ピアノの周辺―はじめてのレッスン41-50    

ピアノの周辺

【はじめてのレッスン】
41〜50回(00/04/24-00/07/10)

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4月24日--歌うワルツ

レッスン41回目。指の練習は手首のスナップのきかせ方。1と2の指でドとミを を打鍵し音をつなげて5の指で1オクターブ離れたドをスタッカートで打鍵する。 練習では レとファ、ミとソと上がってまた下がってくるのだけど、1と2の指の3 度にアクセントをつけ、ここで手首のスナップをきかせて打鍵。 5の指のスタッ カートは音を抜くだけ。指の練習ではいつも感じることだけど、簡単そうなのだ けど、中々思い通りにはできないこと。隣で先生の指は鍵盤の上を舞うがごと く動いているのに、私は何故か、気がつくと自分の頭を大きく回したりしている のだから、やんなっちゃうね。

さて、今回から発表会に向けての練習が 始まっ た。私が練習していくのは前回書いた通り。サティ(1866−1925)というと、何と いっても “ジムノペディ”が有名。一度聴いたら 忘れられない曲ですから。でも この人、沢山いろいろな曲を作っていますね。その曲名も大分変わっていたり して、まぁ、あまり趣味ではありませんけど。この“ジュ・トゥ・ヴー”は、割と耳に 馴染んでいる曲。今、TVでカーテンのCMか何かで 使われているらしい。ちょ うど100年前の1900年に作られた作品。サティが34、5歳の頃、歌うワルツと して作曲されたもの。だからかな、練習する時は 声を出して歌いながら練習す るようにということだった。

サティは 長いことキャバレーのピアノ弾きをしていた ようだ。キャバレーといっても、芸術酒場や文芸キャバレーといったもの。同時 代のパリには、モジリアニ、ピカソ、ロートレック、そしてマリー・ローランサン等 がいる。ああ、この曲がちゃんと弾けるようになって、3ヶ月後には、美味しくお 酒が飲みたいな。それにしても、この曲、とにかくオクターブ指をひろげる部分 がかなり有って、当分は、呪文を唱えないと。そう、「 ヒラケ!ユビ 」 なのです。


5月1日--グールド・ファンタジー

グレン・グールドのシルヴァー・ジュビリー・アルバム(レコード契約25周年を記念して 作られたもの。2枚組みは98年の発売)。その2枚目はグールドの制作によるインタビュー 番組。最近ようやくその 2 枚目を聞きはじめた。このCDを買ってきた去年の夏頃 はこの作品の持つ意味が全く分からず、まして英語の問答を聞いたところで内容も 私には理解できないし、何にも伝わってこないのではと、諦めに似た気持ちで長いこと 碌に聞かずにいた。

しかし、違った。これはかなり面白い。音楽と同じように ただ、聞いているだけでも十分に楽しめる。楽譜が読めないからといって、音楽を聴くことを諦める人はいない ように。ここでは、グールドがいろんな人になりきって演じていることも十分に 興味をそそるものであるけれど、非常に念入りに制作されているところが面白い。 話者があるところでは、身体を揺らしながら話しているとか、多声的に録音されているところとか、とにかく細かい。

詳細な訳も付いているので言語の意味はそれなりに理解できる。(でもかなりその 実際の内容は難しいと思うけど。)最後まで聞きとおすと、何故か実にふつふつと楽しく なってくる。深夜の私設スタジオでグールドは、嬉々としてテープを切ったり、繋げたりの作業に 没頭し、出来上がった作品を聞きながら編集したテープを前にして、 きっと両手を振りまわしながら指揮していたにちがいない、なんて想像してしまう。 こんなことをおお真面目にやっているグールドは本当に魅力的だ。人それぞれだろうけど 私はこういう人物が大好きだ。この作品ではラジオ・ドキュメンタリー「北の理念」や「遅れてきた者たち」のほんの一部を聞くことが できる。次に聞いてみたいのは,グールドの朗読する「草枕」。機会があるといいのだけど。


5月8日--あるだけの指で

レッスン42回目。爽やかな風が吹いている。近頃の乾いた空気のせいか、ピアノの音色が 透きとおって聞えるようになってきた。特に高音の響きが違うなと感じる。指の練習は前回のとちょうど逆。前回は 右手の練習だったけど、今回は左手。去年の発表会の前は、時間もなくて指の練習は教室ではカット。発表会が 済んでから、今のバーナムを始めたのだ。でも今年は平行して指の練習もしていくことになった。私はこの指の 練習が楽しくて好きだ。15分もあれば毎日最初から習ったところまで、2回は弾くことができるし、いろい ろ変化があって、面白いから。

