レッスン81回目。ハノンの2番を付点のリズムで。このハノン、去年は自己流で
練習していたけど、先生にみてもらうと思うと、やっぱりそれなりにリキは入るもの。《 指よ、
しなやかに、強くなれ 》 と願いをかけて、時間の有る日は、22の変奏をする。しかし、時間の
無い日はできない。でも、どうも指の練習をせずに、曲の練習を始めると、何か変。エンジンが
かかるまでに、かなり時間を食ってしまう。だから、仕方ないから、結局は指の練習に戻る。こう
やって行きつ戻りつ。早く効率の好い練習方法を見付けだしたいけど、そんなの無理かもね。
練習曲の“ちょっとした冗談”。今週の目標は、何ていったって一にも二にも、スピードアップ。もう鍵盤を
これでもかと叩きに叩いた。指先がジンジンしてしまった。しかし、結構、面白いじゃないなんて、途中からスピードに乗ってきた。
その勢いでもって、教室でも弾いて、「よく、やった。」 なんて、くすぐったいお言葉をいただいて、
めでたくおしまい。フー、疲れた。でも、これは意表を突いた曲で音の並びがとても楽しかった。次回のスプラッシュは
“寂しい隠れ家”、ちょっとジャズっぽい曲。しかし、この曲名は何かしら。
「18」の“ゴンドラの船頭歌”、こちらの方は、トリルが問題。トリル、トリル、トリルが
できない。曲の流れに嵌め込めない。13番の“大雷雨”とセットで弾くから、もう少しの練習が
できるけど、どうしたらいいのかなー。その“大雷雨”、怪しい雲行きになって、稲妻が走って、
雷が鳴って、雨が降り出して、そして、やがて雷が遠くに去って、雨も上がって、爽やかな空気が
流れ込むといったような、分りやすいというか、形にしやすい曲。でも、ちょっと手元は忙しい。
どこかで、一息つきたいと思っているせいか、譜面を見誤った。イヤ、間違ったとも云えない。
音は正しく拾っているから。希望的錯覚とでも云った方が正しい。小節の途中で登場するヘ音
記号を、新顔の休符と見たのだから、ああ、なんたるコト。疲れてんのかしら。
4月9日--シンコペーション
レッスン82回目。困るんですよね。夜中の暴走族。日付が変わって、さぁ、もう寝なきゃと
灯りを消すと、ああ、また今晩も、バリバリという音が聞えてくる。うちの近所には、総合病院も有ると
いうのに、街中なんか走り回っていないで、人里離れた山の中ででも乗り回していればいいのに。それに
なんで、徒党を組みたがるのかしら。律義に集合しているみたいだし。できるものなら、束にして蹴飛ばしてやりたい。今日のレッスンは、
そんなことに影響されて集中力に欠けてしまった。終わりの10分前くらいから、プツンと指が動かない。これじゃいけない。
何か対策を考えなくちゃ。ドリンク剤かな。ああ、我ながら軟弱な発想だな。
さて、例によって、指の練習。ハノンの 3 番を普通に。指は大分安定してきたような気がする。ピアノの箱の
中のいろいろな物を動かしている、動かしていると意識しながら、キーを叩いていく。次ぎは、 「スプラッシュ」 の
“寂しい隠れ家”。これはジャズっぽい曲だけど、考えてみるとジャズっぽいって、何かしらなんて
思ってしまう。ブルグミュラーの 「18」 と一緒に練習していると、弾き方もやはりちょっと違う。まだ、
うまく言葉にできないけれど、表現方法が違うんだなーと感じる。この曲で見るとシンコペーションの
音の取り方。1 と 2 と 3 と、、、と拍を数えるのにばかり夢中になっていたけど、音の強弱も考えないと。
mf や mp と楽譜には指示があるけれど、これは、その部分の傾向としてはこうしましょう、という様なもので、
一つ一つの音にも注意しないといけないみたい。すごく意識しないと音楽にならない。だからかな、ちょっと面白い。
最後は、「18」 の13番“大雷雨”。今日は指が動かない。睡眠不足も祟っているけど、
練習が足りないのだと思う。もう一つ、教室で弾かなかったけど、上手くできないトリル。片手でトリル
そのものができるのなら、左手の伴奏にかぶせていけるはず、なのですって。片手ではできる。希望あり。
4月16日--ピアニッシモ
