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「あ・うん」という裕りの社会   

 犬は人間の目を見ただけで自分に害を及ぼす人間であるか否かを瞬時に判断する。危害を与える人間と見ればスタスタと歩き去り、そうでないと判断すれば尻尾を振って近づいて来る。猫もそうである。油断ならぬと見れば正面から見据えて毛を逆立てて身構え、親しみを持てば膝の上に乗って来て目を細めて丸くなって寛ぐ。

 人間も猫や犬に似て、目が語ると言うか、目配せや目が合うだけで十分な意思疎通が出来るという素晴らしいコミュニケーション方法を持っている。動物の直感にも似た「あ・うんの呼吸」と言われる言わず語らずのコミュニケーションである。しかし、最近の若者は「あ・うん」の呼吸というものが不得意であるように思える。昔は人間関係の中にも「この人の言うことなら、黙って随いて行ってみよう」という任侠のような浪花節的世界があった。極めて人間的な感情の世界である。

 そのような世界が亡くなったのは、昔に比べそれだけ世知辛い世の中になったのだと言ってしまえばそれまでだが、昔は、私利私欲に溺れず信念を貫くために清貧にも敢えて甘んじるという哲学の人が身近にいた。私たちはそのような人たちにある種の憧れと美学を感じ、内面的な影響を受けて育って来たように思う。しかし、そのような全人格的に尊敬できる大人が少なくなったことがその大きな要因だろうと思う。それに加えて、何事もこと細かく理屈を説明しなければ納得しない人たちが増えて来ていることも影響している。

 昔の人がアバウトで、現代の若者たちに神経質な人たちが増えているという訳ではないが、確実に言えることは事象(ものごと)を「理屈−結果」という一本の線上で捉える人たちが増え、理屈抜きに納得する人たちが段々減って来ているということである。説明に理屈が要るというのは、それだけ若者の価値観が多様化しているのだと考えてよいが、これも入試のための知識のみを詰め込もうとする知識教授に明け暮れた即物的な学校教育の結果であろう。

 そのような人たちが増えることによって益々世の中が即物的な知識だけの競争社会になっている。知識だけであれば若い人の吸収力の方が年寄りに勝る。こうして即物的知識の量だけで人を判断する価値社会が生まれ、即物的利益に結びつかない哲学的価値を評価しない社会を生み出している。結果が見えないものに対しての挑戦が世俗的な利益をもたらさないという価値観を生み出しているのである。

 殆ど単一価値観の時代であった江戸時代や殖産興業が最優先された明治時代においては価値観の多様化というものを社会が容認し難かったことを見ても分かるように、価値観の多様化は成熟社会を象徴するものであるとも言えるが、現在のような混沌として自分の将来さえもが見えないような不安社会においては、即物的な利益を求める価値観というものは「危ない橋は渡らない」という点では利巧な選択であるように見える。しかし、このような価値観は即物的価値の全てに価値を認めるという意味において益々価値観の多様化現象を進行させ、更に混沌とさせることになるのではないかと危惧している。

 答えのない勉強というか、答えを自らが見出すあるいは創り出すという本来の「考える力を育成する」教育が廃れてしまっているところに原因がある。直ちに利をもたらさない哲学的知識というものが現在のような即物的価値社会の中において受け入れられないだろうということは容易に想像できるが、いずれこのような社会に疑問を抱き価値観の修正作用が働くであろう。そう考えると、近い将来、人々の心に哲学的価値観が芽生えて来、互いの心に余裕(ゆとり)をもたらす「あ・うん」の世界が再び現れるであろう。

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