽に巡り合えたことは、生きてて良かったなんて思うことの一つだから。

レッスン帳のカウントは、今日で300回。まだまだ序の口、もっともっと教えてもらいたい。体力をつけて へこたれない身体にしたい。検査の結果、病気ではないことが判明して、一安心。けれどバリバリに凝って いる身体を揉み解していくことに。長年の疲労が溜まった結果らしいのだけれど、自覚が足り無 すぎると、怒られちゃったりして。これからも年は取る一方、いろんなことがでてくるのでしょうね。

6.9.2006...<物語る>

梅雨の季節は、じめじめしてうっとうしいけれど、雨だってずっと見ていると飽きない。風に雨脚が吹かれ ているのを見ていると、天から吊るされたカーテンが揺れているようにも見える。道端の紫陽花もずいぶん と綻び始めている。小さな花の一つ一つの開き方を、買い物帰りにゆっくりと覗いてみた。その生命の動き のなんと可憐で美しいこと。色合いにもため息がでてしまう。

今日のレッスンで教わったことは、音の流れを一つの纏まりとして捉えるということ。私の今の状態は、 曲を弾く段になっても、発声練習のような弾き方しかできていない。<お早う>と言うところを、例えて 言えば<おーはーよーうー>と言っているようなもの。発声するだけで、やっとやっとで、当然そこに感情 など加わる余地はなし。まぁこんなことでは、そこで勝手に口を開けていれば、ハイ、ご苦労さん、という ことになってしまう。時には独り言のような音楽もあるかもしれないけれど、とにかく意味が読み取れる 言葉じゃないと心には伝わらない。教室では、一つの曲に物語をつけて練習するということはないけれど、 何かを感じて、それを自分なりの言葉に置き換えて弾いてみるのも大事かもしれない。 とにかく発声練習から脱却するために色々と工夫をしてみたい。来週のレッスンはお休み。怠けずに 練習しなくちゃ。

モーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプスk618」は、亡くなる年(1791)の6月17日に完成して いるのですね。眠る前に時々聴いています。

6.30.2006...<元気をだそう>

義理の兄が亡くなって2週間ばかりが過ぎました。思い出されるのは、話をしていると、結構笑うことが多く 愉快な人で、楽しそうに笑っていた顔が目に浮かびます。くだけた話をしていても、言葉遣いはいつも丁寧 で、年上だからと説教ぶることもなく、私とは、考え方も生き方も全く相反するものがあったのに、穏やか に接してくれる人でした。現在の平均寿命からすれば、まだまだ若くて、子どもたちは、皆成人した大人とは いえ、それぞれに震える肩を見ていると辛くなります。こんなにも慌しく“さようなら”をするとは思いも しませんでした。一度私の下手なピアノも聞いて貰いたかったなと思います。

3月に発表会の曲を決めるとき、ベートーヴェンの「悲愴」はどうかしら、という話がありました。 その時点では、義兄でさえ重い病のことは知りません。私はただなんとなく、ほぼ半年も悲しみに満ちた旋律 を練習するのは、今年は気が乗らないなと、好きな曲で挑戦してみたいという気持ちもありましたが、 結局今年はとにかく明るい曲がいいと、今練習している曲にしたのです。 何か予感めいたものがあったのかもしれません。作品33の第1番のバガテルは、暢気な曲に聞こえます。 実際には、私には難しくて弾けるようになるものかしらと思ってしまいますが、今年は、あまりいろいろ考 えずに身をゆだねるように、曲の中に入っていって練習を続けたいものです。

7.7.2006...<手の届く範囲?>

曲の中で難点が数箇所あります。それぞれに練習の回数をこなせばできるっていうものでもないみたいです。 そこでどうするか。あれこれと策をめぐらします。本当は速いテンポで弾くところを、その部分の終わりの ほうをちょっとスピードダウンして、失速するのを防いだりします。あるいは、きれいに響かせたいところ にペダルを入れたりします。しかし私の場合は、本来のペダルの使い方ではなくて、弾けないところをカバ ーするので、音が濁って逆効果になったりします。それは聴いていれば分かるのですが、もしペダルを使用 しなければ、蚊の鳴くような音がやっとこさ鳴っている状態になってしまうのです。正攻法はもう無理。

