甘いハナシ
今はありがたいことに仕事をいただいていますが、
先方の都合でいつ何時失業するかわからない派遣OLの私としては、
常日頃から転職先の情報収集に余念がないわけです。
それともうひとつ、求人広告を見ながら「こんな時給じゃ暮らしていけない」とか
「ここの制服は似合うかも」とか「ここは毎週募集出してるからきっといいとこじゃないんだな」とか
一人でブツブツ言いながら、そこで働いている自分やいろんなことを想像するのもけっこう趣味になっていたりします。
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ある日曜の朝、いつも通り広告に目を通していると、
「京都地区・素人モデル募集」という広告に目が留まりました。
広告主は京都が本店らしい呉服屋さんで名前は知りませんでしたが、
広告によると「モデル料として1万円支給。着用された着物の表地《30万円相当》を差し上げます」 というものでした。
さすがの私もどこかのプロダクションのモデル募集だったら応募なんかしません。
ポイントは「16才から65才までの素人の方」というところでした。
それってきっと新聞の折り込みチラシなんかで見かける、
「いかにも近所のオバチャン」という人が留袖なんか着て小さく切り貼りされているアレだろうと
思ったんです。そんなモデルなら意気込むこともないし、
何より着物好きの私にとっては着物を着せてもらえて、ヘアメイクしてもらって
写真を撮ってもらえて1万円もらえるというところが魅力的でした。
そんなわけであつかましくも生まれて初めて写真を送り、
意外にも1次審査を通過してしまった私は、いよいよ2次審査の「面接&オーディション」に
挑戦することになりました。2次審査の会場はあの「京都タワー」でした。
そんな場所あったっけ?って思いましたがあったんです。
でも行ってみるとタワーの入り口の「今日の催し物」のところになぜか「新作着物展示会」とありました。
「展示会?オーディションじゃなくって???」と一抹の不安を覚えながら会場へ向かうと、
会場の前には確かに「オーディション会場」と書いてあって一安心。
◆ ◆ ◆ ◆
受付で名前を記入して中へ入ると、お母さんと一緒に来ている二十歳くらいの茶髪の女の子から
50代くらいの「近所のオバチャン」風の人まで20人くらいが座れる控室がありました。
まず最初に説明会があって、それによると今回の応募総数は700人で、
1次審査をパスしたのは200人ということでした。そしてこの2次審査を通過した人は
カタログ・パンフレットのモデルやショーモデルとして起用されるということでした。
面接の順番を待つ間、会社のプロモーションビデオや過去に行われたショーのビデオを見せられていましたが、
さすがに「プロのモデル」と「素人モデル」の差は歴然としていました。
素人モデルの中には姉妹や親子で出演している人もいました。
説明会のときは「プロのヘアメイク、照明技術などにより普段と違うあなたを演出します」なんて言ってたけど、
成人式の近所の美容院と大して変わらないな、というのが正直なところでした。
とにかくビデオのなかではユーミンの「春よ来い」が流れているし、
会場では宇多田ヒカルが大音量で流れているし、時折どこかから大勢の「3本締め」が聞こえてくるし、
隣のオバチャンは「私、こういうの応募するの初めてなのっ!」と嬉しそうに話しかけてくるし、
まったく騒々しい控え室でした。
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軽い気持ちで来たはずなのに、いざ「面接」となると冴えない就職活動を思い出したりしてドキドキしてくるものです。
10番目くらいに名前が呼ばれて別室へ入ってみると、30才くらいのお兄さんと面接が始まりました。
着物を着た経験や、好きな着物の色や柄、手持ちの着物のことなどアンケート形式で聞かれて、
「ほんとにモデルクラブとかに所属してないんですか?いやあ、ホント着物似合いそうですよねえ!」
「こちらとしてもぜひ、モデルとしてがんばっていただきたいです。いやホントに!」
と持ち上げられて上機嫌になったところで第一の現実がやってきました。
「ところで着物の表地はプレゼントさせていただきますが、お仕立てなどは別料金でこうなっております・・・。」
と見せられた表によると振り袖が10万円、訪問着が8万円ということでした。
一瞬ドキッとしましたが、これくらいで30万円相当の正絹の着物がもらえるならまだお得です。
「ハイ!かまいません!」とにこやかに答えたところ、
「じゃあこれで合格内定です。あとはあちらで着物を選んでいただいて、
撮影会で着ていただく着物が見つかりましたら合格決定ということで・・・。」
と面接開始から5分くらいであっさり内定をもらってしまいました。このとき12時半でした。
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「うそー、こんなんでいいの?」と半信半疑でさらに奥へ入ると、
ヒッピー風の「っぽい」格好をした「プロのヘアメイクさん」がいて、「っぽく」ヘアメイクをしてもらい、
再び上機嫌になって奥へ入ると、そこはまさしく「新作着物展示会場」でした。
振袖・留袖・訪問着と帯や小物が所狭しと並べられ、あちこちに姿見が立っていて、
その間で「モデル内定者たち」と着付けのオバチャンと営業担当の人が「商談」を繰り広げていました。
