竹富島の思い出



私が生まれて初めて飛行機に乗り、沖縄を訪れたのは10年近く前、

中学を卒業する春のことで、竹富島(タケトミジマ)に1泊、本島に1泊の2泊3日の旅行でした。

幼稚園からずっと仲良しの友達と二人で出かけたのですが、

今考えても、中学生の女の子が二人、2泊3日の沖縄旅行というのは贅沢で、

そしてもったいないほど短い滞在だったと思います。

そのとき旅行の手続きは、私たちの意見を聞いてもらいつつ全部父任せでした。

というか、親同士が心配してあれこれ決めてくれたんだと思うのですが、

おかげで一体費用がいくらで、何という宿に泊まって・・・という細かいところが

今となってはもう思い出せないのです。

その頃の日記を読み返しても、ただただ「飛行機が落ちませんように」としか

書いていないのでした(笑)。



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竹富島は石垣島から漁船(兼生活物資を運ぶ高速船)で南へ10分、

最近ではすっかり有名になった西表島(イリオモテジマ)との中間くらいにあって、

2〜3時間もあれば自転車で1周できてしまうくらいの小さな島です。

沖縄好きな方は別として、今でも私の周りの人に「竹富島」と言っても

「え?どこにあるの?」という返事が返ってくることが多いのですが、

まして中学生の私たちがどうして竹富島へ行ったのかとよく聞かれます。

でも、その頃の私にとって竹富島は「沖縄と言えば竹富島」というくらい耳慣れた島でした。



というのは、年に一度お正月に会うかどうかの私の叔父(←身内の割にかなりアヤシイ)が、

すっかりこの島に熱を上げていて、会う度に竹富島の景色やら、お祭りやら、

良くしてもらっている土地の人の話を聞かせてくれたからで、

そもそも「沖縄」さえよく知らなかった私は、話を聞くうちに本島よりも

竹富島のイメージがどんどん膨らんでいき、沖縄へ行くならぜひ竹富島へも!

と叔父の常宿を紹介してもらって当地へ向かったのでした。



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とはいえ、中学生の私たちにとって、旅行といえば観光地巡り。

叔父から聞かされていたのは竹富島の人の手が加えられていない自然の話だったのに、

そんなことはすっかり忘れてしまっていたのでした。

もちろん、ディズニーランドのようなテーマパークは期待していませんでしたが、

竹富島の桟橋から宿に着くまでの何も無さには、正直不安になりました。

「何もない」というのは、舗装されていない砂利道の両側に木が生い茂っていて、

小さな日用雑貨店があったような、家の屋根がちらほら見えたような、というかんじです。

要するに覚えているものは何もない、という・・・(笑)。



そういえば、竹富島が観光地だとはただの一度も聞いたことはなかったのですが、

行けばそういう何かがあるだろうと、当然のように思っていたのかもしれません。

とりあえず、ガイドブックを見ながら「見所」とされるところを歩いて回ってみても、

どうも今までの「旅行」とは勝手が違って、第一観光客がいないし、派手な案内の看板もないし。

施設らしいもので覚えているものといえば、民芸館や博物館があって、

今なら覗いてみたいようなミンサー織りという民芸品の実演などをやっていたらしいのですが

その頃はどうも興味を引かれなかったようで、写真だけとって素通りしたのでした。

そんなわけで、着いた日は半日もかからないうちに

「あとは何をしよう」と友達と顔を見合わせたことを覚えています。



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やっぱり中学生の興味を引くようなものといえば

そういう場所よりも、普通の家の屋根に乗っている様々な表情のシーサーだったり、

その辺を観光客用に歩いている水牛車だったりするわけです。乗ってた人はいないけど。

どちらも南国の風情たっぷりで、とくに初めて見た水牛車(たしか牛は「花子」だった)には興味津々でしたが、

でもそれさえも、しばらく眺めて写真を撮って次へ・・・というかんじでした。

もちろんビーチへも行ったのですが、人っ子一人いないとはこのことで、

それもそのはず、1年に1度の「大潮」の時に当たっていたらしく、

行けども行けども延々と貝殻交じりの白い砂浜が続き、

ようやく水にたどり着いたと思ったらすぐに遊泳禁止区域で、

泳ぎにもすぐに飽きてしまったのでした。



それなら!と、幸運を呼ぶ「星砂」という星の形をした砂を

自分で取ることができるというガイドブックの甘い言葉を鵜呑みにして、

砂浜にへばりつくようにして探したのですが

案の定一粒も見つからず(結局お土産屋さんで買いました)、

せっかく初めてスクール水着以外のおニューの水着を買ったのに(しかもハイレグの)

1時間もガマンできずに帰ってきてしまいました。

星砂は確かに取れるところがあるらしいのですが、

島の方たちもそう誰にでも教えてくれるわけではないようです。



泊まった民宿の方たちは叔父のおかげもあってとても親切で、

着いた日から私を叔父の娘と勘違いして(ややこしいので訂正しませんでしたが)、

あれやこれやと話し掛けてきてくださったのですが、

家族旅行でホテルにしか泊まったことがなかったせいもあって、

(そのせいだけにはできませんが)

宿の人とどう会話していいのかわからないという戸惑いの方が大きく、

朝食のとき「本土の人は食べられないでしょう?」ともずくを取ってきてくれたので

少し会話しただけでした。(「もずく食べたことある」とは言えませんでした。)

今思うと、もっといろんなことを教えてもらえばよかったと思います。



民宿では、テレビにお金を入れてもNHKと民放1局くらいしか映らず、

自分たちの部屋の外には、長いこと泊まっている人なのか、

萩原流行に似た若い男の人がシャツにパンツの姿でよくウロウロしていて

なんだか怖くて顔を合わすのを避けていて(笑)、

(私たちは彼のことをこっそり「ハンニャ(般若)」と呼んでいました)、

部屋の中で二人でガイドブックを読んだりしていました。



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そんな笑い話もたくさん覚えていますが、

いつだったか、それまで「旅」だと思っていた観光旅行とは別の「旅」があると気づいたとき、

まっさきに思い出したのはこの竹富島のことでした。

日常とは時間の流れ方が違う島、それが竹富島でした。



散歩の途中、道沿いの民家でおじいさんが縁側に横になっていて、

外を通る私たちと目があうと、にっこり笑って会釈して、

そのまま気にせず中の人と話をしていたのどかさや、

雑貨店の前で姉弟ケンカをしていた子供たちのこと、

普段なら通り過ぎることなのに、その二人の名前と会話の内容は今でも思い出せるし、

夜、自分の街と同じ国とは思えないくらい星空が近くてきれいだったこと、

目を開けていられないくらい眩しかった日差しのことや、

生温かい風が吹いて砂埃が舞ったことは、思い出すと今でも目をつむりたくなるくらい

はっきりと覚えているのです。



もし、今度あの島へ行くことがあれば、今度は宿の人と一緒にもずくを取りに行きたいし、

縁側にいたおじいさんに話を聞いてみたいし、宿の住人みたいな男の人の話を聞いてみたいし、

もっともっと海を眺めたいし、眠り込むまで星を見ていたいと思うんです。



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その後も国内・国外といろいろな所へ行きましたが、そういう旅ができたかというと

そうもいかず、初めてのところはどうしても観光地巡りになってしまっています。

でもいつか、帰る時間や日にちを気にせず、それこそ気の向くままの旅ができたら、

それが人生で一度の長期旅行だったとしても、それから行くどの土地でも

同じような目で、その中へ入っていけるのではないかなと

知ったような甘い期待を抱いている今日この頃です。




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