手の届く範囲で曲が弾ければどんなにいいだろうかと思いますが、そんなことは、だぶんないですね。 出来ないから練習するのはわかっているのですが、できないことが多すぎます。でも、もうちょっと、もう ちょっとと思います。できないことばかりでも、やっぱり楽しくて飽きないのですから。ここ数ヶ月やはり 上の空だった練習が、やっと気持ちを入れてできるようになってきました。

7.14.2006...<気分転換>

ストレスが溜まると具合が悪くなります。でもストレスのない生活なんてそうそうあるわけではなし、上手く そのモヤモヤと折り合いをつけていかなくてはなりません。イライラすると身体にもよくありませんしね。 イライラの原因が分かっている場合、なるべく物理的に距離を置く、しかし大抵の場合それはできな いので、柳に風と受け流すことができるまで精神的に訓練する。と、あれこれ頭を捻ります。そんなとき、 ピアノを弾くことは、全く違うことに没頭できるので、弾いているうちに平静になっていく自分が分かります。 本当に進歩がないもんだ、と言いながらもその時間は私にとっては充実しています。

でもそのピアノで壁にぶつかったとき、みんなはどうしているのでしょう。できないことをくよくよしても 始まらないことは、分かっているつもりでも、愚痴をこぼすことが多くなります。この間テレビで西村由 紀江さんのピアノレッスンの番組を見ました。右手だけを使って弾ける曲のレッスン風景です。対象は 初心者とのことですが、とても丁寧で、それに楽しめる内容です。自分の出している音に耳を傾けてみま した。ふっと力が抜けて、ゆっくりとやればいいんだなと気持ちが楽になります。今日はそのテキストを 買ってきました。弾いてみたい曲がいっぱいです。いつもの練習の気分転換に好きな曲から弾いてみるつ もりです。

7.21.2006...<音の行方>

ぼやっと分かりかけていること。
音にはみんな一つ一つ意味がある。
一つの音から次の音へのバトンタッチにも意味がある。
意味を見出せないとき、音色はなんともつれないものになる。

今練習している曲は、決して畳み掛けるように進んでいく曲ではなくて、ゆっくりと会話を始めていく ような曲です。でも音楽の持っている推進力というのか、前へ前へ、その先へその先へと覆いかぶさる ように曲は進んでいっているようです。昨年まで練習していたバッハの曲とはまた違って、ベートーヴェン には、本当に独自のエネルギーがあるのだなと、このごろ感じます。バッハは常に、大きな懐に抱かれる ような、深い愛情に包まれるような気持ちがしたものですが、私としては、初めてじっくりとベートーヴェン を練習してみて、なんて言ったらいいのか、こんなにあっさりとしていて、 それでもってキュートな曲なのですが(最初に感じていた暢気な曲から随分と受け止め方が変わってきまし た)、とにかくエネルギーの強さを感じます。本当にすごいなと感心するばかりですが、少しでも感じた エネルギーを表すことができたらと、やはり愚痴を言うなんてもったいないことはやめて、精一杯やって みるつもりです。素直に打鍵する。これが今週の課題でした。来週はお休みです。

8.4.2006...<指揮者のつもりで>

レッスンで歌っているのは先生で、手を振り回しているのも先生。つられて私もわずかに首を左右や上下に 振ったりしているけれど、自発的に歌っていると言うのとは程遠い。部分練習は、主に指の動きの練習で これはある程度の根気が必要です。ねばって練習すれば、それなりの成果があるかもしれません。 しかし、それはあくまでも指が動くか動かないかということだけであって、それはまだほんの序の口です。 そこで右往左往している身としては、全体を見渡すことは本当に難しいことです。木ばかり見ていると森が 見えない。いろいろな例えに使われる言葉ですが、本当にそう。全体をつかめなければ、部分も弾けない はずです。音楽を感じて、心の底から歌うって難しい。どういうふうに弾きたいのか。ただ音符を叩くだけ ではなく、私は、こんなふうに弾きたいのだという気持ちを持ってと言われたりします。たぶん、そこは 教わるところではなくて、どうしても自分で感じ取っていかなければならないところなのでしょうね。 ひとりひとり違うのですから。