そして「商談成立」の証として社員全員参加の3本締めが・・・。
この辺まで来てようやくこの「素人モデル募集」の趣旨をぼんやりと理解しかけながらも、
導かれるままに畳にあがって訪問着を一通り見せてもらい、自分が気に入った物を6枚選んで順番に着せてもらっているうちに、
「これで仕立て代8万なら安い!」と思える着物に出会いました。
それは「美しいキモノ」という雑誌に掲載された商品らしく80万円するシロモノで
「さすが普段から着慣れてらっしゃるだけあってお目が高い!」
と言われてまたもや上機嫌。私が持っている着物は薄ピンク系が多いのですが、
それは黒と銀ベースでいつもとまったく違う雰囲気ながらケバケバしくなく粋で品もあり、桜と月の模様がとても気に入りました。
気持ちはその着物に相当傾いていましたが、ひょっとしたらもっと気に入るものがあるかもしれないと思って、
それを第一候補に取っておいてもらって、別の1枚も着てみることにしました。
それはクリーム色で裾に花と手毬の模様が入っている着物で、どちらかというと自分が持っている着物に似た系統でした。
さっきの1枚とはがらりと感じが違いましたが、柔らかそうでかわいい感じがすっかり気に入って、
やっぱりいつもと同系統のせいか気持ちが落ち着くんです。これは70万円のシロモノでした。
今度こそこれに決めよう!と思いながらもふと、
「こんな着物がたったの10万円足らずでいいんだろうか?」という疑惑がフツフツと沸いてきて、
現実に気づいてはいけないような、気づかなくてはならないような気持ちでいると、
初対面なのに「ワタシのことお母さんだと思って何でも相談してね」と、私の着付けを担当してくれた塩沢トキ似のオバチャンに
「今まで着られた着物、全部似合ってたけどこれが一番ステキよお。
これが一番好きなんじゃない?ね、そうでしょ?わかるわよう!」
と、妙に押し殺した声で耳元でささやかれながら肩をバシバシ叩かれクラクラしました。
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時計を見ると2時を過ぎていました。そういえば朝からパン1枚しか食べていません。
おなかも空いてきていました。それ以上試着を繰り返すのもしんどいし、
その着物は本当によかったので、「これに決めます!」と言ったところで
営業のお兄さんが嬉しげに帯やら小物やらをコーディネートして持ってきました。
「じゃあこれから精一杯勉強させてもらいますんで!」とやけにハリきっています。
「勉強?ああ、きっと帯や小物を買わせようとしてるんだな。いらないし断ろう。」と思って聞いていると
「これね、全部セットだったら高島屋あたりじゃ最低100万はしますよ!」
・・・ひゃ、100万ですって?!
その一言に強い衝撃を受けながらも、さっきから繰り返し気になっていたことを
思い切って聞いてみることにしました。
「あの、それをお仕立て代だけでいただけるんですか?」
一瞬にして向こうが凍っていく様子がわかりました。
そして当然のことながら第二の現実です。
「・・・え・・・っと・・・、これはですねえ、お客様はお目が高いので対象品外のものなんですよねー。
なので最初に提示させていただいたよりは少し上乗せというカタチになりますねえ。」
といって向こうが電卓をたたき出しました。
すると仕立て代が上乗せされるだけでなく、着物本体の値段もン十万とし、
帯とセットだと帯の分はタダ同然という具合でした。
「本当でしたらこれなんですけど・・・」と見せられた数字は「62」で、
「今回はモデルになっていただくということで・・・」と出てきた数字は「38」でした。
それを見て頭の中でキーンと耳鳴りが始まりました。
そんな私を見てか否か、その営業さんは「1ヶ月1万円とボーナス払いで3年ローンならどうですか?」
と神経を逆なでするような提案をしてきます。・・・そういう問題じゃないのよね。
◆ ◆ ◆ ◆
必死で平静を保ちながら、「じゃあお仕立て代8万円キリだと、どんな着物になるんですか?」
と一応聞いてみると、持って来てくれた着物は「いかにも」なペラペラ・テカテカの、
8万円で買うなんてチャリティーみたいな逸品でした。
もっと言えば、新京極のおみやげ屋さんでよく見かける外国人向けのアレに似ていました。
それを見て私の頭は完全にクールダウン。
「モデル」気分から一気に「客」気分になってすっかり帰る気になっていました。
それが伝わったらしく、営業の人は何回も奥の部屋と行ったり来たりしては
「勉強」「勉強」といって値段を下げ続け、最終的に「19」になりました。
70万円の着物が仕立て代・消費税込みで19万円なんて、着物ならではの話だけどやっぱりすごいと思うんです。
その着物のことは本当に気に入っていたし、ほんの一瞬「だったらローンで・・・」と思いかけましたが、
今日は着物が欲しくてきたわけじゃないのにそんな出費は認められません。
お兄さんは「こういう出会いはご縁ですから・・・」と粘ってきましたが、
「逆に縁がなかったと思ってあきらめます。」といって立ち上がりました。
それから出口まで、お兄さんとは目を合わせることができませんでしたが、
それ以上しつこく引き止められたり、急に態度が変わって無視されることもなく、出口までついて来て挨拶してくれました。
でもモデルを辞退したことにより1万円の支給はなし。まさしく「新作着物展示会」に行った客でした。
要するに、2次審査で「客」になれば「モデル」になれるというわけだったんです。
世の中ってそんなものですよね。