練習曲の“ジュ・トゥ・ヴー”は、最初から躓いている。ワルツのリズムで ズンチャッチャ、ズンチャッチャといくのだけど、この軽いチャッチャが曲者。軽く弾けばいいのだと 思って3と5の指で曖昧に打鍵すると3の指が残ってしまって、変な音が聞えてくる。きちっと底まで打鍵しないと やっぱりまずいみたい。でも強くなっても、もちろん台無しだし、弱く弾くのでもない。音質を変えて弾きます ということなのだけど、そこのところが難しい。後は、音符と指の関係で、高音部だったら、ついつい 右手で全部カバーしたくなるけど、どうしても無理な音符が並んでいる。そこで空いている左の指を 動員してなんとか弾かなければならない。でも、オクターブ離れた音がでてくると、この人、何考えてんのかしら と恨めしくなる。

そこで、サティの手の大きさが分かるかもしれないと、ちょうど今、新宿の伊勢丹でサティ展が 開かれているので、連休中に行ってみた。手の大きさは分からなかったけど、自筆の楽譜があったりして 面白い。それに決まった時間に行けば、ピアノ演奏を聴くことができる。しかし、30分弱の演奏を立って聴く のはちょっとくたびれた。展示室の部屋の四隅の一角を塞ぐ形でアップライトピアノが置かれ、みんなは ピアニストの背中を見ながら演奏を聴く。なんだかちょっと配置に問題有り、という感じがしたけど、 ピアニストの手の動きはよく見ることができた。しかし、あれくらいの短い演奏会?でも、ピアニストの紹介 で××音大を卒業されてというのは欠かせないみたい。曲の説明でもしてもらった方がずっといいのに。


5月15日--ものには順序が

レッスン43回目。指の練習は装飾音。ソラシド、ラシドレ、シドレミ・・・ 前 3つが装飾音、最後のド、レ、ミ・・・が4分音符のスタッカート。左右の手が同時に 進行していく。指は飽くまで柔らかく動くけど、指先に少し力を入れる。その際、手首は決して 力を入れない。と言ったって、そう簡単にできる訳がない。なんだかあまり意識せずにやった 方が楽にできるような気がする。私の場合、何故か左手の方が動きがスムーズだ。もしかしたら 右手は1の指、左手は4の指から始める、このことと関係があるのかもしれないけれど。

そして、練習曲。今日は(も)メチャクチャ。問題点は2つ。1つは、付点のリズム。例えば ソーミと弾くところ。ソは4分音符と付点8分がタイで繋がっていて、ミは16分音符。このミ が間延びしてしまう。あと1つは、メロディーラインを際立たせるということ。指使いで今のところ 精一杯で、まだまだ曲の形になっていない。リズムの方はメトロノームを使って練習をする。 教室で繰り返しやってみたので、ちょっとだけ分かった感じ。でもちょっと心もとない。忘れないうちに もう一度、これを書き終えたら、おさらいをしておこう。2番目については、楽譜の見たままを弾いてしまうから 陰影なんて、まぁ零に等しい。ああ、うるさいということになっている。CDを聞いて 楽譜を見ていると、全く耳に入ってこないかのような音符がいっぱいある。

でも、ものには順序があって、這えば立て、立てば歩めの・・・この場合何心かな。そして、とにかく 悩んで成長するのだ。うまくいけばね。先週は仕事で少し落ち込むことがあった。偶には、こんなこともある。 と思ってみても自分の不甲斐なさを痛切に感じることだった。こんな時、ピアノを弾いて忘れてしまおうなんて ことが出来ない。弾きたくない訳じゃない。練習はしたい、でも気分が乗らない。仕方がないので、なるべく 丁寧に丁寧に指を動かすようにして練習をした。日曜日に、ぽっかり浮かんだ雲を長い時間見ていたら、漸く気持ちが 落ち着いてきた。ほんの僅かずつだけど、ゆっくりゆっくりと流れていたから。