◎面白かった本◎
『自暴自伝』著者―村上"ポンタ"秀一 構成―真保みゆき(文春文庫)
インタビューをまとめるのって、きっとすごく難しいことだと思いますが、この本は、とにかく 面白くて、懐かしくて、楽しい。

8.18.2006...<暑さ解消法>

昔、何かの本で読んだ記憶があります。よその国(しかも初めての)を旅しているつもりで、歩きなれた町 を見てみると、随分とものを見る角度が違ってくるようです。当たり前の風景が、ちょっと新鮮に見えたり します。ごちゃごちゃとしたなにげない暮らしの断片も、いとおしいもののように見えます。 空を見上げれば、この空は遠くの町と繋がっていると、彼方の地を想ってみたりもします。日の光のさまも 記憶に留めようとしたりします。しかし確かにここは暑い国ですけれど。

前回のレッスンから、自分ではどんなふうに弾きたいのかずっと考えています。あまり重たくなく、あっさ りとしていたいと思っています。それに加えてピアノを弾いていて嬉しいなという気持ちが出せたらとも 考えたりします。上手い下手は私の場合問題外ですから、出来ることは一つ一つの音にこころを込める、愛 情を込めて弾く。でも、これも難しいです。まぁ本当にうまく形になってくれないので、あんまり暑いと 言って、だれている訳にもいきません。

8.25.2006...<準備体操>

目の前の鍵盤を弾いているときには、あまり感じないことですが、遠くの鍵盤を弾くとき、ぐっと腰を 入れて上半身をその遠くの鍵盤の前に持っていくことが出来たら、速い指の動きもちょっとは楽になる 気がします。手先だけで、無理矢理弾こうとするので、すぐに指がもつれたり、腰に負担がかかったり します。バネのある身体が、ピアノを弾く時にも必要なのですね。指先だけの動きではないということが、 だんだんに分かってきました。柔らかい身体にするには、体操が大事と分かっていても、ピアノの前にく るとすぐに忘れてしまって、いきなり弾いています。メモにでも書いて、ピアノのふたのところに置いて おこうかな。肩をぐるぐるまわしたり、腕を伸ばしたり、腰を伸ばしたりすることだって、やらないより かは効果があるかもしれません。

モーツァルトの連弾は、もう一曲練習することになりました。モーツァルトが26歳のときに作った 曲で、セレナード第12番ハ短調k.388 の第4楽章です。管楽合奏のためのセレナードです。短調で 始まって、ぐっと気持ちを惹き付けられて、どうなるのかなと思っていたら、最後には、同じメロディが 長調になって、めでたしめでたしというように明るく終わります。なんだかニヤッとしてしまう曲です。 練習も、きっと楽しいはずです。

9.1.2006...<日課として>

クレー展を観に行って、クレーってすごいなと感じたのは、その絵の楽しさや、詩のような絵のタイトル ばかりでなく、絵を描く姿勢そのものです。人生の中で、たとえどんなに困難なときにでも、その手からは 絵が生まれています。生活することと、絵を描くことが本当に同じレベルにあったようですね。なんだか、 この人はぶれない人で、何があっても心まで侵食されることは、まずなかった、そんなふうに感じます。

指の練習のツェルニーは、今日から8番。音階練習が中心です。今日は初日だからと、取り合えず音符を 見て弾いてみましたという弾き方をしていたら、音の行方をよく考えるようにと指導を受けました。 一週間では、ちょっと無理ですよ。と思ってみても、音符を漫然と見ないで、音の流れをキャッチ する癖をつける、ということなのかなと思います。

9.8.2006...<左手は手綱>

レッスンの帰りに寄った書店では、入り口の目に付くところに、早くも来年のカレンダーがあれこれと 並んでいました。まだまだ暑い日が続いているので、なんだか変な気分です。

さて、今練習しているベートーヴェンの曲は、左手は、それほど難しくはありません。正確にリズムを 刻んでいくような役割をしています。右手が歌う部分をちゃんと弾くためには、この左手のリズムを耳で きちんと捉えること。左手が大事だということ、だんだんと感覚として分かってきました。 左手をよく聴いていれば、右手の旋律は驚くほど安定します。とは言っても、なかなかコントロールして いくのは、難しいですが。でもですね。ああ、なんだか身体で分かってきたぞ、とちょっと嬉しくなって います。右手の音も左手の音も、よーく聴く。とにかく聴く。左と右がそのうちに繋がって全身で弾いて いるぞと思うことができる日も来るかもしれません。ああ、そういうことだったのかと思える時があると 本当に、嬉しくなります。弾けるようになったわけではないので、もっと練習です。来週は、レッスンは お休みです。