レッスン83回目。「 いいかい、忘れるんじゃないよ。音楽に自分がひっぱられてはいけない。自分が
音楽をひっぱっていくんだ。」 これは、キース・ジャレットが音楽活動を始めたほんの初期の頃、まだ場末で演奏
していた時に、そこに出入りしていたミュージシャンから言われた言葉なのだそうだ。――音楽をひっぱっていく。
難しいな。何時、どの時点で音楽をひっぱっていくことが、できるようになるのだろう。例えば、練習曲。
まずは、音符を拾って、指がこなれる様になるまで弾いていく。そうこうしているうちに、次第に音楽の
輪郭が見えてくる。音楽と真っ向から向き合っているうちは、まだ駄目で、気持ちがスーと入って行った時、
その時、少しは自分なりの音楽ができるのだろうか。まだまだ、私には分らないな。
さて、その練習曲。“寂しい隠れ家”、今回はペダルの離し方が問題だった。最近、ペダルを踏むことにも
慣れてきて、以前のように手と足がバラバラなんてことは、なくなったけど、棒線山切りカット( 本当はなんて云うのだろう )のペダル
記号の場合の離し方を理解していなかった。今回の場合、明らかにヒントは有ったのに、分っていなかった。ヒントというのは、ペダルを
カットするところの音符はスタッカートだったのだから。ああ、なんてこうオツムが固いのだろう。ボワンボワン
と間抜けな音がしていたものね。そこの部分を修正して、今回でおしまい。しかし、“隠れ家”って、本来、楽しいものじゃない、
なんて思って弾いているから、いつまでたっても寂しい雰囲気がでなかった。まぁ、いいか。
「18」の“大雷雨”、こちらは曲の始まりのピアニッシモが問題。<とても弱く>を意識しすぎて、鍵盤の底まで押さえることを
せず、曖昧に叩いていたら、フガフガした音になってしまっていた。どうも、音の強弱の幅が少ない。だから、
雑で表情に乏しい悲しい音色しかだせない。音楽の聴き方も足りないのかもしれないな。あー、課題はいっぱい。
発表会の練習をそろそろ始めないといけないから、来週は仕上げですヨ、なんて、あと一週間で、もう一曲の
トリルも含めてできるようになるかなー。
*『 キース・ジャレット 人と音楽 』 イアン・カー 著、蓑田洋子訳 音楽之友社 1992年出版
4月23日--前へ前へ
レッスン84回目。ほぼ2ヶ月かかって練習していた曲が、今日、終了した。“ゴンドラの船頭歌”は、
2ヶ月。“大雷雨”は、まるまるひと月。この2曲を合わせて、一つのものとして仕上げて、通して弾いて
終了となった。練習中、一個所を克服すると、ちゃんと次ぎには、待ってましたと、目立たなかった新しい難所が登場する。
例えは悪いけど、モグラ叩きのように、欠点を修正していっても、今度は全体のバランスがお話にならなかったり、
一体全体、弾いているのは何ですか、なんて自問してしまう有り様だし、本当に曲にするのって難しい。
でも、今週は、練習中に、そんなモヤモヤから、あっ、抜けた、と感じることができた。もちろん、
まだまだ、客観的に聴いてみて、下手だなーと感じるけれど、私なりの曲が( 雑で幼稚なのですけど )できあ
がった。
“ゴンドラ”のトリルは、大分ましになった。完全ではないけれど。気が付くと、耳で両手で弾くそれぞれの
音を確実に捉えている。以前は、トリルの部分に来たら、無意識の内に耳を塞いでいたような気がする。けれども今は、
はっきりと聴いて認識することが恐くなくなった。“大雷雨”で、難しいと感じたのは、前回も気になった
弱い音の響きを、どう演奏するのかということ。大きな音は出せる。だけど、繊細な音が出せない。それに、やけに
のんびりしている。要求されている速度が出せない。課題は山ほどある。今日で一応終わったけど、本当に
切りがないものだなと思う。でも、今はホッとしている。ここまでの範囲、できる限りを尽くしたのだから。
このふた月、時を同じくして、個人的には解決の付かない問題を考えることが多かった。でも、ピアノを始めた
お陰で、私の中では、ピアノを弾くことが、いつのまにか心の拠り所になっている。帰り路、冷たい風が頬を撫でていく。
一歩一歩だけど、前へ前へ進んでいきたい。
