書き初め



小学4年生の頃は、私の習い事ラッシュでした。

平日はピアノ、エレクトーン、そろばん、習字、スイミング、英会話、

休日は子供会のソフトボール、近所の教会の日曜学校にも行っていました。

それから進研ゼミの通信講座もやっていたし(赤ペン先生の添削問題は出してなかったけど)、

毎日何かの教室に通っていたわけで、我ながらよくやっていたなと思います。

でも、毎日楽しくて楽しくて仕方ありませんでした。

今でもそうですが、自分の知らなかったことや興味をもったことは何でもやってみたくて、

自分からやりたいと言ったことは、わりと何でもやらせてくれた親のおかげで

あの頃もそういうことになったんだと思います。



◆  ◆  ◆  ◆



習字はそんな習い事の中でも習っていた期間は短い方で、

2年ちょっとしか続きませんでした。

小学校や中学校では、書写競技会や新年席上揮毫大会というと

上手な子の顔ぶれが決まっていて、

そんな子に混じって自分も入選を目指そうと思ったことはありませんでしたが、

母が自分が昔、習字で何かの賞を取ったことがあるらしく、

習い事の中で唯一口出ししてきたこともあり、

習っている間は家でもよく練習させられました。

すごい日は、1日に100枚は練習していたでしょうか。

その甲斐あってか、2年間でまあまあ見られるくらいの字が

書けるようにはなりました。

しかしそれが元で悲劇が起ころうとは・・・。



◆  ◆  ◆  ◆



あれは中学1年の冬休みでした。

冬休みの宿題といえば1月2日は書き初めと決まっています。

その頃はもう習字教室には通っていませんでしたが、

母の指導(?)により冬休みに入る頃から練習していました。

中学時代、私は吹奏楽部に入っていたのですが、

部活に行ったときに同級生のAちゃんから

書き初めの宿題をやってもらえないかと頼まれました。

どうせ何枚も練習するのだし、

Aちゃんとはクラスが違って隣に並べられることもないしと、

私は軽い気持ちで引き受けました。



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冬休みが終わって学校が始まり、私は早速Aちゃんに書き初めを渡しに行きました。

特別うまく書けたわけじゃなかったけど、

これくらいならいいだろうというくらいの出来でした。

その日の何時間目かの放課(懐かしい響き!)、

Aちゃんがお供を引き連れて血相を変えてやってきました。

なんだかただ事ではなさそうに怒っているのがわかります。

「ひょっとしてうまく書けたのを渡さなかったことがバレたんだろうか」

差し当たって不安になったのはそのことでした。



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Aちゃんはお人形さんみたいにくりくりおメメのかわいい子でしたが、

気が強くて、部活の同級生の中でもチカラがあって(そういうもんがあったんです)、

私にとってはご機嫌を損ねてはマズイ相手でした。

「どうしよう、なんだろう・・・」どんどん不安が膨らんでいく私の目の前に、

私が書いた書き初めが突きつけられました。

そしてすごい剣幕で「ちょっとこれ、どういうことっ?!わざとなのっ?!」。

Aちゃんが指差しているところを見ても、

初めは何がいけないのかわかりませんでした。

よくよく見ると、な・なんとっ!私はAちゃんの名前の漢字を間違っていたのでした。

中学生なら間違えるはずのない字です。

ましてや自分の名前を間違えるなんて、あるはずがありません。

Aちゃんが怒っているのも当たり前でした。



◆  ◆  ◆  ◆



「あッッ!ごめんねっ!わざとじゃないよっ!ごめんねッ!」

必死で謝りましたが、結局私はその後しばらく公私に渡って(?)

Aちゃんの冷たい視線を浴び続けることになりました。

その日が提出日だったので書き直すこともできず、

Aちゃんはどうやら名前の間違いのところを修正液で消し、

上からマジックで書いて出したそうです。

・・・きっと目立っていたことでしょう。

次の年から書き初めの宿題を頼まれることはありませんでした。

「だったら自分で書けばいいのに」って、今なら笑い飛ばせるそんなことも、

学校が唯一の世間だったあの頃は、命にでも関わるかのような一大事でした。



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高校に入ると書道の時間も、書き初めの宿題もなくなり、

今では筆も硯もどこへ行ったかわからなくなってしまいました。

でも今度は、そろそろ芳名帳などに名前を書かなければならない年齢になってきたので、

せめて自分の名前くらいはきれいに書けるように、

また実用書道でも習おうかなと思っています。

いくつになっても、やってみたがりな性格は治りそうにありません。



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