9.22.2006...<くよくよしない>

通りには、微かに金木犀の香りが漂うようになりました。やっと秋でしょうか。今年も酷暑で長い夏でした。 暑い時は、ただ暑いからと何もできなくても、まぁまぁ許されるところがありましたが、もうそんなことも 言っていられない季節になりました。ピアノは、あまり進歩がありません。あと、ひと月ちょっとで発表 会ですが、弾けるようになるのかどうか。弱気というわけではないのですが、こうもできないと、ちょっと 忍耐かななんて思います。しかし、ここを抜けないと次に行けないし。ああ、前にもこんなことがありまし た。ま、それなりになんとかなるでしょう。たぶん。

七つのバガテルは、1802年に発表されていますが、その年にベートーヴェンは、「ハイリゲンシュタットの 遺書」を書いているのですね。この文章を読むと、悲愴感一色というのでもなく、音楽の道をひたすらに 進むというとても強い意志も感じてしまいます。しかしその6年位前から、すでに耳の調子が不安定な状態にな ってきていたそうですから、想像を絶する苦しさだったのでしょう。それにしても小康状態の時もあったとは いえ、年々に具合が悪くなっていく中で、数多くの作品が残っていくのですから、なんという精神力の持ち 主だったのでしょうか。私の練習している曲は、とても明るい曲ですが、どんな気持ちで書いたのですかと 尋ねてみたいような気持ちがします。

この休みにベートーヴェンに関する本を数冊読んでみましたが、一番わくわくして面白かったのは、手塚治虫 さんの未完の作品、「ルードウィヒ・B」でした。しばらくぶりにまた読んでみたのですが、漫画のコマの 一つ一つから、音楽が立ち上っています。

9.29.2006...<一呼吸>

望んでいる音に近づきたいのに、実際にはなかなか頭で思うようにはいかないものですね。お風呂場で ハミングしていても、一箇所毎度毎度つっかえるところは、やはりうまく歌えなかったりして。ほとんど 息継ぎしないで、ああ苦しいーなんてやっているのですから、全く自分でも苦笑いです。普段のピアノを 弾く姿勢もだんだんと前のめりになってきていました。もっとゆったりとと注意されました。ガチガチに なって鍵盤にしがみついていても、やっぱり駄目ですよね。まぁ、気ばかり焦ってというところです。

しかし、ここらでゆっくりと深呼吸して、ちょっと仕切りなおしです。仕上がりまでは、もう少し。 たとえ、"ど"のつく素人でも、自分の出来うる限りの精一杯の力をだして、いい音楽に仕上げたいもの です。楽器を触るようになって、音楽に対する感じ方もずいぶんと変わってきました。本当に、音楽は しみじみと心を潤してくれるものですね。ま、私の場合、真似事に過ぎないのかもしれませんが、やっぱり 下手でも弾き続けたいものです。10月は、少し忙しくなりました。この頁もひと月お休みです。なるべく時 間を作って練習はしたいです。

11.3.2006...<発表会当日>

木の葉はすでに色づき、見上げれば高くて穏やかな秋の空が広がっています。やっと本番の日がやって きました。リハーサルのために会場へは2時間前に着きました。早い人がもう練習をしています。他の人の 演奏は、とても上手に聞こえます。私はちゃんと弾けるでしょうか。リラックス、リラックスと心の中で 呟いて深呼吸をしても、気付けば大きなため息をついたりして。