5月22日--どーんと構えて

レッスン44回目。そろそろ厚手のタオル地のハンカチが必要になってきた。 指の練習の短い打鍵をしているだけで、汗がポタポタ落ちてしまう。隣りで先生は、“あらあら” なんて言いながら、楽譜か何かで盛んに風を送ってくれる。心では、お世話になります。と思っているのだけど、 お礼を言うヒマもない。 そんなに大変なことをやっている訳では、ちっともないのだけど。なんだか、 もう、必死。その指の練習は♯が2つのレミファソ、 ラシドレ、ドレドシ、ラソファミ。これを3回繰り返して、最後はレミファソ、ラソファミ、レミファミ、レー で、おしまい。たったこれだけ。だけど両手でやると左手の小指と薬指が、独立して 動いていないことがよくわかる。では、リズムを変えて弾きましょう、ということで、 レーミファーソラーシドーレドーレドーシラーソファーミ。おやおや、肩の力が抜けていくぞ。時々はこうして、リズムを 変えてスキップして練習して下さい。 とのことだった。うん、これは楽しい。

さて、練習曲の方は、先週つまづいた付点のリズムは、 メトロノームを使って繰り返し練習したので、ちょっとだけ、ましになってきた。それに 付点音符の次の16分音符を、次の音につなげるつもりで弾くと、ずいぶんと楽になるということも 発見。(今ごろ何言ってんの、なんて思われるかもしれませんね。)どうも 弾きにくい小節が出てくると、そこで一息ついてしまうことがあるけど、考えてみたら、もっと 大きな単位で見ていかないと、リズムはうまくとれないのですね。メロディーラインについては、まだまだ。 響かせない音は、そっと弾いているつもりなのに、やたらと顔を覗かせて、何これ、という 状態だ。指先の力の配分が、なかなかできない。けれど、これで一応曲の最後まで、音符を追ってきたわけ。

さて、これからが、いよいよ練習の始まりかな。指が思うように動いてくれないところも、 多々ありますが、それはある程度、時間が解決してくれるはず。問題は、どういうふうに 曲として仕上げていくかだ。ピアノと私が一体になって、一つの楽器となれるだろうか。 思うように表現できるとこまで、たどり着けるだろうか?不安はいっぱい。しかし、ピアノを始めて一年ちょい、 あたふたしたって始まらない。 ここは、どーんと構えて、弾いて弾いて弾きまくってみればいいのだ。(本当に、こんなことでいいのかしら?)


5月29日--ちょっと息抜き

今日は、教室の都合でレッスンは休み。発表会までは、あと2ヶ月。まだ、つっかえつっかえの 状態で、なんとかしたいと思って、練習は一応しているのですけど、そう簡単に、なんとかなってくれないですね。 さて、先日の土曜日に品川教会に、グレゴリオ聖歌の合唱を聴きにいってきました。グレゴリオ聖歌って、 聴くのは始めてです。でも初対面という気のしない、どこか懐かしさを感じさせる歌でした。“ドイツ語で 歌うのですか?”、“いえ、ラテン語です。”というあっさりした返事をくれたのは、私の友人で、去年の暮れから 合唱団に入って練習をしていたのです。彼女は緊張のためか、最初こそ硬い表情でしたけど、次にはもうリラックス した穏やかな顔付きになっていて、こちらも安心。ゆっくりと聴くことができました。彼女は私がピアノを 始めたことを驚いていますけど、私も彼女がそういう趣味を温めていたことを知って、驚いています。二人とも夢を追う 中年に達したのかもしれません。

この頃はバッハのヴァイオリン・ソナタを聴いています。いいですね、これ。ピアノはもちろんグールド。 こうグールドばかりでてくると、 グールドしか知らないんじゃないの、と思う人もいるかもしれません。ただ、他のピアニストの演奏を聴いて、 すごいなとか、綺麗だなとか、素晴らしいとか感じても、心から惹かれることは、今のところありません。 一生の内で、本当に好きなピアニストは一人か二人居れば、もうそれで十分、なんて思うのです。 まだ、二人目の登場はありませんけど。そのヴァイオリン・ソナタでは、第2番と第6番が気に入っています。 普段あまりCDの解説は、熱心に読んだりはしませんが、面白い解説がありました。 ヴァイオリニストの鶴我裕子さんという方が、CDをかけて実際に一緒に弾いてみるということを されてから書かれたもので、その中では、上等のマイナス・ワンとして使えるなんてこともでてきますが、 とにかくリズミカルな 文章で、読んでいて堅苦しくなくて楽しいのです。 河出書房新社発行、KAWADE夢ムック、『グレン・グールド』4月発売。