♪ 発表会で演奏する曲を決めました。去年の秋ごろ、初めて聴いて一辺で好きになってしまったもの。先生に、この間、
楽譜を見てもらいました。いくら好きでも、まだ力がなければ無理なことだし、「 まだ、ちょっとね 」 と、もし判断されたら
、その時はあっさり諦めて、選んでいただいた曲にしようと思っていましたけど、ゴーサインがでました。
これ、とってもステキで可愛い曲なんです。グルックのガボット(ブラームス編曲)。
4月30日--トリオ・ジャズの音楽
「 こんな静かなジャズを聴いたのは初めてだよ 」 これは、一緒に行った連れの言葉です。私も本当にそうだなーと
思いました。CDで聴いていたのとは、また違う、何て云ったらいいのか適切な言葉がでてきませんが、音楽と
一体となれる幸せというものを、会場に来て始めて味わえたような気がしました。ピアノにベースにドラム、この3者が話しを交わし
ているようでした。
ピアノを弾くキース・ジャレットは、時々椅子から腰を浮かして、半ば中腰の姿勢で身体全体でリズムを取ってピアノを弾いています。
キース自身の歌声も時折
聞えてきます。そのピアノの音色、本当にステキなものでした。深みのある音で、それでいて煌いています。一つ一つの音が
光の綿毛に包まれているようでした。あの音色は、私には一生かかっても出せないんだろうなーと思います。
減衰していく時のピアノの音色って本当にきれいですね。
3つの楽器から奏でられる音楽は、ゆっくりと身体の中に流れ込みました。十分に注がれた音楽によって、何か
反応をおこしたのでしょう、私の身体はとても柔らかくなっていきました。会場はジャズを聴くには、大きな所と
感じましたが、聴衆の集中度は、クラシックの演奏会とは、ちょっと違うように思いました。偶には、出かけていくのも
いいものです。ちょっと贅沢をした春の宵でした。
トリオ・ジャズ。
キース・ジャレット (p)、ゲイリー・ピーコック (b)、ジャック・ディジョネット (ds)。
会場=上野文化会館
5月7日--時間旅行
レッスン85回目。この間から、少しずつ発表会で弾く曲の練習を始めた。今日は、その出だしの
部分をみてもらう。といっても、あー大変。指が届かない。「 人差し指を軸にくるっと廻して 」 云われた通りに
やってみる。その場だけは、エイッとやるから、何とか出来る。それにしても、何とも滑稽だななんて思う。
好きな曲だから、メロディは、嫌というほど、頭に入っているのに、出てくる音は、切れ切れの意味を成さない
只の空虚な音、いや違う、音が出てくれればまだ良い方で、今のところ音以前。ほんとに、これじゃ何云ってんのか、
まるで分らない。しかし、ここを超えなきゃ、次ぎに進めない。
いつも最初はこうだ。発音(?)練習からスタートして、
そして、ポツン、ポツンと音をだして、フレーズに繋げていって、段落にもっていって、最後の“まる”までいって、
それからやっと曲としての練習が始まるのだから。
CDで聴いていたら、すごーく簡単そうに思えたのに、始めてみると、なんと難しいこと。ギャップに唖然。
まぁ、今は何の曲を練習しても、スイスイできるなんてことは、当分ないわけだから、気持ちを落ち着かせよう。
暫くはこの一曲だけに付合うのだし、発表会は夏で、まだ時間はあるのだから、充分に愉しめばいいのだ。
楽譜をじっと眺めていると、200年以上も昔に、これを作曲したグルックって、どんな人だったのかなと
思うし、またこれをそれから100年後のブラームスは、一体どんな時にどんな気持ちで、ピアノ曲にアレンジ
したのかと思う。この曲は時間にすれば3分程の短い曲だけど、遥か遠くから、ヒョイと私の前にやってきた。
今度は私がその時間を溯っていく。人間一人の持ち時間は、音楽の持っている長い長い生命から比べれば、
遥かに短いけれど、それにちょっと触れてエネルギーをもらうことは、嬉しいことだ。私が選んだ曲は、
あまり有名ではないみたいだけど、ひょっとしたら、100年後にも、ピアノを始めたばかりの、何処かの
誰かが、この曲、気に入ったなんて弾くかもしれない。そう考えるとちょっと肩の力も抜けるよう。
5月14日--め!