今年は、20代後半から30代の女性が少し増えました。子供の頃にピアノをやっていたけど、その後中断し ていた人とか、エレクトーンを弾いていてピアノも始めた人とか。中高年は男性が増えて女性の人数が 減りました。いろいろな事情があって、今年はお休み、ということみたいです。それぞれに緊張して演奏しました。私は、 今回は暴走して繰り返しの部分を余計に弾いたり、指が滑ったりしました。上がるなというのは、やっぱり 無理です。間違えても終われば、気分はすっきりしています。へとへとになるまで練習して、くたびれたり もしましたが、何よりも音楽を作り上げていく時は、楽しい時間でした。バッハが楽器の特性を越えて音楽 を作っていたことが、ベートーヴェンの曲を弾くことで初めて、なんとなく分かってきました。それにピアノ っていう楽器についても、全然まだまだ分かっていないなーとか。
長い半年もようやく終わって、次回からはまた新しい曲のレッスンが始まります。

68.ベートーヴェン 七つのバガテルより第一曲<4分38秒>(L292-316)

11.17.2006...<新しい練習曲>

レッスンの帰り道のこと。乗っているバスの前方に軍用トラックが走行していました。仮免試運転とかいう 札が下がっています。中は空っぽでした。バスでは一番前に座っていたのでよく見えました。あのトラックの 荷台に人々が詰め込まれたりする日が来るのかしらとか、嫌なことばかり想像してしまいます。それにしても カーキ色の車体は、普通の街のさまざまな色を吸い込んでしまって、普段の景色をいっぺんに塗り替えます。 威圧的で不気味です。信号で車の列が止まると、また一台同じ軍用トラックが左から右へと横切っていきま した。今日は一体何の日かしらと思います。こんな光景に出くわしたのは初めてです。いろんな事が済し崩 しに進められていきますね。世相も最悪ですし、なんとかまともな世の中にならないものでしょうか。

さて、新たに練習する曲を決めました。しばらくベートーヴェンの曲を弾いていきたいので、その中でも 一度は習いたいと思っていた「エリーゼのために」を選びました。この曲には、思い出があります。まだ ピアノを習おうなんて思うずっと前のことですが、ちょっと自分の力では、どうにもならない事ばかり続いて いた時、成るようにしか成らないなと気持が沈んでいたある日、家路に続く長い坂道をポータブルラジオ を何気なく聴きながら歩いていると、この曲が流れてきました。まぁ、あまりにも有名な曲ですが、思わず 胸が熱くなって、その場で立ち止まって聴き入ったことをよく覚えています。

しかし、練習する時には、余程の注意が必要みたいです。生半可に曲を知っているせいで、きちんと楽譜を 見ないで弾いてしまいます。今日は、拍子をちゃんと数えてと注意を受けました。この曲は、8分の3拍子 です。思い込みで適当にのばして弾いたりすると、せっかくの曲が台無しです。でもこの曲を練習できる なんて嬉しいです。指の練習もまた始まって、ツェルニーの10番です。脱力、脱力。二つを練習するだけ で余力なんてないのですが、今日は、サッチモで有名な「What a Wonderful World この素晴らしき世界」の 楽譜を探してきました。好い曲ですね。

11.24.2006...<季節は巡る>

本を読んだり、新聞を読むときに眼鏡をかけることには、もう抵抗もなくなりましたが、なんだかこの頃 ピアノの譜面台に置いた楽譜が見辛くなってきています。ピアノを弾くときには、今まで眼鏡をかけたこと がなかったので、試しにかけて弾いてみると、音符はくっきりと見えるものの、手元の鍵盤の大きさに違和 感があります。拡大レンズの役目をする楽譜サイズの薄いシートみたいなのがあればいいなー、中高年も ピアノを弾いている人が沢山居るのですから、そんなものも有るかもしれません。今までも時々は、楽譜を 拡大コピーしたりしているのですが、コピー機が傍にあるわけでもなく、わざわざ出かけていってコピーを するのは面倒です。

「エリーゼのために」は、始まったばかりなのに、もう来週仕上げとなりました。まだまだ練習するとこ ろがいっぱいあるのですが、4ヶ月後にある発表会の曲を選び、その練習を始めることになりました。 発表会は、その当日よりも長い時間をかけて集中して練習をしていく、その過程がとても面白く感じて います。ですから、発表会と聞いても、えー、イヤだなと思う気持はなくなってきました。さて、何の曲に しましょうか。ベートーヴェンの小品で、私にも弾けそうなものを探すか、それとも4ヶ月だけ気分を全く 変えて、ジャズに挑戦、でもそんなに甘くはないでしょうし、これは無理かな。しかしいつかジャズが弾け るようになりたいものです。と、まぁフワフワとあれこれ考えます。