6月5日--前途多難

レッスン45回目。指の練習はアルペジオ。♯がふたつで、拍子は四分の四。左手でレファラ、 右手でレファラ、また左手で更に高いレファラ、そして次の高いレを右手3の指で。次はレシソ、 レシソ、レシソ、レーと下がってきて、ラドミで同じように上がって、ラファレで同じように下がってくる。 左右の手が交互して上行したり下行したり、ペダルもつけるので、伸びやかで音がきれいで気持ちがいい。 でも、もうちょっと速く手は動かしましょう、とのことだった。ついつい音を聞いてしまって、というか 確認してしまって、手の動きがイマイチのんびりしている。まぁ、これも練習練習。

さて、練習曲の方はというと、これがなかなか。やっと譜を覚えて、どうにかこうにか指も 動くようになってきたのだけど、流れるようにというのには、ほど遠い。そして、なんとペダルも そろそろ使いましょう、なんてことになってしまって、せっかく覚えた手の方が無残にも止まってしまう。 ペダルは、まず右手だけで弾いて合わせていくといいらしい。この曲は、私にとっては、いくら 繰り返しが多いといっても、始めての長めの曲で、こんなに頭と手と足がバラバラで、この先 うまくいくのだろうかと唸ってしまう。このシャンソンは男性の歌でもあり、女性の歌でも あるらしいのだけど、私の持っている楽譜には、女性として訳した歌詞が、ちょっと紹介されている。 “私の心はあんたのもの”なんてフレーズもあるけど、こんなこと言われたら、男性としては 迷惑じゃないの、なんて余計なことを考えてしまう。当分はそれどころじゃないのだから、ドレミで 歌っておくことにしよう。でも、ドレミでも歌った方が、やはり、いいみたい。


6月12日--先生の耳が光る

レッスン46回目。今日は梅雨寒でかなり気温が低い。でも教室には意識して薄着ででかけた。 全くよく汗をかくから。レッスンを終えて風に当たると心地がいい。スポーツをした後の気持ち良さだ。 といっても、スポーツは、たまに水泳に行 く く らいだけど。でも、やっぱりちょっと違うな、こっちは緊張からでる汗だものね。 今日のレッスンから発表会までは、やはり指の練習は一時中断することになった。だんだん気合が入ってきたのだ。

その練習曲、うーん、悩みの種はペダルだ。キーボードだけの電子ピアノには、ペダルが無いのですってね。言われてみればそうだけど、 思いもしなかった。そんなの有りなの、なんて人知れず怨んだりして。まぁ、それはともかく。このペダル、本当に 難しい。手と足が同時に動いてしまうのは、もう、いい加減に止めないと。耳で音を聞いて、さぁ、ここだ、 と思ったところで踏んではいるつもりなのだけど、(私の持っている楽譜には、まったくペダルの指示がない) とんでもないところで、ボヮーンと大きな反響音がでるかと思えば、ズタズタになったメロディーラインが、 装飾もされずに、恥ずかしげにポロンなんて、鳴っていたりする。でも、私の耳はスゴイのだ、それらを全部、 まともな演奏に修正して聞いてしまうのだから。

・・・ あのー、これでも、弾いて、踏んで、歌っているつもりなんですけど・・・私が、もがきながら弾いていると、 先生の耳が隣りで時々光る。ちょっと おかしな言い方だけど、全くそんな感じなのだ。鋭い視線やら、熱い視線とかあるでしょ。目ではなくて耳なのです よ、ここでは。で、その集中力が、こちらにまで伝わってくるから怖い。自分のピアノを客観的に聞くこと。これが 今週からの課題になりました。ああ、避けて通ることは、できないんですね。でも、弾きっぱなしというのも 無責任といえば無責任ですから。明日から録音して聞いてみなくちゃ。本当に嫌ですね、責任をとるのって。

背伸びして、まだ弾けそうにない楽譜を買ってきた。今、持っているのは、私でも弾けそうだという簡単そうなものばかり。 去年の1月、まだ、ピアノが家に来て間もない頃、ただ好きだというだけで、ブラジルのナザレの”7月9日”が 入っている楽譜を買ったことがある。それ以来、遊びで買ってみるようなことはなかった。今日、買ったのは リヒャルト・シュトラウスのソナタ、作品5、それに5つの小品、作品3が入っているもの。16,7歳頃の 作品らしいけど、命の輝きを感じさせるとても奇麗なもので、堪らなく好きな曲です。 こういう曲が弾けるようになりたいものです。