レッスン86回目。この間まで、指の練習には、ハノンの 1 番から、@普通に弾く、Aスタッカートで弾く、
B付点のリズムで弾くというように、3つのパターンで進めてきて、3 番まで進んだけれど、発表会の対策として、
今は、48番の "手首を柔らかくする" 練習に入っている。まずは3度の練習。左右とも 2 と 4 の指で形をつくり、
手首から先を上下に動かして、一緒に上行したり下行したり、時には、左手は下行して右手は上行したり、また、
その逆で左右の手の動きが中心の方に合わさってきたりする。この左右が逆の動き、開いたり閉じたりする
ところが3個所もある。譜面にも、ちゃんと菱形が3つあるのに、私ときたら、弾くことに夢中で
、左右の手は、いつも仲良く連れ立って動いていた。
今日、先生に指摘されて、始めて気が付いて、
目が点に、いや菱形になっちゃった。実はこの練習、すでに3週目。毎日、譜面台に教本を置いて、
弾いているのに、一体何を見ていたのやら。全く、何やってんのかしら。困ったもんだ。手首を柔らかくする
よりも、このおっちょこちょいをなんとかする方が先決だなー。
さて、“グルックのガボット”。 私が使っているのは、全音のピアノピースの32番。古典フランスの民謡舞曲。
拍子は2分の2。速度は中庸、優雅に。曲の構成は、中間部がある 3 部形式。私が気に入っているのは、この
中間部。音そのものが、何の束縛もなく遊んでいる、そんなふうに感じるから。感じたように弾いていくことが
できるといいのだけどな。今日のところは、その中間部の真ん中までの音符を弾いてみる。
練習を始める前に、体操でもしようかな。リラックス、リラックスと掛け声だけじゃ、どうも無理だ。
5月21日--グルックでぐるっと
レッスン87回目。紫陽花の葉っぱの色が濃くなってきた。青梅も店頭に並びはじめた。もう少し
すれば、黄色く色付いた梅もでてくる。二年間はサボっていたけど、今年は、また梅干しを漬けよう。
塩漬けにして、だんだん水が上がってくる時の、あの、何とも云えない梅の甘いふくふくとした香り。ほっとするような好い
匂いだ。
さて、レッスン。もう、レッスン。一週間なんて本当に速いなァー。ハノンの48番。“手首の練習”。ああ、
もう、今日は4週目。3度の練習で立ち往生。手首が柔らかければ、遠くから遠くへの鍵盤も、ぐるっと掴めるから、
とにかく何とか柔らかくしたい。そこで今週も、鍵盤を、実際よく叩いた。叩いた反動で指が跳ね返るように。でも
強く叩くわけじゃない、かといって、弱くでもない。自然に手首がしなる様に。まだまだ硬い。できないのだから、
しかたないけど、また今週も持ち越し。この練習、なかなか上手くいかないせいもあって、ちょっと辛い。しかし、今度の
“ガボット”は、アルペジオが頻繁にでてくるから、きれいな音に弾けなければ、話しにならない、だから
この48番を練習しているのだ (こうやって、自分に言い聞かせているのです)。時間が、掛かってもしかたない。
今度の曲で、手首が少しでも柔らかくなる
ことができればいい。それが課題だと思って、もう少し頑張ろう。
曲の方は、今日のところは、中間部の最後まで、なんとか音を拾う。覚えたつもりが、教室では、やっぱり
ところどころ、つかえてしまう。天気が蒸したせいもあるけれど、汗びっしょり。この曲、CD (ヨーゼフ・ホフマン演奏)
を持っていて、
前は好きで時々聴いていたけど、暫くは聴かないつもり。あんまり聴くと、自分で何をやっているのか
分らなくなってしまうだろうから。ある程度、自分で弾けるようになってから、また聴けばいい。その分、今は
楽譜をじっくり見て、慌てず騒がず、心を集中して練習しよう。
5月28日--蝶々のようにひらひらと
レッスン88回目。やっと、88回まできました。さっき、記念にピアノの一番端っこの、のっぺりとした白一色の