12.1.2006...<星がでるまで>

月曜日の昼下がり、ちょっと贅沢をして、ピアノの演奏会にでかけました。演奏者は、 ジャン=マルク・ルイサダさん。テレビのスーパーレッスンでは、時々聴くこともありましたが、直に 聴くのは初めてでした。最初は、ベートーヴェンの"悲愴"、次にショパンのソナタ、チャイコフスキーや バルトークの曲など、最後はショパンの"華麗なる円舞曲"でした。アンコールは、ショパンのノクターン 20番でした。曲の最後の一音が静かに終わって、一瞬の静寂があり、その後会場は、空気がふわっと動く ようなため息に包まれました。昼間ということもあって、客席は8割ほど、大方は女性でした。私もです けど、一人で来ている人が多かったです。とにかく綺麗な音色でした。ショパンの曲もいいですね。頭の 中でいつまでも鳴り止まないので、今日はノクターン集の楽譜を買ってしまいました。

さて、こちらは現実的なレッスン。一週間で仕上げはやはり無理がありました。エリーゼと語りかける、 まぁテレーゼなのかもしれませんが、もうイヤと言うほどでてくるこのフレーズが上手く弾けません。 それに左手の連打のところ、辛うじてもなにも、あまりにも弾けないので、昨日あたりは、半分投げ出して いました。その分、ツェルニーの10番を目いっぱい練習していくと、こちらは上りとなりました。上りに なるのは嬉しいのですが、すぐに11番の練習をしなければなりません。しまった!なんてバカなことを 思ったりしました。結局、エリーゼはもう一週間の練習をすることに。でも そのほうがいいのです。自分の中で消化するには、それなりの時間が必要ですから。何かが見えてくるの だって、時がかかります。早回しなんかできない世界です。

12.8.2006...<いつかまた>

聞くのと弾くのとは、やはり大違いです。"エリーゼのために"は、私には難しい曲でした。どうも何回も 何回も同じフレーズが繰り返されるのが、上手くできません。途中でなんだかしつこいななどと思ってし まったりして、この人、念押しタイプかしら・・・などと余計なことも感じて、だんだんと音楽から距離が できてしまいました。思うように指が動かないところや、歌えないところもあって、ちゃんと練習して自 分のものにしたいなと思いながらも、もう、これは諦めよう、という気持もでてきました。自分で弾き 進めていくということができずに、ついにはポカンと眺めているだけでした。バガテル33の1番の練習の 時も、ずいぶんと感じたことですが、音楽の引き出しが圧倒的に少なすぎるのです。しかし、こればかりは 誰かに頼るわけにはいきません。頼りは自分です。頼りがいもなくて、まぁ情けない存在ですが、仕方あり ません。

次の発表会の曲を決めました。ベートーヴェンの作品51の1、"ロンド"です。これは、ちょっと私には長い曲です。3ヶ月で、 どこまで自分なりに弾くことができるようになるでしょうか。前回のバガテルは、うまく曲の感じがつかめ なくて、正直ちょっと苦しい時期がありました。でも、あの曲は、本当にいろいろなことを教えてくれ ました。きっと今度の曲も練習していく過程で、さまざまなことを感じていくのだと思います。 ありったけのエネルギーを出して、じっくりと取り組みます。

12.22.2006...<日々の支え>

今日で今年のレッスンもおしまい。指の練習のツェルニーにしても、曲の練習にしても、毎日毎日繰りかえし 弾きつづけなければ、少しも進まない。ときには、時間がなくてお愛想のように鍵盤に向かうこともある。 それでも、鍵盤に触れているときは、実に楽しい。上手く弾けたらいいなーなんて思っても、現実は、いつ も、ああ、なんて下手っぴなんだろうと実感する。でも、いいじゃないですか。これから先もながーく付合 っていきたいものができたのですから。音楽は、面白い。ピアノと出会って、気がつけば8年。知らないこ とばかりだけれど、胸の中に広がる世界は、僅かに膨らんでいっている。これからは、和声のことなどを 知っていきたい。夢はどんどん膨らますものだ、なんて思ってしまう。さて、来年はどんな年になること でしょう。