6月19日--しなやかに演奏するには

レッスン47回目。午後から気温がぐんぐん上がって、道行く人の顔も今日は茹だっているようだった。 暑いのは適わない。教室には、大抵5分程前には着いて椅子の高さを調節したり、家でしてきた練習をさらったり する。隣りの部屋からは、私の前の人のジャズのレッスンが聞えてくる。だいぶ上手な人のようだ。 音に斑がなくて淀みがない。あんなふうに弾けたらいいな。

この一週間、自分のピアノを何回も聞いて、 あれこれ、どこを直せば音楽らしくなるのかいろいろと考えてみた。でも、そう簡単には音楽にはなってくれない。 一回目に聞いた時は、もうあまりの酷さに我ながら呆れてしまった。やたらと力んでいて、太鼓を打っている ようだった。そんなことを先生に報告していたら、それでもそうやって自分のを聞いていくことが、いい 演奏につながっていくのですよ、と言われる。

それにまた、こんな事も感じた。指の動きの未熟なところを 差し引いても、どうも中身のない演奏で、上滑りで気持ちが込められていないのだ。ピアニストと呼ばれる人の 音楽を聴いていると(別にプロの人と限ることはないけど)、指先にまるでその人の精神が宿るかのように、 ひとつひとつの音が何かを語っている気がする。だから、胸が熱くなって、じーんとしたり、心が洗われた ような気持ちになれるのだ。私の今の状態は音符をやっと拾っていますという域をでていない。全く音楽になっていない。 言葉でいえば直訳状態で、こなれた翻訳がされていない状態だ。でも、翻訳は翻訳という名の創作だから、 言葉を使いこなす力がないと、ギクシャクしたものになってしまうし、当然人には伝わらない。 うーん、難しいものですね。しかし、有りのままを見つめて、自分を鍛えていくしかないですね。 今日のレッスンでは、曲全体のスピード感について注意を受ける。あまりモタモタ弾いていると、何が 何だか分からなくなってしまうので、でも、速く弾くということでもないのだけど。まぁ、気持ちを 込めるなんて、まだまだ難しいけど、せめてしなやかに、のんびりとした雰囲気をだしたい。


6月26日--きっと見つかる

レッスン48回目。この結果で続投ですか、なんてこった。あの顔だけは、もう見たくなかったんだけどな。 選挙に行く楽しみって、この頃本当になくなりました。正直言うと、仕方なく行って、この人にも入れたくない あの人にも入れたくない、その度合いの一番薄い人に、貴重な一票を入れてくるのです。是非入ってもらいたい という候補者は、このところ居なくなりました。それでも、投票だけは、欠かさず行きますけどね。

話しがそれました。 今日のレッスンでは、まず頭から終わりまで一通り弾いてみて、それから部分部分を直してもらった。 曲のふくらみをつけること。ここだという所で少しためて弾いてみる。もともとゆっくりした曲だから これは、練習すればできるような気がする。全体に揺れをだすこと。これはメリハリということなのかな、 思うようにはすぐにはいかない。あと曲の真ん中辺りで、調も変わってリズムも変わるところがあるのだけど、 和音で付点のついたリズム、ここをスコーンと硬い音で弾いてみたいのだけど、どうやっても ドドーンとした重いものになってしまう。指先に力がないせいなのかな。どうもドッコイショと いった感じで垢抜けない。

しかし、やっと最近、最後まで弾いても疲れなくなってきた。やっぱり無駄な 力が身体中に入っていたんですね。全体で5分程の曲だけど、まだ6分はかかる。 6分というのは、やはり長い、まだヘタクソなものだから、自分で 聞いていても飽きてくる、ということは、他人様は耐えられないということですね。あと発表会まで 残るは一月、練習しよう。目指す音を出したいと思って練習すれば、きっと弾ける。例えすぐにはできなくても、探し続ければ 何時かは見つかる。今年も珍現象が現れた。スクリーン・セーバーを考え事をしていたもので、ちょっと 長いこと見ていて、それから何気なくピアノを弾いたら、白鍵という白鍵が、全部赤枠つきの妙なものに見えてしまった。 この美しさ、堪りませんよ。マサカ!