ドを静かに叩きました。残るは、あと12回です。これは12音に通じるし、十二分に、心して、練習しなさい
ということですね。きっと。( もちろん、100回目だって、レッスンの通過点にすぎないことは、100%承知しています。)
今日のレッスン。指の練習は、このところ、ずーっとずーっと同じ、“手首の練習”。48番。この数字、この先、
もう忘れられないと思います。
マシにはなってきましたけれど、まだまだ硬いので、やっぱり次回も続きます。この練習、家では実際、地味ですよ。
お呪いの儀式のように、ピアノに向かって、3度に指を開いて、延々と上り下りをやっています。でも、20分もやれば
、大抵はギブアップです。この練習方法としては、123412341234・・・
というように、強弱をつけて弾いていきます。こうすると、身体で力を抜くことを覚えていくのだそうです。
練習曲の方は、今日は、最後までの音符を拾いました。これで、一応終わりまできたので、次回は
細かい所をチェックしてもらいます。短い曲なので、今年は去年に比べると、ずいぶんと楽です。でも、
なんだか、変です、この曲は。ちっとも云うことを聞いてくれません。耳も手もすっかりくたびれてしまいます。この曲は
4声からなっていますが、いまのところメロディラインは浮かび上がらず、音が濁っている状態です。音加減というのか、指の力の配分が
つかめません。鍵盤を指が移動するとき、蝶々が飛んでいるように、ひらひらと柔らかく動くといいらしいのです。また
、実際柔らかくすれば、
音をしっかり掴めます。逆に、手を思いっきり緊張させて弾いてみると、そりゃもう、酷い音ですものね。
6月2日--透き通ったたべもの
ページを繰ると、楽譜が印刷されていることに、目をみはります。音譜を拾ってみると、“れーれ、
らーら、れーれ、どーど、れーれ、らーそ、らーらら”、宮沢賢治の 『 イーハトーボ農学校の春 』 の文中で
「 太陽マジックのうた 」 と記されています。歌詞は、“ コロナは63万15とか、コロナは37万2000 ”などと
いうものです。明るい太陽のもと、爽やかな風に乗って、遠くの森の向こうから、このメロディが、聞えて
くるようです。
このところ、宮沢賢治の童話集をずっと読んでいました。子供の頃、何編かは読んで
いましたが、纏まった数を読んだのは、今回が初めてです。子供の時、果して分って読んでいたのだろうかと
思います。しかし、当時は当時なりの理解の仕方で読んでいたのだと思いますし、現在も、やはりそうなのだろうと
思います。ですから、今の段階でも、やはり分ったと言えないのかもしれません。読みたい本は、沢山あって際限が
ありませんが、これは、またこの先も、折りに触れて読んでいきたいと思う本です。
この童話集の中で、心に残る文章は、数え切れないほどありますが、思わず、「 ああ!」 と声を出してしまったところを、ここに
書いておきたくなりました。なぜなら、可能、不可能は別として、こういう目標を持って、私もピアノを
弾いていきたいと思っているからです。(私の場合、あなたのではなく、わたくし自身のということになりますが。)
それは、生前に刊行された『 注文の多い料理店 』の序文です。
「 わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい
朝の日光をのむことができます。・・・・・・わたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月
あかりからもらってきたのです。・・・・・・わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまい、
あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。大正12年12月20日 」
*岩崎書店、1979年発行、宮沢賢治童話全集より
6月11日--小さくバンザーイ
レッスン89回目。「 さっ、では次ぎの練習に進みましょう。 」 思わず手を叩いて、ピアノの前で
バンザイをしてしまいました。ハノンの48番が、少しマシになったからです。といっても、48番は
3度と6度がありますが、3度の方のみ。一つの鍵盤を叩いていくのに、二つ一緒に押してしまったりすると、
その先は、軌道修正ができなくなって、ますます力は入るし、なかなか出口は見えませんでした。指の練習
でこんなに時間を費やしたのは、今回のこの練習が初めてです。
練習は次ぎに進みますが、48番も一日、2,3回は弾かなくてはなりません。でも、もう20分もしなくていいのです。この20分
というのは、その時間だけするようにと云われた訳ではありません。家での練習については、細かく
云われません。ただ、私は20分かかっていました。やっと力まなくても、楽にできるように
なりました。二の腕は、ぷるぷるしてるかな、なんて気を廻す余裕すらでてきました。正直云いますと、この練習、
殆ど泣く泣くやっていました。だって毎日やってもできないのって、相当プレッシャーでしたから。今日は、ですから
練習している曲が上手くいった訳でもないのに、嬉しいのです。次回からの指の練習は、50番( 3度を
レガートに弾く練習 )です。ペダル記号なんか無し。当然ですね。はてさて、どうなることやら。
練習曲は、録音して聴くことを始めました。ギクシャクしていて、まだ余程怪しいものですが、ピアノを弾いている
時って本当に分らないのです。今の段階では、まだ指の動きに振り回されていますから。今回の注意点は、装飾音の処理について。
あくまでも
飾りで本体ではないので、軽く小さく弾くこと。<ほら、弾いといたわよ。>なんていう音の出し方では、
台無しなのです。聞く所によると、ブラームスは、この曲をクララ・シューマンに献呈したのだそうです。少しでも
経緯を知っていくとおもしろいですね。
*グールド関連の本が出版されました。
『 ぼくはエクセントリックじゃない 』 グレン・グールド対話集、ブリューノ・モンサンジョン=編・構成、粟津則雄=訳、
音楽之友社
6月18日--ゆっくりと消化する時間
レッスン90回目。指の練習は、3度のレガート。親指と中指、次ぎに人差し指と薬指、そして中指と小指
、最後に人差し指と薬指にもどります。こうして3オクターブ上って、また下がってきます。おととし、この3度を
初めて練習した時、5本の指を上手く使うもんだなと感心したことを思い出します。あの時、指は、まだ見事に
突っ張っていました。今回の注意点は、打鍵する時、肘でリズムを取るようにして、少し左右に振ります。指を換える
時に不必要な上下運動は、しないこと。いつのまにか、指を振り下ろす癖が付いてしまいました。レガートを意識
して、指は横に滑らせます。
今、練習している“ガボット”も、3度の部分がレガートにならないで、音が切れてしまいます。叩いているから、と
いうことなのですけど、音の出し方というのは、本当に難しいものです。自分で録音したものを聴いていますと、まだまだ、
何 これ、という状態です。でも、ここで耳を塞いじゃいけないのです。原因は何で、どうしてこの結果がでているのか、
じっくり考えなくてはなりません。それにしても、下手でイヤになりますが。そんな訳で、このところ 3度の練習とアルペジオを速く
弾く部分練習をしています。
寝ても醒めてもと云うほどではありませんが、日常の中で、ふと手を休めた時など、気が付くと、この曲のメロディを
追っています。それで思うのですが、ゆっくりと頭の中や、身体の中で消化していく過程というのが、どうしても
必要ですね。毎日の練習では、それほど目に見えた変化はありませんが、曲を寝かすというのか、自分の
全体で分っていくには、一定の時間がかかります。でも、そのゆっくりとした時の流れこそ、必要な時間です。