7月3日--まるで逃げ水のよう

レッスン49回目。今日も通して弾いてみて、所々の注意を受ける。フレーズとフレーズの間は、 ちゃんと指を鍵盤からあげること。フレーズの最後の音は柔らかい音でしめること。そして気持ちも身体も リラックスして弾くこと。これらは、今までの練習曲の中でも、繰り返し繰り返し言われてきたことだ。それなのに 又、注意されている。わかっちゃいないんですね。覚えが悪いというか何というか。

さらに曲の中で弾きにくいところがあって、そこまでくると身構えてしまって、指も硬くなり、 ともすればガタガタになってしまうところ がある。繰り返しが多い曲で、この部分が4回もでてくる。最初に曲選びをした時、私には少々長い曲だけど、繰り返しが多い から、これにしよう、なんて安易なところで飛びついたのが今ごろになって仇になっています。

それで、私にとってのその難所、右手は1と5の指でオクターブのラシド、レミファ、ソミド、 ラドミ、ソーファミレードというメロディー、 それに対し左手は、例えば右手がラシドの部分だと、こちらも1と5の指で低いソのオクターブ、次ぎはそこから ジャンプして、1と3の指でファとラ、次ぎに2と4の指でミとソ、そして全体では、このベースラインは下行 し、メロディーラインは上行していく。左手を速く動かさないと、右手のメロディと合わなくなるので、ここでいつも 焦ってしまう。

昨日はできたのに、今日はできない、というように、まだまだ安定していない。もう、指を 動かし始めてから、ふた月も過ぎているのに、まだまだ駄目だ。指の動きは、いずれできるようになる。時間が解決して くれる筈、なんて甘かった。暢気すぎた。ここは、ちょっと気を入れて特訓しないと、先々後悔することになる。 なにしろ、もうあまり時間は無いのだから。しかし、練習していくと、時間の経過につれて、見えてなかった ものが、形を現わしてくるというのか、だんだんと見えてきて、面白いものですね。それにしても、 ここに来てもまだ、闇雲に走っているだけで、目的地に向かってというよりは、逃げ水を 追いかけている状態。”きっと見つかる”なんて暢気なことを言っていたのは何処の誰だ。


7月10日--小さな反乱

レッスン50回目。中年になると、指から太るんだなーと最初はボンヤリ思っていた。 でも手首や腕が痛みだしてから、腫れていることにやっと気付く。特訓だなんて少し無理をすると コレだ。今まで、毎日練習 していて、肩がバリバリなんてことは、よくあったけど、ここまで痛みが 出たのは、この1年で初めてのこと。痛みが和らぐまで3日間はピアノには触らなかった。今までだって 何かと立て込んで、弾けないことも 間々あったけど、それは用事があるからで、ピアノを前にして 弾かないということはなかった。4日目もその翌日も、練習は30分程で止めにした。だからこの一週間は 碌に練習をしていない。けれども、痛みがでる前は、曲に対しても、気持ちがグチャグチャして、訳が 分からなくなっていたこともあって、なんだか思い切って休んだお陰でスッキリした。

闇雲に走っていては駄目だということにも、遅れ馳せながら気付いたし、スーッと心持ちが軽くなっている。そして いつもの様に今日、教室に行ってきたけど、練習していないのだから、きちんと弾けてはいないし、 ガタガタになってしまう部分は、相変わらずそのままだけど、不思議なことに、柔らかく弾けるところも でてきた気がする。何より弾いていることが、嬉 しくて しかたがないのだ。自分でも気持ちが弾んでいるな と思う。練習のやり方は、これからは、よーく考えないと。肉体的な休みは大事だ。楽譜の中にも休符は いっぱいあるしね。私のような段階では、ストイックに練習しても、袋小路に入るのが関の山かも しれない。大げさに思われるかも しれないけど、我が指の小さな反乱のお陰で、今週、考えることは多かった。

今日のレッスンは、グランドピアノで弾いてみた。始めはスカッなんて、調子が狂ってしまったけど 、最後の方では少し慣れて、音の広がりがやっぱり違うなーと感じて、これも気持ちを楽 しくさせた 要因かもしれない。今日は左手のパートについて。メロディーを際立たせたくて、意識して左手で弾く音を 抑え気味にしていたら、やり過ぎだと注意される。抑えるのではなくて、しっかり押さえる。フムフム。 私の頭の中では、各パートのコントロールが、まだ分かっていないのだ。まぁ、追い追い、分かっていけばいい。 ちょっとだけ、距離感をもったせいか、今練習している曲、”ジュ・トゥ・ヴー”に愛情が湧いてきた。